初めての妊娠で生まれた娘は、両家にとって初孫でした。強面であまり笑うタイプではなかった義父が、孫が生まれると同時に親である私たちがびっくりするほど変化しました。目に入れても痛くないほど溺愛し、一気に孫フィーバーしたときの体験談を紹介します。 妊娠中の義父のこと 夫と結婚後、義母は穏やかな性格の人だったため、問題もなく良好な関係を続けていました。一方で、義父はもともと強面で、あまりニコニコしているタイプではありません。そのため、少し距離を感じていた私。娘を妊娠したときに報告をした際も、義父は喜ぶどころか私たち夫婦がまだ若かったため、今後の生活の心配ばかりしていました。また、妊娠初期はつわりがひどかったため、義父とはほとんど関わっていませんでした。 やっとつわりが落ち着き、体調が良くなったときにはおなかも大きくなっており、そのころから義父の様子が少しずつ変わっていきました。おなかの中の子を気にして、何度も様子を聞いてくれて、生まれるのを楽しみにしていたようです。出産準備の買い物にも一緒に行きましたが、「孫のため」と張り切ってなんでも買ってくれたのでとても助かりました。 なかなか来ない陣痛大きな問題もなく妊娠期間を過ごし、出産予定日の月になりました。両家の初孫だったこともあり、みんながおなかの子に会えるのを待ちわびていました。ところが、出産予定日が来ても生まれる気配がありません。その間も何度か義母から連絡が来ていましたが、変化はないまま。出産予定日から1週間が経過したとき、おしるしがありました。私も夫も、わが子の誕生を楽しみにしていたので、あと数日でやっと会えるのかとうれしくなりました。 仕事中の夫へ「おしるしが来たよ!」と連絡し、私は里帰り中の実家でゆっくり過ごしていました。その後、1時間くらい経つと、なぜか出産する予定の産院から電話がかかってきました。その日は健診もなかったし、驚いて電話に出ると「生まれそうなの? 大丈夫? 一旦診させて」と言われました。なぜかと聞くと、義父が産院を訪れていたのです。おしるしがあるとすぐに生まれると思ったようで、孫に会える楽しみからか仕事を抜けて「うちの孫が生まれそうだ」と病院に駆け付けたとのこと。 「一応診察しましょう」と産院に呼ばれたものの、「まだ陣痛もないし、もう少しかな」と言われ、実家へ戻りました。そして、出産予定日から9日経過し、無事陣痛が来ました。また義父が産院に来ても困ると思い、ギリギリまで夫にも連絡せず、実家で耐えていた私。陣痛の間隔も短くなり、病院に行くともうすぐ生まれると言われたので、慌てて夫を呼び、その後無事出産しました。義実家にも出産したことを連絡し、深夜だったこともあってその日は眠りにつきました。 初めての面会出産後、面会時間になると早々に義両親が訪れました。義父は初めて見るようなやさしい顔をして、赤ちゃん言葉で「じいじでちゅよ~♡」と言って、何度も写真を撮影。あまりの変貌ぶりに驚きました。退院後、里帰り中も毎日「写真や動画を送って」と連絡が……。 出産直後のわが子は小猿のようでしたが、わが子なのでかわいいと思う私たち夫婦に対し、義父は「世界で一番かわいい。こんなかわいい子見たことない!」と親ばかならぬ、“じじばか”がさく裂。その後も送った写真には、ハートのスタンプや、「かわいすぎ!!!」といったコメントで加工された写真が届き、親以上の溺愛っぷりでした。 LINEのプロフィール写真ももちろん孫とのツーショット。毎週末には連絡が来て、会いに行ったり来たりしていました。その後も「この子は絶対美人になる!」と豪語し、いつの間にか義実家やわが家は義両親が買い与えたおもちゃだらけになりました。義父の娘の結婚式のときには、「主役は○○ちゃん(私の娘)だからね!」と謎発言。毎日寝る前に「○○ちゃん~♡」と孫の名前を呼びながら寝ているほど、義父は娘を溺愛してくれています。 孫が生まれ、かつて見たことがないほど溺愛している義父。あまりの孫フィーバーっぷりに、私は親ばかになりすぎず、冷静でいられました。娘も親だけではなく、親以上に義父母にも大切にされており、今のところ素直な良い子に育ってくれているのでありがたいです。目に入れても痛くないほどかわいい孫のようですが、甘やかしすぎる義父母なので、娘がわがままにならないようメリハリをつけて育てていきたいです。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:金本ゆきこ4歳と2歳の姉妹の母。学生結婚をし、出産後に専業主婦を経験。育児を満喫しながら、新たな働き方のできるライターへ転向。自身の経験をもとに記事を執筆している。
2021年01月01日現在5歳になる娘は、食べやすいように工夫をしても手作りの離乳食をほとんど食べてくれず、私は本当に悩んでいました。レトルトの離乳食なら比較的食べてくれるけれど、できれば手作りの離乳食を食べさせたくて、使うのは最小限に留めていた私。義母が作った煮物も食べない娘にイライラした義母から言い放たれたひと言は、4年経った今でも心のどこかで許せずにいます。 発育は順調生後1カ月からずっと完全母乳で育てた娘。母子健康手帳に載っている成長曲線の平均値よりも常に身長も体重も上回っていたので、発育は順調でした。ただ、生後5カ月から始めた離乳食はなかなか進まず……。 離乳食中期になっても、娘はおっぱいばかり欲しがり、離乳食は食べても1口か2口だけ。保健所の栄養相談で栄養士さんに相談しても、「発育は順調だからあとは気持ちの問題。本人が食べたいと思えるまで気長に待ちましょう」と言われていました。 保育園入園までのタイムリミット娘が食べたいと思えるまで気長に待とうと思っていたものの、生後11カ月から保育園に入ることが決まっており、焦っていた私。 完全母乳で育てた娘は育児用ミルクはおろか哺乳瓶で飲むこと自体を拒否していたので、このまま育児用ミルクも飲めず離乳食も食べられないままで入園させたら、おなかが空いて栄養失調にならないか本当に不安でした。 離乳食を少しでも食べてもらいたい私は、毎日食材や固さ、味つけ、形を変え、試行錯誤しましたが、娘はことごとく拒否。 レトルトは好きレトルトの離乳食は味も固さも赤ちゃんの月齢にぴったりな状態になっているから、たまにならあげてもいいと保健所の栄養士さんからアドバイスを受けていました。そこでレトルトの離乳食も試してみたところ、珍しくパクパクと食べる娘。毎回とは言わないものの、レトルトの離乳食なら完食する日も。 それでもいくら食べてくれるからといって、毎日レトルトの離乳食ばかりあげ続けることには抵抗がありました。レトルトの離乳食をあげるのはおでかけのときだけにして、自宅では毎日手作りの離乳食をあげ続けていました。 「食べないなら無駄」手作りの離乳食をほとんど食べてくれないまま迎えたお正月。家族で義理の実家に泊まりがけで帰省しました。義母が娘にお手製のかぼちゃの煮物を出してくれましたが、断固拒否。申し訳ないとお詫びしながら、レトルトの離乳食を食べさせると2口、3口とパクパク食べる娘。 日ごろ私の作った離乳食もあまり食べないことを夫が伝えると義母はイライラしながら「作ったって食べないなら無駄なんだから、毎日レトルトでいいじゃない!」と言い放ちました。あまりの剣幕に、言葉の意味はわからないはずの娘も号泣。無駄というひと言は、試行錯誤を重ねてきた私自身を否定された気がして、悲しくて何も言い返す言葉が出てきませんでした。 幸い保育園に入園してから娘は今まで食べなかったのが嘘のように離乳食をたくさん食べてくれるようになり、本当に安心しました。手作りの離乳食を無駄だなんて言ってほしくなかったと、4年経った今でも心のどこかで許せずにいますが、義母にとって娘は初孫。今思えば義母も、かわいい孫のために前の晩から一生懸命作った煮物を食べてもらえなかったことが悲しかったのかもしれません。かわいい孫を思う義母の気持ちにも寄り添って、良好な関係性を維持していきたいと思っています。 作画/はたこ著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月25日この記事では、ママが体験した、孫を溺愛する義父母の至れり尽くせりエピソードを紹介しています。どんなことに気をつけて義父母と良い関係を築いているのか、どんな風に孫を溺愛しているのかなどについて教えてくれました。 息子が生後10カ月ころから、私が仕事に行くときは義実家で預かってもらっていました。その義実家では、孫を溺愛する義父母がさまざまな神対応をしてくれたんです。周りのママ友からもいつも羨ましがられるほどだったので、今回はそのエピソードを紹介します。 おむつも離乳食もお任せ!最初に義実家で息子を預かってもらうことが決まったとき、「おむつを用意して離乳食も作って渡しておけば良いのかな?」なんて考え連絡すると、義母が「仕事もあるんだから何も用意しなくていいわよ」と言ってくれて驚きました。さらに「おむつはどのメーカー? サイズは?」「離乳食は何が好き?」と聞いてくれて、事前にいろいろと準備してくれていました。そして、息子を車で送り迎えしてくれていたのですが、何も言わずに専用のチャイルドシートも用意してくれていました。本当に私は見送るだけで、申し訳ないくらいでした。 キッズスペースは私よりも詳しい 最初は泣いていた息子も、快適な義実家の暮らしに慣れて、じいじ・ばあば大好きっ子になっていきました。義父母は、自らスマホで子連れスポット情報を検索し、毎日いろいろなキッズスペースなどに連れて行ってくれました。私も息子とお出かけするのが好きでしたが、知らなかったキッズスペースなど、逆に学ばせてもらうほどでした。「今度は新しくできたキッズコーナーのあるカフェに行ってくるね~」なんてメールがくることもあって、いつも息子を喜ばせようと考えてくれているのが伝わってきてうれしかったです。 義実家に専用服コーナー着替えを持たせようと思っていたら、「手ぶらでいいのよ~」と言ってくれたため、いつもお言葉に甘えてそのまま預けていました。肌寒くなってきた時期に、そろそろコートを持たせようかなと思って聞いてみると、「もう公園へ行くための専用アウターを用意してあるわよ」とすでに準備済み! 私としては、義父母にも楽しんでもらいたいという想いもあったので、あえて義父母の方針には口を出さず、着替えやアウターまですべてにおいてお任せ状態でした。それがよかったのか、とても良好な関係を築けています。あるときは、「アウターは元気が出る赤いカラーを選んでみたの! また公園で着ている写真を送るからね」と服選びをとても楽しんでくれている様子のメールが届き、私も安心していつもお任せすることができました。 「こんなに私は任せっきりで良いのかな?」とも思いましたが、すべてをお任せしたことで、義父母も孫育てを楽しんでくれました。現在、息子は保育園に通っていますが、たまに義実家に預けるときは大喜びで出かけて行くほどです。 イラスト/sawawa著者:横田みお3歳と1歳の男の子の母。美容師の資格を取得後、ヘアカラーリスト・アイリストとして活動。結婚と出産を経てライターに転向し、主に美容の専門知識や子育ての記事を中心に執筆。
