発達障害という言葉がずいぶん浸透してきたと感じますが、私は複雑な心境です。当事者として、思いを発信してきました。発達障害当事者も、そうでない人も、お互いに理解し合える世界を望んでいました。今の状況は、果たしてそういった世界なのでしょうか……。文・七海日常生活で ”発達障害” の使われ方が変わったネット上でもそうなのですが、私のもっと身近なところ、日常生活でも変化を感じるようになりました。ひと昔前まで、発達障害者は ”腫れ物扱い” されている印象がありました。さらにいえば、発達障害だということをカミングアウトしても、その単語自体を知らないという人もいました。今では発達障害という言葉を聞いたことがない人のほうが稀なのではないでしょうか。コミュニケーションが上手でない人を、”アスペ” と揶揄することすらありました。当人が当事者であるかどうかは別にして、差別用語として使用されていた認識です。今では、「もしかしたら私も発達障害かも……」「あの人は発達障害だから仕方ないよね」といった発言が見受けられます。以前まででも全くなかったわけではないのですが、こんなに多くなったように感じるのです。さらにいえば、ニュアンスも異なるように思います。差別用語としてではなく、ある意味 ”個性” として受け入れられている面はあるのかもしれません。錯綜する情報、発達障害の ”せい” にする人たち発達障害という単語が浸透したうえで感じるのは、情報が混乱しているというもの。主にADHDとアスペルガー症候群が取り上げられているように感じます。その2つを取っても、情報がごちゃ混ぜになっていると感じる場面が多々あるのです。例えばADHDの特徴として、長時間ひとつのことに集中できないといったものが挙げられます。いっぽう、アスペルガー症候群の特徴の中には、言葉を額面通りに受け取るといったものがあります。もちろんこれは一例で、症状はさまざま。その症状の出方も人それぞれです。上に挙げた例を見ると、どちらも社会生活を送るうえで不便をきたす可能性があります。しかしながら、ADHDとアスペルガー症候群は別物です。併発している方も確かにいますが、「集中力がないし空気を読めないから発達障害である」と決めつけるのは少々安直な考えに感じます。私はアスペルガー症候群当事者ですが、集中力がないときはないですし、不注意からミスをすることだってあります。だけど、ADHDの診断は降りていません。また、発達障害は、ADHDとアスペルガー症候群だけではありません。読み書きや計算などの能力のうち、習得や使用などに著しい困難を示す ”学習障害” も、発達障害のひとつです。よく聞くアスペルガー症候群は ”自閉症スペクトラム障害” のひとつであり、そのほかには知的障害や運動能力の遅れを伴うものなどもあります。発達障害は本来さまざまであるものの、情報が錯綜しているが故に「ADHDとアスペルガー症候群の症状の一部があるから発達障害だろう」と憶測する人も少なくないように思うのです。発達障害という言葉が浸透しているぶん、「自分は発達障害だ」「あの人は発達障害だ」と決めつけると楽になる気持ちもよくわかります。生きづらかった原因は障害の ”せい” だったのだ、と安堵した経験は私自身にもあるからです。偏見は確かに少なくなったかもしれない。だけど…前述した通り、ひと昔前はもっと偏見にあふれていたように感じます。アスペルガー症候群でいうと、”コミュニケーションができない人” というレッテルを貼られるような感覚です。しかし、私には接客経験があります。接客でいうと、クレーム処理が得意なほうでした。他の人のクレーム処理も任されていたので、そういった認識です。アスペルガー症候群と聞くと、クレーム処理が苦手なイメージがありませんか? 実際、私は真逆なのです。発達障害といっても、本当にさまざまなのです。「○○だから発達障害」というストレートな考え方は、今の状況だと少し危険だなと思います。発達障害の情報が錯綜しているぶん、「私(あの人)は発達障害だからこれもできないだろう」と、勝手な諦めも出てしまうかもしれないからです。憶測だけで自分や他人の可能性を潰すのは、非常に残念に思います。ひと昔前に比べて偏見は少なくなったと思います。偏見や差別意識をなくせれば、そういった思いもありました。その点で言えば、私の願った世界に近づいたのかもしれません。だけど、強い違和感を覚えるのはなぜなんだろう。何度も自問自答しました。今の結論では、発達障害自体が拠り所になっているだけの人が多くいるように感じるからです。発達障害は ”個性” という捉え方で良いのだと、私は思います。程度の差はあれど、みんなで手を取り合って生きていければ良いのでは、と。そういったポジティブな世界を望んでいたのだと思います。今は発達障害の ”せい” にする風潮が強すぎるのかな、と感じます。多少の安堵感は良いと思うんです。しかし、発達障害の ”せい” にして、可能性を摘んでいるような状況が、ネガティブな浸透の仕方のように感じています。当事者も、当事者であろう人も、そうでない人も。みんなが生きやすい世界が私の理想です。せっかく浸透するのであれば、わかり合い、助け合い、プラスを生み出せるような世界になるよう願っているのが、私の真意です。©PaulaConnelly/Gettyimages©fizkes/Gettyimages©praetorianphoto/Gettyimages
2018年11月05日Q. 自閉症スペクトラム障害(ASD)とは?A. 自閉症の特徴のある障害概念のグループです。それまで自閉症やアスペルガー症候群など様々な名称で呼ばれていたものが、「DSM-5」という診断基準で「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害」として統合されました。Upload By 井上 雅彦アメリカ精神医学会が策定した最新の診断基準「DSM-5」で、それまで、アスペルガー症候群、高機能自閉症、早期幼児自閉症、小児自閉症、カナー型自閉症などさまざまな名称で呼ばれていたものが、この診断名に集約されました。診断や支援において、これらには明確な線引きがないことから、それぞれの障害に明確な境界線を設けない考え方が、医療の現場で使われることが多い「DSM-5」で採用されたことが経緯としてあります。そして、「連続体」という意味の「スペクトラム」という言葉が使われることになりました。これからこの概念が一般化していくと考えられています。「DSM-5」では、自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害について、主に以下が特徴として挙げられます。■アメリカ精神医学会の診断基準の「DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)」A. 社会的コミュニケーションの障害B. 限定された反復的な行動様式C. 症状は発達早期に存在している診断ではA、Bの2つの症状を3段階の重症度で評価していきます。(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)について詳しく知るもっと詳しく知る自閉症スペクトラム障害(ASD)とは?年代別の特徴や診断方法は?治療・療育方法はあるの?広汎性発達障害(PDD)とは?年齢別に症状の特徴を解説!アスペルガー症候群(AS)とは?症状と年齢別の特徴を詳しく解説します。カナー症候群(カナー型自閉症)とは?アスペルガーとの違い、症状、年齢別の特徴、子育て・療育法を紹介!自閉症 | 文部科学省
2018年10月25日発達障害のある子と定型発達の子の子育ては、天と地ほどの差がある私は息子が生まれてすぐに、発達障害のある子どもと定型発達の子どもの子育てには天と地ほどの差があると知りました。・抱っこしても海老反りせず身を任せてくる・発語のない0歳の時でもこちらの言っていることは解っている・長時間泣かない・外出時、自ら手を握ってくる定型発達の子どもを育てている親御さんには当たり前のことでも、1人目の子どもが発達障害だった私にはすべてが新鮮でした。そして「世間一般の人が体験する子どもの夜泣きや迷子、発語の遅さはこの程度なのか。何て楽なんだろう」と感じたものでした。まだ小さいのに、気遣いができるなんて!息子にとって「お姉ちゃん」は生まれたときから「傍にいて当たり前」の存在でした。小さいころはゲームの取り合いなどで喧嘩もよくしましたが、自分より知識があり色々なことを教えてくれる姉を尊敬していました。息子が小学校に上がったころからでしょうか、娘が近くに来ると、それまで私の横に座っていた息子が遠い席に移動するようになりました。後で理由を聞くと、「僕とお母さんが仲良くしているとお姉ちゃんが寂しく思っちゃうから」と言いました。小学校低学年なのにそんな気遣いをするものなのかと、驚いたものです。息子8歳、高校生の娘は反抗期真っ盛り娘が高校生だったころ、何を言っても全否定!という時期がありました。いつものように、私と娘がバトルをしていたときのこと。息子が険悪な母娘の横で、お笑い番組をつけたのです。Upload By 荒木まち子息子がテレビをつけたことで、娘は気持ちの転換ができ、落ち着いたのでした。息子に話を聞くと…Upload By 荒木まち子息子10歳、深刻そうな顔をして…息子が深刻そうな顔をして、話しかけてきました。息子「今日、学校で友達が『障害者ってウザいよね』って言ったんだ。その言葉がすごく嫌だったんだけど、俺そのとき、黙っちゃったんだ」私「そうなんだ」息子「ムキになって『そんなことない』って言うのもどうかと思ってさ。でも友達のその言葉が心に突き刺さってホント嫌な気持ちになったんだ」私「うん、その気持ち分かるよ」息子「…お姉ちゃんってさ、障害あるんだよね?検査とかしてるの?」私「発達検査のこと?しているよ」息子「してたんだ。診断名は何?」私「自閉症だよ」息子「ふうん、自閉症か。俺、実は本とかで調べたんだ。いつからそうなの?」私「生まれたときからだよ。小さいころから周りの子と違うと感じてたんだ」息子「へぇ、お母さんは分かってたんだ?俺、ずっと気づかなかったよ。何が原因なの?」私「脳の伝達機能の問題らしいけど、まだはっきりとは解明されていないんだよ」息子は娘が病院に通っていることを知っていましたし、私が娘と進路や将来のことなどを話すのを聞いていました。でも生まれてからずっと一緒に暮らしてきた彼は・計算は苦手だけど絵が得意・本が好きで色々なことを知っている・泣いたり怒ったりもするけど、一緒に笑ったり冗談を言い合える・不器用だけどサボらず真面目・寂しがり屋で優しいという“個性”を持つ姉として彼女を受け入れていました。成長するにつれ、姉が自分や周りの友達と違うことに気づき始めた息子は、内緒で図書館やネットで姉の症状について調べたのでしょう。思春期の入り口に立った息子に私は息子の話を聞き彼の気持ちを受け止めます。質問に答えます。でも私は娘に関することについて「息子にはこうして欲しい」などの要望は言わないようにしています。なので、この日私は息子に「5、6年になると、そういうこと口にする子もいるよね」「それってどうなんだろうね」とだけ言いました。初めての発達障害児の子育ては分からない事ばかりです。それは、きょうだい児の子育ても同じです。私がしていることが正しいのかは分かりません。先日私は会話の中で息子にあるヒントを出しました。「私が『障害者の親の会』に参加しているのは知ってるでしょ?そこで私は経験した人にしか分からない悩みや情報を共有したり、笑い話をしたりして元気をもらっているんだ。世の中には他にも『認知症の親を持つ子の会』とか『がんの当事者会』とかいろいろな会があるんだけど『きょうだい児の会』っていうのもあるんだよ」障害がある子の親がそうであるように、きょうだい児にはきょうだい児にしか分からない悩みや苦労があるはず。苦しくなったり、壁にぶち当たったり、一人で抱え込めなくなったとき。そこに足を運べばきっと気持ちが楽になる、そんな場所があるんだよ、と。これから本格的な思春期を迎える息子の悩みが少しでも軽くなれば良いな、という願いを込めて。
2018年10月19日Q. 学習障害(LD)の定義はどんなものですか?A. 学習障害(LD)は、知的発達に遅れはないのに、主に「読む」「書く」「計算する」「推論する」といった能力の習得や使用に著しい困難があることを言います。Upload By 井上 雅彦定義は一つではありませんが、日本でよく使われる定義は、主に学校教育に関係する文部科学省のものです。文部科学省の学習障害の定義は以下の通りです。学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。ほかにも、医学的な診断基準「DSM-5」「ICD-10」における定義や概念があります。使われるシーンや状況、立場によって、定義を始め、含んでいる困りごとの種類や名称などには、少しずつ違いがあります。Upload By 井上 雅彦■医療:アメリカ精神医学会の診断基準の「DSM-5(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)」(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)について詳しく知る■医療:WHO(世界保健機関)の医学の診断基準の「ICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類第10版)」、ICD-11とは?ICD(国際疾病分類)の概要について詳しく知る■行政・法律:日本でのさまざまな法制度の根拠となる「発達障害者支援法」発達障害者支援法では、「ICD-10」に基づいて学習障害が発達障害の定義に含まれています。困りごとの内容は、一つだけでなく複数あらわれたり、一人ひとり状態は異なります。定義にぴったり当てはまることはむしろ少ないとも言えます。もっと詳しく知る参考書籍 :(日本精神神経学会 (監修), 高橋 三郎 (翻訳), 大野 裕 (翻訳), 染矢 俊幸 (翻訳), 神庭 重信 (翻訳), 尾崎 紀夫 (翻訳), 三村 將 (翻訳), 村井 俊哉 (翻訳)『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』2014年・医学書院)(8)LD、ADHDの教育 | 文部科学省
2018年09月28日学習障害(LD)とは?学習障害の特徴をまとめると、以下のようになります。Upload By 発達障害のキホン例えば、通級による指導の対象を示す場合など、教育現場で使われることの多い、文部科学省の学習障害の定義は以下の通りです。基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。他にも、医学的な診断基準による定義と行政的な定義などで若干の違いがあります。以下の図に示すように、使われるシーンや困りごとの傾向によってさまざまな名称が使われる場合があります。Upload By 発達障害のキホン「読めるのに書けない」など苦手や困りごとは、人によって一部だけに極端に表れることもあれば、いくつか重複していることもあります。自閉症スペクトラム障害やADHD、協調性運動障害や感覚過敏などの他の障害を合併している人もいます。特定の学習にだけ困難がある場合、周りから理解されにくく、「怠けている」などと誤解され、苦しんだり、不登校やうつなどの二次障害に陥ってしまう子どもも少なくありません。障害の名称や診断の有無などにこだわりすぎず、一人ひとりどのような特性や困りごとがあるか理解し、対処していくことが非常に重要になります。学習障害(LD)の3つのタイプと特徴・症状学習障害の困りごとには以下の3つのタイプがあります。症状や困りごとが全てあてはまる人はかえって少なく、特徴は人それぞれです。年齢によって困りごとや特性が変化したり軽減することもあります。複数のタイプが混じっていることもあります。※以下で紹介する症状・困りごとは年齢や学習の習熟度などによって、誰にでも見られるものもあります。当てはまるからといって学習障害であるとは限りません。学習障害と診断された人の中で一番多く見られるタイプで、見た文字を判別して読んで理解したり、音にするのが苦手です。読むことに障害があると、結果として文字を書くことにも困難を感じる場合が多いため、読み書き障害と呼ばれることもあります。Upload By 発達障害のキホン読字障害(ディスレクシア)を詳しく知る「文字が書けない」「書いてある文字を写せない」などの書く能力に困難があるタイプです。文字が読めるのにもかかわらず書けない場合もあります。Upload By 発達障害のキホン書字表出障害(ディスグラフィア)を詳しく知る数字や数式の扱いや、考えて答えにたどり着く推論が苦手な学習障害のタイプを算数障害・ディスカリキュリア(dyscalculia)と呼びます。数字に関する能力にのみ障害がある人が多いため、算数の学習を始めてから発見される場合がほとんどです。「1」「2」「3」などの基本的な数字や、「x」「+」などの計算式で使う記号を認識することに困難をもっていることもあります。Upload By 発達障害のキホン算数障害(ディスカリキュリア)を詳しく知る学習障害の原因は?学習障害の原因は、医学的にはまだはっきりとは解明されていませんが、以下のようなことが研究から分かってきています。Upload By 発達障害のキホン中枢神経は脳や脊髄、体のさまざまな部分の働きを指令する部分です。学習障害の症状は、情報を伝達し処理する脳の機能がスムーズに働いていないことで引き起こされると考えられています。学習障害の症状・困難の理由を理解しようじっと見つめたり、視線を上手に動かすことが困難で、行を飛ばして読んだり黒板の文字を写すのが苦手な場合があります。見た情報を脳が処理する視覚認知の機能が弱く、文字を認識するのが難しいこともあります。また見え方に特性があり、文字がぼやける、黒いかたまりになって見える、逆さまに見える、歪んで見えるなど違った見え方になってしまう人もいます。Upload By 発達障害のキホン文字と音を結びつけるのが難しいため、音声を聞いて文字を書いたり、文字を見て即座に読み上げるのが難しいことがあります。文字を書くという動作自体が苦手です。脳内で身体に指示を出し手を動かすという伝達機能がうまくいっていないからだという説が有力です。文字を揃えて書く、バランスを考える、筆圧を調整する、文字間の距離感を取るなどが苦手です。そのため、筆算の際に桁がずれることも多くなり、間違えやすくなることもあります。一度にいろいろなことをするのが苦手で、聞きながら書く、読みながら意味を考えるなどが難しいこともあります。記憶するのが苦手な場合、漢字の形や読み方をなかなか覚えられないこともあります。記憶や推論することが苦手だと、数字そのものの概念、規則性、推論が必要な図形の領域を認識するのが難しかったり、文章題を読み、意味を理解することや、グラフや表、図形などからイメージすることが苦手だったり、算数障害につながることもあります。Upload By 発達障害のキホン視覚過敏があって紙の白さが眩しく見えるなどで、文字が見えづらいことも。聴覚過敏・鈍麻のために話が聞き取りづらかったり、集中できないケースもあります。その子の困難の背景を考え、寄り添ってサポートを苦手さの理由や原因は一人ひとりのケースで違います。その子がどこに困難を感じているのか、またその理由はどこにあるのかを観察してみるとよいでしょう。環境を調整したり、やり方を工夫したりすることで対処法が見つかることがあります。現在は、見分けやすいチョークやユニバーサルフォント、音声読み上げ機能のある電子教科書、タブレットやキーボードなど、学習障害のある子をサポートする道具や機器もあります。その子がうまくいきやすい方法があれば、学校での合理的配慮を求めることもできますので、ぜひ、学習障害について理解を深め、サポートしていきましょう。学習障害をもっと知るためのリンク集学習障害についてもっと詳しく知る学習障害の診断・検査通級指導教室について知る障害者手帳の取得法、利用できるサービスを知る障害児が受けられる福祉サービスを知る障害者が受けられる福祉サービスを知る合理的配慮の受け方、具体例を知る学習障害の子どもへの接し方親子のヒント発達障害者支援法、ADHDの教育|文部科学省参考書籍:『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院)参考書籍:『ICD-10精神科診断ガイドブック』(中山書店)参考書籍:「怠けてなんかない!ディスレクシア~読む書く記憶するのが困難なLDの子どもたち」品川 裕香
