若槻さん「旦那さんがすごいんだと思う」東原亜希さんと若槻千夏さんは、カフェでランチをとりながら、Instagramで募集した質問に答える「Q&A」コーナーを実施。「どうしたら2人みたいな体力オバケになれますか?」という質問に、まもなく40歳の誕生日を迎える若槻さんは「体力オバケだと思われてんのうちら? 初耳なんですけど、自覚ないんですけど」と苦笑します。中3長女、中2長男、小3の双子の女の子のママである東原さんには、「妹が双子を出産。周りのサポートで一番嬉しかったことはなんですか?」という質問が寄せられました。すると東原さんは、「いつかは楽になるのかなって思ってたけど、全然楽にならないのよ」と、年子からの双子という四児を育てる生活はまだまだ大変と明かしました。また、双子は出産も大変だったといいます。東原さんは帝王切開ではなく経腟分娩で産んだそうで、「びっくりしたのが、帝王切開じゃないでしょ? 次の子が出てくるのに1時間くらいかかるの、知ってた? ポンポンって出てくると思うじゃん」と若槻さん。東原さんも医師からは「ポンポンって出てくる。長くて15分だから」と聞いていましたが、東原さんの場合は、1人目が出てきた後に再び強い陣痛に見舞われて1時間ほど耐えながら2人目も産んだといいます。若槻さんは「1人産むと出た瞬間にめちゃくちゃスッキリするの」と分娩の達成感を表し、東原さんもそれに同意しつつ「産んだ~と思ったらすぐまた陣痛始まるわけよ。それにまた1時間耐える」と、双子の出産を振り返っていました。そんな東原さんは「私はもう母親から姉から義家族から全員総動員してサポートしてもらったから」と明かし、「大変アピール絶対しないじゃん?」と、若槻さんの家庭事情に迫ります。すると若槻さんは「本当にね、助けてくれる方もいるのでね」「うち、シッターさんとか1回もお願いしたことないんですよ。あと、お母さん、お父さんたちにも来てもらったことがない」と告白。東原さんから「すごくない?」と言われると「旦那さんがすごいんだと思う」といいます。若槻さんは、「パパだね、ママだね、みたいなのがうちにはなくて、両方パパだし両方ママみたいな感じで育てているから、ママがこれをやろう、とか、パパがこれをやろう、みたいな、世の中的な想像のようなものはうちにはないかも」と説明しました。東原さんいわく、若槻さんの夫は感情の波があまりなく「常に一定じゃない? テンションが」。それは事実のようで、子どもたちが「ワーッ」と泣いて若槻さんも焦ってしまうとき、テンションの変わらないパパに預けるとぴたりと落ち着いていたそう。「安心感。だから、すごい育てやすかったです」と、夫のおかげで子育てがやりやすかったことを感謝していました。ご飯を作りたくない日はどうする⇒「作らなくていい!」そしてふたりが口をそろえて「なんでもいい」と答えたのが、「ご飯を作りたくないとき何を食べさせていますか?」という質問でした。東原さんは「小学生くらいだったらそうめんだけでもいいじゃん? 十分じゃない? そんなことよりお母さんが笑って機嫌良い方がよっぽどいいんだよ」と熱弁。第一子をイギリスで出産しており、イギリスに住んでいたときはホームパーティーに呼ばれて訪問することもあったそうですが、「満面の笑顔で冷凍のピザとかを出してくれる人もいるわけ。でもそれでも楽しいわけよ」と、あちらの文化も明かします。若槻さんも「私もそう思う、お母さんがイライラしながらいろんな食材使って(料理して)それでワンオペだなんだーって騒がれてね」「私はお父さんとお母さんがニコニコしてる方が優先であってほしいなと思うから。ご飯作りたくないなって日はいっぱいあるので別にそういう日は作らなくていいんです」と全面的に同意します。ただ、若槻さんが「楽しくウーバーでいい」と、食事の出前を推奨するも、自然豊かな土地にある東原さんの自宅はウーバーイーツのサービス圏外と判明。そういうときはお惣菜を買えばいい、と話は盛り上がります。最後に「ハッピーの秘訣は?」と聞かれたふたりは、「めげない。自分に正直に生きたらいいのにって思う」とキッパリ。仕事で失敗して凹み、家に帰ってもズルズル落ち込んだ気持ちを引きずってしまうことはないのかーーと聞かれても、互いに「ない」と即答です。さらに東原さんは、「誰のために生きてるのかってのは、みんなに問いたいですね。自分の人生だから(人の目を気にせず)自分の好きに生きたらいいのよ」「失敗だと思うから失敗なんでしょ。それも経験、思い出とすればいい。失敗なんてないよ」と名言を連発。若槻さんも「自分の失敗を他人はそんな気にしてないから。誰も自分のことなんて見てないし、期待してない」と同調。「体力オバケ」といわれるほどパワフルなふたりですが、元気の秘訣が少し垣間見えましたね。双子は帝王切開以外でも産める?医学的リスクを考慮して帝王切開が選択されるケースも多い双子の妊娠。帝王切開が多いのには理由があります。まず、赤ちゃん同士の身体やへその緒が絡まってしまったり、先にへその緒が出てきたりすることを防ぐため。そして分娩後に出血が止まりにくくなることを防ぐため。これは経腟分娩でも、帝王切開の場合でも起こり得るリスクですが、双子妊娠では単胎よりもさらに子宮が大きく伸びるので、よりリスクが高いと考えられています。また、分娩中にお産が進みにくくなりやすいこと。たとえば、1人目を出産した後に子宮内の圧が下がって陣痛が弱くなってしまい、お産が進まなくなるケースなどです。この場合、2人目は帝王切開に切り替わることもあります。赤ちゃんへのトラブルは1人目よりも2人目を産むときに起こる場合が多いです。それは、1人目が産まれると子宮にスペースができ、2人目が逆子になってしまうなど、胎位異常が起こることが多いからです。双子を予定帝王切開で出産するケースが多いのは、こうしたトラブルを未然に防ぐためです。一方で、妊娠の経過が順調であれば、双子の場合でも経腟分娩できるケースもあります。諸条件は医療機関によって多少異なりますが、妊娠週数、お腹の赤ちゃんの体勢(逆子でないこと)、赤ちゃんの推定体重、帝王切開などの子宮手術の既往などを踏まえた上で判断されます。なお、多胎出産に対応している医療機関を選ぶ必要があります。出産後の新生児のケアや緊急手術などに対応するための医療スタッフ配置上の理由から、産院であっても受け入れが難しいところもあるためです。参照:【医師監修】双子出産まとめ!自然分娩できる条件とは?帝王切開の理由と出産費用
2024年05月21日子どもが3歳くらいのとき。スーパーの試食コーナーを通りかかったときのこと。試食のウィンナーを食べたいと言ったので、あげようとしたら……。【まさか】のことで今でも忘れられません。 ふだんは断っていたけれど、その日は…スーパーでよく見かける試食販売。私は“食べると買わないといけないかな”という義務感にかられるので、試食を勧められても断るようにしていました。 子どもが3歳くらいのときにウィンナーの試食の前を通り過ぎようとしたら、子どもが食べたがりました。躊躇しましたが、「今日はいいか」と思って子どもにウィンナーをあげようとしたら……。 そのときです。マイクをつけた試食コーナーのおばさまが、「お母さん!そのウィンナーはチョリソーだから辛いよ!子どもにあげたら、子どもが泣くよ!」と言ってきました。言われただけならよかったのですが、マイクで言われたのでほかのお客さんに見られることになり……、本当に恥ずかしかったです。それからは子どもが「試食したい」と言ったとき、どのような商品かをよく見るようになりました。 ◇ ◇ ◇ 子育て中に恥ずかしい思いをしたことがある人は、多いのではないでしょうか。“子育てあるある”なのであまり落ち込まず、笑い話に昇華させてスッキリしたいですね。 イラスト/あやこさん著者:田中牧子
2024年05月21日双子を1人で公園に連れていくのは……(※画像は藤本美貴さんオフィシャルブログより)YouTubeでの痛快なお悩み相談が人気を博している藤本美貴さん。今回はパパたちからの悩みを集めて回答していました。中でも「それは大変だよー!」と悲鳴をあげたのが、もうすぐ2歳になる双子の男の子のパパからのお悩み。子どもたちが元気に走り回るようになり、外に行ってもベビーカーから降りたがるため、夫婦一緒の時はそれぞれの相手をしながら遊ばせることもできるものの、自分1人のときは子どもたちがそれぞれ別の方向に行ってしまいそうで怖くて自由にできない……というものです。藤本さん自身は双子を育てた経験はないため、その大変さを肌で感じることはできないとしつつ、「双子で違う方向に行っちゃうそうっていのは怖いよね」と同意。そのうえで、一番怖いのは交通事故だとして、自分ならば「子どもたちが違う方向に走っても危なくない、車が入ってこない広い公園。車がいない環境のところに連れて行くかな」と話しました。また、子どもがまだ小さくてわからないとしても、「知らない人に連れていかれちゃったら困るから一緒にいようね」と説明したり、双子の要望が食い違ったら「じゃあ先にこっち行って次にあっち行こうね、って逐一言葉で言っていく」。「『ダメダメこっちこっち』だと『行けないんだ』ってなるから、『まずこっちでこれやってその後これ行こうね』と言って『行けるんだ』と思ってもらえるように全部説明する」といいます。とはいえ、「それでも走って行っちゃうと思うけど」と苦笑い。そこで「ハーネスってあるじゃん。よく犬みたいで可哀想とか言うけど、そんなことより事故にあったり迷子になったりすることのほうが大変だから。もし本当に子どもが大変なタイプだったらハーネスは全然アリだと思う」と提案。「それこそカワイイデザインもあるし、ディズニーランドとか人が多いところへ行くときだけつけるって人もいるよね。子どもをペットみたいに~とか言う人もいるけどそういうことじゃないんですよって話じゃん!」と、子どもを事故などの危険から守るために、ハーネスなどのグッズを利用することを勧めていました。「うちは泣いたら怒られる」5歳と3歳の兄弟を育てるパパからは、「iPadが1台しかないので、どちらが先にゲームをするかジャンケンやあみだくじで決めるが、負けた方が毎回泣いてしまう。良い方法はないか」という相談が寄せられました。すると藤本さんは、「これは泣くんだよ。でもうちは泣いたら怒られるよね。だってじゃんけんで勝った方からってルールじゃん」とキッパリ。子ども相手でもブレないのが藤本さん流で、ゲームによっては子ども側にハンデをあげることもありますが、基本的に「うちはオセロとかやってもわざと負けたりしない。なんで私が負けるためにやらなきゃいけないの、悔しかったら勝ちに来い」というスタンスですなぜなら、「負けることもあるから勝つのが楽しいって理解してほしい。負けを知らない子は大変だと思う。勝てないとキレちゃう子になっちゃう」から。そこで相談者にも、上のお兄ちゃんだけでなくまだ3歳の下の子も、完全に理解はできなくても言葉で毎回説明をすることをアドバイス。「ああ親が毎回同じこと言ってるなってことはわかる。親がブレないことは大事だと思う」と、場面や親の機嫌などで態度を変えないようにすることが重要だとしました。
