初めての出産は、わからないことだらけ。初産のとき、私もわからないことが多く、不安になることがありました。共に陣痛に耐えていた妊婦さんたちが、次々と分娩室へ……。「私が分娩台に上がるのはいつ!?」と、焦ってしまった出産体験談をお送りします。 分娩室になかなか入れなくて焦る気持ち初めての出産のとき、病院に到着してから分娩室に入るまでの間は、分娩室の横の部屋で陣痛に耐えていました。その病院では、子宮口が十分に開いてから分娩室に移動するとのことでした。 つらい陣痛に耐えていると、私よりあとから病院に到着した妊婦さんが私を追い越して分娩室に入っていくことに気付いたのです。「私が先に病院に来ていたのにどうして先に!?」と不安になるなか、しばらくすると赤ちゃんの産声が聞こえてきました。 初産婦と経産婦の違いを知らなかった!なかなか分娩室に案内されず、時間がかかっていることに問題はないのかと、ナースコールを押して何度聞いたかわかりません。「問題ないですよ」と言われても、周りの妊婦さんとの違いに不安が募りました。陣痛に耐えている間は、時間の感覚がいつもよりも遅く感じたため、余計に心配でした。 そんなとき、助産師さんから「初産と2人目を産むのとでは、出産までの時間のかかり方が違うんですよ」と聞き、ようやく納得しました。私はそのことを知らず、勝手に周りの様子を伺って焦っていたのでした。 初産は時間がかかる!陣痛が始まってから子宮口が開くまでの時間は個人差がありますが、一般的に2人目・3人目(経産婦)の出産は、初産婦より早くなるのだそうです。その後、さらにもう1人の妊婦さんが先に分娩室に入っていき、そしてまた、分娩室から元気のいい産声が聞こえてきました。 私は陣痛が遠のいてしまっていたので、そのまま何時間も分娩室には入れませんでした。そして、ようやく子宮口が十分に開き、分娩室へ移動することができたのです。 2人目を産んだのは別の病院でした。今度は初産の方の陣痛中に私が分娩室へ。あとから来た経産婦さんが、先に分娩室に入ることはよくあることだと知っておくと焦らずに済みますね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:斉藤あや大人しく内気な娘と楽天的で活発な息子、男女二児の母。ママ・パパに役立つ情報をお届けすべく、これまでの育児経験を生かして、育児の工夫やお役立ちグッズなどの情報を発信中。
2019年10月23日赤ちゃんは生まれたら当たり前におっぱいを飲むものだと思っていた私。しかし、実際には陥没乳頭のため赤ちゃんが乳首をくわえられず、その事実にとてもショックを受けて落ち込みました。 授乳するまで知らなかった乳首の形状がさまざまあるのは知っていましたが、自分の乳首の形が陥没乳頭であり、それが原因で赤ちゃんがくわえづらいということは、出産して授乳をしてみるまでまったく知りませんでした。 母親学級では、乳首の伸びがよくなるようにマッサージをするよう指導は受けましたが、形を見てもらうことはなかったからです。指導の通りに、おなかが張らない限り出産まで自分で乳首のマッサージをしていました。 授乳室でみじめな気持ちにお世話になった病院では授乳室というものがあり、初産のママが決められた授乳時間ごとに集まり、助産師さんが指導をしてくれる環境で、赤ちゃんに授乳をするスタイルでした。 まず乳首をマッサージして授乳を試みますが、おなかを空かせているのに乳首がわからない赤ちゃんは暴れてくわえてくれず、助産師さんにすすめられて使用したニップルシールドは取れやすく、うまく授乳ができないことにとても焦りました。 助産師さんも忙しそうで、「とにかく頑張ってみて!」というアドバイスのみで、どうしたら良いのかわからず、母乳の出が悪いわけではないのに飲ませることができず、授乳ができている他の母子の姿が羨ましく、だんだんと授乳室に行くことがつらくなっていました。 ストレスから精神的に不安定に退院してから、桶谷式マッサージに通ったり、馬油でマッサージしたりしていましたが、なかなかうまくいきません。授乳時間はとても長く、赤ちゃんが疲れて寝てしまうなど、思い描いていた産後の姿とはまったく異なり、心がとても荒れていました。母乳が出ているのに……と恨めしい気持ちで育児用ミルクを作っていたので、周囲の「母乳は出ている?」などの些細な言葉に傷つき、夫や母にも八つ当たりをしていました。 しかし、赤ちゃんが生後2カ月になったある日、ぱくっとくわえられるようになったのです! 赤ちゃんが成長して口が大きくなったことや、私の乳首が出てきたことなど、要因はいろいろあると思います。それからは精神的に落ち着きを取り戻していきました。 今考えれば、まったく母乳を飲めなかったわけではなかったのにショックを受けてしまっていたのは、赤ちゃんはおっぱいが飲めることが当たり前だという私の思い込みがあったからです。授乳は赤ちゃんとママの共同作業であり、お互い慣れない同士。自分を責めたりせずに、そんなこともある、と心の片隅にあるだけでも違ったなぁと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。受診している産院・病院によって対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/さくら監修/助産師REIKO 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2019年10月23日初めての妊娠、出産を経てついに授乳開始! 母乳らしきものが出始めていたので、どんと構えていれば母乳なんてすぐ出るだろうと思っていました。しかし、産後は母乳がほとんど出ていなくて、娘に「ごめんね」と謝る日々……。けれども、あるものによってそれが改善されました。 乳頭マッサージの効果あり!?妊婦健診のとある日、助産師さんからの母乳指導がありました。「初めての妊娠ではなかなか母乳は出ないだろうから、妊娠中はおなかが張らない限りしっかり乳頭マッサージしてくださいね」と言われました。それから少しずつ、入浴時にわが子を思いながらマッサージの日々。すると少しずつ、透明に近い分泌物が出始め、母乳らしいものに変わったので、母乳は出るに違いないと確信していました。 産後の授乳開始…母乳が出なくてごめんね私はバースプランで完全母乳をお願いしていたので、産後の疲労もありましたが、粉ミルクは一切使わずに授乳を開始しました。 しかし入院中、娘の体重チェックが定期的におこなわれるのですが、2日目にして出生時より体重が激減。「この減り方はまずいね……」と助産師さんに言われ、一気に不安に。助産師さんには、「(娘の吸い方に関しては)とてもじょうずだね」と言われていたので、私の授乳の仕方がいけないのだとひどく落ち込んでしまいました。 搾乳器の存在を知らなくてごめんねすぐに混合栄養に切り替え、粉ミルクを足したけれども娘の体重が増えない→落ち込む、その繰り返し。授乳室にいる同期ママの前で体重をチェックされるのも嫌になり、部屋にこもる日々でした。 そんな私を見兼ねた助産師さんが、「授乳室の搾乳器を使ってみて」とすすめてくれました。すると、1回に推定10mlしか出ていなかった私の母乳も、搾乳器を使うと30mlくらい搾乳ができたのです。そのときは本当にすがる思いだったので感動しました。 今まで母乳が足りてなくてごめんね体重チェックもなんとか合格をもらい、無事に退院してからはとにかく搾乳器で搾乳する日々でした。徐々に母乳も増え、1カ月を過ぎたころになると1回に50~80mlを搾乳できるまでになりました。 すると、授乳の時間が楽しくなって気持ちも前向きになり、今までは「母乳が足りてなくてごめんね」と娘にマイナスな気持ちばかり伝えていたのですが、「私を母親にしてくれてありがとう」という気持ちがこみ上げてくるようになりました。 その後、搾乳器を使わなくても娘がごくごくと音を立てて飲めるようになり、「搾乳器を使用したことで母乳の出を促してくれたのかな?」と思っています。現在は「標準より少し大きめだね」と言われるぐらいにまで成長してくれていて安心しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:imasaku著者:川口さゆり1歳の娘をもつ母。山暮らしを満喫しながら小さなお店を営んでいる。娘のめざましい成長に日々一喜一憂。
