関西人主婦で二児の母のモチコです。娘の幼稚園の送り迎え、普段は自転車なのですが、冬は寒い……! ということで、冬は徒歩で登園しています。幼稚園への送り迎え、幼稚園に向かう道は意気揚々と歩いて走る二太郎。幼稚園から家へ戻る道は、上り坂だからかずーっと抱っこまたはおんぶです。つ、辛い!でも徒歩登園、良いことがたくさんあるんです!体力がつく幼稚園まで片道15分ほど。そんなに長い距離ではないですが、アップダウンもあるし、毎日の積み重ねとなると、体力作りに一役買ってるのでは……と思います。大人でもなかなか良い距離ですし。ちなみに子どもの足で片道15分、そこから家までまた10分かけて帰るとなると、大人にもなかなか良い散歩です。痩せないかな〜!季節の移ろいを感じられる幼稚園までの道中、今の時期は白い息や枯れ木で冬を感じます。空気もものすごーく冷たい!これが春になると桜やたんぽぽが咲いたり、緑が生い茂ったり、虫がいたり…季節の移ろいをいろんな場面で感じられます。ちなみに夏は暑すぎて、自転車一択! 季節を感じる余裕はありません……。いや本当暑過ぎる。会話やふれあいも楽しめる子どもと一緒に歩くと会話も楽しめます!幼稚園で習った歌、娘考案の謎のゲーム(落ち葉を踏んだら負け)、放課後のお楽しみ(主におやつ)など……。他愛ないことを話しながら歩いています。手をつないで歩けるのも嬉しいです。そのうちつないでくれなくなると聞くので、今のうちにいっぱいつなぎたい! 登園は良いチャンスやなぁと思います。お友達と合流して、子ども同士のやりとりを聞くのも面白いですよ!ただ時間はかかる……ただまあ……時間はめちゃくちゃかかります。なぜか踊りながら歩く4歳児、普通に歩くのも遅いのになぜか柵に登り出す1歳児。ほかにもいきなり立ち止まってみたり、ダッシュしてみたり、葉っぱ拾ってみたり、葉っぱ踏んでみたり、石を拾ってみたり、コンクリートに埋め込まれている石を取ろうとがんばったり…。どんだけ〜!それでも、運動になって体力がつけば……疲れて夜早く寝てくれれば……と、いろいろ期待して今日も母は子ども達と歩きます!●ライター/モチコ
2019年02月27日1月24日、父親の栗原勇一郎容疑者(41)による虐待で命を奪われた千葉県野田市の小学4年生の心愛ちゃん(10)。発見されたとき、体には複数のアザがあり、胃にほとんど内容物がなかったという。2月4日には、夫の暴行を幇助していた疑いで、母親のなぎさ容疑者(31)も逮捕された。虐待を繰り返してきた勇一郎容疑者とはどんな人物なのだろうか?千葉県野田市にある勇一郎容疑者の実家近くの住民はこう話す。「30年以上前、勇一郎君が小学1年生のときに、この住宅地に引っ越してきました。両親と2学年下の妹がいる4人家族。みんなハキハキと明るい一家という印象です」地元中学を卒業後、現在では進学校として知られる埼玉県内の私立高校の「英語クラス」に進学した。中学・高校の同級生が語る。「勉強はあまりできませんでしたが、ひょうきんで明るくて、人気のあったヤツだと記憶していました。でも、事件後に同級生の間でメールのやりとりがあり、『気が弱い生徒を率先していじっていた』とか『妹をひどくいじめていた』という話を聞き、そんな一面もあったことを初めて知りました」さわやかな笑顔の裏に隠されたもうひとつの顔。それは大人になっても変わらなかったようだ。心愛ちゃんが亡くなったマンションの住民はその印象を次のように語る。「父親は、廊下などですれ違うとき、柔和そうな笑顔を見せて挨拶してきて、虐待をするような人間には見えませんでした。昨年12月には『このマンションの冬は寒いですよね』と笑いながら挨拶してきたんです。そんな彼が、冷たい風呂場で心愛ちゃんに水をかけていたかと思うと……」一方、なぎさ容疑者は夫の虐待に加担。体のアザから虐待が発覚することを恐れた夫の命令で、事件の1カ月前から、監視するなどして、心愛ちゃんを家の外に出さなくなった。虐待心理研究所の岡田ユキさんがこう分析する。「日常的な夫からの暴力によって、妻が支配されることは珍しいケースではありません。力や恐怖で押さえつける夫婦関係であれば、夫に従うことが当たり前になり、疑問を感じなくなります。しかも、最初に妻が暴力を受けて、ほこ先が子どもに向けられた場合、少なくとも子どもが殴られているときは“自分は安心”と考えてしまうこともあるのです」栗原夫妻について、前出のマンションの住人が語る。「父親は身長180センチほどですが威圧感があるというタイプではありません。母親は150センチぐらいと小柄で、いつも赤ちゃんを抱っこしていました。夫婦は、会えば、いつもおだやかな笑みを見せます。でも、事件の1週間前、買い物から帰ってきた夫婦と出くわしたときに、私がマンションのドアを開けて入れてあげたんですが、2人とも恐ろしい顔をしながら無言で通り過ぎていきました。これまでと違う夫婦の表情に、こんな一面があるのかと驚いたんです」事件現場となった自宅マンション前には現在、多くの花とお菓子が供えられていた。
2019年02月15日連載時から大胆に改稿し、できあがった大長編『熱帯』は、森見登美彦さんご自身も“怪作”と言い切る、2018年の目玉と呼べる一冊だ。幻の本に魅入られた人々の「読む/書く」をめぐる冒険奇譚。作家の〈私〉は、ふと学生時代に出合った佐山尚一の『熱帯』という小説を思い出す。大切に読もうと思っていた〈私〉の元から忽然と消え、以来、図書館や古書店を探し歩いても見つからない謎の本。その奇書をめぐり、物語は進んでいく。「単行本化に取りかかるタイミングで『千一夜物語』を初めて読んでみたんですね。200話ほどしかなかった原型が、勝手に付け加えられて増えたり、バージョン違いが生まれたりと、成り立ちも含めて面白いと思ったんです。最初は、’80年代の京都を舞台に、作中作である『熱帯』の内容や誕生の経緯を書くのだろうと考えていたのですが、影響を受けてどんどん膨らみ、“謎の本”についてより深く考えることになりました」〈この本を最後まで読んだ人間はいない〉等、噂を聞けば聞くほど、『熱帯』についても、著者の佐山尚一についても、知りたくなると同時に、よくもこんな風変わりな物語を思いつくものだと、作家としての森見さんを、謎多き作家・佐山尚一に重ねてみたくなる。「彼は、この世界のどこかに穴があって、その向こう側に心惹かれるような人物ではあるので、そのメンタリティは僕自身と重なる部分かもしれません。実は、佐山尚一は平凡なようでいて、ネットなどで調べても、同姓同名の人が全然引っかからなかった名前なんです。自分が作り出したことで、初めてこの世に出てきた存在だと思うと興味深いですね」登場人物たちが、読書とは何かと考察する丁々発止も楽しい。突き詰めていく場面も出てくる。たとえば、同じ小説を読んでも人によって解釈はいろいろなのに、みな同じ一冊を読んでいるといえるのだろうか。「そもそも『熱帯』という魔術的な小説のことを書かなくてはいけない。それに重ねて、読書についてや、断片的な妄想が小説という形になっていく自分の小説が生まれてくる過程を、小説にしようとも考えていました。複雑に考えすぎて、納得できる形になるまで試行錯誤の連続。担当編集さんは、書き終わらなかった別バージョンの『熱帯』を山のようにお持ちです(笑)」もりみ・とみひこ1979年、奈良県生まれ。京都大学大学院農学研究科修士課程修了。2003年、『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞、’07年『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を受賞。『熱帯』Amazonには佐山尚一の古書が用意され、作中の古書店「暴夜(アラビヤ)書房」プロジェクトも進行中。本好きの心をくすぐる仕掛けも。文藝春秋1700円※『anan』2018年12月19日号より。写真・土佐麻理子(森見さん)大嶋千尋(本)インタビュー、文・三浦天紗子(by anan編集部)
2018年12月13日入園してやっと幼稚園に慣れたものの、長い夏休みを経て、久しぶりの幼稚園に登園渋りをする子も少なくないですよね。我が家の次男も今年入園し、登園渋りが続いています。前日の夜から「幼稚園に行きたくない」と言い出し、朝は制服に着替えがるのを嫌がり、幼稚園に到着すれば大泣き。一旦上靴を脱いで靴箱に入れるものの、やっぱり嫌になってギャーギャー泣きながら裸足のまま逃走…なんてことも少なくありません。長男のときにも登園渋りを経験しているので、怒っても仕方ないことはわかっていました。抱っこしたり頭を撫でながら「頑張れ」と次男に声をかけたのですが、その様子を見た先輩ママが、ある言葉を次男にかけてくれました。焦っていた自分に気付かされたその先輩ママは次男に、「泣いてもいいんだよ、もう十分頑張ってるもんね。頑張らなくていいよ、ママと離れるのって寂しいよね」と声をかけてくれました。そこで筆者は、自分が焦っていることに気付かされました。頭の中では、「大人だって入学や入社に緊張するのだから、人生初めての社会進出はとてつもない緊張に違いない。どんなに泣いても、抱っこして安心させてあげて送り出そう」と思っていたはずです。しかし実際は、「頑張れ」と声をかける時点で、次男に「早く幼稚園に慣れて、泣かないで登園してほしい」と焦りを感じていたことに気付かされました。子どもが泣くのをやめると決める日まで付き合おう登園渋りをしている子どもは、既に十分頑張っています。頑張っているけれどやっぱりママと離れたくなくて、「行きたくない」と気持ちを言葉にしてみたり、着替えないなどの行動をとったりするのです。その表現方法はその子によって異なりますが、赤ちゃんの頃に比べたら、随分と自分の意志をアピールする術を身につけましたよね。これが年長まで登園渋りするのかというと、そんなことはありません。「ママと離れて幼稚園で遊ぼう」と子どもが自分で心に決め、登園渋りを止める日がいつか必ずくるのです。その時期を決めるのは、子ども自身。親が焦って怒るという形で介入してしまうと、逆に子どもの重荷になってしまいます。子どもが泣くのをやめると決める日までは、泣きたい気持ちに共感して付き合ってあげましょう。ママとしては朝から心が痛いですし、大変な思いもしますよね。自分へのご褒美や労わりも忘れずに、2学期も無理をしないでいきましょうね。PHOTO/Fotolia