2024年05月21日私は33歳の専業主婦。3年前に夫と結婚し、義両親と一緒に暮らしています。実は同居している家は義両親が頭金なしで10年前に購入したものですが、ローンの支払いに困り、1年前に私たち夫婦を頼ってきたのです。私たちがローンの支払いをする代わりに、家事はすべて義両親がしてくれ、平和に生活しています。しかし、年の離れた義妹がやってきてから生活は一変するのです……。 家を追い出そうとする義妹夫婦義両親は義妹を溺愛。しかし、自分勝手な義妹と夫はあまり仲が良くない様子。実家に帰ってきた義妹は、見るからに軽そうな男を連れていました。 しかも、結婚していて妊娠していると突然の報告! 驚きを隠せない義両親。「子育てするには親の協力が必要不可欠でしょ? 私たち、ここに住むことにしたから」と言い放ちます。 空いている部屋がないとを伝えると、「なら、お兄ちゃんたちが出ていったら? 子どももいないんだし、同居してる意味ないじゃん」と。 夫はローンを支払っているのは自分たちであることを伝えるものの、「私の夫も私も仕事してるし、収入あるから大丈夫」と義妹。義両親はローンを払ってくれるのであれば、義妹や初孫と同居したいのが見え見えです。 ローンは義妹夫婦が払い、私たち夫婦は出ていくことに数日後、また実家に義妹夫婦がやって来ました。「私みたいに、パパたちに初孫見せてあげられる親孝行な子どもがこの家に住めるのよ。この土地と家は私のものよ~♪」と言う義妹。 義母も「この子たちには家が必要なのよ。私もそばで娘の子育てを応援したいの」と義妹と住みたい様子。月収の4~5割をローンと光熱費に充てていると伝えても、「楽勝!」と義妹夫婦は聞く耳を持ちません。 話が通じないと判断した私たちは、さっさと出ていくことにしました。義妹夫婦は入れ替わる形で引っ越してくるとのこと。 実家のローンは50万!?その事実を知った義妹夫婦は……そして引っ越し当日。「ローンの支払い、大変だと思うけど頑張れよ」と義妹に通帳を渡す夫。「ちなみに……ローン月々50万円だから」。驚き慌てる義妹夫婦。実は、夫の月収は30万円で、歯科医をしている私の月収は80万円だったのです! 義妹の夫は時給1100円の指名ゼロのホストで、月収は15万円ほど。ローンの支払いができないと聞き焦る義両親は「ローン払ってくれるって言うから、息子たちを追い出したのに!」と本音がポロリ。義両親と義妹は、みんなで一緒に住もうと提案しますが、もう後の祭りです。 実家から遠く離れた土地で歯科医を開業その後、私たちは実家から遠く離れた土地で歯科医を開業。夫が事務を担当し、夫婦仲良く働いています。 生活レベルにあった家を購入せずに息子夫婦を頼る義両親も、嘘をついてまで押し掛ける義妹夫婦も自分勝手すぎ! 身から出た錆ですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月21日セカンドオピニオンってどういうもの?息子が小学3年生の時、行き渋りを始めたことをきっかけに児童精神科を受診しました。最初の病院では、不安を和らげる薬が処方されましたが、3ヶ月ほど通院しても改善が見られませんでした。その後、先生から大きなA病院を紹介され通院することになり、A病院では「解離性障害」と診断されました。しかし、A病院に通院しているうちに不安がどんどん増してきました。薬の変更によって大切な行事前に荒れてしまうことや、現状を伝えても「治ります」としか言われないこと、こちらの話を全く聞いてもらえないことが続いたため、現在の治療法が正しいのか疑問に感じたのです。そのため、セカンドオピニオンを受けることにしました。セカンドオピニオンとは、患者さんが納得のいく治療法を選択することができるように、治療の進行状況、次の段階の治療選択などについて、現在診療を受けている担当医とは別に、違う医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。セカンドオピニオンは、担当医を替えたり、転院したり、治療を受けたりすることだと思っている方もいらっしゃいますが、そうではありません。まず、ほかの医師に意見を聞くことがセカンドオピニオンです。引用:東京都保健医療局|セカンドオピニオンとは調べてみたところ、セカンドオピニオンは基本的に自費診療となり高額のようです。そして今通っている担当医の診断書が必要になります。私自身も、担当医に「セカンドオピニオンを受けたい」と伝えることに抵抗を感じましたが、先生は「セカンドオピニオンは患者の権利ですから」と理解を示してくださり、診断書を用意してくれました。その瞬間、心からホッとしました。Upload By 花森はな優しいB病院の先生との出会い初めてB病院を訪れた時のことは今でもよく覚えています。はじめに臨床心理士さんのカウンセリングを一時間ほど受けました。そして、次はいざ先生の診察!診察室を開けた瞬間に飛び込んできたのは、先生の満面の笑顔と「今日は来てくれてありがとう!」というあたたかい言葉でした。私たちの話を一つひとつ丁寧に聞いてくださり、もうこの時点で「この病院に転院したいです……」と言って泣いてしまいました。それほどまでに追い詰められていたこと、周囲に味方がいなかったことに、その時初めて気がつきました。Upload By 花森はなセカンドオピニオンの結果は…セカンドオピニオンの結果は、治療法もお薬の処方も間違ってはいないとのことでした。ただ一つだけ、「解離性障害」という診断名については、B病院の先生によると「僕はどちらかと言えば『不安症』と言いたいです」とのことでした。「心理検査も希望するならやりましょう。できることは全てしていきましょう」とおっしゃっていただき、こちらのB病院に転院を決め、心理検査を受けることになりました。心理検査とは、広く知能水準や発達水準、パーソナリティを評価するための検査をさします。病院などで、その後の支援計画・治療計画を立てるために集める情報の1つとして実施されます。検査、受けられる…?心理検査は、診察室近くの小部屋で行われました。検査が始まる前から私は不安でした。まずこの日は、秋にしては気温が真夏並みに高いのに院内は冷房がついておらず、うだるような熱気でした。息子は、暑くなるとパニックが起きやすいのです。また部屋も、天井が低く圧迫感があり、長時間いるのは難しいのではないかな……と思いました。そして何より、息子は不登校になってしまってから、母子分離が難しく、常に私がついていないとだめでした。一人で外出もできなくなってしまっていたのです。Upload By 花森はなセカンドオピニオンを受けてよかった検査が始まって30分も経たない頃、息子が検査室から飛び出してきました。「帰る!帰る!」と言って暴れます。慣れない空間、見知らぬ大人と二人きり……息子にとっては耐え難い空間だったのでしょう。検査は途中で中止となりました。途中までの内容で一旦結果を出していただき、検査はまた息子の状態が安定してきたら改めて行うことになりましたが、学校で支援を受けようとなると今回の結果では難しく、ひとまず定期的に受診をし、精神障害者保健福祉手帳の取得を目指すことになりました。Upload By 花森はなあのままA病院に通っていたら、精神障害者保健福祉手帳の取得を考えることもなかったですし、ずっとモヤモヤしたまま通い続けることになっていたと思うので、思い切ってセカンドオピニオンを受けてよかったと思っています。こうしてB病院の先生と出会うことができました。話を聞いてくれる、受け止めてくださる医療者と出会うことは、息子にとっても、私にとっても大きな救いとなりました。担当医は残念ながら代わってしまいましたが、現在もB病院に引き続きお世話になっています。執筆/花森はな(監修:室伏先生より)セカンドオピニオンを受けられ、通院先を変更されるまでの道のりを共有してくださり、ありがとうございました。大事な大事なお子さんの状況に関してご心配されるというのはとても自然なお気持ちですし、さまざまな先生の意見を聞いていただいて納得して治療に臨んでいただけるのが、医師と患者さま双方にとってよいことなので、ご希望される場合にはぜひ受けていただきたいと思いますが、患者さまにとってはそれを医師に伝えることは、時に勇気の必要なことですよね。医療スタッフと患者さまの間の信頼関係はとても大事です。人間関係なので相性もありますし、お子さんにとって何を大切と考えるかに関して意見の違いもあります。それは医師もよく分かっています。ですので、もしセカンドオピニオンのご希望があれば、ぜひ前向きにお願いしてみていただきたいと思います。前の記事はこちら
2024年05月21日株式会社エンファム.(所在地:東京本社 東京都港区・福岡本社 福岡県福岡市中央区、代表取締役:森 光太郎)は、アレーナホール・サロン(玉川高島屋S・C)にて行われる、2,000人規模のMcBプレゼンツ【bjbCOLLECTION2024 Jun.~大人の文化祭~】の開催が2024年6月1日(土)・2日(日)に迫っていることをお知らせいたします。石田純一いしだ壱成■bjbとは【bjb】は60歳前後の大人層を元気にするべく、2022年に誕生した新メディアです。【bjb】という名称には、バブル【b】期を経験した皆様も“じいじ【j】・ばあば【b】”になる、という意味が込められています。コンセプトは【人生100年時代をどう生きる?】で、様々な方の生き方に触れ、これから長くなる人生の参考にしていただこうというものです。Web(Instagram、YouTube含む)、イベントを中心に展開しています。ブラザー・コーン大西結花■「bjbCOLLECTION」とはbjbメディアのテーマである「人生100年時代をどう生きるのか」、そのヒントが見つかるイベントが「bjbCOLLECTION」です。バブル時代を生き抜いてきたbjb世代が、さまざまな同世代の生き方に触れたり、自らの美・健康・仕事・趣味などを語ったり披露したりする、いわば“大人の文化祭”です。■イベントコンテンツ(予定)<6月1日(土)>11:00~【人生100年時代応援企画】McBプレゼンツ乳がんを乗り越え活動を再開。これからの人生についてトークを行います。ブラザー・コーンさんトークショー12:00~【人生100年時代応援企画】UI銀行プレゼンツ50代からのマネ活13:00~ステージパフォーマンス13:30~【美容ファッション系人気インフルエンサー3名によるトークセッション】「マイナス10歳メイク&ファッション術」14:40~【ステージパフォーマンス】16:00~【80年代アイドル大集合!今だから話せるアイドル時代のあれこれ】あの頃憧れたアイドル達が目の前に!大西結花さん、つちやかおりさん、西村知美さんトークセッション17:15~【ステージパフォーマンス】18:00~【ディスコタイム】ジュリアナクイーン荒木師匠登場!人気DJ BOSSによるディスコタイム<6月2日(日)>11:00~【バブル世代集まれ!一生現役宣言!】現役経営者トークセッション12:00~【人生100年時代応援企画】Dstyle group. プレゼンツ昭和と令和・男と女の美容術13:30~【人生100年時代応援企画】おしゃれ×健康をデザインするストーンマーケットプレゼンツ石田純一さん&いしだ壱成さん親子トークセッション日本一のお騒がせ親子?!が語る、人生100年時代を生きるための新しい家族のあり方14:40~【ステージパフォーマンス】16:00~【フォロワー10万人以上のインフルエンサーも登場!】「人生100年時代をより楽しく生きるためのSNS活用術」17:00~【bjb世代のバンド3組のステージ!】強烈from三重・強烈from東京・スラカワホットブラザーズ※ゲスト、コンテンツや時間などは変更となる場合がございます。【バブル時代を思い出しておしゃれして出かけたい!】【元気なbjb世代の人たちと繋がりたい!】【今をよりカッコよく生きる情報が欲しい】など人生100年時代をより楽しく生きていくヒントが見つかることを趣旨にしています。■開催概要日時 :2024年6月1日(土)10:30~20:006月2日(日)10:30~18:00場所 :アレーナホール・サロン(玉川高島屋S・C)所在地 :東京都世田谷区玉川3丁目17-1入場方法:入場無料・事前申込制( )企画 :bjbCOLLECTION事務局運営 :株式会社エンファム.特別協賛:株式会社マックビー■bjb公式メディアHP : bjbCOLLECTIONイベントサイト: Instagram : YouTube : ■会社概要株式会社エンファム.代表取締役: 森 光太郎東京本社 : 東京都港区芝2-30-6 ファインラック芝2F、福岡本社 : 福岡県福岡市中央区赤坂3-6-23 エンファム.ビル設立 : 2001年12月25日事業内容 : 「世界中の子どもたちを笑顔にする」をテーマに、全国で年間30万人以上を動員するリアルイベントの実施やコミュニティサイトの運営、50万部の子育て情報誌「リトル・ママ」を発行など、様々な事業を通して子育てに関わる全ての人を応援。2022年より新たにバブル世代をターゲットとした“bjb”事業を展開。URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2024年05月20日毎年、5月の第2日曜日に訪れる『母の日』。母親を労って感謝し、カーネーションなどを贈るのが定番となっています。息子から「母の日に欲しいものはある?」と聞かれ…小学校3年生の息子さんを育てる、母親のぷにまあむ(punimaamu)さん。息子さんをプニ太と呼び、家族の日常を漫画にしてSNSに公開しています。『母の日』が近づいたある日、ぷにまあむさんはプニ太くんから「何か欲しいものはある?」と聞かれました。気持ちが嬉しい、ぷにまあむさんは「わざわざ買わなくていいよ」と答えますが…。『母の日』に何を贈ろうかと悩んでいる様子を見せていた、プニ太くん。ぷにまあむさんの期待も、次第に高まっていたのでしょう。まさかの『何もなし』という結末に、さまざまなコメントが寄せられていました。・私の家もこうだった。子供だけでお祝いを用意するには、ちょっと難しい年齢よね。・何もなしはまさかすぎる!でも、会話が尊い。・笑った。旦那さん、来年はしっかりプニ太くんをサポートしてあげて!後日、ぷにまあむさんは再びプニ太くんに手紙をおねだりしたそうですが、やはり手紙は苦手なようで、書いてもらえなかったそうです。結果的に、プレゼントを渡せなかった、プニ太くん。しかし、『母の日』を意識して、ぷにまあむさんに欲しいものを聞いたり、造花をチェックしたりした時には、本当にプレゼントに悩んでいたのでしょう。その行動や気持ちだけで、母親への感謝を伝える『母の日』の役割は達成できたといえるのではないでしょうか![文・構成/grape編集部]