2018年09月06日福祉避難所とは福祉避難所とは、一般の避難所での生活が困難であったり、配慮が必要な高齢者や障害のある方のための避難所です。平成28年時点で全国に2万185施設が設置されています。災害時、自宅が倒壊したり危険な状態にあるときに、一定の期間、避難所での生活を余儀なくされる場合があります。ただでさえ災害に見舞われた恐怖や慌ただしさの中で避難所では不安な状況にありますが、障害がある方、持病をお持ちの方やお年寄り、妊娠されている方などはより一層困難な状況におかれます。福祉避難所では、そのような配慮を必要とする方々が避難し、円滑な施設の利用や、助言や支援を受ける体制を整え、適切な生活環境の確保を目指しています。内閣府令で定める基準は、次の通り(災害対策基本法施行規則第1条の9)。・ 高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者(以下この条 において「要配慮者」という。)の円滑な利用を確保するための措置が講じられていること。・ 災害が発生した場合において要配慮者が相談し、又は助言その他の支援を受けることができる体制が整備されること。・ 災害が発生した場合において主として要配慮者を滞在させるために必要な居室が可能な限り確保されること。出典:平成28年度避難所における被災者支援に関する事例等報告書|内閣府福祉避難所の対象の人は?福祉避難所の利用対象者は「要配慮者」とされています。実際にどのような人が当てはまるのか詳しくみていきましょう。以下が内閣府による要配慮者の定義です。「災害時において、高齢者、障害者、乳幼児その他の特に配慮を要する者」(災害対策基本法第8条第2項第15号)「その他の特に配慮を要する者」は、一般的な避難所での生活では支障をきたしてしまい、何らかの配慮が必要となる方を指します。つまり、福祉避難所を利用することができることになるのは以下のような方です。・障害のある方(身体障害者、知的障害者、精神障害者)・高齢者・妊産婦・乳幼児・難病患者・傷病者また、内閣府の示すガイドラインによると、要配慮者の家族も同行することが可能であるとしています。ただし、避難所の運営は民間企業やNPO、ボランティア団体などが指定管理者となり、自治体主体で行われています。そのことから、それぞれの地域で異なる決まりがなされている場合もあります。お住まいの地区がどのような対応をしているのか事前に確認しておくことが重要です。どんな場所が福祉避難所になるのか?出典 : 困りごとのある方々を受け入れる福祉避難所の候補となる場所は、「バリアフリー」であり「支援者をより確保しやすい」ところです。この2つのポイントに重きを置いてみると、以下のような施設が想定されます。・一般の避難所となっている施設(小・中学校、公民館等)・老人福祉施設 (デイサービスセンター、小規模多機能施設、老人福祉センター等)・障害者支援施設等の施設(公共・民間)・児童福祉施設(保育所等)、保健センター、特別支援学校・宿泊施設(公共・民間)市区町村などの自治体はこれらの施設の設備や、そこで支援を行うことのできる人材などの状況をあらかじめ情報収集し、福祉避難所として活用できるように準備しています。要支援者の災害時の避難所での困難とは?出典 : 避難生活は、多くの方にとってストレスフルと言えますが、要支援者の方々はさらに困難を感じがちです。特に一見障害があるとわかりにくい方は、困りごとが理解されにくく窮屈な思いをしたり、過度なストレスを感じてしまうこともあります。さらに、一般の避難所での生活が困難であることから自宅避難や車中泊に切り替える方もいます。そのため、支援物資などが行き渡らないなどの問題や、狭い場所での寝泊まりでエコノミークラス症候群などのリスクも高まります。福祉避難所では支援を必要とする人、困りごとのある人が適切な施設の利用や配慮を受けられるように開設されます。福祉避難所の課題福祉避難所に関しては、住民に周知されていない、支援者側の人手不足、施設入所者以外の困りごとの把握が困難であること、などの問題も指摘されています。熊本地震では想定よりも少ない開設数と利用者数になってしまいました。住民への福祉避難所についての周知に関しては、26.5%の自治体が行っていない現状があります。周知することが困難である理由として、内閣府の調査によると・二次避難所としての位置づけだが、受け入れる体制が整う前に直接避難してきてしまう可能性がある(支援者側も被災することや、福祉施設などでは通常運営と並行して行われることなどによる人員不足)・要支援者が対象だが、一般の人が直接避難してきてしまう恐れがあるの2つが大きな課題としてあげられていました。出典:平成28年熊本地震における福祉避難所での要配慮者の受入状況出典:指定避難所等における良好な生活環境を確保するための推進策検討調査報告書|内閣府(防災担当)そのため、事前に要支援者の大まかな人数の把握や事前通知、避難所でスクリーニングを行い要支援者を把握して二次避難所として福祉避難所を提供するなどの対応が検討されています。ただし先述のとおり、避難所の開設の流れは国で統一せず市区町村など自治体により異なるため、自分の住む地域の周知が不十分であったり、他の地域とは異なっていたりする可能性もあります。事前に自分はどこの避難所に行き、どのように福祉避難所にたどり着けばよいのかを確認することが必要です。避難までのステップ福祉避難所の利用の仕方を調べる場合、お住まいの地域の市区町村のホームページを検索し、防災・災害時に関するページから情報を得たり、「地域名避難」などで検索してみてください。もしも情報の記載がなかったり、不十分であった場合は市区町村の福祉課や防災課に問い合わせを行うなどして、いざというときの行動をイメージできるようにしましょう。ここでは、発達障害のある方が避難する場合の一般的な流れを紹介します。ただし、命を守る緊急の避難を終えた後に、避難所での生活を余儀なくされた場合についてです。それぞれの災害における緊急の避難は、命を最優先に避難勧告や指示に従いましょう。状況によって判断できるようにあらかじめ準備をしてみてください。命の安全が確保された後自宅での生活が困難な場合、まず最初は市区町村などから指定された避難所に移動しましょう。次に指定された避難所では多くの人が集まるため、その場で生活することが困難になってしまう場合に、その避難所内(もしくは近く)に設置される福祉避難室への移動を相談しましょう。ここでは専門性の高いサービスなどは必要ではないが、配慮を必要としている要支援者の方が生活できます。しかし、福祉避難室での生活が困難な人もいます。二次避難所である福祉避難所の利用が必要な人たちは、受け入れ側の体制が整い次第、福祉避難所へ移動することが可能となります。細かな指示や流れは自治体ごとに異なるため、必ず事前に確認をしておきましょう。Upload By 発達ナビ編集部準備しておくべきこと・もの出典 : 避難のイメージをつけると同時に、防災用品の準備も大切です。ここでは発達障害のあるお子さんのいるご家庭向けに一般の防災グッズに合わせて、特に準備したいものについてまとめました!・常備薬とその説明書・ヘルプマーク、ヘルプカード、サポートブックなど・偏食があっても食べられる飲食物・耳栓、アイマスク、簡易トイレなど、苦手なもの対策・いつも使っていて安心できるもの(毛布、ぬいぐるみ、ゲームなど)・家族での防災マニュアルなどリタリコではお子さんにどのような困りごとがあり、どのように接してほしいかを書くことのできる「サポートブック」を配布しています。また、目に見えない困難がある人のためのヘルプマークについての記事も載せているので参照してみてください。サポートブックテンプレート|LITALICOジュニアさらに、発達障害のあるお子さんが、いつもと違う場所や行動をすることでパニックになってしまわないためにも、平常時に避難の予行演習などに積極的に参加したり、予習として実際に足を運んでみることもよりスムーズな避難のために大切なことです。まとめ出典 : 災害などのもしもの時に、困りごとがあり配慮が必要であるなど、災害時の避難所での生活を不安に思われている方は特に、お住まいの地域の福祉避難所の利用をご検討ください。また、避難の流れや防災用品の準備に加えて、もしもの時にどのように行動するのか、防災の日をよい機会に、ご家族で話し合ってみてはいかがでしょうか。
2018年08月31日発達障害とは?発達障害は、発達障害者支援法では「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」と定義されています。具体的にわかりやすく言うと以下のような状態です。Upload By 発達障害のキホン発達障害はその発達過程やライフステージなどで困りごとや特性が強く現れ、初めて分かるケースがほとんどです。外見からはわかりにくく、大人になっても気づかない人もいます。その特性から「困った子」と捉えられてしまうこともありますが、その子が「困っている」ことに早く気づき、周りが理解し、一人ひとりに合った対応をすることがとても大切です。発達障害は特性や現れる困りごとによって、大きくASD(自閉症スペクトラム)・ADHD(注意欠陥・多動性障害)・LD(学習障害)の3つのタイプに分けられます。Upload By 発達障害のキホン発達障害の症状・特性と困りごとUpload By 発達障害のキホン診断基準によっては広汎性発達障害・自閉症・アスペルガー障害などの名前で呼ばれることもあります。知的障害や、言葉の遅れ、感覚過敏・鈍麻がある人もいます。子育ての違和感や園や学校、乳幼児健診での指摘で気づくケースが多いと言われています。自閉症スペクトラムについてもっと詳しく知るUpload By 発達障害のキホンこれらの特性は、幼い子どもには多く見られますが、成長するにつれ同年代の子に比べて特性が目立つようになります。そのために園や学校での集団生活が難しくなってしまったり、本人の努力不足や親のしつけの問題と誤解されることも少なくありません。についてもっと詳しく知るUpload By 発達障害のキホン全体的な知的発達に比べて、学習面で大きく目立って不得意なことがあります。読めるのに書けないなど、一部だけに困りごとが表れることもあります。授業についていけなくなる、宿題をこなせないなど、小学校に進学し学習が始まって明らかになるケースが多いと言われています。学習障害についてもっと詳しく知る発達障害は、その特性や症状が一人ひとり大きく違うことが特徴です。特性や疾患、合併症が重なっていることもあります。Upload By 発達障害のキホン上記のほか、てんかん、チック、トゥレット症候群、場面緘黙、吃音などが合併することもあります。「感覚過敏があって、音に耐えられず教室を飛び出してしまう」「言葉の遅れがあって気持ちをうまく伝えられず、癇癪を起こしてしまう」など、これらの合併症と特性は密接に関係し重なり合い、困りごととなってしまうこともあります。発達障害と定型発達の境目は明確にはありません。そのため診断基準は満たさない、あるいは未診断だが発達障害の傾向のある「グレーゾーン」と呼ばれる人もいます。診断がつかない=症状や困りごとも軽度だと考えられがちでが、明確な診断名がなく、外見からもわかりにくいので、理解や支援を受けにくいこともあります。分類や定義、診断の有無にこだわらず、一人ひとりの特性の傾向を知り、本人の生きづらさを減らすことに注力できるとよいでしょう。グレーゾーンについてもっと詳しく知る発達障害の原因は?発達障害は、生まれつきの脳の機能障害が原因となって現れると考えられます。以下に、発達障害に関係のあるのではないかと考えられている脳の機能を紹介します。Upload By 発達障害のキホン発達障害のある人の脳の場合、これらの部位が小さかったり、血流が弱かったりしてうまく機能しない傾向が報告されています。この機能障害を引き起こすメカニズムは、まだはっきりとは分かっていません。発達障害に関連がある遺伝子の発見や研究も進められています。ただし、遺伝子を持っていても必ずしも発症するわけではありません。また、親から子へ必ず遺伝するものでもありません。現在「様々な遺伝的要因と環境要因が相互に影響しあって発達障害の症状が表れる」という説が有力で、すべての方にあてはまるようなただ一つの原因はないといわれています。「親のしつけ方・育て方が悪い」「親の愛情不足」といった心因論も医学的に否定されています。発達障害かもと思ったら?症状チェック・検査・診断までの流れ発達障害のサポートは、家族や本人、周りの人が「特性のために困っている」「違和感がある」などに気づくことが、最初のきっかけになります。Upload By 発達障害のキホン専門機関の中には発達検査を行っているところもあります。相談や医療期間受診の後、療育的なサポートを受けたり、医療機関で治療を受けたりするなど、必要に応じた個別の専門的なサポートを受けることになります。診断を受けなくても発達相談や子育て相談、発達支援やペアレントトレーニングなどを受けることもできます。全国の相談窓口の情報を調べる|発達障害・支援センター発達障害診療医師名簿|一般社団法人 日本小児神経学会・子育ての違和感や子どもの困りごとに早く気付くことで、より早い支援につながる・自己診断は絶対にNG。その先の対処法や支援を知るためにもまずは専門家に相談を・専門機関に相談することで、必要であれば医療機関につないでもらえる・もし発達障害ではなかったとしても、子育て相談や発達相談などの支援を受けることもできる・検査で子どもの苦手と得意を把握することで、その子にあった対処法が見つかることがある・発達支援や療育を受けることで、症状や困りごとが改善する可能性がある・診断は必須ではないが、診断があることで受けられる公的サポートもあるなどが挙げられます。発達障害は治るの?発達障害は現在、根本から治療することは難しいとされています。ですが、症状を和らげるための薬物療法や、対処法を知るための応用行動分析学に基づく療育的アプローチなどを受けることで、困りごとが改善する可能性があります。発達障害を完全に治す薬はありませんが、症状を和らげるための薬がいくつかあります。人によって合う薬と合わない薬もあり、副作用などもあるなど、現在のところ、すべての人に必ず効果があるような薬はありません。また処方は6歳以上で、成人には認可されていない薬もあります。そのため、薬物療法を進めるときは医師の判断のもと、その人の症状や状態を慎重に見ながら行うことになります。薬で症状が和らいでいる間にスキルトレーニングなどを合わせて行うとよいでしょう。Upload By 発達障害のキホン子ども自身が何に困っているかやその背景などを探り、トレーニングをしてうまくいく方法を見つけ、得意な部分を生かします。また周囲の人の理解や環境の工夫によって、症状や困りごとの改善を図ります。そうして失敗体験を減らし、成功体験を増やして適応能力を伸ばしていきます。療育方法は様々なものがあります。子どもの場合、クリニックや発達障害外来などのほか、児童発達支援や放課後等デイサービスなどで療育的支援を受けることもできます。発達が気になるお子さまが利用できる施設を調べる|LITALICO発達ナビ施設情報発達障害の生きづらさと二次障害発達障害の特性が理解されないまま生きづらさが強くなると、心の病や行動の問題など、二次的な障害を引き起こすことがあります。以下に二次障害に陥りやすいプロセスをご紹介します。Upload By 発達障害のキホン二次障害を引き起こさないためにも、その子が困っていることに早く気づき、専門機関やサポートにつながることが大切です。発達障害の特性を理解し、その子に合った対処法と過ごしやすい環境を考えサポートしていきましょう。発達障害をもっとくわしく知るリンク集発達障害の診断・検査について知る発達障害の原因について知る障害者手帳の取得法、利用できるサービスを知る障害児が受けられる福祉サービスを知る障害者が受けられる福祉サービスを知る合理的配慮の受け方、具体例を知る親子のヒント参考:発達障害とは|LITALICOジュニア参考書籍:『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院)参考書籍:『ICD-10精神科診断ガイドブック』(中山書店)
2018年08月28日幼稚園生時代、夏休みの帰省で。「孫に障害はない!」と完全否定する祖母Upload By 荒木まち子私は娘が1歳頃の時から、周りの同世代の子どもとの違いや育てづらさを感じていました。健診時に指摘などはされていませんでしたが、娘の幼稚園入園前から療育機関などに相談をしていました。娘は人見知りをしなかったので、年に数回しか会うことがない祖父母は「本やテレビが好きな大人しい孫」「歌やお絵描き好きなおっとりさん」と感じていたのかもしれません。出典 : おじいちゃん、おばあちゃんっ子だった娘娘自身もおじいちゃんとおばあちゃんが大好きで、帰省の時は親ではなく祖父母と一緒に寝たがる程でした。電車に乗れるようになると一人で祖父母の家に泊まりに行ったり、旅行好きな祖母と一緒に旅にも行ったりしていました。高校生になるとPC検定の資格を持つ娘が祖母にパソコン操作を教えることなどもありました。おおらかで優しいお年寄りと過ごす時間は娘にとっても心地良かったのだと思います。出典 : 初めて、娘のパニックに遭遇した祖母娘が高校3年生の時、たまたまわが家に泊まりに来ていた祖母は娘のパニックに遭遇しました。この頃の娘は、就職活動中だったこともあり、とても不安定でした。「学校から配布された資料が見つからない」と家中の引き出しを開けて探しまわりました。私が「学校に電話して同じものをもらえば良いんじゃない?」と言っても「それは絶対ヤダ!」「あの先生は怖いんだ」と全く聞く耳をも持ちませんでした。同じ引き出しを何度も開けたり閉めたりすることを止められない娘。しまいには弟の机の引き出しやランドセルの中まで探し始めました。その時、祖母は…Upload By 荒木まち子祖母が娘をなだめている間に私は学校に電話をし、先生に娘の様子を伝え、翌日同じ資料をもらうことになりました。パニックは1時間ほどで治まりましたが、孫のパニックを目の当たりにした祖母はショックを受けたようでした。孫の将来を案じてその後、就職がなかなか決まらなかった娘を心配した祖母に「知り合いの会社を紹介しようか?」と勧められたことがありました。私は「いつまでも親が子供を守り続けられるわけじゃない。私たちは娘のことを理解して支援してくれるような人(ジョブコーチ)がいる会社を探している」と伝えました。祖母の思う幸せとは、違うかもしれないけれど就職後、娘は祖父母のところに行くことはほとんどなくなりました。孫のことが心配な祖母は、しょっちゅう電話を掛けてきます。「会社には休まず通っているの?」「会社の先輩とはうまくいっている?」「身だしなみはきちんとしているのかしら?」「お金は足りてるの?」「親としてちゃんと悩みを聞いてあげてる?」「また一緒に旅行に行きたいんだけど…」私はその一つひとつに丁寧に答えます。「会社は無理して毎日通うより、休み休みでもいいから彼女のペースで長く続いた方が良い」「娘は人間関係は時間をかけて築き上げていくタイプ」「完璧でなくても他人を不快にさせない程度の身だしなみはできていると思う」「まだ職場になれるのに精一杯でお金を使う暇もあまりないみたい」「職場の悩みを聞くのは親ではなくてジョブコーチという会社の上司なんだよ」「休みの日は趣味や友達と過ごす時間に充てているよ。もう家族と一緒に出掛ける年じゃないし」“おばあちゃんの思う『幸せ』とは少し違うかもしれないけれど、本人が辛いと感じることなく毎日を過ごせていれば、それが彼女にとっての幸せなのだ”と時間をかけて伝えていこうと思っています。
