Text:吉羽さおりPhoto:石原敦志2015年の高校1年のときに、中学の同級生で結成したBye-Bye-Handの方程式。エネルギッシュで大合唱必至、心で絡まっている思いやわけもわからず叫び出したい衝動を、存分に昇華してくれるパンクでロックな4人が、初のフルアルバム『ソフビ』でメジャーデビューを果たす。どれだけ便利な世の中になって、効率やタイパ、スマートさが求められる、そんな時代に生まれ落ちながらも、人間の気持ちや生きていく泥臭さはそう器用にアップデートできるわけじゃない。大人になっていく上での成長痛や、仲間とバカみたいに笑い合える青春、少しばかりはみ出しながらも一生懸命に生きる思いが、ここには暑苦しいほどに詰まっていて、爽快なロックンロールで吹っ飛ばしてくれるのが痛快だ。こんな愛すべき曲が生まれたバンドの背景について、1stにしてベストと言えるアルバム『ソフビ』について4人に話を聞いた。──今回がメジャーデビュー・アルバムであり、Bye-Bye-Handの方程式として満を持しての1stアルバムですが、バンドのはじまりとしては2015年結成となります。どんなふうにスタートしているんですか。汐田泰輝(Vo/Gt)ベース(中村)以外の3人は中学の同級生なんです。中学卒業後に僕が、ギターの岩橋とドラムの清弘それぞれからバンドの誘いを受けていたんです。それぞれキャラがちがったバンドで、こっちはキャッチーで、こっちはダークでみたいな曲を作っていたけど、両方ともメンバーが集まらずで。じゃあ、2バンドで合体しようという。清弘陽哉(Ds)日本にはなかなかドラムがいないんですよね(笑)。──岩橋さんと清弘さんは2バンドが一緒になるのはOKだったんですか。岩橋茅津(Gt)僕は元々ギター希望やったので、Bye-Bye-Handの方程式でもギターができるのは希望通りだなと思っていたんですけど。汐田清弘はギターやベースが弾けたんですけど、元々ドラムをやっていなくて。僕が今からドラムをやってくれとも言えないし、「ギターとドラムが空いてるけど、どっちやりたい?」って委ねる感じで半ば強引にドラムになっていて。清弘やったことなかったですけど、そのときはなんか好奇心が勝っちゃったんですよね。──曲自体は元々汐田さんが作っていたんですか。汐田オリジナル曲を作りはじめたのが中学2年生くらいで。中学3年生くらいから本気で書きはじめました。いつかバンドをやりたいなとは思っていたんですけど、最初はとにかく曲を作ることが楽しかったんです。まずは曲を披露する場所がほしい、聴いてほしいみたいなことが最初のはじまりというか。──中村さんは2021年に加入ですが、どのタイミングで3人と出会うんですか。中村龍人(Ba)出会いは地元のライブハウスですね。そのライブハウスが高校の軽音部の子が集まる場所になっていて、そこで仲良くなったのが最初です。汐田なのでお互い10代の頃から知ってるんです。中村僕は元々Bye-Bye-Handの方程式が好きで、バンドが初めて出した白盤も家にあるし、古いみんなのサインもあるし(笑)。自分の耳と目で体感して出会ったバンドがBye-Bye-Handの方程式でした。──高校生の頃から精力的に活動をしていたんですか。汐田今思えば、無茶な高校生活をしてましたね。岩橋軽音部としての部活動もあったしね。汐田記憶に残ってるのは……京都、京都、神戸って3連チャンでライブが続いたことがあって。みんな高校は別々で大阪の学校やったり、僕は兵庫の学校に行っていたんですけど、ライブが終わって終電で帰って翌朝学校に行くとか。で、また次の日は学校のトイレで私服に着替えて、ちょっと先生に怒られながらライブに行くみたいな(笑)。高校生だから遊びでという感覚は一切なく、その延長で今もきていますね。──バンド結成当初からの曲も1stアルバムに入っていたりするんですか。汐田まったく入ってないです(笑)。一昨日、初めてライブをした京都のライブハウスに7年ぶりくらいに行ったんですけど。当時から知っている店長が今の僕らを見て、「面影もない」みたいに言われたので(笑)。僕らとしてはグラデーションで変わっていっているんですけど、当時と今を比べたら別人みたいな。──振り返ってみて、いちばん変わったなと思うのはどんなところですか。清弘暗かったね。汐田あの頃は暗かった。あと大きくちがうのが僕の声にボーカルエフェクトがかかってて、ケロケロしてたんです。そのときは発明やと思ったんですけどね。普通のギターロックにケロケロが付け足されて、それが相乗効果にならない状態で。自分はあくまで曲を作りたいだけで、ボーカルをやりたくてはじめたバンドじゃなかったので、3年間くらい抵抗してました。でもオートチューンをかけると「めっちゃいい感じの歌詞を書いてんのに、聴き取られへんで」とか散々言われて。それを言われるのが面倒臭くなっちゃって、半ばやけくそで外して。そしたらすげえ褒めてくれるみたいな。──正攻法がよかったんですね(笑)。そのボーカルエフェクトを外していったことで、サウンド面の変化もあったんですか。清弘楽曲も徐々に変わりましたね。元々僕ら自体は明るいんですけどクールぶってたよな、あの頃は。それでダークな感じでやっていたのが、どんどん素が出てきて、曲もハッピーな感じになってきて。それに伴ってサウンドもどんどん明るく変わっていきました。汐田ハッピーにやってても結局、根っこの暗さは消えへんねんなっていうのを確認したというか。どうやら、人よりも明るくなってないぞみたいな。それが逆によかったんです。根っから明るい曲を書いたつもりでも、やっぱり蓋を開けてみたら俺のややこしい部分は残ってるし、というのはありましたね。──その元の部分もちゃんと伝わるようになってきた感じですね。音楽的な好みやルーツは4人とも近いんですか。岩橋バラバラですね。僕は音楽を好きになったのが父親の影響やったんで、80年代とか90年代のハードロック、日本のバンドではサザンオールスターズとかをずっと聴いていて。ただ、僕たちが小中学生のときにRADWIMPSが流行り出した頃は、みんな聴いてはいましたね。ONE OK ROCKも一度は全員通っているんじゃないかなと思う。中村僕はRADWIMPSは通ってないんです。いちばん好きなのがUVERworldで。きっかけはおかんに連れて行かれた京セラドームでのライブだったんですけど、最初は全然行きたくなかったんです。でも帰り道には、かっこええ!っていう感じで。その京セラドームでライブを観たときに、この景色をあっち側、ステージ側から見たいなって思ったし、これだけの人を僕みたいな気持ちにさせたいなっていうのがあってバンドをはじめたいとなりました。清弘僕も根本にはRADWIMPSがあって、結構いろんなジャンルを聴いてましたね。高校でコピーバンドをやっていた時期にはラウドな曲ばかり聴いていたり、いろんなものをフラフラとしていますね。──汐田さんは曲作りのきっかけとなったバンド、アーティストはいましたか。汐田最初に“バンド”というのを認識をしたのがRADWIMPSとBUMP OF CHICKENやって。今も、曲を作る上でお守り的に大事にしている中心には、バンプがいる気がします。──みなさんから出たバンド名などから考えても、今のBye-Bye-Handの方程式のパンク、ロックンロールな感じと結びつかないのはなぜなんでしょう。汐田そこがアイデンティティというか。ブルーハーツとか銀杏BOYZとか、レジェンド的なパンクを通ってきてない奴らがやるパンクっていうのが、僕らの新しさにつながっているというか。銀杏とか好きでしょ?って言われるんですけど、好きですけど、ルーツとしてはまた別のところにありますっていう。僕らの解釈で曲をやったらそうなったというだけなんですよね。パンクをやるぞ!っていうよりは“パンクらしき何か”というニュアンスの方が近いんです。──バンドとしてはグラデーション的に変化してきたということでしたが、Bye-Bye-Handの方程式というバンド像ができたなと思う1曲はあったりするんですか。汐田その時々であるんですけど、ひとつの転機としてはアルバムにも収録した「ロックンロール・スーパーノヴァ」で。これはその当時の僕らの“らしくない”曲だったんです。それまでいろんなことをやってみて、もうわからんくなって。一回、シンプルに落ち着こうみたいな感じで出したら、ものすごく自分の気持ちが乗って。らしくないことをしているはずなのに、楽しいと思ってる自分がいるし、すごく楽しそうなみんながいたんですよね。岩橋なんだ、シンプルでよかったんやなっていうか。清弘当時から、音楽のセンスを極めてみんなを踊らせるとか感動させるというよりは、熱いライブをしたい、楽しませたいっていうのはあったので。