元NMB48でタレントの白間美瑠(26)と俳優の永田崇人(30)が“夫婦役”で共演する、ABEMAオリジナル結婚モキュメンタリー番組『私たち結婚しました5』(毎週金曜後11:00)の第9話が、10日に放送された。同番組は、韓国で2008年から約9年間レギュラー放送された国民的大ヒット番組『私たち結婚しました』を日本版にリメイクした、「ABEMA」オリジナルの結婚モキュメンタリー。白間&永田のほか、堀未央奈(27)&百瀬拓実(21)が出演する。第9話で2人はプライベートサウナを訪れた。白間はこの日、スタイル抜群な黒ビキニ姿を披露。サウナに入って早々に永田は思わず「俺はちょっとあんまり右(白間さんのほう)を向けない」「恥ずかしい」とたじたじな様子に。しかし、白間はそんな永田を気にも留めず、「ととのえっ!ととのえっ!」と全身を揺らしながら永田に熱風を送ったり、「顔に汗かいてんで!」と永田の頬を指でなでたりと、サウナデートで年上夫を骨抜きにする様子を披露した。白間は汗をにじませた顔で永田を見つめながら、「いいカラダやな…かっこいい!男らしいね」と鍛え上げられた永田の身体を大胆発言で絶賛。スタジオMCの三浦翔平も「めっちゃマッチョだね!」と語り、今回のスタジオゲストで俳優の塩野瑛久も「いい身体!」とコメント。密室空間の至近距離で、白間は色っぽい表情で年上夫の肉体美を堪能した。その後、永田のアイデアで自宅にて手作り焼き鳥パーティーを楽しんでいると、白間が「食べててな?ゆっくり食べといてゆーっくり!わかった?」と告げ、キッチンに向かう。ここでスタジオMCの河北麻友子から「手料理じゃない?」とのコメントが。NMBメンバーと同窓会をした際、「手料理を作ったら?」とアドバイスを受けていた白間は、苦手な料理に挑戦する。するとキッチンに立つ白間を見つめていた永田に異変が。白間が「ご注文のたぁちゃんスペシャルです」と永田の大好物の卵焼きと味噌汁を差し出すと、「やばい泣いちゃう…」と迫る夫婦の別れにも思いをはせながら、思わず涙を浮かべた。この様子をスタジオで見ていた河北は「こんなに感動してくれる人いる?」とピュアな永田を絶賛した。その後のインタビューで永田は「ああでもないこうでもないって言いながら一生懸命作ってくれてるの見て、ご飯とか得意じゃないの知ってるし、それなのに作ろうとしてくれた気持ちがまずうれしくて…。お味噌汁って僕が言ったのをたぶん覚えてくれてて、作ってくれたのかなって思うとグッときましたね」と、涙の理由を赤裸々に明かした。
2024年05月13日元NMB48でタレントの白間美瑠(26)と俳優の永田崇人(30)が“夫婦役”で共演する、ABEMAオリジナル結婚モキュメンタリー番組『私たち結婚しました5』(毎週金曜後11:00)の第9話が、きょう10日に放送される。同番組は、韓国で2008年から約9年間レギュラー放送された国民的大ヒット番組『私たち結婚しました』を日本版にリメイクした、「ABEMA」オリジナルの結婚モキュメンタリー。白間&永田のほか、堀未央奈(27)&百瀬拓実(21)が出演する。2人は、プライベートサウナを訪れる。サウナに入って早々、永田が「俺はちょっとあんまり右(白間の方)を向けない」「恥ずかしい」と語る白間のスタイル抜群な水着姿や、狭いサウナブースやととのいスペースでイチャイチャする夫婦の姿が見どころとなる。また、白間が思わず「やきもち妬かせたくなるな」とつぶやいたサウナ内での永田の“とある行動”とは。その後、永田のアイディアで自宅にて焼き鳥を楽しんでいると、突如、永田の目に涙があふれる。永田は泣きながら「ちょっと1回これはなかったことにできる?」、白間は「時戻す?でもうれしいから時戻したくないかも」と語る“とある出来事”が起こる。
2024年05月10日結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第8話が5月3日に放送。白間美瑠は「NMB48」の元メンバーと同窓会を開き、夫の永田崇人を紹介。堀未央奈&百瀬拓実夫婦は、犬カフェデートや自宅デートでますます距離が縮まった。永田さんと白間さん夫婦は、朝食を作るシーンからスタート。白間さんは「NMB48」の元メンバーたちとの同窓会へ出かけることになり、永田さんは自宅で留守番をするため、玄関でいってらっしゃいのハグ。永田さんが「早く行きなよ」と口にするも50秒以上ハグし続けた。そして白間さんはレストランに向かい、吉田朱里、上西恵、加藤夕夏と再会。結婚の報告をすると、白間さんは「めっちゃ幸せ」とノロケが止まらない。一方で「こっちも甘えてばっかじゃあかんやん?」「旦那さんが喜ぶことってなんやろな?」と相談すると、吉田さんが「意外と普通なことが嬉しかったりするやん」「大好物作ってあげるとか」と提案した。さらに白間さんは、「今から来られる?」と永田さんに電話。急遽、同窓会に永田さんも加わり、一緒に食事をすることに。白間さんのアイドル時代の話題に移ると、吉田さんは「ふざけた人みたいな説明しちゃったけど、仕事ってなったときのスイッチの入り方は美瑠は一番すごいと思う」「コンサートの前に朝5時にレッスン場に入って一回通しでリハやったりしている」と影の努力を明かした。一方、念願の犬カフェを訪れた堀さんと百瀬さんは、「お散歩に連れていくワンちゃんを離れた場所から呼び、どちらの元に来るか勝負してください。負けた方はお散歩中、語尾に『ワン』をつけて愛嬌たっぷりに話してください」というミッションを実行。結果は堀さんのもとに犬が飛びつき、圧勝。その後、2人は、2匹の犬を引き連れ、散歩へ。百瀬さんは罰ゲームとして「そうだワンですなぁ」「『ワン』語尾につけるのムズイですワンだなぁ」などと言い、徐々にこの会話にしびれを切らした堀さんは、「じゃあ1周回ってお手して『ワン』って言ったらおしまいでいいよ」と提案。恥ずかしそうに犬になりきった夫を見た堀さんは、思わず「偉いね~!」とヨシヨシした。その後、自宅に戻った2人は、鍋を楽しむことに。堀さんはリビングで「じゃあ私は飲み物でも作ろうかな」とポツリ。すると、百瀬さんがすかさず「(キッチンへ)移動しますか?自分で移動しちゃダメですよ」とお姫様抱っこでキッチンへ連れて行く。また、百瀬さんが洗い物をしていると、今度は堀さんが百瀬さんにバックハグ。百瀬さんは驚き「どうしたの?」と問うと、堀さんは「ありがとう」と感謝を伝え、百瀬さんは「いいえ~!えー嬉しい!」「待って今ね、普通に照れてる」と恥ずかしそうな様子。しかし「でもずっとそうしてくれるなら、めっちゃゆっくり洗い物したい」「ずっと流しとくからずっとそうしといて」とすっかり虜になったようだ。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年05月07日堀未央奈と百瀬拓実、白間美瑠と永田崇人の結婚生活に密着する結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第7話が、4月26日(金)今夜、1時間スペシャルで放送する。ついに今夜、2組の夫婦が初対面し、渋谷でWデートを楽しむ様子を放送。堀さんは白間さんと夫の欲しいものを賭けた卓球バトルに挑んだり、カフェで食事中、インスタントカメラで写真を撮ろうとする永田さんに堀さんが「え?これタイマー?(機能あるの)」と天然発言、百瀬さんは食事をこぼしてしまい堀さんからお説教を受けたりと、2組の夫婦は落ち着かないあたふた具合を見せる。一方、ドライブデートでは、永田さんからアイドル時代、センターを務めた際のプレッシャーについての質問が。堀さんと白間さんからは、それぞれ真逆の回答が飛び出し、特に堀さんは弱冠16歳でいきなりセンターを任された当時の苦労を明かす。なお、4月29日(月・祝)から5月3日(金・祝)には、「私たち結婚しました」シーズン1から最新シーズンを毎日放送する「GWはわた婚WEEK!歴代シリーズ全話無料放送」を実施。5月4日(土)には、最新シーズンを1日中、全話無料で配信する。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年04月26日「スケールがやばいっすね!」(※画像は東尾理子さんオフィシャルブログより)東尾理子さんは2009年12月に、21歳年上の俳優・石田純一さんと結婚。2012年11月に第一子となる長男、2016年3月に第二子となる長女、2018年4月に第三子となる次女が誕生しています。東尾さんが石田さんに抱いている不満のひとつが、「勝手に焼肉店を船橋にオープンした」こと。事前に細かな相談もなかったようで、東尾さんは「なにかお店をしたいっていうのは言ってて。最初は違う業種の話をしてて、いつの間にか焼肉店に話が落ち着いてたみたいで、場所も自分で決めてきた」と明かしました。番組MCの神田愛花さんが「出店資金は石田さん個人の?」と尋ねると、「全然違いますよ、家売っちゃって、ぐらいの感じですよ」と東尾さんは答え、出演者一同「勝手にやることの限界値いってますよね」「やっぱりヤバいっすねえスケールがね。それに耐えてる理子さんがすごいけどね」と、スケールの大きさに驚いていました。日常生活でも「保冷バッグに保冷剤ではなく直接氷を入れて生肉を持ち歩こうとする」「いただきものの中身を出したのに紙袋だけそのまま置いてある」など、東尾さんが不可解だと感じることはたくさんあるそうですが、それでも「今、夫への不満がたまりまくってるっぽい」かといえば、そういうわけでもないそう。もう通常運転で、すっかり慣れてしまったといいます。そんな石田さんの尊敬しているところは、「決めたことをしっかり貫く」ところ。石田さんはランニングを毎日続けており、「雨でも雪でも毎日、冬で雪が積もっていても、仕事で地方に行ってジムがなくても、走る。意志の強いところは尊敬している」と明かしました。また、「女性だけでなく、モノとかまでやさしい。自分にない部分があるのはいいなと思う」とも明かし、番組MCであるハライチの2人も「若手芸人にもめちゃめちゃやさしい」と賛同していました。
