小3で「忘れ物の女王」、片づけが苦手で夫から罵倒、離婚も。ADHD当事者が目指す「否定しない社会」――発達障害を描いたCMプロデューサーが聞く【見えない障害と生きる】
私が反論するようになって、ストレス解消ができないから、手が出るようになったのかなって。でも自分の両親はサポートしてくれたし、ママ友たちも『子どもの迎え忘れているよ』とか教えてくれるようになって、すごく助かりましたね。私自身も、ADHDがあると分かってからは、子どもに怒らないようになりました」(広野さん)
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夫と別居するために2年ほど準備期間を経て、娘2人とともに小学校の校区の端から端に引っ越した。すぐに弁護士を立て、34歳で離婚に踏み切った。別居するとすぐさま、ストレスから解放された気分になった。そして2008年、「発達障害をもつ大人の会(現・NPO法人DDAC)」を立ち上げた。
「こんな感じでも今NPO法人の代表をしていたりとか、全部ができないわけじゃないんですよね。
発達障害はできることできないことにものすごく差があるけれども、できないことばかりではないということを知ってもらいたいです。あと、周りの人は何でもできるようにさせようとするじゃないですか。それをやられると、みんなだめになっていくんです。二次障害を引き起こしたりとか。何でもできる人間にならなくていいんです」(広野さん)
現在広野さんは、キャリアカウンセラーとして同じ悩みを抱える若者や仕事を探している人への就労支援を行っている。発達障害があるかもしれない人や、障害者手帳を取るかどうか悩んでる人、仕事を何回も辞めさせられたり、仕事が長続きしない人など、広野さんのもとにはあらゆる相談が舞い込んでくる。
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「とにかく“フツウになろうとしない”ことをオススメします。
自分なりの生き方、生活の仕方を編み出していくのが必要なので、落ち込みすぎずにうまく周りに助けてもらいながらできることをやっていく。私も20代のころは『どうやったらうまく死ねるのかな』とか思っていたんですけど、今はこの人生も割と悪くないと思っていて。発達障害があっても楽しく生きていけるような生き方をみんなにもしてほしいと思います」(広野さん)
新型コロナウイルス対策で、在宅勤務やリモート授業などが推進され、家族が一緒にいる時間が増えた。発達障害のある人にとって、毎日決まった時間に通勤・通学することの煩雑さを感じなくていいのは非常に楽だと広野さんは言う。ただし、「家の環境が良くないと地獄」