永瀬正敏(52)が9月27日、最愛の母・美津子さんが亡くなったと自身のInstagramで報告した。投稿には在りし日の美津子さんの写真もアップされている。「余りにも急な事で、まだ冷静ではいられません。多分ずっと冷静になんかいられないのかもしれません」とその心痛をつづった永瀬。続けてこう明かしている。「結局何もしてあげられなかった、、、。最後もみとってあげられなかった、、、。最近ずっと電話で『会いたい』と言ってくれていたのに、、、ごめんなさい。最後まで心配かけて、無理させて、不義理で親不孝な息子でした」さらに「おふくろ、ごめんね、、、ありがとう」と感謝の気持ちを述べている。「永瀬さんは16歳の時に役者を志し、ご両親の反対を押し切って上京しました。上京しても仕事はなく、美津子さんもかなり心配していたようです」(芸能関係者)だが90年にはジム・ジャームッシュ監督の「ミステリー・トレイン」、91年には山田洋次監督の「息子」に出演。そこでの演技が認められ、今や日本を代表する俳優の1人に。その世界を股に掛ける活躍ぶりから、今年3月には「芸術選奨文部科学大臣賞」映画部門で大臣賞を受賞した。「永瀬さんが受賞の連絡をしたところ、美津子さんは『良かったね……』と泣きじゃくっていたそうです。永瀬さんはその涙に『やっと親孝行ができた』と喜びでいっぱいだったといいます。そのときは照れてしまいすぐに電話を切ってしまったそうですが、美津子さんは感無量だったでしょうね」(前出・芸能関係者)ネットでは永瀬へのエールとともに、《みとる事ができなくても早くに自立して世界中で活躍する俳優になったのだから十分に親孝行だったはず》《俳優として売れて、作品にたくさん出演出来てそういう意味では誇らしい息子で 親孝行出来たと思うけどなぁ、、》《こんな風に息子に思ってもらえたら、、、母親冥利につきますね》など心境を慮る声も上がっている。悲しみを乗り越えさらに活躍することを、天国の母も望んでいるはずだ。
2018年09月28日永瀬正敏と菜 葉 菜を主演に迎え、実話を基にしたオリジナルサスペンス映画『赤い雪 Red Snow』の公開が2月に決定。佐藤浩市、井浦新ら豪華俳優陣も出演する。■ストーリー雪が降り続く小さな村で1人の少年が忽然と姿を消した。失踪した少年と一緒にいた兄、白川一希(永瀬正敏)の曖昧な記憶に警察の捜査は混乱。そんな中、誘拐監禁殺人の容疑者として捜査線上に江藤早奈江(夏川結衣)が浮かび上がる。ほかに何件もの殺人容疑がかかる中、早奈江は完全黙秘で無罪となる。30年の年月が経過し、少年失踪事件の容疑者だった早奈江の一人娘、早百合(菜 葉 菜)を見つけ出した事件記者の木立省吾(井浦新)が一希を訪ねてくる。毎夜、雪で弟を見失う悪夢に苛まれ、自分を責め続ける一希。少年が消えた事件の日から被害者の兄と容疑者の娘という、心に傷を持つ男と女が交錯する。「完全黙秘」と「曖昧な記憶」の先には予想できない結末が待ち受けていた…。■永瀬正敏&菜 葉 菜が実話を基にしたミステリーに挑む!本作の主演を務めるのは1983年、相米慎二監督作品「ションベンライダー」でスクリーンデビュー以降、『あん』『光』『Vision』の河瀬直美監督や、『ELECTRIC DRAGON 80000V』『パンク侍、斬られて候』の石井岳龍監督など、作家性の強い作品にも引っ張りだこの永瀬さん。近年ではジム・ジャームッシュ監督作『パターソン』でも高い演技力が評価される中、本作では物語の発端となる、雪の日に失踪した少年の兄、白川一希を演じる。永瀬さん自身、面白い作品であれば大小問わず出演するスタンスもあるが「初めて脚本を読ませて頂いた時、読み進めながらドンドン作品の世界観に引き込まれていきました」と興奮を隠せない様子。「そして最終ページを読み終わった直後、この物語の中に自分の身を置いてみたいと願いました。『赤い雪』この深いタイトルに込められた世界を楽しんで頂ければと思います」と語った。もう1人の主演には、2005年『YUMENO』で初主演後、『64-ロクヨン-』の瀬々敬久監督が手掛けた『ヘヴンズストーリー』での演技が評価され、『ナミヤ雑貨店の奇跡』『追憶』と、近年目覚ましい活躍を見せる菜 葉 菜さん。本作では少年失踪事件の容疑者の娘、江藤小百合を演じる。菜 葉 菜さんは『YUMENO』でも、マイナス30度にもなった極寒の北海道での撮影を経験したこともあり、雪とは切っても切れない縁を持つ。「監督とは何度もデスカッションし思いを共有しあえたつもりでしたが、撮影に入ると全てぶっ飛んでしまうほどとてつもない戦いが待っていました。私が思う早百合とそうではない早百合が脳裏を行き交いもがき苦しみもしました」と本作での苦労を語る。「それでもこの映画に賭ける強い思いが心の中で散らす火花を打ち消し愛すべき早百合と1つになって飛び立てたと思います。全編が絵画のように美しく重い作品に仕上がっています」と自信を持ってアピールした。■豪華出演者のキャスティングを実現させた監督とは?そして、失踪事件から30年後に事件を調べ、江藤小百合を見つけ出し、失踪した少年の兄である白川一希に知らせる事件記者の木立省吾役に『ニワトリ★スター』『菊とギロチン』の井浦新。少年失踪事件の容疑者であり、「完全黙秘」で事件を闇に隠しこんだ江藤早奈江役に『家族はつらいよ』シリーズの夏川結衣。そして早奈江の内縁の夫であり、30年後も早奈江の娘・小百合と同居する宅間隆役に『友罪』『64-ロクヨン-』の佐藤浩市と、豪華俳優陣が出演する。そんなキャスティングを実現させたのは、本作が初の長編作品となる甲斐さやか監督。国内外の映画祭で映像美の高さで高評価を受けている新進気鋭の女性監督だ。甲斐監督は「一級のスタッフが一丸となり『赤い雪』の世界観を追求し、一級のキャストが立ち現れる……とんでもない映画が完成したと思います」と完成に対し、感無量の様子。実話を基にして作られた本作については「人の記憶について突き詰めて考える時、足元の砂が少しずつ吹かれて崩れるような、根源的な怖さを覚えることがあります。曖昧な記憶の上に成り立つ人という存在もまた、非常に曖昧なもの……消しきれない記憶、未解決事件、海原の向こうの叫び、沈黙の人々、降りつづく雪。確かな実感の持ちにくい時代にこそ『赤い雪』の世界に浸って頂き、想いを共有頂けますことを祈っています」と作品に対する強い思いも語ってくれた。重厚で濃密なミステリーサスペンス映画に期待が高まる。『赤い雪 Red Snow』は2019年2月より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2018年08月30日綾野剛が主演を務める映画『パンク侍、斬られて候』(6月30日公開)で、俳優・永瀬正敏が演じる猿・大臼延珍の誕生秘話が、このほど明らかになった。同作は、町田康の小説を原作に、宮藤官九郎の脚本で石井岳龍監督が映画化。超人的剣客にしてプータローの掛十之進(綾野)を主人公に、次々とクセモノたちが現れる中、ある隠密ミッションの発令によって前代未聞のハッタリ合戦が繰り広げられる。大臼は人間の言葉を理解し、話すことのできる不思議な能力を持った猿。永瀬は『DEAD END RUN』(03)以来4度目の石井組となり、「監督が『パンク侍』をお撮りになると知り、『おおっ!』と思いましたね。凄い期待感でした。そして台本を読ませて頂いたのですが、メチャクチャ面白かったんです。しかも登場キャラクターが全員個性的なんですが、その中でも面白い大臼という役を頂いて、本当に嬉しかったです」と出演決定時を喜々として振り返る。一方の石井監督も、「どうしても永瀬さん演じて欲しくてオファーしたんです」と出演を熱望し、「そうしたらやるからには完全に猿になるって永瀬さんからおっしゃってくれたんですよ」と永瀬も気合い十分だった様子。とはいえ、「毎日メイクにも時間がかかるし、毛皮つけてそこに鎧をつけて、大変な状態なんです。真夏の京都ですから。顔もびっしりと固めてしまうから、汗の吹き出しようもないくらいなんです」と相当ハードな撮影だったようだが、「でもほんとにビシッと難役を見事にこなしてくれました」と絶賛する。また、黒和藩の藩主・黒和直仁を演じた東出昌大は、撮影現場で大臼に遭遇した時のことを、「初めてお会いした時、口がきけないと聞いていたので、なんてご挨拶していいのかと思いました。この中に永瀬さんがいるんだろうなと想像していましたね」と明かし、「でも数日後に支度場で永瀬さん本人とお会いした時、『あっ!ほんとに中身は永瀬さんだったんだ!』と改めてビックリしてしまいました」と特殊メイクの完成度の高さに舌を巻く。大臼が身に付けている赤い甲冑は、黒澤明作品をヒントに、『るろうに剣心』シリーズなどで知られる衣装デザイナー・澤田石和寛氏が担当。「大臼の甲冑は黒澤映画『影武者』の赤い甲冑にオマージュを込めています。とても印象的な赤でしたので。彼は侍に憧れたニホンザルで、ヒーローの様な家紋をデザインしています。一番武将らしい家紋ですね」と秘話を明かしている。
2018年06月22日映画『Vision』の完成披露試写会が18日、都内で行われ、永瀬正敏、夏木マリ、岩田剛典、美波、森山未來、河瀬直美監督が出席した。同作は、世界中で高い評価を受ける河瀨監督が、生まれ故郷の奈良県を舞台に、世界三大映画祭すべてで女優賞を獲得したフランスの名女優ジュリエット・ビノシュと、俳優・永瀬正敏をW主演に制作する。フランスの女性エッセイスト・ジャンヌ(ピノシュ)が訪れた奈良・吉野を訪れ、山守の男・智(永瀬)は、ジャンヌと次第に心を通わせていく。完成した同作について、河瀬監督は「神話、ファンタジーとかのようなことだよね、と言うこともいる」と説明し、「主演の永瀬君でさえ、『えっ』と言ってたから、何が届くのかわからない作品でもあります」と明かした。「森に入っていくということは、旅の途中で何かがあって何を得るのかはわからないけど、帰ってきたときには違う自分がいるのではないかと思う。みなさんの変化を楽しんでほしいです」と観客に語りかけた。初めて見たときは興奮して眠れなかった、という永瀬は「また興奮して寝れないかもしれないですね。みなさんそうだと思うんですけど、驚いたんですよね。監督は多分異次元からいらしてる」と紹介。また、1000年生きているという女性・アキを演じた夏木は「もう山と一体化。もう、山です」と自分の役について表し、観客を笑わせる。フランスと日本を行き来している美波は、フランスでの河瀬作品人気について「侘び寂びが伝わってるんだなという実感は、目の当たりにして感じました」と明かした。撮影で特殊伐採に挑んだ岩田は「特殊伐採という……特殊な伐採なんですけど」と天然発言で会場の笑いを誘う。「意外と上達が早くて、1日2日くらいで馴染んでくる。意外とと向いてるのかな。もし転職するなら次は山守になりたいなという新しい発見がありました」と語った。主演のジュリエット・ビノシュは今回来日していないが、河瀬は男性陣に「ジュリエットは"ジャンヌ"として生きてたんです。ジャンヌに、惹かれた理由を役柄として答えて」と急な無茶振り。最初に指名された森山は動揺しながらも、「獣同士ってイメージがありました」と答え、河瀬から「匂い?」とさらに確認される。岩田は「シーンの中で目が会うと、不思議と、僕もビノシュさんも初めて会った気がしない感覚があった」と振り返り、「ビノシュさんからもそういう連絡をもらったり、そう思って生きていたので。目に惹かれましたね」と語る。永瀬は「ハートの先を見られてる。いろいろなものを抱えている智なので、それを最初から見てくれた、寄り添ってくれた」と、智がジャンヌに惹かれた理由を分析した。河瀬監督は「これらはきっとこの男性陣の惹かれる女性像かもしれません」とニヤリ。さらに「まぐわいがないと命をつないでいけないんだけど、"まぐわい"って、目が会うというのが語源。目が合えば、まぐわうんです」とたたみ掛ける。その言葉に永瀬が「岩田くんが正解だな」と言うと、岩田は右手を掲げてガッツポーズ。河瀬監督は改めて「映画の中でのそれぞれの役割として、目、心、匂い、そういうもので表現しました。彼らは存分にまぐわっていた」と出演者陣を称えた。