2024年04月24日堀未央奈と百瀬拓実、白間美瑠と永田崇人が結婚生活を送る結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第6話が4月19日に放送された。スノーボード旅行へ出かけた永田さんと白間さんは道中で車中泊し、夜食として特製カップラーメンを2人で分け合う。永田さんに「あーん」と言いながら食べさせ、「かわいい」「美味しい?赤ちゃん」とまさかの発言に、永田さんも目を丸くするも嬉しそうに「美味しい、ありがとう」と伝えた。また、寝る用意をしようと寝袋を広げる永田さんに、白間さんは「カンチョー!」と背後から攻撃。同じ寝袋に横になると、永田さんは「甘えちゃおっかな」と白間さんに抱きつきイチャイチャ。その後のインタビューで白間さんは「面白いとか引っ張ってくれるなとか大人やなって部分はあったけど、甘えてくれてかわいいなと思いました」と普段とは違った一面を見つけられたことを明かした。そして、目的地に到着すると、ターンしたり猛スピードで雪山を滑ったりと華麗なるスノボード姿を披露。しかし、永田さんが転んでしまい、図らずも白間さんに覆い被さる形に。のちに白間さんは「(“壁ドン”ならぬ)雪ドンみたいな…」「憧れがあったのでドキドキしました」と笑顔でふり返った。一方、韓国から帰国し、自宅に戻った堀さんと百瀬さんは、買い物に出かけたり、手料理を作ったりと日常を楽しんだ。「妻に、夫にだからこそ言える秘密を明かしてください」とのミッションが与えられ、堀さんが「家族しか知らなくて周りにも言ってこなかったんだけど」「家族と出かけるときに、2回に1回は急に『私は行きたくない』と、謎のわがままを言う子だった」と秘密を披露。続いて百瀬さんに追加のミッションが。「妻と一緒に寝るときに叶えたいことを告白してください」と書かれたカードを読み上げた百瀬さんは「ハグ!」と即答。そして2人は寝室へ。「眠たい」「お酒も飲んだし」と呟きながらベッドの中へ入り、百瀬さんは唐突に正面からハグ。あまりの力強さに堀さんも「苦しい…」と呟きつつも嬉しそう。夢の中へ…と思いきや、百瀬さんから「またね」と迷言が飛び出し、堀さんは思わず爆笑。微笑ましいやりとりを見せた。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年04月22日堀未央奈と百瀬拓実、白間美瑠と永田崇人の2組が出演する結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第6話が4月19日(金)今夜、「ABEMA」にて放送される。スノーボード旅行へ出かけた白間&永田夫婦は、道中で車中泊をすることに。夜食としてチーズをたっぷりトッピングした特製カップラーメンを2人で分け合い、「あーん」と言いながら永田さんに食べさせるラブラブな様子が見られる。その後、同じ寝袋で密着して眠る準備。永田さんは「甘えちゃおっかな」と白間さんに抱きつき、「よしよしとかされたい」と願望を話すと、白間さんは頭をポンポンとしながら腕枕をしてあげる。夜が明け、スキー場に到着すると、華麗なるスノボード姿を披露するも、永田さんが転んでしまい、白間さんが思わずドキドキしてしまったと語る“あるハプニング”が起きる。一方、韓国旅行を終え、日本の自宅に戻り、夫婦で買い物に出かけたり、手料理を作ったりと日常を楽しむ堀&百瀬夫婦。食事中は、堀さんから「何の仕事をしている時が楽しい?」と質問されると、「演技しているときが一番楽しい」と俳優の仕事が好きであることを口にする百瀬さん。しかし、「最初の1~2年とか本当に仕事がなくて、俳優業とはちょっと違うけど、SNSを丸1年毎日投稿してみた」と苦悩や努力を語った。堀さんも「乃木坂46」として活動していたときの苦悩や葛藤を明かし、センターに抜擢された際、辛かったことも赤裸々に明かすほか、ギターに挑戦。百瀬さんに後ろから包みこまれるように密着した姿でギターを楽しむ姿に注目だ。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年04月19日結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第4話が4月5日に放送。愛が深まる白間美瑠と永田崇人夫婦、堀未央奈と百瀬拓実夫婦が初のお泊まり、遊園地デートを楽しむ様子が映し出された。前回まで、ハワイでの新婚旅行を楽しんでいた白間さんと永田さんは、今回帰国し、日本での新婚生活がスタート。そして、白間さんの姉・Miyuuと弟・白間太陽が新居を訪れ、永田さんと初対面。二手に分かれてホームパーティーの準備に取りかかり、白間さんとMiyuuさんは買い出しに向かい、永田さんと弟・太陽さんは部屋でパーティーの支度をしておくことに。パーティーを終え、深夜に公園にやって来た2人はブランコに座り、白間さんは見つめながら「めっちゃ好きやで」と告白、両手を広げて「おいで!」と永田さんを抱きしめた。そして少しの間、2人が見つめ合う時間も。手をつないで公園を後にし、白間さんは「好きやで、好きやで、好きやで~」と歌うように連呼。「顔見えんかったら(言える)」と永田さんの背中に抱き着き、さらに連呼し、幸せ絶頂な2人は、楽しそうに新居へと帰って行った。一方、堀さんと百瀬さんは、高級5つ星ホテルに宿泊。ベッドに横になると、百瀬さんが「足冷たっ」とつぶやき、「ごめんね」と眠たそうな声で謝る堀さん。堀さんが「めっちゃ幸せなんだけど…」と言うと、百瀬さんが「明日これで寝ながら遊園地に行きたいね」と堀さんを笑わせた。待望の遊園地デートでは、制服デートを楽しみ、グッズを入手したり、めいっぱいアトラクションを楽しんだりと、まるで学生時代にタイムスリップしたかのようにはしゃいだ2人。最後にお城の前でツーショット写真を撮っていると、百瀬さんがバックハグのまま、堀さんにキス。その後のインタビューで堀さんは、「包容力というか。ドキドキさせてくる相手よりも一緒にいて安心する相手がいいので、すごく理想的です」とふり返った。また、ホテルにて晩酌を楽しむシーンも。フルーツを食べさせ合いっこする仲の睦まじさを見せる中、堀さんの「奥さんにこれしてほしいみたいなこと、なんかある?アクションで」とう問いに、百瀬さんは「眠そうな顔(目)。好きなの。キュンとするの」「心開いてくれている感じがするから」と回答。「今やってみて」とねだられた堀さんは、その場で自身の眠そうな顔を披露した。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年04月08日堀未央奈と百瀬拓実、白間美瑠と永田崇人の結婚生活に密着する結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」第3話が3月29日(金)今夜放送される。今回は、白間さんと永田さんのハワイでの新婚旅行最終日の様子、堀さんと百瀬さんの韓国旅行の様子を放送。白間さんと永田さんは、大自然の中でアクティビティを楽しめる有名観光スポットへ。ジップラインに乗ることになるが、そこで「夫の好きなところをゴールまで言えるだけ叫んでください」というラブミッションが発動。30秒以上に渡りたくさん叫んだ好きなところとは?ゴールで合流した永田さんの反応にも注目だ。そして、最後の思い出作りにクルージングに向かい、美しい夕陽に包まれる中、夫婦の愛が深まる出来事が待ち受ける。一方、江南で買い物デートを楽しむ堀さんと百瀬さんは、アパレルショップでお互いの似合う洋服を選び合うが、お会計で堀さんが顔面蒼白に。そのあとの食事では、芸能界入りのきっかけについて語り合い、堀さんはアイドルを志した理由について赤裸々に明かす。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年03月29日堀未央奈と百瀬拓実、永田崇人と白間美瑠、芸能人同士の結婚生活に密着する「私たち結婚しました5」第2話が3月22日に放送された。韓国の大ヒット番組を日本版にリメイクした結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました」シリーズ。第2話では、ハワイにいる永田&白間夫婦は、オープンカーで永田さんが登場し、白間さんがやりたかったサーフィンを楽しむべく、ビーチに向かうことに。風を感じる車内では、白間さんが永田さんに「歌って~!」と無邪気にリクエスト。「NMB48」の「純情U-19」を歌唱すると、白間さんは歌に合わせて手振りのダンスを披露。歌詞を間違えずに歌う永田さんに、白間さんは驚き、永田さんが「めっちゃ好きやった」と話すと、喜びながら「でもクセ強いな、その曲好きって」とつっこんだ。サーフィンを楽しんだ夜、スーパーに立ち寄り、気になる商品を次々とカゴに投入。同じタイミングで同じカップラーメンを指差し、息の合う2人だったが、次に永田さんが手に取ったフラミンゴの形をした浮き輪を見て、白間さんは即座に「絶対いらんから」と反応。永田さんは「クッションみたいにして…」と説明するも、「いらんいらん、絶対いらん」「考えてみいや」としっかりした一面も見せた。そして、一緒に買い物袋を持って歩く中、白間さんが「2日目濃かったな~」と話すと、「いつか猫?なんて言った?」と永田さんは聞き間違え、これに白間さんは「意味わからんこと言ったら、無視することにした!」とツッコミ笑い合った。一方、百瀬&堀夫婦は表参道で待ち合わせし、ショッピングデートへ。雑貨屋へと向かうタクシーの車内で「モテ期はいつ?」と尋ねられた百瀬さんは、「中学2年生かな…野球をやっていたからか、めっちゃ告白されていた」「今まで全部合わせたら50人くらい」とモテっぷりを披露。そして買い物を終え、堀さん行きつけの港区の高級寿司店で食事をすることになった2人。お酒を飲みつつ「次何したい?」「旅行へ行きたい」などと、会話を楽しむ2人の元にふぐのお刺身が。堀さんは「大好き!」とテンションが上がり、ふぐが1番好きな食べ物と明かす。食事中、堀さんが百瀬さんに紙袋を手渡し、百瀬さんが「クリスマスの子どもみたい」と突っ込まれるほどウキウキした様子で袋を開けると、デート中に欲しがっていたハンドクリームとリップクリームが入っており、驚く百瀬さんに堀さんは「タクシーを呼んでくれている間に買った」と明かす。大喜びする百瀬さんに「あんまり言っていないと思うんだけどすっごい話しやすいと思って」「だから旦那さんでよかったなと思う」と告げ、百瀬さんは「こちらこそ!俺もこんなに自分から話せるのは話しやすいなと思っているからだから」と嬉しそうに話した。最初はどこかぎこちなかった2人だが、この日のデートで夫婦愛を加速させたような様子を見せた。「私たち結婚しました5」は毎週金曜日23時~ABEMAにて放送中。(シネマカフェ編集部)