2024年05月20日子供は、大人がすることに対して興味津々です。親が使っているスマホやタブレットの画面を見たがったり、触りたがったりするなんてことはありませんか。子供向け動画を見ていた子供が?生後6か月の息子さんを育てる、データサイエンティストのテッツオ(@tetsuro731)さん。ある日トイレに行くため、息子さんが好きな、子供向けの動画を見せていたといいます。しばらくしてトイレから戻ると…テッツオさんの目には、思わぬ光景が広がりました!X(Twitter)に投稿された1枚をご覧ください。論文を眺めている…!タブレットの画面には、英語の文章がズラリと並んでいます。大人でも、語学力や専門知識がなければ、理解するには難しいでしょう。論文の画面を寝そべって、見ている息子さん。写真に「ふむふむ」「簡単だよ~」なんてセリフをアテレコしたくなりますね!将来が楽しみになる息子さんの姿に、17万件を超える『いいね』が集まり、たくさんのコメントが寄せられました。・この子は天才なのか!人生3周目かと思って笑った。・意識が高すぎる息子さんですね!・論文を読もうとしていたのに、気付いたら、趣味の動画を見てしまう私とは大違いだ。・ここに将来が有望な逸材がいましたよー!テッツオさんいわく「職業柄、研究のために論文を見ていました。息子はいろいろ触っているうちに、動画からページを切り替えたようです」とのこと。これからも息子さんは、たくさんのことに興味を持って、すくすくと成長していくでしょう![文・構成/grape編集部]
2024年05月20日【関連】辻希美さんが朝6時出発の長男に作った「最速弁当」「みんな好みが違う」三者三様のお弁当(※画像は東尾理子さんオフィシャルブログより)東尾理子さんは俳優の石田純一さんと結婚し、2012年に長男を、2016年に長女を、2018年に次女を出産しました。現在、東尾さんは「平日は女子二人の学校の」「週末は息子の野球の」お弁当を作っているといい、「という事で、私、月曜日から日曜日まで、毎日お弁当作ってます」と明かしました。平日のみならず、週末もお弁当が必要とはなかなか大変です。「たまにはゆっくり寝たい笑笑」という気持ちにも大いに共感してしまいますよね。そんな東尾さんが投稿した写真は、「この日は、息子もお弁当が必要な平日」で、3つのお弁当箱。それも少しずつ内容が違っています。なぜかというと、子どもたちそれぞれの食の好みに合わせているからのよう。ひとつは、のりたまごはんとトンカツ、ハンバーグ、枝豆の入ったお弁当箱。もうひとつは、ホットサンドと唐揚げ、ハンバーグ、ケチャップスパゲティと枝豆。さらに二段重ねの曲げわっぱには、ホットサンドとトンカツ、ケチャップスパゲティに唐揚げ、ハンバーグ、枝豆、おにぎりも添えてとてもボリューミーです。「みんな好みが違うのも時間かかる〜」と東尾さん。この翌日は早朝の飛行機で出かけるため、なんと朝3時半起きになると予告していました。どんなに忙しい日でもこんなにしっかりしたお弁当を持たせてもらえるってすごいことなんだと、いつかお子さんたちも気が付くかもしれません。(※画像は東尾理子さんオフィシャルブログより)お弁当作りは細く長く4月からお弁当作りがスタートした方も、徐々に朝のルーティンに慣れてきた頃でしょうか。メニューがマンネリ化してしまい、頭を悩ませている人もいるかもしれません。でも特に子どものお弁当の場合は、「子どもが好きなもの」「食べられるもの」を入れるのが一番。好き嫌いをなくすために苦手な食材を入れたり、キャラ弁で喜んでもらいたいがために食べにくいおかずを入れたり……などの工夫は、かえって完食しづらくなりますよね。大人から見たら「いつも同じようなおかずでマンネリ」と思うかもしれませんが、子どもが美味しく食べられるならマンネリ大いに結構です。まして忙しい朝の時間に作るものですから、ある程度メニューを決めてしまった方が作るほうも気楽にできます。お弁当の定番食材、たとえば卵焼き、ウィンナー、ミニトマト、ブロッコリー、子どもの好きな冷食ミニおかず、などは冷蔵庫に常に確保しておき、メインのおかずは前の晩のおかずを一品取り置きするか、漬けダレに漬けておいて焼くだけなど、前の日に準備をしておくといいでしょう。毎日、何年も続くお弁当作り。細く長く、続けていきましょう。参照:【整理のプロが実践】お弁当作りはもっとラクできる! 我が家の時短のコツ6選
2024年05月20日「優、これはすごいことだよ!」(※画像はやしろ優さんオフィシャルブログより)イモトアヤコさんは2021年12月に第一子の男の子・Q太郎くん(愛称)を出産、やしろ優さんも2022年1月に第一子の男の子・やさ丸くん(愛称)を出産しています。さらに、2人と仲良しな元お笑い芸人の中村涼子さんも2021年に息子・ア太郎くん(愛称)を出産していて、偶然にも同学年男児を育てるママ友になった3人は、不定期に子連れ会合を開いているのだそう。その模様はイモトさんのYouTubeチャンネルでも公開されていますが、ラジオでイモトさんは「久々に会ったけど、すごいね! やさ丸はできるね~!」「一番下のやさ丸くんが、できることが多すぎてビックリ!」と、そのときの衝撃を明かしました。2歳といえば一般的にイヤイヤ期の頃。Q太郎くんは服を着替えるのにも「イヤイヤ」でなかなか着替えてくれないこともあるそうですが、やさ丸くんは「まさかの自分でオムツを替えて、自分でタンスから洋服を出して自分で着る」のだといいます。やしろさんいわく、最近のやさ丸くんはお着替えがブームで、1日に5回くらい自分でコーディネートして着替えており、同時にオムツも自分で脱いで替えているそう。この話にイモトさんは「すごくない!? そんな2歳児いる?」と大興奮。「やさ丸くんは保育園に行っていないから、優も同じ2歳児を見比べることがないからわからないみたいで」としつつ、「優、これはすごいことだよ! やさ丸は神童かもしれないよ!」と伝えたそうです。また、やしろさんの自宅に集合していたため、子どもたちはやさ丸くんのオモチャを借りて遊んでいましたが、1つのおもちゃに人気が集中してQ太郎くんとア太郎くんが取り合いの喧嘩に。するとやさ丸くんが、別のオモチャを持ってきてケンカを仲裁しようとしたといいます。これにも「2歳でケンカの仲裁をしようとそういう行動を取ったことがすげぇ!と思った」というイモトさん。結果的に親も少し介入してケンカはあっさり収束したそうで、「どんなにケンカしても、1分後には遊べるのが子どもの良さですよね。大人であれくらいのケンカをしたら、1年は仲直りは無理よ(笑)」と、感心していました。結婚や妊娠をする前からの仲良しが「ママ友」になるって最高ですよね2歳はイヤイヤ全盛期発達には個人差がありますが、2歳になると伝えたいことを少しずつ言葉で表現できるようになったり、動きがますます活発になったり、親側も「もはや赤ちゃんではない」と実感する場面がとても多くなる頃です。たとえば運動面では、足の機能がますます発達し、その場でジャンプをしたり、スキップをしたりできるようになります。また、手の指の機能も発達してくるので、線や円を描いたり、スプーンやフォークが使えるようになったり、自分で着替えができるようにもなったりします。また、知的好奇心が旺盛になり、「あれ何?」「どうして?」など、朝から晩まであれこれと質問を連発するようになってくるでしょう。子どもはそうやって、言葉を一生懸命自分のものにしようとしているので、できるだけ答えてあげるようにしてください。ママやパパなど、周囲の大人がすることをよく見ていて、ままごとをしたり、携帯電話をかけるふりをしたりするなど、「ごっこ遊び」を好む場合も。遊びの世界に入り込むことで想像力を育んだり、遊びのやり取りから社会性が身についたりします。一方で、「イヤイヤ期」と呼ばれる反抗期が本格的に始まります。自我がだんだん強くなって何でも自分でしたがるようになり、介入しようとすると「イヤ!」と怒って泣きわめいたり……どう対応していいかわからず、困り果ててしまうママやパパも多いかもしれません。これも子どもが成長していくために必要なプロセスなので、頭ごなしに叱りつけたりせず、「今はそういう時期なんだ」と理解して見守ってあげてください。参照:【医師取材】魔の2歳児の4つの特徴とは?虫歯予防やトイレトレーニングの進め方
2024年05月20日タレントの新山千春(43)が18日放送の『サバンナ高橋の、サウナの神様』(TOKYO MX/毎週土曜後5:55)に出演。妊活していることを明かした。新山はサバンナ・高橋茂雄がMCを務める同番組にゲスト出演。サウナ通いで妊活中であることを話し、「温活です」「冷やすとよくないみたいで、温めることに気を使って大事にしています」と語った。高橋が「旦那さんが年下ですよね?」と聞くと、「そうです。今29歳で結構年の差があるんですね」と、14歳の差があることを説明。さらに高橋が「前の旦那さんとのお子さんもおられて…」と問うと「もうすぐ18になるので、もう成人じゃないですか。なのでもう一回最初から」と妊活のきっかけについて明かした。行動力に「すごいですね」と驚く高橋だが、新山は「大変さはもちろんあったんですけど、それ以上にかわいすぎるんで。できるならもう一回」と前向きにトーク。「みんなで子育てして」と家族での子育てを楽しみにしている様子も語った。
2024年05月20日母乳育児からミルク育児に移行したママの体験談です。出産後、ママも赤ちゃんもいろいろなことが初めての状態。育児への自信をなくした時期を経てミルク育児で元気に育つ娘が、育児への自信をつけてくれたという話です。初の出産と育児をとても楽しみにしていた私。赤ちゃんを産むというのは大変ながらも、そのあとの子育て、特に母乳をあげることをとても楽しみにしていました。しかし、その楽しみは毎日涙を流す育児の始まりだったのです。じょうずに母乳をあげられなかった私。なかなかおっぱいを吸えない娘。周りの人からは、「なぜ母乳で育児ができないのか」と言われる毎日。母乳から育児用ミルクで育てることを決めた、私の育児体験談です。 母乳で子育てするものだと思っていた私の出産前の子育てイメージだと、出産後すぐに自然と胸が張り母乳が出て、赤ちゃんも本能で母乳を吸えるようになるものだと思っていました。しかし実際は、出産後すぐには私の胸が張ることはありませんでした。 2日後ぐらいにようやく胸が張り始め、母乳が作られているのを体で感じ、次は娘に吸ってもらうだけ!と思っていました。これも本能で赤ちゃんはできるものだと思っていた私は、母乳さえ出ればあとは大丈夫、“母乳で子育てができる”と期待していたのでした。 周りから押しつけられる理想の育児私は里帰り出産で、出産後2カ月ほど実家で過ごしていました。実家にいる祖母は3人の子どもを、母は私と兄を、義姉は甥っ子にあたるひとり息子をそれぞれ母乳で育てました。そのため、母や祖母は、母乳育児以外の子育てなんてありえない、という考えだったのです。 母乳は出ていたのですが、乳首が短く外側を向いていたため、舌に乳首が当たらず母乳をじょうずに吸えなかった娘。育児用ミルクにせざるを得ない状況に。搾乳をしていましたが、だんだんと母乳が出なくなってしまいました。そんな中、「なぜミルクなのか、母乳ではないなんてありえない」と母や祖母に言われ続けたのでした。 私の考えを変えたのは娘の存在街中で母親より少し上の世代の方に、母乳かミルクかを聞かれることがあります。「ミルクです」と答えるたびに母乳ではない私には劣等感が生まれ、もう母親失格なのではないかと思うように……。そんな私を変えたのは、生後半年を迎えたかけがえのない娘の存在でした。 育児用ミルクで育った娘は身長も体重の増え方も順調、風邪ひとつひかず病院にお世話になることもほぼなく、とても元気に育っています。そんな娘の姿を見ているうちにミルク育児でも私に自信が生まれてきました。 当時母乳育児にこだわっていた私ですが、育児用ミルクでも日々元気に育っていく娘の姿を見るうちに育児への自信もついてきました。母乳でも育児用ミルクでもそれぞれ良いところがたくさんありますが、一番はママとして私が無理のない子育てをすることが大切なのではないかと思っています。