それが実現できる曲になったなという感覚はあったかも。──曲ができたのはいろいろ迷いがあった時期ですか。汐田迷ってました。でも、迷ってわけが分からんくなって、やけくそになったときは、大体いい方に転ぶんです。こんなんでいい訳ないやろ!っていう思いが、いいことが起きる前触れだったりするんです。──そうやってできた曲がバンドのアンセムにもなってくれたんですね。汐田しかも長く歌えば歌うほどちがう景色を見せてくれる曲になって。どんどん新しい曲ができて、もっとこんなこともできるのになって演奏するのが恥ずかしい気持ちになったこともありましたけど。それも超えて、これは歌い続けないとダメだなっていう使命感が芽生えたタイミングで、1stアルバムにも入れようともなりましたし。今は、いろんなことを経験した上でこれを歌うよさを感じられているなと思います。──アルバムとしてはいろんなタイプの曲がありますが、その「ロックンロール・スーパーノヴァ」の最新形と言えるのが「darling rolling」ですね。汐田いろんな人に届きやすい曲って、じつは制作に時間がかかってないんですよね。歌詞も100パーセントで詰めこむというよりは、何この曲?分からんけどめっちゃ頭に残るなとか、あの1行が頭から離れへんみたいなことを狙った曲やったので。それをもう一度作りたかったんです。それでできたのが「darling rolling」でしたね。──汐田さんが曲を作って、アレンジはバンド全員でやる感じだと思いますが、この曲は意外なまとまりになったなという曲はありますか。汐田「風街突風倶楽部」は弾き語り段階ではかなりストレートで。めっちゃいい曲にも普通の曲にもなる両面を持っている気がしたので、これはみんなにかかってるなと。清弘サビはこのビートでいきたいとだけ言われていて。じゃあ逆に、頭からずっとそれにしとこって思って(笑)。それで爆走感が出ましたね。岩橋基本的に僕がギターをつけるときはドラムもベースも、バッキングギターも入って、曲としての形ができたところに付け足すことが多いんです。この曲はイントロが何も決まってない状態で。決まってないからなんとかしてくれって投げられたのは初めてで、悩みました。いろいろと試したんですけど、結局元々のデモにあった16小節分ドラムのビートをそのまま使って、リードギターが2本鳴ってるようなフレーズを入れたのが、思いのほかいい感じで。イントロだけで何日かかかったんですけど、最終的にはめちゃくちゃ気に入ってますね。──アルバム中盤「妖艶さん」や「タヒ神サマ」はベースをフィーチャーした曲です。中村そういう曲を作ろうぜっていうのはあったんですよね。ベースを主体でというか、ベースソロありきで作ったのが「妖艶さん」や「タヒ神サマ」でしたね。汐田僕らはギターロックと言われるジャンルで、ギターが主役を張っているからこそ、ベースが目立つ曲を1曲入れるだけでも耳がグッとそこに持っていかれるというか。ライブをやっていると、バンドをやってる子でベースめっちゃ好きですっていう男の子とかがいるんですけど、そういう子が俺もやりたいと思える曲がほしかったんです。──リード曲となる「閃光配信」はいかがですか。汐田これは最速スピードでできていますね。元々はリード曲を書こうということで「swamp(沼)」ができて──これは結構あるあるなんですけど、そこで安心したんですよね。リード曲もできたし、あとはもう好き放題やりましょうって。でも何となくその余韻から、まだちょっとできそうだなって作りはじめたら、「閃光配信」のド頭から出てきて。みんなに聴かせたら、こっちの方が評判がよくてリード曲になっちゃったという。──まさに、バンドにとってのいい名刺になる1stアルバムで、歌っていることも思春期と大人との間の今のリアルが詰まったものになっています。汐田さんが歌を書く上でいちばん感情的に動くのはどんなところですか。汐田僕は、今のことより昔のことを書くことが多いんです。自分が昔感じていたことをなかったことにしたくないというか。例えば、友だちといても寂しいと思うこの瞬間って何だろうとか、誰かといてもひとりだと思う瞬間もあれば、ひとりでいるのにひとりじゃないと思える瞬間もあるのは何だろうっていう。あの頃から思ってる気持ちは今も続いているし、僕の感覚では僕以外がどんどん大人になってしまった感じで。自分が子どもで居続けるのを正当化しているのがバンドという表現な気がしているんです。子供のままで居させてくれって、ステージで暴れてる。それを見て、大人になりかけているみんなが元気をもらうみたいな。それがバンドのよさの気がしていて。あのとき自分が思っていた気持ちを、今ならもっと形にできますしね。そういう小さい頃からの気持ちを絶対に忘れたくないというのが、作る上で基盤にある気がします。──アルバムを携えて6月から全国ツアー「Soft Vinyl Human Tour」がスタートします。攻撃的な曲から「やさしいひと」などバラードもありで見せ方も広がりそうですね。汐田キャリアとしては最長のツアーなんです。楽曲の手札が揃った感覚なので。その持ってる手札で自分たちがどれだけ人を沸かせられるかの勝負ですね。セトリはベースの龍人が決めているんですけど、日によってどういう角度で提示してくるのかもドキドキしますし。どうやっても正解やなっていうアルバムな気がするというか。中村同じセットリストは嫌いなので。対バンによって変えたいし、例えば前回の東京公演とはちがうはじまりにしようとかも考えているので。清弘9月からの東名阪のファイナルシリーズは、ツーマンで尺も長いので、さらにいろいろなことができると思う。中村ツアーでどういうふうに曲が育っていくのかが楽しみですね。岩橋結構、予想を裏切って盛り上がる曲も出てくると思うし。汐田このアルバム自体、人によって好きな曲がバラけると思っていて。でもライブでは、そのいちばん好きな曲よりも、期待してなかった曲が化けたりすることがあるんですよね。自分が好きな曲とライブで化けた曲、両方を持って帰ってもらいたいなと思いますね。Bye-Bye-Handの方程式コメント動画ぴあアプリ限定!アプリで応募プレゼント★サイン入り色紙を3名様にプレゼント!【応募方法】1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。こちら() からもダウンロードできます2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!<リリース情報>Bye-Bye-Handの方程式 1stフルアルバム『ソフビ』発売中Bye-Bye-Handの方程式『ソフビ』ジャケット【収録曲】01. ソフビ人間 (Album Ver.)02. 風街突風倶楽部03. swamp(沼)04. 閃光配信05. darling rolling06. 春のチャンス07. タヒ神サマ08. 妖艶さん09. あかいろのともだち10. やさしいひと11. ラブドール12. ひかりあうものたち13. ロックンロール・スーパーノヴァ(Album Ver.)<ツアー情報>Bye-Bye-Handの方程式 pre. Soft Vinyl Human Tour6月28日(金) 千葉LOOK6月29日(土) 仙台 enn 3rd6月30日(日) 宇都宮HELLO DOLLY7月12日(金) 神戸 太陽と虎7月13日(土) 高松TOONICE7月15日(月・祝) 岡山PEPPERLAND7月27日(土) 福岡OP’s7月28日(日) 広島ALMIGHTY8月4日(日) 札幌BESSIE HALL8月9日(金) 京都GROWLY8月10日(土) 金沢GOLD CREEK8月17日(土) F.A.D Yokohama8月18日(日) 静岡UMBERチケット情報:()Bye-Bye-Handの方程式 pre. Soft Vinyl Human Tour – FINAL SERIES –9月1日(日) 名古屋CLUB UPSET9月14日(土) 梅田Shangri-La9月29日(日) Spotify O-Crestチケット情報:()公式サイト:
2024年05月27日Text:吉羽さおりPhoto:町田真一郎どこか懐かしい甘美さと爽やかさが混じり合ったジャングリーなインディロックや歪みの効いたギターがほとばしるオルタナロックなどをポップに、キャッチーに昇華した音楽が早耳なリスナーにキャッチされ、クセになるメロディでリスナーの裾野を国内外に広げるコンポーザー・ニシハラによるソロプロジェクトpeanut butters。昨年はSpitz主催イベント「豊洲サンセット」にも出演し、渋谷WWWでのワンマンも成功させたpeanut buttersが2024年、新たなサポートボーカル・ばななあいすを迎え活動をスタートする。6月18日(火) には下北沢Shangri-Laで新体制での初ワンマン「500円で観れマッスル〜1drink別〜」の開催が決定。現在、新たなる曲を制作中というニシハラ、ばななあいすのふたりに近況やライブに向けた思いをインタビューした。──peanut buttersの新サポートボーカルということで、ばななあいすさんが決定しました。ばななあいすさんの決め手となったところ、またニシハラさんとしてはpeanut buttersのボーカリストとしてこういう人がいい、曲をこんなふうに表現できる人がいいという思いはあるんですか。ニシハラ自分が作る曲のイメージに合う声質の人がいいなというのは思っていますね。今までのボーカルがウィスパーボイス系の人たちだったんですけど、今回のばななあいすさんはハイトーンで、芯のあるストレートなボーカルで。これまでの方とはちょっとちがうんですけど、声質的にいいなっていうのがありました。──ボーカルが変わることで音楽的にも新たなトライができると思いますが、ニシハラさんとしてはここからのpeanut buttersをどのように思い描いていますか。ニシハラ今、曲の制作をしているんですけど、ライブで盛り上がる曲、ガンガンいく感じの曲が合う声かなと思っているので。それに合う曲を作ろうっていうのは思っています。──ばななあいすさんが、今回の<新サポートボーカル募集>に応募したきっかけは?ばななあいすまずpeanut buttersを知ったのは、TikTokのおすすめ曲で流れてきたのを聴いたのが最初のきっかけで、それでライブに行くくらい好きになったんです。歌詞がネガティヴだけど、曲調は明るいっていうのがすごくいいなと思っていて。私自身、音楽活動をしていたわけではないんですけど、たまたま<新サポートボーカル募集>のオーディションがあるのを知って挑戦してみようかなっていうことで、エントリーしました。──ばななあいすさん自身、これはいけるぞっていう感じはあったんですか。ばななあいすいえ、まったくです(笑)。趣味で弾き語りをやっていたので、応募のデモは弾き語りで送ったんですけど、自信はなくて。決定のお知らせがきたときはいたずらメールかなと思ったくらい、選んでいただいて本当にびっくりしました。──ギターも弾けるとなると、今後ライブでギターを持って歌うっていうこともできそうですね?ばななあいすいやあ、どうなんでしょう(笑)。ニシハラできそうですよね。じつはドラムもちょっとできたりするんですよね。──いろいろできるじゃないですか。ばななあいすさんが音楽に興味を持ったきっかけは。ばななあいす歌は小さい頃から好きで、よく歌っていたんです。母がバンド好きなので、母が好きなバンドの曲を歌ったり、小さい頃は母と一緒にライブに行ったりもしていました。学生時代に吹奏楽部に入っていたんですけど、そこで楽しいなって思ったのが音楽に興味を持ったきっかけで。当時打楽器を担当していたので、ドラムが叩けるようになりました。ギターは高校1年のときに周りの友だちがはじめて、自分もやりたいなって思ったのがきっかけで。弾き語りでいろんな曲をカバーしたりしていました。とくにコレサワさんの曲はたくさんカバーしましたね。──ということは、自分でも音楽活動をしたいなという思いはあったんですね。ばななあいすしたいなとは思っていたんです。peanut buttersとはまた違いますけど、元々バンドとかの激しい音楽がめっちゃ好きで。──ドラムやギターもできるし、バンドをやろうっていうのはなかったんですか。ばななあいすやってみたいなとは思っていたんですけどね。ギターをやってる子はいたんですけど、周りにバンドをやるような人がいなくて、諦めていたんです。──このとても気になる“ばななあいす”という名前は何か由来があるんですか?ばななあいす深い意味はないんです。たまたま携帯の写真のなかにバナナ味のアイスの写真があったので、これにしようって思っていう感じで、適当に決めちゃいました(笑)。ニシハラそれでいいのかっていう名前ですよね(笑)。僕はまだ、普通に本名で呼んじゃったりしているんですけど。──ニシハラさんは、実際にばななあいすさんに会ったときの印象や、話をしてみてどうでしたか。ニシハラ歌声に反して、意外と地声が低いんだなっていうのは実際に話して思いました(笑)。あとは、これからライブとかいろんな活動があるのですがどれくらい動けるのかとか実務的な話がメインで。6月18日にはお披露目のワンマンライブ「新体制peanut butters初ワンマンライブ“500円で観れマッスル〜1drink別〜」があるので、今は曲をたくさん覚えたりと加入早々に無理してもらってますね。──実際一緒に音を合わせてみてどうですか。また、これまでのpeanut buttersとは印象が変わりそうですか。ニシハラとてもよいと思います。これまでの曲も違和感なく歌いこなしてくれます。──ばななあいすさんとしてはこれまでいちファンとして曲を聴いてきたと思いますが、それを自分の歌として昇華していく作業はどうですか。ばななあいす最初は、比べられてしまうのはしょうがないのかなというのは正直思っているんです。まだ歌にしてもいろいろと探り途中ではあるんですけど、これもこれでいいなって思ってもらえるように頑張っているところですね。ニシハラ元々、高い声が良い感じのボーカルがいいなというのを思っていて。なので結構激しい感じ、ガンガンいくような曲調が合うなっていうのは思っていますね。実際、そういう曲も作っていて。──peanut buttersとしてはこれまで『peanut butters』(2021年)、『peanut butters Ⅱ』(2023年)という2作のアルバムを発表して、ライブも重ねてきていますが、ニシハラさんがコンポーザーとして変化していること、曲に対してより意識していることはありますか。ニシハラ1作目は結構好き勝手に作っていたんです。2作目では好き勝手に作った曲もありましたけど、ライブを頑張ろうという目標もあったので、よりライブを意識した曲にというのもありました。自分自身、音楽的なルーツというとレッド・ホット・チリ・ペッパーズとか洋楽で、こうして自分で音楽をはじめるまであまり日本のバンドや音楽に触れてこなかったんですけど。活動をはじめて一緒にライブをやったりするなかで、もっとこういう感じがいいんだなとか、こういう感じだと盛り上がるんだなっていう邦楽ロックのセオリーも学びながら、peanut buttersに取り入れたりもしています。今でももちろん自分が好きな感じで自由に作ってもいるので。より聴きやすい曲と、自由に作る曲という二極化しているなという感じです。──どういった曲調にしてもpeanut buttersにはポップさやメロディのキャッチーがあると思いますが、そういった面はどうやって磨かれてきたものですか。ニシハラどうなんでしょうね。メロディが強いものを好んで聴いてきたこともあって、自分で作るものに対してもこれはメロディが弱いなと思ったらなしになっていったので。それを繰り返していった結果かなとは思います。作っていて飽きちゃうとダメなんですよね。あとは、今はリリースする曲をスタッフと一緒に決めているので、周りの意見も参考にしながら、よりみんなが聴きやすいものにというのは重視しています。ある程度売れたら好き勝手にやっていいかなっていうのはあるんですけど(笑)。今はまず、たくさんの人に聴いてもらえるようにというのは大事にしていますね。──ちなみに、ばななあいすさんがpeanut buttersの入口になった曲、最初に引っかかった曲はどの曲でしたか。ばななあいす最初は「ツナマヨネーズ」という曲でした。明るい曲調がめっちゃ好きで。ニシハラ「ツナマヨネーズ」はたくさんの人に聴いてもらう曲になったんですけど、作ったときは、どういうところがウケているのかがわからなくて。あの曲はコード弾きをしたくなかったんです。ドラムスとかが好きだったのもあって、単音のギターフレーズでいきたかったんですけど、ちょっとコードを入れないといけないかなって感じで、サビとかにしょうがなく入れたものだったんですよね(笑)。そういう思い出がある曲で。ばななあいす(笑)。ニシハラ未だにどういうものを出せば引っかかってくれるのかっていうのはなかなか掴めていないんですけど。いろんな曲調を試してますね。──ばななあいすさんを迎えた新体制となって、今制作の真っ最中とも聞いていますが、新曲はどんな感じになりそうですかニシハラばななあいすさんがボーカルとなって最初にリリースする曲は、広く、みんなが聴きやすいものがいいなと思っていて。