2018年05月17日町田康の傑作小説が主演・綾野剛、脚本・宮藤官九郎、監督・石井岳龍という最強の布陣で実写映画化される『パンク侍、斬られて候』。その追加キャストに永瀬正敏が出演していることが分かった。併せて、主題歌には邦画では初となる「セックス・ピストルズ」の楽曲起用が決定した。■あの猿将軍役の正体は永瀬正敏!このたび、本作の新たなる特報映像が公開。これまでの超豪華なキャスト発表でも謎のベールに包まれていた、物語のカギを握る将軍の格好をした猿・“大臼延珍(デウス ノブウズ)”役を永瀬正敏が務めることが明らかにされた。永瀬さんといえば、デビュー以来、国内外問わず100本近くの映画に出演し、カンヌ国際映画祭をはじめ世界各国の映画賞を受賞する作品への出演経験がある、日本を代表する俳優界のトップランナー。近年では、河瀬直美監督の『あん』に『光』、ジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』と、出演作が3年連続でカンヌ・コンペ部門に出品された日本初の俳優となるなど、その実力はまさに折り紙つき。本作への出演に関して、「僕は石井監督の作品4回目なんですけど、呼んでいただけるたびにとても嬉しいです。今回は町田康さんの原作ですし、世の中驚いちゃうんじゃないですかね。カテゴライズできない映画。ニューシネマができるんだと思います」とコメントを寄せている。■イギリスの伝説的パンク・ロックバンド「セックス・ピストルズ」の楽曲が主題歌!さらに、映画の主題歌にはイギリスを代表する伝説的パンク・ロックバンド「セックス・ピストルズ」による「アナーキー・イン・ザ・U.K.」が決定。「セックス・ピストルズ」の様々な伝記映画など、彼らの音楽が使用された映像作品は多いが、日本映画の主題歌に楽曲が公式に使用されるのは今回が初めてのこととなる。1970年半ばに発表された同楽曲をはじめ、「セックス・ピストルズ」に影響を受けたバンドやミュージシャンは後を絶たず、いまもなお、伝説以上に音楽界の血肉となっていることは言うまでもない。石井監督は、音楽の常識を塗り替えた歴史的楽曲を主題歌に起用したことについて「今回はこれしかない。あなーきー・いんざ・行けー!!」と楽曲になぞらえコメント。石井監督のパンクな作風に、文字通りの“型破り”な主題歌が付くことで、どんな化学反応を見せるのか、期待が高まる。『パンク侍、斬られて候』は6月30日(土)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:パンク侍、斬られて候 2018年6月30日より全国にて公開ⓒ エイベックス通信放送
2018年05月09日『あん』『光』の河瀬直美監督が、生まれ故郷である奈良県を舞台に描く『Vision』。フランスの名女優ジュリエット・ビノシュと永瀬正敏をW主演に迎えた本作から、この度特報映像が初解禁された。全編奈良で撮影を敢行する本作は、世界中を旅して紀行文エッセイを執筆しているフランスの女性エッセイスト・ジャンヌと、自然豊かな神秘の地・吉野の山々を守る山守の男・智が出会い、言葉や文化の壁を超え、心を通わせていく物語。到着した特報では、木立の狭間から差し込む光と水のせせらぎ、美しい自然が映し出されたかと思えば、突如銃声が響き渡る。そしてスリリングな旋律と共に、エッセイスト・ジャンヌ役のジュリエット、山守の男・智役の永瀬さんをはじめ、同じく山守の鈴役の岩田剛典、ジャンヌのアシスタント役の美波、猟師役の森山未來と田中泯、老女役の夏木マリと、各キャストの劇中での姿が確認出来る。『Vision』は6月8日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)
2018年02月21日妻が休日出勤になった日曜日、この日は東京都議会議員選挙の投票日だったので息子を連れて投票所の小学校へ向かった。部屋を出てエレベーターに乗ると大きな鏡に僕と息子の姿が映る。僕がぽにょんと膨らんだ自分のお腹をさすさすしていると「僕、お父さんぐらい大きくなる?」と息子が尋ねてきた。僕が「手のひらも、足も大きいからお父さんより大きくなれるかも」と答えると「早く大人になりたいんだ」と言って自分の容姿を眺めていた。外に出ると横切る自転車を見て「速い自転車に乗りたい」と言い出した。僕:「もうちょっとランニングバイクで練習して」息子:「もう坂道でも走れるから!」僕:「じゃあ誕生日のプレゼントは自転車にする?」息子:「お父さんみたいな大きいのがいい」僕:「体に合ったのがいいんじゃない?」息子:「いやだ、速いのがいい」僕:「あれは大人用だから」息子:「すぐ大人になりたい。今日がいいんだ」その語り口調には哀愁が漂っていて相当な苦悩を抱えている様子だった。途中、自動販売機で水を購入しようとボタンにタッチすると「僕もそんなに高い所に届きたい(手が届くようになりたい)」と大人に対する憧れ発言が止まらなくなった息子。小学校に着くと一輪車やプールを見てあれもやりたいこれもやりたいと目を輝かせていた。投票所の体育館に入って受付で投票券を受け取る。すかさず息子が「なんで僕には紙が無いの?」と受付の人にも聞こえる声で尋ねた。僕はここでも「大人になったら貰えるよ」と無敵ワードを使った。すると息子:「その紙に何を書くの?」僕;「人の名前だよ」息子:「誰の名前?何で書くの?」僕:「僕等が住む街の色んな事を決めてくれる人を選ぶんだよ」息子:「どうやったらいいの?(どうやって選ばれるの?)」僕:「たくさんの人に名前を書いてもらった人が選ばれるんだよ」息子:「じゃあいっぱい名前書いて」僕:「1人1枚なんだ」息子:「じゃあいっぱい星書いといて」僕:「これは七夕飾りじゃ無いんだよ」そんなやり取りをしながら二人で投票箱に紙を入れた。帰り道、「お父さんが名前書いた人が一番いっぱいだったらいいね」と議会制民主主義を理解した3歳児と道を歩きながら、大人にだけ与えられた特権について考えて「やっぱり大人っていいなあ」と改めて気付かされた日曜日だった。<下請けパパ日記は毎週火曜日更新中!ぜひ来週もご覧ください!>
2017年07月04日今年5月、世界で初めて3年連続カンヌ国際映画祭に出演作が出品された俳優・永瀬正敏。7月2日(日)今夜放送の「情熱大陸」では近年写真家としても作品を発表、その表現活動の幅を広げ続ける永瀬さんの“今”に密着する。1966年宮崎県に生まれた永瀬さんは、1983年に相米慎二監督作品『ションベン・ライダー』で映画主役デビュー。その後はTVドラマなどで活躍し、1989年にジム・ジャームッシュ監督の『MISTERY TRAIN』に出演。同作で国際的な評価を得海外で活躍する若手俳優として日本でも注目を浴びた。1991年には山田洋次監督の『息子』で日本アカデミー賞助演男優賞ほか各賞を受賞するとフレデリック・フリドリクソン監督『Cold Fever』など海外作品にも積極的に出演し国内外を問わず活動するように。「20代、30代はまず俺が走ろう。攻めて攻めてと思っていた」という永瀬さんは、企画を気に入れば規模や国に関わらずどんな作品にも挑戦。その姿勢は浅野忠信ら、海外で活動する若手日本人俳優の先駆けとなった。河瀬直美監督と2度目のタッグを組んだ映画『光』で、視力を失っていく天才カメラマンを演じた永瀬さん。同作について「僕のすべてを置いてきた」と振り返る永瀬さんは、カンヌ国際映画祭上映後、鳴り止まぬスタンディングオベーションを受けて人前では決して見せることのなかった涙を見せる。その涙に込められた意味とは!?また、最近は写真家としても作品を発表。2012年からは独自の視点と感性で日本の47都道府県を47冊の写真集に写し出すビックプロジェクト「Jの記憶」をライフワークとして行っている永瀬さん。「写真と俳優には共通点がある」と語り、被写体の意外な一面を引き出すことにかけて定評がある永瀬さんがいま最も撮りたい「ある人物」とは?番組では永瀬さんの“今”に迫るべく、これまで20回以上の写真展を開き6冊の写真集を世に送り出した「写真家」としての彼にフォーカスを当て、来年の大規模な個展に向けて活動を始めた永瀬さんの緊張感みなぎるポートレート撮影現場にも密着。永瀬さんが生み出す“写真家のまなざし”を追う。永瀬さんに密着した「情熱大陸」は7月2日(日)23時~TBS系にて放送。(笠緒)
2017年07月02日休日に友人宅で素麺パーティーをした。友人には息子と同じ3歳の男の子C君がいる。C君は最近「いやいやいや」というワードがお気に入りらしい。「嫌だ嫌だ」の意味ではなく、まるで謙虚なビジネスマンのように「いやいやいや、私はそんな…」と謙遜するようなニュアンスをかもし出していて笑ってしまった。息子もさっそく影響されて嬉しそうに「いやいやいや」と話し始めたので、これはもう飲みの席で「いやいやいや、ここは私が…」と勘定を譲り合う大人の所作に近かった。家では圧倒的に僕より妻の話し方をコピーすることが多い息子。自分が注意されてきた言葉を使って僕のミスを責め立てる機会をうかがっている。僕が二度寝でダラダラしていたら「早く起きなさいっ!」ぴしゃりと言って布団を引きはがす。(妻はそこまでしません、念のためフォロー…)まだ息子がオムツを着用していた頃にはことあるごとに「オシッコ出てない?ウンチ出てない?」と僕のパンツを引っ張ってくるのでした。そんな息子と妻、二人を同時に敵に回すとヤバい。顔も話し方もそっくりな二人が同じフレーズをユニゾンでくらわせてくる。そのダメージは通常の2倍どころではない。夜更かしして寝坊などしようものなら。。。と、鬼の首を取ったように詰め寄ってくる。そんな息子の言葉コピー能力は保育園でも発揮される。先生によく言われる言葉はやはりすぐにコピーしてしまう。どんどん話せる言葉が増えて息子は嬉しそうにベラベラしゃべっている。僕と妻がリビングで寝そべった状態で息子の話を聞いていると「あなた達!ちゃんと座りなさい!」と一喝された。ははーん。今日は先生の話を聞かずに怒られたな。と、息子の保育園での過ごし方が透けて見えてしまった。「今日先生にそう言って怒られたの?」と聞くと気まずそうにうなずいた。息子にとっては大誤算だったに違いない。最近はクラスの乱暴者の言葉遣いがお気に入りのようで、何の前触れもなく「バカ野郎!」と言い放ち、「うるせえ、うるせえ」と連呼することがある。そんな時は夫婦一丸となって冷ややかに対応することにしている。「うわあ。こんな乱暴者とは遊びたくないねえ」一切冗談抜きで対応することで乱暴なだけの言葉使いは時として他人を遠ざけてしまうということを分かって欲しいと思った。会話がどんどん高度になって大変楽しい日々ではあるが、何でもかんでも飲み込んで乱暴な言葉も平気で言い放つ奔放さに怖さを感じることもある。「バカ野郎!」も使い方によっては面白い言葉なので言葉狩りにはならないように教えていきたいと思うけれど、伝え方はなかなか難しい。ひとまずは風呂上がり僕が家の中を裸で歩き回っている時の「バカ野郎!」はOKということにする。