現在2歳の娘は今でも風邪もひかず元気に育っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/さくら著者:渡邉香澄0歳、2歳の年子姉妹のママ。ベビーマッサージセラピスト・幼児食インストラクター・上級幼児食インストラクターの資格を取得。ベビーマッサージ教室を運営中。ベビーマッサージセラピストをしつつライター業も兼業。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月20日卓球の松平健太選手(33)の妻でフリーアナウンサーの玉木碧(31)が20日までに自身のインスタグラムを更新。第2子の出産を報告した。玉木は松平との連名でコメントと投稿。「先日第二子を無事出産することができました!」とつづった。出産時について、第1子の時と同様に「計画無痛(和痛)分娩にしまして、お産自体は非常にスムーズにはいったもののやはり無痛といえど、今回は促進剤投与してからたった数分しか感じることがなかった陣痛なのに地獄の痛みで汗と涙が出ました…笑」と過酷な状況だったことを報告。「第一子の時は麻酔は効いていてもいきむのがとっても苦しくもう二度と経験したくない!!と思うほど…私も呼吸法がうまく出来ず、赤ちゃんに酸素が行き届かず辛い思いをさせてしまっていました」と振り返り、「今回は色んな条件が重なって奇跡的に前回の辛さが嘘のようにスムーズに産むことができましたおかげさまで母子共に健康です!」とし、「諸々良き判断をしてくださった先生や助産師さんに感謝です」とつづった。「結果安産にはなったとはいえ、やはり体力をかなり消費したのか出産直後は気を失うように眠りにつきました…」としつつも、「これから2児と9匹の子育て、夫と共に力を合わせて楽しみます!!子供2人と夫の試合観戦できる日も楽しみです」と期待を寄せ、「今後ともどうぞよろしくお願いいたします」と締めくくった。玉木は2020年3月に松平と結婚し、昨年1月に第1子出産を報告していた。■以下、コメント全文日頃からお世話になっている、応援してくださっている方々へこの場を借りて恐縮ですがご報告させていただきます先日第二子を無事出産することができました!第一子の時と同じく計画無痛(和痛)分娩にしまして、お産自体は非常にスムーズにはいったもののやはり無痛といえど、今回は促進剤投与してからたった数分しか感じることがなかった陣痛なのに地獄の痛みで汗と涙が出ました…笑第一子の時は麻酔は効いていてもいきむのがとっても苦しくもう二度と経験したくない!!と思うほど…私も呼吸法がうまく出来ず、赤ちゃんに酸素が行き届かず辛い思いをさせてしまっていました今回は色んな条件が重なって奇跡的に前回の辛さが嘘のようにスムーズに産むことができましたおかげさまで母子共に健康です!諸々良き判断をしてくださった先生や助産師さんに感謝です。お産そのものに限らず妊娠中含め、やはり出産というのは奇跡の連続ですね。結果安産にはなったとはいえ、やはり体力をかなり消費したのか出産直後は気を失うように眠りにつきました…これから2児と9匹の子育て、夫と共に力を合わせて楽しみます!!子供2人と夫の試合観戦できる日も楽しみです今後ともどうぞよろしくお願いいたします玉木碧松平健太
2024年05月20日4年前に結婚のためフランスに移住した私。夫同士が幼なじみで、近所に住んでいるあるママ友は、移住当初からよくしてくれていました。しかし、キャラも違い言葉の壁もあって、どう付き合えば良いか悩んでいたところ、1年半ほど音信不通に。偶然会ってもあいさつ程度でほぼ交流がありません。そんな中、共通の知り合いの結婚式に呼ばれた私。なんと、披露宴でママ友と同じテーブルになってしまったのです……!やさしくしてくれるママ友移住当初、私はフランス語もできない上に家族も知り合いもいなくて、近所に住んでいる夫同士が幼なじみのママ友が唯一頼れる存在でした。移住してすぐ妊娠し、育児に何を買って揃えたらいいのかわからなかったとき、そのママ友はすぐに自宅にある使用していない育児用品一式を、私に持ってきてくれたのです。 そのやさしさはとても助かったのですが、もともと見た目もキャラも違う上、言葉もわからなくて、私自身はどうやって彼女と仲良くなればいいのか悩んでいました。 さらに距離ができる私とママ友そんな中、私が苦手だと感じていることが彼女に伝わったのか、会う機会がだんだん減っていき、気づけば音信不通に。しかしある日、私の住んでいる地域のお祭りで、ばったり彼女に出会ってしまったのです。 でも、彼女とはあいさつ程度で、彼女の夫と少し話したぐらい。再度「やっぱり苦手だな。彼女も私を避けている」と感じ、もうあんまり会いたくないとさえ感じました。その後もあるイベントで顔を合わせたけれど、私も彼女もお互い話そうとはしませんでした。 気づけば意気投合それから数カ月後、彼女一家も来る予定の知り合いの結婚式に、私は家族で参加しました。その披露宴でまさかの同じテーブルに! 私はなんだか気まずさもあって「最悪!」と、つい思ってしまいました。 しかし、実際披露宴が始まってお酒が入るとなんとなくお互い会話をし始め、気づけば子育ての中での夫への不満で意気投合! 2人で大盛り上がりしたのです。それから、ようやくお互いの壁がなくなり、今では近所に住む仲良しのママ友の1人となりました。 苦手意識のせいで、音信不通になっていたママ友と私。私のフランス語が上達したことと、顔を合わせてゆっくり会話をする機会がもてたことで、お互いを理解し合うことができました。結婚式のおかげで大事なママ友が1人増えて、よかったなと思っています。著者:岩見 エリ2人の男児の母。看護師歴12年、フランスで出産し子育て中。
2024年05月20日皆さんは、子育てに悩んだ経験はありますか?今回はイヤイヤ期で泣き出す息子のエピソードとその感想を紹介します。(CoordiSnap編集部)イラスト:denminakoイヤイヤ期で泣き出す息子主人公は子育て中の女性です。この日は、義母と息子を連れて外出する約束をしていました。外出の準備をするため、息子が遊んでいたおもちゃを片づけ始めると…。息子が突然「もっと遊ぶ~!」と泣き出してしまいました。夫が現れて…出典:CoordiSnapイヤイヤ期で、ささいなことで泣き出す息子に手を焼く主人公…。するとそこに夫が現れ「抱っこするなり静かにさせろよ!」と怒鳴ってきました。主人公は暴れて抱っこができないと説明しますが…。夫に「抱っこもできないの?母親の意味ある?」と言われてしまいます。しかしその直後、自宅に義母がやってきて…。義母から「父親らしいところ、少しも見せてくれないのね」と喝を入れられ、夫は大焦りするのでした。読者の感想イヤイヤ期の息子と向き合うのは本当に大変ですよね。疲れているのは主人公も一緒なのに、子どもの世話をしない夫に腹が立ちました。(30代/女性)義母が夫に喝を入れてくれてスカッとしました。夫の態度は残念でしたが、義母が味方になってくれると心強いですね。(20代/女性)※この記事はユーザーのエピソードをもとに作成しています。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。
2024年05月20日療育を受けるきっかけになった1歳半健診今年6歳を迎えた長女のまゆみは、1歳半健診をきっかけに療育につながりました。健診を受ける際、これだけは聞こうと決めていたことがあります。Upload By にれまゆみの発達の遅れに気づいて以来、ずっと恐れてきた1歳半健診でしたが……ジタバタしきったと思えるところまでジタバタしたこともあり、「逃げられないのだから、何か成果を得て帰ろう」という気持ちになっていました。健診での問診中に心配事を伝えると、ありがたいことに発達相談をその日のうちに受けさせてもらえることになりました。そして心理士さんとの面談の結果、まゆみは「少し発達に心配のある子」として療育の申請をすることになったのです。しかし実は私、この時点では「とにかく療育につながろう」ということしか頭になく、多少調べてきたのは「自治体によっては3歳になるまで受けられなかったり、医師の診断書が必要」という療育を受けるための条件ばかり。市内にどういった施設があって、どういった内容のことをするのかはちっとも調べていなかったのでした。保健師さんによる聞き取り相談支援員の方との面談の前に、保健師さんによる聞き取りがありました。もう4年以上前のことなので詳しい内容は思い出せないのですが、ひとつハッキリと覚えているのは「公立の施設と民間の施設、どちらがいいですか?」と聞かれたことです。おそらく、保健師さんは「特色のある支援を希望しているか」という意味で尋ねたのだと思うのですが、当時の私はこの質問の意味を「経済面での希望を聞かれている」と勘違いしてしまい、勢いよく答えました。Upload By にれ公立よりも私立の学校のほうが学費がかかるというイメージをそのまま適用してしまい、あまり経済的に余裕のあるほうではないわが家は公立一択だと思い込んでしまったのです。実際には、公立・民間に関わらず所得に応じて定められている自己負担額で療育を受けられることになっているのですが……そのことを知ったのは後になってからでした。相談支援員さんとの面談数日後、自宅に相談支援員さんが来てくれました。当時、自宅外でまゆみを見ながら面談をするには数々のハードルがそびえ立っていたので、面談場所を発達支援センターと自宅の二択から選べる配慮がとてもありがたかったのを覚えています。相談支援員さんの話では、まゆみの年齢で通える公立の児童発達支援施設は市内に2ヶ所あるものの、1ヶ所は定員いっぱいのため自動的に「ひだまり児童園」(仮称)という施設になるということでした。私は「まずは療育につながることだ」と考えていたので、二つ返事でOKしました。あとは、日頃のまゆみの家での様子や1日のタイムスケジュール、療育を受けるにあたりどんな希望があるかなどの聞き取りでした。ひだまり児童園での面談契約のためには現地に赴く必要があったため、「療育って何をするんだろう。どんなところだろう……」と今更ながらドキドキしつつ、親子でひだまり児童園へ向かいました。見学と説明会を兼ねた内容の面談があり、実際に療育で使われている一室で施設長の先生とお話ししました。部屋にはボールやおままごとなどのおもちゃが置かれていて、先生はまゆみが遊ぶ様子を観察しながら「まゆみちゃん、赤が好きなんですね」「ボールを両手に掲げて歩きたいんですね」「こうしたい、というビジョンがしっかり彼女の中にありますね」など、「発達の遅れた子」としてではなく、まゆみ自身を見てくれているなと感じる言葉をたくさんかけてくれました。そして何より、「ああ、ここに通うことにして正解だな」と感じた出来事がありました。まゆみがおもちゃに飽きて部屋を出ようとしたので、思わず「コラ!勝手に出て行かないの」と捕まえようとした時、施設長の先生が「いいんですよ。うちは子どもファーストなので、好きにさせてあげてください」と笑ったのです。どこへ行っても居心地の悪さを感じて人目を気にしてばかりいた当時の私は、その言葉に「やっとまゆみの居場所を見つけてあげられたかもしれない」と思いました。Upload By にれそうして、施設の中を探検するまゆみの後ろを歩きながら面談の続きをしました。いま振り返っても、この時は素敵な体験をさせてもらったなと思います。まとめ以上、まゆみが児童発達支援施設に通所するまでのお話しでした。当時の私の場合、公立を選んだ時点で選択の余地はなく、希望というと「とにかく居場所がほしい」という願いだけでしたが……後々学んだことを含めて以下にまとめましたので、これから療育へ通うことを考えていらっしゃる方のお力になれましたら幸いです。Upload By にれひだまり児童園にはまゆみが3歳になる直前まで1年以上通わせていただきましたが、初めて通った児童発達支援施設がひだまり児童園で、ここの先生方に出会えて、本当に幸運だったなぁと思います。まゆみもひだまり児童園を気に入ってくれて、毎週楽しそうに通っていました。(ひだまり児童園に通う様子や卒業するきっかけになった出来事は私の著作で漫画にしておりますので、もしご興味のある方は是非ともチェックしてみてください♪)ちなみに、ひだまり児童園へ通い始めてから2ヶ月後、まゆみは私の希望で音楽療育にも通い始めました。次回はこちらのお話もさせていただければと思います。執筆/にれ(監修:新美先生より)児童発達支援につながるまでについて具体的に聞かせていただきありがとうございます。この年代ではまだお子さんの発達特性について気にし始めて間もないことが多く、福祉制度について知らないことが多いので、このような具体的なエピソードが聞けるとイメージが湧いて参考になりますね。児童発達支援は、主に小学校入学前の障害のあるお子さんが利用できる福祉サービスの一つです。利用の手順は市町村によって多少異なりますが、正式な診断名がなくても療育の必要性があると認められて、市町村から「受給者証」を発行してもらえると利用できます。コラムで紹介してもらっているように、公立と民間の施設があり、また親子で通うところ、保育園・幼稚園と同様に子どもだけが通えるところ、ふだんは保育園・幼稚園に通っている子が週に数回~月に数回、一定時間定期的に通うところなどさまざまです。集団療育、小集団療育、個別療育など形態もさまざまで、専門性の高さについてもまちまちです。また、児童発達支援は就学前までですが、同じ事業所内で放課後等デイサービスもやっているところもあり、就学後まで同じところで通う希望があればそういう観点も考慮するといいかもしれません。施設によって、かなりいろいろなカラーがあるので、候補になる施設を複数、見学に行ったり、できれば体験してみたりして、親子にあっていそうなところを見つけていけるといいですね。前の記事はこちらUpload By にれ(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。