2019年10月23日2人目を出産し、生理が再開してみると最初は軽かったのにだんだんと重くなり……。ついには病院へ通うようになった私の体験談です。 出産前、私の生理はとてもラクでした月経周期が規則的で、生理痛が多少はあるものの、2日目に痛み止めを飲めば済む程度だった私。 友人が生理不順で婦人科に通っていることを聞いても、「大変そうだなぁ」と他人事のように感じていました。 月経開始が早かったこともあり、どこか自分は「慣れている」と思っていた部分もあったように思います。年齢や体調によって生理の状況が変わっていくとも知らずに……。 漏れが怖くて出かけられない!私の生理が大きく変化したのは、次男の授乳が終わった2カ月後に生理が再開したときでした。最初は経血の量が少ない他には特に変わった点はなかったのですが、徐々に月経周期が乱れ始め、生理前にイライラするようになり、ついには大きなレバーのかたまりのような経血が出るように! どんなに大きな生理用ナプキンを使っていても1時間に数回取り替えなければならず、外出もままならない状態に。これはおかしいと婦人科に相談してみることにしました。 原因は“冷え”でした婦人科で検査をしてもらったところ、幸いなことに問題は見つかりませんでした。では、どうして生理が重たくなってしまったのか。 先生の見立てでは“冷え”が原因では、とのことでした。漢方薬を処方していただき、毎日服薬してみると、生理が徐々に落ち着いてきました。 さらには、それまで感じていた日中の眠気、体のだるさ、夜中に目が覚めるなどの細かな不調までもがラクに! 夜間授乳の習慣で、体のリズムが整わないのだろうと思っていたのですが、先生によると、どれもが冷えから来る症状だというお話でした。 こうして振り返ってみると、小さな不調も体からのサインだったのだなぁと思います。子どもの体調ばかりに気を取られてしまい、自分の体に目を向けていなかったことを反省。これからは自分の体のメンテナンスも心がけようと思いました。婦人科に通院するようになって、乳がんや子宮がんの検診も受けるようになったので、生理の変化は私にとって自分の体に目を向けるいい機会だったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月22日私は夫と付き合ってすぐ妊娠したため、結婚から出産までのスピードがとても早く、出産時期には“恋愛真っ最中”の間柄でした。出産時に便が出てしまう人もいるということを知って、当時はそんな醜態を見せるなんて恥ずかしくて恥ずかしくて、とても集中できなさそう……と思っていました。立ち会いたいという夫の気持ちを考慮しても、羞恥心にはどうしても勝てず。悩んだ末に私は立ち会い出産をしないことにしたのです。 浣腸はしないんです実は私、姉が出産時に前期破水で入院したため、様子を見に病院へ頻繁に通っていました。なので「出産時のうんち事情」についてはほんの少し知っていたのです。それまでは、陣痛がまだ弱いうちに浣腸をして、出産時に便が出てしまわないようにするんだとばかり思っていました。 しかし、最近は違うようで、出産時に便が出ることはよくあるらしいのですが、出産前に浣腸すると便も液状になるため衛生上悪く、固形物のほうが処理しやすいのだと、姉が助産師さんから説明を受けたとのこと。それを後から聞いた私も衝撃を受け、「えー!?」と叫んだほど。人前でうんちするなんて、いくら助産師さんは慣れっことはいえ、なかなかハードルが高いなとは思います。 出産当日の便事情は……姉は、結局出産前日に食べ過ぎたことが原因で当日下痢をし、「全部出た」とのこと。しかし、病室で陣痛を我慢している間には、やはり少し下着に便がついたそうで、旦那さんにわからないように、汚れた下着を母が回収してくれたそうです。 私はというと、自分なりの対策として、陣痛が来てからまだ動けるうちにLDR備え付けのトイレにこまめに行き、なるべく自然に便が出るようにしました。本格的に痛くなってからは、出たかどうかもわからないくらい苦しみましたが、仮に出ていたとしても、“ちょっと”だったと思います。 そもそもなんでうんちが出るの?陣痛の感じ方は人それぞれだと思いますが、私の場合では、陣痛がピークに達したときには、おなかの中から膨らんでくるような強い痛みが襲ってきたのです。このとき、体に強い力が入ってしまいました。 しかし、体に力を入れることにより、赤ちゃんに酸素が行かなくなってしまうので、深く息を吐いて力を入れないようにと助産師さんから聞き、必死にいきみ逃しをするように。ですが、いきみ逃しも長くは続けることができずに陣痛が来るたびに“うんちを踏ん張る”ような状態になってしまいました。そのため腸に残っている便が出てしまったのです。 私は、恥ずかしいという気持ちから「赤ちゃんの産声を聞きたい」という夫の気持ちを押し退けてまで、立ち会い出産をしませんでした。しかし、出産後の今も立ち会い出産をしなかったことに後悔はありません。出産時にうんちが出てしまう可能性があるなら、いくら夫婦だからといっても、立ち入られたくはないと感じているからです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:中村ちはる一女の母。37歳での妊娠、出産を機に医薬品関連商社を退職。現在は自身の経験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月21日子どもが生まれると出費も多くなるため、知人からおさがりがもらえるとうれしいですよね。私も、職場の人や友人にベビー服やベビーカーなどおさがりをたくさんもらいました。ただ、そのときに悩んだのが「お礼の仕方」です。意外と多くの方が悩むことではないでしょうか。今回は、私がおさがりをもらったときのお礼について紹介します。 周りから多くのおさがりをもらった初めての妊娠・出産の場合、準備するものがたくさんあって出費が激しい……。そんなときに職場の同僚や友人からベビー服をはじめ、おもちゃやベビーベッド、チャイルドシートまで、本当に多くのおさがりをもらってとても助かりました。 私の知人の場合、「どうせ不要なものだから、もらってくれるとうれしい」と言う人が大半でした。おさがりをもらう側もあげる側もメリットがありますが、やはりもらいっぱなしとはいきませんよね。どうお礼をするべきか考えました。 食べ物や消耗品を贈るお礼に現金や高価なものを贈ると、失礼に当たることもあるかもしれません。そこで私は、洗剤などの消耗品やお菓子をお礼として贈ることにしました。よく贈ったのが日持ちのする焼き菓子やギフト用のパンです。 特にに私の周りでは、パンが喜ばれました。また、子どもが喜ぶ雑誌や文具と一緒に贈ったこともあります。金額はベビー服の場合は1,000円程度、ベビーベッドなどの高額商品は3,000~5,000円以内を目安にしました。 お礼はいらないと言われた場合ベビーカーをくれた職場の先輩に「お礼はいらないよ」と言われました。いらないと言っているのにお礼をすると失礼かもしれませんが、私の性格上、何もせずにいられませんでした。 そこで1,000円以下のお菓子とわが子がベビーカーに乗っている写真、手紙を添えて贈ることに。すると先輩は、特に写真と手紙に喜んでくれましたよ。おさがりを大切に使っていることや感謝の気持ちを伝えることも、お礼の1つだと思いました。 おさがりをもらう側だった私ですが、今度は私があげる側になっています。一番うれしかったのが、私があげたベビー服を着ている子どもの姿を見たときです。きちんと使っている姿を見ると、あげてよかったという気持ちになりますね!著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月20日みなさんは、妊娠中の性行為についてどう思いますか? 今日は、私の妊娠中の話をお伝えします。安定期が過ぎたころ、「たまにはしてみる?」と妊娠中の性行為に挑戦しました。ところが、普段とは違う体でなかなか思うようにいきませんでした。 安定期に突入。そろそろしてみる?妊娠がわかってからは、私の体を気づかい、妊娠中の性行為はお休みしていました。安定期に入ったころ、体調も落ち着いてきたので、「たまにはしてみる?」と夫からお誘いがありました。 病院で健診を受けた際にも「夫婦生活をするようなら無理しないようにね」なんて言われていたので、おなかの張りなど、違和感があったら中断しなくてはいけないことなどを夫に伝えて、妊娠中の性行為に挑戦しました。 休憩や中断ばかり。気まずい空気にいざしてみると、私の気にしすぎかもしれませんが、おなかの張りを感じることが多く、夫に「ちょっとストップ」をかけることが多々ありました。 休憩している間に、お互いそんな気分でもなくなり、「今日はもうやめておこうか」と中断したり、横になっていたらお互いいつの間にか寝ていた、なんてことも。夫は「気にしていない」とは言ってくれていましたが、なんだか気まずくて、そもそもそこまでしてすることなのか? とも思い始めていました。 性行為よりもスキンシップ思うようにいかないことに、夫も不満なのではないかと思い、思い切って聞いてみました。すると、「休憩も中断も仕方ない。それに別に気にしていない。できなくても一緒に寝るだけでお互い安心できるんじゃないかな」と言ってくれて気がラクになりました。 それからは、中断したときは一緒におなかをさすりながら話をしたり、「今日はどこまでできるかな~(笑)」なんて冗談を言ったりしながら、のんびり性行為ができるようになりました。 