2018年08月10日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。突然プロポーズをしてきた彼から教えてもらった、忘れていた家族への愛情——。現状の打開策と兄への最善のサポートについて考え直すきっかけになりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 23閉鎖的だった私たちに新しい風聞いてほしくなかったこと、話題にだしてほしくなかったことだと思っていた、兄の話。しかし、本当は誰かと支え合って理解したかったのかもしれない……そう、今なら感じます。両親の陰から見ていただけだった私は、兄の相談を誰にしたら良いのかわからず過ごしてきましたが、彼の親身なメッセージを見てからは大きく気持ちが変化しました。両親も、兄に理解を示してくれる彼に、“家族” として心を開くことができ、長年閉鎖的だった我が家に新しい風が吹き始めたのです。現状を打破するには……?兄は、一時期の暴力的な状態に比べると、本当に穏やかになりました。精神安定剤を飲んではいるものの、病院の回数も格段に減りましたし、テレビを見たり、パソコンで音楽を聴いたりと、何かに集中することができるようになったことも大きな前進です。しかし、今の暮らしを続けるとなると、診断書を提出して障害者手帳の更新をしながら、障害者年金(または、生活保護)を受け取ることになります。医療費のサポートや、交通機関の補助などは大変ありがたいことですが、それが兄の「生きること」に楽しさや嬉しさをもたらすのかといったらそれはまた別の話になるでしょう。私たちは、兄に「生きがい」を持ってほしいと願いました。役割を持つことで “生きがい” を見つけるそこで、彼を含めた私たち “家族” のアイデアは、「人は社会の役割を持つことで生きがいを得る。金銭的なサポートも大切だけど、社会との関わりを少しずつ増やし、精神的な自立を支援することにも注力したほうが良いのではないか?」というものでした。思い返せば、両親は兄が精神安定剤を飲んだり、病院を探したりすることに夢中になるばかりで、社会との関わりに対してサポートすることを忘れていた気がします。閉鎖的になっていたことを反省し、障害を持つ人への雇用があるのか探してみることに……。すると、どうでしょう。例えば、父の知り合いには、大人になってから喉の手術をして声帯を摘出した人がいました。声が出なくなってしまったのですが、パソコンを使った仕事に就くことができて明るく生活されているそうです。また、私の友人の仕事先にも精神的な障害を持つ方がいるけれど、コミュニケーションが必要な接客業ではなく、裏方として荷物を整理する役割についているとのことだったのです。今までは、社会復帰をするなんてまだまだ先……と思っていた両親も、兄ができることから始めてみようと背中を押すことに。そして、兄が働ける雇用先を探し、工場で働くという試みをしました。結果は、1か月という短い期間しか続かなかったのですが、それでも兄にとっては大きな社会的役割を果たせたと思います。すぐに、完全な社会復帰ができなくても、少しずつ自分でお金を稼ぐ能力を身につけることができれば、行動範囲や視野も広がると共に自分に自信がつくのではないか。これからも、チャンスがあれば積極的に探していきたいと思っています。世界でたった一つの “家族” だから大人になるにつれてできる人間関係は、幅広いものです。しかし、本当に自分が困ったときに助け合える関係や、時には言いたくないことも指摘してくれる関係、そして自分の背中を押してくれる関係、心の中に入り込んでくれる関係は、世界でたった一つの “家族” だと私は思います。その “家族” というのは、血が繋がっている・いないではなく、包み隠さず人生を共に歩む「絆」のこと——。それに気づくことができたのは、彼、両親、そして兄のおかげです。©gyro/Gettyimages©ipopba/Gettyimages©Chalabala/Gettyimages©BrianAJackson/Gettyimages
2018年08月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。自分の境遇を知られたくない思いから、恋愛どころか男性が苦手になっていったアラサー手前のこと。突然のプロポーズを受け動揺を隠せない私がいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.22「君を妻にしたい」——。その男性は出会ってすぐ私に好意を寄せてくれましたが、私は心を開くことはできませんでした。それなのに彼は、突然「君を妻にしたい」とプロポーズしてきたのです。初めは、冗談だと思っていました。出会って早々、まだデートの回数もままならないのに、なぜ急に……? 私のことを何も知らないのに、何を根拠に言っているのか理解できませんでした。おまけに、男性が苦手な私にとって、交際を飛び越えていきなり “結婚” はどう考えても難しい。とはいっても、どうにかしてこの男性不信から逃れたいと答えを探していたのは本当なのですが……。彼の言動は超ストレート。「君は、彼女じゃない。一生のパートナー、妻だと思う」と、本来なら少しずつ意識するであろう “妻” スタートで私のことを考えてくれたのです。毎日届く「人生プラン」に、驚きを隠せなかったその本気さが一番伝わってきたのは、毎日届く長文のメッセージでした。コミュニケーションや気持ちの共有を一番大切にしてくれるのですが、LINEのような短い文章を伝えるツールではなく、パソコンのメールアドレスに「これからの私たちについて」「今後の人生のプラン」「僕の今までの生き方」「心音の好きなところ」など、自分の人生観や仕事のこと、今までの恋愛について、私のどこが好きなのか、そして私たち二人でどんな人生を歩みたいのか。時には、PDFで自己紹介を添付してくれたり、過去にしていた仕事の様子や将来のビジョンをまとめた資料を送ってくれたり……。ここまで、自己開示をしてくれる人がいるんだと思うくらい、包み隠さずに自分のことを話してくれたのです。自分の話をするより、人の話を聞くことで相手は安心するといわれることがありますが、私は逆だと思っています。人の話を聞くより、自分の本音を相手に包み隠さず話すことは、相槌を打つよりエネルギーを必要としますし、話したくないことまで自分を開示することは時として辛いからです。彼は、良い情報だけではなく、自分の人生においての失敗や挫折もたくさん教えてくれました。本当に大切に思っている人にしか話さないような、“辛い経験” をまだ出会ったばかりの私に話し続けてくれました。出張で会えない時でも、毎日長文を送り続けてくれるその行動。「今日はもう帰る」と冷たくあしらっても、「なぜひとりになろうとするの?」と言いながら手を取ってくれたその優しさ——。少しずつ「私を理解してくれるのは、この人かもしれない」という気持ちが出てくるものの、それでも不安はいっぱいありました。曇り顔を察したのか、彼は、私が不安に思っていることや心の内で感じていることを、話してほしいと言ってきたのです。私以上に、私の家族を大切にしてくれた彼おそらく、中途半端に気持ちを探られたり、曖昧なアピールをされたりしていたら、絶対に言わなかったと思います。しかし、あまりにも真剣だということが伝わってきたので、私自身も心を開かなければ彼に申し訳ないと感じ、正直に思っていることをすべて話したのです。「一生支え合えるパートナーができるか不安」「私には、障害を持つ兄がいる」「男性を心から信用することができない」……など、包み隠さずそのまま話しました。そして後日、またいつものように朝起きたら長文のメッセージが届いていたのですが、内容に驚きました。「この前は、たくさん話してくれてありがとう。家族のことだけど、お兄さんはどんな状況なの? コミュニケーションは取れますか? 手話はできますか? 車椅子ですか? ……それとも、ベッドから動けない状態ですか?」そして、障害者施設のことや斡旋サポートのページなど参考になりそうなリンクが貼られていました。彼なりに兄のことを考えてくれたメッセージだったのです。引っかかっていた心のわだかまりが溶けた瞬間このメッセージを見た時、心臓の奥を強く握られたような痛みと共に感じたことは、「ああ、血の繋がっている私よりも、兄に対して真剣に考えてくれている」という現実を直視する彼の強さです。そのメッセージは「私には、障害を持つ兄がいる」ということだけを頼りに情報を探してきてくれた内容で、“手話” や、下半身が不自由な人のための “車椅子” など、精神障害ではなく身体障害についてだったのですが、それでも時間をかけて調べてきてくれたことに胸がいっぱいになりました。気づけば誰にも言うこともなく、心にしまいこんでいた感情——。兄のことを避けるようにしていたことを、血の繋がっていない彼に教えてもらうとは……。恥ずかしさと情けなさと、そして彼の大きな愛が混じり合って、スーッと心の詰まりが溶けていったのです。©andrej_k/Gettyimages©Geber86/Gettyimages©metamorworks/Gettyimages©123ducu/Gettyimages
2018年08月05日【イベント】学習障害の当事者の講演から人権を考える「ボク、学習障害と生きてます~多様性を大切にする社会へ~」(長崎県)Upload By 発達ナビニュース学習障害の一つであるディスレクシア(読み書き障害)の当事者である南雲明彦さん(明蓬館高等学校共育コーディネーター)が講師を務める講演会が開催されます!ディスレクシアは、聞く、話す、読む、書くといった能力のうち、特定のものができない「学習障害」の中でも、読み書きに困難をともなうもの。南雲さんは21歳のときにディスレクシアと診断を受けました。かつては不登校、引きこもり、うつ病なども経験。同じような悩みがある人が一人で悩まなくてもいいようにと、自らの経験をもとにさまざまなメッセージを発信しています。夏休みも終盤の時期の開催。2学期の学校生活に向けて学習障害から見た多様性について理解を深めませんか?【演題】「ボク、学習障害と生きてます~多様性を大切にする社会へ~」南雲明彦氏【日時】2018年8月20日(月) 14:00~15:50【場所】長崎市民会館文化ホール(長崎県長崎市魚の町5番1号)【参加費】無料【申し込み】不要 ※一時保育(1歳〜就学前)をご希望の方は、8月10日(金)までに申し込み。定員になりしだい締め切り【問い合わせ】長崎市人権男女共同参画室TEL: 095-826-0026講座・講演会 | 長崎市【イベント】「えらぶ」先に思いをはせる美術展「えらぶん:のこすん:つなげるん」(福島県)Upload By 発達ナビニュース「えらぶ」に着目したユニークな展示会が、福島県猪苗代町のはじまりの美術館で開催中です!作家らの数々の選択を経てきた作品たちが、私たちの日常にも繰り返される大小さまざまな選択について、何を残し、未来に繋げているのかを投げかけます。はじまりの美術館は、「人のつながりから生まれる豊かさ」に視点を置き、「さまざまな人が集える場所」として多様なテーマの企画展やイベント、地域でのプロジェクトを実施している社会福祉法人が運営している美術館です。今回は、7組の作家が出展しています。たくさんのぬいぐるみを組み合わせて、動物など新たなものをつくり上げる藤浩志さんの作品は、可愛いだけでなく、ぬいぐるみと持ち主の歴史を感じさせるような独特な雰囲気を持ちます。パンダや仔馬など背中に乗ることができる作品もあります!また、展示に合わせて、さまざまな企画も用意されています。佐藤悠さんが1枚の紙に絵を描きながら、その場にいる全員で即興で物語をつくる「いちまいばなし」や、東京都世田谷区の就労継続支援B型事業所「ハーモニー」の利用者の体験をもとにした「超・幻聴妄想かるた」のイベントや、来場者がかるたをつくるワークショップも行われます。ほかにも、出展者のトークイベントや地元住民による民話語りなどさまざま催しがあるので、ホームページを確認して足を運んでみてください。さらに、子どもたちの夏休みに合わせて8月の4日間を特別に夜8時まで開館。明治時代に建てられ、酒蔵、ダンスホール、縫製工場などを経て美術館として生まれ変わった蔵の建築が見せる夜の表情も魅力です。昼間とは違った雰囲気で作品を楽しめそうですね。【日時】2018年10月21日(日)まで(火曜日休館) 10:00〜18:00※8月10日(金)、17日(金)、18日(土)、24日(金)のみ20:00まで開館【会場】はじまりの美術館(福島県耶麻郡猪苗代町新町4873)【入場】一般500円、65歳以上250円、高校生以下・障害者手帳をお持ちの方および付き添い(1人まで)は無料【出展作家】乾久子、大路裕也、佐藤悠、根本将、ハーモニー、久松知子、藤浩志【問い合わせ】社会福祉法人安積愛育園 はじまりの美術館TEL/FAX 0242-62-3454えらぶん:のこすん:つなげるん | はじまりの美術館【ニュース】障害のある人を応援するリーダー育成研修が募集を開始!「夢へとつづく“3つの海外研修”世界へ。未来へ。」出典 : ダスキン愛の輪基金が実施する地域社会のリーダーとして貢献したいと願う障害のある若者を対象とした海外研修の参加者を2018年11月15日(木)まで募集しています!「ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業」は、1981年に国連で決議された「国際障害者年」にちなんで、障害者の社会への参加と平等の実現を目指して発足したそうです。今回は、年代や目的別に3つの研修で参加者を募っています。海外の障害者の生活を学んだり、当事者団体・支援団体などと交流したりすることがメインで、応募者が希望し、計画した内容で研修先を選べるコースもあります。9月に東京、大阪、福岡で説明会があるので、将来、社会で活躍したいという夢のある人はぜひ応募してみてくださいね。ジュニアリーダー育成グループ研修(視覚障がい者ユースグループプログラム)【対象】視覚に障害があり、2019年4月1日時点で15歳以上17歳までの人【行き先】イギリス(予定)【期間】2019年の夏休み8日間程度【募集人数】3〜5人(1グループとして派遣)【選考方法】書類選考、グループ面接審査、健康診断など【費用】一定額を財団が支給【内容】視覚障害者の生活・文化・教育・就労などを総合的に支える当事者団体、国際的な舞台で活躍する視覚障害者や研修生との同世代交流。希望のテーマで最長1年間 個人研修※障害の種別は問いません【対象】希望のテーマで研修計画を立案・作成し、それを実行できる方・18歳以上40歳までの人・研修地で必要な語学力が証明できる人・愛の輪運動に賛同し、積極的に取り組める人【行き先】応募者が研修を希望し、実行委員会が認める諸国【期間】3ヶ月以上1年以内【募集人数】4人程度【選考方法】書類選考、面接審査、語学審査、健康診断など【費用】上限400万円を財団が支給【内容】自らの「夢」を実現するため、応募者が希望し、計画する研修先を選びます。障害者団体、ボランティア団体、学校などの教育機関、リハビリテーション関連機関、研究機関、その他、行政機関、企業などグループで短期間学ぶ ミドルグループ研修(障害者権利条約の国内実施に取り組みたい方)※障害の種別は問いません【対象】・25歳から45歳くらいの人・グループ応募できる人・障害者の自立支援活動などに従事した経験が概ね5年以上ある人・愛の輪運動に賛同し、積極的に取り組める人【行き先】アメリカのほか、実行委員会が認める諸国【期間】1〜2週間程度【募集人数】研修生(障害当事者)3人以上、介助者、支援者、通訳などスタッフ含めて8人程度の1グループ【選考方法】書類選考、面接審査、健康診断など【費用】上限400万円を財団が支給【内容】グループの「夢」を実現するため、応募者が希望し、計画する研修先を選びます。障害者団体、ボランティア団体、学校等の教育機関、リハビリテーション関連機関、研究機関、その他の行政機関、企業など■海外研修説明会大阪会場【日時】2018年9月7日(金) 18:00〜20:00【会場】株式会社ダスキン 本社ビル 10階会議室(大阪府吹田市豊津町1-33)【参加費】無料【申し込み】開催2日前までに事務局へ申し込み東京会場【日時】2018年9月14日(金) 18:00〜20:002018年9月15日(土) 13:00〜15:00【会場】株式会社ダスキン 東京オフィス 会議室(東京都新宿区西新宿2丁目6-1 新宿住友ビル23階)【参加費】無料【申し込み】開催2日前までに事務局へ申し込み福岡会場【日時】2018年9月29日(土) 13:00〜15:00【会場】博多バスターミナル 9階第6ホール会議室(福岡市博多区博多駅中央街2-1)【参加費】無料【申し込み】開催2日前までに事務局へ申し込み【問い合わせ】公益財団法人ダスキン愛の輪基金TEL: 06-6821-5270FAX: 06-6821-5271夢へとつづく“3つの海外研修”世界へ。未来へ。| ダスキン愛の輪基金海外研修説明会のご案内 | 2019年度(第39期) ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業【ニュース】今年は大阪でも開催!第3回ダウン症支援セミナー「ダウン症成人期の支援を考える」出典 : 年に始まった支援者のための「ダウン症支援セミナー」が今年も開催されます!例年の東京都に加え、今年は大阪府でも開催され、参加者を募集しています。ダウン症がある成人のための支援プログラムに取り組んでいる方々を講師に招いて、支援のあり方を考えるセミナーです。日本ダウン症協会(JDS)が主催していて、今回で6回目を迎えます。対象は、保護者を除き、ダウン症のある人と関わり、支える専門家や学生などとなっています。東京会場は7月いっぱいで応募が締め切りとなりましたが、大阪会場では参加者を応募しています。地域、社会で生きていく成人のダウン症の人たちにどんな支援ができるか、事例や最近の動向を学びながら、これからの支援のあり方を考えてみませんか?東京会場※定員に達したため応募を締め切りました【日時】2018年8月19日(日) 10:00〜16:00【会場】東京日本橋タワー31階、受付場所7階 (東京都中央区日本橋二丁目7番1号)【講師】竹内千仙先生(東京都立北療育医療センター内科医長)、橋本創一先生(東京学芸大学教授)、菅野敦先生(東京学芸大学教授)大阪会場【日時】2018年9月2日(日)13:30〜17:00【会場】大阪医科大学、受付場所 看護学部講堂C-23(大阪府高槻市大学町2番7号)【講師】橋本創一先生(東京学芸大学教授)、菅野敦先生(東京学芸大学教授)【参加費】各会場4,000円【申し込み】ホームページからのウェブ申し込みのみ【締め切り】大阪 2018年8月19日(日)※定員になり次第締め切り【問い合わせ先】公益財団法人 日本ダウン症協会TEL: 03-6907-1824Eメール: info@jdss.or.jp | 公益財団法人日本ダウン症協会