2024年05月20日主人公のパパはママと娘の香奈ちゃんとの3人暮らし。慣れない育児と仕事の両立に悪戦苦闘しながら毎日を過ごしていました。元々子どもが苦手だったパパは、娘が生まれたあとも育児に手いっぱいで、子育てを負担に感じていました。自分の香奈ちゃんに対する愛情の薄さについて思い悩んでいたパパ。 一方、香奈ちゃんへの愛情がないパパに限界を感じたママは、離婚を宣言。慌てたパパは、「育休取るから!」と引き止めました。 「一緒に過ごす時間が長くなれば香奈を愛せるようになる」 そう考えたパパは、離乳食作りにも挑戦しますが……。 初めての離乳食を吐き出されて… やっとの思いで作った離乳食をすぐに吐き出され、思わず苛立ってしまうパパ。「楽しい食事の時間が台無し!」とママに怒られてしまいました。 どうしてこんなに大変な思いをして作った離乳食を吐き出されてもイラッとしないのかと聞くと、「だって、赤ちゃんだし」の一言で、反論する余地もありません。 気をとり直して離乳食をあげ続けた結果、食事にかかった時間は1時間。ママからは、休む間もなくお風呂に入れるよう迫られるのでした。 子育てしたことがあれば、誰もが経験する離乳食。赤ちゃんの状況に合わせて準備しなければいけないため、苦労することも多いですよね。うまく食べてもらえなくてイライラすることもあるでしょう。 しかし、それは今までママが毎日してきたこと。実際にパパもやってみたことで、ママの苦労がわかったことでしょう。便利な時短家電などは、どんどん取り入れてママとパパが笑顔で子育てできるのが一番です。 思い通りにいかず、大変なことが多い子育て。良いことも悪いことも経験したうえで、香奈ちゃんへの愛情がパパに生まれるといいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター ちなきち
2024年05月19日▶︎ 特集「働くママのセルフケア」の記事はこちらストレスが溜まったときの「癒し」はありますか?「ストレスが溜まったときの癒しがある」と答えた人は約60%でした。多くの人が、自分なりの癒しアイテムや癒し行動を持っているようです。自分の感情や体調を整えるための「癒し」を持つことは、「自分自身をコントロールできる」という安心感と自信につながります。癒しがないという約40%の人は、趣味や休息によって無意識に癒し行動をとっているのかもしれませんね。動物とふれあう●飼っている犬の毛をもふもふする。(男性/43歳/食品・飲料/自営業)●飼っている亀とあそぶ。(女性/49歳/商社・卸/事務系専門職)●動物と触れ合える場所に行き、餌をあげたり触ったりすること。(女性/40歳/人材派遣・人材紹介/事務系専門職)人間とは違って裏表がなく、本能にしたがって生きている動物とのふれあいは、心をなごませてくれます。動物の毛を撫でる、抱きしめる、スキンシップをする、といった行為は、幸福感をもたらすホルモン分泌を促し、ストレスの緩和につながるという説もあります。動物を飼える環境にない人は、猫カフェや動物園、牧場などもオススメです。なかには「競馬場で生き生きとした馬を見ること」というお答えもありましたよ!子どもと遊ぶ●子どもにぎゅーっとして癒されています。(女性/37歳/金融・証券/事務系専門職)●子どもと全力で遊ぶ。(男性/48歳/金融・証券/営業職)●子どもとテレビゲームをして楽しむ。(女性/49歳/電機/秘書・アシスタント職)ストレスの原因が「うまくいかない子育て」であったとしても、子どもと遊ぶことはストレス解消のための有効な手段です。しつけや子どもの教育というプレッシャーから解放されて、子どもと夢中になって遊んでいるうちに、いつの間にか気持ちはスッキリ。自分自身も子どもにかえる貴重な癒しの時間ですね。子どものほうも、たっぷり遊んでもらって心が満たされます。「またゲーム!」と怒らずに、たまには子どもの目線を共有して遊んでみてもよいのでは。思い出に浸る●子どもが赤ちゃんのときの写真を見ること。(男性/39歳/団体・公益法人・官公庁/事務系専門職)●子どもが赤ちゃんだったころ、一生懸命話している動画を見ます。(女性/36歳/医療・福祉/専門職)子どもは3歳までに一生分の親孝行をする、といいます。それほど、小さい子どもはかわいいものなんですね。仕事に子育て、家事、親戚づきあいにほとほと疲れたら、子どもの思い出に浸るのもアリです。赤ちゃんだったかわいいころに感じていた気持ちを思い出しましょう。「この子のためならなんでもできる!」と感動したあの瞬間……。海外ドラマで、デスクまわりに家族の写真を飾るのも、こんな心理なのかもしれません。心を解放する●なにも考えずぼぉーっとする。(男性/32歳/建設・土木/技術職)●各地の絶景を検索してただただ眺めている。(男性/49歳/士業/事務系専門職)●ヘビメタを大音量で聴くこと。(男性/35歳/自動車関連/事務系専門職)●1人カラオケで練習する。(女性/45歳/飲食業/販売職・サービス系)心をしめている心配事を追い出し、体をしばりつけている緊張感を解きほぐし、自分を解放する癒しの時間は大切です。ぼーっとするのが難しい人は、お風呂でリラックスするのもよいでしょう。ほかには、サウナやマッサージに行く、というお答えもありました。音楽もリラックスするためのよい手段です。ひとりカラオケで熱唱! も楽しそうです。推しを慈しむ●寝ている子どもの寝顔をみること。(女性/39歳/金融・証券/営業職)●NETFLIXで韓流ドラマを観る。(女性/44歳/ホテル・旅行・アミューズメント/営業職)●アニメグッズを見てニヤニヤする。(男性/37歳/小売店/事務系専門職)子どもの寝顔は「天使の寝顔」とはよく言ったもので、日中忙しすぎてストレスを抱えたとしても、我が子の寝顔に一気に気持ちが和む人も多いのではないでしょうか。また、いまでは多くの人に認知されている「推し活」も人気です。好きな俳優が出ているドラマを楽しんだり、アニメを見たりすることが癒しになります。ライブやイベントに行くことは活力源になりますが、ポジティブな行動はちょっとツラい……という人には、「映像を見る」「音声を聞く」という受け身のアクションがちょうどいいでしょう。まとめ癒しのスタイルは千差万別。みなさん、自分だけの癒しスタイルを確立しているようです。もちろん「スイーツを食べる」「よく寝る」という王道スタイルもあげられていましたよ。なんとなくモヤモヤが晴れないときは、散歩などの軽い運動、十分な睡眠、健康的な食生活を心がけてみましょう。遠回りなようですが、体が整うとストレスは軽減されていきます。エネルギーをチャージして明日も元気にいきましょう。マイナビ子育て調べ調査日時:2024年4月9日~10日調査人数:201人(20代~40代までのパパ・ママ)(マイナビ子育て編集部)
2024年05月19日夫はいつも帰りが遅く、不定休の仕事でした。長男を出産し退院してからしばらくの間、義母がお手伝いのため泊りに来てくれていました。どうぞお帰りください!知り合いもいない私には心強くありがたいと思っていたのですが、2日目には友達に電話して、「もう帰りたいわ」とか「疲れちゃった」とか。「私は1人で子育てしたわよ、今の人は仕事してる旦那さんにまで手伝えっていうのよね」とか、愚痴ばかり。初めての出産で、しかも毎日2時間おきくらいに起きて精神的に不安定な私に聞こえないとでも?もちろん家事をやってくれるのはありがたいですが、そんな聞こえるように言わなくても。遅くに帰ってきた夫にも愚痴を言っていて、ほとほと疲れました。 愚痴を聞くのが嫌だし、そんな嫌々手伝ってもらうのも気がひけるので「ご実家の曾祖父母も大変でしょう。私は大丈夫です」とやんわり伝えて帰ってもらいました。私はやんわり言ったし、正直帰りたかった義母ですから、「あらそう?大丈夫?じゃあ早いけど帰るわね」とさっさと帰っていきました。 ◇ ◇ ◇ 出産してすぐのママは、体も精神的にもケアが必要な時期です。今回のママのように、義母との関係を考え、言葉を選びながら帰ってもらったのは素晴ですね。子どもと楽しい時間を過ごすためにも、ママの心が穏やかであることを願います。 作画/まげよ著者:まりりまん40代、15歳・10歳の母。現在は離婚してひとり親。自分の両親と同居中。
2024年05月19日保育園入園で、生活がガラッと変わったきいちゃん新生活といえば、子どもたちだけでなく、その親である私たちも子どものことを考え、緊張したり不安になったりしますよね。とくに、子どもがうまく園や学校に馴染んでくれるのだろうかと心配になります。子どもに障害があれば、なおさらだと思います。きいちゃんは保育園入園時と小学校入学時と今まで大きく2回、生活がガラッと変わりました。今回は保育園の入園の時の話を書きたいと思います。保育園入園!子どもが心配だけれど、親自身も周囲の発言で傷つくことも……きいちゃんは生後半年の時、運よく加配枠で保育園に通えることになったのですが、嬉しさと同時にとても不安になりました。周りに受け入れてもらえるだろうか?いじめられたりしないだろうか?担任の先生はどんな人だろう……?ということです。Upload By 星きのこまた、ダウン症という障害の特性ゆえ、外見的特徴から周囲に障害が分かりやすいのですが、それが、周囲の人に障害があることを分かってもらえるというように良いように作用することがあれば、時には差別的な発言を受けるなど悪いように作用することもあります。Upload By 星きのこ保育園入園時はまだ子どもが小さく、親である私たちも障害を受け入れられてないことも多かったりするため、不用意な発言を受けた時は傷ついたり、上手く感情を対処できなかったりします。現にその頃、私の周囲の同じダウン症のある子のママさんたちの中には、「子どもをベビーカーに乗せて歩いていると、子どもの顔をじっと見ていく人がいて悲しかった」「定型発達のママにじろじろと子どもの顔を見られてコソコソ何か言われてしまった」……と、事実がどうであれ、悩んでいるママがいました。私自身は、(被害妄想は炸裂していたものの)実際には傷つく体験をすることはなかったのですが、元来、鈍い性格なので気づかなかったり、運がよかったのかもしれません。しかーーし‼可愛い子どものため、悩んでばかりでも仕方がありません。同じ条件下でも、子どもが楽しく過ごしやすく、そして人間関係をうまく整える方法を考えました。作ってよかった「サポートブック」!その対処として、私がやってよかったなと思うことの一つが「サポートブック」の作成です。作ったサポートブックは、担任の先生や園長先生にお渡しし、きいちゃんの特性について情報共有をしました。サポートブックとは、入園、入学、進学など子どものライフステージが変わる時に、子どもの普段の様子や関わり方、知っておいて欲しい情報を、園や学校の先生と共有するためのツールです。詳しい内容、作成方法などは以下で紹介されているので参考にしてみてくださいね。ジュニア「サポートブックとは」わが家の場合は、先生が読む時に苦にならないように、長文ではなく、見やすく、大切なことだけを簡潔に書きました。それを100円均一ショップの透明フォルダーに入れて完成させました。子どもの障害や特性について、口頭での説明だけだと内容がうまく伝わっていなかったり見返すこともできないので、サポートブックはとても有効でした。