2017年06月06日永瀬正敏の大きな、日に焼けた手が、水崎綾女の頬を、鼻を、唇をなでる。ゆっくりと、何かを確かめるように。すがるように――。ただ、それだけの動作が、2人が実際に唇を交わすシーンよりもずっと官能的に映る。河瀬直美監督はこう語る。「まるでセックスをしているかのような、深いところで互いを感じ合っているように撮れたらと思いました。その後のキスシーンはどちらかというと勢いでそうなっています。本来、それは逆なのかもしれないけど、唇を重ねるよりも官能的なものが、あの顔に触れる行為の中にあるんじゃないか?心の奥底で触れ合うような…。2人とも、キスをしているときよりも、顔に触れているときの方がずっと胸が高鳴っていると思うんです」。映画『光』は、視覚障碍者のために、映画の登場人物の動きや情景を言葉で伝える音声ガイドに従事する女性・美佐子(水崎綾女)と徐々に視力を失っていく天才カメラマン・雅哉(永瀬正敏)の2人を中心に展開する。河瀬監督は、前作『あん』制作時に、この映画の音声ガイドの存在を初めて知り、映画として描くことを決めたという。「彼ら(=音声ガイドの制作に従事する人々)の映画への愛――目が見えない人にまで見せる、見られない人がいるのは嫌だという思い。それはこれまで、映画を作ってきた私たちになかった感覚でした。そうした感覚を持っている人たち、しかも映画に携わっている人たちということで、興味を惹かれました。この人たちの姿を映画化することができたなら、私の映画論、私が映画において何を良しとしているのかを伝えることができるだろうと思ったんです」。いかにして映像を見ることができない人間に、映画を伝えるか?悪戦苦闘する美佐子に、容赦なく厳しい言葉を投げかける雅哉。たまらず美佐子も「あなたの想像力が足りないんじゃないか?」と言い返す。そんなやりとりに、思わずドキリとさせられる。口に出すかどうかは別として、自分の思いをわかってもらえないとき、つい相手の想像力の欠如を責めたくなることは日常の中で誰しもあるだろう。映画を観ていると「想像力ってなんなのか?」と考えさせられる。「私たち晴眼者(=視覚障碍者の対義語で、視覚に障害のない者のこと)は、見えることでイマジネーションを働かせてないことがあるんじゃないか?でも、視覚障碍者は見えないからこそ、ものすごく想像力を働かせている。で、あるなら、彼らの方が、深く映画に入り込んでると言えるんじゃないか?とこの映画を作っている最中に思いました」。従来より、河瀬監督の作品は“余白”といわれる部分が多く、見る者の想像力に委ねることが多い作品だと言われるが…。「そうかもしれません。ただ、これまでの作品でいうと、ポンッと観客の想像力に委ねていましたが、今回の映画では登場人物たちが互いにそれを委ね、キャッチしています。観客にとっては、そこが明快だと思います」。キャスティングも興味深い。ヒロインの美佐子に、河瀬作品初参加の水崎さん。永瀬さんは『あん』に続く出演で、光を失いつつあり葛藤するカメラマンの雅哉を演じる。ほかに、美佐子を導く上司・智子を神野三鈴、その夫で視覚障碍者の男性に小市慢太郎、美佐子が携わる映画の監督をする北林を藤竜也、そして終盤のある重要なポイントで、河瀬作品の常連となった樹木希林が参加している。映画を観ると、“声”に非常に強い個性を持つ俳優陣がキャスティングされているように思えるが、この点は監督自身、最初の段階で意識していたのだろうか?「いえ、いま言われて初めて気づきましたね(笑)。ただ、希林さんに関しては、ありました。声だけの出演になるので、独特だけど、ずっしりとくるあの声がいい。永瀬くんにあの声を聴かせてあげたいって思いました」。その永瀬さんに関しては、河瀬監督は2015年に『あん』でカンヌ国際映画祭に赴いた際に『次、また一緒にやりたいね』と声を掛けていたという。本作の脚本執筆の段階で、最初から雅哉役は永瀬さんをイメージして書き進めていった。「今回、永瀬くんの中にある資質を思う存分に活用したいと思ってて、そう考えたとき、雅哉はカメラマンであるべきだと思いました。目が見えなくなることで奪われてしまうものがすごく大きい。でも、そこからどう這い上がっていくのか?光を見つけるのか?それだけで物語ができる。いや、永瀬くんが持っているものがすでにストーリーになっていて、それを映画の中に入れさせてもらうような感覚でした」。なぜ、そこまで永瀬正敏という俳優に惹かれたのか?そもそも、前作『あん』におけるどら焼き屋の雇われ店長の千太郎役に永瀬さんをキャスティングしたこと自体、新鮮な驚きがあったが…。「『あん』に関していうと、最初に原作を読んだとき、これは(原作者の)ドリアン助川さんご本人だって思ったんです。だけど、ハマり過ぎてて(笑)。千太郎は店長になる前にいろいろあって、社会から排除される立場にある人間で、そういう人はもう少しワイルドでぶっきらぼうな感じかな…?と。そうすると、ドリアンさんだとちょっと包容力があり過ぎて(笑)。じゃあ、その境地に行き着くまでの千太郎は誰か?日本映画界を見渡して、永瀬くんだって思ったんです。それまで、全然知らなくて、Facebookで『出ていただけませんか?』ってメッセージを送ったんです(笑)」。優しく、真面目で、それゆえに葛藤を抱える男――そんな雅哉のイメージが永瀬さんにぴったりと重なったという。「雅哉のようなタイプの人は本来、優しく真面目なんですけど、だからこそ、視力を失っていく段階で執着してしまうんですよね。過去であったり、もしも見えていたならば伸ばせていたであろうキャリアに…。そして、自暴自棄になってしまう。これは、私自身、取材を進めていく上で知ったんですが、男性で特に、見えなくなっていく過程で周囲に攻撃的になってしまったり、自分はダメだとあきらめてしまう人が多いということなんです。なんで初対面の美佐子にあんなに厳しい言葉を投げかけるのか?そこには見えなくなっていくことへの焦りがあるんだと思います」。永瀬くんは、すごく真面目できちんとしてるんです。『あん』のどら焼き屋さんの片付けを、いつもものすごくしっかりしてたんです。ご自分の事務所もすごくキレイで、いろんなものがきちんと整理して配置されてるんです。これは、部屋をきちんと整頓して、モニター会にもスーツを着ていく雅哉のキャラクターそのものだなって思いました」。いろんな部分で、前作『あん』があってこそ今回の『光』が生まれたと言える。河瀬監督自身、映画の作り方、臨み方において、『あん』という従来の作品とはやや異なる作風で、最大のヒットとなった作品を経たことで、生まれた変化、感じる違いなどはあるのだろうか?「『あん』が大きなポイントとなった部分ももちろんあると思いますが、やはり1作1作に大きな意味があり、その後の作品に影響を及ぼしているんだと思います。『2つ目の窓』と『あん』、今回の『光』は、ほぼ立て続けに撮っているんです。その中で『あん』のようなわかりやすさを詰め込んだ部分もあるし、でも作品そのものの“希望”は、ずっと前から自分の作品の中にあったものだとも思います。今回は、構造として“映画”を描くという難しい題材で、映画監督という存在が物語の中に出てくるのも、自分にとっては大きなチャレンジでしたが、それをやり遂げたという感覚も持っています」。(photo / text:Naoki Kurozu)■関連作品:光 2017年5月27日より新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国にて公開(C) 2017“RADIANCE”FILMPARTNERS/KINOSHITA、COMMEDESCINEMAS、KUMIE
2017年05月26日第70回カンヌ国際映画祭「コンペティション部門」に正式出品されることが決定した『光』の完成披露試写会が4月27日(木)、都内で行われ、主演の永瀬正敏をはじめ、水崎綾女、神野三鈴、藤竜也、河瀬直美監督が出席した。河瀬監督にとって、カンヌ映画祭への選出は永瀬さんと初タッグを組んだ一昨年の『あん』に続く8度目。また、永瀬さんは日本人俳優として、初めて出演作が3年連続で招待を受けることになり、客席は祝福ムード。この日、登壇した5名全員が、現地入りすることも明らかになり、「いってらっしゃい」の声もあがった。河瀬監督は「明け方、フランスから電話で一報を聞いたら、自宅のリビングから太陽がのぼるのが見えて、“光”がさしました。光は世界をめぐるんだと思うと、その瞬間号泣してしまった」としみじみ回想。本作は「特に難産だった」といい、「河瀬といえばカンヌというイメージもあるかもしれませんが、そんな簡単な場所じゃない。しかも栄えある第70回のレッドカーペットを歩くと想像したら、涙が止まりませんでした」と感無量の面持ちだった。そんな河瀬監督から電話で吉報を受け取ったという永瀬さん。「朝方にお電話をいただいて、もう『ありがとうございます』と『おめでとうございます』ばかり繰り返していた」そうで、「受話器越しに監督の思いが伝わって、僕も朝から号泣しました」とふり返った。ちなみに、河瀬監督によると「電話したのが朝6時だったのに、ワンコールで出てくれた」のだとか。水崎さんも「河瀬監督が愛を注いだ作品を、世界の皆さんに見てもらうと思うと…」と言葉に詰まるほど感激した様子。共演陣も「私自身が『光』の細胞の1つになれて、現場にいても、映画を観ても救われた。監督が“出産”なさった『光』が世界に届けばと祈っている」(神野さん)、「もう(カンヌには)3度行かせてもらって、もう行くことはないと思っていた。カンヌは、こつ然と映画の王国が現れて、やがて消えるファンタジックな香りがある場所。本当に幸せだし、長生きするもんですね」(藤さん)とカンヌ入りに期待を寄せていた。“映画”の音声ガイドの制作にたずさわる美佐子(水崎さん)はある日、視覚障碍者向け映画のモニター会で弱視のカメラマン、雅哉(永瀬さん)と出逢う。映画の光に導かれるように、2人は音声ガイドの製作過程で衝突を繰り返しながらも、互いの心をゆっくりと通わせていくが――。今年のカンヌ国際映画祭は5月17日(現地時間)より幕開け、「コンペティション部門」受賞結果は、映画祭最終日の5月28日に発表される。『光』は5月27日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:光 2017年5月27日より新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国にて公開(C) 2017“RADIANCE”FILMPARTNERS/KINOSHITA、COMMEDESCINEMAS、KUMIE