妊娠中の性行為は、普段通りとはいきませんでしたが、夫の理解もあり、「性行為をする」ことより「スキンシップをする」ことが大切だと、夫婦で確認することができてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年10月20日私が2人目を妊娠中(妊娠5カ月)のとき、長女が通っている幼稚園の親子遠足がありました。遠足の行き先は山! 平日のためにパパは仕事を休むのが難しく、両親や義両親には付き添いを頼むのが厳しい状況。悩んだ末に私が一緒に行くことになり……。 妊娠5カ月、娘の遠足先は長七郎山!娘が通う幼稚園では、毎年1回親子で出かける親子遠足があります。年中になった娘の遠足先は長七郎山! 群馬県にある赤城山系の長七郎山は標高1,579mで、5時間程度かけてゆっくり登って下山するという予定でした。妊娠中の登山経験はなかったため、娘に付き添って行くかどうか悩みました。それでも、独身のころに登ったことのある山だったこと、妊娠の経過が順調だったことから、幼稚園の先生や産科の先生にも許可を得て登ることに決めました。 登山に向けて少しずつ体力をつけるいくら登ったことがあると言っても7、8年も前のこと。当時のほうが体力も筋力もあったし登れるのだろうか……? という不安がありました。親子遠足で長七郎山に登ったことのある同じ幼稚園のママに様子を伺ったところ、 「結構疲れるよ」 という話を聞いたため、プールや娘との散歩などで積極的に体を動かして少しずつ体力をつけるようにしました。また、週に1回掃除のパートをしていたので、仕事でも体力をつけられるように意識して体を動かしていました。 準備万端でいざ登山!いよいよやってきた親子遠足の日。絶対に無理はしないということで、いざ登山スタート。基本的には先に子どもたちと先生が登り、その後から保護者がついて行くという流れだったのでゆったりとしたペースでした。 私の不安とは裏腹におなかが張ったり痛くなったりすることはなく、無事に娘と登頂! 頂上でおいしいごはんを食べて、怪我もなく下山することができました。リュックや靴などの装備が登山専用の物だったことも、体への負担を減らすことができた要因ではないかと思います。妊娠してトイレが近くなっていたので携帯トイレを持参しましたが、今回は使わずに済みました。 安定期に入ってはいたものの、妊娠中という状態で参加した今回の親子登山。事前に幼稚園の先生たちと不安なことや妊娠の経過について何度もやりとりをして、実現することができました。娘とも思い出に残る経験ができて本当にありがたかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:ライター 吉川麻和一児の母。娘の出産を機に仕事を退職し、現在は子どもの成長に合わせた働き方を模索中。不妊治療の経験や子育て経験に基づき執筆中。
2019年10月20日産後、里帰りせずに自宅へ戻るママさんもいると思います。特に上の子がいると不安が大きいのではないでしょうか。私も同じく自宅へ戻り、怒涛の日々を過ごしていました。そんなある日、とても心温まるできごとが。そのときの話を聞いてください。 里帰りせず、すぐに自宅へ私は3人目を出産後、里帰りをしませんでした。理由は、母を亡くしていたため実家には父親だけだったということと、夫が5日間ほど休みを取ってくれていたことでした。 頼りたい実母はいないけれど、夫がいるからきっと何とかなるだろう、と思ってのことでした。もちろん、上の2人の子どもたちも一緒の自宅です。不安はありましたが、“やるしかない”という状況でした。 3人の乳幼児と、てんやわんやの日々上の子と言っても、まだ4歳と2歳。そのなかに新生児が加わって、わが家の日常は一変しました。 特に夫が通常勤務に戻ったあとは、ひとりで3人の乳幼児を見ていたので、下の子が泣いていてもすぐには抱っこしてあげられないことも多く不安がつのりました。よくひとりで泣いていたあのころ、今思うと産後の感情の変化もあったかと思います。 私を見てくれていた人がいた……!そんな怒涛の日々を過ごしていたある日。ゴミ出しで外に出たときに、「突然ですみません。もう不要になったおむつと母乳パッドをもらっていただけませんか?」と声をかけられました。 その方は、あいさつ程度しかしたことのないご近所の方でした。驚きと同時に、必死で子育てをする私を見てくれていた人がいたんだ! と感激して、涙が出てきました。 ご近所付き合いが希薄だと言われている昨今ですが、地域の方々も子育てを頑張っているママをきっと見てくれていると感じました。あのとき、ご近所の方がおむつや母乳パッドを譲ってくださったできごとは、今でも私の心の支えになっています。著者:山野美由紀二男一女の母。出産を機に、プログラマーを退職。現在は妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2019年10月19日2歳ごろからトイトレに取り組むママも多いですが、私は娘が3歳になってからトイトレを始めました。その理由とともに、実際にトイトレをどのように進めたのか、わが家の体験談をご紹介します。 3歳までトイトレを待った理由私が娘のトイトレを3歳から始めた理由は、2つありました。1つ目は、「3歳からトイトレを始めたら、2週間ほどで終わった」とママ友から体験談を聞いていたこと。トイトレは大変ってよく聞くし、少しでも短い期間で終わったほうがラクかも、と思ったからです。 2つ目は、娘のおしっこが頻回だったためです。膀胱にあまり尿を溜めることができなかった娘と、2歳のうちからトイトレを始めるのは大変かなと思い、3歳からスタートすることにしました。 2歳8カ月のときにチャレンジするも延期することにうちの娘がどれくらい頻回だったかというと、1時間に3~4回おしっこをしていました。そして、1回の量がとても少なかったんです。 2歳8カ月のころに、一度トイトレを開始しました。4層のトレパンを履かせていましたが、おしっこの量が少なすぎてトレパンから漏れず、本人もお漏らしを気にしないという事態。そこで、トイトレ時期は今じゃないと判断し、「3歳になったらパンツにしようね」と娘と約束しました。 ただ、本格的なトイトレはしなくても、トイレに連れて行って便座に座らせてみたり、トイレに関する絵本を読んだりして、トイレに興味は持つように誘導。トイレに行くのを嫌がらないように、気をつけていました。 3歳の誕生日! いざトイトレ開始「3歳になったらパンツにしようね」と約束していたので、娘もやる気満々です。さらにやる気を高めるために、パンツを一緒に買いに行くことに。3歳からのトイトレ開始時には、トレパンではなく普通の綿パンツを履かせることにしました。 薄い綿パンツは少量のおしっこでも、「濡れる感じ」を娘も実感。少しおしっこが出ただけでも、知らせてくれるようになりました。 はじめのうちは、午前中だけで手持ちのパンツがなくなることも。でも、薄い綿パンツは洗濯してもすぐ乾くので、夕方には再度トイトレに取り組めました。 急に膀胱におしっこを溜められるようにはならないので、食事の時間の前後や1時間ごとなど、時間を決めてトイレに誘い、開始から2カ月でおむつが無事にとれました。実際には、ママ友から聞いた体験談のように2週間で終わりませんでしたが、私と娘には3歳からのトイトレが合っていたようです。著者:田中友奈5歳の長女、2歳の長男、2児の母。妊娠を機に営業職を退職し専業主婦となり育児を満喫し、長女の幼稚園入園を機にライターに転身。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月17日私は里帰り出産をせず、出産後も実家に帰省しないで自宅に戻りました。夫と2人だけで産後を乗り切れるかどうか不安はありましたが、夫は帰りの早い仕事ということもあり、どうにかなりました。私と夫と赤ちゃんの産後1カ月についてお伝えします。 出産後も帰省はせずにそのまま自宅へ出産後、自宅に戻った私は、買い物はコープの配達を活用。食事は夫が作るか買ってきたもの、掃除・洗濯は自分でできる範囲で夫と分担しました。 生まれたばかりの赤ちゃんも、授乳やおむつ交換などのお世話はありますが、寝ていることが多く、私も一緒に休むことができました。親に甘えられない大変さはお互いにありましたが、どうにか生活はできました。 夫が“父親”になっていく帰省しなかったことで、生まれたばかりのわが子と一緒にいられることに夫は大喜び。毎日顔を見ていると赤ちゃんのために何かしたくなるようで、赤ちゃんをよくかわいがって積極的にお世話をしてくれるようにもなっていきました。 驚いたことに、興味がなかった家事も手伝ってくれるように! 今まで私にお世話されるばかりだった夫を思うと、とても大きな変化でした。 新生活への適応が早い私自身は、出産後1カ月間は体の回復を優先しましたが、そのなかでも赤ちゃんのお世話や洗濯たたみ、片付けなど、簡単な家事をこなして、赤ちゃんのいる新生活にもすぐに慣れることができました。 