2020年12月05日頼れる親がそばにいてキャリアを積むことができた義母と、頼れる人もなく夫と二人三脚で育児をしている私の相性はよくありません。赤ちゃんを産む前から相性の悪さを感じていましたが、赤ちゃんが生まれたあとは余計イライラ……。義母に対して不満を抱いた出来事を紹介します。 産後すぐに「いつ働くの?」私は学生結婚で、若くて体力があるうちに結婚できたメリットを生かそうと22歳で妊娠、23歳で出産しました。そのため、正規雇用で働いた経験はありません。そのことを義母は良く思っていなかったようで、産後は何かにつけて「いつ働くの?」と聞いてきました。 私もその言葉に焦りを感じ、産後1カ月半で高校教師の仕事に就いたのですが、結局体を壊す羽目に。もっと私の体のことも考えてくれたら……と今でも恨めしく思ってしまいます。 催促の嵐! 「写真と動画ちょうだい」 多忙な仕事に就いた私は、子どもとの触れ合いと仕事との両立に四苦八苦する日々を過ごしていました。そんな私のもとに義母からよく連絡がきていたのですが、その内容のほとんどは「孫の写真と動画を送って」というもの。私は限られた時間のなかで、携帯のレンズ越しではなく、直接子どもと触れ合いたいのに……とイライラ。 私の気持ちを伝えても、「遠方にいて会えないから」と催促する義母。イライラが募って、結局着信拒否するまでに至りました。 子どもの写真を勝手にSNSにアップ義母からの電話を着信拒否したあと、過労で倒れて寝込んだ私。調子がいいときはネットサーフィンをして気を紛らわせていたのですが、あるとき義母のSNSを発見しました。 すると、許可もしていないのに私の息子の写真がアップされているではありませんか! これには怒り心頭で、すぐにすべての投稿を消すよう夫から義母に伝えてもらいました。あまりのメディアリテラシーのなさにガッカリすると同時に、今思い出してもイライラしてしまうほどの出来事でした。 遠方に住んでいても、とやかくうるさかった義母ですが、夫を介して連絡を取り合うようになって、ようやく少し落ち着きました。義母との距離を程よくとるということは、とても大切なことだと感じました。 イラスト/(c)chicchimama著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2020年11月30日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りに来たり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ!と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ!と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻ったあともモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、ひとつだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせていたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ!とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかなとも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2020年11月23日現在2歳の娘は、卵と乳のアレルギーがあります。病院での負荷試験などを経て、今は少しずつ卵も乳製品も食べられるようになってきましたが、1歳のころはまだどちらも一度も口にしたことがありませんでした。そんななか、義実家に出かけたときに義母が娘に乳製品を与えてしまうという事件が発生しました。 アレルギーへの理解が低い義母娘は生後6カ月までには病院で血液検査を受け、卵と乳のアレルギーがあることがわかっていたので、早くから義実家には何度もアレルギーのことを伝えていました。しかし、義母が娘にくれるお菓子がアレルゲンを含む物ばかりだったり、一緒に食卓を囲んだときには娘のすぐ近くにアレルゲンを含む食べ物を置いたりして、義母はアレルギーへの意識が低いと感じてしまうこともしばしば。 それでも、その都度「これはダメです」と私が注意してきたので、娘が食べてしまうことはありませんでした。 目を離した隙にイチゴオレを飲ませた義母娘が1歳のとき、義実家に夫と娘と遊びに行った際、私と夫が少し席をはずしているときに事件が起きました。私が家の中に入ると、義母といた娘が「イチゴオレ」を手にして飲んでいるのです! それを見た瞬間サーッと血の気が引きました。慌てて駆け寄り、何を言うよりも先にイチゴオレを娘の手から奪いました。当然娘は大泣きですが、義母は何が起こったのかわからない顔。その義母に向かって「これ牛乳じゃないですか!」と思わず怒鳴りました。 娘は嘔吐し、すぐに病院へその後、娘には緊急用で病院からもらっていたステロイド薬を飲ませましたが、数十分後にはおう吐。この日は休日でかかりつけの病院が休みだったので、市の救急外来へ夫と急いで行きました。救急外来では抗ヒスタミン薬を注射され、そのまま安静に。数時間後に容体は無事安定。 イチゴオレを取り上げたときはまだ飲み始めで大量には飲んでいなかったこともあり、アナフィラキシーショックを起こすまでいかなかったのは幸いでした。けれどもこの数時間は本当に不安で、娘のそばにいながら私はずっと泣いていました。 これをきっかけに固くルールを決める目の前で孫が嘔吐したショックもあって、これをきっかけに義母は食品の原材料の見方について私に質問してくるなど、娘のアレルギーについて真剣に考えてくれるようになりました。 また、食べ物に関しては「私がOKを出したもの以外は食べさせない」と固くルールを設定。しばらくは義実家に娘を連れて行くのも怖かったですが、今はきちんとルールを守ってくれる義母がいるので安心して任せられます。 最初は義母にアレルギーの理解がなくても、私が目を光らせていればいいやくらいに考えていました。しかしそれには限界があるもの。もう二度としたくない経験ですが、これをきっかけに義母と意識をきちんと共有できてよかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2020年11月21日私は現在、2歳の息子と生後3カ月の娘を育てています。第一子、第二子ともに、妊娠中、義母との間に“あるトラブル”がありました。それは、子どもの名前についてでした。自分が話の中心にいないと嫌な義母義母との関係は良好ですが、夫は義母のことがあまり好きではないため疎遠です。半年に1度は会う義母。夫と私が話していても、自分のわからない話になると明らかに不機嫌に。そして、全然違う話に変えてしまい、私のわからない昔話などを始めます。 夫によると、昔からワガママで、自分の思い通りにならないと怒り出す義母だったようです。 妊娠報告後からしつこい提案私の妊娠がわかると、会うたびに、そしてメールの文末には必ず子どもの名前を提案してくるようになりました。私や夫と趣味が合えばまだ良いのですが、趣味の合わない名前ばかり……。 夫婦で「名前については候補があるので……」と言っても、結局名前が決まるまで義母の提案は継続。私もかなりストレスが溜まり、夫にも相談しましたが、「最後は自分たちで決めるのだから放っておいていいよ」と言われました。 名前が決まったとき、義母の反応は…その後、無事に出産! 義母から提案された名前を1つ候補に入れ、義母と夫で話し合い。最終的に夫婦で相談し、夫婦で考えた名前が決定しました。 私と夫それぞれから、義母にメールで報告。夫はメールや電話で義母から「決まった名前は知り合いにいるから」などやめるようにも言われたようですが、私には「おめでとう! 良い名前だね!」とメールが来ただけでした。 第二子でも…約二年後、私は第二子を妊娠しました。うれしい反面、また子どもの名前で義母と揉めるのは嫌だなと思いました。でも、性別が女の子とわかってからも、名前のことは何も言ってきませんでした。きっと義母は私たちの気持ちをわかってくれたのだと思い、安心していました。 ところが、義母は我慢できなくなったのか、出産が近づくとまた子どもの名前の候補が送られてくるようになりました。夫と話し合い、夫から義母へ「上の子のときから女の子だったらつけたいと思っていた名前をつける」と伝えたのですが、結局第二子のときも出生届を提出するまで、いろいろな子どもの名前の提案がありました。 あんなに悩んでストレスを抱えていたのに、今、義母はニコニコと夫婦で考えた子どもの名前を呼んでいます。孫のかわいさが勝ったようで、義母は子どもの名前のことについて何も言ってきません。子どもの名前をつけるのは一度きり。いろいろとありましたが、夫婦で話し合って素敵な名前を子どもにプレゼントできたと思っています。 原案/山本加奈子作画/YUDAI9℃