2024年03月25日芸能人同士の結婚生活に密着する結婚モキュメンタリー番組「私たち結婚しました5」に夫婦として出演する俳優・永田崇人と元「NMB48」白間美瑠の番組企画「結婚会見」を公開した。期間限定の結婚生活を送ることを発表してから初の公の場に登場した永田さんと白間さんは、報道陣の前で「結婚することとなりました」と宣言。「2人で笑顔の絶えない明るい家庭を築いていきたいと思います」(永田さん)、「2人で支え合いながら幸せな家庭を築いていきたいと思います」(白間さん)と決意表明をした。新婚旅行の行き先がハワイだったことを明かし、記者からプロポーズの言葉とシチュエーションを問われた永田さんは、「みぃちゃん(白間)がしてくれた」「海のド真ん中!」と告白。受けたときの心境を「嬉しかったですね」「みぃちゃんが照れ屋さんなので、一生懸命言ってくれたなと思うと愛おしい気持ちが募りました」とふり返った。そんなハワイの海を眺めながらのプロポーズの詳細は、初回で放送される。結婚の幸せを感じる瞬間を問われた永田さんは、「笑い合っているときかな」と話し、白間さんも「一緒にたくさん笑ってるときがすごく幸せ」と回答。「(永田さんが)サプライズが好きなので、すごく楽しませてくれる」と、時折上目遣いで夫を見つめながら語り、お互いの呼び名を聞かれると、照れながらも2人で向き合って“みぃちゃん”“たぁちゃん”と呼び合い、ラブラブさをアピールした。ほかにも、第一印象やハワイで遭遇した奇跡的な出来事など、期間限定夫婦の本音が次々飛び出した会見の模様は、「ABEMA」にて公開中。夫婦の結婚生活が垣間見えるInstagramも更新中だ。同番組は、韓国で約9年間レギュラー放送された国民的大ヒット番組を日本版にリメイクした結婚モキュメンタリー番組の最新シーズン。芸能人同士の期間限定の結婚生活に密着し、結婚式や新居の準備、寝室での様子などを放送。もう1組の夫婦は、初回放送内で発表となる。「私たち結婚しました5」は3月15日(金)23時~初回拡大SP、以降毎週金曜23時~ABEMAにて放送。(シネマカフェ編集部)
2024年03月15日3月8日放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(TBS系)に、石田純一(70)が妻の東尾理子(48)と揃って出演。先月2日の放送回では夫婦喧嘩エピソードがVTRで紹介され、石田が妻に放った“暴言”が明かされると批判が殺到する事態に。今回は自ら番組に登場し現在の窮状を語ったが、さほど同情は集まっていないようで……。番組では「不倫は文化」発言の真相や’16年7月の都知事選出馬、コロナ禍の緊急事態宣言下での“外出騒動”を「石田三大騒動」として取り上げた。「突然の出馬表明からわずか3日で撤回した石田さんですが、理子さんは夫から全く知らされていなかったのです。また、特定の候補者が有利になるような人物のテレビ出演は放送法によって禁じられており、当時、理子さんが出演した番組がお蔵入りになるなど仕事にも影響が及んだそうです。石田さんはテレビやCMの差し替えで発生した損害賠償について、理子さんの出演分については『チェックしていなかった』と告白。損害額は数千万にも及び、石田さんは愛車のフェラーリを手放したといいます。コロナ禍での度重なる外出でも世間から批判が相次ぎ、仕事が激減。3億円とも言われた豪邸を手放しました」(テレビ誌ライター)世間を騒がせた数々の“不適切行動”を、番組内で自ら振り返った石田。終盤では’23年5月に千葉県船橋市にオープンさせた焼肉店で、懸命に働く様子に密着したVTRが紹介された。石田は自ら厨房に立ち、提供する肉の部位を店員に指示。「お肉だけは絶対に妥協しない」とこだわりを見せていた。さらに自ら客を迎え入れ、メニューの説明や写真撮影のサービス、ドリンクの提供、客席で肉を焼くといった接客も。それだけでなく皿洗いや掃除機掛け、トイレ掃除といった裏方業務を行う姿も映し出されていた。ほぼ毎日、開店から閉店まで店内を駆けまわっているという。■「座して死ぬよりも打って出よう」「命だって差し出せる」そんな石田はコロナ禍で仕事が激減したことを振り返りつつ、新境地で奮闘する理由をこう語っていた。「個人では新型コロナになってから3、4年しますけど、めちゃめちゃ苦しかったですけど、『座して死ぬよりも打って出よう』っていうのはありまして。人から色々言われようと、やれ『家売った』『車売った』とか。そんなもん良いじゃないですか。自分の物を売るんだから。今までで人生で残ったお金をつぎ込んで、生きていくのに必要なお金というものは稼がなくちゃいけないなってのがありました」テロップには「大切な家族を路頭に迷わせるわけにはいかない」と表示され、石田は家族の存在について「彼らのためだったら自分が早死にしようが、それこそ命だって差し出せるくらい大事なものです」とコメント。「無理してでもこれをなんとか維持して、子供たちがある程度物心がつくまで、苦労させないで伸び伸びしてもらいたかった」と、家族を守り通す決意を熱弁した。そして焼肉店が閉店すると、「終電なんで」と駅に向かって帰路についたのだった。本誌も昨年7月中旬、閉店後に近所の飲食店でひとり飲みしたあとに、電車に間に合うために“終電ダッシュ”する石田の姿を目撃している。経済的な窮状を訴えつつも家族のために身を粉にして働く石田に、ネットやSNSでは《応援したくなる》《石田さんがスゴいと思うのが、人生諦めないということ》とエールが。だがいっぽうで、仕事を失ったことは“自らが招いた結果では”と厳しい声も上がっている。《この人メンタル強過ぎよな》《石田純一さん自業自得ですね》《ダメな事して、俺頑張ってますって言われても・・・・》《自業自得のような気もするが???? それに自身の焼肉店でしょう?? オーナーなんだから、皿洗い・床掃除も当然だと思うが????》
2024年03月13日「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」一昨年の12月、本誌の直撃にこう訴えていたのはタレントの石田純一(69)。これまでも数々の発言で議論を巻き起こしてきたが、コロナ禍の”問題行動”の痛手は大きかった。’20年4月、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言のもと、県外からの来訪自粛が要請されていた沖縄県でゴルフ中に体調を崩し、コロナ感染が明らかになった石田。一時は生死の境を彷徨うほどの容態となった。「このことで、周囲への影響の大きさを痛感したかと思いきや、その後もノーマスクで出歩く姿や、飲み歩く様子がキャッチされ続けました。その余波もあってか、仕事が激減。本人もCMがなくなって6千万円ほど収入が減ったと話しており、石田さんも焦っているのか、‘20年の夏には葉山にあった別荘を売却しています」(前出・芸能関係者)さらに、家庭不和の気配も。「妻の東尾理子さん(48)が、よく身に着けていた結婚指輪を’21年の秋ごろからつけなくなったんです。また、石田さんも、食事会で『離婚するかもしれない』とこぼしていたといいます」(芸能関係者)本誌は石田の本心を探ろうと、本人を直撃。すると、石田は冒頭のように断言したのだった。あれから2年、石田はどのようにすごしているのかーー。「家庭崩壊宣言の直後、石田さんは’21年のクリスマスイブには3億円の豪邸を売却しました。売却理由の一つとして、長女が4月から有名私立小に進学するために、その近所への引っ越しを検討していたそうです。とはいえ、建ててからまだ8年でローンも1億円以上のこっていたそうなので、早急な感じは否めません」(前出・芸能関係者)■極寒の中ママチャリ送迎、焼肉店で接客…そして年が明けた’22年1月には、当時、石田の唯一のレギュラー番組であったラジオ『斉藤一美ニュースワイドSAKIDORI!』(文化放送)が同年3月をもって終了することが明らかに。その翌月、石田はFRIDAYのインタビューで、収入減少によって《理子はあまり口をきいてくれなくなった。『子供のお迎えに行ってくれますか』とか最低限》と語っていた。レギュラー番組が消滅し、家庭崩壊の危機に陥った石田。しかし本誌は今年、再起にむけて悪戦苦闘する石田の姿をたびたびキャッチしてきた。1月下旬には、石田が極寒の中ママチャリで娘を送迎する姿を目撃。石田にしては珍しく、ショート丈の靴下をはいていた。近所の住人によると、近頃は毎朝、石田が長女を乗せて自転車で走る姿が目撃されているという。5月には焼き肉店『炭火焼肉ジュンチャン』を開業。オープンまでに、総額5千万円を費やしたといい、『アサヒ芸能』7月6日号ではその意気込みを《自分のお金が残り少なくなってきちゃって。あるうちに最後の勝負です》と語っていた。「石田さんは何としてでも、焼き肉店を成功させようと頑張っているそうです。お店に立つ日にはテーブルを回って接客。石田さん目当てのお客さんもそうじゃない方も、喜ばれていますよ。毎日23時くらいの終電に乗って、家につくのは深夜1時だそう。ハードな日々ですが、お子さんもまだ小さいので”稼がないと”という思いもあるのでしょう」(前出・芸能関係者)本誌はそんな石田が7月中旬、閉店後に近所の飲食店でひとり飲みする姿を目撃した。当時居合わせた客は「店内で飲んでいた女性から『わ~、かっこいい』と言われ、石田さんは笑顔で会釈していました」と語っており、人気は健在のよう。石田は23時過ぎにお店を出ると駅へ猛ダッシュ!その肩では“純一巻き”したセーターが羽ばたいていた。芸能活動も徐々に増えてきている。今年7月には、息子・いしだ壱成と親子初共演した映画『散歩屋けんちゃん』が公開。また10月からは、『ゴルフ大好き 対決! 我ら野球人』(BSフジ)のMCを務めており、久々のレギュラー番組となった。とはいえまだまだ完全復活とはいかないよう……。来年は、芸能界でも再活躍の年となるか!