これで担任の先生とはうまく連携が取れたように思います。何か子どもに変化があれば、その都度ファイルを入れ替えるといいと思います。Upload By 星きのこ「サポートブック」で先生との連携はクリア!お次は……さてさて、次は同じ園に通う保護者さんにうまくきいちゃんの障害を伝えなければ……。どうやったらうまく伝えられ、きいちゃんを受け入れてもらえるか考えました。その方法とは……また次の機会にお伝えできればと思います!執筆/星きのこ(監修:鈴木先生より)園や学校以外でも通院している医師との連携に、このサポートブックは使えます。かかりつけ医はダウン症の一般的なことは分かっていても、合併症など個々の症状については把握していないことがあります。サポートブックにはそのお子さんの特性や既往歴・家族歴・受診歴等が書かれており、病院や学校が変わるたびに親が同じ話をしないで済むというメリットがあります。私の外来では「医療支援ファイル」という学校・病院・親の連携を図るためのツールを使っています。個人情報が書かれているので管理は慎重に行っていく必要があります。ただし、サポートブックやファイルは外来で保険点数が取れず、あくまで医師によるサービス(ボランティア)として行っているために、時間に余裕がない医院や病院では対応が難しい場合もあります。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2024年05月19日日本テレビの尾崎里紗アナウンサー(31)が19日、自身のインスタグラムを更新し、6月末で同局を退社することを報告した。尾崎アナは「先日発表がありました通り、6月30日をもって会社を離れることとなりました」と説明。今後について「子育てをしながら、その時々の自分のペースで仕事も続けていきたいと思っています」と明かした。「会社ですれ違う人みんなに『引越しいつ?』と聞かれるのですが…すぐではなく…!!いつか、大切な故郷の福岡で、子育ても仕事もしていく、その未来に向けてどう歩んでいけるかを考えているところです」とし、「このままだと、『まだ東京にいるじゃん~!!』とツッコミが入りそうだったので…取り急ぎ、ご報告でした!」と記した。尾崎アナの退社について同局は、ORICON NEWSの取材に「人事の詳細はお答えしておりません」と回答。関係者は「将来的に夫婦の故郷である九州に拠点を移し、子育てと仕事をしていく方針」と語っていた。尾崎アナは、1992年11月生まれ、福岡県出身。A西南学院大学を卒業後の2015年、日本テレビに入社。同年9月より情報番組『ZIP!』を担当。18年から4年間『バゲット』のMCを担当した。19年11月に大学の同級生と結婚。22年に第1子男児を出産した。
2024年05月19日【関連】コンビニで子どもが万引き!そのとき親は……小学校高学年~中学生にもなると、家の外で思わぬトラブルに巻き込まれることも出てきます。今回は、小6の娘を持つパパさんからの投稿をご紹介します。K-POPアーティストへの憧れから、大人っぽい洋服を着るように……<投稿主:PN ごりっちゅさん42歳男性/子:13歳女子>(※写真はイメージです)娘が小学校6年生だった時のことです。K-POP系のアーティストの大人びたメイクと衣装に憧れるようになり、私からすれば「年相応じゃない」と感じるような露出度の高い服を着るようになりました。周りのお友達も似たような格好の子が多く、本人たちは大人びたセクシーな服装がカッコいいと思っているようでしたが、私は父親という立場から心配で、「子どもがそういう格好をしていると、変な大人に目をつけられることもあるから気をつけなさい」と口を酸っぱくして言っていました。「変な人に声を掛けられてしつこく付きまとわれている」(※写真はイメージです)そんなある日、娘がいつものように友達と遊びに行ったときのこと。突然、娘の携帯から着信がありました。急いで電話に出ると「変な男の人に声をかけられて、しつこくつきまとわれていて怖い」というのです。あわてて近場のお店に避難させ、お店の人に電話を代わってもらい、私から話をして娘たちを匿ってもらいました。ありがたいことにお店の人が不審者を追い払ってくれ、なんとか事なきを得ましたが、もしこれが人気のない場所だったら、1人になったところを尾けられていたら……命の危険すら感じるような事態に発展していたかもしれません。「子どもを性的な目で見てくる大人は一定数いる」(※写真はイメージです)娘自身、この出来事に本気で恐怖を感じたといい、その日から数日ふさぎ込んでいた様子でした。もちろんこうした事案で一番悪いのは、子どもを性的な目で見る大人のほうですが、そうした「変な大人」が一定数要ることは残念ながら事実で、子ども側も警戒心を持つことが必要です。娘には「好きな恰好をしたいのはわかるけれど、年相応であってほしい。世の中には変な大人もいるのだから、危険な目に遭ってほしくないんだよ」とあらためて話し、ようやく理解してくれたようです。今は中学生になりましたが、以前よりも地味な服を自分で選ぶようになりました。テレビやネットなどで大人の女性たちがセクシーな恰好で魅力的なパフォーマンスをしているのを見て、子どもながらに「イケてる」「カッコいい」と憧れることはあるでしょう。しかしそれはあくまでテレビの世界であって、ステージの姿です。実際にそんな恰好で子どもが出歩いていたら違和感が強く、不審者の目にも止まりやすくなってしまうのではないかと思いました。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。防犯について、親子で共有を不審者につきまとわれたらという娘さんやお友達は、本当に怖い思いをされたと思います。親が我が子の身なりを心配に思う気持ちはよくわかります。しかし一方で、「年相応の服装でいれば、不審者を避けられる」わけではありません。特に性犯罪は被害者の服装次第で防止できるわけではなく、地味な服装であっても「おとなしそうだから騒がれないだろう」とターゲットに定める加害者もおり危険だという見方もあります。下着が見えるような露出が多い服は盗撮被害などのリスクもあるため、十分に話し合うことが必要ですが、それと併せて「どのような場所・時間帯が危険か」「不審者に遭遇したときどう対応するか」などの防犯対策を親子で共有しておくことです。ごりっちゅさんの場合、お子さんがすぐに親へ助けを求めることができたのは、不幸中の幸いだったといえます。何かあった時に子どもが「助けて」ということのできるような信頼関係を築くことも大切ですね。(マイナビ子育て編集部)
2024年05月19日生後半年、電車内で急にぐずり始めて……(※写真はイメージです)生後6ヶ月の子どもを抱っこ紐で抱えながら、電車に乗っていた時の出来事です。それまで、あまり電車に乗り慣れていなかった我が子。乗車時間はわずか20分ほどにもかかわらず、乗って5分でぐずりだしてしまいました。「このままでは迷惑になってしまう」と席を立ってあやしてみても、なかなか機嫌がなおらず、私は焦る一方。すると、近くに座っていた20代くらいの女性が声をかけてくれました。「座ってください」⇒断ったものの……(※写真はイメージです)その女性は「座ってください」と席を譲ってくれました。しかし、うちの子は立っている方が機嫌が良いことがあるので、「ありがとうございます。ですが、立っているほうが泣き止むことが多いので……。今は大丈夫です」と、申し訳なく思いながらも断らせてもらいました。するとその女性は気分を害したふうでもなく、ニコッと笑って、子どもに「もう少しだからがんばろうねー。がんばれがんばれー」あやすように声をかけてくれたのです。まさに女神(※写真はイメージです)電車の中で子どもがぐずりだすと本当に大変ですし、周りの目が気になって親としても辛い時間です。なので、見知らぬ人から声をかけられ優しくされると、気持ちの面で本当に助かります。その女性は先に降りてしまったのですが、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。あの時は本当にありがとうございました。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2024年05月19日51歳の高岡早紀さん「どうしてそんなに若いんですか?」(※画像は高岡早紀さんオフィシャルブログより)高岡早紀さんは成人した2人の息子と13歳の娘の母であり、現在51歳。しかし年齢を感じさせない可愛らしい魅力に、菊地亜美さんは「子育てしながらの美容について聞きたい!」と前のめりです。菊地さん自身はまだ幼い娘を育てる日々で、自分の美容にあまり時間をかけられない状況。高岡さんが「同じよ、美容に時間かけられないままずっと」と言うと、食い気味に「どうしてそんなに若いんですか? 聞きたい! 仕事でいろんな方とお会いするけど、本当に可愛いですよね。めっちゃ可愛いのよ。なんでそんなに可愛くいられるんですか?」と、その秘訣を知りたがります。すると高岡さんは、「家でみんなが可愛がってくれるからかな。息子とか娘とかが」と、これまた可愛すぎる答え。息子たちが小さい頃は一緒にクローゼットを見て洋服を選び、「これ着てほしいな」と言われたものを着ていたこともあったそう。この答えに、「意外と子どもって見てますよね」と菊地さん。というのも、娘の幼稚園のお迎えに行くと、「●●ちゃんのパパかっこいい時計してた~、とか。3歳4歳でそんなところ見てるの!?」と驚くような会話を耳にすることがあるのだといいます。さらに菊地さんは娘から「●●ちゃんがママのこと可愛くないって言ってた~」と言われたこともある、と大爆笑。「3歳の子の言うことだから100%信用はしてないですけど、でもなんか言ってそう」と、子どもたちの率直すぎる批評に思わず笑ってしまったといいます。ママ同士も遊ばなきゃダメ?一方、高岡早紀さんのチャンネルでは、視聴者からの質問に回答していった菊地さんと高岡さん。菊地さんが「どうしても高岡さんにこれを聞きたいと思った!」という質問は、「性格が合わない人、嫌いな女性とのどうしても一緒の時間を過ごさなきゃいけないとき、どうされていますか?」というもの。友人付き合いなら考え直せばいいですが、子どものコミュニティなどで気の合わない人と一緒になった場合は大変です。「今後子どもの友達の親と気が合わなかったらどうしよう……って。経験がないからわからないんです」と不安げな菊地さんに、高岡さんは「当たり障りのない会話を(する)。みんなそうだと思うけど」と泰然とした態度を示します。あらためて菊地さんが「深くいかずに避けもせず、その場をやり過ごす?」と確認すると、「やり過ごすっていうか、しなきゃいけない話はちゃんとして、それ以上話さない」ときっぱり。子育て初心者の頃は高岡さんも、「子どもたち同士を遊ばせる時には、ママたちもそこで一緒に何かしなきゃいけないのかと思っていた」時期がありますが、「これは私もびっくりしたんだけど、『何時に迎えに来るからね』って子どもだけ遊び場に置いていった」というママ友の例をあげて、「あ、そういうことでいいんだ!」と気づかされたといいます。これには菊地さんも「向こうもこちらと関わりたいかなんてわかんないですもんね」と納得。考え方のスイッチを切り替えることで解消される悩みもありますよね。レシピ通りの味が美味しいかどうかはわからないまた、料理にも不安を抱えているという菊地さん。ほぼ毎日、家族のために料理をしていますが、必ずレシピ通りに分量を量らなければ作れず、「料理ってセンスじゃないですか。適当に作って美味しくなっちゃったことは絶対ないです」と悩みを吐露。目分量でなんでも作る高岡さんに、「本当に? でも味見しながらやるじゃない。もうちょっと(調味料)足そうかなとか」と聞き返されると、菊地さんは「そうやって足す前のほうが美味しかった、みたいになっちゃう」と失敗談を明かします。料理のセンスは確かにありますが、高岡さんの料理上手ぶりがわかるエピソードも。それは、たまにレシピを見ながら一緒に料理をするという息子さんから、「レシピ通りに料理を作ったから、美味しいかどうかわからないよ」と言われたというものです。「レシピ通りに作れば美味しいはず……」と菊地さんは不思議顔ですが、「息子にとってレシピはそのレシピ本の作者の味。彼の味のベースはいわゆる『お母さんの味』とか、外で食べておいしかった料理だから」と解説されると、目からウロコが落ちたようで「レシピを超えるような味なんか見出せないと思っていました。息子さんの感性がすごい!」と絶賛していました。言われてみれば、味の好みは人それぞれですから、そのレシピの作者の味が自分の好きな味かどうかはわかりませんよね。やりとりを通して菊地さんは「すごく学ぶことが多かった」と笑顔に。子育てや料理に関する不安や悩みが少し軽くなったようでした。