2020年11月18日普段は尊敬できる義母から、コロナ禍に里帰りをすすめられたママ。そのうえ予想外のサプライズ予告をされて驚き、対応に戸惑った経験を紹介しています。 義母は口数は少ないけれど、よく働く芯の強い女性です。愚痴1つこぼさず、休む間もなく仕事や家事に取り組む姿を見て、尊敬の気持ちを持っています。2020年春、新型コロナウイルスの影響ですべての予定がキャンセルに。すると、それを知った義母が、わが家から遠く離れた義実家に遊びにこないかと誘ってくださったのです。さらに、義母からのLINEメッセージを読んで言葉を失い、返答に困った経験があります。 コロナ禍に義実家に里帰りの誘い私たちは、義実家とは遠く離れた場所で暮らしています。義父母が年に1〜2回親類を訪れるついでに、わが家に立ち寄ってくださいます。義実家は遠方であるため、泊まりがけで行かなければなりません。私たち家族全員の寝床や食事を準備するのも大変だろうという遠慮があり、最後に家族で義実家を訪れたのは5年前。 そんなとき、新型コロナウイルスの影響ですべての予定がキャンセルに。私たち家族を心配してくださったのでしょうか。このタイミングで、義母が実家に遊びにこないかと誘ってくださったのです。 予想外のサプライズ予告もちろん、子どもたちは大好きな祖父母に会いに行きたい気持ちでいっぱいでした。しかし、義実家に帰って、万が一にも義父母を新型コロナウイルスに感染させてはいけません。そのうえ、義母が誘ってくれたのは、政府が不要不急の外出自粛要請をしている時期。とても今里帰りをするのが良いタイミングとは思えませんでした。 失礼のないように断るにはどうしたら良いのか考えていた矢先、義母から私へLINEメッセージが届きました。そのメッセージには、「〇〇(私の名前)ちゃんは(義実家に)くる? くるならサプライズ準備するけど」と書いてあったのです。 里帰りはまたの機会にメッセージを読んだ瞬間びっくり。そして、すまし顔でメッセージを送る義母の顔を想像して笑ってしまいました。私の誕生日が近いことを覚えていて、お祝いしようと思ってくれたようです。悪気なく本人にサプライズ予告をしてしまうとは、義母が実は天然キャラだと知った瞬間でした。 その気持ちはありがたいのですが、今回義実家に行くとまるでサプライズを要求しているみたい……とさらに行きづらく感じてしまいました。「今は政府の自粛要請があるから」との理由で、里帰りをお断りすることに。子どもたちは残念がっていましたが、義父母に新型コロナウイルスを感染させないためだと説明すると納得してくれました。 義母がたまには私たち家族に里帰りしてほしいと願っていることを知り、ありがたく思いました。また、日頃義母に感謝を伝えていなかったことにも気がつきました。状況が落ち着いたら義父母の負担にならない方法を考えて里帰りをしたいと思います。 著者:杉田彩香自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月17日食物アレルギーのお子さんを持つママが、アレルギーに理解がなく勝手に食べ物をあげてしまうお義母さんに困ってしまったという体験談を紹介しています。体験談のママは、現在もアレルギーを理解してもらおうと頑張っているそうです。現在1歳の息子をとてもかわいがってくれる義母ですが、アレルギーの怖さを理解せず食べさせたことのない食べ物を与えようとするため、私はヒヤヒヤする日々です。少し無神経な義母との食事で困ったエピソードをお伝えします。 義母がアレルギー持ちの息子に…息子は生後9カ月のときに卵アレルギーが判明。義母にもすぐに報告をしました。義実家で食事をする機会も多く、息子の離乳食を作ってもらったこともあったので、「今は卵を食べられないので、少しずつ慣れさせていきます」と伝えました。義母は、私が見ていないときにまだ息子が食べたことのない海老入りのおせんべいや生の桃をあげてしまうこともありました。幸いどちらも息子の具合が悪くなることはなかったのですが、「やめてください」と伝えると、それ以来、義母が息子に食べ物を与えることはなくなりました。しかし……。やはり、義母はアレルギーの怖さをわかっていないと感じたため、すぐに夫に相談。そして「昔は不用意にアレルゲンを与えて亡くなってしまう子もいた」「勝手なことをするなら信用して息子に会わせられない」と義母にやや厳しく言ってもらいました。 義母は反省してくれたようですが、やはり義実家で会うときは子ども用の食べ物を必ず持参し、私や夫抜きで長時間息子と義母を2人にしないようにしています。 義母は息子をつらい目に合わせたいわけではなく、おいしい食べ物を一緒に食べたいのだと思いますが、「ちょっとだけ」が重篤な結果を招くこともあるという意識が欠けているのは事実です。現在は、毎月受診している小児科でもらった食物アレルギーに関する資料を一緒に見たり、3カ月ごとの息子の血液検査の結果を共有することで理解を深めてもらえるようにしています。--------作画/まっふ著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2020年11月16日妊娠がわかり、義母や義父に報告をしたときの話です。私には3人の子どもがいますが、妊娠したときの反応は毎回なぜか出産することを反対するような言い方なのです。同じ母親として疑問を抱くほどの発言をされ、不信感が募ってしまった体験談をお話しします。 妊娠判明! 実父母は喜んでくれました最初の妊娠はまだ夫と結婚をしておらず、「できちゃった婚」になりました。実父母に赤ちゃんができたことを話すと、自分のことのように喜んでくれたので一安心。冬に妊娠したこともあり、「これから寒くなるからしっかり温めないと!」とか、「無理しちゃダメよ」と気づかってくれました。両親から受ける愛情の深さに、初めての妊娠でもあまり不安を感じずに過ごせそうな気がしました。 義母に報告したときの衝撃の一言私の両親が喜んでくれていたので、同じように喜んでくれると思って義母にも報告をしました。しかし妊娠したことを伝えたときの義母の一言は、「堕ろしなさい」だったのです。その言葉のあとに続いたのが「私も昔堕ろしたことがあるけど、早いうちなら体に害がないから大丈夫よ」という言葉。信じられない言葉にショックを受け、何も言えなくなった私に、義母は淡々と堕ろす手順を話し始めたのでした。 夫とはまだ結婚をしていませんでしたが、これから入籍し、産んで育てていきたいと思って2人で報告に行ったのに、まさか「堕ろせ」と言われるとは思いませんでした。私が妊娠したとき、夫はまだ社会人になったばかりで、試用期間中でした。義母は夫の仕事が続くかもわからないので、そんな状態で赤ちゃんを育てていけるのかと心配だったこともあると思います。しかしいきなりの想定外の言葉に、夫も私も戸惑いを隠せませんでした。 義母を説得してくれた夫私も夫も赤ちゃんを産んで育てていきたいと強く思っていました。義母に本当に育てていけるのか?と問われ、「何があっても俺が守る!」と最終的に夫が義母を説得してくれたのです。私は初めての妊娠で不安だらけでしたが、そのとき「この人となら赤ちゃんを育てていける」と確信しました。しかし、義母は赤ちゃんが生まれるまでは人間として見てくれないのではないだろうか……と不安になったときのことが今でも忘れられません。 現在、そのときの子どもは4歳になり、その下に2人子どもが生まれて毎日とても幸せです。4歳でもしっかりお姉ちゃんをしている娘を見て、あのとき義母に従わず堕胎しなくてよかったと心から思っています。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年11月08日生後10日ほどで高熱を出してしまった息子。念のため総合病院で検査をすることになり、近くに住んでいる義母が付き添ってくれました。付き添ってくれたのはうれしかったのですが、そこで耳を疑うひと言を聞いたのです……。 生後10日で高熱!第三子となる息子が生まれ、無事退院したのも束の間。39度近い高熱が出て、口内炎のようなものがたくさんできてしまい、哺乳もままならない状態に。かかりつけの小児科に行ったものの、まだ生まれて10日ほどしか経っていなかったため、念のため総合病院で検査してもらうよう言われました。3人目の子どもとはいえ、生後10日で高熱を出すことは初めてだったので、さすがに不安になりました。 義母が付き添ってくれることに…そのことを義母に話すと、心配だからと付き添ってくれることに。不安も募っていたため、付き添ってくれるのはとてもありがたいし、心強く感じました。 そして総合病院の小児科で検査をするべく待合室に座って待っていると、診察の順番がきたことを知らせる画面に息子の名前が表示されました。そのとき、義母が信じられないひと言を放ったのです。 それ、今言う必要ある!?画面に表示された息子の名前を見て義母が言い放ったのは、 「やっぱり、なんか格好悪い名前よね〜」 ……一瞬、何を言っているのか理解できないほど衝撃的なひと言でした。 診察を受けながら少しずつ怒りが込み上げてきて、「そう思っていたとしても、今この状況で言う必要ある!?」 と、心のなかでイライラが募りました。 検査は無事終わりましたがその日に結果は出ず、なんだかモヤモヤした1日でした。 その後、検査結果をひとりで聞きに行き、その後、息子の体調もよくなりました。 病院での一件以来も、義母はまったく悪びれた様子もなく接してきますし、孫のこともかわいがってくれています。義母の好みの名前ではないという本音が、とっさにポロっと出てしまったのでしょう。名付けたばかりでその名前を否定されるのは正直悲しいものがありましたが、状況的に私も少し気にしすぎてしまった部分があったと思います。今後はあまり細かい発言は気にせず、義母とは良い関係を保ちたいと思います。 著者:松本寛子結婚を機に地方へ引っ越し出産。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月05日いつの時代も存在する嫁姑問題。義父母と離れているがゆえの礼儀やあいさつ、同居しているがゆえの距離感や価値観の相違など、多くの問題があります。今回は、義父母と同居している私の体験から、適度な距離感で付き合うために私が心がけていることを紹介します。 1.「初めまして」から義母に遠慮しない!長い付き合いをしていくためには、少しの遠慮と適度な主張が必要だと思います。はじめから義母に合わせすぎると、同居してからつらくなることも。