小さな子どものいたずらは、かわいらしく微笑ましいですよね。同時に、自分の小さかった頃もちょっとしたいたずらをしては両親に怒られたことを思い出します。たいていの場合は怒られて済むのですが、だからといって何をしても法律上大丈夫、というわけではありません。今回は、子どものいたずらに関する損害賠償の責任について、法律ではどうなっているのかお話しいたします。■子どもが“やらかした”行動についての責任は?未成年者は、未熟な存在であることを理由に、法的には成人と異なる扱いがされています。具体的には、13歳未満であれば刑事責任(犯罪の責任)を負わないとされていますし、民事上は、「自己の行動の責任を理解する能力(責任能力)がない」として、およそ12歳くらいの年齢に満たない子どもは賠償責任を負わないとされています。その場合、親が「監督義務者」として原則として責任を負います。仮に、子ども本人に責任能力があり、法的には責任を負うとしても、通常はその子どもには資力がなく、親の「監督責任」を理由に賠償請求されるのが通常です。親が「監督責任を尽くした」と証明できれば責任を免れますが、通常は自分の子どもである以上、そのような証明は難しいといえるでしょう。■壁や、建物に落書きをしてしまったら?あまりにもひどい落書きで、修復がおよそ不可能というレベルに至れば、建造物損壊罪・器物損壊罪が成立します。壁のように建物の一部と評価される場合は「建造物」、取り外しができるようなドアや窓などであれば「器物」と一応分けることができます。チョークや鉛筆など、簡単に消えるものであれば「損壊罪」とはいえない可能性が高いですが、スプレーやペンキで書く、石で削る、となると容易には消せないので、「損壊罪」に該当する可能性が出てきます。落書きの内容によっては他の犯罪成立の可能性もあります。「バカ・あほ」といった記載なら侮辱罪、「~~は浮気をしている」といった記載なら名誉棄損罪、「殺してやる、死ね」といった記載なら脅迫罪と言った犯罪が成立する可能性があるでしょう。いずれにせよ、これらは不法行為(民法709条)に該当し、民事上の賠償責任(修復費や慰謝料等)を負うことになります。 ■お隣の家の車に、傷をつけてしまった!わざと傷をつけたのであれば、器物破損罪となりますし、「いたずらしよう」と敷地内に入り込んだのであれば住居侵入罪の可能性も出てきます。わざとの場合はもちろん、ボールをぶつけたなどうっかりミスによって傷をつけてしまった場合でも、民事上の賠償責任が少なくとも「監督者である親」には生じることとなります。具体的には、「修理費用」または「その車の時価相当額」のいずれか低い額の方を賠償せねばなりません。■お友達のおうちのペットに怪我をさせてしまったら?わざと怪我をさせた、虐待したとなれば、器物損壊罪や動物愛護法違反となります。法律では、ペットはモノ扱いになるので、「モノが壊された場合の賠償」という考え方が一般的です。なので、民事上は、たとえ命を奪ったケースであっても、「ペットの時価がいくらか」により賠償額が決定されるのが原則です。ただ、最近では、「家族のように大事にしているペットが大ケガをさせられた」ケースでは、治療費や慰謝料なども認めるようになってきているので、治療費や慰謝料を支払う責任を負う可能性も十分あります。子どもは思いもよらぬ行動をとり、トラブルに発展しがちですね。民事上の賠償責任にとどまらず、犯罪となる場合もあり、いずれにせよ親は子どもの行動につき責任逃れは基本的にできません。普段からお子さんの行動には十分注意をはらっていただくことが大事です。 監修協力:弁護士法人アディーレ法律事務所 (東京弁護士会所属)
2016年08月06日「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに掲げる「プレーパーク」という遊び場を、ご存知ですか? 「冒険遊び場」とも呼ばれ、禁止や制約を書いた看板のない、子どもがさまざまなことに挑戦し、冒険できる遊び場のことです。子どもたちが自由に生き生きと遊べる場所を東京都世田谷区にある羽根木公園の一角に、全国で初めての常設の冒険遊び場、「羽根木プレーパーク」ができたのは1979年。「子どもたちが自由に生き生きと遊べる場所がほしい」と願うお父さんやお母さんたちが、世田谷区に働きかけて始まりました。