自分の音楽の入り口がそうだったのもあるんですけど、結構作る曲が90年代のオルタナ系のものになっていたりもしますね。もう新曲のレコーディングは終えているんですけど、またいろいろな曲調で作ってみたいなとも思っているところです。ばななあいす私はレコーディング自体が初めてだったのでとにかく緊張していたんですけど、楽しくできました。──6月18日(火) の「新体制peanut butters初ワンマンライブ“500円で観れマッスル〜1drink別〜」でその新曲が聴けそうですかね。ばななあいすさんにとってはpeanut buttersとしての初のワンマンライブとなります、どんなステージにしたいですか。ニシハラもちろん新曲もやる予定です。今回はたくさんの人に観てもらいたいということで、チケットを500円にしているんです。ワンマンライブで時間もたっぷりあって、普段の倍くらいの曲数ができると思うんですけど。まだ(インタビュー段階では)それだけの曲数をバンドで合わせたりしていないので──とはいえ時間もあまりないので、頑張りたいなというところです。ばななあいすすでに、めちゃくちゃ緊張しているんですけど。ワンマンってpeanutbuttersのことが好きで、peanut buttersを観にきているお客さんしかいないので、楽しんでもらえるライブにしたいなと思ってます。ぴあアプリ限定!アプリで応募プレゼント★サイン入り色紙を3名様にプレゼント!【応募方法】1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。こちら() からもダウンロードできます2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!<ライブ情報>新体制peanut butters初ワンマンライブ「500円で観れマッスル〜1drink別〜」2024年6月18日(火) 東京・下北沢Shangri-La開場18:15 / 開演19:00チケットはこちら()コメント動画公式サイト:
2024年05月17日Text:吉羽さおりPhoto:西槇太一今年2月24日にバンド結成15周年を締めくくる武道館公演「Nothing’s Carved In Stone 15th Anniversary Live at BUDOKAN」を行ったNothing’s Carved In Stone(ナッシングス カーヴド イン ストーン)。約5年ぶりの武道館はファンからのリクエスト曲を含む30曲を超えるセットリストで、バンドの15年の集大成を見せる濃厚なステージとなったが、その甘美な余韻があるなかでリリースとなるのがNEW EP『BRIGHTNESS』。灯火、希望の光といった確実なさらなる一歩を刻んだ今作は、メジャーであるワーナーミュージック・ジャパンとのタッグでリリースされる。ドラム、ベース、ギター、ボーカルの4つの音でロックバンドの様式美を極めながら、つねにさまざまな音楽、サウンドにもアンテナを張り巡らせた先鋭的で深みある4人のロックミュージックは今回、また新たに磨き抜かれて進化を遂げた。止まることのない、むしろ前にも増して前のめりなエネルギーで溢れた今作について、バンドの状況について村松拓(Vo/Gt)、大喜多崇規(Ds)のふたりに話を聞いた。──今年2月には結成15周年を締めくくる武道館公演「Live at BUDOKAN」が行われました。今回はファンからのリクエスト上位20曲、全アルバムからチョイスした11曲を加えた、30曲超のセットリストとなったライブでNothing’s Carved In Stoneの濃い歴史をショーで見せるステージとなりましたが、振り返っていかがでしたか。村松まずはファンありき、集まってくれるみんなありきで考えていた武道館だったので。成功できたことに感謝という気持ちがいちばん大きかったですね。今回は全32曲のセットリストだったんですけど。ライブのパフォーマンスで見せることのなかには、演奏の技術とかどこまでグルーヴを高めるかとかいろんな要素があるじゃないですか。ショーに変換していく上ではもちろんスタッフも一緒に頑張ってくれたんですけど、32曲ともなると演奏に集中するっていうところが結構大変でしたね。普段、みんな弱音は吐かないんですけど、終わった後に珍しく「ちょっと腕、つってるかも」みたいな(笑)。Nothing’s Carved In Stone(以下ナッシングス)は普通の楽曲というよりは全員がプレイを詰め込んで、詰め込んで、整理し切らないのが魅力なところがあるので、そこの表現がシビアではありましたね。──個人的にもこの15年でもいろんなタイミングでライブは拝見していますが、その度に曲が生まれ変わっているのがナッシングスのライブのおもしろさだなと思っていて。バンドの進化が見られるし、何より手癖でやっていないという新鮮さが感じらるんですよね。村松そこのバランスがナッシングスはおもしろくて。更新していく感性みたいなものがみんな高いというか、普段からナッシングスを思いながら過ごしているんでしょうね。──バンドとして重ねてきた15年の濃密さが伝わるライブでした。この武道館でも新曲「Dear Future」が披露されましたが、今回のEP『BRIGHTNESS』はワーナーミュージックジャパンとのタッグでのリリースとなります。ここで改めてメジャーでというのは、どういう思いからでしたか。村松曲を制作している段階で何度かバンドやスタッフで話をする機会があって、今作はレコーディングする直前までアルバムでいくつもりだったんですけど。もっと楽曲、1曲1曲を練ることに時間をかけたいねという話になって。数曲減らしてEPというサイズにしたんです。そんな話をしているなかで、自分たちで事務所を立ち上げて5年間やってきて、レーベル(Silver Sun Records)も自分たちでやってきて、もちろん人の力はたくさん借りてきましたけど、ちょっと自分らで見えないものも増えてきたよねという感覚があったんです。それを広げていくのを手伝ってもらおうかというので、メジャーというのが話としてあがったんですよね。だから、ワーナーとやるからこういう曲になったという動きは実際はないんですけど、今までとやることは変えず、ちょっと力を借りれるならということだったんです。──元々メジャーでも活動していて、その後自分たちでレーベルを立ち上げてさまざまなノウハウを得て、さらにここからまたメジャーでというのはおもしろい選択だなというのはありました。村松そういうのもありましたけどね、バンドが15周年を迎えて、5年間自分らでやってきて、これからどうするの?ってワクワクさせたいっていう気持ちもあって。もう可能性しかないじゃないですか。──改めてメジャーからというのは置いておいても、15年を経て新たにという気持ちが曲にも出ているなというのは思いました。とくに歌詞の面では、前に、前にという気持ちやより自由にというのがワードとしてもちりばめられていますね。村松この歌詞、おもしろいですよね。この間ウブ(生形真一)も言っていたんですけど、改めて1stアルバムを作った感覚があるというか。自分たちで事務所を立ち上げたこの5年間続けてきたことのひとつに、思っていることを言い合って、それを形に変えていくというのがあって。同じものが見えるように言葉も交換して、同じような景色を見ながら同じ釜の飯を食ってみたいなことがさらに濃くなっているんです。今回は楽曲、1曲1曲をこだわって作ろうという思いがみんなすごく強かったので。そういう前向きな何かが宿っていたんですかね。ただあけすけに明るいっていうよりは、次のステップを待ち望んでいるみたいな、前に進むエネルギーがある歌詞が多くて。歌詞はウブと僕が書いているんですけど、今回はひなっち(日向秀和)も言葉をくれて共作みたいになっている歌詞もあるし。オニィ(大喜多)から出てくる言葉とかもそうですけど、メンバーみんなが共通して持っていたものがこういう形になったのかなとは思います。──大喜多さんは今作に至るなかでのバンド内での変化をどうとらえていますか。大喜多自分たちで事務所を立ち上げてすぐにコロナ禍になって、作る形態もちょっと変わったんです。最初にやりはじめたときはまだ新しい方法で経験値がないから、うまく接点を探すのに試行錯誤していたのが、5年を経てだいぶいい形になっているんじゃないかなとは思いますね。バンドがスタートした当初も模索していたけれど、あのときはスタジオにこもって作る時間がたくさんあったんですよね。今はなかなか会う時期が減ったりもしているんですけど、集まったときに効率よく作れるようにしようっていうのは探しながらやっていたと思うんですけど。