2024年05月19日お金の使い方も不透明。これはおかしいと、自治会役員に立候補。“向こう三軒両隣”の精神で、コミュニティのつながりを、自らリーダーシップを取り実現してきた佐藤良子さん(82)。そして直面する、少子高齢化。1千400世帯、3千800人が暮らすマンモス団地は、日本社会の縮図なのかもしれない。そこにかつてのにぎわいを取り戻すべく、82歳のいまも奔走する。その姿には日本を再生させるヒントがある。佐藤さんの自治会改革はまた、男性社会の理不尽なカベを突き破っていく闘いの連続でもあった。「自治会の活動を続けてきて思うのは、地域作りの底力となるのは情熱ある“人”ということ。男とか女とかは関係ない」そんな話をしている間も、またすれ違う住民との会話が始まる。「あら、小松さん。スーパーかな。今日も元気そうね」会話をするときは必ず自転車を降り、相手の名前を呼びかける。「自転車を降りるのは、たいてい長話になるから(笑)。長く住む1千人以上の住民の顔も名前も部屋番号も、30年も自治会でやってれば、自然に覚えちゃうものよ」あっけらかんとして言う。いまも24時間、相談の電話を受け付けるし、自治会は住民の駆け込み寺との信念から、自宅玄関の鍵もかけないという。目指してきたのは、住民が「一生ここに住みたい」と思う団地だ。■ほぼ半世紀前に家族で引っ越してきた。古きよき昭和の暮らしがかろうじて残って「抽選に一回で当たったときは、憧れの団地生活ができるんだと、家族で大喜びしたものでした」佐藤さん一家が大山団地に入居したのは、ほぼ半世紀前の1976年3月。会社員の夫(81)との間に、当時7歳の長男、3歳の長女に続いて次男が誕生した直後だった。「そのころはまだ940世帯で、2階建ての3DK。風呂なしだったんですが、どのお宅も、小さな庭に自分で浴室を建て増ししてましたね。家賃は月6千円くらい。幼い3人の子育てに追われ、近くに頼る親類もいなくて不安を抱えていた専業主婦の私でしたが、大山団地で暮らし始めたら、みんなで助け合うのが当たり前の生活がありました」すでに日本中で失われつつあった古きよき昭和の生活が、ここにはかろうじて残っていた。「うちは上の子が病弱でしたが、病院に連れていくときは隣のおばちゃんが下の子たちの面倒を見てくれ、私が熱を出すと『今日は子供たちはうちでごはんを食べさせるから』と言って、私にもおかゆを作ってくれたり。うちの子供たちは、団地のご近所さんに大きくしてもらったんです。24歳で結婚。以降、市内のアパートや借家での暮らしを経て、前述のとおり大山団地へ。やがて、わが子の成長とともに団地内の子供会やPTAの活動にも徐々に参加するようになる。「そのうち、子供会などの活動を通じて、自然に自治会の様子も垣間見えるようになると、さまざまな疑問が生じてきました」■違法駐車をした車に貼り紙をしたら持ち主の男性が「ぶっ殺すぞ!」と「自治会活動について、まず母親として思ったのは、主催イベントが、夏祭りと運動会しかないこと。年に2回集まるだけじゃ、住民同士の顔も覚えられません。次に、役員に女性がひとりもいないこと。外で活動するのは世帯主というのが当時の常識でしたから、自治会もおのずと男性だけ」そしていちばん引っかかったのが、お金の問題だった。「これだけのマンモス団地で自治会費も相当な金額になるはずですが、どうも使い道が不透明。すし屋なんかで会合してるのも、『あれは自治会費で飲み食いしてるのでは』という噂が流れていたり。それでも誰も、『おかしいのでは』と声を上げなかったんです」転機は、末っ子の次男が成人した翌年の1996年に訪れた。「このままでいいのかと、ずっと思い続けていました。ちょうど子育ても一段落して、よし、中から変えていくために私が役員になろうと思い、54歳で自治会の区長に立候補して当選します。これが私の自治会役員デビューとなります」早速、手をつけたのが会計だった。「帳簿を見た瞬間、おかしいと思うことばかりでした。使途不明金はもちろん、明らかに偽造された領収書なども見つけたり。今までの担当者は変だと思いながらも、昔からの慣習で黙ってハンコを押していたんでしょうね」なにやら最近も話題となっている政界のニュースを思い出させるが、その結末はまったく違う。「でも、私は見逃せなかった。猛烈に抗議して、『これでは総会など開けません』と主張しました」いわばパンドラの箱を開けてしまったわけだが、佐藤さんは、そのことで潰されはしなかった。「そんな私の姿を、以前から『このままではいけない』と思っていた人たちが見ていたんですね。2年後に、周囲に押されるかたちで副会長に就任します」そして翌1999年4月、推薦投票で会長に就任。大山団地で初の女性会長で、57歳のときだった。「すぐに“向こう三軒両隣”の精神を提唱し、目指したのは、私たちが引っ越してきたときに味わった“お互いさま”のコミュニティ作りでした。というのも、ここ大山団地もいよいよ、そうした助け合いの精神が時代の進展とともに失われているように感じていたからです」以降、ことあるごとに佐藤さんは住民たちに呼びかけていく。「せめて自分の両隣だけでも、いつも声かけしてください」もちろん精神論だけでなく、改革は“自治会費納入率100%”や“住民名簿の充実”“趣味サークルの立ち上げ”など、具体的かつ生活に密着したものばかりだった。「会費納入率100%達成は、よそではそうはいかないと思います。これも振り込みにしないで、各班の班長が集金に出向くようにしました。実は、安否確認の目的もある。顔を見て、『変わりないですか』『ご苦労さまです』の挨拶を交わすのが大事なんです。“人材登録”も、眠っている技能や資格の活用になります。住民のなかには着付けや通訳など各分野のプロも多かった。その才を催事などで適材適所に生かすわけです」“違法駐車撲滅”では、こんな騒動も巻き起こった。「路上駐車の車に『移動させてください』と貼り紙をしたら、自動車にガムテープの跡がついたと男性が怒鳴り込んできて、最後には『ぶっ殺すぞ!』と。『ひとりで話し合いに来い』と言うから、夫は心配しましたが、私は行きましたよ。最後は、女ながら引かなかった私を認めてくれましたが」団地内に落書きが横行し、中学生らの仕業と判明したときには、地元の中学校へも行った。「落書きは30カ所もあって、修繕費の見積もりをしたら200万円とも。それで話し合いに行ったと言えば聞こえはいいんだけど、実際は朝礼に乗り込んだ(笑)」中学校の体育館で、生徒たちを前に佐藤さんは訴えた。「私に5分ください。犯人捜しをしたいわけじゃない。社会には大人だけでは守れないものもあるから、若いみんなの協力も必要と思っているんです」 その後、4人の生徒が自分たちがやったと名乗り出たばかりでなく、100人以上の生徒がボランティアで清掃に協力してくれた。威勢のいい話が続いたが、その裏側では初の女性会長に対して、陰湿な嫌がらせもあった。「『生意気だ』『男が会長になれない自治会なんて情けない』という中傷ビラがまかれたり、自宅の郵便受けにヘビを入れられたり、自転車をパンクさせられたり。ただ、私は何があっても、いま団地に必要なことを考え、それを実行していくだけ。会長の椅子にデンと座ってるのじゃなくて、自ら夜間にゴミ拾いをしていたら、『会長さんは忙しいんだから、私がやるよ』と、みんなが手伝ってくれるようになりました」例の「ぶっ殺すぞ」の男性との間にも、こんな後日談が。「その人も、最後には自治会活動で私を助けてくれるようになりました。文句を言う人ほど、孤独を抱えているもの。最初は挨拶して無視されても、声をかけ続ければ、やがて『こんにちは』と返ってくるようになるんですね」■会長のバトンは渡しても生活に変わりはない。住民からの電話も24時間対応のまま「『24時間、住民からの電話を受けたり大変ですね』とよく言われますが、私は『ぜんぜん』と答えます。 苦労と感じないのは、私が自治会でやってきたことは、すべて恩返しだから。団地で何か問題が出てくるたびに、ここで暮らし始めたときに私たち家族が周囲の人たちに助けられたことを思い出し、またみんなで力を合わせて乗り越えようと、知恵を絞ってきました」そう語る佐藤さんが、会長職を退き相談役となったのは2015年春。「会長を10年やって、住民たちの要望はほぼ達成されたと思えたころから、5年計画で次世代へのバトンタッチを考えました」会長のバトンを渡された橋本久行さん(65)は、大山団地に暮らして26年。自治会では、例の違法駐車騒動のときに佐藤さんと共に現場で大変な思いをした同志だ。「佐藤さんのすごいところは、たとえ『ぶっ殺すぞ』と言われてもひるまず、相手と向き合い、最後には納得させる胆力。その背景には、豊富な人生経験と知識からくる説得力があるんです。ですから、いまだに何か起きると、『佐藤さんに相談しよう、教わろう』という声が出ます。ただ、あのパワーに加えてアイデアマンですから、次々に新しい施策が飛び出すのはいいんですが、ときに私ら現場はてんてこまい、なんてことも(笑)」時代の流れとともに、自治会を取り巻く状況も変わりつつある。「個人情報などの扱いもシビアになりつつありますし、若い人のなかには、『自治会に入って何かいいことあるの?』という声も実際に聞かれます。今後は、若い世代との交流も大切と思い、すでに地方自治を学ぶ学生との勉強会なども始めていますし、近隣の自治会とのネットワーク作りなど、新しい展開も始まっています」相談役となっても、前出の24時間対応でもわかるが、佐藤さんの生活は以前と変わりないようだ。大山自治会ではこれから連日、8月後半に予定される夏祭りの打ち合わせが始まる。橋本会長は、「コロナもあって5年ぶりの開催。昔に比べて子供の数もぐんと減っていますが、なんとか盛り上げようと、周辺の子供会やPTAにも声かけしてるところです」高齢化や少子化が進むいまだからこそ、かつてのにぎわいを再現できる祭りにしようと、佐藤さんたち自治会役員は大山団地らしいイベントを実現すべく、日々、アイデアを出し合っている。
2024年05月19日長女がまだ生後3カ月のとき、私は孤育て真っただ中でした。自分の地元ではなく知り合いのいない土地で、夫は仕事で忙しい日々。家の中でただひとり、話のできない赤ちゃんと過ごす毎日の中で、夫に言われた言葉が忘れられません。 私も夫も休みがない日々当時の夫は、平日は朝早く出社し、帰宅は夜遅く、休日出勤も当たり前。丸1日休みになるのは月に1度ほどしかなく、いつもぐったり疲れていたので、「休みの日くらい寝かせてあげよう」と思い育児について頼ることができませんでした。そのため私は馴染みのない土地で、まさに“孤育て”の状態に。 心休まる日がなく、子どもが夜頻繁に起きることもあり、心身ともに消耗していました。夫婦ともに毎日疲れ切っていて、家の中の雰囲気は常にどんより。会話も最小限で業務報告ばかりでした。夫も子どものことを気にかける余裕がなく、私も夫のことを思いやる余裕がなかったのです。 思い切って気持ちをぶつけるだからこそ否定的な言葉やネガティブな言葉をかけることは避けていたのですが、ある日、溜まりに溜まったストレスで「このままじゃおかしくなってしまう!」と思った私。どうしても夫に話を聞いてほしくなり、帰宅後の夫を呼び止めました。 「ずっと家にいるのがつらい」「大人と話せないのがつらい」と、そのときの気持ちを溢れるままにぶつけている間、夫は疲れていたのか、ぶすっとした表情のまま黙っているだけでした。 夫の言葉に撃沈したけれど私が話し終わった後、夫は「はぁー」と長くため息をつき、「前は家にいるのが好きだって言ってたよね。嫌なら好きに出かければ?」と言いました。夫の冷たい言葉を聞いてがくぜんとした私。今の私の現状をちっとも見てくれていない夫の態度に、とても傷つき涙が溢れました。 けれど冷静になって考えれば、夫が疲れ切っているタイミングに話をしたことも良くなかったかなと反省。また、「出かければ」と言われたことで、「確かに自分から子どもを連れて遊びに行ける場所を探していなかったかもしれない」と思い、地域の子育て支援について調べ始めるきっかけになりました。 夫婦のどちらにも余裕がなく、この日から数日は夫と口をききませんでした。ただ、数日後には夫も「あのときは言い方が良くなかった、ごめん」と謝罪。夫に受け入れられず悲しい気持ちになった一方で、自分の視野が狭くなっていたことに気づくきっかけにもなりました。 著者:山口花田舎で1女1男を育てる母。コーチングの資格を子育てに生かしながら日々奮闘中。主に妊娠・出産・教育の記事を執筆している。