2018年09月03日“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。〜「52歳・女性」のお悩み〜当たりハズレが大きいけど、概ね楽しく読んでます。男も女も行き着くところはとてもシンプルな思いなのかなぁと思わせてくれるのが良いですね。全部失っても受け入れられるか?腹括れるか?半年かかったところで、未だ微熱に浮かれているオンナと、平熱、平常心に戻って生活を乱さぬように調整するオトコのせめぎ合い。で、かれこれ一年と半年。オトコの平常心の愛ってなんじゃろ?最初は彼の分母に含まれていないのが存在意義だったハズなのに、気がつくと含まれて埋もれているのが少し不満だったりするのでした。信じることなく愛するって難しいね。〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜「全部失っても受け入れられるか?腹括れるか?」この部分から不倫のご相談かなと思いましたが、それなら「人生の折り返し地点を過ぎて不倫する場合は、ふたりとも調整能力に長けるほどの冷静さを持たないと、不倫を長くじっくり味わうことができない」という永遠の真理があるのみ、ということじゃないでしょうか。200歳くらいまで生きられるのであれば、50歳くらいで不倫して仮にすべてを失ったとしても十分やり直しがきくわけですが。でですね、不倫に限定しないお答えとして、以下をご用意させていただきました。男の平常心の愛って、ある程度はその男性が持っている少年性の量に左右されるものじゃないかなと思います。少年性というのは、クリエイティビティ―&イマジネーションということです。僕は近所の居酒屋や寿司屋などで、誰と誰が付き合っているということを知ってしまうくらい、何人かの50~60代の人たちと親しくさせていただいていますが、誰かに恋したら微熱に浮かれる男性って、持っている少年性の量が多いように見受けられます。イマジネーション&クリエイティビティって、その人の職業とあまり関係ないこともありますが、話をわかりやすくするために職業名を出すと、たとえば大企業の総務課長みたいにカタい仕事をしている人って、彼女と毎晩のように寿司屋のカウンターにいても、わりと平常心というか、しれっとしています。彼の心は微熱を帯びているのかもしれないけれど、それを表に出すことは、ほぼない。イマジネーションとクリエイティビティがないと食っていけない仕事をしている人――たとえば大学や企業の研究室で何らかの研究をしている人とか、会社をいくつも立ち上げていたりする人は、交際1年であろうと3年であろうと、彼女と微熱に包まれつつ寿司屋のカウンターで楽しくやっているように見えるんですよね。ただし、少年性の量が多めと思しき男性であっても、女性から見たら平熱&平常心に見えるのかもしれないなあとも思います。その理由はおそらく1つしかなくて、男の人って、人生というものを女性より深刻に捉えがちだからですよ。また、深刻に捉えることこそが、彼らに「生きている心地」を与えているからです。たとえばエッチのとき、女性はイク感覚を「ジェットコースターが急降下する感じ」と言ったりしますよね。そしてそういう感覚が好きだと。快感だと。男性で「イクとき、ジェットコースターが急降下する感じがする」と言っている人っていないし、生活の中でそういう感覚を覚えることもあまりない。あるとすれば、明日にも会社が倒産してしまうというような強烈な危機感を覚えた瞬間くらいでは?男性はどんなに彼女のことが好きでも、寄って立つ大地から両足を離せない(離したくない)という生理的な感覚を持っているのでしょう。思えば、小学生くらいから、男女のこういう違いは顕著だったように思います。女子は誰かに恋したらキラキラがダダ漏れになって、さらに友達や親に「わたし、あの子のことが好き」なんて言って、それを聞いた人が恋の応援をしてくれる。応援してくれないまでも微笑ましく見つめてくれる。対して男は……小学生の頃のことは忘れましたが、高校生にもなると、恋愛に浮かれそうな自分を自制しつつも、そういう態度が表に出ちゃって、「恋愛なんかしてないで勉強しなさい」と親に頭を叩かれて、結局煮え切らないまま卒業してしまった、じゃなかったでしたっけ?こういうことを経て、微熱気味な女性と平熱の男性が生まれてきたんじゃなかったでしたっけ?ちなみに平熱の男性は、彼女が微熱気味であることを知ると、おおいに歓喜&安心します。「彼女はまだおれのことを愛してくれている」と嬉しく思うのです。「おれが寄って立つ大地は盤石なものである」と安心するのです。相手のわかりやすい態度を見て安心することで、生きている心地を得ようとするのもまた、男の特徴なんですよね。この男の特徴を信じていれば、愛することはたやすい。(ひとみしょう/文筆家)
2018年06月30日ウーマンエキサイトで人気連載中のちゅいママさんの記事 「登園で泣く子どもへの対応は〇〇に尽きる!」 で、登園しぶりについてのアンケートを実施。どんなふうに登園を渋るのかというエピソードから、現在登園しぶり真っ最中のママの心境を語る声や、登園しぶりを卒業して懐かしむコメントも集まりました。ママにとっては、早く終わって欲しい登園しぶり。でも、「ママと離れたくない!」と泣きじゃくる子どもの姿は、終わってしまえば見られなくなる“愛おしい姿”でもあります。■60%以上のママが登園しぶりで悩んでいる!みなさんのお子さんは登園しぶりの経験、ありますか? アンケート結果では登園しぶりが「よくある」「たまにある」と答えた人は66%いました。まただれもが一度は通る道…と思っていましたが、意外にも「ほとんどない」「全くない」が33%もいることがわかりました。「どれくらい続きましたか」の問いには、そのうち約半数が1ヶ月以内でおさまるものの、「1年以上続いた」が13%と、子どもによって個人差があることがわかります。Q1.子どもが、保育園、幼稚園に「行きたくない」と言うことはありますか? よくある 39%たまにある 27%ほとんどない 16%全くない 17%その他 1%Q2.登園渋りはどのぐらい続きましたか? 数日~1週間 25%1ヶ月 20%3ヶ月 9%半年 5%1年 4%1年以上 13%その他 24%■登園しぶりエピソード! ウチの子はこんなことしていました一言に“登園しぶり”と言っても、子どもたちはどんな様子なのでしょうか。毎日「幼稚園イヤ!」と叫ばれながら通園したという方もいらっしゃいました。甘えん坊で繊細だった長男は、幼稚園で初めて母子分離を経験し入園2、3日目から「幼稚園行かないー!」と大騒ぎするようになりました。登園時はもちろん、帰宅してからもずっとグズグズ…。食べるのが大好きのぽっちゃりさんでしたが、食欲もなくなり泣きすぎて嘔吐することもあり、見ていてとてもつらかったです。でも1ヶ月もすると落ちついていき、心配していた夏休み明けからはなぜか幼稚園大好きになりました。好きな絵本があった…お友達ができた…幼稚園が楽しくなるたくさんのきっかけがあったようです。次女が入園当初、それはそれは悲惨でした…。主人とふたりがかり、いや長女の手も借り3人がかりで朝の身支度。靴は片方を履かせてもう片方を履かせてる間に片方を脱ぎ、遠くに投げる…で私が拾いに行く、を繰り返し。結局、パパが抱き抱え、私が荷物を持ち、バス停まで送ってました。パパが朝いないときは、年長さんだった長女が荷物を持ってくれたり、かなり助けてもらいました。バス担当の先生にも活きのいい鮮魚のように抱えられバスに乗って行ってました。それが1ヶ月は続いたので心折れそうでした。思わずママとお子さんに、「お疲れさま!」と声を掛けたくなるエピソードばかりです。しかし、今回のアンケートで集まったエピソードからわかったのは、「登園しぶりをする」子どもの多くが、ママと別れて数分泣いたあとは泣き止んでいるらしいということ。そして、お迎えに行くと笑顔で帰ってくること。つまり、「ママと別れる」瞬間がイヤなのであって、幼稚園や保育園自体が嫌いなわけではないと言えそうです。■ママがイライラ、うんざり…。他の子は大丈夫なのに「すぐ泣き止んでいる」と先生から聞いたとしても、見送りのときに泣かれるのはつらいことですよね。これが1日だけでなく、数日、または1ヶ月、数ヶ月、1年と続いたら…、と考えると心が重くなります。保育園に0歳から預けているのに結局卒園する6歳まで毎日泣き喚き続けました。もはやかわいそうと思うよりウンザリ。毎日イライラし、小学校がどうなるか苦痛でしたが、不思議なもので小学校になったらパタリとグズらず行けるようになりました! いまでは娘の鉄板ネタの笑い話です。幼稚園の駐車場で、屁理屈こねて車から降りようとしない息子に本気で私が泣いてしまった。怒りたくないけど怒りそうになってしまい、どうしたらいいのか分からず感情があふれてしまった感じ。いまでは笑い話です。「今日はお休みする。 明日からは行ける。今日はお休みの電話して」と毎朝のように言われます。夜も「明日幼稚園お休みする、お母さんいないと寂しい…」と、寝る前に押し殺したような感じで嗚咽しながら泣くわが子を見ると、あと1年くらい先でも良かったんじゃないか…、幼稚園が合ってないのかな…と不安になってしまいます。が、毎朝あの手この手でなんとか先生に説得され幼稚園に行くと、帰って来たときには楽しそうなので、一旦ほっとしますが、また夜に行かないコール再開です。登園をイヤがって泣いているのに、教室に入れなければならない…。「ママの方が泣きたい…」なんて思ってしまうのは当然ですよね。そして響き渡る泣き声に、周りの視線も気になってしまいます。ちゅいママさんの記事にもあるように、「ここまでして預ける必要があるのか」と悩んでしまうママも多くいるようです。「息子を泣かせてまでしないといけない仕事なのか」と、毎日悩み続けたママが、初めて泣かずに笑ってバイバイしてくれたときに泣いてしまったというエピソードは、ママの罪悪感と安心した気持ちが一気にあふれ出てしまった瞬間なのでしょう。通わせることが“エゴ”なのではないかと自分を責めてしまったり、「このまま登園しぶりが続いたらどうしよう…」「小学校の不登校につながるんじゃないか」など、登園しぶりによって、ママは先のことまで考えてしまって自分を追い込んでしまうこともあるようです。■小さくてもがんばって登園する子どもたち一方で、登園しぶりをしている子どもたちは、どんな想いを抱えているのでしょうか。毎日3年間寝る前になると、「明日幼稚園に行きたくないな…。ママがいないのが嫌」と言い続けたという女の子のエピソードには、そんなことを言う娘ちゃんにも、それを聞き続けたママにも涙が出そうになります。幼稚園が近づくと「バイバイしないで、置いていかないで」と言って着くと号泣して先生に押し付けて帰る状態でした。「今日も幼稚園行きたくないな」と言った日の朝、「お母さんも離れるの寂しいな」と言ってみたら、「大丈夫だよ! ●●ちゃん幼稚園行けるよ!」と突然前向きになり、その日から笑顔でバイバイタッチできるようになりました。預けられる不安と離れる寂しさを共感してもらえて気持ちに整理がついたようでした。最初の頃は、教室のドア近くに自分でイスを持って行って座り、「ママが来るか、ここで見とく」と、給食までずっとドア近くにいたらしいです。このことを思い出すと今でも涙が出ます。「子どもってなんて純粋でけなげなんだろう!」と思えるエピソードが多数寄せられました。彼らは心細いながらも園でがんばって過ごしているんですよね。そして、それをママに知って欲しい、と思っているのではないでしょうか。家を出るとき、帰ってきたときは、まずはたくさん褒めて話を聞き、たっぷりスキンシップしてあげて欲しいと思います。■登園しぶりがないとママがさみしい?今回のアンケートで33%の方からは「登園しぶりがない」という回答がありました。“渋られているママ”から見ればうらやましい限りですが、当の“渋られないママたち”は、逆にさびしい気持ちをお持ちのようです。わが家の年中&年少男子コンビは、初登園からいままで、幼稚園行きたくないとぐずったことは一度もありません。逆に、長期休みなどに入ると「幼稚園行きたい~! あと何回寝たら幼稚園行けるの?」と泣いてしまうぐらい…。まわりのお母さんからは、たくましくてうらやましい!と言われ、私もその場では「楽でいいよ!」と言っています。が、心の底では少しぐらい泣いてほしい…。入園前にママと2人で過ごした毎日、そんなに退屈だった?と悲しくなります(笑)。泣かれてもつらいが、少しぐらい別れを惜しんで泣いてほしいと思ってしまう勝手な母親です。たしかにママと別れるのに寂しがってくれないと、ママとしては少し悲しくなりますね。でも、それだけ園生活が楽しく、スムーズに慣れることができたという証拠。子どもにとって大きな成長ですから喜びたいところ。しかし、登園しぶりはしないものの、ママの知らないところで寂しがっているケースもあるようです。登園しぶりはなく園にも行きたがるタイプだったのですが…。じつはお友だちのお母さんがたに教えていただいて知りました。私の前では泣かずとも、私が帰ったあと教室でシクシクと静かに涙を流していたそうです。私の前では泣いたり、「行かない!」ってこともまったくなく、むしろ「行ってきまーす! ママ早く行って~」と帰らされることもあったくらいだったので、とてもびっくりしました。そうやって泣いていたのも数日だったらしいのですが、私の前では強がっていたのかな? と思うとかわいく思えました。ママの前では泣かない! とガマンしていたのかも。まだ幼いのに、そんな気遣いもできてしまうお子さんがいるなんて…感心してしまいます。■こんな理由で登園しぶりが解消?登園しぶりは困るものではありますが、永遠に続くものではありません。