2017年04月27日永瀬正敏が主演を務める河瀬直美監督の最新作『光』が、第70回カンヌ国際映画祭「コンペティション部門」に正式出品されることが決定。河瀬監督は、永瀬さんと初タッグを組んだ一昨年の『あん』に続く7度目、また永瀬さんは、日本人俳優として初めて出演作が3年連続で招待を受けることになった。“映画”の音声ガイドの制作にたずさわる美佐子。あるとき、視覚障碍者向け映画のモニター会で弱視のカメラマン、雅哉と出逢う。映画の光に導かれるように、2人は音声ガイドの製作過程で衝突を繰り返しながらも、互いの心をゆっくりと通わせていくが――。昨日4月13日(木)、フランス時間の11時~(日本時間18時~)より発表された、第70回カンヌ国際映画祭ラインナップで「コンペティション部門」への出品が決定した本作。河瀬監督にとっては「監督週間」カメラドール(新人監督賞)受賞の『萌の朱雀』(’97)をはじめ、グランプリ受賞の『殯の森』(’07)、『2つ目の窓』(’14)、『あん』(’15)に続く、日本人監督としては最多となる7度目。また、主人公・雅哉を演じた永瀬さんは、河瀬監督の『あん』と、ジム・ジャームッシュ監督&アダム・ドライバー主演の『PATERSON』(原題)に続き、出演作が3年連続で同映画祭の招待を受けることとなり、日本人俳優として初の快挙となった。5月17日(現地時間)より開催されるカンヌ国際映画祭には、永瀬さん、美佐子役の水崎綾女、そして河瀬監督がチーム『光』として参戦する予定。なお、「コンペティション部門」受賞結果は、映画祭最終日の5月28日に発表される。このたび第一報を受けた永瀬さん、水崎さん、さらに劇中映画の主演・監督役の藤竜也、そして河瀬監督から喜びのコメントが到着している。■永瀬正敏撮影でお世話になった視覚障碍者の皆さんに心から感謝しています。また世界中で作られている数々の作品の中から『光』を選んでいただけたこと、本当に感謝しています。河瀬直美監督の思い、沢山の方々の思いが詰まったこの作品を、世界の皆さんに観ていただけることが何より嬉しいです。■水崎綾女カンヌ国際映画祭なんて、自分とは別の世界だと思っていたので今回のノミネートに驚愕しております。映画祭自体も初めてなのですが、世界各国から来られるたくさんの方にこの作品を観ていただける事がとてもうれしく思います。■藤竜也直美さん、貴女の『光』に僕の魂がゆすられました。ゆすられた僕の魂が、喜びの涙を流しました。彼方にある『光』が私たちに希望を与えてくれるという意識を共有出来ました。■河瀬直美監督映画は、「光」です。映画は、「魂」です。映画に魂を捧げたものとして、この映画『光』をこの世界に誕生させた、スタッフ、俳優のみんな、みんな、みんな、と、カンヌでの瞬間を分かち合えること、いま、とてもうれしい。50回目のカンヌで初めて訪れた場所…あれから20年の節目にまたあそこに立てる歓びをかみしめています。ありがとう。『光』は5月27日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:光 2017年5月27日より新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国にて公開(C) 2017“RADIANCE”FILMPARTNERS/KINOSHITA、COMMEDESCINEMAS、KUMIE
2017年04月14日監督・河瀬直美、主演・永瀬正敏の『あん』のコンビで描くラブストーリー『光』。その待望の予告編映像が、4月15日(土)からの劇場上映に先立ち解禁となった。人生に迷いながら、単調な日々を送っていた美佐子(水崎綾女)は、とある仕事をきっかけに、弱視のカメラマン・雅哉(永瀬正敏)と出逢う。美佐子は雅哉の無愛想な態度に苛立ちながらも、彼が撮影した夕日の写真に心を突き動かされ、いつか、その写真の場所に連れて行ってほしいと願うようになる。だが、命よりも大事なカメラを前にしながら、次第に視力を奪われてゆく雅哉。彼と過ごすうちに、美佐子の中の何かが変わり始める――。本作は、日々迷いながら生きていた女性が、視力を失いゆく天才カメラマンに出逢い、彼の内面に惹かれてゆくラブストーリー。雅哉がやがて見えなくなることを知りながらも、互いを見つめようとする切ない2人の姿には、“失うことで、思わぬ明日を見つけることができる”というメッセージが込められている。また、「映画の音声ガイド」という仕事にもスポットが当てられており、注目を集めている。このたび解禁となった予告編では、映画の音声ガイドの制作に携わる美佐子と、視力を失いゆくカメラマンの雅哉との出会いから、2人が少しずつ心を通わせていく姿を映し出す。「心臓なんだよ動かせなくなっても、俺の心臓なんだ」と、雅哉がカメラを抱きしめながら放つ、もがき苦しみ葛藤する魂の叫びに、水崎さん演じる美佐子や周りの人々が心揺さぶられる様子が、時に優しく、時に強烈に包み込む光とともに描かれていく。永瀬さんは、「誤解されたくはないんだけど、ある意味、観終わった瞬間、自分で“遺作” を観たような感覚になったんです。ネガティブな意味には捉えてほしくないんだけど。それだけ、とてつもなく強い思いがあった」と語るほど、本作に対する思い入れは強く、そんな永瀬さんの魂が刻みこまれた予告編となっている。また、雅哉に強く影響を受けた美佐子が、彼を想いながら書き上げた音声ガイドを読み上げるのは、『あん』で共演していた樹木希林。これは永瀬さん自身も、演じるそのときまで知らされていなかったそうで、『光』の製作チームが用意した“人生に迷う全ての大人たちへのプレゼント”ともいうべき演出からも、本作の温かさが伝わってきそうだ。『光』は5月27日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:光 2017年5月27日より新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国にて公開(C) 2017“RADIANCE”FILMPARTNERS/KINOSHITA、COMMEDESCINEMAS、KUMIE
2017年04月13日河瀬直美監督が『あん』で主演を務めた永瀬正敏と再び組んで贈るラブストーリー『光』。本作から、初映像となる特報が解禁となった。本作は、日々迷いながら生きていた女性・美佐子が、弱視のカメラマン・雅哉に出逢い、彼の内面に惹かれてゆく、という河瀬監督オリジナル脚本によるラブストーリー。雅哉がやがて見えなくなることを知りながらも、互いの心を見つめようとする、切なくも希望を感じさせてくれる物語となっている。また、映画の音声ガイドという仕事にも焦点を当て、世界中の映画ファンに歓喜と感動をもたらすラストが待っているという。主人公の弱視のカメラマン・雅哉役には、日本中を感動に包んだ『あん』で河瀬監督とタッグを組んだ実力派俳優、永瀬さん。また、音声ガイドの制作に携わるヒロイン・美佐子役には、『マイ・バック・ページ』『つやのよる』『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』など話題作に出演し、本作で新境地に挑む水崎綾女。そのほか、神野三鈴、白川和子、劇中に登場する映画の主演と監督役に藤竜也と、実力派が脇を固める。今回、3月11日(土)からの劇場での特報上映に先立ち、その映像が解禁。カメラマンの雅哉(永瀬さん)にとって最も大切な“光”が徐々に失われていく葛藤とともに、そんな雅哉に強烈に惹かれていく美佐子(水崎さん)の心の変化を、河瀬監督がさまざまな“光”の中に映し出す、美しくも切ない特報映像となっている。なかでも見どころは、一瞬のキスシーン。美佐子が雅哉の顔を引き寄せ、突然のキス。そんな美沙子を真正面から受け止める雅哉。光を全身に浴びた2人の刹那の姿は、河瀬監督が描くラブストーリーの佇まいをも感じさせている。そのキスシーンについて、美佐子を演じた水崎さんは、「夕日のキスシーンは、タイミングを狙ってしたというより、咄嗟に、衝動的にしてしまったというほうが正しいですね。演じているときは、私を見て欲しい、雅哉さんの心が知りたい、安心させたい、そんな思いでした」と、美佐子としての心情を明かす。「大切な物を失ってしまうカメラマンの雅哉さんに、かける言葉がなくて、ああするしかなかったですね。本能のままのキスはお互いを求め合う気がして好きです。心と心でぶつかっている感じがするので。言葉をかわすよりも、もっと伝わった気がしました」。『光』は5月27日(土)より新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2017年03月09日監督・河瀬直美×主演・永瀬正敏の『あん』コンビで贈る最新作『光』。この度、本作の公開日が5月27日(土)に決定し、併せて主演の永瀬さんとヒロインの水崎綾女が写るビジュアルが解禁された。“映画”というもうひとつの人生を観客と共有するべく音声ガイドの制作にたずさわる美佐子。視覚障碍者向け映画のモニター会で弱視のカメラマン、雅哉と出逢う。映画の光に導かれるように2人は、音声ガイドの製作過程で衝突を繰り返しながらも互いの心をゆっくりと通わせていく――。本作は、日々迷いながら生きていた女が、弱視の天才カメラマン・雅哉に出逢い、彼の内面に惹かれてゆくラブストーリー。雅哉がやがて見えなくなることを知りながらも、互いの心を見つめようとする、切なくも希望を感じさせてくれる物語。主演の弱視のカメラマン雅哉役を永瀬さん、音声ガイドの制作に携わるヒロイン・美佐子役に水崎さん。さらに舞台からドラマまで幅広く活躍中の神野三鈴、白川和子、劇中映画の主演と監督役に藤竜也が出演する。このほど到着したビジュアルでは、美佐子が雅哉の頬を強く引き寄せ、“あなたに見つめられていたい”と願う、切ない想いが込められた一枚。また、ベルリン国際映画祭でも、類似のビジュアルがお披露目されるという。さらに今回、主演の永瀬さんからコメントも到着。自身のドラマ初出演時と映画デビュー作、それぞれで白川さんと藤さんと共演しているという永瀬さんは、「この映画で、自分の原点に立ち返った気がする。俳優になりたての自分に、演技のいろはを教えてくれた、光(道標)のような存在」とコメントを寄せており、この2人との再共演に喜びを感じているようだ。『光』は5月27日(土)より新宿バルト9ほか全国にて公開。(cinemacafe.net)
2017年02月10日はじめましてイラストレーターの田渕正敏です。妻と3 歳の息子と暮らしています。子どもが生まれてからは不思議なこと面白いことの連続で自然と日記をつけるようになりました。僕は自宅兼アトリエで仕事をしており、昼は仕事で絵を描いて夜は息子と遊びで絵を描くような生活をしています。2~3 歳になるとこだわりのようなものが芽生えたようで、粘土遊びをしていてもそれが炸裂します。一緒に作り始めてもいつの間にか息子は発注者、僕は受注者になります。だんだん息子より真剣になってしまったりする僕ですが、息子は手を動かすよりも「(キャラの)体もつくる(つくれ)」だの「ほっぺ(のパーツ)が無い」だのと、指示出しの方が多いディレクタータイプ。完成して「良い感じ?」と見せると、「合格」。やかましわ! そして数秒後には踏み潰してスクラップ。 王様です。妻がその様子を見て一言。「マジでやかましいわ!」と心中で叫び、しかし求められる仕事を正確に仕上げるのが下請けの心得なりと気持ちを落ち着かせる。それが次の仕事に繋がるのだ。そして粘土再開。完成品を息子に手渡す…。家族に仕事に「下請け」感が漂う僕の日常ですが、くらしの中で起きる小さくて、大きな事件や気づきに内心で大興奮する日々を、パパの目線からお送りしたいと思います。