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2024年05月18日息子と二人で家から少し遠いスーパーへ。機嫌よくしていた息子が号泣!?1歳頃の息子は、癇癪や他害がひどかったので、児童館や公園など同年代の子どもたちがいる場所には連れて行きにくいと感じていました。ですから、たまにいつもと違う、少し家から離れたスーパーに買い物に行くことが、わたしと息子にとってのささやかなイベントになっていました。この日は、家から3キロほど離れたスーパーに、自転車に乗って息子と出かけて行きました。機嫌よく買い物に付き合ってくれた息子でしたが、帰りがけに大泣きしてしまうことに。なぜかというと、お菓子コーナーにあった小さな画面に夢中になってしまったからです。その画面には、とあるお菓子のCMが、繰り返し流されていました。Upload By メイお菓子のCMを何度も繰り返し見たがり、動かなくなってしまった息子何度か見たらそのうち満足して離れられるかもしれないと、しばらく様子を見ていましたが、一向にその気配はなく、予告の声掛けをしたあとにその場から引き離しました。予告の声掛けは残念ながら効果がなく、息子は号泣。出口までなんとか連れて行ったものの、息子はスーパーの前で動こうとしません。大泣きする息子をなんとか連れて帰ろうと、自転車に乗せようとしましたが、息子は座席から立ち上がって拒否していました。そんな状態のまま自転車で走るのは危険だったので、私は息子を自転車に乗せることをあきらめ、片手で暴れる息子を押さえ、反対の手で自転車のハンドルを持ち、少しずつ押していきました。これが想像以上に大変で、少し進んでは止まって休憩して、また少し進んでは休憩を繰り返していました。ずっと泣き続け、全力で拒否し続ける息子に疲れ、泣きそうになりながら自転車を押していた時、一人の女性に声を掛けられました。女性は、今進んでいる大通りの先にある駅まで行くところだから、そこまで自転車を押しましょうかと言ってくれたのです。女性はしばらく一緒に歩いていましたが、電車の時間が迫っているということで先に行き、駅の前に自転車を停めておいてくれました。Upload By メイとてもありがたい女性の手助けに、少し気持ちが軽くなった私でしたが、その後もまだ息子は泣き止みませんでした。自転車に乗れていれば20分もあれば家に着いていたはずなのに、すでに2時間が経過して、あたりは薄暗くなってきていました。Upload By メイどんなになだめても泣き止まない息子。疲れで感情が乱れてしまい……優しく声をかけてなだめようとしても全然ダメだし、もう疲れた……。だんだんお腹の中で、イライラとかムカムカとか、なんとも言えない感情がぼこぼこと湧いてきました。この膨れ上がる感情を、一体どうしたらいいのか分からず、この場を立ち去ってしまいたい衝動に駆られました。Upload By メイUpload By メイ結局私は、3歩ほど息子から離れたところで立ち止まりました。落ち着かないといけない、冷静にならないといけない。そのためには、このお腹の中のモヤモヤを、どうにかしないといけない。でもこの場を離れるわけにはいかない。私は寝転がって大泣きしている息子のそばに座り込んで、気が済むまで地面を叩きました。そんなことするなんてヒステリックですごく嫌だと思ったけれど、ほかに気持ちを発散できる方法が思い浮かびませんでした。Upload By メイ落ち着きを取り戻した私は、ひたすら息子を待つことに決めました。しばらくして、息子の泣き方が少し変わってきたタイミングで、帰ろうかと声を掛けました。息子はグスグス言いながら、私に寄ってきました。Upload By メイちなみに自転車は持って帰れなかったので、あとから夫に取りに行ってもらったのでした。どう対応すればよかった? 今も考え続ける息子との関わり方この時の出来事は、今でも何が正解だったか分かりません。息子のやりたいことに延々と付き合ってあげられたらいいけれど、外出先だったり時間の余裕がなかったり、そうできない場合もあります。今回のことは、息子の気が済むまでスーパーでCMを見せてあげていたほうが、結果的に早く家に帰り着いていたかもしれません。でもそれは、あとからだから言えることでもあります。トラブルがあるたびに、こうすれば良かったああすれば良かったと、いろんなパターンをシミュレーションしてきました。そうして少しずつ、息子との関わり方を学んできたような気がします。執筆/メイ(監修:森先生より)愛情を持っていれば持っているほど、子育ては「こうすればよかった、ああすればよかった」の連続ですね……。お子さんを楽しませたくて少し遠くのスーパーに行ったり、帰りたがらないときもはじめから無理に連れ出さずに気が済むまで付き合おうとしたり、予告の声掛けをしたりと、メイさんはお子さんのために努力されていますね。うまく癇癪がおさまらないことは少なくありません。一般的な「子育てのコツ」を勉強して、お子さんの気持ちを考えて寄り添って……全てを頑張ってもうまくいかないことはありますよね。親も人間ですから、イライラしてしまうこともあります。お子さんを無理に自転車に乗せて自転車から落ちる、お子さんが車道に飛び出してしまう、といった大きな危険をできる限り回避したというだけで満点の対応ではないでしょうか。それだけで満点なのに、あの時どうすればよかったかを考えてさらに学ばれているということですので、素晴らしいですね。同じような環境にいる子育て中の皆さん、迷いや後悔は常にあるかもしれません。後悔の度合いは愛情に比例します。すでに充分頑張られていますので、どうかご自身を褒めてあげてください。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月18日赤ちゃん返りをしてしまった4歳の息子(※写真はイメージです)下の娘が産まれた時の話です。当時4歳の息子はひどく赤ちゃん返りしてしまい、誰かのサポートが必要でしたが、父親である自分は育休を取ることができず、有給休暇も頻繁に取れる状態ではありませんでした。だからといって産後の妻に長男のことまで任せるわけにはいかず、義理の母に毎日のように来てもらって、上の子のお世話や妻のフォローなどをしていただきました。義母のサポートは本当に頼りになり、とても助かりました。実はそれまで、息子が生まれてから義母がしょっちゅう顔を見にくることを、正直に言えば疎ましく思っていたこともあったのですが、そんな過去の自分を反省し、気持ちを改めました。幼稚園でも問題行動を起こしていたがさらに当時、息子が通っていた幼稚園でも、息子の赤ちゃん返りによる問題行動が頻発。ほかの園児と揉めるなど、しょっちゅうトラブルが起こしてしまっていたのですが、先生方は「下のお子さんが産まれたばかりの今は、仕方ないですから」と言って息子に優しく接してくださいました。そのうえ、ほかの親御さんとの関係も取り持っていただき、とても助かったのと同時に先生方の優しさに改めて感謝しました。下の子の夜泣きがひどい時期には……(※写真はイメージです)また、当時住んでいたのは賃貸マンションだったため、下の子の夜泣きで近隣の方々に迷惑をかけてしまいました。産まれてすぐ、上下左右のお宅に菓子折りを持って挨拶に回った際も温かい言葉をかけていただき、夜泣きがひどい時期も近所でお会いすると子どもたちを可愛がってくださいました。妻と一緒に「ご近所さんに恵まれてよかった」と、胸をなでおろしたことを覚えています。あのころは多くの人たちに何かと迷惑をかけてしまうことだらけでしたが、皆さんの優しさに救われました。本当に感謝しかありません。ありがとうございました。====================※本記事は、編集部に寄せられた実際のエピソードを元に再構成しています。エピソード募集中妊娠中、子育て中に誰かに助けてもらって感謝していることはありませんか。そんな「ありがとう」の気持ちを込めたエピソードを募集しています。あなたのすてきな体験談を教えてください。投稿フォームはこちら
2024年05月18日二度目の離婚は一度目よりもダメージ大(※画像は小倉優子さんオフィシャルブログより)小倉優子さんはこの日の番組に「相談したいことがありそうな」タレントとして登場。まず、オードリー若林さんは「ゆうこりんの人生ってすごいですよね、いろんなこと経験してますもんね」と、波乱万丈な半生に触れました。芸歴は20年以上の小倉さん。18歳でデビューした当初はグラビアアイドルとして人気を博し、19歳で「こりん星出身のりんごももか姫」というキャラづけを始め、27歳のときに最初の結婚をしています。33歳で離婚すると、「なぜかママタレの人気ランキング1位に」なり、35歳で再婚しましたが36歳で“第二次ゴタゴタ期”に突入。二度目の離婚を経て、現在は3児のシングルマザーとなりました。実は、二度目の離婚の傷はまだ完全には癒えていないといい、現在も「復活した、元気になったって思おうと頑張ってる」という段階だそう。「心の奥の『ドーン』ていう『ギュー』みたいな気持ちはまだ消えなくて、これから」だと素直に話してくれました。今回は一度目の離婚後とはまったく心境が違い、一度目の離婚は「自分からさようならを言った」けれど、二度目は相手から「言われた」のが大きく異なる点です。一度目の離婚後よりも落ち込んでいるのは、そうした違いが関わっているようです。すでに離婚は決定的だったのに……二度目の離婚については、第三子を妊娠中に週刊誌によって「離婚危機」と報じられた小倉さん。その後も出産や子育てをしながら長い話し合いの期間を経て、第三子が2歳になってから離婚成立を発表しています。すでに離婚が決定している状態でも「ママタレント」としてのお仕事は当然あり、当時はバラエティの収録中に「VTRを見ていてもすぐ涙が出てくる」状態だったそうです。芸能界に限らず、夫婦関係が破綻寸前で不安になっていても、仕事中はそうした素振りを見せられませんし、つらいとしか言いようがないですよね。現在はシングルマザーとして三兄弟を育てていますが、「いつまで仕事があるか不安になる」ことも。仕事や育児だけでなく、大学生として学んだり、大学の長期休み中も親子で勉強したりと、とにかく多忙な小倉さんですが、それは「何かやってないと不安になる」からだといいます。さらに、離婚によってバラエティでの立ち回りが難しくなったとも感じているよう。「(周りの人が小倉さんに対して)ツッコミづらい感じがする」「タレントとしてどうしていけばいいんだろう」と悩むこともあるようです。そんな現状を打破するために、かつての「こりん星からやってきたりんごももか姫」というキャラクター設定を復活させることも検討しているという小倉さん。すべては「扱いやすいタレントでいたい」「ずっと仕事をしていきたい」という思いからで、子どもたちのために頑張らないといけないと強く感じているよう。責任感の強い小倉さんですが、決して無理せず、周囲の人々を頼りながら過ごしてほしいですね。
2024年05月18日主人公のパパはママと娘の香奈ちゃんとの3人暮らし。慣れない育児と仕事の両立に悪戦苦闘しながら毎日を過ごしていました。元々子どもが苦手だったパパは、娘が生まれたあとも育児に手いっぱいで、子育てを負担に感じていました。自分の香奈ちゃんに対する愛情の薄さについて思い悩んでいたパパ。 香奈ちゃんをお風呂に入れているとき、顔に直接シャワーをかける様子を見たママは「ずっとこんなやり方してたの!?」と激怒。パパの香奈ちゃんに対する扱いに失望します。 香奈ちゃんのお世話と仕事で疲弊していたパパは不満が爆発!「もう俺は何もしない」と口にしました。 香奈ちゃんへの愛を疑ったママは「そんな簡単に放棄できるくらいの愛しかないなら、もう離婚したほうがいいかもね」と告げました。 香奈のこと、愛していないでしょう? 「香奈ちゃんのお世話は義務でしかない」「香奈ちゃんに対する視線に愛がこもっていない」そう告げるママ。 確信をつかれたパパは、返す言葉がありません。 「こんなはずじゃ……」突然の離婚宣言に戸惑いを隠せないパパ。 離婚を阻止するために考え抜いて出した答えは、育休をとることでした。 日々、ともに過ごす中で気づいていた違和感を伝えたママ。パパが苦痛を感じながら子育てしていたことは、ママにも伝わっていたようですね。 元々、子どもが苦手なパパ。楽しく子育てしたいと思っていても限界があるでしょう。 夫婦関係を続けていくためには、パパが苦手を克服するか、ママがパパの苦手を理解し配慮する必要があるかもしれません。 いずれにしても、お互いに無理がなく納得できる形で落ち着くといいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター ちなきち
2024年05月17日