私の場合、結婚のあいさつのときには同居が決まっていたので、自分の考え方を事前に話しておきました。 同じ女同士なので理解できるところもありますが、合わないところはとことん合いません。そのため、無理に合わせるのではなく、共感するところは共感し、理解できないところは気にしないようにしています。 2.譲れないことは妥協しない!義母とぶつかったときにジャッジを求められるのは、わが家では夫と子どもです。私が義母とよくぶつかっていたのは、子育てについて。孫に甘い義母をどう止めるか、本当に苦労しました。何度かぶつかり合い、子育てについて義母は口出しをしないと家族会議をして決めました。 妻として、そして母親として譲れないものは、きちんとルールを決めることで干渉するラインを明確にすることができました。 3.生活リズムにメリハリをつける!義父母と自分たちの生活リズムのすべてを一緒にすると、どこまでも窮屈になります。はじめは、リビングにいる時間や食事の時間などを合わせて常に一緒にいる状態でしたが、一緒におこなうものと別におこなうものをつくりメリハリをつけることで、同居生活がラクになりました。 しかし、自分のことだけを考えてしまうと、義母にも立場や気持ちがあるので、お互いが無理のないように融通を利かせて毎日を過ごしています。 義母との関係を築くには、主張することも大切です。しかし、自分のことだけを考えていると、義母のプライドを傷付けることになります。程よい距離感を保つためには、時間と話し合いが必要でした。周りの協力と思いやりも含めて、よりよい関係にしたいですね。 イラスト/(c)chicchimama著者:手塚みく三兄弟の母。義父母と同居し、異母兄弟の母として毎日奮闘中。妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆をおこなう。
2020年10月12日義父母と同居して約10年が経ちます。正直同居がいいと思ったことは一度もありませんが、あまり干渉しないタイプの義父母なので、自由にさせてもらってありがたいなとも思っていましたし、慣れもあり同居が不快とそこまで感じてはいませんでした。家のリフォームの予定がありますが、完全に分けていいものかと迷うくらい、私自身義父母に心を開きかけてはいたのです。ある時期までは……。義母が定年退職して状況が変化夫が単身赴任になっても、時には助けてくれる義父母への感謝とともに夫がいなくてもできると、自分に自信もついてきたころのことでした。4人きょうだいの育児を経験している義母が、フルタイムで働いていた職を定年退職して家にいるようになったのです。 義母は今までしてこなかった家の掃除や片付けをし始めました。家がきれいになるのはよかったのですが、だんだんと私や子どもたちが散らかすのも気になるようになったのか、今まで指摘されなかったことまで義母はあれこれ干渉してくるようになりました。 子どものしつけにまで干渉してくるように父親不在なので、父親代わりになるべきだと勝手に思ったらしい義父が、子どもに説教することは以前から気になることではありましたが、今度は義母までもが参戦してきたのです。 義母は子どもに説教をし、そして私にも「育て方が甘い」など、事あるごとに「昔のお父さんはもっと厳しかった」などと言うように。反論できない私は黙りこむしかありませんでした。 子どもへの影響と自信喪失もちろん、義父母がいることでいろいろな価値観が学べていいとは思います。しかしながら今の義父母を見ていると、上からの押しつけにすぎない気がします。私はもっとのびのびと安心して子どもに育ってほしいのに、私が義父母の顔色をうかがっているせいか長男も少しビクビクしていることがあり、少し心配になります。 私は思うように育児ができず、やっぱりここは自分の家ではないと思う気持ちが強くなったり、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いたりしてしまいました。 義父母とは適度な距離感が大切だと改めて感じた体験でした。だからといって今すぐ別に住むこともできません。甘えすぎないように気をつけながら、なるべく家の中でも距離を保つ工夫をしていきたいと思います。また、子どもにとっては大事な祖父母だということは忘れないようにしなければと、自分に言い聞かせています。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:岡本花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月24日私の待望の第一子は男の子でした。同居する義父母にとっては初孫です。とにかくかわいくて仕方がない様子でした。息子をかわいがってくれるのはうれしいのですが、ふと義母から出る言葉が気になってしまうこともありました。今回は義母に言われてモヤモヤした体験談をお伝えします。 目に入れても痛くない“初孫”義父母にとっての初孫は、目に入れても痛くないほどの存在。度々息子を抱っこして、かわいがってくれました。積極的にお世話もしてくれて、義父母の協力にはとても感謝しています。 その一方で、義母が息子を見て放つひと言が気になってしまうこともありました。その気持ちを消化することができず、よくひとりでモヤモヤしていました。 自分の息子と孫を比べて…義母の言葉で一番気になったのは、“自分の息子(私の夫)と孫を比べること”でした。たとえば性格について。息子は活発で、とにかくじっとすることが苦手なタイプでした。そんな息子を見て義母は、「うちの息子はもっと落ち着きのある性格だった。誰に似たのだろうね……」と言うのです。 義母に悪気はないことはわかっています。しかし遠回しに、息子が私の性格に似てしまったことへの残念さ、そして落ち着きがないことへの注意に感じてしまい、とても嫌だったのです。 「こんなに落ち着きのない子は初めて」生後11カ月ごろ、ますます息子の活発さが増しました。部屋中を歩き回り、そこらじゅうの物を触ったり落としたり……。とにかくせわしないのです。 そんな姿を見るたびに義母は、「こんなに落ち着きのない子は初めて」と言います。これは、私が言われて一番嫌な言葉でした。活発なのは息子のいいところでもあります。それを息子の欠点とばかり口にする義母が気になって仕方がありませんでした。 7年が経過した現在も、義母は「息子は〇〇だったのに……」などと言っています。これはもう仕方のないことで、自分の息子のことが本当にかわいかったのだと思います。いつからか義母の言葉は聞き慣れてしまい、「また言っているな~」程度のものになりました。 イラスト/(c)chicchimama著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年09月12日義姉と同じ年齢の子どもがいる私。会うたびに、保育士の義姉と私の子育てについて比較と評価をしてくる義父に戸惑うことに……。しかし、義父の立場を理解し、気持ちを切り替えた体験談をご紹介します。初めての子育てに不安はつきものだけど…義姉は保育士として働き始めて3年ほど。決してベテランとは言えない経歴ですが、「〇〇(義姉)は育児のプロだ!」と誇らしげな義父。一方、私は一般企業に勤めており、保育・育児経験はゼロ。 そんななか、お互い子どもが同学年ということもあり、親戚の集まりでは子どもの話をする機会が増えました。最初は気に留めていなかったものの、義父が義姉と私の子育てについて比較と評価をし始めて……会うたびに私は複雑な思いをすることが多くなりました。 子どもの前で言わないでほしい…義父の子育て比較は食事や遊び、教育などさまざまです。ある日義父が「〇〇(義姉)はチョコレートを与えていないけど、△△(私)さんは食べさせているんじゃないか~。プロはおやつを与える時期を細かく理解している!」と言ったのにはビックリ。 娘もまだ幼いのでチョコレートはまだ食べさせていないのですが、実際に私がしていないことまで憶測して言われてしまったのです。夫や私が、わが家の子育てについて義父へ伝えても、そこは記憶に残らないようです。特につらかったのは、子どもたちの前で比較と評価をされることでした……。 義父の立場になってみる義父は常に両方の家庭について把握しているわけではないので、私は気にしないように意識しました。しかし、私の気持ちはモンモンとするばかりで、義父に会うのがだんだんつらくなってきました……。これではいけないと、私自身の気持ちを整理して、義父の立場を考えてみることに。 義父は親戚と疎遠だった時期があり、交流できることがうれしいのではないか。そして、義姉の職業を誇らしく思う気持ちが強いのだと思うように。また、義父なりに私へ何かしらのアドバイスをしたいのだろう……と私自身を納得させるよう努めたのです。 義父なりに私たちを心配し、孫の存在やみんなで集まって会話できる環境に喜んでいるのだ……と気持ちを整理しました。ただ、子どもたちの前で言われるのはつらいので、やんわりとかわしていくつもりです。そして、心にかけてくれているとプラスに捉え、義父の明るく楽しい性格など好きなところに目を向けていこうと思いました! 著者:佐々木詩織自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月29日孫が大好きな義母。息子もよく懐いていて、休みのたびに「ばあばのお家に行く!」と言っていました。とてもありがたいのですが、息子への甘やかしが気になってくるようになり……。義母と険悪にならないように、甘やかしをやめてもらった私の体験談をご紹介します。甘やかします宣言!夫はひとりっ子だったので、義母にとって孫は息子ひとりだけです。そのためもあって、義母は生まれてからずっと息子をかわいがってくれています。義実家に行くと「この家にいるときは、甘やかすけど許してね」「今日だけだから、特別だし」と言って、息子が欲しがるお菓子やおもちゃをたくさん買ってくれていました。 あるときは、「欲しそうに見てたから」という理由でおもちゃを買ってくるほど。義実家に行くのは月に1、2回ほどでしたので、私も「かわいがってくれるおじいちゃん、おばあちゃんがいてくれてよかった」と思っていました。 