今回それがしっくりくる感じでできたのかなっていう。村松結構、試行錯誤したもんね。今はまず作曲者がデモをわかりやすく作ってきて、そこにそれぞれの個性を足していって、さらにバンドで演奏することで相乗効果が生まれていくみたいな感じなんですけど。最初の3年くらいは、そこを昇華させていくのに試行錯誤してたんだよね。大喜多してたね、難しかった。村松これはだいぶできたなっていう気がしていますね。──そういった制作過程で、例えば「Challengers」のような、構築的で曲の流れがどんどん変わっていくプログレッシヴなおもしろさもあり、セッションの爆発力もあり曲はどういう感じでできていくんですか。村松「Challengers」は元々は全然違った曲で、もっとラウドさを意識した1曲で、サビもばーんと開けるわけではない感じだったんですけど。完成まで2年くらいかかったよね?大喜多すごい作り直しましたね。村松メロディも元の形のものが残っているのは一部だけで。いろんな要素を詰め込んだので、すげえおもしろいですよね。イントロとかどうやって成り立ってるの?っていう。──最後の方まできてこれどういう感じではじまったっけな?というドラマがある曲ですね。村松「The Savoir」(10th Album『By Your SIde』収録)とかがそうなんですけど、行ったきり帰ってこない曲があって(笑)。あれもひとつのナッシングスのカラーなんですけど、その進化版かなと個人的には思ってますね。それをよりポップに、アンセム感を残しつつできたのかなと思ってます。──最初の段階ではどこかしっくりこない感覚があったんですか。村松僕らもだいぶ楽曲に対するハードルを上げて考えていたから。めちゃくちゃいい曲なんだけど、思ったほどよくないのはなんでだろうねというので、一旦置いちゃったんですよね。大喜多そうそう。ひなっちが最後に言ってたんだけど、大事なのはテンポ感だったかもって。これ、すごくテンポを上げたんですよ。それで重いところと速いところの共存ができる曲になったとは、言ってました。──一回置いておいたけれど、お蔵入りにはならなかった曲だったんですね。村松元々ひなっちがデモを持ってきてくれた曲なんですけど、その執念はすごかったですね。「また「Challengers」のアレンジをし直してるんだけど」って連絡が来て、みんなでスタジオに集まってみたいな。本人にイメージがあったんですよね。結構、プラモデルのパーツみたいなものはパパパッとみんな出るんですよ。で、ガンダムが一体できましたみたいなのは簡単にできるんですけど。本当にそれでよかったんだっけ?っていうのが、入ってくることが多くなって。それがここ5年くらいの進化というか、自分たちで作ってる“ハードル”なんですよね。これを繰り返すことで、今回みたいなマジックが起きて。モヤモヤっとだけどちゃんとここに答えがあるのはわかっていて、試行錯誤を増やすことでそれが確実に掴めるようになってきたなみたいな感じかもしれないですね、バンド4人で。──そういう話を聞くと、困難を超えてより自由へ新しい方向へ、どんどんタフになっているから自分たちなら大丈夫なんだっていう、今作の歌詞のストーリーにも通じるところがありますね。村松歌詞は、バンドの今の状況を明確に書きたいなという意識はありましたね。おもしろいバンドなんですよね、ナッシングスって。誰かがワンマンでいて、その人がバンドで経験してないような歌詞を書いても、言葉が乗ってこないバンドなんです。例えば僕が個人的に、誰かを愛して、あなたを大切にしますよっていう歌を書いてもそれはそれでいいんですけど。ナッシングスだと弱いっていうか。ナッシングス4人で思っていること、みんなで一個の芯に向かっていくことを書いたほうが、より強いというか、伝わっていくメッセージになっていくんですよね。今回はそれをすごく思いましたね。──このバンドならではの感じが生まれているのって何なんでしょう。みなさんナッシングスが初めてのバンドではないし、それこそ個々が並行して他のバンドやプロジェクトもある中で、なぜここだけ特別な空気が生まれているのかっていう。それはこの間の武道館でも改めて感じたことなんですけど、この4人の内側にあるものって一体何なんでしょうか。村松バンドマジックなのかなとは思いますけどね。人間がやっていることなので人間性でしかないと思うんですけど、4人ともものすごいポジティブなんですよ。普通だったら折れちゃいそうな場面になっても大抵誰かが「じゃあ、こうしよう」ってみんなを引っ張っていけるタイプというか。リーダーとしてのスキルというか、メンタリティをみんなが持っているバンドで。僕もうまく説明できないんですけど(笑)。そういう人間が集まっているから、答えはこうなるんだなというのは感じますけどね。大喜多うん、そうだと思う。──絶妙なバランス感があるんですね。では改めてEPのお話を伺っていきますが、制作としてはどのようにはじまっているんですか。村松「Dear Future」「Freedom」、「SUNRISE」は昨年のうちにレコーディングされているんですよ。「Blaze of Color」「Bright Night」「Will」「Challengers」が武道館公演を終えた後、3月に録り終えて。ドラムの音とかもその3カ月くらいの間でだいぶ変わってるよね。大喜多音はわりと一新していますね。ロックの音って、例えば同じサブスクに入ったときに、他のヒップホップのトラックとかEDMの音に負けちゃうっていうか。そこを強力にしたかったから、武道館までのこの10年はドラムトリガーを使っていて、生音とトリガーをブレンドさせて強力にしていたんです。しばらくそれをやっていなくて、生音のエネルギッシュなのもいいよねって思っていたんですけど。そこを戻して、どこに出しても強力な音になってほしかったし、メンバーもその音によってプッシュされるものがあるといいなという感じがしてちょっと強めにはしていますね。──そこはバンド内でも一致していたところですか。村松そこは結構やりながらもあったよね。大喜多制作をしながら、この音はどう?という感じですね。音のアイディアは作曲者のイメージを汲み上げて作っているので、それをさらに強くしたという感じではありました。村松ナッシングスではリズムトラックを作るのに時間をかけるんですよね、いちばん肝になるので。だからオニィからアイディアが出てくるのを待ったりとかもあるんですけど、あの時間は大切だよね。大喜多スタジオに入ってるとちょっと待たせてしまう時間もあるから、できるだけ早くしたいんですけどね(笑)。村松今回はすごくこだわっているし、練り上げられていると思う。叩き方ひとつとっても、この曲はミドルテンポだけどラウドに叩こうとかがオニィのなかにあって。僕の歌も含めて、互いの擦り合わせも結構していってますね。大喜多「SUNRISE」とかはとくにそうだったね。──EPの最後を飾る「SUNRISE」はとてもシンプルな感じがありますが、曲のレンジがすごく広くスケール感がある曲です。村松メロディもシンプルで歌ものなんですけど、シンセと楽器隊との絡みとか、そういうところでセンスを見せたいんですよねうちのバンドは。ただのポップスの枠に収まりたくないっていう。それがうまくできたかもしれないね。大喜多最初はなかなかうまくいかなくて。なんでなんだろうって思ってたんですけど、ひなっちとかは気づいてるんだよね。全然しっくりこないって言ったら、「もっとラウドに」って。これくらい?って言ったら、「いやもっと!」みたいな。ああそうだったのかってやっていくと、着地点が見つけられたっていう。──どっしりとしたビートで曲の景色が広がって、それがEPのラストにくる恍惚感にもつながっています。今年に入って作っていた曲、アルバムの1曲目となる「Blaze of Color」などはどうですか、こちらはジリジリと高揚感が上がっていくタイプの曲ですね。村松スパッと切りにいくんじゃなく、棍棒で叩くみたいな……っていう喩えはどうかと思うけど(笑)。あまりうちにないタイプの曲ですよね。でもライブ映えするかなっていう。なかなかこのサビの感じであの疾走感って生まれなくて。そこはやっぱりリズム隊だなと思うんですけど。大喜多ふつふつと熱を帯びてるような感じでね。村松リフもかっこいいんですよね、これ。──EPの1、2曲目「Blaze of Color」「Bright Night」はこれぞナッシングスという痺れるリフですね。村松そうですね。今回はそれがすごくよく出たなっていう。こだわったと本人が言っているんですけど、ナッシングスの強みのひとつとしてあるのは、ひなっちのベースもそうですけど、とくにウブのギターリフなんですよね。