2017年02月08日永瀬正敏が『あん』の河瀬直美監督と再びタッグを組む映画『光』。制作発表後、早くも注目を集める本作がこのほどクランクアップとなり、永瀬さん、そしてヒロインを務めた水崎綾女が魂を込めた作品に熱い涙を見せていたことが分かった。“映画”というもうひとつの人生を観客と共有するべく、音声ガイドの制作にたずさわる美佐子(水崎さん)。あるとき、視覚障碍者向け映画のモニター会で弱視のカメラマン、雅哉(永瀬さん)と出逢う。映画の光に導かれるように、2人は音声ガイドの製作過程で衝突を繰り返しながらも、互いの心をゆっくりと通わせていく――。世界最高峰のカンヌ国際映画祭にて、新人監督賞カメラドールを受賞した1997 年の『萌の朱雀』、その10年後の2007年に審査員特別大賞グランプリを受賞した『殯の森』に続き、10年周期のジンクスとなる来年2017年に、河瀬監督のオリジナル脚本の最新作として送り出される本作。撮影は、「日本の四季の中で光が一番美しく降り注ぐ、この季節に撮影をしたい」という監督の思いのもと、今年10月16日から自身の創作拠点である奈良でスタート。約1か月の撮影を経て、11月14日19時半ごろに京都文化博物館にて無事クランクアップを迎えた。河瀬監督は「明日起きたら、明後日起きたら、奈良にもう雅哉も美佐子もいないのだと思うと、なんだか身を裂かれるような想いがするのです。それほど登場人物たちと一緒に生きていたな、という気がします」と、撮影を終えたばかりの心境をコメント。「クランクインが満月で、とても重要な雅哉と美佐子のシーンを撮った日が新月で、そして今日、クランクアップの日がまた満月。光もすべて味方につけた、俳優たちこそが、スペシャルだと思っています!」と、永瀬さんらキャストたちをねぎらった。河瀬監督と『あん』以来2度目のタッグとなる永瀬さんは、“弱視のカメラマン・中森雅哉”に完全になりきった状態で、目の焦点を合わせずに演技をしていたため、共演者である水崎さんの顔をきちんと見ることがないほどに役にのめり込んだという。「終わったな…終わっちゃったなって感じです。なかなか言葉にするのが難しいのですが、魂よりももっと大きなものをフィルムに焼き付けられたらと思いながら日々過ごしていました」と、永瀬さん。「弱視から目が見えなくなっていく過程の苦しみや、実際に目の不自由な方々の苦しみを、極力うそがないようにしたくても、実際の僕は目が見えています。でも少しでも近づきたいと出来る範囲の最大限の事をやり、自分自身に足枷をはめ、視力を失ってからはほとんど食事を取らず雅哉として生きてきました。実際に目の不自由な方々の気持ちを考えたら、僕らの小さな悩みや絶望というのは、大したものではない…そんな風に世の中の観方がこの作品で変わるきっかけにもなったらと思っています」と、その役ヘの没頭ぶりと、真摯な思いを口にする。そして、「1人でも多くの方にこの河瀬監督が伝えようとしている『光』が届くことを願っています」と語り、「やっぱり僕にとって河瀬組はスペシャルでした」と撮影をふり返った。また、“バリアフリー映画を手掛ける尾崎美佐子”として、撮影前から奈良に住み始め、約1か月もの間、24時間、役になりきって生活し、作品づくりに没頭する日々を過ごした、監督に見出された新たなヒロイン・水崎さん。「1か月以上、“美佐子”として暮らしていたので、先ほど監督に『水崎綾女!』と名前を呼ばれ、急に現実に戻された感じです。私だけ、最初の1週間は台本がないまま演じていて、やがて1日分の台本をいただくようになり、10日前にようやく台本を1冊貰って読ませていただきました。もう、8割、9割のところまで進んでいて、『あと数ページしかない!』という状況でしたが、そこから作品のヤマが続き、ようやく2日前頃(ゴールという)“光”が見えてきた感じがしました」と、撮影の過程を明かす。さらに、「役になりきるために、もの凄く苦しくて大変だったのですが、撮影が終わってしまうのが本当に寂しい…。まだ河瀬組に身を置いていたいし、美佐子でありたいという気持ちがいまは強いです」と熱い言葉を寄せた。魂を込めて演じ続けた日々を思い、クランクアップを迎えた永瀬さんと水崎さんの瞳からは熱い涙がこぼれていたという本作。この2人、そして河瀬監督自身の“離れがたさ”が、この作品が放つ“光”の強さを物語っているようだ。『光』は2017年、全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2016年11月16日世界的評価を受ける河瀬直美監督の最新作『光』が、来年公開されることが決定。主演に俳優・永瀬正敏を迎えることも分かった。“映画”というもうひとつの人生を観客と共有するべく音声ガイドの制作にたずさわる美佐子。視覚障碍者向け映画のモニター会で弱視のカメラマン、雅哉と出逢う。映画の光に導かれるように2人は、音声ガイドの製作過程で衝突を繰り返しながらも互いの心をゆっくりと通わせていく――。本作の監督・脚本を務めるのは、世界最高峰のカンヌ映画祭では『萌の朱雀』で新人監督賞カメラドールを、『殯の森』で審査員特別大賞グランプリを受賞した河瀬監督。主演には、第68回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門のオープニングとして正式出品された『あん』に続いてのタッグとなる、国内外で活躍する俳優・永瀬さんが務め、ヒロインには新進女優として注目を集める水崎綾女が抜擢された。『あん』では、樹木希林演じる徳江の生き様に影響を受けながら、人生を切り開いていく千太郎を演じ、その演技に世界中の人々が心を震わせたが、本作では、弱視の主人公・雅哉という葛藤の中で希望の光を求めさまよう男を演じる永瀬さん。役作りにおいては、撮影の20日前には奈良に入り、実際の雅哉のマンションで暮らし始め、雅哉の部屋を作っていったそう。「部屋の写真は全て自分が撮りだめてきた未発表のものを使用しました」と細部にまでこだわっていると話し、「視覚障害を持つ4~5人の方とお会いし、その生活を拝見させていただいたり、自分自身で出来ることとしては、決められたコースを目をつぶって歩くことを繰り返したりしながら、準備しました」とコメントしている。また、ヒロインとして河瀬監督に見出されたのは、タナダユキ監督の『俺たちに明日はないッス』で銀幕デビューを果たし、『マイ・バック・ページ』『つやのよる』『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』など様々なジャンルの作品に出演してきた水崎さん。本作では、バリアフリー映画の音声ガイドとして、その光の中に生きる意味を見出していく女性・美佐子役で、これまでの役柄とは異なる、新たな一面を見せていく。水崎さんは「撮影が始まっても、私だけ脚本をもらえていないのですが、24時間美佐子として生活することで、不思議とすんなり台詞が出てくるのです」と話し、「ストーリーの先が分からない分、予想がつかないけれど、順撮りをしているので、美佐子の気持ちがどんどん積み重なっていくという初めての経験をしています」と撮影中の様子を明かした。「『あん』で初めて音声ガイドをつくったときに原稿確認をしたのですが、音声ガイドそのものが、表現として素晴らしいものだと思いました」と本作の着想を得たきっかけを話す監督。永瀬さんとは、また一緒に映画を作りたいと話していたそうで、「実際に、永瀬さんのカメラマンとして活躍ぶりを見てきたので、今回の役柄は彼しかいないと思っていました」と絶大な信頼を寄せている。なお、美佐子と同じ職場の上司・智子役と劇中映画『その砂の行方』の女優役を、舞台から映画・ドラマへ活躍の場を広げる神野三鈴、『その砂の行方』の主演と監督役を藤竜也が演じる。『光』は2017年、公開予定。(cinemacafe.net)
2016年10月31日浅野忠信が6月15日(月)、映画『あん』のヒット御礼イベントに出席。サプライズで本作の出演者である永瀬正敏が駆けつけると「先日メールをくれたばかりなのに…」と恐縮しきり。一方、永瀬さんは浅野さんの丸刈り頭をナデナデし、してやったりの笑顔を見せた。樹木希林演じるハンセン病に人生を翻弄された老女・徳江の魂の旅路を描く本作。犯罪歴をもつ千太郎(永瀬さん)が雇われ店長を務めるどら焼き店は、徳江がつくる粒あんのおいしさが評判になるが、かつて徳江がハンセン病を患ったという噂が客足を遠のかせ、千太郎は徳江を辞めさせなければならなくなる…。「(本作に)出ていないのに、ずうずうしく来てしまって…」と照れ笑いを浮かべる浅野さん。10代の頃、永瀬さん主演の『ミステリー・トレイン』(ジム・ジャームッシュ監督)を見て「強烈にあこがれていた。日本の俳優でも、こんなカッコイイ海外作品に出れるんだと思った」と言い、“海外進出の先輩”に対する変わらぬ敬意を示した。また、永瀬さんが相米慎二監督の『ションベン・ライダー』(1983)で映画デビューを飾り、浅野さんは同監督の遺作となった『風花』(2001)に出演した“縁”があり、「とんでもないオヤジだったけど、今も悩んだときは相米監督の作品を見る」(永瀬さん)、「強烈な何かを植え付けられた」(浅野さん)と思いをはせた。東京・シネスイッチ銀座で行われたイベントには、メガホンをとる河瀬直美監督も出席。本作がオープニングを飾った第68回カンヌ映画祭ある視点部門で、浅野さんが出演した『岸辺の旅』(黒沢清監督)が監督賞を受賞しており、河瀬監督は「おめでとうございます。自分のことのように嬉しかった」と祝福していた。また、『ELECTRIC DRAGON 80000V』(2001公開)以来となる永瀬さん&浅野さんの“再共演”に期待が寄せられると、「浅野くんがよければ」(河瀬監督)、「今日はそのために来たんですよ!」(浅野さん)と意欲満々。永瀬さんも「浅野、今日は来てくれてありがとう」と感謝を表した。『あん』は現在公開中。(text:cinemacafe.net)