2018年08月03日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。年齢を重ねるほど、素直な恋愛ができなくなっていった私——。「婚活」という言葉を知りながらも、結婚に対して前向きになれませんでした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 21家庭を持つ責任と、結婚の重み結婚することが女性の幸せである、好きな男性と結ばれて出産し子育てをすることが素晴らしい……。友人の結婚式に出席したり、子ども連れの夫婦を見たりすると、“幸せ” なのは頭で理解できるけれど、いざ自分に置き換えてみると一歩踏み出せない。どこか他人ごととして遠くから眺めている状態が、アラサー近くになっても続いていました。その理由は、小さい頃から繰り広げられていた、“荒れた家庭” が目に焼き付いているからです。高校を退学した兄の担任の先生に深く頭を下げる両親、夜中に帰ってきて騒ぎ立てる兄、精神障害者となった兄に安定剤を飲ませるためにタイマーをかけている母、仕事で疲れているのに休日は兄の病院の送り迎えをする父——。兄のことが疎ましいわけではなく、大事な家族のひとりだと思っています。でも、それらの光景は、私にとって良いイメージではありません。表立っていないだけで、家庭環境に苦労している家族も多いかもしれませんが、私が小学生、中学生だった幼い頃の我が家はとにかく悲惨でした。大人になった今は、自分の家庭は少しだけ稀だっただけ。そう、解釈できているのですが……。本当に、一生寄り添えるパートナーって?私は、両親をとても尊敬しています。元気な自分を保つことができたのは、両親がいつも力を合わせて家庭を守ろうとしていたからでした。もし、あの幼い時に、両親の意見が合わずに離婚していたら、もっと自分の居場所を無くしていたと思いますが、両親はいつも前向きでした。「心音は自分の人生を明るく生きなさい。お兄ちゃんは、お母さんとお父さんの子どもです。何を言われても、怖くなんかないよ。だってお母さんのお腹から出てきたんだから」と、私が想像しているよりも大きな愛で兄を育てていました。そんな両親を見ていると、果たして自分にそんな責任を負えるのか? 何があっても、一緒に助け合えるパートナーが見つかるのかと不安ばかり募ります。学生の時のように、自然体でありのまま恋愛できれば良いのですが、年齢を重ねるほど “傷つきたくない” 気持ちが大きく膨らんでいくばかりだったのです。また、「できちゃった婚」のように、もし、予想しないタイミングで子どもができたらどうやって責任をとったら良いのかわからない、一生のパートナーと確信していない人とは絶対に子どもは作れない。家庭や出産に対して、“幸せ” のイメージより先に “恐れ” が先行している状態に、世間とのズレを自分でも感じていました。男性を避け、「女性専用」を選ぶほどだった大人の恋愛になれば、学生の頃とは違い、明確な告白がなくても良い雰囲気になって関係をスタートすることもあると思います。しかし、曖昧にスタートさせようとする男性に対して、どこまで本気なのか試したり、わざと怒らせるようなことを言ったりして「石橋を叩いて渡る」領域を超えて、叩きすぎて壊してしまうことも多々ありました。そんな、“疲れる恋愛” しかしていなかった私は、「恋愛はめんどくさいし、疲れるだけ」「そんなことなら自分の時間を大切に過ごしていたほうがいい」と深く恋愛をすることを忘れていったのです。両親からも、「心音は、結婚しないかもしれないね」「正解はないから、自由に生きなさい」と私の心情を知ってか知らずか、結婚をすすめることはありませんでした。恋愛に対してひねくれていた私は、男性が言い寄ってきても、「どうせまたこの人もすぐにいなくなる」「好きって言うけど、本当は一瞬だけでしょ?」と勝手に不信感をもって斜めから見ていた気がします。女子大を卒業した後は、気づけば男性がどんどん苦手になっていました。電車やバス、ジムなどはなるべく「女性専用」を選んだり、休日も女友だちと過ごすことが多かったり。または、本当は嬉しいはずなのに、デートで男性に荷物をもってもらうことすら抵抗がありましたし、帰りも家まで送っていくと言われても、「大丈夫、ひとりで帰れるから」と突き放すこともあったのです。私のプライベートを知る親しい人からは、「心音ちゃんって、もしかして男性嫌い?」と核心をついた質問をされることもありました。“嫌いではないけれど、避けてしまう” 自分でも分からないこの男性への接し方は、答えがあるなら教えてほしいと願うばかりでした。心の奥に入ってきた、たった一人の男性そんな男性への不信が強くなるアラサー手前のこと。出会ってすぐに、好意を示してくれた男性がいました。「彼氏はいないの?」「このままずっと一緒にいたい」と。軽い気持ちで声をかけてくるだけの男性に違いないと思った私は、冷たくあしらって社交辞令ですませていました。この人も、きっとすぐにいなくなるだろう。「好き」と簡単に言ってくる男性が信用できなかったので「彼氏はいないけど、もう恋愛をするつもりはない」とまで言って、突き放していた矢先——。なんとその男性は、彼氏彼女を飛び越えて「君を妻にしたい」とプロポーズしてきたのです。©martin-dm/Gettyimages©fizkes/Gettyimages©Mixmike/Gettyimages©flukyfluky/Gettyimages
2018年07月28日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者となった兄を献身的に世話してきた両親は、長い年月をかけて現実を受け入れ、ようやく前向きに人生を歩みだしました。いっぽうで私は、人間関係に悩むようになっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 20人と人との “距離”ってなんだろう……?精神を病んだ兄に全てを注いできた両親ですが、祖父母の言葉でありのままの現実を受け入れることができ、心にゆとりを持ち始めました。そのことをとても嬉しく思った私ですが、私自身は人間関係に悩むようになっていました。地元にいる時は、自分の意図と関係なく作られる人間関係も、地元を離れると良くも悪くも関係づくりは「自由」です。仕事で出会った人、飲み会で出会った人、友人の紹介で出会った人——。自分のことを正直に話す必要もなければ、相手のことを深く知ることも「自由」。その場限りの人間関係に対して、兄の話をすることは基本的にはなく、「兄弟っているの?」と家族の話題になれば、笑顔で「ひとりっ子だよ〜」と言ったり、「兄がいるけど遠くに住んでいて、まったく会っていない」と言ったりして適当に流していました。小学生、中学生と幼いときの私は、兄に対して「自業自得だ」と酷く不満を感じていましたが、年齢を重ねるにつれて精神的にも少しずつ大人になり、兄のことを責める気持ちは消えていました。しかし、障害を持つ兄の話題をあえて膨らませる必要はないと思っています。それは今でも変わりません。これらの言動は、相手に対して変な心配をかけないための返答であり、“良い嘘” だと感じていただけると幸いです。心の壁が顕著に出るのは、恋愛だった兄の話を具体的に知っている人は、私の周りに今でも少ないです。本当に気心しれた数人のみ。……良くも悪くも、悩んでいたり落ち込んでいたりする姿を極力見せないようにしてきたおかげで、「いつも笑顔で元気な子」「悩みがなさそう」というイメージで生きてこれたと思っています。仕事の人間関係や女友だちの間柄では、そこまで深く悩むことがなかった私ですが、顕著に心の壁が出てしまう時がありました。それは、大学を卒業しても克服しきれなかった、恋愛——。飲み会やデートはたまにすることはあっても、生涯を一緒に歩むことができる男性をイメージすることは、20代後半になってもできませんでした。学生時代の彼以降、何人かとは恋愛関係にありましたが、今振り返っても “作り物の私”。仕事の合間に時々会って、デート。笑顔で写真を撮っては、「また会おうね」と元気にメッセージを送るだけ。彼から距離を詰められると、「最近は忙しいから」「今週は、予定があるから」など、会う頻度をわざと減らすこともありました。「なんか心音って、心を開いてくれないよね」数年一緒にいた彼からは、同棲の話が出たこともありますが「私は、まだ結婚は考えていない」「一緒に住むのは、まだいいや」「自分の時間を大切にしたい」と、言われたら相手が傷つくであろう言葉をわざと言っている自分に薄々気づきながら、素直に恋愛することを避けていました。「なんでそんなに強がるの?」「もう少し、心を開いてほしい」「悩みがあるなら言ってよ」と言われるほど、私の心は殻に閉じこもっていったのです。その時は、ただ強がることしかできなかったけれど、わざと突き放していた本当の理由は、すべてを知られるのが怖かったから。私が兄の立場だったら、家族にこんなふうに思われるのはとても苦痛です。そんな気持ちを抱いてしまうのはよくないことだと思うけれど、相手がどんな反応を見せるのか……。もしかしたら、嫌われるかもしれない。オブラートに包んではっきりとは言わなくても、距離を置かれるかもしれない。自分には、背負いきれないと思われるかもしれない——。誰からもそんなことを言われていないのに、なぜか私は勝手に不安を感じていました。加えて、悩みや弱い部分を知られたら、自分を保てなくなるのではないか? と崩れる精神状態を恐れて、ある一定の人間関係より深くなる瞬間を感じると、突き放す癖が治らなくなっていきました。結婚や子育てのイメージ世の中では、「婚活」がブームになりましたが、幼い頃から兄の世話で苦労していた両親を見ていた私は、「家庭=大変」というイメージがどうしても拭いきれませんでした。もちろん、最愛の人と結ばれて子どもができて、新しい家族とともに幸せな家庭を作ることは、素晴らしいと頭では理解しています。理屈では消化できていても、心がついていかなかったのです。ずっと、ずっと——。©gilaxia/Gettyimages©ljubaphoto/Gettyimages©fizkes/Gettyimages
2018年07月26日子どもからお年寄りまで、地域の人が集う「ごちゃまぜの場所」。その真ん中にいるのは…?Upload By 発達ナビ施設インタビュー石川県白山市に、お年寄りも子どもも、障害のある人もない人も、町のみんなが集うごちゃまぜの場所があります。そして、その場所の真ん中にいるのは、障害のある人たちやお年寄りです。「社会の中で弱者と言われる障害者や高齢者。でも、彼らを弱者にしているのは周囲の環境の方なのでは?」という考えから、彼らを真ん中に、だれもが行きかうごちゃまぜの拠点としてつくられたのが、佛子園が運営する「B’s」です。もともとここには、旧学校の校舎を改造してつくられた、障害がある子どもの入所施設がありました。地域との交流もほとんどなかったその場所を、地域の人たちが訪れる賑やかな町の拠点に変えたのです。B’sは、放課後等デイサービスをはじめ、就労継続支援や生活介護の事業所、介護サービスの事業所、ショートステイ、グループホーム、保育園、クリニックなど複数の施設から成り立っています。高齢者通向けデイサービスも同じ敷地内にある、共生型の福祉施設です。誰でも利用できる温泉や飲食店なども併設しています。洒落た雰囲気の敷地に足を踏み入れると、大きな木の遊具が目に飛び込んできます。天気のいい日には、放課後等デイサービス・B’sこどもLaboに通う子やB’s保育園の園児、そして近所の子ども達が、木の遊具のある庭で混ざって遊ぶ姿が見られるといいます。Upload By 発達ナビ施設インタビュー庭を囲むようにして、放課後等デイサービス、料理教室やカフェ、フラワーショップ、リハビリ機能も併せ持つ整形外科、保育園が並びます。建物に入ると、天然温泉、手打ちそばやここで醸造するビールを楽しめるレストラン、カラオケ、全身マッサージを受けられるリラクゼーションまで。2Fには、最新の機器がそろうスポーツ施設や住民自治室、就労継続支援・生活介護の事業所、ショートステイができる場所もあります。庭の遊具のひとつに、大きな滑り台があります。「滑り台は下から登っちゃいけないって叱られがちでしょ。ここは規則でがんじがらめにして叱ったりしたくない。だから、叱らなくてもいいように、滑っても登ってもいいような幅の広い滑り台をつくった」という、B’sを運営する佛子園代表の速水さん。「地域の子ども達にも来てもらいたいから、お母さんたち向けに”日陰”も意識してつくったんですよ。子ども達を遊ばせながら、お母さんたちが日陰でおしゃべりができるでしょう」。そういう時間・空間が必要だと言う、速水さん。子ども達のそばにいる保護者のニーズもくみとり、しっかりと設計に反映する。地域の人たちが来たいと思える仕掛けを随所にちりばめています。中核となるこの施設の周りには、障害のある人が暮らすグループホーム・B’s Homesも点在しています。Upload By 発達ナビ施設インタビュー「高齢者向けデイサービスの施設は、通常、安全管理のために死角がないようにつくるでしょう。でも、それじゃあお年寄りは端っこに座ります。人は、死角がないと落ち着かないもんです」。B’sでは、その死角に椅子を配置し、人と人との会話が生まれるようにしています。ごちゃまぜの、遊び場のような、たまり場のような、生活の場がつくりたいからーー。温泉は、町民は無料。毎月2,300人ほどが入りにきます。地域の高齢者は、温泉に入るときに自分の名前の書いてある札をうらがえします。わざわざ家まで見守りにかずとも、温泉に入りに来てもらうことで、地域の高齢者の安否確認ができる仕組みです。もちろん、放課後等デイサービスに通う子ども達も自由に温泉に入れます。B’sの中は、さまざまな人たちが行きかい、だれが事業所スタッフなのか、誰が放課後等デイサービスに通う子なのか、ふらりと訪れた地域の人なのかわからない、「ごちゃまぜ」の場所です。’s | 佛子園「ぼくはね、ここで働いているんだ」就労支援で働く若者が、誇らしげに話しかけてきたUpload By 発達ナビ施設インタビュー「ぼくはね、作業所で働いてるんだ。こどもLabo(放課後等デイサービス)の卒業生だよ」住民自治室を見学していると、一人の若者が話しかけてきました。学生時代から通いなれた放課後等デイサービスのある施設で、今は仕事をしている。仕事が終わったら、ふらりとデイサービスに顔を出して、高校生の利用者たちとおしゃべりを。「ここはぼくの居場所なんだ」という誇りが、充実した表情から感じられます。B’sを支えるのは、障害のある人たちが働いたり訓練をしたりする、就労継続支援の事業所や生活介護の事業所です。就労継続支援の作業スペースでの業務のみでなく、蕎麦屋の厨房やハンバーガーカフェの店員、保育補助、フラワーショップ、スポーツ施設のインストラクターや受付、パソコンでの事務作業や絵本・パンフ作成など、担う業務はさまざま。他にも、地域清掃やホテルのベッドメイク、近隣の高齢者宅への配食など施設の外に出ての作業もあります。配食では、障害のあるスタッフも高齢者のもとに食事を届けます。自分のペースを崩さず時間に追われない、障害のあるスタッフとの会話を心待ちにしている高齢者も多いそう。おかずを分け合って食べたり、おしゃべりすることを楽しみにしているといいます。皆いきいきと活躍しています。一日の終わりには、ビールを飲みながら仲間と語らう姿も。ここで働くスタッフは、自宅から通うほか、近隣にある12カ所のグループホームから通う人も多くいます。皆、施設に入所するのではなく、地域で暮らしています。B’sでは、「人は、人の役に立っていると思うとき、幸せになれる」と考えています。だから、その人が望めば、やりたい役割を果たせるようにしています。自分が根づいている場所、必要とされている場所がしっかりとある。だから、ここで働く障害のある若者たちは、こんなにも誇らしげなのでしょう。施設の中を自由に行き来する、放課後等デイの子ども達。この地域に、あたり前に暮らし続けられるようにUpload By 発達ナビ施設インタビュー午後3時を過ぎると、放課後等デイサービス・B’s こどもLaboの部屋には、次々に子どもたちが。毎日約30人の子どもたちがやってきます。月間のべ1,000人ほどが利用しているそうです。小学生は、元気に走りまわっています。そこに、就労支援での作業を終えたOBの面々が加わり、おしゃべりに花が咲く。青春しているなぁ!人生楽しんでるなぁ!と、見ているこちら側まで、晴れやかな気持ちでいっぱいになります。Upload By 発達ナビ施設インタビュー子ども達はこどもLaboの部屋で遊んでもいいし、庭や施設内で自由に遊んでもいい。温泉に入ったり、リラクゼーションでマッサージを受けるのもOK。B’sでは、マッサージショップからテナント出店料を取らない分、福祉利用者が来店した場合には、無料でサービスを受けられるようにしているのです。最新の機器がそろうスポーツ施設の利用も、子どもであってももちろん可能です。スヌーズレンルームもあり、光を楽しみながらゆったりと寝転んでいたい子どもは、ここで過ごすこともできます。Upload By 発達ナビ施設インタビュー同じ施設の中に、就労継続や生活介護の事業所があることで、将来の見通しもつきやすいといいます。作業場での仕事、厨房の仕事、スポーツ施設のインストラクター、フラワーショップ、配食、保育園のスタッフ、清掃…放課後等デイサービスに通う子どもたちは、自然とさまざまな役割を知り、自分のやりたいことを見つけてくことができます。そしてまた、地域の子どもや大人と日々交わり、声を掛け合うことで「ここは自分の暮らす場所」であることを、しっかりと自分の中に根づかせることができるのです。障害のある「ある一人の人生」に寄り添おうと思ったら、支援を区切ることなんてできないUpload By 発達ナビ施設インタビューB’sを運営する社会福祉法人佛子園では、石川県内各地に、障害者施設・高齢者施設の機能を合わせもった施設を運営しています。そもそも、どうして社会的弱者と言われる人たちの施設をまるごと担おうと考えるようになったのでしょう?そして、縦割りともいわれる法制度のもと、どうしたらそんなことができたのでしょう?そう問うと、代表の速水さんは、少しきょとんとした表情を見せました。「障害のある”ある一人の人生”に寄り添おうと思ったら、子ども用、成人用、高齢者用、と支援を区切ることなんてできないでしょう?」例えば、以前は、障害のある人の福祉をある年齢になったら高齢者用の福祉に切り替えなくてはいけなかった。障害者向け施設は高齢者向け施設として運営することはできなかったので、住み慣れた施設を離れて高齢者向け施設に移らなければいけない。でもそれは負担が大きい。だから、障害者も高齢者も支えられる施設をつくったーー。こうして佛子園は、法律で障害者も高齢者も支援が可能となる「共生型の施設」が認められるより前から、さまざまな年齢の社会的弱者と言われる人たちのための施設を運営してきました。「福祉の制度は、使いやすいようにある程度ゆるみをもっている。それを現場が保守的に解釈して、あれもこれもできないって思いこんでることが多い。例えば、以前は障害者福祉と高齢者福祉の職員室は仕切られていなきゃいけなかった。でも何で仕切るべきかは書いていない。だからうちは”ふすま”で仕切っていた」今は、共生型が法律でも認められるようになり、施設のどの職員も、どの施設の利用者でも見守れるようになりました。スタッフは皆インカムをつけ、全員で見守りをしていると言います。平成30年度障害福祉サービス等報酬改定 における主な改定内容 | 厚生労働省Upload By 発達ナビ施設インタビュー自分が住む町の中に、だれもが安心でき、仲間と語り合うことができる場所があること。社会的に弱者と言われる人たちを弱者のままにしておかず、それぞれが役割を持ち、必要とされていると感じられること。言葉にするととてもシンプルだけれど、人が自分らしく幸せに生きていくために何より必要で大切なことなのではないか。「B’s」の中をいきいきと行きかう人たちの姿を目の当たりにして、そう思わずにはいられませんでした。撮影/吉田直哉(GARAN ASSOCIATES)、編集部