どんな対策やキッカケで終わるものなのでしょうか? ◎パパに送ってもらう「夫が連れて行ったときの方が断然スムーズです」と保育園の先生から聞いて、夫に朝の送りは極力お願いしています(現在進行形)。夫は子どもに対して塩対応過ぎるのではないかと日ごろは不安になりますが、そこが登園しぶりを早々卒業できた理由のような気もします。園の生活に慣れて楽しく過ごす時間が少しでも多くなるよう、時と場合によっては塩対応もありなのかなぁなんて思います。◎先生とタッグを組む先生にお芝居をお願いしました。私(お母さん)が子どもに「『今日はママが一緒に保育所行ける日ですか?(参観日)』って先生に聞いてみるよ!」など言いながら連れて行き、先生には「今日は難しいんですよー。太郎くんごめんよ! 今日は無理なんだけど、また一緒に来られる日作っておくからね!」と言ってもらったり。子どもも、先生の言うことなら聞くことができたり、自分の要望を頭ごなしに否定されているわけでもないので。私自身も(先生に)話に付き合ってもらえてうれしかった。◎言い聞かせで娘が決心!娘が年中さんで突然登園しぶり。ベテランの担任の先生に毎日抱っこされて引き離してもらってました。年長になってからも続いたので、いつまでも先生に頼っていられない状況に。ある日の夜お風呂に入りながら、「来年から小学生だね。もう泣いて登園はおしまいにしようね」と話し、娘と相談。いままで一緒に寝ていたのを、その日の内から娘はひとりで寝起きし、登園しぶりはなくなりました。◎自分の意思で登園しぶりを卒業!長男が幼稚園に行き始めたとき、「これが毎日続くんだ!」と本人が悟った1週間後から毎日のように泣き始めました。ほかの子がどんどん泣かなくなっていっても、毎日毎日泣き続ける…結局半年以上泣きながらの登園でした。「いつまで泣くの?」と本人に聞いたら「4歳になったらもう泣かない」と宣言。誕生日月の10月に入った途端に、自分の意思でぴたりと泣き止みました(笑)。十分泣いたので、それ以降は幼稚園イヤということもなく卒園まで笑顔で通えました。今となっては良い思い出。子どもの計り知れないパワーを感じるエピソードです。夫や先生に協力してもらいながら、その子に合った時期と方法で“笑顔で登園できる日”が来るといいですよね。■ママ大好きだから登園しぶりが起こる?子育てで「やってはいけない」と思いながらついやってしまうのが、“ほかの子との比較”。「みんなが楽しそうに通園しているのに、なぜうちの子だけできないんだろう…」と、失望してしまうママも。でも、登園しぶりは多くのママが経験していることで、けっして自分の子どもだけができないというわけではありません。まだまだ小さくて甘えたい盛り。登園しぶりは「ママと離れたくない」=「ママ大好き!」という気持ちの表れと言っていいと思います。もちろん登園しぶりをしていない子も、ママのことが大好き。でも、気持ちの表し方が違うのだろうと思います。「しぶりがない子」でも園生活で苦手なことはあるだろうし、いつも笑顔で登園できているわけではないでしょう。新生活に慣れるのが早い子、遅い子といるでしょうし、園で“自分の好きなもの”や“モチベーションが上がるもの”に早く出会えれば、すんなりしぶりがなくなる可能性もあります。つまり、登園しぶりも子どもの性格や個性によるところが大きいということ。ちゅいママさんが言うように、「朝いつまで泣き続けるかも、その子それぞれ。誰かと比べて落ち込んだり、責めたりしなくて大丈夫」。親のことが恋しくて大泣きするなんて、きっといまだけ。そう思ったら、少し気持ちが軽くなるのではないでしょうか。つらい時期だと思いますが、その泣き顔もしっかり目に焼き付けておこう! ぐらいの余裕を持てるといいですね。Q1.子どもが、保育園、幼稚園に「行きたくない」と言うことはありますか? 回答数:614Q2.登園渋りはどのぐらい続きましたか?回答数:537Q3.登園渋りに関するエピソードがあれば教えてください 回答数:174(アンケート集計期間:2018/5/24~2018/5/28)
2018年06月07日4月は、入園・入学・進級といった新生活でバタバタとあわただしく過ぎていき、ホッと一息つけるのがGW。子どもと一緒にゆっくり過ごし、「さあ、“日常”の再開だ!」と気合いを入れた時に大きな壁として立ちはだかるのが、GW明けの登園しぶりです…。「やっと泣かずに通えるようになったと思ったのに、また振り出し?!」とがっくりきてしまうママパパも多いでしょう。この時期の登園しぶりの乗り越え方をご紹介します。■GW明けの登園しぶり、その原因は?GW明けは登園しぶりが起こりやすい時期です。その原因は、せっかく新しい環境に慣れてきたところに、また長いお休みが入り、子どもの気持ちがリセットされてしまうから。特に、4月入園のお子さんはまだ園生活が1カ月足らずなので、リセットされやすいといえるでしょう。4月から毎日通って、なんとなく「幼稚園保育園って楽しいかも?」「ママパパは必ずお迎えにきてくれるから大丈夫かも」と、子どもが半信半疑ながらも思い始めてきたところで訪れるGW。この長期休暇で、「やっぱりママパパと一緒が1番!」と、子どもは入園前の気持ちに戻ってしまい、「園で頑張ろう」と思っていたやる気がなくなってしまうのです。ママやパパからすれば、「泣かずに通えるようになっていたのにどうして?」と困惑してしまうところですよね。でも、子どもはGWがどういったものなのかわかりませんから、「またママパパとずっと一緒にいられると思ったのに、やっぱり園に行かないといけないの?」と、生活の変化についていけず悲しい気持ちになるのでしょう。そのため、4月当初よりも大きな声で泣くようになったり、以前は大丈夫だったのにGW明けから突然泣くようになったりと、登園しぶりがひどくなる場合もあるようです。送り出す身もつらい登園しぶり。でも、ご安心ください。GW明けの登園しぶりは、入園時よりも短い期間で終わるケースが多いようです。「ママやパパと一緒にいたい!」と泣いても、実はもう、子ども自身は幼稚園や保育園が楽しいところだとわかっているからです。数日〜1週間程度で落ち着くことが多いので、寄り添いながら見守ってあげましょう。 ■おうちでできる「登園しぶり予防」のコツおうちでできることは、4月当初の登園しぶりの時と同様に「ママやパパは必ずお迎えに行くから、園で楽しく遊んできてね」と伝えることです。GW明けには、「これまでも毎日ちゃんとお迎えに行ったでしょ?」と4月のことを思い出させてあげるのもいいでしょう。園での楽しかった出来事を思い出しながら一緒に話すのも効果がありますよ。また、これからの園行事などを「楽しみだね」と話すのもおすすめ。ママパパが「また泣かない? 大丈夫?」と心配そうな顔で話すと子どもも不安になってしまいます。いつもニコニコしながら、ママパパ自身も園が始まることを楽しみにしている様子を見せながら、おうちで過ごすように心がけてくださいね。■泣こうがわめこうが、なるべく早く立ち去る!幼稚園や保育園まで行ってからできる対処法はひとつ。先生を信じて預け、とにかく早く立ち去ることです。ついついわが子が泣いていると、後ろ髪をひかれ泣きやまそうとしてしまいますよね。その場で抱っこしたりあやしたりしたくなりますが、それはNG。ママがやさしくかまってあげればあげるほど、子どもは離れたくなくて、さらに大きな声で泣いてしまいます。ギャン泣きしてしまう子ほど、先生にサッと預けてパパッと立ち去るほうが、子どもも気持ちを早く切り替えられるのでおすすめです。先生たちはプロです。GW明けの登園しぶりのこともよーく知っています。子どもにどう接したら気がまぎれていくのか、園生活を楽しめるようになるのか、先生たちはわかっているので、全面的にお任せしてしまいましょう。せっかく慣れてきたと思って安心していたところで起こるGW明けの登園しぶり。GW前は泣かなくなっていたのなら、今回の登園しぶりもすぐに終わりを迎えるはずです。「離れるのを嫌がって泣いてくれるのも今だけ」「大きくなったら一緒にいてくれなくなるんだし…」と自分を奮い立たせながら、GW明けの登園しぶり、乗り越えていきましょう!
2018年05月05日大人もダラダラと過ごしがちな正月休み。年末年始の慌ただしいような、ゆったりしているような空気に浸りすぎると、お休み明けの仕事がつらいですよね。その思いは子どもも同じです。それまでニコニコ通っていたのに、長い休み明けには、子どもが突然泣きじゃくって登園をしぶるようになるケースが見られます。登園しぶりは親にとってもつらいもの。そんな時にどうすればいいのか、解説しましょう。■第1関門:泣いてもごねても、何とか園までたどり着こう!保育園でも幼稚園でも、預けはじめの頃は大泣きする子も多くいます。また、4月入所・入園の子の場合、5月のゴールデンウィークにママとパパがお休みで一緒に長時間過ごしてしまうと、また一からのスタートになってしまうことも。そんな時期を過ぎ、ニコニコしながら子どもが通えるようになって、親が油断している頃に迎えるお正月明け。登園しぶり再び! です。「行きたくない」と玄関で駄々をこねて靴をはかなかったり、保育園や幼稚園の門でジタバタして入ろうとしなかったり。大泣きのわが子を見ると、かわいそうやら早く預けてしまいたいやら、親心も複雑です。正月明けの登園しぶりであっても、基本は預けはじめの頃と同じです。泣いても心を鬼にして残して行きましょう。ママやパパから離れない子は先生にはがしてもらい、「バイバイ」をします。保育園や幼稚園まで連れて行けば、先生という強い味方がいるので、そこを目指してなんとか家を出て向かってくださいね。登園しぶりが心配な時には、できればいつもより余裕をもって早めに行動しておくと、イライラせずに対応できるのでおすすめです。■第2関門:心を鬼にして、さっさと立ち去り振り返らない!泣きじゃくるわが子を置いて去るのはとてもつらいものです。でも、後ろ髪をどんなに引かれても、登園をしぶっている時には振り返らないようにしましょう。ほとんどの子が保育園や幼稚園に着いてママやパパから離れたら、もう諦めなければならないことはわかっています。「ママ〜!」と泣いていても、心は半分以上、園へ向いているものです。そんな時に、ママが振り返って顔を見せてしまうと、また「やっぱりママがいい〜」と気持ちがぶり返してしまいます。預けた途端、子どもが泣きやむこともあります。泣き声が聞こえなくなって「あれ?」と振り返ってしまいたくなる気持ちもよくわかります! でも、泣きやんでも子どもはこちらをジッと見ていることも。ママが振り返った途端、また泣き始める可能性もあるので、「泣きやんだのは、子どもが気持ちを切り替えられた証拠」と思って、振り返らずに外へ出てしまいましょう。 ■第3関門:誰も悪くない! 先生にどんとお任せしよう子どもを預ける時に泣かれると、「こんなに泣かせてまで仕事をする意味はあるんだろうか?」「ここまで泣くなら、お休みさせたほうがいいんじゃないか?」と考えてしまいますよね。何日も続けて泣かれてしまうと、預ける自分が悪いんじゃないかと責めてしまう方も多いのではないでしょうか。預けることは悪いことでもなんでもありません。保育園でも幼稚園でも、ママやパパから離れて過ごすことで、多くのことを子どもは吸収しています。また、案外子どもは、ママやパパから離れればケロッとして楽しく遊んでいることがほとんどです。先生はプロなので、そのままお任せしましょう。登園をしぶっても、心を鬼にして振り返らずに去ることは悪いことではありません。もし、登園時に少し時間があれば、離れる前にギュッと抱きしめてあげてください。「5つ数えてギュっとしたらバイバイね」と秒数を決めて抱きしめてあげると、すんなりお部屋に入ってくれることも。たとえ、それで離れなかったとしても、ママやパパがギュッとしてくれたことを子どもは覚えているので、安心感をもって保育園や幼稚園で過ごせるようになりますよ。ママやパパもつらい登園しぶり。お正月明けの登園しぶりは数日でおさまることが多いので、少しの辛抱と思ってパッと離れるように乗り切っていきましょう!
