2021年9月9日 19:10
“カンヌ脚本賞”『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介 映画が3時間の長尺になったワケ
例えば、外国映画を字幕で観ているほうが、観客が登場人物を捉えやすい場合があるように、いい演技が生まれやすい状況を実現するための設定でした」
同じ言葉を使っていてもわかり合えないこともあれば、違う言語同士でも、認識を共有できる瞬間はある。言葉は不完全なツールだが、言葉を用いた先に言葉以上の何かが生まれるという希望が本編には描かれる。
「言葉で埋められるものは確かにある。不必要なすれ違いを避けるためにも、できるだけ繊細に細分化して伝え合えたほうが誤解は生まれにくい。一方で、どれだけ細かく言葉にしても言語化できない、身体的なことや感情も含めたすごく大きい領域が必ずあって。そのわからなさの輪郭のようなものを確かめるために言語化をしなくちゃいけないことはあります。言葉にできないところまで突き詰めた先に、“わからない”ということがわかり合えることがあるんじゃないでしょうか。もしお互いにそれを認識できたとしたら、通じ合うとは違うかもしれないけど、共存することはできるかもしれない」
長尺と言われがちな濱口作品だが、役者たちが抱く違和感や嘘っぽさを丹念に取り除き生まれた物語は、ずっと観ていたくなるものだ。