モデル・栗原類、「発達障害(ADD)って、隠してたつもりはなかったんですけど笑」
―自分から興味を持って飛び込んだ世界とはいえ、集中を要したり、シーンに応じた振る舞いを求められたりと、大変な部分も多かったでしょうね…
類さん: そうですね。実際、今でも苦労している部分はありますし、これからもたくさんあると思います。でも、先輩の役者さんにアドバイスをいただいたり、舞台を観に行ったりと、学ばせてもらう機会にはとても恵まれていて、いま少しずつ吸収、成長していく時期なのかなって思います。
―コメディ映画に学んでいた頃のように、今後は周囲の先輩たちから学んで吸収されているのですね。
類さん: すぐにはうまく出来なくても、ひとつひとつ訓練していけば、いつかは壁を突破して成功できる。そうやって、長い目で見る気持ちは忘れないようにしようと思っています。
自分のことを「ネガティブ」だなんて思ったことはない?
Upload By 鈴木悠平(発達ナビ編集長)
―お話を聞いていると、類さんは、身の回りの物事への注意集中が難しいという特性がある一方で、ものすごく楽観的だったり、長期的な視野を持っている印象を受けます。
先ほどの話のように、「いつかは成功できる」と思って苦手なことも続けられたり、かと思えばバラエティ番組で人気沸騰だった時期にも、「この人気が続くわけがない」と、パリコレのオーディションに挑戦したり…
類さん: バラエティは毎年旬が変わっていくものですし、そもそも自分に向いていないと思っていたので、ずっと続けていくつもりはありませんでした。
それよりも、今までやったことがない新しい挑戦をしたいなと思ったんです。―とはいえ、まとまった期間で日本を離れると、連ドラなどの仕事は断らなければいけないし、オーディションに落ちてしまったら仕事が全部なくなってしまうかもしれない。なかなか勇気の要る挑戦だったと思いますけど。
類さん: 確かに、僕にとっては大きな挑戦でしたね。でも、パリコレは21~24歳ぐらいの若いモデルが求められていて、僕のこの年齢で飛び込むのがむしろベストなのかなとは思っていました。結果的に、「Yohji Yamamoto」では4期連続、2年間を通して出演させていただきました。
―周りからは当時、「ネガティブすぎるモデル」とか言われていましたけど、ネガティブというよりむしろ戦略的というか、かなりリスクを取って挑戦するタイプじゃないですか…
類さん: というかそもそも、僕は自分のことを「ネガティブです」