2018年01月08日ハンガリー映画『心と体と』が、2018年4月14日(土)より新宿シネマカリテ、池袋シネマ・ロサほか全国にて順次公開される。“同じ夢”を見た男女、幻想的な愛と孤独の物語物語の舞台は、ハンガリー・ブダペスト郊外の食肉処理場。主人公は、コミュニケーションが苦手で職場になじめない代理職員のマーリア。もう一人の主人公であり、片手が不自由な上司のエンドレは、彼女を気に掛けるが、二人はうまく噛み合わない。そんな不器用な二人が急接近するきっかけは「同じ夢を見た」ことだった。情緒漂う雪山で神々しさすら放つ「鹿」の夢。なぜ二人は同じ夢を見たのか?現実と夢が混じり合う幻想的なタッチで描く、孤独な男女の少し不思議で刺激的なラブストーリー。ハンガリーの鬼才、イルディコー・エニェディが監督監督を務めたのは、長編デビュー作『私の20世紀』(89)がカンヌ国際映画祭でカメラドール(最優秀新人賞)を受賞した、ハンガリーの鬼才イルディコー・エニェディ。彼女が長いブランクを経て製作した18年間ぶりの長編映画となる本作は、ベルリン国際映画祭において最高賞の金熊賞を含む4冠を達成。さらに、本年度アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされているほか、ヨーロッパ映画賞で主演のアレクサンドラ・ボルベーイが最優秀女優賞を獲得するなど、賞レースで快進撃を続けている。作品情報映画『心と体と』原題:Testről és lélekről/英題:On Body and Soul公開日:2018年4月14日(土) 新宿シネマカリテ、池袋シネマ・ロサほか全国にて順次公開監督・脚本:イルディコー・エニェディ出演:アレクサンドラ・ボルベーイ、ゲーザ・モルチャーニ、レーカ・テンキ、エルヴィン・ナジ2017© INFORG - M&M FILM
2017年12月28日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門があなたの相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「昔から自分のことが嫌い」という、まるさん(36歳・無職)に、心屋塾認定講師の大竹公子さんからアドバイスをいただきました。■まるさんのお悩み昔から自分のことが嫌いでたまりません。 中学受験をし、入学した学校では「隣人を自分のように愛しなさい。」との教育をうけました。 ですが、全く理解できずにいました。 むしろ、自分自身を愛せない人は、身近にいる友人や大切だと思っている人たちを、心から大切にできていないのではないか? 大切だと思っている感情は、うわべだけの偽物なのではないか、との思いにとらわれて、大変苦しみました。 また、自分を否定している状態では、最後は大切にしている人たちをむやみに傷つけてしまうのではないか、との不安から、自分自身の気持ちではなく、良い子と思われる行動をしてしまいます。 現在も自分を肯定できずにいます。 どうしたら、自分を認めてあげることができますか?※一部、質問内容を編集しています。■心屋塾認定講師の大竹公子さんよりまるさん、ご質問ありがとうございます。心屋認定講師&脱べきカウンセラーの大竹公子と申します。昔からご自分のことが嫌いなのですね。それはつらいですよね。私も心屋塾に出会うまでは自分のこと大嫌いでした。さて、まるさんはなぜご自分のことが嫌いなのでしょう? なぜ自分を肯定できないのでしょう? ご質問の文章の中に書かれてなかったので、私の例をお話しさせてもらいますね。私が自分自身のことを大嫌いだった理由は、性格も外見もダメだと思ってたからなんです。ネガティブな自分、真面目な自分、冗談が言えない自分、社交的でない自分、目が小さい自分、頭が大きい自分、足が短い自分、などなどなど。自分のすべてが欠点だらけで、何ひとつ良いところがない。そんな自分なんて大嫌い。この自分のダメなところを変えることができたら、自分のことが好きになれるはず!そう思い込んでました。つまり、「欠点がある→それはダメなこと→だから自分が嫌い→だから欠点を直さなきゃ」という考え方を持っていたのです。だけど残念ながら「自分を変えたい」と思ってるときは、変わらないんですよね。逆に「自分はこのままでOK」と心底思えたとき、自然と変わるんです。では、どうしたら「自分はこのままでOK」だと認めてあげられるのでしょうか?それには、3つ方法があります。(1)ダメ認定をしない(2)自分だけだと思わない(3)あきらめる(1)ダメ認定をしない例えば「ネガティブ」であることをダメだと認定している場合。「ネガティブ」を良い方に解釈すると「思慮深い」だとか、「危機意識がある」になりますよね。そんなふうに、ものごとにはいろんな側面がありますので、ダメなことだと決めつけなくていいのです。(2)自分だけだと思わない人は、他の人と違うことをダメだと思うことがあります。世界中の人がネガティブだったら、自分のネガティブさは気にならないはず。だけど「自分だけがネガティブ」だと思うとつらくなるのです。意外と人は同じだったりしますよ。(3)あきらめるこの方法は、「自分はネガティブなんだー」と開き直る感じです。それがダメだと思って変えなきゃと思うから、認められない。ならば、「はい、そうなんです!」とあきらめてしまうのも有効です。どうでしょう、まるさんもできそうでしょうか?まるさんは「自分自身を愛せない人は、身近にいる友人や大切だと思っている人たちを、心から大切にできていないのではないか?」と苦しまれたのですよね。私はこの文章を読んで、まるさんがご友人や大切な人をとても愛している優しい方なんだなぁと思いました。もし愛してなかったら、大切にしてなかったら、そんなことで苦しまないですよ。そして、まるさんは人を愛しているように、実はご自分のことも愛しているのです。自分のことが嫌い=自分自身を愛せない、と思っていらっしゃるかもしれませんね。だけど、本当は「好き」と「嫌い」が両方あっての「愛してる」なんです。「愛情の反対は無関心」という言葉を聞いたことありませんか? 「嫌い」と思えるのは、愛しているからこそなんです。自分のことが嫌いなのは、もっとステキな自分になりたい! もっと自分を幸せにしてあげたい! という愛情があるから。だからこそ、こうやって貴重な時間を割いてご質問くださったのだと思います。それは、ご自分のことを愛しているからなんですよ。そのご自分への愛に気付いてあげてくださいね。まるさんを心から応援しています。 ・このカウンセラーのサイトを見る
2017年09月14日突然出てきた多動行動と登園拒否我が家の長男・キョウタにはADHDの診断があります。幼稚園に入園したての年少時代は、落ち着きがなく園の先生に色々注意される日々…。でも年中にあがると少しずつ行動に落ち着きが見られ、年長ではほとんど問題なく過ごすことができていました。ところが、順調に過ごしているものだと思われていた年長の10月半ばのことです。Upload By ラム*カナ「キョウちゃん(長男)、最近ちょっと落ち着きのない日が増えてきて…。話を聞く時間も体ごと違う方向いちゃったり、ぼーっとすることが結構あるんです。声掛けすれば直るんですけどね…。」と言われました。落ち着いたと思っていた時期に、こういう注意を受けたことはショックでした。今までも、色んな課題に直面しながらも、ゆっくりとはいえ良い方向に向かっていたので、急に多動っぽさが増えてきたことにドキリとしたのです。もしかして、これを機にガクッと不安定な方向に突き進んでしまうのでは…Upload By ラム*カナそんな不安にかられました。しかも、同じ時期に急に登園拒否反応も出てきたのです。Upload By ラム*カナそれまでだって、楽しい気持ちで幼稚園に行っていたことなどなかったのですが、それでもスケジュールとして割り切って、がんばって行けていました。なのに、ここにきて、急に登園拒否…。この、10月半ばという時期は、運動会(←長男苦手なイベント)が終わってホッとしたところに、おゆうぎ会(←長男がもっと苦手なイベント)の練習が始まるときでもあり、小学校入学に向け、幼稚園も少しピリピリし始めて長男が感じるプレッシャーの種類も重さも増えた時期だったのかもしれません。なので、長男にとってのストレスが増え、行きたくない気持ちが増えたのかな?と思いました。行きたがらなくなった最初のうちは、朝「行きたくないなー」と少しぼやく程度だったのですが、日が経つにつれ、前の晩から「行きたくない…」と言うようになり、幼稚園に着いても車から降りたがらなくなり、クラス部屋まで歩くのにも泣くようになってしまいました。私がそのときやっていた対処法は、・「そうだよね、行きたくないんだよね。つらいよね。」と受容しながら登園を促す・「今日のお弁当にはキョウちゃんの好きなからあげ入れたよ!」「今日のお迎えはばぁばだよ!」などの、ちょっとした楽しみを用意する・月に1~2度幼稚園を休ませ、スペシャルデーを過ごさせる。(休ませる前に、「今日は特別だよ?明日は幼稚園だからね?」と説明してから。)というものでした。うまく気分が乗ることもありましたが、登園拒否は止まらず、私も頭を抱えてしまいました。ADHD長男の頭のなか私が長男を見ていていつも思うことは、Upload By ラム*カナ常に色々な考えや興味や好奇心がひしめきあってて、かつどんどん壮大に広がっていって、いつもフル回転なんだと思います。普段家にいるときも、独自で様々なゲームを考え作成し工夫をして楽しく遊び、次々に溢れるアイデアをどんどん発揮したいのが伺えるのです。そして、もともと持っている凄まじい体力もさらに向上し、いつまででも体を動かしていたい気持ちも感じられました。6歳というこの時期にとめどなく伸びる創造力や体力。広がる「たくさんのやりたいこと」。でも、幼稚園では決まったスケジュールがあり、自分のやりたいことができない…。もちろんそれは社会の一員として必要な過ごし方で、長男自身もわかっていること。だからこそ「やりたいこと」と「しなきゃいけないこと」の差が広がっていくツラさが、登園拒否というカタチで現れたのではと思ったりしました。臨床心理士さんに相談してみることにどんどん悪化する登園拒否反応に悩んだ末、地元の臨床心理士の先生に相談することにしました。この先生は、長男が3歳のとき落ち着きのなさが心配で最初に相談した先生であり、通っていた発達支援センターでも普段からお世話になっている先生でもありました。小さいときの長男のことも、私のことも知ってくださっているこの先生とどうしてもお話しがしたくなったのです。Upload By ラム*カナ今までの経緯を一通りお話しすると先生は、「そうかぁ、お母さんが思っている理由で合っていそうだね。でも、本人は何が嫌なのかきちんとわかっていないからツラいんだろうね…。だからと言って、毎日休ませることが最善なわけではないものね。やっぱりここは、気持ちを受容してあげてね。“そうだよね、行きたくないよね”って。長男くんは今までだって特に幼稚園に行きたくなかったけど、何かキッカケで、急にここにきて行きたくない気持ちを出してきたわけじゃない?しかもお母さんと離れたくないっていうかわいい理由でさ。だから“行きたくない気持ちを言ってくれてありがとう”って伝えてあげてね。」とおっしゃいました。え…っUpload By ラム*カナまさか、その部分にありがとうとは…!あまりの盲点箇所だったので驚きました。でも確かに、行きたくない気持ちを正直に表してくれることは、我慢して溜めてしまうことより何倍もありがたいことです。そしてそのあとも先生とお話しし、結論としては“気持ちを受容しながら登園を促す”が一番いいということになりました。(あくまで我が家の長男に対しては)気持ちを受容しただけですべてが解決するわけではないけれど、それでも一番近くにいる私が気持ちを理解してあげているだけでも不安の軽減にはつながるはず。もしかしたら、ちょっとした何気ないキッカケで気持ちが前向きに変わることがあるかもしれない…。ごほうびを用意してみた嫌がりながらも、登園やおゆうぎ会の練習をがんばっていた長男に、ひとつごほうびを用意してみました。それは、“おゆうぎ会が終わったら遊園地に行こう!”という約束です。そしてこんなものを作りました。Upload By ラム*カナ毎朝登園前にシールを貼ることにしたのです。Upload By ラム*カナUpload By ラム*カナUpload By ラム*カナこんな日を続け(大荒れの日もありましたが…)、どうにか登園とおゆうぎ会をがんばり、2学期を終えることができました。向き合って感じたこと大人だって、行きたくない仕事や、やりたくない家事…色々あります。子どもだって同じこと。ましてや平均の枠におさまりきれないADHDの子にしたら、毎日を周りのみんなと同じように過ごすだけでもかなりの気力を要しているはずです。そう思うと、しっかり登園拒否を示してくれたことは、本当にありがたかったなぁと思いました。そして、冬休みが明け3学期が始まったあと、思いのほか気持ちが安定し「ちぇ、幼稚園かー」くらいの嫌がりレベルで、どうにか卒園まで過ごせました。もしかしたら、ごほうびのディズニーランドや、間にあった冬休みで充電みたいなものができ、心の欠けていた何かが埋まったのかもしれません。本当のところはわかりませんが、前向きなキッカケになる何かが長男に降り注いだのは確かです。今後ももし課題に直面することがあっても、このときのやりとりを思い出し、家族で支えていければいいなぁと思っています。