2023年12月15日「石田純一さん(69)の姉で音楽家の桃子さん(享年72)の司法解剖が先日終わりました。“孤独死“だったこともあり、思った以上に時間がかかってしまったのです。葬儀の話し合いなどはまだ進んでいないといいます。石田さんは船橋に焼肉屋をオープンしたばかりで、桃子さんが亡くなるまでは毎日のように通って接客をしていました。しかしお姉さんが亡くなってからは休む日も出てきているといいます。ひどく傷心しているようですね……」(石田の知人)9月13日の『デイリー新潮』で桃子さんが逝去しており、石田が第一発見者だったと報じられた。あれから1週間が経ったが、石田は今なお悲しみの日々を過ごしているという。「お姉さんはピアニストですが、石田さんが生活を援助することもあったといいます。そういったこともあって毎月、連絡を取り合っていたそうです。最後に連絡を取ってからすこし期間が空いてしまったときに、実姉の友人から『お姉さんと連絡がつかない』と知らされたといいます。何度電話しても繋がらず、9月1日に東京都・練馬区にあるお姉さんの部屋へ向かったところ亡くなっていたのです」(前出・石田の知人)記事では現場の状況から熱中症による孤独死だったと推測され、石田が提供したクーラーの設置が完了していなかったと報じられていたがーー。「石田さんは今も『僕がエアコンを設置して使い方を教えるところまでやってあげていたら……』と後悔にさいなまれています。そして、石田さんの両親はすでに他界しているため『もう誰もいなくなってしまった……』とかなり落ち込んでいるそうです」(前出・石田の知人)妻・東尾理子(47)ら家族の支えを受け、心の傷が少しでも癒えることを願うばかりだ。
2023年09月22日高校球児たちを応援する観客であふれかえる阪神甲子園球場。8月中旬、石田純一(69)と妻・東尾理子(47)もその中におり、長男・理汰郎くん(10)も一緒だった。夫妻の知人は言う。「実は、有名私立大学の附属小学校に通う理汰郎くんの先輩たちを一家で応援しに来ていたのです。理汰郎くんは地元の少年野球チームに所属しており、内野手として活躍。昨春に行われた渋谷区内の少年野球大会の公式戦ではチームが優勝を果たしました」理汰郎くんは東尾家のDNAを強く受け継いでいるというのだ。「理子さんはプロゴルファーですし、祖父・東尾修さんはプロ通算251勝をあげた名投手です。幼稚園からキャッチボールをして指導していた修さんは近しい人に『プロになれる!』と真顔で話しています」(前出・夫妻の知人)理子は理汰郎くんへの期待をインタビューでこう語っている。《このまま野球を続けていけば“東尾修の孫”と呼ばれるときが来るでしょうね。経験上それは良いことも悪いこともありますけど、特別な環境にいるということを自分なりに理解してくれると思っています》(’22年9月19日「Number Web」)もちろん石田も長男をサポート。「現在は千葉・船橋に開業した焼き肉店へ連日のように通勤していますが、週末は理汰郎くんの練習や試合で車が必要なことが多く、できる限り運転手として送り迎えをしています」(前出・夫妻の知人)だが、石田の知人はこう語る。「石田さんは義父・東尾修さんに遠慮して、理汰郎くんの野球教育には積極的に口を出さないようにしているのですが、もともとエースで4番の“二刀流”高校球児だったんです。できればもっと野球を教えて大谷選手のように世界へ羽ばたいてほしいと願っています」石田は都立青山高校時代に在籍した野球部の思い出をインタビューでこう語っている。《馬のように走って足腰を鍛えたり、ノックを受けたり》《飛び抜けた投手ではなく、打撃のほうが自信がありました》(「withnews」’15年7月7日)石田によれば、当時は足も速く、盗塁は一度も刺されたことがなかったという。高3の夏、甲子園を目指した東京大会は3回戦で涙をのんだそうだ。そんな石田が期待を寄せる理汰郎くんは、早くも海外へーー。15日、理子は自らのSNSで、長男の“一人旅”を明かしている。《長男10歳の夏、アメリカ一人旅野球キャンプへ飛び立ちました》空港での親子2ショットをアップし、ホームステイ先へのお土産を一緒に準備していた。前出・石田の知人は言う。「もし理汰郎くんが本気で大谷翔平のようになりたいと言えば、石田さんは全力で応援します。『俺も負けられない』と焼き肉店と芸能活動の“二刀流”に励んでいます」長男の野球への情熱が、いまの石田のエネルギー源のようだ。
2023年08月23日田中圭が主演を務めるドラマ「ブラックポストマン」に小泉孝太郎が出演することが分かった。さらに第1話ゲストとして、永田崇人と寺田心が登場することも発表された。田中圭が表向きは気のいい郵便局員、裏の顔は加害者を制裁するダークヒーローを演じる本作。この度、出演することが分かった小泉孝太郎は、田中さん演じる主人公・副島力也の先輩で元郵便局員の水野真役。物語の重要な役どころとなるキーパーソンだ。第1話ゲストの永田崇人と寺田心また、第1話ゲストとして出演する永田崇人は学校の美術教師である妹尾弘一役、寺田心はある事件がきっかけで同級生からのいじめを受ける中学生の吉井和馬役を演じる。併せて第1話の場面写真も公開され、二転三転する謎や敵・味方が入れ替わる戦いを描く本作で、彼らがどのように主人公と関わっていくことになるのか。注目が集まる。「ブラックポストマン」は8月18日より毎週金曜日20時~テレビ東京ほかにて放送(※初回2時間スペシャル)。(シネマカフェ編集部)
2023年07月24日「私、石田純一は数年前にコロナに罹患し、社会の皆様に大変な不安とご心配とご迷惑をおかけしましたことを深く深くお詫び申し上げます」6月1日にアップされたYouTube動画で、こう語ったのは石田純一(69)だ。さかのぼること’20年4月、新型コロナウイルスが世界的に流行し始め、日本でも初めて緊急事態宣言が発令されていた最中、石田は訪れていた沖縄県のゴルフ場で新型コロナに感染。一時は生死をさまようほどの重症に。さらに、石田が沖縄を訪問したのが外出の自粛が要請されていた緊急事態宣言中だったことから、自分本位な行動は物議を醸した。にもかかわらず、石田の“自粛やぶり”は止まらず、以後“飲み歩き姿”が何度も報じられることに。本誌も退院から数週間後の5月下旬と8月中旬に会食する石田の姿を目撃している。どちらも石田はアルコールが入ってへべれけ状態。さらにノーマスクで家路に向かっていた。「石田さんは度重なる身勝手な行動によって『石田純一のサンデーゴルフ』(テレビ東京系)などのレギュラー番組を失いました。仕事のオファーだけでなく、収入も激減。さらに推定3億円とも言われる都内の豪邸を売却し、別荘も売りに出しました。経済的な事情もあり、東尾理子さん(47)との夫婦関係にも隙間風が。知人と食事した際、『離婚するかもしれない……』とこぼし、かなり思い悩んでいる様子だったといいます」(芸能関係者)’21年12月上旬、本誌が直撃した際、「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!」と激昂していた石田。そんな石田は今年5月16日、千葉県船橋駅近くに焼き肉店「炭火焼肉ジュンチャン」をオープン。そして6月1日、3ヵ月ぶりにYouTubeを更新し、謝罪動画をアップした。動画内で石田はスーツ姿で一礼し、冒頭のように謝罪。続けて「いろいろな仕事の関係者に説明と謝罪を致すために、会合を持って食事に出たりしたことを深く深く反省致しております。申し訳ありませんでした」と言い、頭を下げると動画は終了。再生時間はわずか48秒だ。この50秒にも満たない謝罪動画への世間の反応は薄いようで、再生回数は5日14時30分現在で701回。またグッドボタンも30回に留まっている。石田は「深く深く反省しております」というが、突然の謝罪にネットでは厳しい声がこう上がっている。《これは謝ったところで本人ほんとに悪いと思ってる?メディア復帰狙ってのパフォーマンスじゃね?》《焼肉屋さんをオープンされるようですし少しでも注目されれば…の思いなんですかね》《今更。。。なんなんだろうこの人》《本当に仕事がなくなり収入が無くなったから仕方なく謝罪をしたのでは?》石田のお詫びの気持ちが届いているひとは少ないようだ。
2023年06月05日GW真っただ中の5月初旬、千葉県船橋市内に石田純一(69)の姿があった。あるマンションに車で乗り付けると、関係者らしき男性に手伝ってもらいながら荷物を持って1階の店内へ入っていく。表の看板は以前の店名を隠してあり、新店舗の準備中のようだ。しばらく滞在後、出かけていった。「石田さんは’17年11月に沖縄で冷麺店を開きましたが、昨夏に大雨による浸水被害にあうなどして休業中です。メディア出演の激減もあり、高級焼き肉店開業を思い立ったといいます」(石田の知人)4月27日に出演した『ぽかぽか』(フジテレビ系)でも「来月、焼き肉店をオープンする」と“におわせ”ていた石田だが、なぜ船橋を選んだのだろう。「船橋の物件は関係者に紹介されたようです。石田さんは有名な焼き肉店の経営者と親しいので、良質な牛肉を安価で仕入れるルートを手助けしてもらっているのかもしれません」(前出の知人)地元の住民はこう語る。「もともと、ここはお好み焼き店でした。コロナの影響もあり、昨年10月に閉店してしまいました。最初から鉄板があるので、焼き肉店でも有効活用できるし、設備投資が節約できそうですね。店名は『炭火焼肉ジュンチャン』だそうです。オープンは5月中旬だと聞いています」焼き肉店といえば、石田にはある因縁がーー。’21年1月、コロナ禍の緊急事態宣言下、石田は都内の高級焼き肉店で大人数で会食をしていたことで、世間から顰蹙を買った。そんな苦い過去がよみがえる焼き肉店をあえて選んだ石田。そこに某芸能人の影響を指摘する声も。「渋谷で焼き肉店をオープンさせ、いまのところ順調な宮迫博之さんに刺激を受けたのではないでしょうか。お互い不祥事でテレビの露出が減ったことも共通していますし。“宮迫さんが成功したなら、自分もできる”と思ったのかもしれません」(芸能関係者)とはいえ、焼き肉店の経営はそう簡単ではないようだ。水野総合FP事務所の水野崇代表は言う。「飲食店の廃業率は開業1年で3割、2年で5割、5年で6割といわれ、それも個人オーナーの廃業率が最も高い。また、廃業率が低いのがすし店とフランス料理店。対極に廃業率が高いのが焼き肉店やラーメン店で“始めやすいけど続きにくい”業態といえるでしょう。焼き肉店であれば仕入れが相当うまいとか、オーナーの知名度だけでは難しい。成功するのは、ほんの一握りです」再び店に戻ってきた石田は、スマホで開業の関係者らしき人物と電話をし始めた。「大変」と繰り返しながらも、「野菜が大事なんですよ~」オープンが楽しみで仕方ないといった満面の笑みを浮かべていた。来年70歳を迎える石田。“因縁の焼き肉店”でリベンジなるかーー。
2023年05月10日なにかとお騒がせな石田純一(69)。最近も“落ちぶれ”ぶりをネタにして話題を集めていたが、実情は少し違うようで――。全国で緊急事態宣言が発令されていた2020年4月に、沖縄県を訪れ新型コロナに感染し、大顰蹙を買った石田。コロナ禍初期の“自粛破り”の代償は大きく、テレビのレギュラー番組を失うなど、仕事面に大打撃を与えた。しかし、石田に反省する様子はなく、退院直後から飲み歩く姿が各所で報じられることに。本誌も2020年5月下旬と同年8月の2度にわたって、深夜まで飲み会に興じ、へべれけになりながらノーマスクで帰宅する石田の姿を目撃している。イメージ悪化によりオファーも激減した石田だが、起死回生の一手として、2021年1月には公式YouTubeチャンネル「じゅんちゃんねる」を開設。最初こそ再生回数が10万回を超える動画もあったものの、登録者数が伸び悩み、2021年8月24日を最後に更新が途絶えている。その影響は家庭にも。2020年6月に葉山の別荘、2021年12月に推定3億円の都内にある豪邸を売却していたことを本誌はキャッチ。2021年12月、豪邸売却について直撃した際、石田が「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と激昂するなど、かなり追い込まれた様子であることが伺えた。さらに昨年3月にはパーソナリティを務めていたラジオ番組も終了してしまい、すべてのレギュラー番組が消滅。テレビ出演の機会が激減するなか、2月8日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)に出演したのだが……。石田は、お笑いコンビ ザ・マミィの酒井貴士(31)への「予告ドッキリ」の1企画である「かつての人気芸能人の自宅がめちゃくちゃ小ぶり」に仕掛け人として登場。細長く非常い狭いニセの自宅を酒井に案内するというもので、テレビとソファの距離が数十センチ、一つのベッドに子供3人と寝ているなど、決して裕福には見えないニセの暮らしぶり。しかし、酒井はこれをドッキリと見抜くことはできず、ネタバラシをされると「石田純一さん、ちゃんと生活できてるんですね。良かった~」と安堵。スタジオゲストのNMB48渋谷凪咲(26)も「石田さんのだけ悲しい気持ちに……」とコメントするなど、石田の“落ちぶれドッキリ”に苦笑していた。芸能人も困惑した石田の落ちぶれネタだが、実は私生活に“意外な収入源”があるという。「メディアからのオファーは激減した石田さんですが、パチンコ店などのアミューズメント施設を運営する会社のイメージキャラクターを務めています。この収入が年間5千万円ほどあるそうです」(石田の知人)本誌2月7日号でも、スポンサーに誘われて石田が1泊3日の弾丸旅程でハワイへゴルフ旅行に行ったことを報じている。今年7月には息子・いしだ壱成(48)との初の共演映画『散歩屋ケンちゃん』も控えている石田。浮上の時は意外に近いのかも?