体が回復してくると、できることも増え、地元の子育てに便利な情報もチェックするなど、余裕が出てきました。もし帰省していたら、大荷物を抱え、1カ月後にアパートに戻り、夫と喧嘩しながら部屋を片付けたり、生活に必要な物を揃えたりしていたかもしれません。 いろいろな事情で、里帰り出産や産後に帰省することができない場合もあると思います。赤ちゃんと生活をするのは自分の家。大変でも帰省せずに自分の家で産後を過ごすことも、これはこれで利点があるように感じました。 著者:富士ちあき一児の母。子宮筋腫や切迫早産を経験しながらも無事に男の子を出産。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月17日私は娘が生後2~4カ月のころを思い出すと、今でもとても心が痛くなります。あのころの私は心身ともに不調続きで毎日とてもつらく、必死に育児をしていました。私なりに頑張ってはいたのですが、娘に「本当にごめんね」と謝りたいできごとがありました。 泣く娘をすぐに抱いてあげられなかった私は娘が生後2カ月のころに産後うつを患ってしまい、娘が泣いてもすぐに反応してあげられないことがありました。 娘が泣いている、抱いてあげなきゃ、あやしてあげなきゃ……とは思うのですが、なぜだか体が動かないのです。そのうちなんとか抱っこしに行くのですが、ベビーベッドの前まできて立ち尽くしてしまうこともありました。私が抱っこするまで泣き続ける娘の姿を見て、娘は悲しかったのだろうなと思いました。 私の通院のために何度も病院へ産後うつに加え、乳腺炎で高熱が出たり、眠れなくなるほどの股関節痛に襲われたり、薬のアレルギー症状で全身にむくみが出て倒れたりと不調が続き、短期間に何度も病院へ行くことになりました。 平日の日中はほぼワンオペ育児だったわが家では、そのたびに娘も一緒に病院へ連れて行くしかありませんでした。毎回、娘が風邪をもらってきたりしないか、長時間の外出で娘に負担をかけていないか、心配でたまりませんでした。 体調不良の軽快とともに、罪滅ぼしを娘が生後半年になるころには、私の産後うつや、他の体の不調も軽くなっていました。そのころから、娘が泣いたらすぐに抱っこしたり、あやしたり、それまでの罪滅ぼしをするようにスキンシップをするようにしました。 「今まで本当にごめんね。これからはいいママになれるように頑張るね」という気持ちでした。すると、だんだんと娘の泣く頻度が減り、泣き止むまでにかかる時間も短くなっていったような気がします。 私のことで娘に負担をかけてしまったのは事実です。しかし、病気にかかることは本人の特性もあり、仕方ないことだと思います。「ごめんね」と思うことがあっても、その後に「ごめんね」と思った分以上にかわいがってあげるようにしたいなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:丸川朋一女の母。出産を機に仕事を退職。子育てのかたわら、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。現在二人目妊活中。
2019年10月17日第二子を予定通りに妊娠し、もうすぐ4人家族になる! と思っていたら、まさかの双子であることが判明した私。子宝に恵まれて幸せは幸せだけれど不安もあって……。双子妊娠によって、幸せな気持ちと不安な気持ちに葛藤した私の体験談を紹介します。 第二子がまさかの双子?!長女が2歳になったころ、第二子を妊娠していることが判明しました。出産時期も夫と私の計画通りになり、子どもが2人になることが楽しみになりました。しかし、いざ産婦人科で調べてもらうと、双子である可能性が浮上。予想外だった双子妊娠に、妊娠初期は幸せな気持ち以上に不安な気持ちになることが多々ありました。 一卵性の双子に確定毎日長女の相手をしながら、生まれてくるおなかの子たちのことを思うと、それは幸せなことのはずなのに、妊娠数週が進むにつれ、不安や悩みは深まるばかりでした。 長女の子育てをしているからとはいえ、一気に3人の子どもをどのように育てたらいいのか、長女にさみしい思いをさせてしまうのではないか、自分に3人の子どもの母親が務まるのかなど、不安に押しつぶされそうになる毎日でした。 もう開き直るしかない!?子どもが一気に3人に増える不安から、「ママの実家の近くに引っ越そう」と夫が言い出してくれないかな……と、密かな期待をしていましたが、それは難しそう。悩みきった私は「もう、私が開き直るしかない!」「私は3人の母に選ばれたんだ!」という自信に、思い切って気持ちを切り替えました。 今はまだ出産前なので、リスクなどを考えると、まだまだ不安が消えることはありません。でも、私がいいほうに気持ちを切り替えたことで、長女への接し方にも余裕が出てきたように思います。そのおかげで長女にも笑顔が増え、その笑顔を見ると、私も5人家族になるのが楽しみに思えるようになりました。著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月16日待望の子どもができて幸せな反面、ずっと悩みの種だったのが“満足に寝られない”ということ。子どもを寝かしつけてから家事をし、改めて眠ろうと思うと寝つきが悪くて睡眠不足……という日々が続きました。このままだと体によくないと考え、長子が2歳になったころ習慣を変えました。 うまく寝つけないわが家の子どもの寝かしつけ時間はだいたい20時です。布団へ横になり、寝かせるために子どもの胸をトントンしていると、自分も眠くなってきてウトウト……。そのまま一緒に眠ってしまって30分~1時間くらいしてから起き、残った家事などの仕事を済ませ、いざ眠ろうとすると、仮眠をとってしまったためにうまく寝つけないのです。日付が変わっても寝つけず、ようやく眠ったと思ったらもう朝……という睡眠不足が続きました。 「このままだと体がまいってしまう」と考え、子どもが2歳になったころに思い切って習慣を変えることにしました。 早寝早起きが習慣にそれまでは「子どもを先に寝かせて、残った仕事をすべて片付けてから就寝」という習慣にしていましたが、「子どもと一緒に眠って、朝早起きして残った仕事を片付ける」という習慣に変えました。 20時に寝かしつけを始めると、だいたい30分くらいで寝つきます。朝4時にアラームをセットし、子どもが寝たらそのまま一緒に眠ります。おおよそ7時間くらい眠れるので、睡眠時間は十分。寝つきがいいのですっきりと起床でき、「眠たいのに眠れない」と布団の中でイライラすることもありません。 週末はパパとのコミュニケーション日にしかし、1つ問題が。パパが残業で帰ってくるのが遅いと、朝の一瞬しか会うことができないのです。忙しい期間はそれが何日も続くので、夫婦間のコミュニケーションが足りないなとお互いに思うようになりました。 そこで、週末は子どもを寝かしつけたあと、パパと映画を見たりお酒を飲んでおしゃべりしたりして、“コミュニケーション日”にすることにしました。翌日がお休みなら寝坊しても安心だし、おおらかな気持ちでいられます。 週末寝る時間が遅くなっても、習慣化した早寝早起きがすぐに崩れることはなかったので、この方法でうまくいっています。もともと早起きが得意なタイプなので、この習慣は自分の体質にとても合っていると思います。2人目が生まれたときに1度崩れましたが、夜中の授乳が終わってから再開し、6歳になった今までずっとおこなっています。 著者:ライター 銀鏡あゆみ二児の母。生まれ育った町で、自身の父母・祖母・夫・子ども2人との大家族で暮らす。地元を中心に取材・撮影・執筆を行うライター。
2019年10月15日出産について、陣痛の痛みと同じくらい気になっていたことが「会陰切開」。自分の体を切るという痛みは、陣痛とはまた違った恐怖です。実際どんな風におこなわれるの? 陣痛の痛みでわからないってホント? などなど私も出産前は疑問だらけでした。最終的に私は吸引分娩のために会陰切開をしましたが、実際してみると想定外のできごとが続々! そんな体験談をお伝えします。 会陰切開って何?会陰切開とは、赤ちゃんが出てくるときに会陰が裂けるのを予防するため、あらかじめ会陰を切ることだそう。恥ずかしながら私は妊娠してから知りました。麻酔なしで切ることもあると知り、驚愕。 いくら陣痛が痛いと言っても、自分の体を切られるというのはまた別の痛みだと思うからです。心配性な私は出産にあたってまた1つ不安の種が増えることとなり、日々お風呂で会陰マッサージをしつつ、切開しなくて済むのを願うばかりでした。 吸引分娩のため会陰切開に!そんななか迎えた出産当日。最終的に私は吸引分娩に切り替えることになりました。そして器具を入れるために会陰切開も決定。「ちょっと切りますね〜」というお医者さんの言葉に、陣痛に耐えつつもまた別の緊張感が襲ってきます。 しかし、お医者さんは麻酔を打ち、あっという間に切ってしまいました。緊張からやたらその部分に意識を向けていたにも関わらず、痛みや違和感はありませんでした。陣痛の痛みでわからないというのは本当なんだ! と感心したのを覚えています。 切ったら縫うことを忘れていたその後無事出産! わが子の産声を聞きホッとしたのもつかの間、会陰に違和感が……。そうです、切った会陰を縫合する作業が残っていたのです。陣痛がおさまったからなのか麻酔が切れてきたからなのか、出産の感動も薄れるほどの不快な感覚が続きました。 我慢できなくはないのですが、針と糸が通るとき、なんとも言えず痛くて気持ち悪いのです。丁寧に縫ってくださるのは本当にありがたいのですが、「もう早く終わってー!」とばかり考えていました。 会陰切開は長い出産のなかのほんの一瞬のできごと。今振り返ってみるとたいしたことはありませんでした。ただ、陣痛は出産すれば終わりますが、会陰切開は出産後縫わなければいけません。産んだあとはつい開放感でいっぱいになってしまいますが、油断禁物だなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:優木このみ2歳女児の母。出産後まもなく、夫の海外転勤のため家族でイギリスに1年ほど滞在。現在は帰国し日本で子育て中。自身の体験を中心に執筆している。