2015年06月16日矛盾という言葉がある。どんな矛でも通さない、世界で一番強い盾がある。一方、どんな盾でも突き破る、世界で一番強い矛がある。さて、ではその世界一同士がぶつかりあったら……という逸話から来た言葉だ。小学生の頃から、学校の先生に「自分に勝て」と言われ続けてきた。少しでも弱音をはくと、「そんな弱い自分じゃダメだ。自分に勝つもっと強い自分にならないと」と、自分を叱咤激励し鼓舞してきた。ほとんど強迫概念かのように、そう信じて頑張ってきた。だが……疲れた。そんな疲れたある日、ふと気がついたのだ。待てよ、自分に勝つ?それってもうひとりの自分が、忌むべき負けることに他ならないのではないか、と。逆説的にいうなら、あえて自分に負けてみる。するとどうだ! 必然的にもうひとりの自分が勝っているのだ。すなわちどんな生き方をしたところで、自分にどんな勝負を挑んだところで、所詮自分が自分である限り、自分は自分に勝つのだし、それは自分が自分に負けることでもある。常に1勝1敗。どうあがいても勝ち越すことはないのである。話はころりと変わるのだが、スポーツ新聞や週刊誌には、必ずHなページが設けられている。そしてスポーツ新聞や週刊誌は、通勤のよく混んだ電車の中で読まれるものと相場が決まっている。あの満員電車の中で、過激でHな記事を読む、それも読み切る根性には感服するが、それも自分に勝ったことになるのだろうか? そのHな記事のページを1枚めくれば、教師とか警官とか、あるいは社会的地位の高い人の破廉恥罪……痴漢とか婦女暴行とか下着泥棒とか……が、眉間に皺を寄せた論調で記事になっていたりする。果たしてこれは悲劇なのか喜劇なのか? 冗談なのかマジなのか?世の中に、これほどの矛盾はない。欺瞞といい換えてもいいかもしれない。この場合、自分に勝つとはどういうことだろう。素直にHな記事に反応すべきなのか。それともそうした邪心を抑えて、平然と読み流すべきなのだろうか。いやいや、そもそもそうした記事を満員電車で読むべきなのだろうか? 恥を押し殺して読むことが自分に勝つことなのか、それとも欲望を理性で抑えて読みたいのに読まないやせ我慢こそが、自分への勝利なのだろうか?朝の通勤ラッシュという、どこにでもある日常の風景にだって、このような葛藤がある。そしてその葛藤とは、小学生の頃から「自分に負けるな」と洗脳され続けてきた強迫観念にこそ、その悩みの根源があるのではないだろうか。歌の文句ではないが、勝った負けたと騒ぐじゃない。勝つと思うな思えば負けなのだ。勝敗とはコインの裏表であり、勝ちは負け、負けはすなわち勝ち。負けるが勝ち、という言葉もある。いやいやもしかすると勝ち負けなどというものは、そもそも存在しないのかもしれない。だとすれば、そんな勝負に挑む、それも自分に勝負を挑む様は、あたかも滑稽なドン・キホーテではないか!だからボクはもう自分に挑むことは、端からやめた。勝ち負けではない、ジャンケンで言うところのアイコの人生を歩むことに決めたのだ。そして勝敗にこだわらない達観こそが、女性にモテることにつながると信じていたのだが、いやはやそれは単なる優柔不断な、煮え切らない男として、少なくとも恋愛においては連戦連敗になることも付け加えておく。それにしても満員電車のスポーツ新聞のHな記事。読むべきか、読まざるべきか?イラスト: 田渕正敏
2015年03月26日話のおもしろいヤツはモテる。逆もまた真なりで、モテるヤツの話は面白い。恋愛が長期戦になればなるほど、求められるのは持久力や忍耐力ではなく、恋人を飽きさせない話の面白さである。では、世の中で一番、話が面白い人種とはどんな人間たちか? その多くは漫才師や落語家、コントなどを生業にするお笑い芸人と答えるだろう。だが、同じプロフェッショナルでも面白さに命を賭けている者たちがいる。その本気さ、真剣さは、お笑い芸人の比ではない。では、その人間とはどんな人たちか? ほかでもない、詐欺師である。仕事柄、ボクは詐欺師に会うことが多い。どんな仕事柄とは思うが、ボクの体臭がそのテの人間を引き寄せるのか、ボクの周囲は詐欺師や詐欺師予備軍、詐話で満ち溢れている。詐欺師のすごさは、臆面もなく近づいてくることである。詐欺師のターゲットになったボクの知人を、仮に太郎クン(45)としよう。詐欺師は太郎クンのことをいつしか「ターちゃん」、「ター坊」と呼び、周囲には「ター坊もあのミーコ(※太郎クンの妻の美智子さんの愛称)ちゃんじゃ苦労するわ」などと、周囲にその親族とも親しいことをアピールした。ボクはてっきり幼なじみか、少なくとも10年来の知り合いかと思っていた。ところが後に裁判となった訴状の中で、太郎クン自身、いつ知り合ったか不明であり、それでも推定するに出会ってから裁判を起こすまで大きく見積もっても出会いからせいぜい1年半であることが明らかになった。ちなみに太郎クンが裁判まで起こした詐欺師に騙し取られたカネは、その1年半の間に実に約8,000万円である。それはともかく、詐欺師が超フレンドリーに被害者に近づく手法に、有名人や成功者の知人もしくは縁戚関係をアピールする、というものがある。ボクの知っている詐欺師のスマホにはここでは実名を書けないが、アイドル、俳優、女優、スポーツ選手、芸人と一緒に収まった写真が山ほどあった。有名人と直接知り合いというのは、さすがに気がひけるのか、その周辺との親しさを強調する詐欺師もいる。有名人のマネージャーであったり、所属事務所の社長であったり。この場合、引き合いに出されたマネージャーや社長は、呼び捨てにされるのが一般的だ。「まったくタカギのヤツがさぁ!」などと。このタカギは、たとえば小栗のマネージャーという設定だったりするのだが、そんなことをこっちが知っているかどうかなどお構いなしだ。「ところでタカギって?」などと、こちらが気兼ねをしてオドオド質問しようものなら、「あれ知らなかった?」などと小馬鹿にした態度で聞き返す。おそらくこの精神的劣勢が、詐欺と疑いつつも引き返せなくなる理由なのだろう。やはりボクの知り合いの詐欺師には、山田姓を名乗る大手家電量販店、青山姓を名乗る大手紳士服量販店、岡本姓を名乗る最大手コンドームメーカーの関係者を装う者もいた。この場合、直径の子息ではなく、創業者の孫とか社長の甥とか微妙な縁戚関係であり、ときに大株主などという微妙な立ち位置を選ぶものだ。そんなこんなで近づけば、今度はホラ話である。その内容に共通しているのは、とにかく話をモル。モリまくるの一点である。信じてもらえるならその昔、米倉涼子と付き合っていたでもいい、マー君のボールをスタンドにぶち込んだでもいい。自家用ジェットでプライベートアイランドに行ってきた、でもいい。ただ、ここで注意したいのは、ホラ話ではあっても、けして自慢話にはしないことだ。ホラも自慢も話をモルという行為においては同じだが、相手の受け取り方はまったく違う。前者は興味をもって耳に届き、後者は不信と敵意しか抱かせない。その違いは大きく自意識とサービス精神であろう。前者はひたすら相手を喜ばせるし、後者は単に自分を誇示するのみだ。と、ここまで読めば賢明な読者であれば、もう気がついただろう。詐欺師の中には、モテる要素が満載であることが。ならば詐欺師を真似て、勇気をもって女の子に臨めばいい。でも、それでもモテなかったらどうするかって? その場合はお笑い芸人ではなく詐欺師にでも……と、それは絶対にダメである!イラスト: 田渕正敏
2015年02月25日田舎に住んでいる。東京から居を移して、もう20年以上になる。これもIT革命とやらのおかげだ。思えば物書き稼業に身を転じた30年ほど前は、原稿用紙に万年筆で書いていた。ある新聞社には、カーボン紙付き3枚綴りの原稿用紙もあった。そう、今も文具店で売っている、あの請求書や領収書の要領。コピー機もまだ当時は高価な事務機器だったので、三文ライターにはできるだけ使わせない知恵だったのだろう。書きながら思い出したが、そういえばコピー機にはカギがあって、そのカギは何枚コピーしたかがわかるカウンター機能もついていた気がする。それはともかく、じきに原稿用紙はワープロに代わり、年月を経てパソコンとインターネットになった。原稿の入稿の仕方も手渡し、郵送からファクスとなり、それも生原稿がフロッピー、CD-ROM、そして今ではネットでスイスイと送れるようになった。書きながら思い出したが、手書きで原稿用紙に書いている時代は、留守番電話は電話機とは別モノだった。今では考えられないだろうが、留守番電話機という機械があったのだ。その留守電機には♫ピコピコピコピコ♫なるリモコンがついていて、公衆電話から自宅に電話すると話す方にリモコンを当て……。ちなみ小林明子の『恋におちて-Fall in love-』は、今から30年前、1985年の歌である。不倫という言葉が広く社会に認知されたテレビ番組の主題歌だが、その歌詞中、不倫相手はプッシュホンではなくダイヤルを回し手を止めるのである。しかも完全週休2日制ではないから、既婚の不倫相手が妻の元に戻るのは土曜の夜であった。あれから30年間をボクはマスコミの世界で生き、後半20年間を田舎で暮らしてきた。いまどきITなんて言葉を使う者がいるかどうかも疑問だが、ボクの田舎暮らしを支えているのは紛れもなくITである。と、そんなボクに先見の明があったとか、田舎暮らしの先人、ときに達人だとか、そんな見方をする者が最近、増えてきて困惑している。「どうか田舎暮らしの極意を教えてください」だって!冗談じゃない!告白しよう。そもそもボクが田舎暮らしを始めたのは、第一に都会の家賃が高いからである。そして第二は、都会のがコジャレた女の子にモテなかったからに他ならない。ときどきそんな女性と絡むこともあったが、気後れはするわ、見栄も張らなきゃならないわ……とにかく疲れていけない。先見の明でも、人間らしい生き方を求めたわけでもなく、単に都会暮らしに落ちこぼれたにすぎない。しかも田舎でも浮いている。それはそうだろう。田舎で昼間まで寝ているような物書き稼業など、まあロクデナシの代名詞でしかない。田舎でもまたハンパ者なのだ。だが、このハンパ者というポジションも、そんなに悪いものではない。東京に出張すれば「久しぶり」といって旧友が飲みに誘ってくれる。「田舎暮らしを聞かせてよ」と言って。それでもって田舎に帰れば、今度は「都会の話を聞かせてよ」と。実際、たまに田舎に帰れば女房が黙って晩酌を用意してくれるし、「まだ飲むの?」という頃には、今度は東京に出張すればいい。旧友が「久しぶり」ともてなしてくれる。恋愛にこの技術を応用できないかとも考えたものだが、そもそも都会の女にモテず都落ちしたボクに、そんな器用なマネができるはずもない。そんなテクニックを駆使できる人間なら、都会でもリッパに二股、三股……もしや何人もの愛人を囲える甲斐性が育まれたことだろう。まあ原稿を送るスピードは速くなったが、モテない男がもてるためには、まだまだ物理的な距離と時間が必要なようである。イラスト: 田渕正敏