2023年02月10日「石田純一さん、ちゃんと生活できてるんですね。良かった~」こう語ったのは、お笑いコンビ ザ・マミィの酒井貴士(31)。2月8日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)内では、毎年恒例「予告ドッキリ」の一つとして、「かつての人気芸能人の自宅がめちゃくちゃ小ぶり」という企画を実施。酒井がニセ番組のロケで、仕掛け人である石田純一(69)の細長くとても狭いニセの自宅を訪れるというもので、ソファとテレビの距離が数十センチ、子供3人と1つのベッドで寝ているなど、5人家族にはあまりにも小さい家で生活している様子だった。このロケがドッキリであったことを知らされると、酒井は冒頭のようにコメント。スタジオでVTRを見ていたゲストのNMB48の渋谷凪咲(26)は、「全体的にめっちゃ面白かったんですけど、石田さんのだけ悲しい気持ちに……」とコメント。野性爆弾のくっきー!(46)も「怖い番組ですわ」と神妙な様子だった。芸能人でさえも現実かドッキリか判断がつかなかった石田の生活ぶりだが、それもそのはず。ここ数年、石田は自身の行動によって数々の窮地に陥っていた。発端となったのは、新型コロナウイルスが世界的に流行し始め、日本でも初めて緊急事態宣言が発令されていた2020年4月。当時、訪れていた沖縄県のゴルフ場で石田は新型コロナに感染、一時は生死の境を彷徨うほどの容態に。その後、無事に回復したものの、緊急事態宣言中に沖縄県まで出向き、感染した石田には批判が殺到。その余波で、地上波のレギュラー番組も失うなど大きな痛手を負うことに。奔放な言動で知られる石田だが、さすがにこれで懲りるかと思いきや……。飲み歩く姿がたびたび報じられ、本誌も退院から数週間後の2020年5月下旬と8月中旬に会食する石田の姿を目撃。どちらもへべれけになるまで飲酒し、さらには“ノーマスク”で帰路についていた。批判を浴びながらも、自分を貫き続ける石田。8月の会食を目撃した数日後、石田に家庭への影響を尋ねたが「離婚はない」「妻は怒ってないと思う」と省みる様子はなかった。しかし“無反省”の代償は大きかった。収入が激減しただけでなく、2020年6月には葉山の別荘を、2021年12月には推定3億円と言われる都内の豪邸を売却したことを本誌は報じている。石田とともにこれまで数々のピンチをともに乗り越えてきた妻の東尾理子(47)だけに、一連の行動にも寛容でいるのだろうか。しかし、決してその心中は穏やかではなかったようだ。「石田さんがコロナに感染した際に理子さんが付きっきりで看病したのに、石田さんはその後飲み歩きばかり。また、イメージ悪化で石田さんが仕事を失っただけでなく、理子さんもゴルフ業界の仕事をすべて降板したそうです。当然、夫婦仲も次第に悪化していき、石田さんは飲み会で“離婚するかもしれない”と不安を漏らすようになったといいます」(理子の知人)石田も焦りを感じているようで、2021年12月に本誌の直撃に対して「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と激昂。また昨年2月にもFRIDAYのインタビューで《6,000万円の収入が吹き飛び、理子はあまり口をきいてくれなくなった。『子供のお迎えに行ってくれますか』とか最低限》と語っていた。次第に夫婦のパワーバランスも逆転していくことになり――。「豪邸を古くから付き合いのある実業家に売却した際、なんと理子さんに相談せず言い値で売ってしまったそうです。相場の半分ほどの値段だったようで、理子さんも大激怒。しばらく石田さんとは口もきかなくなったそうです。また石田さんにはオファーがほとんどこなくなったことで、石田家の家計は理子さんの収入が支えていると聞いています」(前出・知人)立場が逆転した結果なのか、本誌も今年1月下旬にママチャリに愛娘を乗せて送迎する石田の姿を目撃したばかりだ。“自業自得”の行動によって、公私ともに信頼を失うこととなった石田。果たして、一発逆転の秘策は――。
2023年02月09日吐く息が真っ白になった1月下旬の朝、都内でも有数の高級住宅街を真剣な面持ちで疾走していたのは石田純一(69)だった。かつてフェラーリ好きとしても有名だった石田だが、この日彼が乗っていたのは自転車。いわゆる“ママチャリ”で、後部についたチャイルドシートには小学1年生の愛娘が座っていた。“私生活ではまったく靴下を履かない”といわれている石田だが、寒さには勝てないのかショート丈のソックスを履いていた。一昨年12月に、3億円ともいわれた豪邸を売却し、石田一家がこの住宅街に転居してから、1年ほどになる。石田の知人はこう語る。「理子さんとの長女が昨年4月に入学した名門小学校の入学条件は、“徒歩30分以内に在住”で、それを満たすための引っ越しでした」近所の住人によれば、最近は毎朝、石田が長女を乗せて自転車で走る姿が目撃されているという。元祖トレンディ俳優として一世を風靡した石田だが、最近は公私ともに厳しい状況にある。「’20年4月、沖縄県知事が来県自粛要請を出すなか、石田は当地でゴルフを楽しみ、コロナに感染。猛バッシングを受け、イメージが大幅に下落したのです。回復後も深夜にノーマスクでバーに通うなど気ままな行動を続け、東尾理子さん(47)との夫婦関係も悪化しました」(芸能関係者)前出の石田の知人によれば、「石田さんは一時、“離婚するかもしれない”と苦悩を漏らしていましたが、子供たちが名門私立校に入学したこともあり、離婚危機はなんとか回避したようです。また石田さんの収入の激減も夫婦の力関係に悪影響を及ぼしています。絶頂期は年収3億円ともいわれていましたが、出演していたラジオ番組も昨年3月に終了してしまい、現在はレギュラー番組を持っていません。いまの主な収入は、パチンコ店などのアミューズメント施設を運営する会社のイメージキャラクターとしてのもので、年間5千万円ほどのようです。その分、妻の理子さんが稼ぐしかないのです」1月26日には昼のバラエティ番組『ぽかぽか』(フジテレビ系)に夫婦でオンライン出演している。「実は5年ほど前にイベントで理子さんが、石田さんのママチャリデビューを明かし、『70歳になっても送り迎えをする日がくるかもしれませんね』と、笑っていましたが、それも現実になりつつあります。’21年には石田さんが超高級電気自動車でお子さんの送迎をしている姿も週刊誌で報じられていますが、いまはもっぱら自転車を使っているのも理子さんの意向です。“収入が減って、電気代や物価も高騰しているのに、車での送迎なんて贅沢”ということなのでしょう」(前出・石田の知人)前述の『ぽかぽか』では、よい父親の心得について、こう語っていた石田パパ。「汚れ仕事は全部父親がやるということですね、トイレの掃除とか。どちらかというと皆嫌だったりするので、ゴミ出しとかちょっとしたお皿だとか。外壁だとか汚ないところがあれば、だいたいやります」極寒の中の自転車送迎にも、家庭に居場所を作るための悲痛な覚悟が秘められているのか。
2023年02月09日●日本初上陸のミュージカル『バンズ・ヴィジット』で感じたメッセージ7日から東京・日生劇場で上演されるミュージカル『バンズ・ヴィジット 迷子の警察音楽隊』に出演する永田崇人。2007年公開の映画『迷子の警察音楽隊』を原作にした同作は、アメリカでミュージカル化され、2018年に行われた「第72回トニー賞」で10部門を独占した話題作だ。初上演となる日本版『バンズ・ヴィジット』で永田は、隊長・トゥフィーク(風間杜夫)率いる音楽隊が訪れる食堂の従業員・パピ役で出演する。今回は、日本初上陸となった話題作への出演や豪華な顔ぶれが集まった共演キャスト、作品に込められたメッセージについてインタビュー。また、今年30歳の節目を迎える永田に、自身のこれまでや芝居への向き合い方についても語ってもらった。○■作品に込められたメッセージ「僕らは同じ人間」――2018年のトニー賞10冠で話題をさらった『バンズ・ヴィジット』が日本に初上陸します。同作に参加すると決まったときはどういった心境でしたか?今回は、直接オファーをいただいての出演なので、「俺を必要としてくれているんだ!」と役者として喜びを感じましたし、素直に嬉しかったです。もちろん、オーディションで勝ち取った役も嬉しいですが、また違った感覚がして。もしかしたら、プロデューサーが密かに僕をオーディションしていたのかもしれませんけど……(笑)。――今までの活躍が今回の役に繋がったのでしょうね。そうだといいなぁ(笑)。それこそ今作は、今まで関わらせていただいた作品とは毛色が違うというか、今まであまりご縁がなかったテイストの作品で、ご指名をいただけたこと自体が、嬉しかった。――なるほど。出演が決定した後のインスタグラムでも、今回の作品を「とても好き」とおっしゃっていました。今作は元々、映画が原作なんですが、原作自体がそもそも好きだったんです。今作もそうですが、個人的にシュールな作品が好きなんですよね。人間の滑稽な部分がさらけ出されているものに面白さを感じます。あとは、脚本も本当によく考えられているなと感じていて。エジプトとイスラエルという歴史的に隔たりのある国の人々が助け合う姿が描かれているんですが、本当に細かい部分でそういう歴史的な描写があります。例えばカフェに飾られている写真を帽子で隠すシーンがあるんですけど、実はそれが戦時中の写真だったり。ある意味、ブラックコメディの要素を交えつつ、「戦争はしていたけど僕らは同じ人間だよね」というようなメッセージを感じました。○■日本初演ミュージカルでの役作りは「明確にゴールがあるわけではない」――原作で永田さんが感じたメッセージは、観劇する方にもきっと伝わると思います。今回、永田さんが演じるパピはどういった人物でしょうか?パピは、女性が怖くてそれをコンプレックスとして抱えている役です。劇中の歌でもそのことについての歌詞がすごく多いんですよね。演じる上で、稽古の段階であまり決めつけてしまわないように意識をしていて、演出の森(新太郎)さんとお話ししながら作り上げています。日本初演作品ということで明確にゴールがあるわけではないので、少しずつ自分が積み上げていったものがパピになればいいなと思いながら……。そもそも、パピという名前の人はいなくて愛称らしいです。僕が思うに、パピっていうあだ名は、ちょっと小馬鹿にして呼んでいるんじゃないかなと感じていて。不器用で周りからもそういうあだ名で呼ばれちゃうような愛されるキャラクターを演じていけたらいいなと思います。――永田さんとパピで共通する部分は見つかりましたか?人に対して臆病で小心者なところは似ているかなぁ……。結構、人見知りしちゃうんですよ(笑)。周りの人からは「すぐ打ち解けるよね」と言われるんですけど、実はそんなことなくて! でも優しい人にはとことん甘えてしまうし、一度心を開いてしまうとかなりオープンなので、なんでもネタバラシしちゃいます(笑)。