2017年02月18日地震がおきたとき、どうするか。震災は身近なものであり、どうすべきかを子どもに伝えているご家庭も多いことでしょう。家庭での話し合いに加え、学校指導もあり心強くはありますが、「登下校中」についてはどうでしょうか。子どもが1人で登下校している最中に地震がきてしまったら…、対策は万全! とは言い切れないかもしれません。そこで今回は「登下校時」にポイントを絞り「何に注意して、どう動けばいいのか」という地震対策についてご紹介します。■地震発生! そのとき1番意識するべきことは?登下校中に地震が起きた! そんなとき、まずは自分の頭を守ることを意識しましょう。登下校中はランドセルを背負っているので、背中からおろして頭の上へ。ランドセルがない場合はリュックやバッグ、持ち物で構いません。とにかく「頭を守る意識」を持つことが大事なことを子どもに伝えてあげましょう。■ガラスやブロック塀… 上や横からの被害に注意する揺れによって上から落ちてくるものや、自分の方向に向かって倒れてくるものがないか、あたりを見回して注意します。具体的に落ちてくると予想されるのは電線、家の屋根瓦、割れたガラスなどです。自分の背丈より高い位置にあるブロック塀や家の外壁にも注意が必要です。また「倒れるわけがない」と子どもが思いこんでいる可能性の高いのが自動販売機や電柱です。車も大きな揺れで移動してくる場合があります。倒れてくる、移動してくる危険性があることを伝え、そばを離れるよう徹底しましょう。■日頃から安全な場所を、親子でチェックしておく自分の頭を守り、落下・倒れてくるものがないか注意しながら安全な場所に移動を始めます。安全な場所とは「ものが倒れてこない、落ちてこない場所」です。一般的には「広い空間」や「耐震性の高い場所」、津波の恐れがある場合は「高い建物」などですが、子どもは具体的なイメージができません。そこで、登下校ルートを一緒に歩いて確認してみるといいでしょう。たとえば歩いている最中に「今地震がきたらどこに逃げる?」などと子どもに語りかけ、避難場所を一緒に確認します。家と学校間の距離がそう離れていない場合は「ここまできたときに地震が起きたら家(学校)に避難してね」など、避難場所の区切りを教えてあげるのも分かりやすいかと思います。登下校中、どの場所にいても1人で判断できるように訓練しておくと、子ども自身も安心できるはずです。今回ご紹介した地震対策は登下校時だけでなく、子どもが放課後や休日に屋外で遊んでいる際にも役立ちます。知っておけば地震がきても冷静に、安心して行動できることを子どもたちに伝えてあげるといいですね。参考-/ 地震等災害発生時防災マニュアル
2017年02月04日【ママからのご相談】幼稚園年長の男の子を持つママです。春から小学校へ入学なのですが、今まで送迎は私が付き合っていたため、一人で登下校するのは初めてです。本当に一人でできるのか、違う道に行ってしまわないか……、心配でたまりません。 みなさんはどうでしたか?●A. 春休みに、親子で通学路チェックと、いざというときの約束事を決めましょう。こんにちは、ママライターの広瀬まおです。もうすぐ4月。新1年生は初めてママから離れて学校へ行きますね。幼稚園までは保護者同伴が基本でしたが、小学生になれば自分一人で学校へ行くもの。「ええ!?本当にできるの!?」と思うのもごもっとも。私は小学校2年生の娘がいますが、学校から距離があるためとても不安でした。初めての一人での登下校のために、必要なことをお教えします。●通学時間帯に危険ポイントを親子でチェック!春休みのあいだに、親子で通学路を確認しましょう。最初は集団登校の地域も多いでしょうが、できれば春休み中、毎日通学時間帯に通ること をお勧めします。時間帯によって変わる交通量を知ることができますし、親子で「ここは危ないね」「こっちの道は楽しそうだけど、おうちと違う方向に行ってしまうよ」など、危険ポイントをチェックできます。時間を計るのも忘れずに。親子で行くと親のペースになりがちですが、できるだけお子さんのペースにあわせて進むことで、「この子が通学にかかる時間は○分 」とめどを付けることができます。朝の登校で遅刻しないために、「最悪この時間までに出なくては」という目安にもなります。●いざ登校……子どもが帰ってこない!?さて、4月になり登校初日。学校からのプリントで、終了時間はわかります。初めての小学校はどうだったろうか、一人での登下校はどうだったろうか……とドキドキしながら子どもの帰宅を待ちます。「ただいまー!」の声は今か今かと待つと……。帰ってきません!子どもが小学校に在籍している保護者10名にアンケートをとったところ、「練習通りの時間で帰ってきた」という回答は5割。残り半分は、「練習した以上に時間をかけて帰ってきた」と答えています。わが家の場合は、練習では20分だったところを、50分かけて帰ってきました。お花を摘んでいたそうです。回答いただいた中で最大限に時間がかかったのは、学校から120mのお宅で2時間 。本人はまっすぐ帰っていたつもりのようですが、痺れを切らし覗き見ていた母親によると、虫と戯れながらゆっくりゆっくり進んでいたそうです。また、通学路以外の道を歩いていたケース も見受けられました。●行き違いを防ぐために、ルールを設けようこんなふうに、待てど暮らせど帰ってこないと不安になりますよね。そして怖いのが、“迎えに行った人と子どもがすれ違うこと ”です。これは初めての登下校に限ったことではありません。たとえば急な雨が降ってきたとき、傘を持って行こうとしたら下校中の子どもと行き違ってしまった、という事例もあります。そういうときのために、“約束”を決めておきましょう。・通学路をきちんと守ること・家に帰って鍵がかかっているときにはどうするか特に後者は子どもがパニックに陥りがちです。その場で待つのか、お隣さんや近所の親戚宅に行くのかなど、事前に決めておきましょう。楽しい新生活も、まずは安全の確保から。そのための準備を、春休みから始めましょう。●ライター/広瀬まお(コピーライター)
2016年03月27日寒い日々が続き、ついつい消極的になっていませんか? アクティブに動くことが億劫になるとなんとなく体が固くなって、気持ちも停滞したり、お肌も心も乾燥してしまいがち。どんな美人でも表情がとぼしく、カサカサしていては魅力半減! 心に栄養を、それもとびっきりのカンフル剤を与えて、心身に浴びる感動のシャワーでうるおいを甦らせましょう。愛と官能に効く特効薬の映画を3本ご紹介します。ドキドキとワクワクで、今まで自分でも気づいていなかった「うるおいスポット」を刺激されるかもしれませんよ。「レッド・バイオリン」の波乱に満ちた運命に心がヒリヒリする▼「レッド・バイオリン」監督:フランソワ・ジラール出演:サミュエル・L・ジャクソン, グレタ・スカッキ, ジェイソン・フレミング1681年にイタリアの名工ブソッティ(カルロ・チェッキ)が製作したレッド・バイオリンという名器がたどる歴史と、それが出品されるモントリオールのオークション会場の現代が交互に描かれます。生まれてくる息子のために心血を注いで作ったのに、出産時に、妻子は亡くなってしまいます。なぜ赤いのか? 誕生からして秘密めいたレッド・バイオリンが数奇な運命に操られ、伝説の名器に魅せられた人々は翻弄されていきます。オーストリアの修道院に併設された孤児院で、神童のテクニックを持つ少年が見出され、この楽器でウィーンの宮殿でのオーディションを受けたり、海を越えて英国のバイオリニスト・作曲家のポープ(ジェイソン・フレミング)の手に渡り、彼が演奏しながら恋人と愛し合い、「君の美しさが僕の奥から音楽を呼び起こす」と霊感を受けたり、文化大革命時の中国では、「西洋主義、打倒!」と、無残にも紅衛兵に焼かれてしまったり…。オークションには、修道層が電話で参加するほか、ポープ財団の学芸員、著名なバイオリニスト、中国人夫婦、鑑定士モリッツ(サミュエル・ジャクソン)らが参加。「これに出会えるとは! まさに究極の芸術品だ。“科学と美”の完全なる結婚が生み出した傑作」と感嘆するモリッツは、DNAテストなど現代の修復技術も駆使して挑みますが…。4世紀にわたって描かれる美しく壮大なミステリーロマン。熱いドキドキが止まりません。 「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」ほどの恋愛を他に知らない▼「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」監督:マドンナ出演:アビー・コーニッシュ, アンドレア・ライズブロー, ジェームズ・ダーシー1936年、アメリカ人で40歳のウォリスは、ロンドンの友人宅のパーティーで出会った英国王エドワード8世と恋に落ち、再婚した夫がいる身で、パリや南仏でも逢瀬を重ねます。ことあるごとにサプライズで宝石を贈られ、王の誕生パーティーでは「恋ゆえに世界が失われても、誕生日おめでとう」というカードと、逆にプレゼントまで。そのサインは常に、WE(ウォリスとエドワード)でした。翌年、彼は王位を捨てて彼女と結婚。二人はウィンザー公夫妻となりますが、この恋は“20世紀最大のスキャンダル”と呼ばれました。この実話をもとにマドンナが映画化。オークション会社サザビーを結婚退社し、子作りに励みたいのに、医師の夫はかまってくれないウォリー(アビー・コーニッシュ)という現代女性が、ウィンザー公夫妻の遺品が展示された元職場のオークション会場で、故人であるはずのウォリスと出会います。めくるめく幻想の中でウォリスと交わっていくサイドストーリーが交互に描かれるのは、歴史的なヒロインを身近に感じてほしいと願う、マドンナの粋なはからいでしょう。英国王室を震撼させたロイヤル・スキャンダルに、“ヤンキーの売女”とまで呼ばれたウォリス。夫とうまくいかず「ウォリスは全世界を敵に回しても逃げなかった。なぜ?」と悩むウォリーの前に、突然ウォリスが現れます。「私、美しいと言われたことないの。女性が最大限に利用するのが“魅力”よ。私の武器は着こなしだった」と語り始めて…。時に実写フィルムが混じるのですが、実際のウォリスの装いは、個性的ながらエレガントの一言。エドワード(ジェームズ・ダーシー)の視線は常に彼女に釘づけでした。