住民たちが運営するこの遊び場は、今では0歳から中高生までの子どもたちを中心に、年間およそ12万人が訪れる人気スポットです。誰でも遊ぶことができますが、ここにはカラフルなアスレチックや砂場はありません。緩やかな斜面に大きな木々が木陰をつくり、むき出しの土の地面は穴ぼこだらけ。廃材で作られたような木製の滑り台やロープ製のぶらんこ、手作りのウォータースライダー、ぱっと見ただけでは遊び方のわからない木造建築物がぽこぽこと立っています。かまどを作って火をおこして煮炊きをしたり、とんかちやのこぎりで木工に挑戦したり、木登りだって禁止されていません。取り除くのは子どもが予測できない危険だけ一見すると子どもには危険だらけ、と思われるかもしれません。プレーパークでは、子どもがやりたいことに挑戦できる環境を守るために、危険をすべて取り除くのではなく、「子どもが予測できない危険だけを取り除こう」という考え方をしています。手作りの遊具の劣化や整備不良、釘やガラスの破片などの危険は子どもが予測できないものとして、できるだけ取り除かれますが、地面の凹凸は子どもが自分で予測できる危険なので、整地はしません。木製の遊具は、小さな子が簡単に高い所まで登れないように、あえて段差を大きくするなどして、安全策をとっています。ここで遊ぶと、たしかに小さなケガは日常茶飯事。ですが、凸凹の地面で遊ぶ中で鍛えられる身体感覚は計り知れず、小さなケガの積み重ねが大きなケガを回避する力へとつながります。木登りや火遊びについても同様です。そういう遊びの中でしか得られない宝物はたくさんあります。それに、多少の危険があるからこそ、冒険心や挑戦心が沸いてくるのではないでしょうか。世間ではケガの責任を遊具の設置者に求める人が増え、公園の禁止事項がどんどん増えた結果、多くの場所が子どもにとって魅力のない遊び場へと変わり続けています。禁止事項を増やして子どもたちが挑戦する自由を奪いたくない、「自分の責任で自由に遊ぶ」というモットーにはそんな想いがこめられています。遊具は土、水、火、木・・・自然にあるものプレーパークにある遊具は、土、水、火、木、竹、葉っぱや花など自然にあるものと、工具やスコップなどです。置いてある遊具もすべて手づくり。あえて既成の遊具を設置しないことで、子どもたちは想像力を最大限に発揮して遊びます。手づくりの遊具は、古くなったら壊してまた新しくつくることができます。「プレーパークは『現代に甦った昔の原っぱ』」と呼ぶ人がいます。「あの木は登りやすいかな?」とか、「あそこに秘密基地を作ったら楽しそう!」とか、大人も自然と子どものころの感覚に戻れる場所、それがプレーパークの醍醐味といえます。ですが、初めてプレーパークに来た子は、最初は戸惑うこともあります。ワイルドに遊ぶ子たちに圧倒され、何をしたらいいのかわからず固まってしまうこともあるでしょう。特に小さな子どもは、見るものすべてが刺激的なので、小さな蟻を眺めてばかりで動かないなんてこともあるかもしれません。そんな時もパパやママは「プレーパークに来たんだから、身体を動かして遊びなさい」なんて急かさずに、一見つまらない遊びに見えても、ここでは子どものやりたいことを見守り、一緒に面白がることを心がけてみましょう。プレーパークは、世田谷区以外にも全国で400以上もの団体が活動しています。羽根木プレーパークのように常設ではなく、月に数回、週に数回などと定期的に実施するところが多いようです。子どもの頃、自然の中でやりたいことに思いっきり挑戦して育った子は、本当に幸せです。「プレーパークに来るようになって、自分のことが好きになった!」という子どもたちがたくさんいるそうです。一度きりの子どもの時代、思い切り自由に遊ばせてあげませんか。取材協力:NPO法人プレーパークせたがや参考:日本冒険遊び場づくり協会 ※全国の遊び場の活動はこちらで探せます。