2015年02月11日女性のどこに、性的な魅力を感じるか? いわゆるセックスアピールの問題である。顔、胸、尻、脚……。ときにうなじであったり、二の腕であったり、くびれた腰であったり……。それはもう好みであり、フェティシズムの問題だからどこでもいい。だが、その偏向した好みこそが、諸君がモテない理由であることだけは自覚しておく必要があるだろう。質問の仕方を変える。女体のどこに性的魅力を感じるかではなく、女体のどこが一番いやらしいか? この質問に、諸君はどう答えるであろう。やはり顔だ、脚だ、うなじだと、同じ答えをするだろうか。口に出た言葉は、表層的なものでしかない。そこから核心に歩を進めよう。それこそがモテる男になる、第一歩である。そもそも淫乱という言葉である。猥褻という熟語である。この画数の多い、しかも視覚的にも音感でも、なぜか心がそそられる言葉を、女体のどこが創りだすことができるだろう。胸か尻か、はたまた陰部か? 答えは否である。では、どこが考え、創り出したかといえば、頭である、脳である、脳細胞である。その論理でいうなら、ふたつ目の質問、つまり女体で一番いやらしい部分はどこか? との質問の答えは、頭であり、脳であり、脳細胞ということになるだろう。人間は見た目ではない、心である。という言葉は、ときにモテない人間の戯言でもあるが、一方で真理でもある。なぜなら心は心臓にあるわけではなく、脳の中にあるからだ。ついでに言えば、「人間は見た目やお金や社会的な地位ではなく中身よ」とほざく人間もいる。人間は中身? それは内蔵に疾患もがなく、内視鏡でみるときれいであるということか! こちらの方は、モテない、あるいは社会にも認められない人間の戯言である。そんなことはどうでもいい。話を本題に戻そう。女体で一番性的魅力のある部分、平たく言えばいやらしい部分は、ボクは脳だと断言する。ここまで見てきたように、脳こそが一番いやらしいことを考えるし、そしていやらしい考えを行為へと移すからである。すなわちその部分に興味を抱かずに、目に見える部分、顔だ、胸だ、尻だ、脚だと、そんな瑣末な部分のみズームアップし、そこしか見ない、見えないからこそ、諸君はモテないのだろう。胸や尻にしか興味のない男を、果たして女性が興味を抱くであろうか? 街を歩いているだけで声をかけられるような美貌、明らかに使えないくらい所有している財産、あるいは誰もが知っている名声でもなければ、普通は「キモイ」と言われるだけである。見えない部分を見る、少なくとも見る努力をする。これこそがモテるための第一歩である。まして、これまで女性と縁のなかった諸君であるならば、誰もが狙う美貌や美形、スタイルのいい女など、まず相手にされない確率の方が高いのだから。それにしても頭のいい女とのセックスは、とても気持ちがいい、との報告がある。報告といっても呑み屋で、ボクがここまでの持論を懇々と訴え、「そういえば確かに頭のいい女は……」といった程度の報告だが、それでも頭のいい女は床上手であることを、モテる男は本能的に知っている証左でもあろう。もっとも頭が良くて美形であるなら、それはもう文句はないのだが、セックスの上手い、すなわち頭のいい女が必ずしも美人なわけではない。というより、往々にして不美人、平たく言えばブスである場合も多い。「色の白いは七難隠す」というが、ボクに言わせれば「頭のいいは十難、いや百難隠す」といっても言い過ぎではない。なにより女体の中で一番、いやらしい部分が最も成熟しているのだ。ときにその褒め言葉は、「あいつは頭がいい」としか使えなかったとしても、こうしたタイプこそ狙い目であるとかんがえるボクは、やはり少し異常性愛者なのだろうか?イラスト: 田渕正敏
2015年02月04日世界の男性にナンパ術とデート術を伝授するジュリアン・ブランクなるアメリカ人が、世界中から非難を浴びている。とりわけ日本人の女は、白人であれば誰でも簡単にヤレる。ポケモン、ピカチュー、トモダチの3つの言葉さえ口にしていればいい、というのが、そのすご腕のナンパ術であるらしい。日本ではその入国を巡って、3万8,000人もの署名が集まったそうな。どっちもどっち、ヒマだよねぇ。もっとも誤解を恐れずに言うなら、まったくのデタラメではないなぁ、と感じたのは、はたしてボクだけだろうか? おそらく本国では相手にされないであろう外国人が、この日本には多いのもまた事実だ。そして、そうした輩が、夜の歓楽街で日本人の女の子に、かなりモテていると感じるのは、これまたボクのヒガミというものだろうか? まぁ、そんな尻軽の女の子に、興味はないのでいいのだけれど……。それにしても、ここで怒らなければいけないのは、大和撫子ではなく日本男児だと思う。同胞の女の子がバカにされているからではない。同胞の女の子がピカチュー、ポケモンと叫ぶ、白人ならぬ白痴男に日本女性が熱をあげ、蹂躙されているのだとしたら、それは日本男児が白痴男より下に見られていることに他ならないからである。今から20年近く前だったか、輸入牛肉を食べようというテレビCMがあり、そこで若い男女が演じた会話が今でも耳に残っている。女「なんでアメリカの牛肉っておいしいんだろ?」男「しょうがねえだろ、アメリカなんだから」あまりに富んだ機知に、思わず笑うことすら忘れたが、当時、外車の中古車に乗り、外国製の万年筆を使い、味などわかりもしないクセにワイン通を気取っていたボクに、もはや笑う資格などなかった。ポケモンにピカチューにトモダチは、20年前のボクにとってベンツにモンブランにブルゴーニュであり、今回、白痴ナンパ師にバカにされた日本の女の子は、いやはや西洋文化を盲目的に信仰していた20年前のボク自身ではなかったろうか?日本人には日本人らしさがある。そんな当たり前のことに気がつくのに幾星霜。そして日本人らしさこそ、実は国際社会に通用する唯一の日本人のアイデンティティである。前出の同じ時期、サッカー元日本代表のラモス瑠偉が、日本の若者に向かって、「日本人ならお茶漬けだろ!」と叫んでいる永谷園のCMがあったが、こちらも素直には笑えなかったが、溜飲が下がった思いがしたのも事実である。まぁ、そんなことはどうでもいい。日本人らしさとは何か? それも女にモテる日本人らしさとは? まったくもってつまらないことを書いて顰蹙ものだが、やはり日本人たる者、誠実さと勤勉さ、それと忍耐力ではないだろうか。そもそも日本人がピカチュウ、ポケモン、トモダチの3語を操って、女の子をナンパしていたら、それこそ噴飯モノである。そんな愚かなことは、西洋の白痴にやらせておけばいい。それについていくような女は、そんなもの日本人であっても、我らが愛する大和撫子ではない。どうぞ、どうぞ、ヌシらにくれてやろう。さてさて、そう言いながらいま、六本木のキャバクラでは、ボクの目の前で信じられない光景が繰り広げられている。日本人らしく誠実さと勤勉さでここ数カ月通いつめ、どんなに袖にされても忍耐力で貢ぎ続けたキャバ嬢が西洋系の外国人の席につき、こともあろうか……。そうそう、日本人らしさをもうひとつ忘れていた。それは、痩せ我慢の美学である。だからボクはナニもなかったかのように、「おあいそ」と叫ぶと、法外な金額をそっとレジに置いていくのであった。日本男児がなめられる理由が、そこにはあった。イラスト: 田渕正敏
2015年01月28日台湾映画『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』の初日舞台挨拶が1月24日(土)に行われ、主演の永瀬正敏と共演する坂井真紀が出席。台湾からマー・ジーシアン監督とチェン・ビンホンが急遽駆けつけると、永瀬さんは「暖かいですね」と感無量。坂井さんは感涙していた。日本統治下の1931年、台湾代表として夏の甲子園に出場し、準優勝した嘉義農林学校(通称:嘉農=かのう)野球部の実話を描く台湾映画。この日、永瀬さんと坂井さんには、ジーシアン監督らの来場は一切秘密だったといい、舞台挨拶の冒頭で永瀬さんは「本当は台湾のスタッフと一緒に舞台に立ちたかったが、叶わなかった。きっと僕らの思いは(台湾に)届いていると思う」と監督の不在を残念がる場面も。それだけに「永瀬さ~ん」とジーシアン監督が姿を現すと、永瀬さんはまず驚きの表情。劇中では「泣くな!」が口ぐせの日本人監督・近藤兵太郎さんを演じており、「いや、泣いてないっすよ」と感動的なサプライズに照れ笑いも浮かべていた。一方、近藤の妻を演じる坂井さんは涙をこぼしながら、「永瀬さんや監督をはじめ、常に現場が作品に対する情熱にあふれていた。私もその情熱に触れて、エネルギーをもらったし、幸せだった」と感慨深げだった。また、ジーシアン監督は「人間は未来を見つめる生き物ですが、そこで過去を忘れてはいけないと思います。この映画を観て日本と台湾の過去から学んで、パワーを受け取ってもらえれば」と日本での“凱旋公開”に感激していた。東京・新宿バルト9で行われた初日舞台挨拶には永瀬さんと坂井さん、ジーシアン監督らに加えて。大倉裕真、飯田のえる、山室光太朗、青木健、主題歌を歌うRakeと中孝介が登壇した。台湾では昨年2月に封切られ、公開60日間で興行収入3億台湾ドル(約10億円)を超える大ヒットを記録。いったん劇場公開を終えたが、9月から台湾映画史上初となるアンコール公開が行われ、“台湾版アカデミー賞”といわれる第51回金馬奨で「観客賞」「国際映画批評家連盟賞」を受賞した。『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』は全国にて公開中。(text:cinemacafe.net)■関連作品:KANO~1931 海の向こうの甲子園~ 2015年1月24日より新宿バルト9ほか全国にて公開(C) 果子電影
2015年01月25日映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』の初日舞台あいさつが、1月24日に新宿バルト9で開催。永瀬正敏、坂井真紀、大倉裕真、飯田のえる、山室光太朗、青木健、主題歌「風になって~勇者的浪漫~ 」を歌ったRakeと中孝介が登壇した。サプライズでマー・ジーシアン監督と、台湾人キャストのチェン・ビンホンも登場し、永瀬と熱いハグをし合った。『KANO 1931海の向こうの甲子園』は、台湾の弱小チームが、台湾代表として甲子園を目指すという、実話を描く感動作。2014 年に台湾で公開され、空前の大ヒットを記録。台湾映画史上初のアンコール上映が開催されるなど、社会現象を起こした話題作だ。永瀬は監督たちの登場に「驚きました。本当に全く知らなかったので」と興奮しながら、監督と熱いハグ。また「泣いてないです」と、必死に涙をこらえている様子だった。「ちょうど今年、全国の高校野球が100年を迎えます。84年前、実際に台湾やいろんな民族を超えたチームで頑張ったこの映画を、今年公開できて感慨深いものがあります。 台湾のみなさんにも感謝しています」と、永瀬は語った。坂井は「永瀬さんをはじめ、スタッフキャストの皆さんの揺るぎない情熱があったので、現場にいるだけで幸せでした。永瀬さんの隣にいさせていただくだけで妻になれました」と、夫役の永瀬に感謝。また、 監督たちのサプライズ登場では、大粒の涙を流した坂井。最後は笑顔で「この映画は本当に魅力的な映画だと強く思います。見るとたくさんのエネルギーをもらえる映画だと思います」と、しっかり映画をアピールした。来日したマー・ジーシアン監督は、本作に込めたメッセージを「いつも思いますが、我々人間は常に未来を見ようとするけど、実は過去から力をもらえるし、学ぶことができる。これは台湾の歴史の一部でもあり、日本の歴史の一部でもあります。ぜひ過去から学び、力をもらってくださいと」力強く訴えかけていた。
