「泣いても大丈夫ですよ」そんな声を形にしたかった~紫原明子さん~

「泣いても大丈夫ですよ」そんな声を形にしたかった~紫原明子さん~

このステッカーへの思い

始まりはある日の午前中。とあるコーヒーショップでの出来事でした。

私を含む多くのノマドワーカーや、テキストを広げて勉強中の学生、おしゃべりに花を咲かせる女性達など、多くのお客さんで賑わっていた店内。私の向かいの席には、赤ちゃん連れのママさんが座っていました。

赤ちゃんは最初のうちぐっすりと眠っていましたが、途中目が覚めると、途端に元気よく泣き始めました。もともと、がやがやとしていた店内に、多少赤ちゃんの泣き声が響いたところで個人的には全く気にならなかったけれど、それでもお母さんは周囲にとても気を使って、一刻も早く泣き止ませようと、懸命に赤ちゃんをあやします。

そんな様子にふと、昔の自分のことを思い出しました。
私の子どもは、今では14歳と10歳、もう随分手も掛からなくなったものの、2人が赤ちゃんだったころにはやっぱり、目の前にいるお母さんと同じように、周りの人に迷惑をかけてはいけないと、いつも努めて気を張っていました。


それでも一度、ショッピングモールのレストランで子どもが大きな声を出してしまい「うるさい、出て行け」と近くのテーブルのおじいさんに怒鳴られたことがありました。

気をつけていたはずなのに迷惑をかけてしまった、そんな親としての不甲斐なさがこみ上げてくるのと同時に、子どもはそんなにも社会のお荷物なのだろうかという気持ちと、子を守る者として、決して社会に甘えてはいけないのだという心細さと、色々な感情が入り混じって、つい涙が出てしまいました。

目の前のお母さんも、当時の私と少なからず似た気持ちを抱えているのだと思うと、赤ちゃんの泣き声は全く気になりませんよ、大丈夫ですよ、という気持ちを何とか少しでも伝えなければと思いました。

それで、赤ちゃんに向かって笑いかけたり、私の出来得る最大限の温かい眼差しを送ったりもしてみたけれど、一方で、他人からの熱い視線というのは、ともすれば「うるさくてじろじろ見ているのかも」といった、真逆の意味にも捉えられかねず、そうなると余計にお母さんを追い詰めてしまうかもしれません。

せめて、「可愛いですね」なんて気さくに声を掛けてあげられるといいのだけれど、なかなかそこまでの勇気が出せず……。もっと気軽に、「大丈夫ですよ」の気持ちを伝えられる方法があればいいのにと、強く思いました。

メッセージを気軽に届けたかった

そんなときふと目に入ったのが、目の前で“どや”と言わんばかりに意識高く広げられていた私のノートパソコンです。仕事をしている風を装おってその実、TwitterとFacebookしか開かれていませんでした。


IT業界では昔から、広報の一環として、企業やサービス名のロゴのステッカーをお客さんに配る習慣があり、受け取った人の多くは、それらステッカーを、ノートパソコンの天板やスマートフォンの背面に貼ります。例によって私のノートパソコンにもたくさんのステッカーが貼られていたわけですが、ここにもし「私は赤ちゃんが大好きですよ」「赤ちゃんが泣いても全然気にならないですよ」といったメッセージが明示されたステッカーが、さりげなく貼られていたとしたら。

そしてそれが、向かいに座っているお母さんの目に入ったとしたら。ほんの少しでも、目の前のお母さんの焦りや不安を軽減してあげられるのではないかと思いました。

そこで、ちょうどそのころご縁あって交流を持たせていただいていた、エキサイトママ(現:ウーマンエキサイト)編集部の皆さんに「こういうステッカーを作りませんか?」と、図々しくもFacebookを通じて呼びかけてみました。