2018年07月25日障害がある人も、自分のことを自分で決められるーー啓発冊子との出合いUpload By 荒木まち子快諾したものの…Upload By 荒木まち子後日届いた4冊の冊子を見て、その内容の濃さにびっくり。そして、あっという間に付箋だらけに…。Upload By 荒木まち子障害がある人の、さまざまな権利に気づいたUpload By 荒木まち子「親が子の権利を侵害する可能性がある」知的障害者成人期権利擁護事例集日常にある確かな権利“気づいてほしいわたしのためのあなたのための26の権利”別冊より By 荒木まち子Upload By 荒木まち子「どんなに障害が重い方も権利に対する責任がある」知的障害者成人期権利擁護事例集日常にある確かな権利“気づいてほしいわたしのためのあなたのための26の権利”別冊より By 荒木まち子「知的障害のある人も結婚できるし子育てできるし幸せな人生を送ることができる」知的障害者成人期権利擁護事例集日常にある確かな権利“気づいて欲しいわたしのためのあなたのための26の権利”別冊より参考:自己決定支援ハンドブック・成人期権利擁護事例集 | 新宿区手をつなぐ親の会発達障害がある娘の反応は…!?Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子先回りして、親がすべて決めてしまうと…Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子親はどうしても子どもを守ろうとする気持ちが強くなります。でも進路や就職、成人後の暮らし方など、すべてを親の考えで決めたり、親が子どもの「権利擁護」をしすぎると、結果的に本人の権利を侵害することになってしまいます。私自身、身に覚えがありすぎました…。冊子には・小さいうちから療育を受け、自分の思いや意思を伝える手段を身につけること・成長段階に合わせ「自分で選ぶ」経験を積むこと・自分の特性(障害)を理解すること・本人に権利と責任、人権について学ぶ機会を与えること・親以外の支援者(伴走者)の必要性・家族や後見人が専門家と連携を取ること・ときには「頑張らなくてもいい」というのも権利だということなどさまざまな“大切なこと”が書いてあります。障害当事者向けの啓発冊子を!出典 : 既刊のものは親や支援者向けの内容になっています。新宿区手をつなぐ親の会では、障害がある当事者向けの権利擁護の啓発冊子の作成に向け検討が行われているそうです。娘も私も発行を心待ちにしています。
2018年07月05日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神を患った兄につきっきりになってから、気づけば早10年。走り続けた両親に安堵を与えたのは、祖母や祖父の言葉でした。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 19“頑張る気持ち” は、どんどん首を締めるばかり兄の状態が変化し始めてから、気づけば10年近くが過ぎていました。母は仕事をやめて、平日は仕事の父も休日は病院に同行。薬の飲み忘れがないようにフォローしたり、病院や薬に頼ることなく模索したり……。それを、10年も続けたのです。「頑張れ」「精一杯行動すれば、なんとかなる」「道は開けるに違いない」——。それらの言葉は、時として本人たちの首を締める言葉にもなります。私は、両親の “頑張り” に誇りを持っていましたが、それ以上頑張り続けたら両親のほうが疲れ果ててしまうと感じたので、これらの励ましの言葉は一切口にすることはありませんでした。まだできる、もっとできる……。この10年の間、私はプライベートを優先する両親の姿を見たことがありません。旅行や遠出の移動は、兄を連れて行くと周囲に迷惑がかかるため極力避けていましたし、兄は当然自炊ができないので、母や父のどちらかがご飯と薬の用意をしなければならず、夫婦でのんびり過ごすということもしなかったのです。また、病院に行くときはオシャレな格好が似つかわしくないからと、地味な服装で医師や看護師に頭を下げる日々……。たまには、好きな服を着て息抜きに旅行をしたって、罰は当たらないのではないか? と思うほど、両親は自分たちの人生すべてを兄に注いでいました。兄のためにも、「前を向いて生活しなさい」そんな時に支えてくれたのは、祖母と祖父の存在です。祖父母の家には、兄を連れていくこともあり、彼らは実際に兄の様子を目の当たりにしていました。そして、両親が思い悩む気持ちを汲み取りながら、親身に相談に乗ってくれることも……。唯一、兄の状況を知っていた祖母や祖父から言われた助言。それは、「お兄ちゃんは、病気です。前を向いて生活すれば良い」という、励ましでもなく応援でもない言葉でした。兄の状況を過度に悲観するのではなく、受け入れてあげること。そして、両親は自分たちの人生を明るく生きなさいという指針だったのです。兄の状況がよくなることを願う気持ちはみんな同じでしたが、“良い意味” で兄を受け入れることが、両親にとって大切なターニングポイントになったと言います。本来なら、仕事をしてやりがいを得ているかもしれないし、最愛の人を見つけて家庭を持っているかもしれない。そんな期待を抱えていたから、大人になった兄の “今の姿” をちゃんと受け止めることができなかった。それが、両親の本音だったのかもしれません。現状をふまえ、少しずつ気持ちを楽にすることで、張り詰めていた “何か” がほぐれていったのがこの時期でした。おそらく、娘の私が同じ言葉を言っても、両親の心境を変えることは難しかったと思います。祖父母だから言える、“本物の助言”。苦しい時に染み入る言葉は、「何を言うか」ではなく「誰が言うか」が大切だと学びました。以前通っていた病院へ戻ることにそして、両親は高額な自費診療をやめて、2つめに訪れた一番兄が落ち着いていた病院へ兄を再び通わせることにしました。いろいろと問題はありましたが、薬の量や体との相性、処方の方向性などを総合し、最も兄に合っていると判断。毎日思いつめていた気持ちが少しずつ穏やかになっていったのです。母は、パートタイムで仕事に復帰。仕事をする意味は、「お金を稼ぐ」ことだけではありません。仕事をすることで、いろいろな人とコミュニケーションが取れ、たわいのない世間話や趣味の会話をする時間を持てるようになりました。植物が好きな母は、花いじりをしたり、休日はガーデニングのワークショップに出かけたり。父は仕事漬けの毎日を少しずつ改めて、休日は早く起きてゴルフをしたり、ピアノを習い始めたりとアクティブに行動し始めました。“自分の時間” が、両親の毎日にやりがいと楽しみを見出すきっかけに繋がったのです。そんな両親の姿をみて、私は嬉しさを感じていました。いっぽうの私は、進路だけでなく、恋愛に対しても悩みを抱えていました。——。明るく振舞うことは得意だけれど、弱さや悩みをさらけ出せる、深い関係を築くことがうまくできなかったのです。©Zinkevych/Gettyimages©CaoChunhai/Gettyimages©AH86/Gettyimages©Ulianna/Gettyimages
2018年06月23日小学校入学のタイミングで子どもの学習障害が明らかになることがあります。そもそも「学習障害」とひと言でいっても、その内容は様々です。学習障害とはどんなものなのか?改善するためにはどんな方法があるのかを探ります。学習障害を持っていても活躍をしている人は沢山います。子どもの将来を考え、子どのを育てる時なにが一番大事なことなのか、ママテナの記事から「学習障害」についてまとめました。●学習障害とは?学習障害とは、自閉症スペクトラム障害(ASD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、発達性協調運動障害というおもな4種類の発達障害のひとつです。「聞く、話す、読む、書く、計算する」など、特定の「学習」の基礎的な能力に困難を示す状態で「ただの勉強不足」と誤解されてしまうことも多いようですが、本の朗読でどこを読んでいるのかわからなくなるなどの詳しい症状です。▼続きはこちら▼●日本語では気が付きにくい「ディスレクシア」では学習障害はどのような状況で発覚するのでしょうか?その一つとして「小1プロブレム」があります。これは保育園や幼稚園から小学校への環境が大きく変わったタイミングで、小学校への不適応が見れらた事をキッカケに知能テストなどを受け、注意欠陥多動性障害(ADHD)や学習障害などと診断されるケースがあると専門家は指摘しています。▼続きはこちら▼●学習障害の疑いがわかるキッカケ小1プロブレムでは学習障害はどのような状況で発覚するのでしょうか?その一つとして「小1プロブレム」があります。これは保育園や幼稚園から小学校への環境が大きく変わったタイミングで、小学校への不適応が見れらた事をキッカケに知能テストなどを受け、注意欠陥多動性障害(ADHD)や学習障害などと診断されるケースがあると専門家は指摘しています。▼続きはこちら▼●学習障害改善のための方法発達障害と診断された場合、「療育」という障害をもつ子どもが社会的に自立することを目的として行われる治療と保育があります。医師の診察後、検査などでお子さんの状態を把握し、診断が出てから、作業療法士や言語療法士などによる訓練を療育センターで受けることになります。学習障害の対応は早い対応が大切です、学校に行ってもわからないことだらけになってしまい、だんだんと学ぶ意欲をなくし、「どうせ自分なんか」と自己評価も低くなってしまいます。中には学校に行きたくなくなってしまう子もいます。気になる事がある場合は、早い段階で相談し、子供の能力を伸ばしてあげたり、関わりを変えてあげた方が絶対にお子さんのためになる、と専門家は指摘します。▼続きはこちら▼●道具の利用学習障害を抱える子どもにとって黒板に書かれた事をノートに書き写すのが苦手な場合があります。このような場合、授業終わりに黒板をデジカメで撮影し、家でプリントアウトしてノートに貼る、などによって問題を解消する方法もあります。「できない」事を、道具の力を借りて「できる」ようにする方法にです。▼続きはこちら▼●学習障害をもった子どもを育てる一番大事なことアインシュタイン、トム・クルーズ、スティーブン・スピルバーグ、ジョン・レノンはディスレクシアでした。ミッツ・マングローブさんが「暗記が苦手だった」と告白しています。大きな功績を残してる人や第一線で活躍している人でも学習障害を持っている人はいます。学習障害を持った子供を育てる上で一番大事な事はなんなのか?専門家の意見です。▼続きはこちら▼
2018年06月11日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神疾患の兄は薬の量も半分に減り、落ち着きを取り戻したかと思った矢先。両親は、新聞に大きく載っていた自費診療の病院を発見しました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 18両親は、誰よりも兄の回復を待っていた兄がお世話になった病院は、今まで2か所。両方とも、保険が適応される精神科でした。高校のある時期から激変した彼の状況に戸惑いながらも、やっと慣れてきた生活でしたが、両親は障害者手帳を発行された後も、兄の回復を諦めませんでした。「お兄ちゃんは、どこも悪くない」「また何かの拍子できっと、よくなる」と……。もちろん、自分の子どものことですから、両親が兄を良くしたいと思う気持ちは痛いほどわかります。しかし、妹の私からすると、当初に比べれば兄の状態はだいぶ落ち着いてきたように思えました。暴力的な言動や、過度の引きこもり生活を抜け、薬の量が半分に減り、入院ではなく通院に変わり病院に行く頻度もかなり落ちている。また、障害者手帳の申請や、障害者年金の受理までしているのだから、両親はもう少し気持ちを楽にしてはどうかと客観的に見ていました。世の中にあふれている「広告」そんなある日、「お兄ちゃんの病院を変えようと思う」と母から連絡がありました。なぜいきなりそんなことを言い出したのだろうか……?と考えていたのですが、よく聞けば新聞に大きく載っていた精神科に最後の望みをかけて診てもらいたいとのこと(当時は、藁をも掴む思いだったので深く考えていなかったけれど、その新聞掲載は記事ではなく広告だったそうです)。私は実家から離れて暮らしていたので、どんな状況だったかはわかりませんが、「都会に有名な精神科があるらしい」と田舎生まれの両親が言うのです。内容を詳しく聞いてみると、その病院は保険がきかない自費診療。実家から電車と新幹線、そして診察代や薬代を合わせたら1回行くだけでも約5万円くらいはかかります。正直、心の病気で悩んでいる人が一向に減らない現代で、自費診療を受けたから何かが急激に変わるとは思えず、私は半信半疑でした。しかし、基本的に、病院のことや薬については両親が決めていることなので、「興味があるなら、行ってみても良いんじゃない?」と反対はしませんでした。診断結果と処方薬が変化し、さらに悪化父が休みのときは一緒に行くこともありましたが、基本的に母と兄の2人で都会の病院へ通うようになりました。2年半近くそこの病院にお世話になりました。病名は、統合失調症ではなく「高次能機能障害」と診断があり、処方内容も異なりました。1回の診察で約5万円かかるので、総合的にみるとかなり高額な費用だったと言えます。結論からいうと、その病院に通って兄の病状は悪化してしまいました。高額な費用がかかったにも関わらず、兄はいつも興奮している状態で、当初の荒々しい兄に戻ってしまったかのよう……。両親が当時を振り返ると、「ビジネスとして成り立っている病院もあると思う」とのこと。もちろん、私たち以外の家族では成功した例もあるかもしれませんし、兄とは診察内容が合わず無念な結果になっただけ。そう思いたいのですが……。夢中になっている両親を救った言葉しかし、働くことができない状況の精神障害患者を対象に、自費診療を家族が長らく続けることは現実的に考えると難しい計画です。また、個人的な意見では、新聞に広告を出す予算があるならば、診察料をもっと良心的な値段に落としてもいいのではないでしょうか。とはいえ、「精神障害」患者を抱える家族にとっては、どんな手段でもいいから改善したい、社会復帰のためになんとかしたい、と辛抱強く頑張るケースは少なくありません。そんな藁をも掴む想いで頑張り続けた、両親を救った言葉。それは、祖母や祖父からの助言でした。©Geber86/Gettyimages©Daniela Jovanovska-Hristovska/Gettyimages©kieferpix/Gettyimages©AH86/Gettyimages
2018年06月07日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。大学を卒業したのち、私は初めてのひとり暮らしを経験。「自分の空間」を作ったことで、ストレスが軽減されていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.17自分を高める時間が、心を強くしていった大学時代の私は、ほとんど家には寝るためだけに帰る生活でした。音大だったので日中の授業はもちろんのこと、放課後や夏休み、GWなどもすべて練習しているか演奏の本番が入っているハードなスケジュール。そして、空いた時間を利用してアルバイト。始発と終電の繰り返しの大学生活では、高校の頃ように、家族や兄について深く考えることも減っていきました。周りの友人は、個性があって自分の関心ごとを極めたい気持ちを持った人々ばかり。先輩や後輩または、外部から派遣されたレッスンの先生も、専門分野のことを中心に生活しています。地元で生活していた時に感じた、人の噂話で井戸端会議をする人たちも少ない。他人の生活を詮索したり比較したりする暇があるならば、自分の技量を高めるためにに時間を費やしていると表現したほうが正しいかもしれません。人は、何かにか夢中になっていたり、関心の高いことがあったりすると、他人に干渉しなくなるのかもしれません。自由な生き方を認めてくれる、両親理解ある両親のもと、大学卒業後の進路は……ずばり「未定」。とはいっても、音楽や芸術の大学を卒業した後に、私のようになるケースは少なくありません。薄々気づいてはいたけれど、楽器を仕事に結びつけることは現実的ではありませんでした。しかし、小学生の頃から身近だった音楽。形にならないからといって、すぐにきっぱりと切り捨てることもできない。また、“趣味” のようにたまに触れるだけというのは、少しずつ技量が落ちている自分を再確認するだけの虚しい時間でした。そして、私は大学卒業後も、生活費を稼ぎながら、細々とレッスンに通ったり演奏したりしていました。良く言えば、“夢見る音楽家”。悪く言えば、“ただのフリーター”。そんな状況でも、両親は「心音の人生だから、好きに生きなさい」「健康でいてくれるなら、それでいい」といつも認めてくれました。「うちは、お兄ちゃんがこんなふうだから、心音が頑張っていることが、お父さんとお母さんの支えだ」と言われたこともあります。実家を離れて、ひとり暮らしをスタートしかし、20歳を超えて、いつまでも甘えているわけにもいけない。大学時代はずっと実家にいましたが、特にあてもないまま大学卒業後にひとり暮らしを始めました。初めての家賃、初めての光熱費。今までは全部両親が支払っていてくれた生活費や、細かい生活用品なども “当たり前” ではなかったんだとひとり暮らしをしてから、やっと気づくことができたのです。ひとり暮らしは大変なこともありましたが、良いことも多くありました。それは、「自分の空間」ができたこと。小学校の時から、朝の目覚めは大抵が兄の騒ぎ声。学校から家に帰ってきても、「薬は飲み終わったのか」「洋服をちゃんと着替えなさい」「お風呂に入りなさい」……そんな、毎日繰り広げられる両親と兄のやり取りは、「自分の空間」をなくすばかりでした。学生時代の醍醐味であろう、友だち同士の “お泊まり会” を経験したこともなかったですし、「うちに遊びにきていいよ」と声をかけることすらできませんでした。高校時代の彼も、「なぜ心音の実家に行ってはいけないのか」と悩んでいたことが、頭をよぎります——。「自分の空間」は、心の負担を減らす私のひとり暮らしは、プライベートを充実させることができたのはもちろんのこと、心の負担がかなり減りました。借りた部屋は、実家から電車で20分程度離れた場所。両親はいつでも来られる距離でしたし、私も帰ろうと思えばいつでも帰れる距離。この “適度な距離” が、私にとって自分を見つめ直す良い機会になったのです。朝は自分の決めた時間に起きることができて、キッチンで料理をしていても危なっかしい兄の姿はない。夜中にお風呂に急に入ったり突然騒ぎ出したりすることもない……。兄から離れて自分の時間を大切にする、という選択をとった私の行動が、「逃げ」「現実逃避」だと感じる人もいるかもしれません。しかし、兄を客観的に見ることができてストレスが減ったのは事実です。両親に余計な心配をかけてはいけない。兄のことは、私から口出ししないほうが良い。そんな暗黙のルールが漂うなか、ひとり暮らしを始めたことで少しずつ自分の居場所を作ることできるようになっていきました。そんな、落ち着きを取り戻したある日、両親は新聞に大きく載っていた高額な自費診療の病院を発見。実家からは電車と新幹線を乗り継ぐ距離の、都心にある精神科でした。©cirano83/Gettyimages©ipopba/Gettyimages©Eva-Katalin/Gettyimages©monkeybusinessimages/Gettyimages