2019年10月15日赤ちゃんが生まれたばかりのころ、初めてのお世話はとっても大変ですよね。私はとにかく赤ちゃんが心配で、暑くはないか寒くはないか、息をしているかなどなど、いつも心配ばかりしていました。そんな産後のあるとき、私は夫とまったく触れ合っていないことに気付いたんです。 産後、夫とのふれあいは耳掃除から生後1カ月に満たない赤ちゃんのお風呂あがりのお世話は大変ですが、あたたかくてやわらかい赤ちゃんの体を堪能できる、私にとって大好きな時間でした。 そんなふうに過ごして1カ月ぐらいのことです。私はキスはおろか夫とまったく触れ合っていないことに気が付きました。軽いボディータッチさえなかったんです。このままでは産後セックスレスになってしまうと焦った私は、以前はよくしていた夫の耳掃除からスキンシップを始めようと思い付いたのでした。 こ、こんな感じだったっけ? 夫の耳掃除を始めようとした私が見たものは、赤ちゃんの耳とはまったく違う、大きくて色が黒く、固い耳。赤ちゃんと違って大人なので、当然といえば当然のことですが、私にとってはとてもショックでした。 「下の子が生まれると、上の子が大きく感じるよ」と先輩ママさんに聞いていたのですが、私の場合、初めての子が生まれたときに夫の耳を「キタナイ」と感じてしまいました。そして、そんなふうに感じた自分にも驚いたのでした。 赤ちゃんと違って大人の耳は汚かった!?それから、実父の耳、スーパーで買い物をしているおじさんの耳など、世間の大人の耳を意識して見るようして過ごしたところ、見た大人の耳、すべてを汚いと感じました。 やがて、赤ちゃんの耳と違って大人の耳は汚いと感じることに慣れていくうちに、夫の耳は普通の耳なんだと納得できるようになったんです。後日、夫の爪を切ったときにも「うわ! 大きすぎ!」なんて感じてしまったことも驚きでした。 「赤ちゃんが生まれると、夫自身だけではなく体のパーツさえもが以前と違って見えてしまうことがある」という経験、みなさんもありませんか? 事前にそんなこともあるとわかっていれば、夫とのスキンシップの際にあまりショックを受けずに済んだのかな? と感じる体験でした。著者:田中良子二児の母で、4人家族。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月14日Instagramで大人気、ニシカタさんの育児エピソードをご紹介! 退院後、実家にお世話になるも5日で切り上げ、夫の待つ自宅へ帰宅。 新生児を連れて自宅に帰ったものの、夫は仕事が忙しく、毎日娘と二人きり。一日がとても長く感じて、何度も時計を見る日々……。 このころのことを思い出すだけで胸が痛いです。1日が死ぬほど長くてテレビもつまらなくて。夕方あたりが一番しんどかったです。孤独を感じるというか……。沐浴も毎回泣かれるので悲しかったですし、疲れて帰ってきた旦那に、すぐ沐浴をお願いするのも気が引けてました。へその緒は本当に怖かったー! ヒールはまねする方はいないと思いますが、決してまねしないでください!(本当にこのときは思考回路がおかしかった……)ニシカタさんのマンガはInstagramで更新中!ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2019年10月11日出産をすると、自分の体形の変化にびっくりすることもありますよね。今まで、赤ちゃんを守るためにつくられていた体。私の場合、まず産後に自分の体で気になったのは「おなかまわり」でした。今回は、私の産後の悩みと、その悩みを解消するまでをお伝えしたいと思います。 産後、体が軽くなると思ったら私が長女を出産したのは冬。もともと小柄な私ですが、出産時には何と体重が18kgも増えていました。でも、「赤ちゃんが生まれたら、赤ちゃんや羊水の分で体重が減るだろう」と、安易に考えていました。 そして迎えた出産後、まずギョッとしたのは、自分自身のおなかまわり。赤ちゃんが生まれても、ぎっしりと肉が詰まっている感じで、さらに皮がたぽたぽ。「このおなか、元に戻るの?」と、とても不安になりました。 育児にちょっと慣れてから腹帯を着用自分の体形は気になったものの、1カ月ほどは赤ちゃんのお世話に追われる毎日で、自分のことなど何もできない状態でした。「腹帯は妊娠中だけでなく、産後も使える」と聞き、試しに巻いてみましたが、息苦しくて断念。 数カ月後に再チャレンジし、産後の悩み解消のために毎日腹帯をして過ごしました。さらに赤ちゃんのお世話で自然と体力を使ったためか、だんだんとおなかが引き締まり、妊娠前に比べて15kg増しだった体重も少しずつ減っていきました。 産後1年で元の体重に戻る腹帯は最初、おなかの皮がたぽたぽでおなかまわりが大きかったため、妊娠中に使用していたものを着用しました。その後、もっと引き締め効果のある腹帯を日中に使用し、夜はおなかまわりだけにキュッと引き締め効果のあるものを無理なく使用しました。すると、半年ほどでおなかのたるみが気にならなくなり、1年後には体重もすっかり元通り。私はこうして、産後の悩みを解消することができました。 2人目のときは、妊娠前に比べて体重増加10kg。おなかの皮はやはりたぽたぽでしたが、腹帯効果で8カ月ほどで元通りになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月10日産後初めて息子を預けて長時間外出をすることになりました。最近は母乳パッドが濡れることも少なかったので、私はすっかり油断していたのです。外出先でおっぱいがパンパンに張って痛く、母乳で服がびしょびしょになるという恥ずかしい思いをしました。そんな私の体験談をお話しします。 初めて息子を長時間預けて外出息子は生後6カ月。普段母乳のみで育てていましたが、近ごろはおっぱいが張ることもなくなり、息子に授乳するときにだけ母乳が出る、いわゆる「差し乳」の状態でした。息子は哺乳瓶でミルクも嫌がらず飲むので、今回の外出前に搾乳も必要なかったのです。 久しぶりに荷物も少ないなぁ、なんていつもと違う身軽な様子に不思議な気分になりながら、息子を預けていざ出発! 久しぶりの“ひとり”という環境に少しわくわくしていました。 3時間後⋯おっぱいが張ってきた外出してから3時間ほど経ったころ、私のおっぱいは張って痛みを感じ始めていました。普段4時間弱間隔の息子の授乳。「そろそろだよ」と言わんばかりに、私の体は授乳の準備を始めていたのです。 私はセミナーに参加していたので途中で退席するわけにもいかず、お昼休憩にちょっとしぼらないといけないかな? なんて考えながら過ごしていました。しかし、授乳モードに入った私のおっぱいはどんどん硬さを増して、ついには服の胸のあたりが濡れてきてしまったのです。 おっぱいがカチカチ! 服はびしょびしょやっと来たお昼休憩の時間。私は急いで授乳ルームに駆け込み上着を脱ぐと、下着とTシャツの胸の部分がすでにびしょびしょ⋯⋯。下着を外すとカチカチになったおっぱいからぽたぽたと母乳が勝手に出てしまっている状態。冷たいペットボトルを当てながら冷やし、軽くしぼって落ち着くのを待ちました。 こんなことになると予測できていなかった私は、母乳パットをあと1セットしか持っておらず激しく後悔。とりあえず落ち着いたおっぱいに母乳パットを当ててコンビニで急きょ買ったTシャツに着替えてセミナーに戻ったものの、とても大変な思いをしました。 生まれて今まで、息子がおっぱいを長時間飲まないという機会がなかった私。もし飲まなかったらこんなことになるんだと、今回の体験でとても驚きました。私の予想をはるかに超え、自分ではどうすることもできないあふれ出す母乳に四苦八苦し、結果服までびしょびしょになってしまったのです。次に外出するときには、きちんと対策をしていこうと思いました。 イラストレーター/さくら監修/助産師REIKO 著者:山下 ひいこ一児の母。看護師・鍼灸師の資格を持ち、逆子治療やマタニティケアなどを行っている。自身の経験を生かし、不妊や妊娠・育児に関する体験談を中心に執筆活動を行う。