個人でひっそりとやってもいいけれど、どうせなら同じような思いを持つ周りの人と一緒になって、より多くの人が使えるものになるといいなと思ったのです。すると、編集部の方からは、なんとその日のうちに「作ります!」という力強いお返事をいただき、このたびこうして、“泣いてもいいよ!”ステッカーとして実現することとなったのです。

うるさいと感じる人がいるのも当然のこと

レストランや電車の中など、公共の場での赤ちゃんの泣き声に関する話題は、日々さまざまな角度から取り沙汰され、何かと物議を醸します。


私自身は、どちらかと言えば赤ちゃんの泣き声が好きな方です。うっ、うっ、とぐずっているところから、来るぞ来るぞ、という前触れを経て、ついにオギャーっと声を張り上げた瞬間、赤ちゃん特有の、強く、瑞々しい生命力が勢い良く放たれたように感じて「おめでとう!」と声をかけてあげたいような気持ちになります。

けれども、赤ちゃんの泣き声をうるさいと感じる人もいます。人によって感じ方が違うのは当然のことで、どちらが良いとか悪いとかいう話ではありません。だからステッカーを作った目的も、赤ちゃんの泣き声をうるさいと思う人に、うるさいと思わないでください、と伝えることではありません。そうではなくて、赤ちゃんが泣いても気にならないと思っている人の声を、今よりもう少しだけ、可視化することにあるのです。

このところメディアでは、保育園の新設や運営に伴う騒音の問題が相次いで報じられています。

中には、騒音を理由の一つとして、近隣住人達との調整がつかず、保育園の新設計画そのものが中止されたという事例もありました。
このニュースは、国会でも取り上げられた「保育園落ちた、日本死ね」のブログ記事とともに、この国で新たに子どもを産み育てることへの困難さを、改めて強く印象付けました。

ところが、これを受けて先日、毎日新聞が「近所に保育園ができることを迷惑だと思うか」と尋ねる全国世論調査を行ったところ、結果は意外なものでした。「迷惑だと思わない」と解答した人が全体の86%と大多数を占め、「迷惑だと思う」と答えた人は全体の6%に過ぎなかったのです。
毎日新聞:近所の保育園「迷惑と思わない」86%

ポジティブな声を表に出そう

ステッカーを作る上で、「赤ちゃんの泣き声を許容するのは当然のこと、そもそもそんなステッカーを作る必要がないのでは?」といった声も聞かれました。

もしそうであれば、それは何より理想的なことで、素晴らしいことだと思います。けれども現実には、ポジティブな大勢の人の声というのはなかなか表に出にくく、ともすればネガティブな少数の人の声に、容易にかき消されてしまいかねません。そしてそんな中で、多くの良識あるお父さんやお母さんは、他人に決して迷惑をかけてはいけないと、周囲に過剰に気を配りながら、片身の狭い思いを抱えています。

少子高齢化が深刻な今日の日本において、親が、社会を信用して子育てできる環境を周囲からサポートすることは、必ずしも子を持つ親にだけに意味のあることではありません。
ここで産み育てても大丈夫なのだという空気を作っていくことで、これから親になるかもしれない人達の背中を、少なからず後押しすることだってできると思うのです。

今回この“泣いてもいいよ!”ステッカーを手に入れた方は、ぜひスマートフォンなど、よく公共の場で取り出すものに貼ってください。そして、泣いている赤ちゃんと、不安そうなお父さん、お母さんを見かけたら、さながら水戸黄門になったような気持ちでステッカーを颯爽と掲げ、「大丈夫ですよ」「赤ちゃんの泣き声は気になりませんよ」といったポジティブな気持ちを示してあげてください。お父さんやお母さんが、子育てを通して世の中の人の暖かさに触れれば触れるほど、赤ちゃんもきっと、世界により大きな希望を持って育つことができるのだろうと、私は思うのです。

最後に改めて、私の発案に賛同し、情熱を持ってプロジェクトを実現してくださったウーマンエキサイト編集部の皆さん、そして最高のイラストを添えてくださったイラストレーターの栗生ゑゐこさん、本当にありがとうございました。

紫原明子

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