2018年06月01日「みんなが当たり前にできていることが自分にはできない」「ママ友とよく原因不明のトラブルになってしまう」…。発達障害が広く世間に認知されるようになり、これまでの経験から「もしかして自分も?」などと感じている方も少なくないのではないでしょうか?そんな大人の発達障害(グレーゾーン含む)に悩む人のために、日常生活を上手に過ごすための具体的なノウハウを紹介したのが「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に暮らすための本」。前回は、片づけやスケジュール管理が苦手なママのための“上手に暮らすコツやツール”をご紹介しました。著書の村上由美さんは、現在は言語聴覚士として活躍されていますが、実は4歳まで音声言語を話さなかったASD(自閉症スペクトラム)当事者です。そして、村上さんの旦那さんも、ASDに加えてADHD(注意欠陥・多動性障害)やLD(学習障害)の傾向もあり、大人になってからようやくそのことに気づいたそうです。そんな、当事者でもあり、家族でもあり、支援者でもあるという村上さんが、三つの視点から編み出した、発達障害の人が日々の暮らしがラクになるためのアイデアをおうかがいしました。お話をうかがったのは… 村上由美さん上智大学文学部心理学科、国立身体障害者リハビリテーションセンター(現・国立障害者リハビリテーションセンター)学院聴能言語専門職員養成課程卒業。重症心身障害児施設や自治体などで発達障害児、肢体不自由児の言語聴覚療法や発達相談業務に従事。現在は、自治体の発育・発達相談業務のほか、音訳研修や発達障害関係の原稿執筆、講演などを行う。著者に「声と話し方のトレーニング」(平凡社新書)、「アスペルガーの館」(講談社)、「ことばの発達が気になる子どもの相談室」(明石書店)、「仕事がしたい!発達障害がある人の就労相談」(明石書店、共著)、「発達障害の人が活躍するためのヒント」(弘文堂、共著)がある。■ママ友の世界は“究極の調整能力”が必要――今回は、ママの世界のコミュニケーションについておうかがいします。というのも、 前回 の片づけのお悩みと同様に、発達障害グレーなママからは、「ママ友とのおつき合いが苦手」という声もとても多かったのです。村上由美さん(以下、村上さん):ママ友の世界は、まさに究極の調整能力が求められますからね。そもそもおつき合いが得意でない人は、ママ友に関しては、自分ができる範囲の境界線を引くことが大切だと思います。ここまでは一生懸命やるけどこれ以上はやりません、などというふうに。もちろん断り方も大事です。「私には関係ないから」みたいな言い方をしたら、当然反感を買ってしまうので、誠意をもって対応すること。でも、それでも相手に伝わらなかったとしたら、それは仕方ないですね。相手によっては難癖をつけるのが目的な場合もありますから。自分には及ばない、できないことは、必要以上に悩んでも仕方ないので、ある程度のあきらめも必要だと思います。――ママ友の世界は、子ども同士が仲が良い、同じ園や学校といった“縛り”があるため、断りにくく感じてしまうお母さんも多いかもしれませんね。村上さん:子どものことを考えると、うまくつき合わざるを得ないのもよくわかりますよ。でも、自分の精神を病んだり、家族に悪影響を及ぼしてまでつき合う必要はないはず。「自分はどれくらいこの人たちと関わりたいのか?」ということを、きちんと見極めることが大切です。また、ママ友の世界しか頭に入らなくなってしまっていると、つい自分の居場所はそこしかないような気がしてしまいがちですが、一歩引いてみれば全然違う世界があるのです。実際、ママ友のことで悩んでいる方は、たいていほかのコミュニティーに入ったり、別の世界を見ることで、解決するケースが多いようです。物事に対する別の尺度が出てくると、気が楽になるんですね。――確かに。ただ、地域によっては、保育園・幼稚園から小学校、中学校まで1つしか選択肢がなくて逃げ場がないなんてケースもあるそうですが…。村上さん:そういう場合は、気が合えばものすごく心地良いんでしょうけど、何かあったら途端にいづらくなってしまいますよね。そうならないためにも、リスクは分散して、いろいろな逃げ場を作っておきましょう。趣味が合う友人や、独身時代の友だちなど、ママの世界とは違う世界のコミュニティーを意識して確保し、自分を一つの世界に閉じ込めないように心がけましょう。今は、SNSなども上手に利用して、自分の趣味や好きなことで仲間とつながって息抜きしているお母さんも多いようですよ。SNSはトラブルになるリスクを懸念する人もいるでしょうが、最初は特定メンバーだけフォローしたり、アプリ設定で制限を設けたりして段階的な導入でリスクを抑えられます。 ■「ほどよいおしゃべり」って、実はとっても難しい――男の人と比べて、「女の人は雑談が得意」などとよく言われますが、おしゃべりがすぎて「つい余計なことを言って相手を不快にさせてしまう」とお悩みのママもいました。村上さん:こういう方は、相手が会話の中で何を求めているのか、上手に察知できないのでしょう。例えば、食事中など第三者がいる場で、人が悩みや愚痴を打ち明ける時は、相手に共感を求めていることが多く、そういった場合に現実的なアドバイスや意見をするのはあまり歓迎されません。でも、ASD(自閉症スペクトラム)の傾向が強い人は、相手が聞き入れる体制にあるかどうかをほとんど考えずに話してしまいがちですし、ADHD(注意欠陥・多動性障害)傾向が強い人の場合は、思いついたことをその場の状況を無視して口に出してしまうことが多いので、相手の感情を害してしまうことが多いです。その場の雰囲気を感覚的につかむことが苦手な場合、まず相手は自分から意見を聞きたいのか、それとも愚痴って気分転換したいのかを観察してから発言するようにしましょう。――具体的な方法としては?村上さん:まず、相手がこの会話で何を重視しているのかを観察しましょう。例えば、ちょっと愚痴りたいだけなのか、何かアドバイスを求めているのかなど。次に、相手の話を黙って聞いてみましょう。今まで見えてこなかった相手の悩みや感情が出てくることがあります。そして、相手が伝えたいことは何か? に焦点を絞って話を聞きましょう。最後に、相手がひと息ついたり、話に区切りをつけるような言葉(例えば「まあ、仕方ないんだけどね」など)が出てきてから、自分の意見を言うようにしましょう。そして、相手が知りたくない、聞きたくないことは極力言わないように心がけることが大切です。――お話をうかがっていると、上手なおしゃべりって、かなり頭をフル回転させねばならない感じですね(汗)。村上さん:言語聴覚士として、言語リハビリや療育支援の仕事をしていると、ご家族から「せめておしゃべりでもできるようになれば」と希望されることが多いのですが、でも、雑談するためには、実はとても高度な情報のやりとりをするスキルが必要なのです。なかでも特に、非言語のコミュニケーション情報を操作するスキルがとても重要になります。会話は突然、主語や時系列、話題が変わるため、文脈から状況を推測する力が必要となり、発達障害の人にとっては難しいことが多いのです。――たわいもないおしゃべりは、誰でも簡単にできると思われがちですが、必ずしもそうではないのですね…。村上さん:最近では、発達障害は広く世間に知られるようになりましたが、言葉がひとり歩きして、「困った人たち」というレッテルばかりが増えている印象もあります。でも、実は一番困っているのは本人ですし、周囲の人も「本人が何に困っているのかよくわからないから困る」という発想の転換が必要なのだと思います。発達障害の人たちが、このようなライフスキルを身につけるためには、幼少期からのトレーニングが必要で、大人になった今はもう手遅れではないか? と思われる方もいるかもしれません。でも、村上さんのお話によると、「本人がその気になった時こそが、実は一番良いタイミング」とのこと。「大人だからこそ、言葉だけで解釈したり、達成度を数字などの尺度で確認できる強みもある」そうです。実際、村上さんは当事者でもあり、発達障害を抱える旦那さまと一緒に試行錯誤を繰り返すなかで、言葉で確認し合える大人同士だからこそ話がわかる面も多かったといいます。何を始めるのにも、遅すぎることはないのかもしれません。参考図書: 「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に暮らすための本」 (翔泳社)大人になってから発達障害の症状に悩む人が増加しています。ここ10年で「発達障害」の知名度が飛躍的に上がったことで、「もしかして自分も…」と成人になってから気づく人が増えたのが最大の要因と思われます。発達障害の人には、「同時並行作業力が弱い」「段取りが取れない」「ケアレスミスをする」「コミュニケーションが苦手」といった特徴があり、そうした症状に悩む人のために、上手に日常生活を過ごす方法を解説。イラスト/高村あゆみ取材/文:まちとこ出版社N
2018年05月31日「みんなが当たり前にできていることが自分にはできない」「ママ友とよく原因不明のトラブルになってしまう」…。発達障害が広く世間に認知されるようになり、「もしかして自分も?」などと感じている方も少なくないのではないでしょうか?そんな大人の発達障害(グレーゾーン含む)に悩む人のために、日常生活を上手に過ごすための具体的なノウハウを紹介したのが 「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に暮らすための本」 (翔泳社)。著書の村上由美さんは現在、言語聴覚士として活躍されていますが、実は4歳まで音声言語を話さなかったASD(自閉症スペクトラム)当事者です。そして、村上さんの旦那さんは、ASDに加えてADHD(注意欠陥・多動性障害)やLD(学習障害)の傾向もあり、大人になってからようやくそのことに気づいたそうです。そんな、当事者でもあり、家族でもあり、支援者でもある村上さんが、3つの視点から編み出した、発達障害の人が日々の暮らしがラクになるためのアイデアをうかがいました。お話をうかがったのは… 村上由美さん上智大学文学部心理学科、国立身体障害者リハビリテーションセンター(現・国立障害者リハビリテーションセンター)学院聴能言語専門職員養成課程卒業。重症心身障害児施設や自治体などで発達障害児、肢体不自由児の言語聴覚療法や発達相談業務に従事。現在は、自治体の発育・発達相談業務のほか、音訳研修や発達障害関係の原稿執筆、講演などを行う。著者に「声と話し方のトレーニング」(平凡社新書)、「アスペルガーの館」(講談社)、「ことばの発達が気になる子どもの相談室」(明石書店)、「仕事がしたい!発達障害がある人の就労相談」(明石書店、共著)、「発達障害の人が活躍するためのヒント」(弘文堂、共著)がある。■断捨離「モノが捨てられない」悩みを解決!――著書を読んで、「発達障害と長くつき合うのは、愛情じゃなくてスキルが必要」という言葉に「なるほど!」ととても納得しました。そのスキルをまとめたのが、本書というわけですね?村上由美さん(以下、村上さん):私は、かねてから、発達障害者の自立のカギは「時間、モノ、お金の管理ができること」と思っていて、最近ではそれに加えて「他人と協力できる場を持てること」「生き延びるための体力」も必要だと思っています。これらは、発達障害の人がこの三次元の世界で生きるための接着剤のようなもの。これらを介さないと、この世界の人やモノとは繋がれないので、それぞれの苦手項目を解決するためのスキルをまとめました。――今回はその中から、「モノの管理(片づけ)」についておうかがいします。というのも、発達障害グレー気味というママからは「片づけができない」というお悩みが圧倒的に多かったからです。村上さん:発達障害の人は、空間やモノへの捉え方が一般の人とは感覚的に異なるので、「片づけが苦手」という方がとても多いです。片づけについては、まず、自分にとってどういう状態が片づいているのかを明確にすることが大事です。例えば、ホテルのような整然とした部屋が良いのか、多少散らかっていても日常生活に支障がない状態なら良いのか、などというふうに。――確かに、人によって定義が全然違いますものね。でも、自分の片づけのイメージ通りに「モノを捨てられない(減らせない)」という悩みも多いようですが、これはどうしたら?村上さん:発達障害の人はモノの判断基準があいまいで、自分にとってのモノの役割を認識できていないため仕訳が苦手です。例えば、ADHDの傾向が強い人は、興味や関心に惹かれてつい使わないモノに手を伸ばしてしまいがちですし、ASD傾向が強い人は、そもそも片づけの意味や必要性を認識していないことや、人から押しつけられるとうまく断れず不要なモノが増えてしまうことも多いのです。発達障害の傾向が強い人は、自分の好みに合わないモノとつき合うのがそもそも苦手という特性を認識して、ある程度試してみて不要だとわかったら手放す覚悟が必要だと思います。――具体的な対処法としては?村上さん:まず、似たようなモノ同士をまとめます。集めたモノを比較すると、モノ本来の目的や自分の判断基準が明確になります。そこから不要なモノを間引きするのですが、判断に迷ったらいったん保留にし、モノ本来の評価と自分の感情を表などに書き出して整理しましょう。例えば、「使いにくいけど高価なモノ」は、モノ本来の評価は「使いにくい」、自分の感情は「高いから捨てるのがもったいない」になり、どちらが勝っているかがわかりやすくなるので決断しやすくなります。また、「〇〇したら使うかも」などと、条件つきで判断に迷うモノは、実際に使ってみることで結論がでます。例えば、「修理が必要なモノ」は「お金をかけて修理してまで使いたいのか?」「そこまでするのは面倒なのか?」で判断ができるはず。また、捨てるにはもったいないけど自分では使わないモノを処分するには、リサイクルショップや寄付などを利用するのが良いでしょう。 ■子どもの大量プリントやスケジュールはIT管理――家の片づけに加えて、子どもの片づけや学校の用意も加わって、お手上げ状態のお母さんもいたのですが、子どものモノの片づけはどうしたら良いでしょうか?村上さん:基本はどの片づけもだいたい同じなのですが、まず「この部屋で何をするか?」というルールを決めることが大事です。例えば、リビングは家族のパブリックスペースで、たくさんの個々人のモノが持ち込まれるので散らかりがちですが、「ごはんを食べる」「仕事をする」「勉強する」「遊ぶ」などと目的を決めると、だいたいの作業エリアが決まるので、そのために必要なモノを配置しやすくなります。子どもが勉強するなら、テーブル回りに筆記用具の引き出しや勉強本の棚を設置したり、それにまつわるモノが回る仕組みをつくります。また、子どもが片づけやすい状況になっているかも大事です。引き出しにラベルを貼って中身をわかりやすくしたり、きょうだい児がいる場合は棚を色分けするなど工夫しましょう。…とはいえ、子どもがいる場合は、そもそも整然としたホテルのような部屋を目指すのは難しいので、ある程度の妥協は必要だと思いますよ。――なるほど。また、子どもの片づけといえば、学校からの大量に配られるプリントの管理もありますが、こちらの対策は?村上さん:どんどんデジタル管理して、用済みの紙は捨てることです。紙情報は、処理して捨てるまでの流れを仕組みにしないと、どんどん積み重なって“地層化”になる一方ですよ。また、紙は検索できませんが、データなら検索できるのでとても便利。ちなみに、私はクラウド・サービス「 Evernote(エバーノート) 」を利用していますが、ほかにもプリント管理に便利なスマホのアプリなどたくさんあるのでぜひ検索してみてください。きょうだい児ごとにタグづけすれば簡単ですよ。また、IT管理は子どものスケジュール管理にも便利です。家族行事は、夫婦でGoogleカレンダーを共有し、子ども用には、プリントアウトしたモノを目につきやすいところに貼っておくことをおすすめします。子どもには、情報をITで理解するのはまだ難しいので、紙という具体化したモノで見せることが大事です。――スマホのアプリで管理するのは便利そうですね。村上さん:パソコンやスマホ、インターネットは、発達障害者にとっては三種の神器のようなもの。世の中のIT化により、社会の仕組みが発達障害の人たちが苦手とする三次元の世界から、得意な仮想空間の世界へとシフトしてきています。これらの情報機器をうまく活用すれば、生活の質を上げていくことができるでしょう。――ちなみに、ITオンチのお母さんはどうしたら良いでしょう…?(汗)村上さん:ITが苦手なお母さんは、トレイで管理することをおすすめします。目につきやすいところに「ママに渡すモノトレイ」を設置して、そこに子どもにプリントを入れてもらい、見たら即仕分けたり返事を書く、手帳やカレンダーに記入するというルールを決めましょう。また、子どもがちゃんとプリントを出せたら、たとえ内心、当たり前と思っていても、ちゃんと言葉に出してほめることが大事。できなかった時に叱るのではなく、できた時にほめることで、子どもにプリントを出す行動が定着します。■「お客様」意識のパパ、「私がやらなければ」意識のママ――なるほど。でも、いろいろお話をうかがって、これらを全部お母さんひとりでやるというのも大変ですよね…?村上さん:本当にその通りです。お母さんがやるのが大前提になってしまっていますが、これはお母さんだけの課題ではありません。協力して助け合うのが、家族の大事な役割なのですから。でも、日本の家庭は、たいてい奥さんが「プログラマー」になって細かくプログラムを組まないと、夫がうまく動いてくれないですよね(苦笑)。だから、「そんなの面倒くさくてやってられない!」と全部自分でやってしまうから、夫婦ケンカになってしまう。――おっしゃる通り(笑)。村上さん:私が思うに、多分、大半の夫は家庭に対して「お客様」感覚でいるのだと思いますよ。でも、夫は家族の一員なのだから、それは違いますよね? ですから、夫に家庭での「お客様」意識を改めてもらうことが必要です。そして同じように、お母さんも育ってきた環境や社会に求められて、家のことはすべて自分がやるものだと思いがちですが、そういう意識も変えていく必要があると思います。で、先ほどの、子どもができたらちゃんとほめるという話は、自分に対しても同じ。できて当たり前ではなく「できた私ってえらい!」と自分をきちんとほめてあげてくださいね。片づけや家事は「できて当たり前」と思われがちなうえに、消耗する行為が多いもの。でも、できて当たり前ではないこと、できたら自分をほめてあげる習慣をもつことで、自分自身にも片づけの習慣が定着するかもしれません。後編では、ママ友との「コミュニケーショントラブル」についておうかがいします。参考図書: 「ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に暮らすための本」 (翔泳社)大人になってから発達障害の症状に悩む人が増加しています。ここ10年で「発達障害」の知名度が飛躍的に上がったことで、「もしかして自分も…」と成人になってから気づく人が増えたのが最大の要因と思われます。発達障害の人には、「同時並行作業力が弱い」「段取りが取れない」「ケアレスミスをする」「コミュニケーションが苦手」といった特徴があり、そうした症状に悩む人のために、上手に日常生活を過ごす方法を解説。イラスト/高村あゆみ取材・文/まちとこ出版社N