アメリカ人らしく自分の意見を自由に言い、ウイットに富み、もの真似やダンスが得意なところも彼を虜にしたとか。ウォリスの美意識が体現された、インテリア小物や宝飾品が並ぶオークション会場のシーンはため息もの。“美意識のレッスン”にもなる映画です。 「真珠の耳飾りの少女」の笑わない禁欲的な佇まいがエロティックすぎる▼「真珠の耳飾りの少女」監督:ピーター・ウェーバー出演:スカーレット・ヨハンソン, コリン・ファース, キリアン・マーフィ1665年、オランダの画家・フェルメール(コリン・ファース)の家で、メイド見習いとして働き始めた少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)は、アトリエの掃除をするうちに、「これ、どう思う?」「色が合いません」と、次第に独自の感性を発揮し、やがて彼のモデルを務めることに。彼の妻は7人目の子を妊娠中で、夫と彼女の仲を疑うのですが…。17世紀のデルフトの街並みが見事に再現され、どのシーンもまさに絵になる美しさ。同時に、絵そのままのポーズで立つモデルたちに、名画の誕生を目撃する歓びも加わって、ワクワクしっぱなし。メイドは、頭を頭巾で覆って髪を見せなかった時代ですが、フェルメールに頼まれて頭巾を取り、豊かな髪を下ろすグリートのセクシーなこと。真珠の耳飾りをつけるため耳にピアスを開けられ、彼女の頬を一滴の涙がつたうシーンは圧巻です。「少しだけ口を開けて」「唇を舐めて」というフェルメールの要求に応えていく、いつも無口でほとんど笑わない禁欲的なグリートが、とんでもなくエロティックに見えてきます。「心まで描くの?」と彼女が驚嘆した絵には、他の画家には作れない、ラピスラズリを原料としたウルトラマリン色のターバンが描かれていました。真珠の耳飾りは実は妻のもの。それを知った妻は半狂乱で、ナイフを手に絵に飛びかかっていくのですが…。一枚の名画に秘められた至高の愛の物語。映画は基本、だまし絵だと思うのですけれど、その魅力が最大級に発揮された映画です。言葉では表せない濃密な官能に溢れていて、2004年の作品ですが、久しぶりに観たら興奮して寝付けなくなってしまいました(笑)。お薦めです。・ 「レッド・バイオリン」 ・ 「ウォリスとエドワード 英国王冠をかけた恋」 ・ 「真珠の耳飾りの少女」
2016年02月20日●魔女役にかけた思いと歌への愛「年々、人間に対する好奇心が湧くんです。役を演じれば演じるほど、もっと知りたくなる」。これまで数々の役を演じ、『ソフィーの選択』(1982年)、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(2011年)でアカデミー賞主演女優賞を獲得、『イントゥ・ザ・ウッズ』で自身が持つアカデミー賞ノミネート回数最多記録を19回に更新するなど、輝かしい実績を誇るメリル・ストリープだが、65歳になった今でも、飽きるどころか、ますます演じる楽しさを感じているという。公開を迎えた、おとぎ話の主人公の"その後"を描いたディズニー最新ミュージカル映画『イントゥ・ザ・ウッズ』では、魔女役を熱演。『マンマ・ミーア!』で美しい歌声を披露したことも記憶に新しいが、本作でもその歌声を存分に発揮している。先日来日した際に、本作の魅力やミュージカルの醍醐味、演技に対する思いなどをインタビュー。話の中で、挿入歌を歌ってくれたり、人のマネをして笑わせてくれたり、温かくて気さくな人柄も伝わってきた。――過去に何度か魔女役を断られたことがあるそうですが、本作の魔女を演じたいと思った理由を聞かせてください。40歳になったとき、1年で3回も魔女役のオファーを受けたけれど、それが私のキャリアの行き先なのかと理解したわ。業界の人たちは一定の年齢を越えた女優をどう扱っていいか分からないのね。だから私はそのオファーを断って、それ以来、魔女役には「ノー」と言い続けてきました。だけど、この役で気持ちが変わったのは、この魔女がほかとはかなり違うものだったから。何よりも彼女は変化する。彼女の存在理由は、彼女にかけられた呪いを解くためだけにあるんです。彼女はありとあらゆる手段をつくし始め、あらゆる人々の人生に劇的な変動をもたらせるの。おとぎ話というものは、訓戒の話から発展したものだと私は信じています。子供たちを怖がらせることで、人生で遭遇する可能性のある危険から遠ざけたり、若い女性にリッチな男性と結婚することを奨励したり。誰もが王子様を見つけて末永く幸せに暮らすことを奨励されるけれど、そううまくは行かないことだってあるんです。そこで『イントゥ・ザ・ウッズ』のおとぎ話は現実的なものとなり、本当にエキサイティングで、デタラメで、奇妙で、ほとんどリアルな人生と同じようになっていく。役者として、それはものすごく楽しいことだわ。――今回の魔女は、表面的な美を求めますが、メリルさんは人間の美しさとはどういうものだと思いますか?本作の魔女は、自分のための美しさではなく、美しくなれば娘がもっと愛してくれるんではないかと、外見上の美しさだけを求める。これが間違っているわけで、実際には美しさを取り戻しても娘は戻ってこないわけです。この若さと美しさは、私たちが執着を持っている文化。顔を整形したり、美しければ愛されるという勘違いがあるけれども、本当に美しいのは行動であって私たちがやること、行為。もちろん、美しさは憧れられる部分かもしれないけど、愛される部分はやはり、やること、その人のなすことね。――本作を見て観客には何を感じてもらいたいですか?これは頭脳が駆使されたミュージカルよ。ソンドハイムとラパインの作品だけに、知性が光っています。ビジュアル的に楽しく、心理的に満足できるものになっているけれど、それと同時に、アーティストである私たちを惹きつけ、自分の持っているすべてを注ぎ込みたいと思わせる特別な要素をたずさえている。音楽的には、とてもチャレンジングでスリリングだから、私がこの映画の観客に望むことは、そう、スリルとチャレンジを感じてほしいということね。――「すべてを注ぎ込みたい」と思わせられたということですが、本作で新たに引き出されたご自身の一面はありますか?この作品は、音楽、メロディーが記憶に残ります。私が初めてブロードウェイで見た時に、(サビの部分を歌って)「Children Will Listen」がすごく頭に残ったの。だから今回、あの歌を歌えるっていうのはものすごくうれしかったわ。でも、(作曲・作詞の)スティーヴン・ソンドハイムをがっかりさせてはいけない。彼は今世紀の一番偉大な作曲家だと思うし、一生懸命やりました。毎日1マイル泳いだわ。それは肺を強くするため。とっても力強い歌なので、それだけの肺を作らなきゃいけなかったの。音楽ってすべてだと思うの。みんな感情、気持ちを高ぶらせられ、音楽に引っ張られる。理由はわからないけど、アーティストとして満足感のいくものだったわ。――メリルさんは女優としての初めての仕事もブロードウェイのミュージカルで、その後、『マンマ・ミーア!』などに出演し、本作で再びミュージカルに挑戦されました。ミュージカルへの思いや醍醐味を教えてください。私が大好きなのは、音楽なの。音楽は本当に観客にダイレクトにつながると思うし、セリフではつながらない、心をつかみとる魔力があると思うの。今、新しい作品に入ったところで、世界で一番下手なオペラシンガーの役をやっています。フローレンス・フォスター・ジェンキンスという実在の女性なんだけど、お金持ちだったので、いろんなコンサートを自分が払って自分が歌いたいって言い出し、とにかく下手っていう役。でも、音楽が大好きなので、若い時に音楽を追及したいと思って、今、夢がかなっています。(C) 2015 Disney Enterprises,INC. All Rights Reserved.●ロブ・マーシャル監督の魅力と豪華キャストとの共演――本作で、ロブ・マーシャル監督から受けた演出で印象に残っていることはありますか?監督は、9.11が起きてオバマ大統領が遺族に「あなたたちは1人ではない」「だれも1人ではない」という言葉を言った時にこの映画は作られるべきだと感じたそうですが、あの言葉は、今のメッセージだと思います。私が魔女の役をやろうと思ったのも、そういう理由で、みなさんにそのメッセージを伝えたいと思ったの。今やる価値を見いだしたのよ。監督としては、彼はとても謙虚。普通はエゴが大きいけど(偉そうな人の動きをマネしながら)、そういうことはやらない。彼は優しくて、キャストが彼に集まってきて、誠意を持って演出をする。知的な人だし、彼は非常に珍しい人なんです。そして、準備もバッチリやってくる。まったく準備をしない人もいるのよ。今回は、1カ月リハーサルをやったわ。初日からカメラをどこに置いて、どういうアングルで撮ってとか。――キャストも豪華ですよね!素晴らしい出演陣よ。才能を持つ本物の役者たちの集まりね。自分が何をやっているのかしっかりと把握している人々をロブ・マーシャルは集めているわ。だけど、その誰もが、こういうタイプの強調されたリアリティ、ファンタジー、おとぎ話を演じる機会を得たことがない人たちばかり。とても珍しい機会だもの。出演者たちはそれをかみしめていたわ。パン屋の妻を演じたエミリー・ブラントと再び共演できたのはとてもうれしかった。彼女はものすごい才能の持ち主で、この役柄にピッタリな独特の温かさやユーモア・センスを持っています。しかもゴージャスな歌声もね。パン屋を演じたジームズ・コーデンは、ブロードウェイでやった『One Man, Two Guvnors』で、毎晩、進行中の物語の中から飛び出して観客に即興で話しかけることで伝説的な存在になっている。そして、アナ・ケンドリックは、『Pitch Perfect』が私のお気に入り映画のひとつだから、彼女との共演を心から楽しんだわ。彼女は素晴らしい仕事をして、王子様と本当に添い遂げたいのかどうか決めかねているシンデレラを演じているけれど、それは彼女の知性と自然な優雅さと寡黙さのなせる業ね。クリスティーン・バランスキーとは『マンマ・ミーア!』でも共演しているけれど、私の大好きな友人の1人よ。彼女はあの邪悪な継母とはまったく正反対な存在だけれど、とても楽しんでいました。それから、ジャックの母を演じたトレイシー・ウルマンは、私のとても古い友人の1人で、彼女がまだ21歳だった『プレンティ』以来の付き合いだから、またこうして一緒に仕事をするのが夢だったの。とにかく彼女のことが大好きよ。(C) 2015 Disney Enterprises,INC. All Rights Reserved.●演じるたびに増していく人間に対する好奇心――これまで数々の作品に出演され、キャリアと実績を積み重ね、いまなお演じることに情熱を燃やされています。女優業の醍醐味を教えてください。とにかく好奇心が旺盛なの。年々、人間に対する好奇心が湧くんです。役を演じれば演じるほど、もっと知りたくなる。人間って謎で、神秘に満ちていて、感情的にその人を知る。頭では理解することはできても、本当に人間って違うんだなって思わせるところがあって、それがやりがいなの。――今後、挑戦してみたい役はありますか?男の役ね!――どうしてですか?何でって、やりたいじゃない!?(笑)『エンジェルス・イン・アメリカ』という作品で、1回だけ小さい役で男性役をやったことがあるけれど。老人のラビの役でね。男の人の心理がわかるかもしれないので、なりきって演じ切ってみたいです。――本作で19回目のアカデミー賞ノミネートを果たしました。次で20回のノミネートとなりますが、アカデミー賞への思いをお聞かせください。私はついているんだと思います。私がデビューした頃は、40歳以上の女優は仕事がなかったの。今65歳でまだ仕事があるっていうことが素晴らしいと思うし、仕事をくれる人がいるってことがとにかくありがたいわ。(C) 2015 Disney Enterprises,INC. All Rights Reserved.