2015年01月25日最近の若者が使う言葉に、「ありえねえ」というものがある。「マジありえねえ」とか。カノジョがデートに遅れてきて「ありえねぇ」。カレシの誕生日プレゼントがチープすぎるといっては、「マジありえないっつうの!」。数学的に考察して、ありえないとは、確率ゼロのことである。絶対に起こりえない、ことである。まあ言うならば太陽が西から上るとか、海水が一瞬にして淡水になるとか、ある日突然、10人もの女の子がキミに「付き合ってください」と告白するような可能性のことである。一方、ありえないに似た言葉で、しかしある意味、まったく正反対の言葉に「ありがたい」がある。「ありえない」は確率的にはゼロ。しかし「ありがたい」は、確かに確率的にゼロに近いことは間違いないものの、しかし現実に起こる可能性がある、ということだ。確かに2分の2、3分の1、10分の1……ほど高い確率ではないけれど、どんなに分母が大きくても分子はゼロではない。1、つまり可能性として起こり得る、というわけだ。言うまでもなく、感謝の気持ちを表す「ありがとう」が、この「ありがたい」を語源にしていることは間違いない。語源だけでなく、言葉の奥底にはその精神も脈々と流れている。その意味では、「あなたに感謝します」という英語のThank youとは、根本的に違うのだ。そんなことはどうでもいいけど、恋愛とはこの「ありえない」と「ありがたい」の関係によく似ていると思うのは、はたしてボクだけであろうか? そもそもモテる、モテないの違いなんて、カノジョもしくはカレシがひとりいるかいないかだけの差だし、せいぜいモテるといったところで、カレシやカノジョに隠れてせいぜい二股か三股、四股くらいが関の山だろう。しかしながら「ありえない」と「ありがたい」には、その間には深くて暗い川がある。コチラ側と向こう岸では、天と地ほどの差があるのも事実であろう。しかしながらその差は、ただ単にカノジョ、カレシがいるかいないかだけの差でしかないのに。毎朝、同じ電車に乗る気になる女の子がいたとしよう。その子を口説くかどうかは勇気の有無にかかるだろうが、しかしそれをナンパと取るか、純愛の告白ととるかは、女の子の気分と、そのときにカレシがいるかどうかで決まるものだ。仮にその気になる女の子の後をつけ、住んでいる場所を特定する行為がストーカーに映るか、勇気ある愛の行動に映るかも女の子の置かれた状況次第である。ついでにいえば女の子には、確実に魔が差す瞬間があって、別の表現を使えばそれが「恋に落ちる瞬間」でもある。なんとなくではあるが、この瞬間は年に4回、季節がわりことに訪れるような気がする。これに失恋というタイミングも加われば、そうそう確率的に低いものではなかろう。つまりキミにも十分にチャンスがある、ということだ。繰り返すが「ありえない」と「ありがたい」の違いは、それほど大きな差ではない。その現象が現実に起きるかどうかだけの差である。キミの勇気ある告白が、「ありえない」と拒否されるか、「ありがたい」と受け取ってもらえるかの差であろう。ただ、こと恋愛において「ありがたい」は、「ありえない」の先にあることも覚えておいてほしい。ヘタな鉄砲数撃ちゃ当たるは、ある意味真理であり、「ありえない」に近い確率だが、しかし実際に起こる可能性もある「ありがたい」のためには、分母の数、すなわち挑戦する数……それは失敗する数にも比例するのだが……を増やす以外に方法はない。宝くじを当てたかったら、買う以外に方法がないのと同じ理屈だ。口説いて口説いて口説きまくって、それでもカノジョができない場合はどうするかって? そんな際にキミに求められるのは、そんな人生も「ありがたい」と思える達観か、「ありえねえ」と吐き捨てる蛮勇であろう。案外、そのふたつを身につければ、モテる男になるのもまた真理ではあるのだが……。イラスト: 田渕正敏
2015年01月22日俳優の永瀬正敏が1月15日(木)、都内で行われた主演作『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』のジャパンプレミアに出席。生徒役で共演した台湾人キャストが感謝の手紙を読み上げると思わず感涙していた。1931年、日本統治下にあった台湾を舞台に、台湾代表として夏の全国高校野球選手権に出場し、準優勝した実在の嘉義農林学校(通称:嘉農=かのう)野球部を描いた台湾映画。永瀬さんは日本人の監督・近藤兵太郎さんを演じ、「映画のなかでは生徒たちに『泣くな』と言い続けていたので、今日ここで泣くわけには…」と強がりを見せていた。実在の人物を演じるにあたり、「近藤監督の教え子さんやお弟子さんから、人となりと練習法をうかがった」と役作りを語る永瀬さん。キャスト陣との絆も深まったそうで「映画が公開されてしまうと、こうやってみんなに会える機会が減るので寂しい。とにかく台湾のスタッフ、キャストに感謝です」と感無量の面持ちだった。ジャパンプレミアには永瀬さんをはじめ、妻役で共演する坂井真紀、ピッチャー役で現役野球選手のツァオ・ヨウニン、強打者役を演じるチェン・ジンホン、『セデック・バレ』の出演者で今回監督デビューを飾ったマー・ジーシアン、プロデューサーのウェイ・ダーション(『海角七号君想う、国境の南』)、主題歌を歌うRakeと中孝介が出席した。坂井さんは「みんなが同じ方向を向いた、勢いがある現場。まるで映画のストーリーそのままだった」と現場をふり返り、「公開は泣きたいくらい嬉しいです」と永瀬さん同様、感激しきりの様子。ジーシアン監督は「テーマが野球である以上、試合や練習シーンをしっかり描写しなければ『野球をやっている』と信じてもらえない。それだけキャスティングにこだわった」と、現役プレイヤーを起用した理由を説明し、「永瀬さんも少年野球をやっていたとうかがった」と明かすと、当の永瀬さんは照れ笑いを浮かべていた。映画は“台湾版アカデミー賞”といわれる第51回金馬奨で「観客賞」「国際映画批評家連盟賞」を受賞。俳優の大沢たかおが、台湾の農業発展に大きな貢献をした水利技術者・八田與一役で出演している。『KANO ~1931海の向こうの甲子園~』は1月24日(土)から新宿バルト9ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2015年01月15日歳をとると、決まってやるのが昔は遊んだ、昔は悪かった、昔は遊んだ、そして昔はモテた、という自慢である。それを昔は苦労した、もっと真剣に生きていた、「それに比べて今の若いヤツは」と同一人物から続くので、いつの時代も若者は戸惑ってしまう。遊べば遊んだで不埒だと、真面目にやればやったで人間味に欠けると……。まあ、それが老化だと思えば腹も立つまい。これに糖尿だ、痛風だ、ヒザが痛い、腰が痛い……と、病気自慢が続けば、もはや末期現象と思うことだ。まあ笑っていたところで、やがて誰もが味わうことなんだけどね。それはともかく、自分が昔、モテたという男が、果たしてどれだけモテたかという問題である。正直に白状しよう。初めてボクが女性と性交渉を持ったとき、いわゆる初体験を経たとき、非常に虚しい気持ちになった。上手くいかなかったとか、思ったより気持ちが良くなかったとか、相手の女性に罵られたというわけではない。正直、気持ちも良かったし、実感なのか錯覚なのか、大人になった気にもなった。しかし、である。当時、日本の人口が約1億人。女性は半分の5,000万人。そこから15歳以下と40歳以上(当時はやはり母親の年齢が女性をオンナとして見るときの基準であって、さすがに17歳の少年が母親の年齢以上の女性との性交渉など想像だにできなかったものだ) を差し引けば、ざっと2,000万人といったところか。では、ボクはその2,000万人とSEXのできる可能性がどれだけあるのか? そう考えると、いやはやたった一人と事に及んだボクの下半身は、みるみる萎え、縮んだのである。もっとも1人1分で事を終えたとして、2,000万人とし終えるのに2,000万分、時間にして約333,333時間、日数にして約13,889日、年数にして約38年もの歳月を要することになる。ここで書いていて気がついたのだが、この数字はちょうどボクの初体験から今日までの、まさにその歳月である。38年間、2,000万人と1分間にわたって格闘していた人間がいたとしたらそれもすごいが、初体験からこんなことを38年にもわたって考え続けたボクも、ある意味ではすごいのではないか? もっとも当時のボクには、目の前の女性と巡りあい結ばれた「ありがたさ」を考える余裕などなく、2,000万人と戯れる「ありえない」ことを夢想する愚か者だった。その年月が18歳の少女を、56歳のおばさんに変える事実にすら気がつかずに……。そんなことはどうでもいい。ボクも酒の勢いを使っては、若い連中をつかまえて「昔はモテた」といった類の、どうでもいい自慢話をする。しかし、これまで見てきたようにモテたの実態はこの程度だ。これが初体験が13歳だの、100人斬りだ、1,000人斬りだの、そんな自慢が果たしてどれだけの意味と価値があるのだろう。アインシュタインの「我々が知っていることなど、これっぽっちだ」の名言に倣えば、我々が知っている女のことなど、「これっぽっち」でしかない、のである。だから女は奥が深い、などという気などさらさらない。女をもっと知れ、などと説教するつもりも毛頭ない。しかし男は歳をとれば、病気や昔は悪かったと自慢するように、必ず「昔はモテた」と自慢する動物なのである。それも、モテもしなかったのに。ただし、本当にまったく女性と付き合ったことがなければ、こんな自慢すらできない。リアリティもなければ、自慢よりも罪悪感が大きく、それに苛まれるからである。恋愛で悩んでいる若者がいよう。恋愛ができないと嘆いている子羊もいよう。だが、安心せよ。ボクのような50歳台になれば、君たちのほとんどが「昔はモテた」と自慢するのだ。いまの悩みや嘆きなど、あと20年先、30年先の自慢のネタくらいに、軽く考えるべきである。であれば、街に出よ。声をかけよ、ナンパせよ。あわよく喰えれば、それもまた良し!イラスト: 田渕正敏
2014年12月31日映画『彌勒MIROKU』の舞台あいさつが22日、東京・池袋鬼子母神の唐組紅テントで行なわれ、キャストの永瀬正敏、佐野史郎、林海象監督らが出席した。同作は、稲垣足穂の自伝的小説『弥勒』を、京都造形芸術大学映画学科長の林監督が学生たちと映画化した哲学的作品。『第一部 真鍮の砲弾』では小説家になることを夢見る主人公・江美留の少年時代を、『第二部 墓畔の館』ではどん底の生活にいる江美留の青年時代を描いている。また、同作は通常の映画版と生演奏版の2種類があり、生演奏版では作曲家の渡邊崇が率いるオーケストラが音楽を担当している。唐組紅テントで行われた上映会では、オーケストラの生演奏が響き渡る中、夢見る少年たちを演じた土村芳ら同学科の女優たちが演技を披露するシーンもあり、集まった約250人の観客は拍手喝采。上映後の舞台あいさつで、林監督は「生演奏版を上映したことは一生忘れない。スペシャルなオープニングになった」と感激し、「この映画は私たちと学生で作った小さな映画。学生がとても良くやっているので、少しでも多くの人に知って欲しい」とアピールした。また、林監督とは『私立探偵 濱マイク』シリーズ以来、約17年ぶりのタッグとなった主演の永瀬は「僕みたいな俳優がここに立つなんてと恐縮していますが、とても光栄です。特別な公演になったので、唐十郎さんや唐組に感謝したい」と紅テントでの上映に大感激。一方、約30年前に唐十郎主宰の状況劇場で活動していた佐野も「この紅テントから逃げ出したのに戻って来た。何とも複雑だけどうれしいです」としみじみ語っていた。同舞台あいさつには、永瀬、佐野、土村、林監督のほか、キャストの近衛はな、水上竜士、同学科でキャストを務めた中里宏美、大西礼芳、水本佳奈子、土居志央梨が出席。映画は、26日から神奈川・横浜ジャック&ベティで、来年2月からは東京・渋谷オーディトリウムほか全国順次公開予定。
2013年10月23日