2019年10月10日私は初めての出産をドイツで経験しました。しかも妊娠32週の健診で切迫早産気味と言われ、出産予定日よりも早く生まれるかもしれないとのこと。しかし待てど暮らせどその気配はなく、しっかり出産予定日に生まれてきてくれました。ただ、息子が生まれる3時間前まで、私は陣痛がよくわからなかったのです。そんな私の陣痛&出産体験をお伝えします。 お? もしやこれが陣痛か?出産予定日前日の午前5時30分、パッと目が覚めると「おお? これが陣痛かもしれない?」と全然自信はありませんでしたが、なんとなく違和感を覚えたのです。ですが、出産予定日の2週間くらい前から「来た! これが陣痛だ!」とドキドキしていると、1時間後にはその感覚がなくなるという「生まれる生まれる詐欺」を繰り返していたので、その日も「やっぱり違うかも」と思っていました。 病院に行くと陣痛の波が消えてしまった出産予定日前日だったので、一応病院に行ってみようと思って午前10時30分に病院に向かい、陣痛かどうか助産師さんにチェックしてもらいました。「いい感じで来ているわね」と言われたのですが、思っていたような痛みではなかったので実感がありませんでした。その時点で子宮口は3cm。しかし13時、16時、19時とチェックすればするほど陣痛の波は消えていき、「あぁ、やっぱりこれも前駆陣痛だったのだな」とがっかり……。 陣痛の痛みがだんだん強くなり…19時のチェックのときに浣腸をしてもらい、陣痛に効くといわれるオイルをおなかに塗ってもらいました。それから陣痛を促すハーブティーを飲んで、22時のチェックに行くと、先ほどよりも少し陣痛の波が強くなっているではないですか!しかし、この時点でも痛みは大したことありませんでした。子宮口は7cm開いていましたが、余裕で助産師さんや夫と会話できていました。するとその1時間後、「え?」と思っているうちに、体の中からワナワナとジェットコースターに乗っている感覚になっていったのです。 陣痛促進剤からの会陰切開これが本当の陣痛かと思っていると、子宮口は9cmに。私の場合は痛くて叫ぶこともできず、ひたすら体の中のジェットコースターのような感覚と戦いました。子宮口が全開になると息子の頭はサラッと出て来て、「もっといきんで!」と助産師さんに何度も言われていきみましたが、1回の陣痛が短かったので陣痛促進剤を打ち、会陰切開をすることに。そして無事に息子が誕生したのですが、時間は午前1時をまわっていました。 本当に痛くてたまらなかったのは23時から午前1時までのたった2時間でしたが、なにせ未体験の陣痛。私の場合は痛いというより「怖い」という気持ちのほうが強かったです。でも頑張ったその後には、宇宙一かわいいわが子に出会えました! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 著者:鈴木陽一児の母。ドイツでの子育てに奮闘しながら、海外での子育て・海外旅行・恋愛・結婚などのジャンルで執筆中。
2019年10月09日「胎内記憶って本当にあるの?」と思っている方も多いのではないでしょうか。筆者もその1人でした。そこで、わが家の4人の子どもたちに、胎内記憶について聞いてみることにしました! ママのおなかの中はどうだった?わが家には、10歳の長男、8歳の次男、6歳の長女、2歳の三男の4人の子どもたちがいます。4人に「ママのおなかの中はどうだった?」と聞いて、はっきりと答えてくれたのは、当時3歳の長女でした。 いきなり体育座りの態勢になり、頭をひざにくっつけて「ギュッと、こうやっておなかの中で待っていたんだ。そのときに光が見えて今だ! と思って出てきたの。でもあまり出てきたくなかった」と話していました。娘の出産は、予定日から10日経っても出産の兆候がなかったので、陣痛促進剤での出産でした。そのことを彷彿とさせる娘の言葉に驚きました。 おなかに来る前はどこにいたの?また、わが家の子どもたちは、おなかにいたときのことよりも、おなかに来る前のことをよく覚えているようでした。 当時3歳だった長男は言葉が遅めで、当時はあまり話しませんでしたが、ふと思い立って聞いてみることに。「おなかに来る前はどこにいたの?」とさらっと聞いてみると、「お空にいて、キリンさんとゾウさんに乗ってシューーンと飛んできた!」と興奮気味! 普段はまだあまり話さないのに、大興奮しながら話す長男にビックリでした。 ほかのきょうだいは……?「おなかに来る前はどこにいたの?」という質問に対して、次男と長女、三男が共通して答えていたことは、「上から来た」ということでした。第三子の長女は、「私の番はまだかな~?」と思いながら待っていたようです。 私にとっては、望んできてくれたのならこんなにうれしいことはないと感じています。現在2歳の三男も「上からシャンプしてきた!」、ときには「飛行機に乗ってきた!」という言い方もします。 胎内記憶について聞くときは、2歳から3歳ごろだとはっきりした答えが返ってくるように感じました。わが家の子どもたちも、年齢が上がってくると「そんなこと覚えてないよ」と言っています。年齢を追うごとに忘れてしまうようでした。みなさんもぜひ、お子さんが話せるようになったら聞いてみてくださいね。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日わが家の娘に近づく「魔の2歳児」といわれる時期。娘のイヤイヤ期はどうなるのか、身構えている自分がいました。今回は、娘のイヤイヤ期について、私の体験談を紹介します。 ついに娘も2歳! イヤイヤ期スタート!?私は、娘が2歳になったらすぐに、何でもイヤイヤしてしまうとばかり思っていました。しかし実際は、2歳になった娘はイヤイヤすることもなく、以前とほとんど変化がありませんでした。 その後、第二子を妊娠。つわりが続いたことから室内遊びが増えたころ、2歳4カ月になった娘のイヤイヤ期が始まりました。それまでは毎日公園に行って思いっきり遊ぶという生活でしたが、室内遊びばかりの生活になり、ストレスが溜まったことがきっかけになったのかもしれません。 イライラしないように深呼吸!イヤイヤ期が始まってからは、「いやだーいやだー」と言って泣き出す娘に、衝動的に強い言い方をしていることが増えました。もちろん強い言い方をしても、娘は泣き止むことなく、イヤイヤはひどくなるばかりです。 どうしたらいいか考えた結果、イヤイヤ期の前にもよくしていた娘を落ち着かせる方法を試みることに。まずは深呼吸をして、子どもの両手を取り、ゆっくりと話をする。落ち着いてから、ギュッと抱きしめてあげる。それだけのことでしたが、イヤイヤ期の娘にも効果がありました。 外で思いっきり遊ばせる!また、つわりがひどい時期でも、娘にイヤイヤされてしまうよりはマシだと思い、以前のように公園で外遊びをしました。 短い時間で帰る日もありましたが、外に連れ出さなかった時期に比べると、グズる回数が劇的に減少。また、いろいろなことをやりたがるようになったので、危ないこと以外は何でも挑戦させました。 可能な限り、遊びたいだけ外で遊ばせる毎日に戻ってからは、「あれ? イヤイヤ期、終わった?」と、拍子抜けしてしまうほどイヤイヤしなくなりました。やりたいことをやらせてみることが、娘にとってはよかったのかなと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:西野ゆう一児の母。大学で救急救命士の国家資格、大学院で保健体育の教員免許を取得。出産を機に専業主婦に。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月08日私の友人の旦那さんは、私の夫と同じ職場で働いています。給料は決して高くありません。しかし、友人が最近新車をキャッシュで買ったというからびっくり。どうやってお金のやりくりをしているのか聞いてみました。 同じ環境のはずの友人の生活わが家はギリギリ低所得層に入らないくらいで、決して裕福な家庭ではありません。ところが、同じ環境のはずの友人の生活はなんだかぜいたくに見えました。なんと年収を超える新車をキャッシュで買ったというから驚きです。わが家では考えられないことでした。 私は友人に何度も「宝くじが当たったの?」と質問攻めを繰り返してしまいましたが、実際は特別なことはなく、ただ「やりくりじょうず」なご夫婦だった……これが理由でした。そう実感できたのは、友人の家にお邪魔したときでした。 家の中が驚くほどきれい整理整頓されていた!初めて友人の家に足を踏み入れたときのこと。友人には0歳と2歳の子どもがいるのですが、子持ちとは思えないほど、室内が整理整頓されていました。おもちゃも「これだけ?」と思うほど少ない!! 話を聞いてみると、友人は必要と思う物しか家に置きたくない性格なのだそうです。