2015年03月14日メディアで話題の心理カウンセラー、心屋仁之助さんとその一門が相談に答える「凍えたココロが ほっこり温まる、心屋仁之助 塾」。今回は、「愛猫の死に後悔している」という、七色さん(38歳・派遣職)に、心屋塾上級認定講師のいかり屋圭子さんからアドバイスをいただきました。■七色さんのお悩み二週間前に飼い猫を亡くしました。悲しくて寂しくて更に後悔をしていて毎日辛いです。13年前、野良猫が庭で産んだ子猫数匹を保護して、もらってくれる人を探し残った一匹をうちの子にしました。毎晩一緒に寝てくれて不眠症のわたしを治してくれました。いつも一緒でした。小学生で父を、大人になってから母を亡くしています。家族をあまり味わったことがないので小さい妹がいるような気持ちでした。 年末から具合が悪くなり病院に連れて行き、年始早々に子宮の緊急手術をしやっと麻酔から覚めて退院をしましたが、おしっこが出ず毎日病院で膀胱を押して搾ってもらっていました。その日先生が膀胱を押しすぎて破裂してしまい、次の日の夜亡くなりました。 不思議と先生を恨む気持ちはなく(怒れればまだましなのかもしれませんが)自分を責めています。あの病院に連れて行ったのが悪かった。手術をするべきじゃなかった。おしっこが出ないとは知らずにお水を無理やり飲ませてしまった。なにもかも間違った選択をして苦しませてしまったのではないかと悔やまれてなりません。 あんなに愛してたのに。安らかに生かせてあげたかったのに。どうしてあんな苦しませる選択をしてしまったのだろう。いつかいなくなる日が来ることはわかっていたのですが、楽しい思い出より後悔でいっぱいです。■心屋塾上級認定講師・いかり屋圭子さんより七色さんへ、猫ちゃんが亡くなられたのですね。辛いですね。13年間ずっと一緒に暮らした家族だったのですから、心中お察しします。そして、それだけではなく最後苦しませてしまったこと、ご自身の判断が間違っていたと自分を責めていらっしゃるのですね。七色さん、私ももうすぐ飼って3年になる猫がいますが、初めての子なので亡くした経験がありません。ですので、父が亡くなった時のことを思い出しながら書かせていただきますね。悲しい気持ちが薄まっていくには時間が必要かもしれません。「苦しい思いをさせてごめんね」と心の中にいる猫ちゃんに語り掛けてあげてくださいね。イメージの中の猫ちゃんはどんな表情で七色さんを見ていますか。そして返事をしてくれるでしょうか。たぶん、毎日毎日語りかけていると、その子が何か返事を返してくれる時があると思いますよ。それに耳を傾けてみてくださいね。私の想像ですが、たぶん、猫ちゃんからは「感謝」しか伝わってこないのではないかと思います。13年間ずっと傍にいたその猫ちゃんは、時には七色さんを励まし、時には笑わせてくれる存在だったのではないでしょうか。七色さんを力づけてくれる七色さんの一部だったのではないかと思います。その猫ちゃんが七色さんに対して恨むような思いを持つはずがないと思います。最後苦しい思いをされたとしても、今は楽で苦しみのない世界にいてくれると思いますよ。そして、七色さんが猫ちゃんのことを考えている時間と同じだけ、その猫ちゃんも七色さんのことを思ってくれているはずです。近くで見守っていてくれるはずです。肉体として実際にそこにいなくても猫ちゃんの存在は今までと変わらずにそばにいるんだと思います。今の悲しい七色さんを見て、猫ちゃんはなんて声をかけるでしょうか。どんな仕草でさりげなく慰めてくれるでしょうか。ご自身の判断への後悔と自責の念については見方を変えることができます。それは、七色さんが下した判断と行動は「ベストだった」ということです。たとえ、最後に猫ちゃんが苦しい思いをされたとしても、それも含めてその猫ちゃんの運命だった、寿命でした。そう思ってみてください。そして、下記の言葉を何度も何度もつぶやいてみてくださいね。(○○には猫ちゃんの名前を入れてくださいね)「○○に感謝されてもいい」「○○にただただ感謝されてもいい」「○○の感謝を受け取ってもいい」「○○の愛情を受け取りっぱなしでもいい」「○○は私が悲しいと悲しいんだなあ」「○○は私に幸せでいて欲しいんだなあ」「○○の幸せは私が幸せでいることなんだなあ」「○○は私の笑顔がみたいんだなあ」「泣き疲れたら笑ってみようかなあ」「○○にも笑っていてほしいもん」「○○といつか笑顔で会いたいもん」「○○は幸せだったんだなあ」「○○は私と出会えて幸せだったんだな」「○○ありがとう。そして、こんなに○○を愛した私、ありがとう」七色さん、野良猫の子猫の時からからその子を大事に育ててくれてありがとう。家族になってくれてありがとう。猫ちゃんは感謝しかしていません。その感謝の気持ちを受け取ってくださいね。ありがとう。【特集】 凍えたココロがほっこり温まる、心屋仁之助 塾 【質問募集】 心屋仁之助 塾 一門にお悩みを相談したい方はこちら
2014年05月27日愛とは、何でしょう?私達人間は、愛を学ぶため、進化・成長するために生まれてきました。でも、学校の授業では、愛について教えてはくれませんから、それぞれの家庭環境や経験を通して独自に学ぶことになります。そのため、たとえ愛について間違った捉え方をして辛い思いをしていても、その間違いになかなか気づくことが出来ません。今回は、心を整え、素敵な相手を見つけるためにも大切な、「自分に愛を与える方法」をお伝えします。■あなたは、愛不足?あなたは、十分な愛を注がれて育ちましたか?何かしら不満を抱えたままの方は、愛不足が考えられます。様々な想いを抱えたまま大人になる人が多いのです。今や “〇〇障害”“〇〇症候群”なんて名前が付けられています。どれも原因は愛不足です!そして、愛不足は、自分で改善することが出来ます。自分に自分で愛を与えるのが、最も早く、ベストな方法です。■自分に愛を与える方法鏡の前に、座ります。自分の目を見て「私は、私を愛してる。」これを何回も、口に出して云ってみましょう。沢山我慢して生きてきた方は、涙がでてきます。涙が出ても大丈夫です。出るものは、こらえない。思い切り出しましょう。毎日、やってみてください。1日数分、21日間行いましょう。細胞の生まれ変わる周期サイクルが21日なので、21日実行すると、変化がでてきます。ぜひ、実践してご自身の変化を観察してみてくださいね。■愛は、自分で与えるもの愛は、あなたがあなたに与えるもの。人から愛を頂いたら、ありがたく頂きますが、基本的に人からもらうものではありません。自分から「私、可愛い?」と聞いて相手にわざわざ云わせますか?男性は、わざわざ云うのは、煩わしいと感じるものですし、こちらから無理矢理云わせてもあまり嬉しくありませんよね。自分で自分に「愛してる」と愛の言葉で満たしていたら、人に強要しなくても幸せなんです!愛の言葉を強要されたら嬉しくないですよね。あなたがされたくないことは、しない。自分がしたいことを、する。お互い自然体のままでいられる仲、それが一番楽ですね。愛は、自然体。ありのままのあなたを表現しましょう!無理は禁物です。疲れることは、長く続きません。■自分を愛で満たしておくと、正しい目で相手を選べる空のコップを、想像してみてください。コップに満タン、溢れる程水が入っていたら?もっと水を入れて、とはなりませんね。自分のコップは自分で満たしておく。そうすれば余計なエネルギーを使わなくてすみます。幸せは、いつも自分の中にあるのです。このポイントを知った上で、結婚相手を選ぶと、正しい目で、男性とお付き合いできます。歪んだ心のまま、ご縁を繋ぐと苦労の元です。先ずは、自分の心を正しましょう。■おわりにどうでしたか?今日から鏡の前で「私は、私を愛してる」を何回も何回も云ってみましょう!心が幸せで満たされることで、あなたの笑顔が、表情が変わります。お友達とも、どんな変化があったかシェアーしてみてくださいね。(草彅弘子/ハウコレ)
2014年03月13日目に見えないからこそ「愛」というのは、厄介なもの。頭や心で感じるものなのか、はたまたそんなものは幻想なのか。「愛とは何か」という命題は、哲学者プラトンの時代から問われていることですが、未だに明確な回答には示されておらず、その代わりに愛に関するいくつかの迷信が人々を困惑させています。「愛があれば・・」と誰しも一度は思ったことがあるのではないでしょうか。人生とは、「愛を求め、傷つき、それでも尚、愛にすがりつく」というサイクルの繰り返しのようなものですよね。ということで、今回は心理学博士「B・アンジェリスさん」の著書を参考に、愛に関する迷信と真実を5つご紹介。愛について学び、大切な人と幸せになれるチップとしてご活用いただければと思います。■【迷信1】愛さえあれば、どんなことでも乗り越えられる「二人の関係がうまくいくためには、愛だけでなく、相性のよさと互いの努力が必要」というのが真実です。ふたりが穏やかにいられないのは、相性が悪いから。どんなに愛し合っていても、残念ながらうまくいかないことはあります。そこで、むりに相手や自分の個性を変えようとすると、不健全な関係ができあがってしまいます。相手と合わないと感じたら、静かに身を引くことも、また愛なのです。■【迷信2】運命の相手は、出会った瞬間にわかる「恋に落ちるのには時間はかからない。でも真の愛が育つには、時間がかかる」というのが真実です。第一印象で「すてきな人だな」という直感に固執すると、相手を理想化しすぎる恐れがあります。どんなに見た目が好みでも、セックスの相性がよくても、外でデートをしていて、心が休まらないようでは、一緒にいるべきパートナーではないのです。■【迷信3】私を幸せにしてくれる人は、この世にひとりだけ「真実の愛を育てられるのは1人とは限らない。あなたを幸せにしてくれる人はたくさんいる。」というのが真実です。男の人とデートをしているとき、「この人は将来のパートナーにふさわしい相手かしら」と査定しすぎてはいませんか?相手の欠点ばかり探して、完璧さばかりを求めていては、いつまでたっても幸せになれません。■【迷信4】パートナーは自分の欲求をすべて満たしてくれる「あなたにふさわしい相手は、あなたの欲求の多くを満たしてくれるが、全てではない。」というのが真実です。人の欲というのは、底が計り知れないほど深いものです。相手にすべてを満たしてもらおうと求めすぎると、どちらかが息苦しさを感じてしまいます。バランスを見て制御する術を身につけることも大切なのですね。■【迷信5】セックスが素敵なのは、深く愛し合っているから仲直りするのはベッドの上だけ、というサイクルに陥ったことはありませんか?「セックスのよさが真実の愛とは限らない。」というのが真実です。本当は分かり合えない相手とカラダの相性がいいというだけで、ダラダラ付き合い続けることほど不毛なものはありません。もちろん、「セックスだけ」と割り切れば話は別ですが。■おわりにいかがでしたか。上記の5つのうち、誰でも一つぐらい当てはまるものがあったのではないでしょうか。人は「愛」について、自分に都合のいいように「思い込む癖」があり、それによって、ふさわしい人との出会いを逃したり、大切にすべき人を失ったりしてしまうのです。愛に関する迷信が解けた今、すこし大切なあの人との付き合い方を見直していきたいものですね。(著:さとみん/ハウコレ)参考文献:B・アンジェリス『好きな人に愛される人、愛されない人』三笠書房