2018年05月24日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。女子大へ進学した私は、自分の関心があることに夢中になる日々。恋愛からどんどん遠ざかっていきました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.16深くなる関係を恐れて、恋愛を避けていたバイト先が同じで、毎日のようにバイクで送り迎えをしてくれた元彼の前では、素直な自分でした。いつも私のことをサポートしてくれていた、頼れる年上彼氏。しかし、支えてくれることが、少しずつ大人になる私にとって逆に辛いことでもありました。彼のことが、嫌いになって別れたわけではありません。「もう、これ以上踏み込んで欲しくなかった」。これが、本音です。恋愛は、絆が深まるほど、お互いの生活に溶け込むことになります。家が近いから、一緒にいて楽しいから、見た目がかっこいいから。そんな小さなきっかけで始まった幼い恋は、月日が経つにつれて妙なプレッシャーへと変わっていったのです。両親の理解から、好きな分野を学ぶ……地元での青春はそろそろ終わり。自分の進路に向き合って、大学を選ぶ時期には、すっかり彼のことは頭からなくなっていました。両親に進学の相談を持ちかけたときのこと。「就職先は安定したところに」「将来性のある大学を」「結婚をして早く家庭を持ったほうがいい」など、子どもの将来を応援したい気持ちから出てくる言葉を親が子どもに言うことはよくあります。しかし、私の両親は、一度もそういったことを言いませんでした。背景には、心の病を抱えた兄の存在があります。毎日元気で笑顔に過ごしてくれたら、お母さんとお父さんはそれだけで嬉しい。いつもそう言いながら、「心音の好きなように生きなさい」と、私の気持ちを大切にしてくれたのです。私は大好きな音楽を専攻することにしました。一般的に、音楽や芸術関係の大学に進もうとすると、両親から止められるケースが多いのです。なぜなら、将来それを生かした仕事に就きにくいから。音楽や芸術は、目指してもゴールがある世界ではありませんし、学校で専門的に学んでも道が開けるかどうかはまったくの別問題。たとえ技術が高くても、周囲の評価が低ければ仕事にはなりません。当事者は、一生懸命勉強していても「趣味の世界」「お金がかかる遊び」だと、言われることもありました。興味関心が同じ、女友だちが心地よかった音楽という、不安定で先の見えないといわれがちな分野にも関わらず、私の両親は「やりたいことをやりなさい」と背中を押してくれました。それこそ、兄の時と同様に、世間の目はさまざまだったと思いますが、それでも私の味方でいてくれたのです。私は、県外に通う女子大生になりました。その大学は演奏だけでなく、楽器を修理したり、指導したりするなどのユニークな授業が評判で、遠方から学生たちが集まっていました。私は、その新しい環境に出会えたことで、居心地の悪い地元の生活から解き放たれていったのです。学校にいる男性といえば、先生のみ。同級生、後輩、先輩とすべて女子だったので、意識的に男性と交流しなければ恋愛に発展することもない環境は、私にとっては気持ちが楽でした。恋愛? めんどくさい……。たまにご飯くらいなら大学の進路が決まったと同時ぐらいにお別れした彼とは、2年近くはまじめに交際していたと思います。しかし、心の距離が近くなるにつれて苦しくなっていきました。好きな人だからこそ、家族のことが言えない。それを経験した私は、“うわべの恋” が得意になっていきました。合コン? デート? たまに、ご飯……。「華の大学生」とも言いますが、出会いや誘いも多くあるなか、特に本気になることもなく、たまに息抜き程度に遊ぶだけ。早い同級生は、大学在籍中から付き合っていた彼氏と、そのまま結婚というパターンもありましたが、兄のことが心に引っかかっている私にとって、恋人に自分の境遇を理解してもらって “結婚” するなんてことは、想像すらできなかったのです。©PeopleImages/Gettyimages©Professor25/Gettyimages©Bojan89/Gettyimages©skyneshe/Gettyimages
2018年05月22日5/26 (土)「ちゃんと知りたい!子どもの発達障害」すくすく子育て×ウワサの保護者会 コラボスペシャルの内容は?Upload By 発達ナビニュース2018年5月26日(土)にEテレで発達障害特別番組「ちゃんと知りたい!子どもの発達障害」すくすく子育て×ウワサの保護者会 コラボスペシャルが放送されます。幼児の子育ての悩みや疑問に専門家が答える「すくすく子育て」と、小・中学生の保護者が教育について尾木ママと語り合う「ウワサの保護者会」が初コラボ。最近は、若い親世代の間で発達障害が知られてきています。それによって、「言葉がなかなか出ない」「他の子と比べて落ち着きがない」など少しでも気になる様子が子どもにあると、「もしかして発達障害かも…?」と心配をする親も増えているといいます。しかし、発達障害は社会性や人間関係に表れる特性のため、乳幼児の間は診断ができないことが多いとされています。「様子を見ましょう」という医師の言葉に不安と期待を抱きながら過ごす時期は、心も揺れ、どう対応するべきか分からずかえって苦しい思いをしている場合も…。今回の番組は、乳幼児期から就学にかけての年齢の子どもたちを育てている保護者にぴったりな内容です。 Eテレ「すくすく子育て」「ウワサの保護者会」乳幼児期から就学にかけて…成長の段階で変わっていく不安や悩みは?Upload By 発達ナビニュース番組の前半では、乳幼児期の「もしかして発達障害?」という悩みを専門家と一緒に考えます。■発達障害のある子もない子にも共通する子育ての基本■初めての集団生活である幼稚園や保育園でできる対応などを紹介しながら、発達障害とは何かを小児科医の榊原洋一先生が解説します。後半は、発達が気になる子の就学にはどんな支援があるのか、現在の特別支援教育についてを詳しく解説。■発達が気になる子の就学、どんな支援がある?現在の特別支援教育についてなどの疑問にも答えてくれます。また、「地域の中で、他の子どもたちと関わりながら一緒に育ってほしい」「将来の自立のために、手厚い支援を受けさせて能力をのばしてあげたい」という思いを当事者の親が語り合い、発達障害のある子どもにとって、必要な教育とは、学校とはどうあるべきなのか?を考えます。どちらを選んでも感じるジレンマ。その選択は悩ましいものです。そのどちらの思いも両立する「インクルーシブ教育」に向けて、親と行政と学校が手を組んで始まっている取り組みについても、番組内で取り上げられます!同じ悩みや不安を共有するだけでなく、先進的な事例も知ることができそうです。番組の詳細はこちら!Upload By 発達ナビニュース【番組名】Eテレ「ちゃんと知りたい!子どもの発達障害」すくすく子育て×ウワサの保護者会 コラボスペシャル【放送日時】2018年5月26日(土) 21:00~21:54、2018年6月2日(土)12:00~12:54【出演者】司会:尾木 直樹(教育評論家)、高山 哲也(アナウンサー)、山根 良顕(お笑いコンビ「アンガールズ」、優木 まおみ(タレント)、専門家:汐見 稔幸(東京大学名誉教授)、榊原 洋一(お茶の水女子大学名誉教授)、ナレーター:笠間 淳、鈴木 麻里子発達障害プロジェクト
2018年05月22日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。通い慣れた精神科で、まさかの出入り禁止になった兄。バスに揺られて新しい病院へ向かいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol.15誰にも相談できずに通い続けていた他の患者さんへ迷惑行為を重ねたために「出入り禁止」となった精神科は、兄が初めてお世話になった病院。入院と通院を始めてから、気づけば5年の月日が過ぎていました。その間に前進したことは、病名が統合失調症と判明したことや薬を毎日23錠飲むこと。そして、長らく通った病院から診断書を書いてもらうことで障害者手帳を申請し、重ねて書類の内容から障害者年金(※)を受け取れるようになったことです。※障害者年金は、診断書の内容や生活状況などで国から降りる金額が異なります。身内や近しい人たちにこのような経験をしている人はおらず、相談する先はいつも病院か市役所でした。兄がこのような状態になってからは、誰に相談したらよいのか? 正解はどこにあるのか? と、両親は日々模索したといいます。しかし、兄の病気のことは公にはできないため、家族間で内密にしながら改善方法を探すのは困難を極めました。インターネットやスマホの普及に伴って、たくさんのweb情報が公開されている現代にも関わらず、「精神障害」については触れにくくセンシティブな問題。信頼できる情報を探すことは、非常に難しいことでした。そして、「精神障害」に関する本を読んでも参考にはなるけれど、気軽に相談できるような相手ではなかったり情報元が古かったり……。ましてや同じ病院に通っている家族に聞いても、お互いに悩んでいることは同じなので、解決策はありません。そんな出口のないトンネルを、両親はひたすら彷徨い続けていました。「出入り禁止」が、逆転の発想に繋がる当時は、この「出入り禁止」を言い渡されたことはショックでしたが、今思えば違う医師の意見を聞く良い機会だったと思っています。相談する先がないため、両親は常に病院の方針と医師の言葉に従うだけの日々。「薬を◯錠飲んでください」と言われたら、疑いの余地もなく飲むしか選択肢がありませんでした。しかし、新しく訪ねた精神科で初診を受けたときのこと。病名は同じ統合失調症でしたが、薬の量がなんと1日12錠になったのです。嘔吐や気性の激しいアップダウンに耐えながら、23錠を5年間飲んでいたのにも関わらず、違う医師に診てもらったら半分近くまで薬の量が減少……!母に当時のことを聞いたら、「初めの病院は、薬が強いものが多く出されていた」「その時は相談する相手がおらず、医師の指示に従うしかないと思って鵜呑みにしていた」といいます。セカンドオピニオンの大切さを感じた出来事に変化したのです。病院によって方針がまったく異なるもし、あの「出入り禁止」がなければ、今も診察内容を疑わずに大量の薬を飲み続けていたかもしれない……そう思うと、不安がよぎります。もちろん、右も左もわからない状況の中、病院や医師のサポートのおかげで、いろいろなことが前進しました。しかし、二つ目の病院では薬の量が半分近くになった。これは、兄の体への負担を考えると、減らしたほうが良かったと素人の私たちには思えました。もし、同じように精神科の薬で悩んでいる方がいたら、腰が重たくても違う病院の診察を受けたり、違う医師の言葉に耳を傾けてみたりすることを強くオススメしたいと思います。外科のように、目に見えて切り傷が治っていく様子がわかれば良いのですが、“心の病気はその治っていく様子が見えない” のが難点です。診察後は基本的に、「飲み薬」が出されるのみ。症状が悪化したことを報告しても、また違う薬を重ねて出すだけ。その繰り返しで、どんどん薬の量が増えていくのです。初めての経験で、周囲に相談ができない状況のなか、見たこともない薬の名前をただひたすら飲む……。もちろん、それらが体に合っていて、症状が良くなっている兆しがあれば良いのですが、疑わずに副作用の強い薬を飲み続けるのは、私たちの経験からも一度見直したほうが良いと感じています。大学へ進学した私は、彼への壁が厚くなり……。その頃、高校を卒業した私は、県外にある女子大へ進みました。専攻は、幼い頃から心の支えだった音楽。「家族のことを教えて欲しい」と踏み込んでくる彼氏の言葉に耐えられず、私は彼とお別れを告げて自分のやりたいことに専念し始めます。今思えば、あの彼が唯一 “自然体な私” を知る男性でした。そこから私は、女子ばかりの大学生活を送り、男性と深い距離になることが難しくなっていきましたーー。©AngiePhotos/Gettyimages©Doucefleur/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages©tommaso79/Gettyimages
2018年05月16日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。お世話になっていた近所の病院へ勝手に出入りする兄は、気づけば迷惑行為をするようになっていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 14「家からすぐそこ」が逆効果だった田舎だった私の実家は、スーパーに行くのもコンビニに行くのも、徒歩30分はかかりました。近くにあるものといえば、自動販売機と雑貨洋品店くらい。ですから、車がないと生活ができません。そんな環境ではありましたが、母は車を運転できなかったので、遠出をするときや買い物をするときは、いつも父が出向いていました。困ったのは兄の通院です。平日、父は仕事で朝から晩までいないため車を出すことはできません。すなわち、病院はなるべく近い場所が好ましかったのです。幸運にも、近所の精神科は徒歩10分程度。自動販売機の次に近い場所にあったと言ってもいいくらいの距離でした。つまり、兄の通院は「すぐそこ」に行くだけ。これが、母にとってメリットだったのですが、兄にとってはデメリットでもありました。ひとりで勝手に病院に行く兄骨折や切り傷は、「治療が終わればまた元の生活ができる」というゴールがありますが、兄の病気はそういうものではありません。ですから、正直なところ精神科病棟は患者もその家族も、どんよりとしています。私がこうして綴っているように、精神的な病気を持つ人が家族にいると、終わりのないマラソンを走り続けているようなもので、基本的に顔は曇り空。明るく病院内で過ごすのは、難しいことでもありました。さまざまなタイプの精神的な治療を受ける患者がいるなか、兄は必要以上に人に話しかける性格でした。もちろん、精神安定剤を飲んでいるため、本来の兄の性格や本望だったかと聞かれたら答えはわかりません。母が目を離した隙に勝手にひとりで病院へ行き、患者さんに声をかけたり、見ず知らずの女性に電話番号を聞いたり、「たばこをちょうだい」と言ったり。そうしたことが続き、ついに医師からの呼び出しを受け「診察中止と病院の出入り禁止」を言い渡されてしまったのです。飲み込むしかない医師の言葉実家の周りには、もちろん他に精神科はありませんでした。母は、バスや電車を使って兄の通院をサポートしなければならない。どんよりとした空気で居心地は決してよくないけれど、やっと通い慣れた病院。そんな頼みの綱から、まさかお断りをもらうとは……。もちろん、病院側の立場になれば無理もない話で、多くいる他の患者やその家族たちに迷惑がかかるのは好ましくありません。医師からの宣告に、反論する余地はありませんでした。一から病院を探し直すことにそこで長らく通った近所の精神科を横目に、バスや電車でなるべく通いやすくて兄に合うような精神科を紹介してもらうため、県内で有名な大学病院に相談しに行きました。そして、利便性、評判、入院施設の有無などトータルで好印象だった病院を紹介してもらい、切り替えることになったのです。兄と母はバスに揺られて初めての診察へ。新しい病院で緊張しながら状況を話すと、医師の口から思いがけない診察結果が返ってきましたーー。©jsmith/Gettyimages©Михаил Руденко/Gettyimages©tuaindeed/Gettyimages©Milos-Muller/Gettyimages
2018年05月05日障害者雇用枠で再就職。時短勤務を利用して、無理のない就労に出典 : 私は就労移行施設を利用し、障害者雇用で再就職しました。発達障害の診断のショックなどもあり、前職を離職してから1年が過ぎていました。ASD(自閉症スペクトラム)の障害特性で環境の急な変化が苦手なこともあり、最初の1ヶ月の間は、時短勤務にしてもらいました。これにより、フルタイムで働くという感覚を取り戻しつつ、自分の体調を考慮した就労が可能になりました。ASDである私は、自分の疲れを自覚しにくいといった特性や、人混みや雑踏でのノイズといった過敏によって消耗しやすい特性もあります。そうした特性をあらかじめ想定した上で、時短勤務を希望したのです。ただし、定着支援の支援員から、時短勤務は本来、求人票とは異なる勤務体系であるため、求人票通りに働いて欲しいというのが企業側の本音であると間接的に聞きました。私にとって、1日8時間働くことは、それほど大きな問題には感じませんでした。しかし、時短勤務が終わったらフルタイムで週5日…連日となると少し辛いなと感じました。そこで人事に、週5日のうち1日を自宅などで勤務するリモートワークを認めてもらえないか相談しました。疲れに対して鈍感な私でも、流石に木曜日くらいになると身体がだるいと感じていたからです。その際にエナジードリンクや、滋養強壮剤を飲んで対処していたのですが、どうも身体的な疲労とは異なるような気がしていました。現状、成果に対する評価が難しいリモートワーク出典 : リモートワークができないか?と相談した背景には、会社に来て行う業務が、機密情報を扱うわけでもなく、インターネットに繋がったパソコンと専用のソフトが入っていれば、自宅でも支障なく業務ができると考えたからです。しかし、現状リモートワークには、その成果に対して何時間かけて行ったのか、そもそも8時間ちゃんと働いているのか?など、そうした労務管理の問題や情報漏洩の懸念などから、導入するつもりはないと言われてしまいました。障害者として働いているのは自分のみ。職場で困ることも出典 : この会社では、障害者雇用で就労しているのは私のみという環境でした。また私が入社したのは、去年の冬のことで、2018年春の障害者の法定雇用率の引き上げを視野に入れた採用だったのかなと思います。こうした採用は今後、増えてくると思いますが、周囲が発達障害などの障害者との接し方に慣れているとは限りません。理解が得られにくいとも言える環境で、私が実際に体験した困りごとと、どう対処したのかを振り返ってみたいと思います。出典 : 例えば、イベント会場のリストを作成する仕事では、いくつ項目をピックアップするのかが分からないことがありました。そのことを聞くと、「できるだけ、たくさん」といった指示が返ってきます。そんな時「どのくらい必要か?と具体的な数を聞いているのに、どうして返答がそんなに曖昧なんだ。質問の答えになっていないじゃないか」と苛立ちを感じることがありました。私がここから得た教訓は、定型の人にとって、そもそも曖昧な指示が何なのかが分からないらしいということです。私は、普段から曖昧な指示を具体的に変えてもらうために、次のような表現を使っています。■「〜という理解でよろしいでしょうか?」私は、相手の意図を汲み取ることが苦手で、勝手に判断して仕事を進め、怒られるということがありました。それからは分からないことを分からないまま進めることはせず、確認してから進めるようになりました。■「どうすれば、もっと良くなりますか?」上記のように、方向性が間違っていないことを確認できてから、仕事に取り組みます。進捗を2〜3時間くらいで伝えます。PowerPointなど資料の作成業務は、一通り終えたら、報告して確認してもらいます。そこで「どうすれば、もっと良くなりますか?」あるいは、「他に必要な項目はありますか?」と聞くことで、「この項目が欲しいな」と指示が明確になり、私自身も安心して業務に取り組めました。また、このように聞くことによって、例え仕事が上手くこなせなくても意欲はあるというアピールに繋がるような気がします。このことについては、「質問力」について書かれた書籍も参考にしました。出典 : 私は、ASDであると同時に衝動性が高いタイプのADHDです。「〜すべき」「こうあるべきなのに実際はなっていない」といったことに対して怒りを感じることが多く、つい衝動的に相手にぶつけてしまうことなどが多かったです。例えば、先輩社員のやり方より、自分のやり方の方が効率的だと感じた際には、「(先輩社員の)そのやり方は非効率だ、こうした方が間違いなく効率的だ」と言ってしまいました。入社早々、先輩社員のやり方を真っ向から否定するような表現を直接的かつ衝動的にしてしまったのです。その先輩社員とは、にらみ合いになり、喧嘩になりかねない状況に陥ってしまいました。私は昔から、こうした衝動性の強さから好戦的な部分があるなと感じています。加えて物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない性格です。しかし、こうした特性は外見からはわかりません。そのこともあって常識がない、先輩に対する敬意がないなど、そういう風に捉えられてしまうのではないかと思っています。上述の先輩社員とは馬が合わないことが多く、周囲には、またやっているよと見られていました。見かねた別の先輩社員からは、「悪目立ちしているから、今は不満に思っても控えた方がいい。新入社員という立場なんだから」といった指摘を受けたこともあります。■感情をコントロールする練習を現在は、そうした点を反省し、アンガーマネジメントの本を読んだりしています。また主治医にも相談した所、漢方の抑肝散(ヨクカンサン)を勧めて頂き、服用を継続しています。出典 : 障害者雇用の担当者は1人で複数の業務を兼任しています。そのため、配属先に伝わっていない障害特性について、自分で説明する必要が生じました。例えば、ADHDによる不注意傾向について伝わっていなかったので、宅急便の伝票を書く際に、先輩社員にチェックして欲しいと自分でお願いしました。こうした説明は、いつ言えばいいかタイミングが分からないのに加えて、「そんなこともできないのか」と周囲に見られるのではないかと感じました。恥ずかしさと不安が同居するような気持ちになり、かなり負担に感じました。