衝撃的な光景その後、2人目の子どもができ、夫は息子と2人だけで頻繁に義実家へ行くようになりました。おかげで私は下の子のお世話に集中することができ、ありがたかったです。しかし数カ月後、下の子を連れて義実家に行くと衝撃的な光景を見ることに……。 「先に息子君へごはんをあげるわね」と言った義母が、テレビアニメを見ながら自動車のおもちゃに乗って部屋をぐるぐると走り回る息子に、スプーンを持って追いかけながら食事を与え始めたのです! あまりの光景に絶句当時息子は4歳で、幼稚園にも通っていました。園や家では自分でごはんを食べることもできています。以前も義実家ではテーブルで食事をしていました。あまりの光景に夫へ「いつもこうやって食べているの?」と聞くと、夫は「そうだよ~。こうじゃないと食べないし」と何が悪いのかわからない様子。 私がいない間、このスタイルが定着したようでした。さすがに行儀が悪すぎると思い、意を決して義母にやめてもらうようにお願いすることに。 わかってくれた義母義母にお願いするときに、あらたまってではなく、できるだけさり気なく伝えるように心がけました。雑談をしているときに、「そういえば、食事の仕方ですがおもちゃに乗りながら食べるのはちょっと……」「お義母さんも手間がかかって大変じゃないですか?」と伝えると、「やっぱりちょっと甘やかし過ぎたかしらね」と言って私の意見を尊重してくれたのです。 実は、義母自身も少し行儀が悪いと感じていたようでした。次からは食卓について自分で食べさせることを約束してくれました。その後も夫と息子の2人で義実家に行くことはありますが、きちんとテーブルについて自分で食べているようです。 これからも義母に言いにくいことでも、マナーに関わる点はきちんと伝えていこうと思っています。息子をかわいがってくれるのはありがたいのですが、母親としてどうしても譲れないラインがあることを実感しました。 監修/助産師REIKO作画/やましたともこ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月27日これは私が2人目の子どもを産んだときの体験談です。私たち夫婦の両親は車や電車で3時間以上かかる県外に暮らしており、普段会うことはあまりありません。夫は「義母は自分勝手なところがある」とよく言っていますが、私には今まで実害がなかったので気に留めていませんでした。今回はそんな義母の身勝手な行動に振り回された体験をお話しします。 義母に産後の手伝いを依頼2人目の子どもを出産する際は、事情があり実家への里帰りをせず、退院後は自宅で過ごすことに決めていました。出産予定日が近づくにつれ、義母から夫や私に「手伝えることがあればいつでも言って」と連絡が頻繁にくるようになりました。 あまりに「手伝いたい」と何度も言われたので、私は普段私たち家族に会えなくて寂しい思いをしている義母を思い、頼ることが親孝行になるのではないかと思い始めました。 頼むまで何もしてくれない義母にイライラ私と赤ちゃんが退院直後に夫が1泊2日の出張の予定があったので、義母に上の子のお世話と食事作りをお願いしました。義母は二つ返事で了承し、はるばる新幹線でやってきてくれました。 しかし到着して早々に、「天気がいいしこの辺りを散策するわ」と義母はひとりで外に出かけて行ってしまったのです。その後も私が頼むまで何もしてくれない義母に対してイライラしてしまいましたが、自分を落ち着かせて対応しました。 早々に帰宅する義母に絶望夜は上の子のお風呂や食事や寝かしつけがあるので、その日は義母に1泊してもらう予定でした。しかし、義母は夕方に突然、夜行バスが取れたから今から帰ると言い出したのです。 一番人の手を借りたい時間帯にいなくなってしまうこと、私に相談せずに帰宅を決めてしまったことがショックで何も言えませんでした。結局、義母は夕食前に帰宅してしまい、私は産後の体で上の子をお風呂に入れ、子ども2人の夕食から寝かしつけまでおこないました。 手伝いを頼む心構え今回のことは、私が義母に対して不信感をもつきっかけとなってしまいました。また、義母に手伝いをお願いする際に、私に欠けていた点があることにも気付きました。 1つは要求を具体的にわかりやすく伝えること。お願いしたいことをリスト化しておけばよかったと思いました。また、お互いに距離を保つことです。義母が自宅にきてくれた場合は、別室で過ごすなどお互いに自分のスペースを保てばよかったと思いました。 してほしいことは、伝えないとしてもらえないということが今回の経験で私が学んだことです。お願いは具体的にわかりやすく伝えること、イライラしないためにお互いに自分のパーソナルスペースを保つことが大切だと思いました。これからも義母を頼れるところは頼りながら良い関係を築いていきたいです。 著者:三宅ちよこフリーランスとして働きながら一男一女を子育て中の母。ファイナンシャルプランナーの資格を持ち、株や不動産投資を副業としている。ライターとして主婦のためのお得な情報や子育てに関する体験談を執筆している。
2020年08月25日初めての出産を終えて4カ月。夫の仕事の都合もあり、義母がひとり暮らしをしている夫の実家で同居を始めました。私は妊娠するまで高齢の方たちと一緒に仕事をすることも多く、年配者との付き合いには不安はありませんでした。そのため、初めての同居も「大丈夫だろう」と義母対策の準備は何もしないで新生活を始めたのです。しかし、職場と生活の場はまったく別物で、トラブルが多発。私もストレスを抱えるようになってしまいました。 話し出したら周りが見えなくなる義母おしゃべり好きな義母。しばらくひとり暮らしの期間があり、しゃべり相手に飢えていたのか、しゃべり出したら止まりません。見たもの、聞いたものはすべてしゃべらなければ気が済まないとばかりにしゃべり続けます。 特に子どもの食事の世話をしているときや、帰宅直後に玄関で話し始められるのがつらい! 子どもの世話や片付けが進まないのも困りますが、私の状況を一切考えずにしゃべり続ける義母の態度は、私をないがしろにしているように感じさせました。 話を遮ってみたら…私の心を安定させるため、今後も義母と良好な関係を築くために我慢するのをやめよう! と決めました。もちろん、時間や気持ちに余裕があるときは、義母のおしゃべりの相手になります。 けれどそうではないときは、「子どもの食事の世話をしているからあとでもいい?」などと理由を添えながら話を遮ることにしたのです。もちろん、あとで義母のおしゃべりに付き合う時間をつくり、「さっきはごめんね、それでどうなったの?」と声をかけるようにしました。 今のところは順調!しゃべるタイミングが悪かったと気付き、はじめは気まずそうにしていた義母。けれど次第に「話したいことがあるのだけれど、あとで話をするね」と義母から言ってくれることも出てきました。 そうなると義母が私を尊重してくれているように感じることができ、悲しくなったりイライラしたりすることが激減。私も言葉の選び方を気をつけるようにしたら、義母に対して気を配れるようになり、やさしく接することができるようになっていきました。 義母は年長者であり、しかも私は新参者。職場のように私が遠慮をして義母を立てれば良いと考えていました。けれど子育てをしながらとなると、うまくいきません。この件以来、「私もこの家族の一員なのだ。家庭運営を積極的にしよう」と腹が据わりました。 著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年08月22日私は24歳で結婚し、同年に男の子を出産しました。赤ちゃんが生後5カ月になったころ、夫から義母家族との同居の相談を受けました。私たちは4LDKの賃貸の戸建てに住んでいて、使っていない部屋もあるので同居することに同意。義母家族と同居してから、義母が巻き起こすトラブルに巻き込まれた体験談をお話ししていきます。 義母家族との同居で一気に大家族へと義母家族は義母・夫の弟(18歳)・妹(17歳)・妹の子ども(2歳) の4人で、私たち家族を含めて7人の大家族になりました。同居の理由は、義母が勤める会社の倒産や義妹の元交際相手がストーカー行為をすることなどが重なり、義弟の高校卒業を期に同居してお互いの生活費をラクにしようという考えからです。 大家族で育った私は、正直なところ人数は気にはならず、長男と遊べる従姉がそばにきてうれしく思いました。 日に日に現れる義母の本性同居のはじめは、義母家族の楽しい笑い声がドアごしに聞こえていました。しかし、日が経つにつれて義母は義妹の子どもを怒鳴りつけ、義妹にも「しつけはダメなものはダメと厳しく怒らないと」と言って喧嘩するようになり、怒鳴り声と子どもの泣き声が増えていきました。 義妹は逃げるように夜中に家を抜け出し、朝帰りをする生活に。義母は怒ると怖く、人間関係のトラブルはあるほうだと夫から聞いてはいましたが、義妹やお孫さんに対して怒るときの怒鳴り声は私でも威圧感を感じ、怒らせてはいけない相手だと察知できるほどでした。 義母はついに隣人とトラブルを!私が住んでいる地域は雪の多い地域ですので、朝晩の雪はねが必要になります。義母と同居した最初の冬、義母は深夜帯のパートに勤めていたこともあり、早朝の雪はねをしてくれていました。 雪を捨てる場所は限られるため、隣家との境界線もマナーとして必要です。でも、マナーを守らない方もいて、隣人と口論し義母は警察に通報……。 その隣人だけじゃなく、違う隣人とも時折り雪を巡って口論するように。義母だけが悪いわけではないのですが、罵声を聞くたびに事件が起きる気がして怖かったです。 義母の愚痴を聞くようになって…義母から隣人の揉めごとの愚痴を聞くようにり、段々と義妹についても話してくれることが増えました。義母の言い分も正論に聞こえるため、共感する返答をしていましたが、このままでは義母と義妹の親子関係が悪化すると感じた私。 部屋から出てこなくて、あまり話せていなかった義妹とも少しずつ話すように。義妹は「義母に子どものしつけに関して怒られる」「子どもを叱りつけられたりしてつらい」「義母に母子手当金を当てにされすぎて家を出ようにも出られない」という問題を抱えていました。 どちらに対しても聞くことしかできない私はなすすべがなく、その後義妹は養ってくれる人を見つけ、子どもを連れて出て行ってしまったのです。 