おもちゃが必要なら、児童館へ行くと言っていました。リビングにはおしゃれな収納箱が置かれていて、種類別に物が置かれています。ため息が出るほどのきれいさに感心しっぱなしでした。 必要なものしか買わない、先を見通したお金の管理整理整頓された室内を目の当たりして思ったことが、物をじょうずに管理できる人はきっとお金の管理もじょうずだということです。 もちろん整理整頓が苦手な方でお金のやりくりがじょうずな方もいるとは思いますが、私の友人の場合、特に無駄づかいが少ないことが節約につながっていると感じました。わが家は収納箱に収まりきらないくらい物が溢れています。お金の使い方って本当に大切だと感じました。 新車購入資金は数年前から積み立てをしていたようです。さすがとしか言いようがありませんでした。先を見通したお金の管理も大切ですね。わが家もまずは無駄な出費を減らすため、整理整頓から始めてみようと思います。著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月07日みなさんは、胎内記憶の話を聞いたことはありませんか? わが家では、長女のときは育児に追われていましたが、次女が語ったおなかの中にいたころの記憶と思われる発言に興味を持ち、いろいろと聞いてみました。今回は、胎内記憶に関するエピソードをお伝えしたいと思います。 びっくり! 胎内記憶を語る次女次女がいたずら盛りの2歳ごろ、長女をいじめる時期があり、「あなたがお母さんのおなかにいたころ、お姉ちゃんがいつもさすって話しかけてくれていたんだよ。いつも大事に思っているんだよ」と話すと、意外な答えが返ってきました。 「うん、覚えてる。背中をさわられて、いつもくすぐったかったんだよね~」と言ったのです。そのときは「まさか覚えてないよね」と思ったのですが、胎内記憶のある子は意外とめずらしくないと、あとから知りました。 小さいころは胎内記憶がある可能性も?そんなできごとがあった私は、ある先輩が話していた胎内記憶のことを思い出しました。「ずっと昔、急に頭の上が明るくなってきてさ。あれ、生まれたときの記憶だよ」と言っていたのです。 大人になっても覚えている場合はめずらしいようですが、2~3歳くらいまではおなかの中にいたころや、生まれたときの記憶が残っている子も多いそう。また、子どもによっては、「お空の上からお父さんとお母さんを見ていた」という子もいるそうです。 次女にいろいろ聞いてみると不思議な答えが!胎内記憶を信じ始めた私は、次女にいろいろと質問してみることにしました。「お母さんのおなかの中はどうだった?」と聞くと、「お母さんの声がいつも聴こえたよ。あったかいお風呂の中にいて、浮かんでた。でもだんだん動けなくなってきた」と答えたのです! ちなみに「おなかの中にいる前はどこにいたの?」と聞くと、「お姉ちゃんと一緒に踊ってた。でもここじゃなかった」とのこと。胎内記憶だけでなく、おなかの中に宿る前の記憶もあるのかも? と驚いたことを覚えています。 その後も時々、娘に胎内記憶のことを聞きましたが、4歳くらいからは「覚えていない」と言うようになりました。大人もそうですが、子どもも数年前までのことはよく覚えているような気がします。胎内記憶、本当に不思議です。著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2019年10月07日早産の場合、受け入れてくれる産院が限られてきます。私のように何の兆候もなく突然陣痛が起こることも。私自身が体験した、緊急入院から緊急搬送までの流れをお伝えします。 突然の陣痛! まずは産院へ連絡 妊娠33週のある日、「これが陣痛なのかな?」と思うほど私のイメージと違う痛みがやってきました。いつか収まるだろうと夕方ごろまで様子を見ることに。今思えばこのとき、すぐに産院へ連絡するべきでした。 夕方ごろにようやく産院へ連絡し、向かったところ、子宮口はすでに2cm。そのまま緊急入院となりました。朝まで張りは収まらず、早朝にはおしるしもありました。 早産を受け入れてくれる産院を探す 私が妊婦健診を受けていた産院はNICU(新生児集中治療室)がなかったため、妊娠33週で生まれてくる赤ちゃんを受け入れてくれる病院を探すことになりました。 早産の赤ちゃんは肺など未熟なまま生まれてくるため、生後すぐにNICUで呼吸器をつけたり、点滴をしたりと、24時間観察・治療をしなければいけません。そういった病院は限られていて、緊急搬送の場合、受け入れ先がなかなか決まらないこともあるそうです。 赤ちゃんの過ごす場所「NICU」 私は運よく近くのNICUのある病院へ搬送されることになりました。その後、無事に出産。赤ちゃんはNICUの保育器の中で過ごすことになりました。 赤ちゃんの様子を見に行ってみると、人工呼吸器や点滴がついた状態でうつ伏せになって保育器の中に入っていました。保育器の中は温度管理がされ、子宮の中と同じ状況なのだという説明を聞きました。医師や助産師さんが24時間体制で赤ちゃんの管理をしてくれたので、安心して見守ることができました。 突然の陣痛から出産に至りましたが、「赤ちゃんはベストなときを選んで出てきてくれたのよ」と励ましの言葉も頂きました。保育器の中で懸命に生きるわが子を信じて過ごしたことを今でも覚えています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:渡瀬文葉一児の母。妊娠前はアロマセラピーや食事指導、ブライダルエステをするセラピストとして接骨院に勤務。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は洋菓子作り・子ども服作り・編み物。
2019年10月06日4人目の出産当時、長男は小学1年生、次男は年長、そして長女は年少でした。電車で8時間かかる実家へ里帰りをしようか悩みましたが、小学生が長期欠席するのは好ましくないと感じ、夫に1週間の休暇が取れるか相談。幸いにも会社の方の理解があり、1週間ほど休暇をいただき、里帰りせずに出産を迎えました。 夫に家事・育児を任せるのが心配わが家の夫は料理が得意ではなく、作れるものはみそ汁とカレーくらいです。掃除機はかけられますが、洗濯機の使い方や洗剤の量など、細かいことはわからない様子。 また、幼稚園の子どもの持ち物やお迎え時間が曜日によって違うことを、口頭で何度も説明したのですが理解できず……。「お弁当も作れるのだろうか?」とさまざまなことが心配でたまりませんでした。 そこで出産入院中、夫が困らないように家事や幼稚園の支度を細かくノートにまとめたものを用意しておきました。 子どもの精神面も心配!出産入院中の1週間ほどは、私がいない生活になります。子どもたち3人はまだまだ甘えざかりなので「大丈夫だろうか?」と心配になりました。 特に幼稚園児の2人は、ママがどのくらい入院し、どのくらいで帰宅するのかわからない様子。そこで1週間分のカレンダーをつくり、毎日シールを貼っていってもらい、ママが帰ってくるまでの期間を感覚で伝わるようにしました。 さみしくなったときはグズグズしてしまうので、お手紙とシール、小さいおやつを人数分×1週間分、用意して出産に備えました。 「意外となんとかなる」と思えた!夜に陣痛が来た私は、子どもたちが寝ている間に病院に駆け込みました。付き添いもおらずひとりでしたが、私の場合は逆に集中できてよかったと思っています。 私が入院中の1週間、結局、夫は幼稚園をお休みさせて、子どもたちを遊びに連れて行ったようです。普段私は外食をさせませんが、夫と子どもたちはラーメン屋巡りをしたそう。子どもたちはとても楽しそうに報告してくれました。夫は、3人の子どもたちのお世話が想像以上に大変な様子で、日に日に疲れた顔になっていきました。 予想外の外食続きで、栄養バランスが気になりましたが、子どもたちにケガもなく、これまでの夫の様子を考えると、ひとりで面倒を見ていてくれただけでもすごいと感じました。夫自身も子育てをしながら家事をする負担を、身をもって実感したようで、お互いのことを知るいいきっかけになった出産前後でした。著者:武山あゆみ三男一女の母。ワンオペ育児に奮闘するかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2019年10月05日息子が新生児~生後2カ月ごろまでは、おなかが空いたり、おむつが汚れたりすると泣いていました。不快感を泣いて表現している様子です。ところが生後3カ月に入ったころから、原因のわからないぐずりに悩まされることに……。当時の息子の様子や対応についてお伝えします。 泣いてぐずることが増えたもともとよく泣く息子でしたが、生後3カ月に入るとさらに増えました。一日の大半を泣いて過ごしているのでは? と思うほどです。 特に夕方ごろになると、ぐずりがひどくなりました。日によっては30分以上泣き続けていたこともあります。