■人事や定着支援担当から間接的に伝えてもらう人事の支援体制に関して、相談できる環境があることで、不満や要求を間接的に伝えてもらえることが個人的に一番ありがたかったです。やはり、面と向かっては伝えづらいこともあったりするので、そうした制度の存在は、心強い味方でした。上述の件も、結局、自分自身で説明することになったのですが、最初に人事から伝わっていると良かったなぁと思います。時短勤務が無くなってから…出典 : 時短勤務を経て、2ヶ月目から通常勤務に移行しました。1時間半ぐらい伸びても、さほど影響がないだろうと思っていたのですが、人間関係の緊張や、過敏による疲労は思ったよりも大きかったようです。帰ってくるとごはんを食べて、すぐに就寝せざるを得ないほど、ぐったり疲れているという生活が続きました。時短勤務の際は、夜に洗い物などができていたのですが、それすらもできなくなってしまいました。■朝中心の生活にそこで生活の基盤を変えることにしました。例えば、朝起きてからのSNSを控え、必要な情報は電車内で確認することにしたり、朝食をコンビニで済ます代わりに、洗い物と洗濯物を干すところまでを全て終わらせるなど工夫することで、一度に全てこなすのは難しくても、何とか両立ができていると思います。疲れが溜まってくると、きちんと睡眠を取ったのに朝から眠いということがありましたが、エナジードリンクや、ブラックコーヒーを飲むことで、仕事をする上ではそれほど大きな支障なくできていると思います。使いたくても使えなかった、居宅介護の家事援助出典 : 私は大人になるにつれて、こだわりが少なくなってきたり、妥協できることも多くなりましたが、今でも自分の持ち物やインテリアに関しては強いこだわりがあります。そのため常日頃から室内を清潔に、きちんと整頓された状態を保ちたいと思っていました。そこで、居宅介護の項目の一つである家事援助を利用したいと考えていました。しかし、週5日で勤務している場合、ヘルパーさんとのマッチングが上手くいかず、利用が難しかったのです。担当のケアマネージャーから聞いた話では、土日に家事援助をしてくれるヘルパーさんの登録がほとんどなく、サービスを提供するのが事実上、難しいと言われてしまいました。働いてわかったこと。障害者が輝ける働きかたは?出典 : これまでを振り返ると、障害を抱える私のような人にとっては、ある程度、業務の範囲が定まっている仕事の方がやりやすいのではないかと思います。上述したように曖昧な指示を補完して取り組む仕事は苦手ですが、パソコン操作などのハードスキル面では、それほど大きな問題を抱えているようには思いません。イレギュラーや新しく取り組む業務に関しても、きちんとした指示があれば、仕事量の調節は必要ではあるものの、遜色なく取り組めるのではないかと考えています。しかし、対人関係の構築などのソフトスキル面での課題を抱えている…。このことを採用面接の段階で伝えることが出来たら楽だなぁと思います。やはり会社という場所は、みんなとの協業、団体行動が求められる場である以上、対人関係でうまく行かない障害特性は、事前に知らせておくべきなのかもしれません。しかし、本当に入社したい会社であれば内心、求職者としては伏せておきたい情報です。ここで上手く支援員の方が障害者と会社側の担当者とを結ぶ架け橋となってくれたなら、もっと働きやすくなるかなと思います。今の障害者雇用を巡る状況では、障害を明らかにしつつも一部分を隠して採用面接に臨み、入社後に隠していた特性が出てしまう人も少なからずいるのではないかと思います。私自身も就職活動で使用したナビゲーションブックでは、衝動性の部分は触れないままでした。やはり、怒りやすいとは書けなかったからです。また、リモートワークに関しても、今後、導入が進んで欲しいなと思います。やはり刺激を受け流すことが難しいからこそ、疲れやすいという特性があることは事実です。自宅で身体や脳を少し休ませながら働くことができれば、もっと障害者が輝ける働き方が実現できるのではないかと考えています。
2018年04月29日入学や進学など、年度切り替えのこの時期は、障害があるなしに関係なく、親がナーバスになる時期。でも、発達障害のある子を持つ親にとっては、さらに頭を悩ませる時期なのではないでしょうか?通常学級、通級、支援級、支援学校…わが子が安心して楽しく通える環境はどこなのか? 親は、就学問題に長い時間と労力を費やし、時には夫婦で揉め心をすり減らしながら、やっとの思いでわが子にベストと思える居場所を決めます。でも、そんな親の努力をすべてひっくり返すような、無理解な担任の先生に当たってしまったり…。そんな思い悩むことが多いこの時期、再びNHK総合テレビで発達障害をテーマにした特番 「超実践!発達障害 困りごととのつきあい方」 が放送がされます。番組では、寄せられた約4000通の体験談から「感覚過敏」「忘れ物・片付けが苦手」「読み書き計算が苦手」「コミュニケーション」という代表的な4つのテーマを取り上げ、発達障害の当事者はもちろん、家族やその周囲がすぐに実践できる「対処法」「周囲への助けの求め方」などをできるだけ具体的に伝えていく。さらに、「困りごと」「周囲の無理解」からどうやって人生を好転させたのか、その転機をとなった方法や出会いを描くほか、栗原類さんをはじめ一般の発達障害当事者8人をスタジオに招き、一人ひとり微妙に異なる困りごとに対する対処法をトーク。「どうすれば困りごとに対処できるか」「どうすれば人生楽しくなるか」「発達障害の人とそうでない人が共存するにはどうすればいい?」などを生放送で話し合う。■「発達障害」に対する社会の認知は高まってきたけれど…ここ数年で、発達障害に対する社会の認知は高まって、園や学校ではずいぶんと理解が進んだように思います。でも、当事者や家族の目線から見ると、依然としてサポート体制が不十分で必要な配慮が受けられなかったり、相談したはずの困り事が放置されたままだったり、個々人の対応はまちまちだったり……まだまだ難しいと感じることが多いのが現実です。今回の特番担当プロデューサーからも、「これまで発達障害については何度も放送してきましたが、無関心層へのリーチはまだまだだと感じています。しかし、そうした層に届かない限り当事者の困り事は解決しないため、繰り返しを恐れず伝えたいとも思っています」とメッセージをいただきました。これ、まさに、その通りだと思うのです(冒頭でお話した、すべてをひっくり返すような無理解な先生がいることもしかり)。でも、みなさん、日々自分の生活でいっぱいいっぱい…。当事者や家族でない限り、「大変そうだけどよくわからない」とか「障害を言い訳にしてない?」などとスルーされてしまうのも仕方ないことなのかもしれません。■自分が生きやすくなるためには「相手のことを知る」が一番の近道そんな私も、息子が自閉症スペクトラムと診断されるまでは、「大変そうだけど、結局よくわからない」の人でした。障害について理解する前は、「親子でがんばればなんとかなる!」などと、ワケのわからぬ根性論で発達障害を改善しようとしていた時期もありました。そして、息子に無理強いをさせては、それが自分に跳ね返って、ますます自分自身がイライラしてしまう、そんな悪循環に陥っていました。結局、無理解は相手だけでなく、まわりまわって自分自身をも辛い状況に追い込んでしまうのです。私は、息子を通して、「基本的に人(子ども)を変えることはできない」という当たり前のことを改めて思い知りました。相手(子ども)に自分の価値観を強いることは、トラブルと双方のストレスのもと。喜びや苦しみは現実と期待とのギャップで生まれ、相手(子ども)にできないことを求める行為は、結果、自分に対するストレスを生むことになります。■「発達障害の人のため」ではなく、「自分自身のため」にちょっと変な言い方かもしれませんが、今回の放送、「発達障害の人がより生きやすくなるために」というような道徳的な視点よりは、むしろ、「自分自身がより生きやすくなるために」という自分視点で見た方が、より幅広い方々に響くのかもしれません。発達障害は、今や40人学級で2~3人の割合でいると言われているほど。子どものクラスメイト、親戚、会社、ママ友仲間にも、障害とまではいかなくても、グレーな方を含めれば「もしかして…?」と思われる方も少なくないでしょう。もはや避けては通れない問題です。「なんであの人は、いつもあんな嫌な言い方をするんだろう?」とか「どうしていくら説明しても、あの人には話が通じないんだろう?」など、あなたが苦手に思っている人との、上手な付き合い方のヒントが得られるかもしれません。また、番組で語られる、コミュニケーションが苦手な方や生きにくさを感じている方が、自身の人生を好転させるために編み出したノウハウには、私たちの生き方にも参考になるところがあるのではないでしょうか?今回、私は、息子のためではなく、自分のためという視点で、番組を見たいと思っています。文:まちとこ出版社N【NHK 発達障害プロジェクト】超実践! 発達障害 困りごととのつきあい方放送日時:2018年4月30日(月・祝)午前8:15~9:59 NHK総合テレビMC:中山秀征さん、近江友里恵アナウンサーゲスト:栗原類さん(「あさイチ」で自分が発達障害であることを告白)ほか、発達障害のご本人(一般の方)8人と専門家
2018年04月28日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。初めてできた彼氏に家のことを聞かれた私は、いつもの笑顔が消えて言葉が詰まってしまいました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 13彼と過ごす時間は特別同じバイト先で働く、4つほど歳の離れた定時制に通う彼。大きなバイクで学校まで迎えに来てくれて、そのまま彼の家で過ごしたり、バイト先のお店まで送ってもらったり。自宅からすぐの距離に住んでいたこともあり、私たちは毎日のように会っていました。彼は、校内の様子は知らないし、私の同級生とも特に接点はない。この距離感が、私にとっては気が楽だったので、普段学校の友人や家庭内では見せることのない、素直に甘えられる “本当の自分” に戻ることができていました。「家族について教えてよ」しかし、行く場所といえば常に彼の実家。私の実家は、友だちですらあがったことがありませんでした。兄が家にいるので、むやみに人を連れていって兄が安易に話しかけたりすることがイヤだったからです。高校生にもなれば、友だちと “お泊まり会” もよくあると思いますが、私の家には1回も呼んだことはありませんし、来て欲しくもありませんでした。とはいえ、1年以上も交際していれば、彼は「なぜ心音は自分を実家に招くことを嫌がるのか」、知りたがるようになったのです。「俺は実家に呼んでいるし、両親や兄弟にも心音のことを紹介してるのに……」と不満そうな顔を見せては、「まあ、いいけどさ」と半分諦めモード。「お父さんが厳しいから、彼氏がいるのは秘密にしたいんだ〜」と、適当に理由を言っては心の中で「お願い、触れないで」と叫んでいました。「俺の兄も、精神安定剤飲んでたよ」けれども、なんで私がそんなに実家がイヤなのか、ふとしたタイミングで言ったことがありました。「実は、私のお兄ちゃんずっと家にいるの」と。詳しくは告げず、「心の病気があって、家にいるんだ」とだけ説明したのです。彼の反応は、「そうなんだ、もっと早く話してよ〜。そんな気にすることじゃないよ。俺の兄も、前精神安定剤飲んでたし」という言葉。少しだけ安心したと同時に、「でも彼のお兄さんは、ちゃんと働いてるじゃん」。正直、精神安定剤を飲んでいたり、精神科にカウンセリングを受けたりという人は、表立って言わないだけで、多くいると思います。障害者手帳を持つまでは至らなくても、心のバランスを保つことが難しく、仕事をしながら精神科に通っている人は決して珍しい話ではありません。でも、私の兄は、働くなんて到底無理。会話でさえも成立させるのが難しいのですから。同じように心の病を抱えていても、彼の兄と私の兄では、雲泥の差がある……。彼との認識のズレに心がチクチク痛みました。……「やっぱり、実家に来ることはやめて欲しいな」という言葉しか出てきませんでした。通院していた病院先でその頃、近所の精神科に通院していた兄は、病院で開かれるデイサービスやイベントにも参加していました。病院に通っている患者はもちろん他にもいます。気さくに人とコミュニケーションしたがる人、自分の殻にこもって人とは接したくない人、家族とは話すけど医師には口を閉ざす人。さまざまな人々がいました。兄は、家から歩いてすぐだったその精神科に、診察やデイサービス以外にも勝手に足を運ぶようになっていきました。そこで、“ある問題”を起こしてしまいます。©petrenkod/Gettyimages©PeopleImages/Gettyimages©kitzcorner/Gettyimages©sudok1/Gettyimages
2018年04月25日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された、兄。両親でさえ、この状況を受け入れることに時間がかかりました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 12直視できないのは、私だけではなかったこの連載を読んで、兄の凄まじい変化に胸が痛んでいる方もいらっしゃると思います。その胸の痛みは、当時の私たち家族が感じていた紛れもない事実。妹である私ですら、この現実を直視することができずに心をかたく閉ざしていったことを今でも覚えています。そして、両親はさらに苦しい気持ちだったと私は想像しています。なぜなら、障害者手帳が発行された後も両親は、兄のことを周囲に言わなかったからです。この事実を隠していました。冷たく鋭い世間の目唯一両親がこの事実を話していたのは、祖父母と両親の兄弟のみ。本当に近い身内だけが知っていました。両親が仲良くしている古くからの友だちや知り合い、近所の人などは兄がこのような経緯を辿ったことは知りません。「世間体なんて気にしなくても良いじゃん」という意見もあると思いますが、この話をしたことで私たちが得るのは、多くの人からの「かわいそうだね」「大変だったね」と哀れみや同情の言葉だけ。兄が良くなるわけではありません。たとえ遠い身内だったとしても必要以上に兄の話をするのは、余計に私たちがストレスを抱える原因にもなったので、両親もなるべく内密にするようになったのだと察しています。また、よくある “親戚の集まり” のようなものも、兄が迷惑をかける可能性があるため、ほとんどうちにはありません。物心ついた時から結婚式やお葬式、法事などは両親のみが参加。兄は参加しないのが家族のなかでの暗黙の了解でした。“諦めと守り” の意味を理解する兄の回復を切に願っていた両親ですが、明るい兆しは一向に訪れる気配がなく、苦渋の決断をして、障害者保健福祉手帳を申請しました。これは、仕方のない選択でした。しかし、この決断は、デメリットだけではありませんでした。精神障害者保健福祉手帳の2級を発行された兄は、障害者年金として2か月に1回、国から13万円の援助金をもらえることになり、病院の診断や薬代の負担が軽くなったのです。また、交通機関が無料になるなど、地域によって異なるものの、待遇を受けられることに。こうして時間はかかったものの、「障害者」になることを選んだことで、兄を守ることができた。そう考えると、非常に前向きな選択だったと言えることでしょう。今となっては “生活の一部” となっているこの状況も、当時の両親からすると “ギリギリまで諦めたくなかった” というのが本心だと思います。なぜなら、もっと早い段階で障害者手帳を手にすることができたから。8年粘り続けてやっとの思いで申請した。これが、両親の決断だったと思うと、私は深い拍手を送りたいと心から感じています。その頃、私は初めて彼氏ができたこの頃、私は高校生。地元の飲食店でアルバイトを始めた私は、同じバイト先の年上男性と距離が近くなっていました。高校2年生から付き合い始めて、1年半か2年近く一緒にいました。第一希望の高校を落ちた私は、特に楽しみを見いだすことができずにただ通っていた高校生活と、冴えない家庭の間に挟まれて、バイトで元気に働くことが唯一楽しい時間でもありました。家も自転車ですぐ近くの彼。一緒にいる時間が長くなるにつれて、言葉が詰まる質問。それは、「心音の家族って、どんな感じなの?」という話題でした。好きな人に一番聞かれたくないことだったのです……。©laflor/Gettyimages©c11yg/Gettyimages©undefined undefined/Gettyimages©Toru-Sanogawa/Gettyimages
2018年04月18日“私の兄は、障害者”。見て見ぬ振りして、直視できない現実を避けるように生きてきた、妹目線の連載です。病院通いと大量の薬を飲み始めて、4年近くが経とうとしていました。文・心音(ここね)【兄は障害者】vol. 11他人事のような発言に虚しさを覚える通っていた精神科の先生は、毎日心の病を抱える人たちと接して仕事をしているからか、先の見えない闘病生活に慣れている印象。「ご両親も、あまり肩に力を入れずに過ごしてくださいね」と、言われることもありました。正直、他人と身内では兄の病気に対する思いは雲泥の差です。「『あまり肩に力を入れずに』なんてよく言えたものだな」と、両親が呆れて帰宅することもありました。かつては学校で人気者だった兄が、たまたまこうなってしまっただけ。すぐに良くなる。そう願って両親は、兄に良い影響を与えると聞いたことは全て挑戦していました。薬と病院 “だけ” を頼りにしていても解決する見込みがないので、デトックス効果があると言われる話題のジュース、パワースポットでお参り、サプリメントや料理方法など、とにかく “なんでも” 良いと聞いたことは兄に試す。そんな日々だったのです。「病気」と認めたくない葛藤兄は、高校をやめてから3年間引きこもり、そこから病院に通いだしてもうすぐ5年目に差しかかろうとしていました。気づけば、25歳。周りの同級生は大学に進学したり、就職したり、早ければ結婚して家庭ができていたりと充実している様子です。そんななか、先の見えないトンネルをひたすら歩き続ける兄は、大人になるどころかひとりでは何もできない状態にどんどんなるばかり。薬と母親の付き添いがなければ、何もできません。それでも、「まだ治る」と信じていた両親は、兄に大量の薬を飲ませ、看病をします。「まだ治る」「肩の力を抜いてください」という、両親と医師の相反する言葉は、両者の葛藤を表している言葉だと私は感じます。8年を経て、両親が出した答え入院してすぐに兄の病名はわかったものの、それでもまだ「病気を抱える健常者」。このまま粘っていても、先は見えない。高額な医療費をいつまで払い続けるかもわからない……。治ると信じて戦い続けた結果、両親が下した決断は「障害者手帳」の申請に踏み切るということでした。障害者手帳を発行する手順は、通院していた病院に診断書を書いてもらい、住んでいる市役所に申請。診断書が全てで審査などははありませんでした。兄は、障害者になった障害者手帳には、大きくわけて、身体障害者手帳・療育手帳(知的障害者用)・精神障害者保健福祉手帳の3種類があり、さらに階級が分類されます。私の兄は、統合失調症の診断から「精神障害者保健福祉手帳」に当てはまり、1級〜3級まであるなかの2級。1級から順番に重度の障害と見なされ、国から降りる金額や待遇、保護などが異なりました。今までの入院や通院の様子、飲んだ薬などの診断書から判断されたのですが、兄は一番重度ではないものの、社会の適応が難しく両親のサポートが必要。そして、部屋のなかでは身動きができるが、自己判断できる精神状態ではない。そんな状況からこの結果になりました。自分の子どもがついに「障害者」になった瞬間。この選択をするまでに、8年かかったのです。©wutwhanfoto/Gettyimages©ClarkandCompany/Gettyimages©BrianAJackson/Gettyimages©kaipong/Gettyimages
2018年04月10日