夫から義母は怒らせないほうがいいとは聞いていましたが、揉めごとに巻き込まれるとは思っていませんでした。しかし、義母は家族のために誰よりも先に炊事や雪はねなどに動いてくれます。義母も義妹を心配するあまり、介入しすぎてしまっているのでしょう。義妹と離れて暮らしてから親子関係は修復し、今は平穏に暮らせています。 作画/やましたともこ著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2020年08月18日第一子の出産時にトラブルがあり、満身創痍の産後を過ごしていた私。出産は命がけということを痛感して、赤ちゃんが生まれた喜びと同時に次の妊娠が怖いと言う気持ちすら芽生えてしまうほど……。しかし疲れ切った私を待ち受けていたのは、義母からの予想もしない言葉でした。 産前から予兆はあった私の夫は2人兄弟の長男。義母は女の子を育てたことがなく、かわいらしいお洋服を着せたり一緒にお出かけしたりすることへの強い憧れがあったようです。 結婚後、息子が生まれる前は一緒にお買い物をしたりお茶したり、料理を作るなど楽しい時間を過ごすことができていたので、私自身は義母との関係は良好だと思っていました。今考えると、私のことを娘のように扱ってくれたのかな?と感じます。 孫は3人でも4人でも結婚して間もないうちから、義両親には孫を望まれていました。私と夫が自宅を新築することになったとき、子ども部屋の数を決めるにあたって義両親は「子どもは3人だって4人だっていい」と口にして夫から諌められていたのを覚えています。 息子を妊娠したとき、性別が男の子だと報告した際も「女の子となかなか巡り会えないねえ」と言っていたので、次は女の子を望まれるんだろうなというのは当時から察していました。妊娠、出産が現実のものとなったことで、義両親、特に義母から女の子を産むことを望まれているというプレッシャーが強くなっていたのかもしれません。 孫フィーバーからの女の子リクエスト息子を出産後は義母にとって初孫である息子を非常にかわいがってくれていて、その点は感謝しています。でも、私は息子を妊娠していたときに妊娠高血圧症候群を発症し、さらに出産の際大量の出血でとても苦しい思いをしたので、第二子の妊娠が怖くなってしまっていました。 しかし、出産直後に容赦なく「次は女の子だといいね」の言葉が。私にとっては、「女の子の孫が欲しいからもう一度頑張ってね」というメッセージに感じられたのです。 嫁は妊娠・出産の機械じゃない私と夫は結婚当初から子どもは2人欲しいねと話し合っていたのですが、息子の出産を経て夫は「君に何かあってはいけないから、子どもはひとりでもいいね」と考えが変わりました。私自身は「もう1人欲しいけれど母体死亡は怖い」という気持ち。 それぞれの思いは義母に伝えていましたが、「産んだらなんとかなるから」「大丈夫かもしれないじゃない」と言うばかり。結局孫をかわいがりたい気持ちが1番で、出産によって嫁がどうなろうと気にならないのかなと感じられる態度でした。 義母は息子にとってはいいおばあちゃんでいてくれるので、絶縁や距離を取ることは考えていません。しかし、2人目が欲しいけれど自分が死んでしまうかもしれない、それが怖いという気持ちはどうしてもわかってもらえなかった失望感から、自分の本音を話せる間柄ではなくなってしまいました。今後は付かず離れずのちょうどいい距離感で付き合っていこうと思います。 著者:木下りん0歳男児の母。東京と長野を行き来する生活。お出かけ大好きな息子とのお散歩が日課。
2020年08月05日私の義母はとても穏やかでやさしい人です。不妊治療で第一子を授かったときはとても喜んでくれ、私が不調のときに通勤の送迎をしてくれたり食事を作ってくれたりと、たくさんお世話になりました。けれど、初めての出産を経験するにあたり、自分のことでいっぱいになった私は義母に対していろいろと不満を募らせてゆき……。 陣痛中に差し入れされた驚きの物!私は出産予定日を過ぎても子宮口がなかなか開かなかったため、入院して陣痛誘発剤を使って出産する予定でした。結局入院予定日の前日に陣痛がきたため、ひとりでそのまま入院したのですが、入院したことを義母に連絡するとまさかのお見舞いに。 何をしにきたのかと思ったら、だるまを届けにきたとのこと。 「今のタイミングでだるま!?」 と驚いたのを今でも覚えています。 出産後はほぼ毎日お見舞いに義母の家から病院が近いということもあり、義母と義父は出産直後にお見舞いにきてくれました。そこまではよかったのですが、入院中ほぼ毎日お見舞いに。狭い病室に生まれた直後の娘と義母と私の3人きり……。きてくれてありがたいのに、なぜか産んだ直後は 「起き上がって接しなければならない」 という気持ちのほうが強く、つらく感じてしまいました。 気にかけてもらえることはありがたいけれど、入院中は沐浴実習や母乳マッサージ、友人との面会などいろいろと予定が入っていたため、もう少し休みたいと感じたことを覚えています。 まさか!? バスタオルに文句一番衝撃だったのは、入院中、おくるみ代わりに使っていたバスタオルに文句を言われたことです。私が直接言われたわけではないのですが、病室にきていた夫の携帯電話に連絡があり 、「まだあのベージュのバスタオル使っているの?」 と言われたのです。 バスタオルがベージュだったため、義母にはおくるみとしてふさわしくないと感じたのかもしれません。電話を受けたときは汚れたために白いブランドのバスタオルに交換済みで、そのことを伝えると安心していたようです。なんでそんなことを言うんだろう……と無性に悲しくなって夜中に号泣しました。連日の睡眠不足でネガティブになっていたのだと思います。 初めての出産による不安や睡眠不足で私の気持ちが不安定だったこともあり、普段なら何も感じないことも悪い方向に受け止めてしまう時期でした。4年以上経った今では 「そんなこともあったなぁ」 と思える出来事です。 イラスト:imasaku著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年07月31日私は結婚してから5年間妊活を続け、やっと赤ちゃんを授かりました。妊娠するまでは大変でしたが、妊娠経過は順調そのもの。仕事をしながらでしたが、近所に住む義理の母を頼ることなく妊娠前と変わらない生活を送ることができました。しかし、ほどよい距離感を保っていたはずだったのが、その関係が崩れてしまったのです。原因となった産後のできごとについてお伝えします。 出産前はいい距離感だった私と義理の母の関係妊娠経過が順調だった私は妊娠前と変わらず仕事に行き、家事も食事も通常運行。大変だったら近所に住む義理の母に手伝ってもらおうと思っていましたが、つわりもなかったのでそれも不要でした。 義理の母も「順調で安心だわ」と突然訪問するということもなく、用事があって来るときも必ず事前に連絡をくれていました。なれなれしすぎず、お互いにいい距離感を保った関係だったのですが、産後あることがきっかけでそれが崩れてしまったのです。 出産後すぐ夜中に押しかけて来てびっくりいよいよ出産となり、産院に行くことを義理の母に連絡すると、「頑張ってね」と応援の言葉をもらいました。無事に息子を出産し、時間は夜の11時過ぎ。夫は両親に無事出産したことを連絡し、面会は明日時間を決めて来てほしいと伝えたそうです。するとその30分後に「今、産院の前に来ている。鍵がかかっているから開けてもらえないか聞いてほしい」と義理の母から夫に電話がかかってきたのです。 私は出産後の処置を受けながら、夫が電話口で怒り口調で会話しているのを聞きました。夫はきっぱりと「無理だ」と伝えると、家に帰ったようです。よっぽどうれしかったんだなと思う反面、ちょっとモヤモヤした気持ちが残りました。 翌日、伺いもなく部屋に入ってきた出産時に出血が多かった私は、貧血で体もつらく、息子の世話以外は横になって体を休めていました。助産師さんからも休養が大事なので、授乳や沐浴以外は今日は新生児室でみますと言われました。スマホを見ることすらつらかったのですが、義理の母は早く会いたがっているだろうと思い、朝一番に面会の時間を伺うメールを送りましたが一向に返事はありませんでした。 すると面会時間を少し過ぎた時間に突然病室のドアが開き、そこには義理の母の姿が! びっくりしている私にはお構いなく、「こんにちは! 赤ちゃんはどこ?」が第一声でした。私は休養が必要な状態であることと、そのために息子は新生児室にいることを説明し、急いで新生児室に息子を迎えに行きました。 出産直後に「2人目は?」の言葉息子を病室に連れ戻り、念願の初対面を果たした義理の母。喜ぶ姿がとてもうれしく、今までの行動も気にしないでおこうと思った矢先、「2人目ももちろん考えているんでしょう?」と言われたのです。 義理の母は私たち夫婦がなかなか子どもを授からなかったことを知っているのに、産後すぐの私にこんなひと言が出るなんて……とショックでした。このとき、これまで通りの関係は続けられない、できれば関わりたくないとさえ思ってしまったのです。その後も連絡をしてから来てほしいと伝えているのに、「通りかかったから」と授乳中に急に面会に来られるなど嫌な思いをしたこともあり、産後は少しずつ距離を置くようになりました。 孫の誕生のうれしさによる義理の母の言動があまりにショックで、それまでの良い関係が崩れてしまいました。気持ちが高揚してしまったことによるものだとは理解していますが、耐えられませんでした。いつもは気づかいができる義理の母だったということ、また産後のとてもセンシティブな状態のときだったからかもしれませんが、残念でなりません。ほどほどにお付き合いはしていますが、私の心の奥のモヤモヤは消えません。 イラスト:ののぱ著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年07月19日長男が小学生で学校があるため、第3子の娘を出産したあとは自宅に帰ってきました。自宅の別棟には義両親が住んでいます。自身も3人の子どもを育て上げた義母は「大丈夫。私が全部してあげるからね」と言ってくれていたので、私は心強い、ありがたいと思っていました。