『ふたりの人を愛し…』歌人・永田和宏語る故・河野裕子さんとの青春
が死別したとき、夫は愛妻の遺品のなかに、ふたりが交わした300通の手紙とともに、10冊以上に及ぶ彼女の日記帳を見つけた。それを没後10年近く「読めずにいた」永田さんだったが、いまから3年前の19年のこと、意を決して手を伸ばしたのだという。
「先立った河野は、本当に僕が夫でよかったのか?ほかにふさわしい選択はなかったのか?そんな疑問が頭をもたげたんです」
すると日記には、裕子さんの胸の内が赤裸々につづられていた。
《永田さんのお隣りにすわっていて、私たちはお互いに意識しあっていた。一緒にいるということは、何物にもかえがたい……》(67年10月16日)
裕子さんにはこのころを詠んだと思われる次の一首もある。
《陽にすかし葉脈くらきを見つめをり二人のひとを愛してしまへり》(『森のやうに獣のやうに』より)
これらの日記や歌は、知り合った当初から、「ふたりの人を愛している」と打ち明けられた日までの記録である。
「河野がこんなにいちずに思い詰めていたんだということ、人は愛にここまでいちずになれるんだということに、本当に驚きました……」
■大学時代に出会ったふたり。裕子さんは《一目で好きになった》と書き残した
永田さんは66年に京都大学理学部に合格し、京大短歌会に所属。