2015年08月17日会社に就職すると、学生時代とは比べものにならないくらい「責任」という言葉に接する機会が多くなります。「学生と社会人の違いは、責任の違いだ」という持論を展開する人に以前遭遇したことがありますが、これはある側面においては事実だと言えるかもしれません。会社で働くということは、労務を提供してその見返りとして給料をもらうことなので、もらってる給料にふさわしいだけの労務をきちんと提供する責任が生じます。割り当てられた仕事を放り投げてサボってばかりいたとしたら、「無責任だ」と批難されるてもしかたがないでしょう。もっとも、この「責任」はどこまでも背負わなければならないものではありません。経営者ならともかく、一介の雇われ従業員の立場であれば、少なくとも給料にふさわしいだけの労務を提供すれば十分に責任は果たしていると言えます。巷では「社会人は自分の責任をしっかり果たさなければいけない。学生気分ではダメだ」ということを言う人が多いですが、僕の見た限りでは、ほとんどの人は給料にふさわしいだけの責任を十分に果たしています。むしろ、本来であれば背負わなくてもよいはずの責任を背負いすぎて、それでつぶれかけている人のほうがはるかに多いのではないでしょうか。○失敗した新規事業に関わっていた友人の話例えば、僕の大学時代の友人にこんな人がいます。彼はとあるインターネット系の会社に就職したのですが、入社時からずっと新規事業に関わりたいという思いを抱いていました。思いが通じたのか、入社して数年後についに新規事業の立ち上げを行う部署に異動になります。希望が叶った彼はそこで精いっぱい働きました。そしていよいよ新規サービスがリリースされる日が来たのですが、いざリリースしてみると初動の数字は計画を大きく下回り、半年ほどさまざまなテコ入れ策を試したものの効果がなく、結局そのプロジェクトは解散することになりました。ここまではまあよくある話だと思うのですが、問題はその彼が新規事業の失敗に大きな「責任」を感じていたことです。彼は何度も何度も「会社に申し訳ない」と言っていました。自分が関わったサービスが失敗したことを残念に思う気持ちはよくわかるのですが、「会社に申し訳ない」とまで思ってしまうのは、明らかに行き過ぎです。○新規事業に失敗しても従業員に責任はないそもそも、新規事業の成功・失敗は、現場の働き以上に経営者の意思決定によるところが大きいものです。そういう意味では、失敗の責任は従業員ではなく経営者にあると言えます。現場の従業員は、経営者が立てた方針に従って自分たちがなすべき仕事をしていた以上、責任は十分に果たしています。彼も仕事をサボっていたというならともかく、立ち上げのために精いっぱい働いていたわけですから、「会社に申し訳ない」などと責任を感じる必要性はまったくありません。経営者が背負うべき責任を従業員が背負ってしまうと、働き方は容易にブラック化します。彼の場合も、部署異動後はほとんど休みも取らずに、ひたすらその新規事業に尽くしていたそうです。このように過度に責任を背負い込む社員がいることは経営者から見れば都合がいいでしょうが、従業員の側から見れば得はほとんどありません。実際、彼の同僚でもリリース後の炎上に耐え切れずに、休職や退職を余儀なくされた人が何人かいたようです。別に新規事業の立ち上げに成功したところで儲かるのは自分ではなく会社なのですから、自分の責任の範囲を一歩引いて見極める姿勢は持っておきたいところです。○有休を取ることも「責任感がない」ことではない他の例だと、「責任」を感じすぎてしまって有給がまったく取得できないという人を見ることがあります。「自分が休んでしまったら、仕事がまわらなくなってしまう」と思ってしまうのです。これも、必要以上に責任を背負いすぎてしまっています。仮に、誰か1人が休んだぐらいで仕事がまわらなくなってしまうとしたら、それは休んだ人が悪いというよりも、そのような人員配置や組織づくりを行った経営者や上司の責任です。繁忙期があって一時的に休めない時期が出てくるというのであればともかく、仕事がまわらなくなることに責任を感じて一年中休むことができないというのであれば、それは責任の背負いすぎです。会社が果たすべき責任を果たしていないという問題を、個人の責任に還元してしまうと、状況は一向に改善しません。○背負い込む責任には必ず一線を設ける「社畜」のような働き方に陥ってしまっている人の中には、責任感が強すぎるという人が多くいます。責任感が強いことは普通は長所ですが、必要以上に責任を背負うことを強要される日本の会社では弱点にもなりえます。背負い込む責任には必ず一線を設け、会社が背負うべき責任まで個人で背負ってしまわないように気をつけましょう。それが結果的に、自分を守ることにつながります。日野瑛太郎ブロガー、ソフトウェアエンジニア。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」を開設。現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)、『あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。』(東洋経済新報社)がある。(タイトルイラスト:womi)※毎週金曜更新