ロックバンド然としていく一個の条件として、シンプルだけどかっけえ!ってなっちゃうリフ。これはロックバンドの特権だと思うんです。──ロックバンドにおけるギターリフって、ひとつの発明だと思うんですけど。村松それをあまりできるバンドっていなくて。軽くなっちゃったりとか、なんか小難しいなとか、力が抜けないみたいな。ウブはそこがすごくうまいので。その最たるものというか、進化形なんだろうなと。それくらい、こだわったと言ってましたね。──リフが生まれる瞬間に立ち会っていることも多いと思うんですけど、実際どういう感じでああいう名リフ、グッとくるリフができていくんですかね。村松多分めちゃめちゃギター弾いてるんだと思いますよ、家とかでも。事務所にも軽くスタジオがあって、ウブが毎日いるからいつの間にかウブ部屋になってるところもありますけど(笑)。そこで曲を作っているので、相当弾きまくって弾きまくって試行錯誤してだと思いますね。あとはスタジオでメンバーからのアイディアにパッと反応して、その場でゾーンに入っていくみたいなときもあるんですよね。イメージが合致するときはそれで。そうじゃないときは、ものすごい考えて構築しているんだと思いますよ。──また今作ではアレンジャーが入った曲もありますが、これはナッシングスとしては珍しいパターンですよね。村松初めてですね。「Will」ではakkinさんが入ってくれて、「Dear Future」と「Freedom」はNaoki Itaiくんが入ってくれたんですけど。ふたりともちがうタイプの音楽家だったんですけどいい相乗効果があったなと、僕ら的にも勉強になりましたね。俺たちの気づかないところの繊細さがあるというか。ふたりのカラーもきちんとあって、中途半端なアンサーが返ってこなかったので。大喜多おもしろかったよね。村松僕らもがっちりバンドとして固まってしまっているので。自分らのなかで答えは出せちゃっていたりするんだけど、それをものすごく噛み砕いて進化させてくれた気はしますね。バンドのカラーにももちろん合わせてもらえただろうし。あとは自分らにも合っていたのかもしれないですね、ふたりのカラーが。大喜多「Will」とかは、僕らだったらもっと変態的なところに落ち着く感じがあったと思うけど、その手前ですごくきれいにしてくれるみたいな印象が多かったよね。村松Itaiくんも基本的にはakkinさんと一緒で、イメージとしてはすごく整理してもらった感じですね。あいうえお順に本を並べてくれるじゃないですけど。ものすごい音を詰め込んでいるし、ものすごいラウドだったりするんですけど、詳しく聴くと一個一個の音の働きが見えてくるというか。これも俺ら的にはすごく勉強になったなと思いますね。Itaiくんのカラーが今時というか。大喜多音が、ガラスみたいな硬質な音でね。村松そこは俺たちがどんなに追求しても更新され切ってない感覚があると思うので。そこに触れたなという感じでしたね。──今後への可能性しかないというメジャーとのタッグにしても、バンドとして初めて第三者のアレンジャーを迎えてサウンドをアップデートすることにしても、柔軟でないとなかなかできないことですよね。村松いや、逆なんですよ。独立して、事務所を立ち上げてからの5年間、俺らとしてはスタッフふたりといろいろ話し合いながらやってきて、そのなかで自分らがアップデートしてきたつもりだったんですけど。そこから先どうやってアップデートするのか、俺たちも相当凝り固まってるのはわかっていたんですよね。それを自覚した上での選択だったんですよね。──そのすべての選択がいい着地をした、まさに最新形のEPだと思います。武道館公演時にすでにツアー『BRIGHTNESS TOUR』も発表されていますが、15周年を終えてもリリース、ツアーとノンストップで加速していく感じですね。村松止まらないですね。武道館はあくまで点で、ファンへの感謝という思いだったから。そこから先につなげたいよねという気持ちが常にあるので。ツアーもしたかったですしね。ここ数年コロナ禍でだいぶフラストレーションが溜まった状態で、俺たちも実質活動休止みたいな時間もあったし。早くツアーに出たいっていう。僕は本当は47都道府県回りたいですけどね──。大喜多大変(笑)。村松寄りそうというよりは、鼓舞して前に進む力になってもらえる作品になったと思うので、ライブをぜひ観てほしいですね。とにかく曲がいいので今回は。それを生で体感してもらえたら、めちゃめちゃうちのバンド好きになってもらえるなと思うので。損はさせないので、まずはライブに来てほしいです。ぴあアプリ限定!アプリで応募プレゼント★サイン入り色紙を3名様にプレゼント!【応募方法】1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。こちら(OnelinkのURLを貼り付け) からもダウンロードできます2. 「ぴあアプリ」をインストールしたら早速応募!<リリース情報>Nothing’s Carved In Stone 新作EP『BRIGHTNESS』発売中Nothing’s Carved In Stone『BRIGHTNESS』ジャケット●初回限定盤【CD+DVD】3,960円(税込)●通常盤【CD Only】2,200円(税込)【収録曲】1. Blaze of Color2. Bright Night3. Will4. Dear Future5. Freedom6. Challengers7. SUNRISE【DVD収録内容】※初回限定盤のみ■『Live on November 15th 2022』01. November 15th02. Spirit Inspiration03. 白昼04. Idols05. Spiralbreak06. ツバメクリムゾン07. 9 Beat08. Brotherhood09. Midnight Train10. Walk11. Damage12. Fuel13. Milestone14. In Future15. Like a Shooting Star16. Beginning17. Out of Control18. The Silver Sun Rise Up HighNothing’s Carved In Stone「Will」MV購入リンク:<ツアー情報>Nothing’s Carved In Stone『BRIGHTNESS TOUR』5月19日(日) 神奈川・Yokohama Bay Hall5月25日(土) 香川・高松MONSTER5月26日(日) 愛媛・松山WstudioRED6月1日(土) 福岡・DRUM LOGOS6月2日(日) 長崎・DRUM Be-76月8日(土) 鳥取・米子laughs6月9日(日) 岡山・CRAZYMAMA KINGDOM6月15日(土) 愛知・名古屋DIAMOND HALL6月16日(日) 山梨・甲府CONVICTION6月22日(土) 長野・長野CLUB JUNK BOX6月23日(日) 石川・金沢EIGHT HALL6月28日(金) 北海道・札幌PENNY LANE246月30日(日) 宮城・仙台Rensa7月13日(土) 大阪・GORILLA HALL OSAKA7月15日(月・祝) 東京・Zepp DiverCity(TOKYO)チケット情報:()オフィシャルサイト:
2024年05月15日芸能生活50周年を迎える由紀さおりが、2019年1月に『由紀さおり 50周年記念公演』として芝居(1部)と音楽(2・3部)という3部構成のステージを上演する。由紀に話を聞いた。【そのほかの画像はこちら】1部の“女優・由紀さおり”としてのステージはオリジナル作品『下町のヘップバーン』(脚本・演出:堤泰之)。由紀のほかに篠田三郎、久住小春、重田千穂子、渡辺正行が出演する喜劇で、1960年代の下町の食堂を舞台に、由紀がその女店主“下町のヘップバーン”を務める。由紀の希望で“喜劇”そして“下町の食堂のおばちゃん”役となった本作。「新しい年を笑って始められる作品にしたくて喜劇をお願いしました。下町のおばちゃんを希望したのは、新しい由紀さおり像のようなキャラクターを作ってもらいたくてです」。50周年の節目に“新しい由紀さおり像”を演じるのは「今までやってきたことではなくて、なにか新しい切り口のものを皆さんに観ていただきたくて。来年はそういう年にしたいんです」。芝居が「大好き」という由紀。「お客さんのお反応は怖いですが、自分を勇気づけてくれるものだから。どこまでやれるかは心配ですが楽しんでやれたらいいなと思います」2・3部の“歌手・由紀さおり”としてのステージは、『新しい幕があがるとき』(構成・演出:下山啓)。2部でヴォーカルグループのベイビー・ブーと共に、3部では日替わりゲストである林部智史、パク・ジュニョン・川上大輔・中澤卓也、松原健之、中川晃教という多彩な若手歌手と共に歌声を届ける。「普段歌ったことのないような曲も歌いますよ」と言うが、50周年のステージをベストアルバム的な構成にせず挑戦をすることを聞いてみると「大変です」と笑いながらも「慣れたものをやることも大事ですが、手慣れたものに自分が溺れると“惰性”になっちゃうから」。「それに『夜明けのスキャット』も『手紙』も慣れてはいるけど、それはラクに歌うこととは違う。いつも新鮮な思いで歌わないとダメだと思っています」と語る。豪華なゲストとの共演は「うまく溶け合えればいいなと思いますね。そこは怖い部分でもあるけれども楽しみなことのひとつです」「半世紀歌ってきて、自分の楽曲は財産としてこれからも大事にしていきたいと思いますが、それを食いつぶしていくような人生は嫌だなっていうのが今の私です。いい歳頃になってもチャレンジできることがあるのではないかと思います。今までがあるからこそ、このお仕事をちょうだいできたわけだけれども、その先に“見たこともない私”がいることを、お客様に見ていただけるお芝居であり歌のステージにしていきたいです」。公演は2019年1月6日(日)から20日(日)まで東京・明治座にて上演。チケットは現在発売中。取材・文:中川實穗
2018年12月07日『夜明けのスキャット』などでミリオンセラー。その後も童謡ブームを作り、「ジャズ」で世界的ヒットを飛ばすなど、新しい分野で評価を得てきた、由紀さおりさん(69)。今は日本のみならずアジアの子どもに童謡を歌い聞かせる日々。70代も、新たな挑戦が続くーー。 「おはようございます。よろしくお願いいたします」 4月3日、都内のホテルのラウンジに現れた由紀さんは、凛とした和服姿だった。「昨日、ミャンマーから帰国しましてね」と、席に座るなり、話し始める。 「イオンさんのアジアの国々の学校建設を支援する活動に、姉妹で参加させていただいているんです。ラオスやカンボジア、ミャンマーなど、これまで9年間で14校の開校式に参加して、『ふるさと』や『赤とんぼ』など、日本の歌を現地の言葉で歌ってきました」(由紀さん) 目を輝かせ、アジア各地での“冒険”を話す由紀さんは、楽しそうだ。 「あまりに田舎で、片道5時間の悪路を車でひた走ったこともありますよ。機材がなくて、電池1個買うのにも片道2〜3時間かかるような山の上に学校があったり。機材があってもセッティングの仕方がわからず片側にスピーカーが2個、置いてあって。私と姉(安田祥子さん・76)と通訳さんのマイクが3本もあるとハウリングして使い物にならなかったり(笑)」(由紀さん) 疲れも見せずに話し続けるそのパワフルなテンションは、海外から帰国したばかりだとはとても思えなかった。 「元気?そうね。すごいでしょ。北海道でも福岡でも、日帰りで全然、平気。その日に入って、歌って、その日に帰ってくるんです」(由紀さん) ’69年、『夜明けのスキャット』でデビューした由紀さおりさん(69)は、常に芸能界の第一線を走り続け、70代に突入しようという今もエネルギッシュだ。 同じレコード会社の後輩で演歌歌手の坂本冬美さん(51)も、彼女のパワーには、「まったく、かないません」と、舌を巻く。 「由紀さま(大先輩に敬意を表して坂本さんは由紀さんのことをこう呼ぶ)は超真面目で超ストイック。エネルギーとバイタリティにおいて、女性では由紀さまが一番だと思います。いいお声をキープすることを常に考えていらっしゃいます。それも、1〜2年のことではなく、10年先を見通したスタンスなんです。普通の努力では、50年も活躍できません。人の何倍、何十倍と努力された結果が、由紀さまのあのお声やスタイルなんだって思います」(坂本さん) そう、由紀さんは来年、デビュー50周年を控えている。 「ただ、もう50周年記念というようなイベントは、やりたくないの。50周年なんて私だけのことであってお客さまには関係ないですから。今までは今まで。これからがまた勝負。また全然違った“由紀さおり”を皆さまにお見せしたいと思っています」(由紀さん・以下同) 由紀さんの視線はいつも、過去より未来に向かっている。 初めての童謡コンサートは’86年。CDを会場で手売りするなど、手づくり感満載のコンサートのチケットはまたたく間に完売。大反響だった。 童謡ブームが巻き起こり、7年目にはアルバム売り上げが100万枚を超え、’95年、ニューヨークのカーネギーホールでの童謡コンサートも実現した。童謡で成果を出してからも、由紀さんは新しい自分自身を模索し続けてきた。 「デビュー40年目のときには、やはり最後は、歌謡曲にもう一度、チャレンジしないと、悔いが残るなぁって思っていたんですよね」 スタッフが「YouTube」で、由紀さんの「天使のスキャット」B面の曲を歌うアメリカのジャズ・グループ、ピンク・マルティーニの動画を発見したのは、そんなころだった。その動画を40周年コンサートで使いたいとメールをしたことから、縁ができた。 ’11年、ピンク・マルティーニが東日本大震災の被災地支援のチャリティライブをオレゴン州で企画しているのを知ると、由紀さんも現地へ飛んで、参加。そこから、一気に、ピンク・マルティーニとのコラボ・アルバム制作が進む。 「リーダーのトーマスが、オレゴンのスタジオを押さえてくれて。最初は、『もうちょっと低く歌って』って、そればかり。でも、そこで初めて低音部で歌う私のよさが引き出されたんですね」 何歳になっても、音楽で成長できることは驚きだった。こうして完成したコラボ・アルバム『1969』(’11年10月発売)は、全米iTunesジャズチャート1位、カナダiTunesワールドチャート1位など数々の記録を打ち立てて、世界的なヒットとなった。 由紀さんは、昨年から新しい自分をつくるための「10年計画」を実行に移していた。 「長唄をやっていた母の影響で、三味線を習ったんですけど、上達せずに挫折したままだったから、再チャレンジです。和服も、もう少し似合うようになりたいから、お稽古は和服で通っています。10年たったら、おまえ、いくつだよって笑っちゃうけど。でも、年は関係ないのよね。楽しいことをやっていく」 70歳になっても、80歳になっても、自分のやるべきことを楽しく続けるうちに、また、新しい自分に出会える。 「何があっても自分の可能性を信じられるっていうのがベースにあります。だからもう焦るということはないなって思ったんです。いつも私に似合う風が吹くわけではない。自分に似合う、自分の風が吹くのをどうやって待つか。若いときは、それが焦りになったけど、今はね、ジタバタしても仕方ないと思えるから」 淡々と自分の風が吹くタイミングを待ちながらも、同時に、引退時期を考えていると、サラリと言った。 「歌には、やっぱりある種の完成度がないと、自分で納得できないから。声の問題、体の問題と向き合って、コントロールが利かなくなったら、自分で自分に引導を渡したい。お墓だって、父母の墓は兄が見てくれていますし、私は散骨してほしいタイプ。夫も子どももいないし、一代でしっかり終わればいい。潔く!」
2018年05月14日「初めて音を合わせた時にビビビッと電流が走るような快感、直感があった」。そう語るのは、超絶かつ繊細なテクニックで国内外にファンを持つピアニスト、中村天平だ。解体業などを経験しピアニストへという異色の経歴をもち、Tシャツ姿でのプレイや、“平成の寅さんツアー”と称し全国行脚を行なうクラシック界の異端児の心を掴んだのは、フュージョン界の鬼才ドラマー、山本真央樹。このふたりが、白熱した音の会話を繰り広げる新ユニットが、天平&真央樹である。天平&真央樹 チケット情報「元々Neo Resistance Quartettoという弦楽器も入ったバンドを一緒にやっていて。そこでは、クラシックとロックとモダンとを混ぜた、聴きやすい音楽がコンセプトで。作曲時にドラムのフレーズも打ち込みで作って、“こういうイメージで”と伝えていたんです。今回はあえてドラムのフレーズを作っていないんです。真央樹くんの想像力を信頼しているし、面白いものが出てくるんじゃないかなっていう。ピアノもドラムもここでしかできないことで、ひとつの究極を目指していくのが天平&真央樹でのコンセプト」(天平)「天平さんのプレイは、ピアノのソロなのに打楽器的なんです。最初に合わせた楽曲“火の鳥”も、ドラムの音が聞こえてくるからその場でパッとできたんです。僕はドラムというひとつの楽器担当という意識はあまりなく、今作も、ピアノから聞こえてくる音を自分で譜面に昇華していって。ここはこうしたらもっとカッコよくなるんじゃないかってアイディアを出し合いながら、トータルな意味で音楽を完成させるスタンスでした」(真央樹)1stアルバム『kaleidoscope』は、“万華鏡”の意味通りに変幻自在な音の世界が広がる。代表曲「火の鳥」などはプログレッシヴな曲だが、複雑さに重きを置いた曲ではない。どの曲もドラマに満ち、プリミティヴな感動を呼び起こす。「曲を作るときには、心の動きが大事。変かもしれないですけど、僕は、傷ついてなんぼだと思っているんです。傷つくのを恐れて、危険な道を避ける人たちが大多数だと思うんですけど。僕はあえて、挑戦する道を選ぶというか。心の振れ幅も大きなものを得られるし、それが曲の原動力になっていますね」(天平)12月には初のライブツアーを東京・大阪・名古屋で開催する。会場はクラブクアトロ。ふたりの熱と汗を間近で感じられるライブを楽しみにしたい。「アルバム『kaleidoscope』の10曲だけでなくて、新曲も引っさげていきたいので。集中力、爆発力、熱量がトップに上ったツアーになると思います」(天平)取材・文:吉羽さおり