○■演劇『ハイキュー!!』と似ている作品づくり――お話ししていると、全然人見知りな感じはしないですね(笑)。これまで2.5次元作品にも数多く出演されてきましたが、今作のような海外のミュージカル作品とでは違いは感じますか?僕の中で大きく分けているつもりはないです。いわゆる2.5次元作品は、原作があってその世界観があるので、それを崩さないということが1つ目標だと思うんです。ただ、僕が出演した演劇『ハイキュー!!』は違っていて、むしろ、新たな創作物をみんなでつくり上げていこうという自由さがありました。だから、今回の『バンズ・ヴィジット』も日本で初めて上演される作品なので、縛られることなく作品づくりに参加できたという面では、大きな差というのはないのかなと思っています。――今回共演には風間杜夫さん、濱田めぐみさんなど豪華キャストが顔をそろえていますが、稽古期間で刺激を受けたことはありますか?風間さんとは、同じシーンが多くないのでそこまで密にお話しする機会はないのですが、常に全体を優しく見守ってくださっています。僕が演じるパピが変なダンスをするシーンの稽古をしていたら、「すごいねぇ! 踊れるね!」と声をかけてくださいました(笑)。全然踊れていなかったはずなんですけど、嬉しかったです。濱田さんは、前から知り合いだったかなと思ってしまうくらい、心を許してしまっていて(笑)。本当に壁がない方で、芝居の相談はもちろん、全く関係のない世間話までたくさん付き合ってくださいます。濱田さんともそこまで同じシーンが多いわけではないので、先ほど久しぶりにお会いしたら、「なんかおしゃれしてるじゃない?」と軽くイジられました(笑)。――今作だと新納慎也さんとのシーンがいちばん多いでしょうか?そうですね。新納さんとは昨年、久しぶりに出演したミュージカル『HOPE』でご一緒していて。そのとき、新納さんは演出、僕は出演という立場だったので、そこまで一緒にいることができなかったんですが、今回は稽古中以外もずっと一緒にいますね(笑)。本当に優しい方です。先ほども言ったように優しい人にはとことん甘えてしまう質なので、甘えまくってます。もちろん、俳優としても尊敬していますし、大好きな先輩です。――新納さんもTwitterで永田さんとの関係を「父親の気分」とおっしゃっていましたね。いやいや、僕はお兄ちゃんだと思ってますよ……! 本当によくしてもらってます。今作が終わっても、また新納さんと一緒の舞台に立ちたいですし、まだまだたくさん勉強させていただきたいです。新納さんが出ている舞台にはぜひ、僕もお声がけください(笑)。●30代を迎える永田崇人のこれまでとこれから○■芝居も人生も壁だらけ「徐々にでも常に前に」――エジプトとイスラエルという歴史的に隔たりのある国の人々が、音楽をきっかけに国境を越えて心を通わせる姿が描かれていますが、永田さんご自身は、何かをきっかけに壁を乗り越えた経験はありますか?作品に携わる度に壁だらけです(笑)。この仕事をしていて常々思うことは、なんでも慣れることが大事。最初にできなかったことでも、できるようになってくるんです。いま何でも思うように全部できているかと聞かれたら、もちろんそうではないですが、デビューしたばかりの頃と比較したら、たくさんのことができるようになりましたし、挑戦できる余裕もできたと思います。個人的には壁を乗り越えるというより、下のほうからハンマーで叩きながら少しずつ少しずつ穴を大きくして、壁を無くしていくイメージなんです。なので一気に飛び越えることはできないし、徐々にでも常に前に進んでいこうとしています。――それは演技・芝居ということにおいて、常にそういったアプローチをしているということでしょうか?芝居もそうですし、人生として考えても同じかなと。別々のものではなくて、繋がっていると思います。ただ僕は楽観主義なところがあるので、壁にぶつかっているという感覚はないんですよ(笑)。振り返ってみると行き詰まっていたなと思いますし、そうしたときには、どんな場面でも少しずつ壁をハンマーで叩きながら……(笑)。○■20代は“最高”「ずっと29歳ということに……」――芝居への取り組み方が、自身の生き方にも繋がっていると。そんな永田さんは今年8月に30歳の節目を迎えます。これまでのご自身を振り返ってみて、どのように感じていますか?一言で言えば、最高ですよ! 今がとても楽しいので、この仕事を選んだ昔の自分を褒めてあげたいですね(笑)。正直、30歳ってすごく大人な印象があったんですが、自分が27歳くらいになったときに、30歳になっていきなり大人になることはないな……と感じたので、そこまで年齢の意識はないんです。ただ、20代が終わるのは寂しいですけどね……。20代は得することがたくさんあるじゃないですか? 先輩がご飯に連れていってくれたり。30代になると、なんとなく若手扱いから外れるような気がするので、ずっと29歳ということにしときたいなとは思っています(笑)。――なにか20代でやり残したこと・後悔はありますか?ないですね! 20代のときだけできることってそんなにないと思うんですよ。先輩におごってもらえることは年を重ねてもあるし、やり残したこともないけど、やり切ったとも言えない感じですね。30代になってからでも、やればいいかと思っています。でも1つだけ。アンダー25で舞台を安く観ることができるんですけど、それはもっと活用したかった(笑)。東京に出てきて、舞台を観始めたころにはもう25歳になっていたので、それだけは後悔しています! アンダー30にしてくれないかなぁ……。そうしたらまだ半年くらいは観られるので(笑)!○■俳優・永田崇人としてのビジョン「もっと評価されたい」――逆に、これまでの経験で自身の軸になったと感じる出来事はありますか?経験によって軸ができたということはなくて、軸自体は生まれ持ったもの、そのままのような気がします。日々、いろいろなお仕事をさせてもらって削れてしまった部分を、学んだ経験で補強したり、もっと太くするために肉付けしたり。だからつぎはぎだらけで、すぐ折れたり破れたりしますけど、今のところはなんとかまっすぐ立てています。――そんな軸を持ちながら活躍されていく永田さんですが、これからのビジョンはありますか?もっともっと評価されたい。せっかくやるならより良いものをお見せしたいですし、そうするために全力を尽くしています。こうなるんだ! みたいな明確な目標はないですが、コツコツと着実に丁寧に。常に作品と向き合い続けられる俳優でありたいです。■永田崇人1993年8月27日生まれ。福岡県出身。『ONE PIECE LIVE ATTRACTION “Welcome to TONGARI Mystery Tour ”』で俳優としてデビュー。その後、ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』シリーズに孤爪研磨役で出演したほか、TBS系ドラマ『初めて恋をした日に読む話』(19)や、テレビ東京系ドラマ『部長と社畜の恋はもどかしい』(22)などに出演し、話題を集めた。ミュージカル『バンズ・ヴィジット迷子の警察音楽隊』にパピ役で出演。東京公演は2月7日から23日まで日生劇場、大阪公演は3月6日から8日まで大阪・梅田芸術劇場シアター ドラマシティ、愛知公演は3月11日・12日に愛知・刈谷市総合文化センター大ホールで上演される。
2023年02月05日俳優・いしだ壱成(48)の所属事務所が1月30日にインスタグラムを更新し、同14日に69歳を迎えた父・石田純一の誕生日を、いしだがサプライズでお祝いしたことを報告した。誕生日パーティーは東京・赤坂のラウンジで、仕事関係者数十人を集めて開催されたという。本誌は当日の様子をいしだに聞いた。「綺麗どころの若い女性も呼んでいたので、父は相変わらずでした。僕なんかと話すよりず~っと女の子としゃべっていましたね。『壱成、この子可愛いんだよ!』と興奮する父に、僕が“そうだよね、可愛いよね”と淡々と返して。親子の会話なんてそんなものです(笑)」パーティーでは、マイクを手にしたいしだが父にバースデーソングをプレゼントしたところ、思わぬ親子デュエットが実現したという。「周囲から“親子で一曲カラオケ歌ってくださいよ”と囃し立てられまして、僕がとっさにプリンセスプリンセスの『M』を入れて、父と二人で歌いました」実は’94年に自身の作詞作曲で歌手デビューを果たし、現在はDJとしても活動するいしだ。歌い終えた後に純一から「いやぁ壱成は歌が上手いんだなぁ~」と言われことには、何をいまさらと困惑したという。それでも、「父が楽しんでくれたならそれで良かったかなと思います。父の仕事もだいぶ安定してきたようで、元気そうでしたので」と微笑む。すでにクランクアップした映画『散歩屋ケンちゃん』(7月公開予定)では親子初共演も果たし、一時は距離のあった父との関係も良好だという。「父の根幹である俳優としての部分を垣間見れたというか、ああやっぱり役者さんなんだなと思って。例えば、撮影現場のモニターで演技を確認した父が“この置物が気になるからどかしてください”とか細かいことも監督さんに言うんです。自分の出演場面だけでなく、“壱成の演技、こうした方がわかりやすいと思うよ”というアドバイスも出してくれて。共演を機に親子の仲はすごく良くなりましたね」“トレンディ俳優の元祖”と呼ばれた父に対して、『未成年』『聖者の行進』(ともにTBS系)など人間社会の闇を描いた脚本家・野島伸司の作品に欠かせない俳優だったいしだ。演技力に関しては「僕のほうが上手いと思ってます(笑)」と自信をのぞかせる。先日出演したバラエティ番組『ゴタクを並べてワッハッハ』(日本テレビ系)では、過去の交際人数を1000人と発言したことも話題になった。「リップサービスではないですよ。この年になって父に似てきたかもしれませんね。いくつになっても活力や興味を失わない、父のそういう面は見習っていきたいですね」
