俳句にあって短歌にはないもの。それは
「季語」です。短歌は俳句のように季節を感じる言葉を入れなければならないというルールはありません。しかし、1首の中に
春夏秋冬が入ると、くっきりとした情景がたちあがります。
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■短歌で感じる「春」
「春に来て春に去り行くこの町の貯金通帳二冊が終わる」
大田省三(『第10回 若山牧水青春短歌大賞入選作品集』)
作者は「二冊」の「貯金通帳」という具体的な小道具を使い、町への愛着となごり惜しさを表現しました。さりげない言葉の奥の感情が刺激されます。
「置時計よりも静かに父がいる春のみぞれのふるゆうまぐれ」
藤島秀憲(『すずめ』)
しんとした春の情景画のような作品。「置時計よりも静か」という描写で父親の存在感が深く胸に響きます。
■「草花」のうた
春といえば桜。桜の花を題材に詠ったことがないという歌人は、おそらくいないことでしょう。しかし、いっせいに草が芽吹き花がわらう春の花は、桜だけではありません。
「エタノールの化学式書く先生の白衣に届く青葉のかげり」
小島なお(『乱反射』)
着眼点が非凡です。青葉のかげが映る白衣とは、ポエジーにみちています。春の教室特有の、空気のやわらかさや、あたたかさが伝わってきます。黒板に向かってC2H5OHと書く、教師をながめている一瞬がドラマになりました。
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「宇宙時間思えば一瞬にも満たずわたしの記憶にパンジーが咲く」
小島なお(『サリンジャーは死んでしまった』)
はるかな「宇宙時間」と「わたしの記憶」のコントラストがあざやかです。
まだ若い作者は、自分が生きてきた時間をパンジーに重ね合わせました。冬から春にかけて庭にひろがるパンジーのかれんさと、作者の感性がオーバーラップするようです。
「菜の花の黄(きい)溢れたりゆふぐれの素焼きの壺に処女のからだに」
水原紫苑(『びあんか』)
桜や梅はフォーマルな花。けれども、あぜみちや、バス停にひっそりと咲く菜の花はカジュアルなイメージがありませんか? ところが、かわいた素焼きの壷や、無機質な生娘のからだにあふれる「菜の花」は、幻想的で、美しい毒をはらんでいます。陽気なだけではない、ミステリアスな名歌だといえるでしょう。