くらし情報『【日本モード誌クロニクル:横井由利】二つの産みの苦しみから誕生したヌメロ・トウキョウ--7/12後編』

2014年2月19日 11:00

【日本モード誌クロニクル:横井由利】二つの産みの苦しみから誕生したヌメロ・トウキョウ--7/12後編

の堀江貴文以下数名の逮捕者を出したライブドア事件以降、銀行はIT関連の会社へ貸し渋るようになっていった。そのあおりを受けて、規模を縮小していく親会社を横目で見ながら、編集部を元代々木に移し、広告営業のパートナーとなった常見大作と共に、創刊に向けた試算を続けることになった。スタッフの絞り込み、会社経費の削減とシミュレーションを繰り返し、初めて現実的な創刊イメージが完成していった。ところが、1年余りの準備期間を費やし、創刊を間近に控えた2007年1月23日、ラ・カシェットの役員からこの事業を丸ごと買い取ってくれるところを至急探して欲しいとの要請があった。それは、1週間後に引き受け先が決まらなければ、創刊はないものと覚悟してくれとの厳しい内容だった。モード誌を毎月出していくためのランニングコストや、キャッシュフローを考えると、ITバブル崩壊の余波を受け弱体化した新興企業では、創刊にたどり着くことさえ困難だったのだろう。扶桑社がラグジュアリーブランドを扱う女性誌の出版に前向きであることを知り、田中編集長は、当時の朝倉役員と片桐社長、両氏を訪ね、ことの経緯と成功への秘策をプレゼンした。結果、1週間後にヌメロを引き受けるとの返事が返ってきた。

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