2017年08月01日島袋寛子が12月23日(水)より、ソロライブを開催。同公演への意気込みを語った。【チケット情報はこちら】今井絵理子とともに、新ユニットERIHIROを組み、シングル『Stars』をリリース。さらにミュージカルへの出演と充実した2015年を過ごした彼女。ソロライブは大阪・東京それぞれ昼夜2回行われる。クリスマス・シーズン恒例の、彼女からのギフトというべきライブだ。「大人のゆったりとした空間でジャズを、といっても、わたしがジャズプロジェクトCocod’Orをはじめたのは20代前半で、ジャズは好きだったけれども歌い込んできたところではないところのスタートだったので。ジャズを聴いたことがない人も、わたしが歌うことで聴きやすくなったり、みんな一緒にスタートしましょうという気分ではじめたんです。それがもうアルバムを3作もリリースさせてもらって。今回はいつも一緒にやっている、気心の知れたバンドメンバーと作り上げていくライブなので、自由で、腕の立つ方々だから、きっとリハーサルともまったく違う音になったりもすると思うんですが(笑)。音楽を楽しむというところで、バンドメンバーと一緒に作り上げながら、わたしなりの音を追求できたらなって」とライブへの意気込みを語る。ライブに対して、現在の心境について「今、変なこだわりがないんです。ソロをはじめた頃はSPEEDっぽくならないように楽曲を選んだりもしましたし。J-POPはもちろん、沖縄の楽曲やジャズ、EDMやERIHIEOもあったりと、そのつど、望まれるものや自分が望むものをやってきて。“お前のジャンルは何なんだ”と言われて、悩んだこともあったんですよね。でも色々な事をやってきてよかったなと思っているんです。ここからまた自分のスタイルみたいなものを自分で削り出していくんでしょうね。年齢は関係ないと言いつつも、30代になって今までにない感覚があるんです。振り返るものが増えたんでしょうね。デビューしたての頃は、振り返るものもなければ生き方もわからないけれど、今はいろんなものを観て、経験して、自分のなかにもいろんな感情があって、いろんな自分を見てきた。ここからかなと思ったりするし、すごくフラットなんです」と語った。「ジャンルを掘り下げていくのは大事ですけど、わたしは、歌はもともと自由なもので、祈りだと思っている」。そう語った彼女。凛とした、それでいてリラックスした歌の精神を、今回のライブではじっくりと見せてくれそうだ。チケット一般発売に先がけて、ぴあでは先行抽選プレリザーブを実施中。受付は11月5日(木)昼12時まで。取材・文:吉羽さおり■「HIROKO SHIMABUKURO LIVE 2015 “Kiss&Hug”(ハートマーク)Cocod’Or」12月23日(水・祝)松下IMPホール (大阪府)12月28日(月)NEW PIER HALL(東京都)
2015年11月02日NOISEMAKERが5月15日に東名阪ワンマンツアー「NEO TOUR 2015」のファイナルを東京・渋谷club asiaで開催した。【チケット情報はこちら】メジャー移籍第1弾ミニアルバム『NEO』を引っ提げて行われた同ツアー。この日の公演はチケットがソールドアウト。会場内は、みっちりと詰まったオーディエンスの熱気とライブへの期待感で、早くも温度が上昇、汗が止まらない状態だ。そんなフロアにまず響きわたったのは、ミニアルバムのオープニング曲である『Heads and Tails』。冒頭から高揚感たっぷりのシンガロングで盛り上がる、強靭でヘヴィなナンバーだ。声を張り上げるオーディエンスに、フロントマン・AG(Vo)は、“もっと聴かせろ!”、“歌え!”と腕を振り上げてフロアの一体感を高めていく。間髪いれずに、続く『Her Diamond』でも、YU-KI(B)のうねるベースとUTA(Ds)のパワフルなドラムによる厚みあるビートで、フロアを一斉にジャンプさせ、サビの大合唱を起こす。AGは“お前らの汗、ひとつ残らず絞り出してやるからな”とオーディエンスに語りかけ、HIDE(G)とYU-KIはステージ上を躍動し、ジャンプやシンガロングをあおっていく。序盤から、アグレッシヴなバンドアンサンブルをきめながらも、フロアとがっぷり四つで組み合った熱いステージ。若手ラウドロック勢の急先鋒として勢いにのっている、現在の彼らの人気の理由をまじまじと見せつけられた。NOISEMAKERにとって今回が初めてのワンマンツアー。AGは、“(北海道)苫小牧から札幌に出て、そして東京に来て、こうして自分たちの冠でワンマンができるなんて。ワクワクで昨日は眠れなかった”と語り、さらに、“ここに立てているのは、みんなのお陰だ”と感謝した。“迷ったりすることもあったけれど、こうしてここに最高のやつらがいる、それが自信になっている”とAGはオーディエンスに語りかける。サウンドでは容赦ないほどヘヴィで、最新鋭のとがった音と馬力のある歌とラップで攻撃的にフロアをわかせつつも、MCではどこまでも泥臭く、青臭く、オーディエンスと一体になって突き進んでいるのが、AG、そしてNOISEMAKERの魅力のひとつなのかもしれない。スピーディな『KNOW YOUR BRIDGE』、そして本編はアンセム感たっぷりで、かつフィジカルに磨きのかかった『DRIFTING CLOUDS』で幕を閉じた。この後、5月25日(月)より「NEO TOUR 2015 Plus」として対バンツアーが予定されている。取材・文:吉羽さおり
2015年05月19日2011年10月に発売された由紀さおりとピンク・マルティーニとのコラボによるアルバム『1969』。1曲以外はすべて日本語で歌われたこのアルバムは、現在までに世界50か国以上でCDやデジタルで発売・配信され、大きな反響を呼んでいる。由紀さおりの情報を見る中でもギリシャでは、発売直後からCDチャート上位にランクインし、「IFPIアルバムチャート」最高位6位を獲得した。発売元であるEMIギリシャでは、マーケティング担当者自身が由紀さおりの声の美しさに興味を持ち、とりわけ収録楽曲の『夜明けのスキャット』のメロディに魅かれ、日本に同曲のリミックスの制作を打診。この予想もしていなかった反応と、なぜギリシャで? という日本側の困惑をよそに、EMIギリシャの担当者がギリシャ出身のエレクトロ・ポップ・デュオ、Marsheaux(マルソー)に『夜明けのスキャット』を聴かせたところ、彼女たちもこの楽曲の魅力にはまり、今回のリミックス『夜明けのスキャット(Marsheaux remix)』が誕生した。当初はEMIギリシャが、国内のラジオ局でオンエアしてもらうためのプロモーション目的で制作されたこの『夜明けのスキャット(Marsheaux remix)』だが、この楽曲の新たな魅力を紹介すべく、世界50か国以上での配信が決定。ギリシャでは2月20日(月)から、日本でも2月22日(水)より、主要配信サイトでの配信がスタートする。実は、由紀さおりとギリシャには不思議な縁がある。1969年3月に『夜明けのスキャット』でデビュー後、同じ年の6月29日にギリシャの首都アテネの「アテネ・スタジアム」で開催された歌の国際フェスティバル「第2回 歌のオリンピアード」に日本代表として出場、2枚目のシングルとなる『天使のスキャット』を歌い、最優秀歌唱賞を受賞していたのだ。当時、由紀さおりは「シンプルで覚えやすい点が受けたようです」と語り、この43年ぶりのギリシャとの不思議な縁に、関係者も驚いている。
2012年02月03日