2012年12月08日もし、そう尋ねられたら何と答えるでしょうか?恋は奪うもの、愛は与えるもの。恋は経過で、愛は結果。恋は自分本位、愛は相手本位。恋は不安定で、愛は安定。恋には下に心(下心)があって、愛には中心に心があるとも。こんな風に、世間で言われている違いも様々。答えは人の数だけあるのかもしれません。フランスの文学者で「愛について―エロスとアガペ」を記したドニ・ド・ルージュモンは、愛と恋の違いについて、こう言っています。「惚れるのは状態であり、愛するのは行為である」深いですね。では、あなたがいま誰かを好きだとして、それは恋なのか愛なのか。その狭間で揺れている、それを測りかねているというのなら、観ておくべきは映画『恋と愛の測り方』。キーラ・ナイトレイとサム・ワーシントン演じる夫婦ジョアンナとマイケルが“3年目の危機”に直面しながら、自分たちの関係について、もう一度考え始めるという物語です。夫婦の危機となるのは、妻の元カレ(しかも、恋の国から来たフランス人!)と、妙にセクシーな夫の同僚(出張にも一緒に行く関係!)。妻も夫も、彼らの存在について内緒にしているあたりが、何やら意味深。そこには、潜在的な欲望が隠れているということなのです。夫婦ともに、互いを愛し、いまの生活には満足しています。でも妻が、夫と参加したパーティで、夫に気になる同僚がいることを知ってしまうところから物語は動き始めます。たまたま夫とセクシー美女が楽しげに話しているのを発見。絡み合う視線に胸騒ぎを覚え、2人が「たぶんタイミングを狙っている」と感じ、これまでの出張でも何かあったのではないかと疑い始めるのです。疑念が生まれた以上、妻は冷静ではいられません。その後の夫婦の議論は、なかなかの見もの。夫は動揺し、「とんだ言いがかりだ」「ただの同僚だ、何もない」と言い続けるのですが、それがたとえ本当だとしても、夫の動揺は見過ごせません。肉体の関係がないとしても、夫が誰かに惹かれているというだけで、不快だし、不安なのが女心というもの。こうなると、肉体関係があったかどうか、自分の方が愛されているかどうかは、もう二の次なのです。女性の場合、自分が“一番”になるより、“唯一”であることの方が重要だと考える人も多いようです。反対に男性は一番になりたがる。ジョアンナとマイケルの議論がいつまでたっても平行線なのも、そのあたりに理由がありそうです。そんな状況のまま、夫は問題のセクシーな同僚と出張へ。そんな日に限って、妻は偶然にも元カレ(いまも好き)と再会。どちらにとっても、間違いを犯すには格好の機会が訪れるのです。夫婦は、愛のために踏みとどまるのか。それとも、感情に流されてしまうのか。もしかすると、妻が元カレに、夫が同僚に対して抱いている感情を、人は恋と呼ぶのかもしれません。でも、人はなぜ最愛の人がいるにも関わらず、ほかの人に惹かれるのでしょう。愛の方が崇高だと思われているけれど、人は恋する者の情熱を羨ましがるものです。愛を捨てるつもりはないけれど、恋もしたい。それが愛を脅かすかもしれなくても、です。それは、ジョアンナがマイケルに叫んだように「人は常に新しさを求める生き物だから」かもしれません。パートナーを傷つけると分かっているのに、自分本位にほかの誰かを求める気持ちこそ、恋ということなのでしょうか。たとえそれが、後に愛に変わったとしても。では、もし別の人に恋心を抱いているとして、それでもパートナーのためにセックスはしないとしたら、それは自分を犠牲にして愛を貫いたことになるのでしょうか。それとも、別の誰かに恋心を抱いた時点で、もう裏切りなのか。実はこの作品では、観る者はこの問題にも突き当たります。それは“身体の浮気”と“心の浮気”なら、どちらがより酷い裏切りなのかということ。この話題が出ると、メリル・ストリープとロバート・デ・ニーロ共演の恋愛映画『恋におちて』(’84)を思い出します。既婚者同士が出合い強く惹かれあうのですが、身体の関係は結ばないまま、互いのパートナーに知られてしまうのです。そのとき男が自分の妻に、「体の関係はない」と告白すると、妻は余計に逆上し、「そのほうがよほど罪だ。本気だってことでしょ。肉体関係があったほうが許せるのに」と言うのです。好きだけど、しない。できるけど、しない。大人の男女は、そこに肉体関係以上の深い繋がりや、真剣な想いを見てしまいます。タイトルでは、2人は“恋におちた”ことになっていますが、実はこれは愛なのかもしれません。身体の関係を結んだときよりも、愛する人以外に惹かれるという自分の気持ちに気づいたときこそ、パートナーへの裏切りを意識する人もいることでしょう。気持ちは自然発生的で抑えられないもの、そしてすべての行為の根源。でも、行為は意志で抑えることができる。どちらが厄介か、明白ですからね。だから、ジョアンナは、夫がほかの女性に惹かれていることに気づき、とても傷つき不安になるのです。彼が自分を愛していると分かっていても、自分が彼にとって唯一無二ではない可能性を感じてしまうから。そんなときに、まだ好意を持っている元カレから連絡を受け、誘いに乗って出かけてしまう彼女の気持ちに、共感できる人も多いはず。不安定なときに、自分が特別だと感じさせてくれる男が現れたのですから、すがりつきたくもなるでしょう。もし、「私ならこの状況でも絶対に出かけたりしない」「こんな誘いに乗るなんてダメよ」と断言できる人がいるとしたら、なかなかの理性派。「私は行ってしまうかも」と考える女性と、そうでない女性との違いは、きっと恋愛経験の種類によるもの。現在、愛するパートナーがいるのに、まだ気になる相手がいる人と、いない人では、恋愛観は大きく違うはず。人のキモチとは割り切れないもので、自分ですらコントロールできないと知ってしまった人とそうでない人、ある人に恋をしながら別の人を愛せると気づいてしまった人とでは、ジョアンナへの共感にも大いに温度差が生まれるはずなのです。それにしても、ジョアンナとマイケルを見ていると、結婚の意味がよくわかります。結婚とはいわば契約。“この人”と決めた時点で、残りの一生をともに過ごす誓いを立てます。それは、いわば覚悟の表明。でも、忠実な愛を信じるならば、人は結婚という契約で相手を、そして自分を縛る必要などないのです。つまり、結婚の前提には、人の心は揺れるもの、移ろいやすいという事実が見えてきます。約束事があるから、人はより慎重に行動し、自らの気持ちをコントロールしようとする。だからといって、自重は愛ゆえとは限りませんが。浮気をしていない夫婦が、必ずしも愛し合っているわけではないのですからね。さて、ジョアンナとマイケルはどうなるのでしょう。あなたなら、ジョアンナとマイケルが互いに持つ感情は愛なのか、彼らが元カレや同僚に抱いている感情は恋なのか、はっきりと見分けがつくでしょうか。誰が誰を一番深く愛しているのか。エンディングを見ただけでは、単純に測りかねないのが、彼らの心理というもの。あなたならこの夫婦の抱く感情を、どう推し量るでしょうか。実は、映画をフィルターにして見えてくるのは、あなた自身の恋愛観なのかもしれませんよ。(text:June Makiguchi)特集:恋と愛のちがいって…■関連作品:恋と愛の測り方 2012年5月12日より新宿ピカデリーほか全国にて公開© 2009 Last Night Productions, Inc.■関連記事:『恋と愛の測り方』ハート型ジュエリングブックマーカー&プレスを5名様にプレゼント愛する人がいても恋に迷うことも…?『恋と愛の測り方』試写会&座談会に10名様ご招待恋と愛の違いって?キーラ・ナイトレイ主演『恋と愛の測り方』女性限定試写会に20組40名様ご招待恋と愛の違いって何…?キーラ・ナイトレイ主演『恋と愛の測り方』予告編を公開
2012年04月27日アメリカで暮らすエセルの元にアイルランドから届けられた指輪。それは、彼女が50年前に失った愛の証だった。彼女は心の奥に封印してきた運命の愛に向き合うことを決意する。イギリスの名匠、リチャード・アッテンボローが描く、2つの時代、2つの大陸を結ぶ壮大な愛の物語『あの日の指輪を待つきみへ』。7月に公開を迎える本作で、主人公・エセルの若かりし頃を演じたミーシャ・バートンが来日、4月23日(水)に記者会見が開かれた。自身が演じた若き日のエセルを「純真で無垢な存在」と語るミーシャ。「ひたむきで、自分の気持ちに一生懸命なところが彼女のいいところ。最近の映画では、あまり見られないタイプのキャラクターで、素晴らしい経験ができました」とふり返った。劇中では美しいヌードを披露しているが、ミーシャは「恋愛に関して、エセルは情熱的で、好きになったら自分でどんどん決断していく女性。あのヌードシーンには、彼女が自らの感情をむき出しにした、という意味があるんです。変にいやらしさを感じさせず、いいシーンになっていると思います」と語った。現代のエセルを演じるのは名女優、シャーリー・マクレーン。「昔からシャーリーのファンだったので、彼女の若い頃を演じられるなんて夢みたいだった」と言うミーシャ。「現場で会ったシャーリーは、はつらつとしていました。彼女の方が先に撮影に入っていたので、事前に彼女のシーンの映像を見せてもらえたのはラッキーでした。現代のエセルは、戦争に打ちのめされ、自分の殻に閉じこもってしまった女性。ただ、私はそうした暗い部分とは切り離された、全くの別人格の人間としてエセルを演じればよかったので、やりやすさはありました。もちろん、シャーリーと同じ人物を演じるという責任は感じましたけど」と役作りの過程を明かしてくれた。日本でも人気のTVシリーズ「The OC」の撮影後初めての映画として、本作の撮影に入ったというミーシャ。TVと映画の違いについて「TVドラマは、長いシーズンを通じて、キャラクターの成長を演じられる、というのはあるんですが、物語がどこに進んでいくのか分からないままに演じなければなりません。映画では、最後がはっきりと分かっているので、やりやすい部分はあります。演じる上で、ドラマと映画は全く違うものだと感じました」と語ってくれた。指輪についてミーシャ自身、何か個人的に思い出は?と尋ねると「指輪は毎日してるわよ。いろんなものを持っているけど、それぞれにセンチメンタルな思い出があるわ」といたずらっぽく笑った。劇中のファッションについてもミーシャは「撮影では、実際の1940年代の洋服を着る機会もあったんですが、あの時代のスタイルは本当に素敵です。女性たちが、ファッションにいつも気を配っていたことも映画できちんと描かれています」と嬉しそうに語った。そして、この映画で描かれる愛について「いまの時代の若い人には、『あり得ない』と感じられるかもしれませんが、私には信じられます。というのも、監督と奥様のシーラさんは、いまの私ぐらいの年齢で出会い、戦時中もずっと一緒に乗り越えてきたそうです。すぐそばに“真実の愛”の実話があったことで、すんなりと信じることができたんです。リチャードと一緒に映画を作ることができて、本当に幸せでした」と力強く語ってくれた。『あの日の指輪を待つきみへ』は7月、テアトルタイムズスクエアほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:あの日の指輪を待つきみへ 2008年7月19日よりテアトルタイムズスクエアほか全国にて順次公開(C) SCION FILMS PREMIER (THIRD) LIMITED PARTNERSHIP/UK FILM COUNCIL/ CLOSING THE RING LIMITED/ CTR CANADA LIMITED
2008年04月23日