おなかが空いたのかな? それともおむつが汚れている? いろいろと原因を探りましたが、泣き止みません。どうしたら良いのかわからず悩みました。 かわいいと思えなかった時期抱っこであやしても泣き続ける息子を見ていると、私は次第にイライラしてきてしまいました。かわいいはずの息子のことが、正直かわいいと思えなかったこともありました。このままだとストレスがたまる一方です。 そこで私は泣く息子をベビーベッドに寝かせて別室へ行き、深呼吸をしながら気持ちを落ち着かせるようにしました。それでもイライラが収まらない場合は、クッションに向かって思いっきりパンチをしてストレスを発散していました。 赤ちゃんに合うあやし方を試す保健師さんに相談したところ、「原因のわからないぐずりに悩まされるママは多いんですよ」と言われました。大変な思いをしているのは自分だけではないと知り、肩の力が抜けたことを覚えています。 保健師さんからいただいたアドバイスは、「赤ちゃんに合うあやし方を試すこと」でした。息子に効果があったのは「ドライブ」。車の振動が心地いいのか、すぐ眠ってくれて助かりました。 息子の原因のわからないぐずりは生後4カ月ごろまで続きました。対応に困り果てたときは、泣き止ませるのを目標とせず、とことん付き合う心構えでいようと決めました。そうすると、少し気持ちがラクでいられた気がします。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2019年10月03日夫と私は年の差が20歳以上もあり、夫はバツイチ子持ちで成人した娘がいます。一緒に暮らしていてもあまり関わらない関係でしたが、私の妊娠・出産を機に距離感が変わってきました。わが子を通して、家族に近付いた連れ子と私の関係についてお伝えしたいと思います。 年の差婚、夫より娘と年が近い私夫とは職場で出会いました。20歳以上離れた年の差と、夫がバツイチ子持ちということから、周りになかなか認めてもらえず交際7年目でやっと結婚。 夫の娘はもう成人していて、特に私がお世話するようなこともなく、家にもあまりいなかったため、顔を合わせるのは朝と夜のあいさつくらいという関係でした。なんだかさみしいと思いつつも、どうしたらいいのかわからず1年が経ったころ、私の妊娠が判明したのです。 妊娠報告するも複雑な様子……妊娠を喜んだと同時に頭をよぎったのは夫の娘のことです。妊娠を報告して怒ってしまったらどうしよう、泣いてしまったらどうしようなど、いろいろと考えてしまい、なかなか言い出せませんでした。結果的には夫が私の妊娠を娘に伝えたところ、少し驚いた顔をして「ふーん」とひと言。 その後、特に触れることもなく、気付けば私の里帰りの時期に。そして迎えた私が実家に帰る前日、「性別どっち? 頑張ってね」と夫の娘が言ってくれて安心しました。それと同時に、娘の葛藤を考えると胸が熱くなる思いでした。 出産後、20歳離れた妹への反応産後1カ月で自宅に戻った当日、夫の娘は玄関で待っていてくれて、赤ちゃんを見て満面の笑顔を浮かべてくれました。それからは家にいることが増え、私の部屋に来て娘をあやしてくれています。 一番うれしかったことは、「この子を私の妹と思っていい?」と言ってくれたことです。「この家で私は他人なんだな……」なんて思ったこともあったので、なんだか私も夫の娘と家族になれたような気がしました。 年が近い分、なかなかうまくいかなかった関係が、出産を機に変わることができました。最初は葛藤もあったとは思いますが、夫の娘と家族を繋いでくれた赤ちゃんに感謝しています。著者:深田ようこ三児の母。夫とは二回り近い年の差婚。子ども服のショップ店員など、結婚するまでは子ども向けの仕事に携わる。現在は芸能や育児に関する記事を中心に執筆中。
2019年10月02日2015年、国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、夫婦にたずねた理想的な子ども数は2.32人だったそうです。私も子どもが2人欲しいと思っていましたが、いろいろと悩みました。今回、当時の私が妊娠・出産に前向きになれるようにおこなったことをお伝えします。 2人目が欲しいと考えたときに悩んだこと漠然と2人目が欲しいと感じていた私ですが、真剣に考えていくと巷でも聞かれる「2人目の壁」にぶつかりました。私の壁は、育児への不安と経済的な不安の2つ。夫は転勤がある職種なので、何か困ったときなどに両親に頼れる環境ではありません。私や夫が何らかのトラブルに見舞われたとき、2人の子育てがしっかりできるのか不安でした。 さらに夫は私より7歳年上で、2人目を欲しいと考えていたころは30代後半。これから子ども2人を育てながら教育を受けさせ、先々は自分たちの老後資金も確保しなくてはならないため、経済的に大丈夫なのかととても悩みました。 2人目計画を立てる前におこなったことひとりで考えすぎて、勝手にいっぱいいっぱいになっていた私。これではいけないと思い、悩みを解消するために夫に相談してみました。すると、夫も2人目を望んでいたようで「言い出すタイミングがなかったから話してもらってよかった!」とのことで、びっくり! この一言で、育児が大変になっても頑張れると感じました。ただ、もっと早く相談しておけばこんなに悩まずに済んだのに、と少し後悔しました。 2人目計画を実行するタイミング次に、具体的にいつごろに出産したいのかを話し合いました。わが家の場合、夫の仕事が忙しく、専業主婦の私が育児をほぼひとりでおこなっていたので、引き続き私が子育てに専念しながら幼稚園に通わすせる予定でした。ですから、上の子を入園させる前に出産できたらベストということになりました。その理由は下記の4点です。 ●入園前のほうが幼稚園の行事などに縛られず、出産や子ども2人のお世話に専念できるから●3学年差だと幼稚園や学校の卒業と入学が重なるので、それを避けるためには2学年差がよいと感じたから●出産も子育ても感覚が残っている早めのほうが安心だと思ったから●年が近いほうが子ども同士が仲良くなると思ったから それはまさに、上の子が2歳のそのときでした。そのため、2人目計画を立てたと同時に進め、3カ月目で妊娠し、無事2歳差で2人目を出産することができました。 子どもが1人から2人になると、やはり何かと大変です。でも、喜ぶ夫や上の子が下の子をかわいがる姿を見られたこともあり、育児の負担はそこまで感じませんでした。上の子の成長を感じられましたし、1人目の育児よりもずっとラクに思えます。神様からの贈り物ともいえる妊娠は自分たちの思い通りにいかないものですが、2人目を真剣に望み、そして行動してよかったなと思います。 著者:大鹿恵美9歳、7歳、4歳の三姉妹の母。これまでの育児を生かした体験談を主に執筆中。365日育児と家事と仕事でフル活動だが、夫との毎晩の晩酌とたまのママ友との交流が原動力となっている。
2019年10月02日出産時の排便は、出産を経験した方なら「あるある」と思う方もいるのではないでしょうか。ただ、初めての出産だと「いきんで出ちゃったらどうしよう」「浣腸はするの?」と不安になる方も多いと思います。今回は、出産時の排便と浣腸についてのエピソードをお伝えしたいと思います。 1人目出産時は浣腸なし、いきんで排便が!私が通っていた産院では、とくに出産前の浣腸についての話はなく、先生に任せていました。陣痛がまだ弱いときに便意を感じたので、一度排便。その後、陣痛が強くなり分娩台へ移動しました。 ところが難産となり、分娩台の上で数時間過ごしたためか、いきんでいるうちになんと排便……! 自分としては、とにかく痛くてそれどころではなく、恥ずかしさは感じませんでした。 産後に思い出して恥ずかしさアップ…出産後しばらくは、赤ちゃん誕生のうれしさと達成感で、お産の間のことはあまり気にしていませんでした。ところが少し落ち着いて分娩室での出産のことを思い起こしているうちに、とても恥ずかしいことをしてしまったことに気付いたのです。 さらにお産に立ち会った助産師さんが部屋に様子を見に来るたびに、自分のした粗相を思い出し、出産時の排便はよくあることだと知っていても、とても恥ずかしい気持ちになりました。 2人目出産時は浣腸をして臨む!もう恥ずかしい思いはしたくなくて、2人目の出産のときは「分娩室へ行く前に、浣腸をしてもらうことは可能ですか」と助産師さんに相談し、浣腸をしてもらうことに決定。浣腸をするとすぐに腹痛があり、排便することができました。 そしていよいよ分娩室へ。どうしてもいきまなければならないので、1人目の出産時の恥ずかしさがよみがえり、排便済みでも心配はありましたが、2度目は粗相をすることなく、無事に出産をすることができました。 私の恥ずかしい思い出を紹介しましたが、出産時にはよくあることのようで助産師さんはあまり気にしないようです。浣腸については産院によって方針があるようなので、一度相談してみるといいかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年10月01日