しかし、退院してからは出産前と変わらない生活が待っていたのです。 出産後も家事負担は今まで通り第3子の娘を出産しての退院後、翌日からの炊事、洗濯は出産前と変わらず今までどおり私の仕事でした。義母は出産前に「私がやるから大丈夫」と言ってくれたのに、手助けにきてくれる様子がありません。別棟の私たち家族の台所には顔も出してくれず、声もかけてくれませんでした。 夫も、私の体が万全でなくても、娘が泣きわめいていても気にかけてくれず、朝も起きてくれないため、子どもの支度も私がすべてしていました。 義母につらいと伝えたけれど届かなかったそれでも、「何かあったら言ってね」と言ってくれたので、朝食の支度だけでもお願いしようと「夜中の授乳も頻回ですし、炊事も洗濯も今は全部がつらいです」と、勇気を出して伝えてみました。しかし「朝は子どもの顔を見て朝食を食べてあげなきゃだめ」との返答で一蹴。せめて片付けだけでもお願いできないかと言いましたが、無視されました。 夫にも相談しましたが、「したことない俺ができると思う? お母さんも忙しいんだよ」などと義母の肩を持つ発言しか聞けず、思わず泣いてしました。 こうなったら意地だ! でもその結果…義母にも都合があり、忙しいのは私もわかっていました。しかし、出産後の体は思い通りに動かないし、生まれたばかりの娘から離れることもできません。もちろん、小学生と3歳の息子たちの生活をおろそかにもできません。 義母の「私に任せて」という言葉を鵜呑みにして期待していた私が悪いんだ、あてにしすぎたんだと思うようにして、自分の体の調子をみながら子どもたちのために今までどおりに家事をすることに決めました。 結果、1カ月健診まで悪露が長引いてしまい、産婦人科の先生には動きすぎたんじゃないかと注意をされました。先生は、一緒に健診にきた夫にどれだけ出産が大変で産後の体が大事なのか説明し、叱ってくれました。帰宅後、夫は義母に先生に言われたことと私の状態を伝えたようですが、義母からは特に何もありませんでした。その後は、義母には頻繁に頼み事をしない、手伝いをしない、近すぎず遠すぎずの距離を保っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama著者:長谷川モリジ8歳、4歳男子、1歳女子の3人子育て真っ最中。調剤薬局事務、秘書、ビジネス文書検定保有。夫の両親、祖父と8人暮らし。今は地元にコワーキングスペースを作る活動している。
2020年07月15日夫について言ってくるのはまだ我慢できるにしても、子育てや自分の仕事に対して口出しされるのはちょっと……。家族だけれど家族でもないような、近いけれど遠い存在の義母とうまく距離を保つ方法とは。 良い人に思われようと思わない良い妻、良い母、良い嫁。距離を置きたいとは思ってはいても、できれば義母にそう思われたいと考えているかもしれません。しかしながら、それはほぼ不可能です。距離を置きたいと思っている時点で、どこか気が合わない、思考が違うと感じているのだと思いますが、そもそも考え方が異なる人に合わせようと思っても無理が必ず生じますし、頑張って合わせたとしても、それを知ってか知らずか義母は何かしら意見を言ってくるでしょう。そして、そのたびに残念な気持ちになる可能性が高いものです。相手が思う良い人を完全に把握するのも、それを演じ続けるのも無理があります。義母に良い人に思われようと頑張るのはやめて、自分はこういう人だと相手に受け入れてもらうよう覚悟を決めてしまうほうが、結果的にラクに過ごせることが多くなるはずです。 わかり合おうとは思わないわかり合えると感じるのであれば、どんどんわかり合うべきですが、年代も育った環境も違うのですから無理にわかり合おうと頑張るのもやめましょう。 好きで結婚した夫でさえ、完全にわかり合うのは難しいのですから、無理にわかり合おうとするのではなく、違う部分を受け入れることに目を向けてみてください。受け入れられる部分が増えれば、わかり合える部分も増えてくるはずです。 夫や孫の悪口は避ける口出ししてくる義母であれば、夫や孫に対することもいろいろと言ってくるかもしれません。中には悪口もあるでしょうが、一緒になって言うのは基本的にはNGです。 友人同士であれば、マイナスの感情を共有し合うことで仲間意識が強くなることもあります。しかし義母に対しては避けたほうが無難でしょう。 たとえば、自分自身が散々夫の悪口を友人に言っていたとしても、友人から夫の悪口を言われると嫌な気分になるのではないでしょうか。身内には身内にしかわからない関係性があります。義母が悪口を言っても「そうなんですね」と相槌を打つにとどめましょう。 自分にも義母にもそれぞれに、相手にこうしてほしい、こうであってほしいという理想があるがゆえにお互いに求めてしまいがちです。求めることはやめてそのままの義母を受け入れるように自分のほうからトライしてみましょう。自分が変わることで、相手も変化してくる可能性が高くなります。 著者:ライター メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー カトウ ヒロコメンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー。また、フリーのWEBプロデューサー&ライターとして活動中。
2020年07月07日現在、1歳8カ月の娘の子育て中です。義母はとても穏やかな性格で、嫁である私にもやさしく接してくれていました。しかし娘が1歳になったタイミングで職場復帰をしたとき、義母の心ない言葉を耳にすることが多くなり悩んでしまいました。今回は「働くママ」に批判的な義母とのやりとりや、私なりの対処法をお伝えします。 娘の人見知りに対する義母のひと言現在1歳8カ月になる娘は、生後半年ごろから激しい人見知りがあります。なるべく外の空気を吸ったり人が集まる支援センターに出かけたりして、少しでも人見知りを克服できるよう過ごしていました。 ある日、娘を連れて遠方に住む義母宅に行ったのですが、3カ月に1回程度しか会う機会がないため人見知りをして泣き出してしまったのです。義母は、泣き出してしまった娘を見て微笑みながら「お母さんが働きながらおなかの中で育てちゃったからだね。ごめんね」と言ったのです。 たまにしか会えないので、人見知りをしてしまい申し訳ないとは思っていたものの、まさかそんな言葉を投げかけられるとは思わず、驚いてしまいました。 義母は働くママ=私が嫌い?!その後、少しずつ義母に慣れて人見知りしなくなっていく娘を見て安心しました。しかし、育休を経て娘が1歳になった時点で保育園に通わせている私に、「女の人が仕事をして子どもを保育園に預けるなんて、育児放棄だ」「妊娠がわかった時点で仕事をやめないから、子どもが病気がちで人見知りもする」など、義母は子どものことで気になることはすべて「働くことが原因」と結び付けて言うのです。 口調はやさしいのですが、私が働きながら育児をしていることを快く思っていないようで、かなり悩んでしまいました。 義母に同調しつつも私の考え方は曲げない義母の心ない発言にはショックを受けました。きっと義母自身が家事・育児に専念してきた方だったため、専業主婦が正しいという自負があるのだと思います。実際に4人の子どもを育て上げた義母に対して尊敬の念もあります。 とはいえ、働く必要があって育児と家事の両立に四苦八苦しているのに……と悲しくなってしまいました。 それでも働きながら育児をする選択は、私自身にも家族にとっても正しいという考えは曲げないようにしています。義母からの言葉はつらいですが、「お義母さんはすごいですね」と角が立たないように返しています。 義母の言葉はグサグサと刺さるものがありますが、受け流しながらなるべく穏やかに過ごすことにしています。ただ、その言葉が子どもに直接向けられたときには、夫を介して義母に「やめてほしい」と伝えるつもりです。そして、いつか義母が働くママの気持ちを少しでもわかってくれるときがきたらいいなと願っています。 イラスト:(c)chicchimama著者:河相 さくら国内外問わず旅行が大好きな1歳女の子のママ。育休中に小学校英語指導者資格を取得。主に子育て・英語育児を中心に執筆中。
2020年07月07日孫やモノでつる、共通点ありで意気投合、困った時は助け合い…お義母さまとの距離が縮まった瞬間エピソード!お義母さまとは仲良し?疎遠?バトル中? 何かとぶつかりやすい嫁と姑。嫁姑バトルはもはや他人事ではありません。でも、普段は戦いの連続の日々だったとしても、ふとしたきっかけでお義母さまとの距離が縮まった!なんて体験も。今回はみなさんから寄せられた、お義母さまとの「距離が縮まった瞬間」エピソードを紹介します。2020年4月22日~5月17日、あんふぁんWebでアンケートを実施。回答数:171件イラスト:春吉86%思いがけないやさしさに…コロナで自粛生活が続く中、突然のお届け物。中身はお義母さん手作りのマスクとお菓子などがたくさん。同封されていた「マスク使ってね〜!」のメッセージが本当に嬉しく、心があったかくなった(りほママ)家が汚くても家事をしていなくても料理が上手に作れなくても文句を言わず、私も昔はそうだったわよっと言ってもらえて、嬉しく親近感がわいた。さりげなくくれるアドバイスやそのやさしさにどんどん心を開いていってる(りゅな)夫と大ゲンカしてお義母さんに電話をしたら、すぐに来てくれて私をかばってくれたこと。私を悪者にせずに夫を正してくれて嬉しかった(みんてぃあ)お義母さまの好きなモノで嫁姑円満大好きなわらび餅を買って一緒にお茶を。とても喜んでくれる(よんよ)普段は厳しい印象のお義母さん。実は「韓国ドラマ・韓国アイドル好き」と言うことを知り聞いてみたら、大好きな韓国アイドルについて夢中で話してくれた。「かわいらしいなぁ〜」と思い、距離が縮まった気がした(みうたん)ビールが大好きなお義母さん。実家に行った時に一緒に義父や夫の話をしながらビールを飲むとぐっと親近感が湧く。同じ主婦として子育て経験者として、親子女子会もなかなかいい(みっちゃん)電話やLINEで頻繁にコミュニケーション育休中にLINEで直接子どもの様子を送ったり状況報告をしたところ、夫抜きでやりとりが深まり、距離が縮まったと思った(Trifle)義父母の住んでいる地域に巨大台風が直撃し洪水に見舞われた時に、心配してメールと電話で連絡した。