2023年02月02日「石田さんは1月中旬にプライベートでハワイに行ったんです」(石田の知人)石田純一は1月14日が69歳の誕生日だった。彼の誕生祝いを兼ねたハワイ家族旅行かと思いきや、妻・東尾理子(47)は日本にいた。誕生日当日の彼女のブログでは、先日参加したというチャリティゴルフイベントの様子が公開されているが、石田の誕生日であることにはまったく触れていない。「石田さんは3年前の春、外出自粛要請中に沖縄へゴルフに行ったことで激しいバッシングを受けました。あきれた理子さんはそれ以降、わざと石田さんの誕生日には何もしてあげないことにしたそうです」(前出・石田の知人)仕事でも家族旅行でもなくハワイへーー。そのハワイには昨年10月8日に急逝した石田の元妻・松原千明さん(享年64)のお墓がある。石田は訃報直後、都内で会見を開き、悲痛な面持ちで、「自分が先に逝くと思っていました。責任の大部分は僕にある」と神妙に語っていた。石田と松原さんは’88年に結婚。’90年に長女のすみれ(32)が誕生。しかし、石田の不倫が発覚したことから’99年に離婚している。母の死に大きな衝撃を受けたすみれは、昨年のクリスマスにハワイへお墓参りに行ったという。「すみれさんは昨春出産した男の子を松原さんに一度も会わせられなかったことを、とても悔やんでいました。『孫の顔を見せに行く』と夫と長男を連れハワイを訪れたんです」(すみれの知人)だが、石田のハワイ行きには別の目的があった。「ハワイへは石田さんがずっとお世話になっている大切なスポンサーさんに誘われて、ゴルフへ行ったと聞いています。1泊3日という超弾丸旅行だったそうです。石田さんとしては、せっかくハワイへ行くのでついでに千明さんのお墓参りも……と考えたそうですが、あまりに短期間の滞在だったためかなわなかったみたいですね」(前出・石田の知人)このところ、メディア露出がほとんどなくなった石田だが、今年は期するところがあるようだ。「レギュラー番組は次々に終わり、沖縄の冷麺店も閉店してしまいましたが、今年は単発のテレビ番組に積極的に出演予定だそうです。また2月からは新しい映画の撮影に参加します。理子さんとの3人のお子さんもまだ小さいですし、『今年こそは心機一転で頑張ります』と意気込んでいると聞いています」(前出・石田の知人)“ついで墓参”は実現しなかった石田。自らの旅費でハワイの墓前に手を合わせる日はくるのかーー。
2023年01月26日2022年も、芸能ニュースに登場することの多かった石田純一(68)。10月には元妻の松原千明さん(享年64)が米ハワイの自宅で急逝していたことが判明。会見では「人生を一緒にやった(歩んだ)時期もあって、本当に寂しいですね……」と涙をこらえながら語った。その松原さんと離婚後、‘09年に再々婚した東尾理子(47)との“愛の巣”だった自宅を売却していたことを本誌は1月に報じている。「‘12年に長男・理汰郎くんが誕生した翌年に完成した“推定3億円“ともいわれる都内の一等地にそびえ立つ豪邸です。リビングには高級家具が並び、ベランダには200万円の特注檜風呂があったほど。年齢的にも“終の棲家”だと思われていたのですが……」(スポーツ紙記者)本誌は自宅を売却する直前に石田本人を取材したが、「家庭もすべて崩壊していますから!」と激高していた。‘20年4月の緊急事態宣言中に沖縄でコロナに感染し、その後も“ノーマスク”会食が世間から批判を浴びた石田。それ以降仕事が激減し、自ら「6千万円ほどの収入がなくなりました」と語っていた。「表向きの理由としては、2人の長女が今年春に有名私立小学校に進学したため、その学校の居住条件にあわせたというもの。ただ、実際には経済的な側面も大きかったのです」こう語るのは、石田の知人だ。「石田さんの自宅を購入したのは、都内で有名焼き肉店を経営する実業家のAさんです。石田さんとは40年来の付き合いでかなり信頼している間柄ということもあり、石田さんが独断で売却を決めてしまったそうなんです。ただ、あの豪邸の相場は3億円とも言われていたにもかかわらず、人のいい石田さんはAさんの“言い値”で決めてしまったそうで……。金額は相場の半分ほどだったとか。当然、妻の理子さんは夫に呆れて、その後はしばらく口もきいてもらえなかったそうです。そういったこともあり、石田さんも取材に対して“家庭も崩壊している!”などと言ったのではないでしょうか」現在は高級住宅地にある一軒家を借り、家族と平穏に暮らす石田。2023年も“活躍”が見られるだろうか。
2022年12月17日【前編】『ふたりの人を愛し…』歌人・永田和宏語る故・河野裕子さんとの青春から続く「愛する人を失った悲しみとは、伴侶や恋人の前で輝いていた自分がいなくなってしまった悲しみなのではないかと思う。河野を失ったとき、僕も僕自身が失われたに等しい思いでした」そう語ったのは、永田和宏さん(75)。日本を代表する歌人で、細胞生物学研究の第一人者だ。「河野」と呼ぶのは10年8月12日に乳がんで亡くなった最愛の妻・河野裕子さん(かわの・享年64)のことだ。裕子さんは20代前半から歌人として頭角を現し、23歳で角川短歌賞を最年少受賞するなど活躍。夫妻は09年に宮中歌会始詠進歌選者をそろって務めて「初の夫婦同時の選者」となるなど上皇陛下、美智子さまをはじめ、皇族方との親交もつづけてきた。晩年の裕子さんは、そんな永田さんの「その後」を案じていた。《私が先に死んだら、あの人、どうするかなあって。多分、お酒を飲みすぎて泥酔してお風呂で溺死するでしょうね》(『私の会った人びと』より)いっそ自分も天に昇ってしまえば。そう思わなかったのかと問うと、永田さんは即座に答えた。「否応なくありましたね、河野が『すごいわね』『よかったわね』と言ってくれることが、僕の生きる張り合いになっていた。もうそれを受け止めてくれる人がいないというのは、半分自分がいなくなったんですから……」だが幸い、永田さんには仕事があった。11年に夫婦の40年の相聞歌と、裕子さんのエッセイを編集した『たとへば君 四十年の恋歌』(文藝春秋)を出版。12年には闘病記『歌に私は泣くだらう ー妻・河野裕子 闘病の十年ー』(新潮社)も。「河野の生前の言葉と、歌を残す作業でした。日々それに忙殺されたことが救いだった」このとき手紙とともに遺品から見つけていたのが、10冊以上にもなる裕子さんの日記帳だったのだ。『いくら夫婦とはいえ、他人の心をのぞき見るようなことはできない』と、永田さんは裕子さんが亡くなってから10年近く日記を読めずにいた。しかし、いまから3年前の19年のこと、意を決して手を伸ばしたのだという。「先立った河野は、本当に僕が夫でよかったのか?ほかにふさわしい選択はなかったのか?そんな疑問が頭をもたげたんです」すると日記には、裕子さんの胸の内が赤裸々につづられていた。当時、裕子さんの心には永田さんとN青年という二人の男性がいたという。そのあいだで悩む裕子さんが純粋すぎる恋の煩悶をぶつけてきた、68年1月の一日を、永田さんが回想する。「あの日、河野はことさら思い詰めているようでした。喫茶店で長い沈黙にいたたまれず、外の路地に出て河野に告げられたんです」裕子さんは「どうしたらいいの」を繰り返し、泣きながら永田さんの胸をたたき、くずおれた。そこで彼がかけた言葉を、裕子さんは日記に克明に刻んでいた。《あのひとは限りなく優しかった分別をもっていた〈好き嫌いはどうしようもないモノなんやしそんなに苦しむな……さあ自分の足でちゃんと立って〉そう言いながらむき出しになった脚にスカートをかぶせてくれた》そしてこの記述のあとに、後に代表作のひとつとなる一首(『森のやうに獣のやうに』所収)の原型がつづられていたのである。《たとへば君ガサッと落葉すくふやうにわたしを攫って行つては呉れぬか》裕子さんの最も有名な歌がこの出来事に起因していたことを初めて知った永田さんは、驚いた。「私のことを『離れられない存在』として強く意識してくれた夜だったんだと、感慨深い思いでした」この日以来、会う頻度が増していき、裕子さんの熱情は一気に、永田さんへと傾注していった。《あなたが居なくなってしまったら到底ひとりではたっていられそうにもありません》(1月7日 裕子)いざ日記の封を解いてみれば、まっすぐに愛そうとしていた裕子さんの、けなげな表情ばかりが浮かんできて……。永田さんは、裕子さん亡き後、こんな一首を詠んでいた。《わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ》(『たとへば君』より)「死者がまだこの世で生きる方法があるのだとすれば、それは生者の記憶のなかにしかない。つまり河野を最も知る者として、僕は長く生きなければならない。それが、彼女を生かしておく唯一の方法だと気づいたんです」その境地が、日記をめくる作業へとつながったのである。「そこから河野と対話するように、精読しながら書き進めました」新著『あの胸が岬のように遠かった 河野裕子との青春』(新潮社)は、裕子さんとの「青春の逸話」の結実だ。コロナ禍で、自宅に単身住まう時間が増えたことも、結果的に功を奏したといえる。裕子さんが遺した日記、言葉と向き合う時間を存分に持つことができたのだから。「いまは、なんだか誇らしい気持ちもあります。一切の妥協なく、相手にすべてぶつけて返歌を待つ。河野だからできたことだし、相手が僕だからこそできたこと。『俺でよかったのか』という疑問で始めた旅でしたが、いまは『俺でなけりゃ、もたなかったな』と」■年間20万首を見て、自らも歌を作り続け、料理もする。妻はきっと褒めてくれる「河野が心配していたのは、食事のことです。でも、まったく料理なんてしなかった僕が、いまは、だしを取って味噌汁つくりますし、おひたしも作っているんです」相変わらず多忙な日々を過ごすなかで、永田さんは昨今、自身の“成長”を実感するのだという。「やっぱり一皮むけたと思います。脱皮したというかね。それを河野に見ていてほしい、認めてほしいと思うんですよね」人生100年時代、健康寿命を追求する向きは増すなかで永田さんはもとより「日々是好日」なのだ。「いまも年間20万首ほどは選歌をしているし、日ごろから、朝4時くらいまで仕事しているからね」すこし顎を上げるように言った。歌を作り始めて軌道に乗れば、発想が発想をどんどん呼ぶという。「先日は、締切りと出張が重なってどうしようもなく、東京行きの『のぞみ』の2時間15分のなかで30首あまり作りました。『時速15首』と自分では言っているんです」前出の新著を原作とするNHKドラマ(柄本佑、藤野涼子主演)も放送日が6月6日に決まった。75歳にして人生の繁忙期を過ごす夫を、天国の妻はどんな思いで見ているのだろうか……。「フルに働いているもんな。褒められるしかないだろうね……『あなた、よくやっているわね』と」今宵もワイングラスを片手に、永田さんと裕子さんの語らいが、詠まれることだろう。《呑まうかと言へば応ふる人がゐて二人だけとふ時間があつた》愛妻に捧げた挽歌である。(取材・文:鈴木利宗)