2014年10月31日年末年始は、親族の集まりなどで親や親戚と何かと顔を合わせる機会が増えるもの。独身者にとっては「そろそろ孫の顔がみたい」などと結婚の圧力をかけられる苦痛な時かもしれない。今回はマイナビニュース会員のうち独身男性300名に、年末年始に親や親戚から結婚を促すプレッシャーを感じたことがあるか聞いてみた。Q.年末年始、親や親戚から結婚を促すプレッシャーを感じたことはありますか?はい 13.8%いいえ 86.2%Q.(「はい」と答えた方にお聞きします)どんなことからそう感じましたか?■親戚からの圧力・「子供の相手をしていた時に、親戚の人たちから『子供を持ったら良いパパになるで』と口ぐちに言われた時」(31歳男性/機械・精密機器/技術職)・「親戚がそろうと大抵はせかされるが、相手が居ない事にはムリだよねーと言うと、そうだよねぇで終わり」(30歳男性/運輸・倉庫/事務系専門職)・「親戚に『もういい年なんだから早く結婚しなさい』と必ず言われる」(34歳男性/運輸・倉庫/その他)■「彼女とそろそろ……」・「彼女がいることはバレているので『そろそろどうなの』としつこく言われる」(34歳男性/学校・教育関連/技術職)・「直接的に結婚をはやくしろと言われ、彼女が26だと言ったら『もう行き遅れだから責任とれ』と言われた……昭和か」(28歳男性/電機/技術職)■無言の圧力?・「親の読んでいた本が『孫の力』」(25歳男性/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)・「兄弟が子供を連れてくる」(35歳男性/電機/技術職)・「親戚で集まると、同世代は皆結婚した家もあり子供もおりプレッシャーを感じる」(32歳男性/ソフトウェア/技術職)■祖父母の願い・「おばあちゃんから『孫の顔が見たい』とストレートに言われた」(30歳男性/小売店/事務系専門職)・「祖父母に挨拶に行くたびに、結婚はまだかと2年ぐらい前から言われ始め、死ぬのとどっちが早いかなとも冗談で言われる」(29歳男性/印刷・紙パルプ/事務系専門職)■その他・「恋人もいないのに早く結婚しろと説教された」(23歳男性/運輸・倉庫/販売職・サービス系)・「時代が違うといえど、両親の結婚した年まであと数年で達するため」(26歳男性/電機/技術職)・「冠婚葬祭、特に葬式で跡継ぎが無い事と墓守を言われる」(53歳男性/ソフトウェア/技術職)■総評年末年始に、親や親戚から結婚を促すプレッシャーを感じたことがあると答えた独身男性は13.8%で、女性編のアンケートよりも少ない結果となった。男性は女性と比べあまり厳格な”結婚適齢期”がないということだろうか。とはいえ、親や親戚から容赦のない圧力にさらされる独身男性にもなかにはいる。多かったのが「お見合いを勧められる」というものだった。結婚したいのにできない……というのならともかく、その気がないのに見合いを勧められるのはかなりうっとうしいことだろう。彼女との結婚をせかされるという回答も多かった。なかには、親や親戚が彼女に直接「結婚しないのか」と質問し困ってしまったという人も。晩婚化が進む現代と比べ、親や祖父母の時代は結婚年齢も早かったため「まだ結婚しないのか! 遅い!」と感じているのかもしれない。年末年始に限らず「年がら年中、お嫁さんを見つけろといわれる」という人もいた。何かと肩身の狭い思いをしている独身男性たち。どうか年末年始は、そっとしておいてあげてほしい……。調査時期: 2012年12月20日~2012年12月25日調査対象: マイナビニュース会員調査数: 男性300名調査方法: インターネットログイン式アンケート【拡大画像を含む完全版はこちら】
2012年12月30日