すると、思いのほか義母が喜んでくれて、その電話でも会話が弾んだ♪(みるきーた)普段は連絡をほぼ取らないが、コロナが流行ってから心配して頻繁に「大丈夫?」と連絡をくれる。連絡を取り合うなんてコロナの前までは考えられなかったので、ビックリ!!(りーんママ)孫ラブ! 子どものおかげで距離が縮まる離れて暮らすお義母さまに子ども達からのビデオメッセージをプレゼントしたら、とても喜んでくれ泣いていた(んぷ)子どもの洋服を買うのに一緒に行きませんかと誘ったら、誕生日プレゼントとして洋服を買ってくれた。お義母さまも孫の洋服選びを楽しめたようでご機嫌。一緒に洋服を選ぶ楽しみを共有できてよかった(ミルミルのびる)たまたま子どもと作った手作りお菓子を持参したら喜んでくれ、今度は一緒に作ることになった。みんなで作ったクッキーはおいしかった(MEIちゃん)共通点があって意気投合!お互い貧乳というコンプレックスで距離が縮まった。お風呂に入った時、一緒に入ることに全く抵抗はなかったが胸の小ささを気にしていたところ、お互いに貧乳ということで慰め合った(笑) とても距離が縮まった体験だった(んぷ)花が好きで、花の種を交換したり花の苗をもらってきて植えたりしている。また、2人ともコーヒー好きなので豆を挽いてコーヒーをを淹れてくれる(MEIちゃん)同じ血液型ということもあり感覚が似ているのか、お互い派手なもの好き。ギラギラさせた物を身に着けていたら「それどこの?」ときかれて情報を共有しあうようになった。派手なものはもともと自分も好きなので、プレゼント等も選びやすく助かっている(ぴっぴ)困ったときはお互い様の精神で自分が苦手な裁縫を頼んでからとても距離が縮まって仲良くなった。今では趣味友に!(よんよ)子どもが生まれてすぐに夫が入院することになり、急遽北海道から駆けつけてくれたお義母さま。うちのことから入院中の夫の世話まで本当によくしてくださり、一気に距離が縮まった(ふなこ)子どもが風邪を引いた時に、夕飯のおかずを買ってきてくれたり下の子の面倒を見てくれたりした(ぶぬさん)お義母さまが骨折をして家事ができなくなった時、簡単に食べられるものをたくさん持って行ったところとても喜んでくれた。また、久しぶりに2人きりでご飯を食べながらいろいろな話ができ、普段なかなか話せないことや気持ちを言葉にしてもらえてとても嬉しかった(ひとみん)共同作業バンザイ! 一緒に〇〇をして仲良くなったよハワイウエディングで両家の親とバスツアーに行った時にお互いの距離が縮まった(まーにー)上の子を妊娠中、「出産したらしばらく行けないだろうから」と私の大好きなパフェのあるカフェへ連れて行ってくれたり、おしゃれなランチに何度も連れて行ってくれたりした。出産後は孫の面倒をいつも見てくれ感謝している(ゆまま)一緒にお料理をするとなんとなく距離が縮まった感じがした。いろいろ教えてもらったり子育ての相談をしたり、普通に話すよりもお料理しながらだと話しやすい(はるまま)
2020年06月19日私が出産した産院は、母乳育児を推進しているところ。そこでは、赤ちゃんに湯冷ましを飲ませる必要はないと教わりました。ところが同居する義母は真逆のことを言います。今回は、この体験を通じて感じた、湯冷ましの必要性についてお伝えします。 世代で育児方針が異なることをわかって!入浴後や汗ばむ季節など、離乳食が始まるまではおっぱいだけでいい。そう産院で教わり、自宅へ帰った私に、同居する義母は「のどが渇いているんじゃない? 湯冷ましをあげたら?」と言います。 私はおっぱいしかあげたことがないことを伝えたのですが、「飲ませてみたらいいのよ」と義母。育児に口出しをしてくる義母に正直イライラしてしまったことを覚えています。世代で育児方針が異なることをわかってほしい。そういった気持ちでした。 義母が湯冷ましをあげていた!ある日、わが子を義母に預けて外出していた日がありました。お風呂の時間には帰宅する予定だったのですが、帰ってみると入浴を済ませてくれていたんです。とても助かったのですが、私の目に飛び込んできたのが「哺乳瓶に入った湯冷まし」です。 「えっ……勝手に飲ませてるの?」とびっくりしすぎて声になりませんでした。義母からしたら、入浴後の湯冷ましは当たり前のことなのでしょう。しかし、おっぱいしか口にしたことのないわが子は嫌がって飲まなかったようでした。 母乳外来で聞いた水分補給の話そんな義母とのやりとりもあって、私は改めて母乳外来で湯冷ましの必要性について相談してみました。すると、母乳育児の場合は離乳食が始まるころまで、おっぱいだけでもOKとのこと。ミルク育児の場合は、湯冷ましを与えても飲ませ過ぎない程度であればOKだと聞きました。 入浴後であれば水分補給に1回30~50ml程度。1歳6カ月ごろでも1回に100mlまでにし、飲ませても1日に200~300mlが目安だと教わりました。 義母の言うことが100%間違っているとは言えません。でも、自分の育児方針を否定されると嫌な気持ちになってしまいます。今は一旦義母の話を聞いておいて、取り入れるかどうかは自分で決めるなど、ある程度割り切って義母と付き合うようにしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年06月11日私は35歳で高齢出産をし、1児の子育て中です。年齢、体力、人生の残された時間のことを考え、子どもは1人と決めました。夫も私の体と思いを優先すると言ってくれています。子どもを産む、産まない、産めない……とてもプライベートなことであり、また時代もそれを尊重する風潮にあると感じていましたが、そんなに世間はやさしいものではありませんでした……。 カウンターパンチは義母から義母は地方都市に住む第1次ベビーブーム世代の専業主婦です。義母には何度となく「私は弟がいてよかった」「きょうだいはいたほうがいい」と言われました。でも、私がそれとなくもう子どもを産む気はないと伝え続けると、納得したようでした。 けれど子どもに向かって「この子が結婚したら子どもをいっぱいもてばいいわねぇ」と言われたのです。「子どもを1人しか産まない私は悪」「きょうだいのいない子どもはかわいそう」と言われているようで悲しくなりました。 次は児童館の職員に育休中は、近所の児童館によく行きました。午前中は利用者も少なく、職員の方とも近しく話をするようになりました。そこで1人の職員の方に「私は子どもが欲しくても授からなかった。あなたは大丈夫よ。頑張ってね」と言われたのです。 私に子どもが1人しかいないのは、私が頑張っていないからなのか? どんな事情があろうと、頑張ってもう何人か子どもを産まなければいけないのか? 福祉のプロに「今のままではだめだ」と言われたように感じ、その職員の方と距離を置くようになってしまいました。 ついには保育園の保育士にまで子どもが3歳になるまでは、事業所内保育所を利用していました。規模が小さく、子どものことを細かに見てくれ、保育者と保護者のコミュニケーションも多く感じました。 その中の1人の保育士と2人だけになったときに「私は共働きをしながら2人の子どもを育てた。あなたも、もう1人は産まなくちゃだめよ」という話をされたのです。 私は「保育者とは子どもと保護者に寄り添ってくれるであろう」と期待していただけに、批判を受けたように感じ、一時期保育園に対しても不信感を抱いてしまいました。 2人目のことを周りから言われたのも子どもが2歳くらいまでで、一過性のものでした。それでも、悲しい思いをしたという記憶がはっきり残っています。こんな思いをするママがいない世界になったらいいのにと思わずにはいられません。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年05月20日■前回のあらすじ私に厳しく、夫を甘やかす義母。義母はさらに孫である3歳の真奈美の食事も厳しくしつけ始めました。「ママに怒られるよ」とプレッシャーをかけながら食事のしつけをする義母にまいっていたら…義母の真奈美への食事のしつけ方に頭を悩ませた私は、義実家へはしばらく脚が遠のいてしまいました。上から目線だった義母も、無邪気な孫からの指摘にはさすがに恥をかいたようです。しつけも甘やかしも、ほどほどに。そう学んだ出来事でした。\人気作家の動画もぜひご覧ください!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪ 【義父母がシンドイんです!】 連載 えっ…困る! 義母からのいらないプレゼント【前編】 義母が夫に「きちんと食べてるの?」発言にモヤモヤ「義実家帰省」妻の仁義なき戦い【前編】 悪気もデリカシーもない義父…私のイライラが爆発する【第1話】 マザコン夫と過保護な義母にドン引き…! 2人のラブラブぶりに血の気が引いた瞬間【前編】 イラスト: 珠川まほろ
2020年05月17日■前回のあらすじ私に厳しく、夫を甘やかす義母。料理の切り方や盛り付けが義母の思い通りにできないと嫌味を言われうんざりしていました。ある日、義母のしつけは私の3歳の娘・真奈美にも及ぶようになり‥義母は、孫である3歳の真奈美の食事も厳しくしつけ始めました。しつけてくれること自体は大変ありがたいのですが、そのやり方は「真奈美には食事を楽しんでほしい」と思う私の方針とはギャップのあるものでした。「ママに怒られるよ」と真奈美にプレッシャーを掛けながらお箸の持ち方をしつける義母。どう解決したらよいか…と悩んでいたある日、真奈美が義母に言ったあるひと言で状況が変わったのです。次回、5/17更新予定!\人気作家の動画もぜひご覧ください!/ 母ちゃんTVはコチラ チャンネル登録お願いします♪ 【義父母がシンドイんです!】 連載 えっ…困る! 義母からのいらないプレゼント【前編】 義母が夫に「きちんと食べてるの?」発言にモヤモヤ「義実家帰省」妻の仁義なき戦い【前編】 悪気もデリカシーもない義父…私のイライラが爆発する【第1話】 マザコン夫と過保護な義母にドン引き…! 2人のラブラブぶりに血の気が引いた瞬間【前編】 イラスト: 珠川まほろ
2020年05月16日