2022年05月22日スポーツニッポン紙面の月替わり連載企画「我が道」に3月は柏原純一(かしわばら・じゅんいち)氏が登場します。3月 柏原純一(元プロ野球選手・指導者、解説者)「我が道」とは・・・、スポニチ紙上でスポーツ界、芸能界のビッグネームの半生を1ヵ月連載。懐かしい写真や現役当時に語られることのなかった逸話も・・・。柏原氏は1952年(昭和27年)6月15日生まれ、熊本県八代市出身の69歳。八代東高では3年春に甲子園出場。70年ドラフト8位で南海に入団。78年に日本ハムに移籍。88年に阪神で現役引退。通算は1642試合出場、打率 .268、232本塁打、818打点。阪神、中日、日本ハムで打撃コーチを務め、新庄剛志、大谷翔平らを指導。スポーツニッポン(一部売り150円)お買い上げご希望の場合は以下の方法でお願いいたします。①郵便振替、切手をスポーツニッポン新聞社 東京本社販売局まで送付。②お近くの毎日新聞販売店にお問い合わせ。☆購読料は月極め購読が1ヵ月で3,353円とお得です。特集号・バックナンバー購入 - スポーツニッポン新聞社 : 【スポニチ・『我が道』に関するお問い合わせ】株式会社スポーツニッポン新聞社東京本社販売局TEL:03-3212-1181 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年02月28日本誌は12月上旬、石田純一(67)と東尾理子(46)夫妻の“離婚危機”と“豪邸売却を検討”と報じた。これまで2度の離婚を経験している石田だが、12月中旬には、長男のいしだ壱成(47)が3度目の離婚を公表したインタビューの中で、「まあ、向こうも3回目になりそうだという話を聞いて」と明かしている。夫婦仲を心配する声は、年の瀬になってもしぼむことはない。「12月6日に『バイキングMORE』(フジテレビ系)で、司会の坂上忍さん(54)に“20歳当時、石田さんとの結婚を想像できたか?”と水を向けられると、理子さんは食い気味に『絶対ないない!すいません、掘り出さないでください、はい』と話し、石田さんとの話題を露骨に避けたんです。理子さんは結婚してから、ハリー・ウィンストンの婚約指輪とデビアスの結婚指輪をよく左手の薬指に重ね付けしていて、テレビだけではなくイベントなどでも拝見する機会がとても多かったのです。しかし、最近の理子さんのブログやインスタグラムを見ても、9月下旬を境にして、左手薬指につけている投稿がありません。理子さんと石田さんは、これまで“おしどり夫婦”として知られてきましたから、やはりこうした様子の変化に、“何かあったんじゃないか”と心配する声は少なくないのです」(スポーツ紙記者)石田は本誌12月7日発売号で、“離婚危機”を尋ねた記者の問いかけに「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」と言い放ち、夫婦関係についてさらに注目を集めることとなった。一方の東尾といえば、依然として沈黙を守ったまま。しかし、知人の一人はこう明かす。「2021年に入ってから、理子さんは長年信頼を寄せている占い師に“夫婦仲が悪化する”と言われて、ずいぶんショックを受けていました。同じころ、石田さんは『離婚するかもしれない』と明かしていて、悩んでいたそうなのです。関係にすきま風が吹き始めたのは、2020年4月に石田さんが、来県自粛要請が出ているのに沖縄でゴルフに興じて新型コロナに感染したときからでしょう。しかも、回復後の5月に酩酊して深夜に帰宅しているところや、8月にも“ノーマスク”で飲み歩いていた現場も立て続けに報じられてしまいました。こうした石田さんの反省なき姿に、さすがに理子さんや義理の父である東尾修さんも怒りを通り越して呆れてしまっています。仕事のオファーも激減し、収入も数千万円単位で減ってしまったそうですから、無理もありません」3人の子供を伴って、仲良くメディアにも登場していた石田と東尾。そんな家族ショットは、もう二度と見られないのか――。
2021年12月26日「息子のいしだ壱成さん(47)が3度目の離婚を発表したばかりですが、純一さんも今“リーチ”がかかっている状況です。純一さんの収入減によって、13年に購入した推定3億円といわれる豪邸を売りに出す話も出ています」(芸能関係者)”3度目の離婚危機”を迎えているのは、石田純一(67)。過去に2度離婚を経験するも、09年に東尾理子(46)と結婚してからは3児を授かり、芸能界屈指の“幸せファミリー”として名を馳せた。しかし今、そんな石田と東尾の間にかつてないすきま風が吹いているという。「つい先日知人と食事した際、石田さんは『離婚するかもしれない……』とこぼしていたそうです。かなり思い悩んでいる様子だったといいます」(前出・芸能関係者)真相を確かめるべく12月上旬に本誌が石田を直撃すると、「あなたたちに話すことは一生ありません!もう来ないでいただけますか!」と激高した上で、こう言い放ったのだ。「家庭は崩壊しています、はい。家庭も、すべて崩壊してますから!帰ってください!」石田から飛び出した“家庭崩壊宣言”。この件について理子は沈黙を貫いているが、12年にわたる結婚生活の中で本誌は石田の“呆れた行動”の数々を目撃してきた。女性問題やそれにともなう多額の借金など数々のトラブルを起こしてきた石田だが、理子との結婚後はそうした報道もめっきり減るように。しかし結婚から7年後の’16年7月、舛添要一都知事辞職による都知事選に突如、出馬を表明。これが思わぬ波紋を呼ぶことに。「『野党統一候補としてなら出馬したい』と表明した石田さんですが、民進党の都連会長が擁立を拒否。しかも、出馬表明によって当時出演していた番組やCMは軒並み降板を余儀なくされ、数千万円もの違約金を払うことになりました」(全国紙政治部記者)当時、「出馬しないことを願っている」と語っていた理子に対して、石田は本誌の取材でこう語っていた。「理子は、僕が出馬してボロボロに傷ついて立ち直れなくなるんじゃないかと心配しますよね。あとは『稼ぎはどうするの?』とも言われています。それはよくわかっています。でも“命を懸ける”と言うと理子には申し訳ないですけど、逃げてばかりじゃいられないんです。そこは一生懸命説得すれば理解してくれると信じています」(16年7月26日号)出馬は叶わなかったものの、その後は“家族第一”の日々を送る石田。しかし、昨年のコロナ禍が、再び一家に暗雲をもたらす。昨年4月の最初の緊急事態宣言中に訪れていた沖縄のゴルフ場で新型コロナに感染し、世間から猛批判を浴びることに。コロナ感染で一時は生死の境も彷徨った石田だが、その後無事に回復。一連の騒動で懲りたかと思いきや、“反省なき行動”に歯止めはかからなかった。本誌は退院したわずか数週間後の5月下旬、知人と高級ステーキ店で快気祝いを楽しむ石田の姿を目撃。しかも会食後にマスクもせずに千鳥足で帰路についていた。さらに8月中旬にはふたたび、都内の高級イタリアンで知人女性らと会食。このときも、石田はマスクをせずに店から自宅へと帰っていったのだ。どんなに批判を浴びても自由を謳歌する石田。この時、真意を尋ねるべく本誌が石田を直撃すると、「離婚はない」とした上で、「理子は怒ってないと思う」と断言していた。12年前、石田はかつて本誌にこう3度目の結婚にかける決意を語っている。「もう、命ある限り、家庭、家族というものに全力でいきます。僕らは、見られる立場だから、つまずいたりするほうが皆は楽しだろうけど、今度はつまずかないよ」(09年12月29日号)果たして、この“誓い”を守り抜くことができるのか――。
2021年12月19日8月30日、「NEWSポストセブン」によって“懲りない飲み歩き”が報じられたのは石田純一(67)だ。記事によると石田がキャッチされたのは、東京に緊急事態宣言が出されていた7月下旬。午後8時過ぎに都内の会員制バーに入り、出てきたのは深夜0時過ぎだったというのだ。宣言下では20時以降の不要不急の外出は、自粛を求められている。石田が利用した店は会員制バーで貸し切りだったというが、酒類・カラオケ設備を提供する飲食店は休業要請が出されている。同サイトによると、ノーマスクで店を出た石田はとろんとした視線で足元もふらついていたといい、自粛や感染防止対策に配慮する気配はなかったようだ。「昨年4月に仕事で訪れた沖縄で体調不良を訴え、帰京後に新型コロナ感染が明らかになりました。無事に退院しましたが、一時はICUに入る寸前でした。当時も県外移動自粛が呼びかけられていた緊急事態宣言下。そのような経験をしてもなお、石田さんは夜の街へ繰り出すことを止めないのです」(石田の知人)本誌も昨年8月中旬、ノーマスクで飲み会に参加する石田を目撃。そのことを尋ねた記者の直撃に石田は、「出さないでもらえませんか。訴えますよ、本当に」と語気を強めていた。いっぽう、「今非常に、シビアな状況にいるのは確かなんですよ。それであとひとつ出たらダメっていうスポンサーさまもいらっしゃって」と“あと1回明るみになったらアウト”といった窮状も訴えていた。■仕事激減、家族との思い出が詰まった別荘も売却一向に飲み歩き癖が直らない石田だが、陰では経済面に支障が生じていた。「コロナ禍でイベントや講演会も無くなってしまい、ラジオのレギュラー番組も打ち切られてしまいました。今年1月にYouTubeチャンネルも開設しましたが、最近の再生回数は1本あたり1,000回を超えるか超えないかといったところです」(テレビ局関係者)また本誌は昨年6月に、石田が神奈川県葉山町にある別荘を売却していたことも報じている。「’08年に建てられた物件で、売却当時の平均売却価格は8千万円ほどだったといいます。石田さんは翌年に東尾理子さん(45)と再婚しました。海も近いこの場所は、お二人の間にもうけた子供たちとも過ごした思い出の場所だったそうです」(芸能関係者)■ブログ再開も絶えない妻の心労石田の奔放な行動に振り回されているのは、やはり妻の東尾だろう。最近でも7月27日に出演した『バイキングMORE』(フジテレビ系)で、夫への不満を垣間見せる一幕があった。篠原涼子(48)と離婚した市村正親(72)が積極的に子育てをしていることに触れ、「すばらしい御父様だな、うちのとは違って……」と漏らしていた。「理子さんは離婚も考えたそうですが、亡き義母を思うと踏み切れなかったようです。石田さんのお母様は彼が過去に女性問題で世間を騒がせた際も、取材に来た記者に丁寧に接するなど庇い続けたといいます。そのことを知っている理子さんは、義母を見習って『家族、妻として夫を支える』と決心したといいます。とはいえ現在、長男・理汰郎くんは8歳、長女・青葉ちゃんは5歳。次女・つむぎちゃんも3歳と幼く、まだまだ手がかかる年齢です。家族みんなで過ごす時もあるようですが、家事や育児はほとんど理子さんがされているようです。そこに加えて夫の素行が取り沙汰されるとなれば、精神的負担は計り知れないでしょう……」(前出・石田の知人)昨年12月、約8カ月ぶりにブログを更新した東尾。そこには《10年以上大切にしてきたブログ、長い間止めたままでした、、、再開するのに、いつどんな内容でどんな風にどんな面下げて、、、って考えてたら(中略)》と再開を躊躇っていたことを明かす。また《たくさんの方々にご迷惑をおかけし、たくさんの方々に支えられた今年》とも振り返り、感謝の気持ちが綴られていた。そんな東尾は28日に《家で過ごす週末の現実》と題して、子供たちがリビングで遊んだ後の写真を投稿していたばかり。度重なる石田の飲み歩きによって、東尾のブログは再び止まってしまうのだろうかーー。
2021年08月31日