現代に藤原定家の歌を伝える「冷泉家」女将が語る邸宅売却危機
祖父・為系さんが65歳で他界。冷泉家は戦後の一時期導入されていた財産税、さらに固定資産税と、莫大な税金の納付に迫られた。伯爵だった冷泉家だが、華族制度も廃止され、戦前は毎年あった宮内省からの御下賜金もなくなり、市内で営んできた田畑も没収されていた。
「母は死ぬまで言うてましたが、徴税官が土足で家に上がりこんできたそうです。そして『もう出てったらええやんか!』と怒鳴られて。『こんな大きい家にアホみたいにひと家族だけで住んで、何考えてんねや。ここにアパート建てたら、どんだけの人が住める思うてんねや!』って。稼ぎは会社員だった父の給与だけ。
母は『もう税務署の前で首つらないかんかな、思うてた』と、そう言うてました」
わずかに残っていた屋敷以外の土地を売り、和歌とは関係ない、お茶やお香の道具類や調度品を処分。なんとかしのいできたものの、やがて2度目の危機が。大黒柱・為任さんが定年を迎える年齢に差し掛かったのだ。そのころ、貴実子さんは32歳。
「妹たち2人はすでに嫁いで家を出ていました。長女の私はそのころ、高校の教職について社会科を教えていたんです。それで、父が定年を迎えるにあたって、先々のことを考えておこう、と相続税を試算してみたんです。