高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。※この記事は、第1回「体験談&マンガ投稿コンテスト」の予選通過作品です。 妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万端!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、このコロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛がくるのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産には、お母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2021年05月24日新しい命をこの世に送り出す「出産」という大仕事。その形は、人それぞれに違います。それぞれにストーリーがある出産エピソードについて、今回はウーマンエキサイトアンケートに寄せられたエピソードの中からご紹介します!■「陣痛も3日たつと痛みに慣れる!?」難産&安産エピソード多く寄せられたのが、「難産で大変だった」というエピソードです。「予定日超過で大きかったため、入院して陣痛促進剤を投与しました。しかし、1日目、2日目は陣痛につながらず、3日目になんとか普通分娩で産まれました。3日もたつと痛みに慣れて、『陣痛がきました! 赤ちゃんまわってます! はい、いきみます!』なんて、自分で実況していました」「自然なお産が売りの病院で、赤ちゃんの心拍モニターも促進剤も会陰切開も基本はなし。もし破水から始まっても、内診はしない方針でした。破水から始まり、そのうち陣痛のピークが過ぎてしまい、赤ちゃんの心拍が落ちているからと、酸素マスクと内診をすることに。そしたら子宮口9.5センチでした。そこから急にいきめと言われても…。結局、出産に38.5時間かかりました」「第一子を出産して、わが子との対面でほっとしていたら『胎盤が崩れてるから残り取りましょう』と手を突っ込まれ激痛。とれない。『輸血しますねー麻酔もしますよー』と言われ、集中治療室へ。カテーテル手術で止血し、動かないように言われて仰向けで寝てなきゃいけないのが一番つらかった…。腰が痛すぎて…。母乳への影響を考えて、担当医が来るまで一晩麻酔してもらえず、我慢できずに泣いた」「夕方、自宅で破水しそのまま入院。その後、陣痛。陣痛から28時間後、子宮口7cmから進まず。羊水が濁り、帝王切開になった。子どもの首にへその緒が巻きついていました」「出産当日にインフルエンザ発症、朦朧(もうろう)となりながら産んだ」壮絶な出産エピソードに、読むだけで拍手を送りたくなります。産んだお母さんも、生まれてきてくれた赤ちゃんも、本当によく頑張ったのだと、改めて出産は奇跡だと気付かされます。一方で、安産だったというエピソードも寄せられました。「初産、予定日より一週間早く、突然激しい張り。すでに陣痛は5分間隔。病院に電話しても『初産でそんなまさか』と、取り合ってくれず。でも、痛みはジェットコースターのごとく。やっと病院に着くが、助産師さんたちは『大げさ!』と冷たい対応。しかし診察台にのったとたん、周りは大慌て。『よく我慢したね』と言われる。結局陣痛らしきものから産まれるまで計4時間。主人は2度寝して間に合わず。助産師さんから『超スピード安産だった』と言われたました」「第1子の時は陣痛促進剤を入れ、その日には生まれず、次の日の朝11時に破水、12時に出産。初出産にも関わらずスーパー安産でした」陣痛から素早く生まれてきてくれると、母子ともにその安全が守られやすく、安心ではあります。ただ、どんな出産も「安産だったから楽」とか「早く生まれてきてくれたから幸せ」とは一言で言えるものではありませんよね。本当に個人差が激しい出産の経験だからこそ、大変さは比べるものではないなと感じさせれらます。■「陣痛で焼肉がお預け…」出産の驚き&笑える体験談また、出産にまつわる驚きのエピソードも寄せられていました。「4人の子どもを産みましたが、次男の出産はロケットダッシュ! 痛みに気づいてからあっという間で、危うく車内で産むところでした。病院の玄関に車を横付け、その時点で赤ちゃんが落ちてきそうな気配が…。主人と、看護師さんに引きずられ分娩室へ直行、分娩室へ入り着替える間もなく5分で出産完了。その間に痛すぎて意識がなくなったようです。無事に生まれてくれてよかったです」「4000g超の巨大児を、普通分娩で産みました。妊娠中20キロ以上も体重が増えてしまい、赤ちゃんも大きく育ちましたが、無事に出産できました」「昔から、ピンチの時も冷静でいられるのが長所で、慌てることがあっても顔色ひとつ変えず、声もあげないようなタイプでした。出産時にも、陣痛開始から産後まで、一度も痛いという声を上げずに、静かに出産を終えました。母子手帳を見た助産師さんに、『あなた初産なの!?』と驚かれたほどです。何より、私が一番驚きました(笑)」超スピード出産に4,000グラム超え赤ちゃんの出産、静かな出産など、驚きのエピソードばかりでしたね。さらに、こんな笑えるエピソードも寄せられています。「2人目の出産エピソードです。その日はゴールデンウイーク最終日。夜は焼肉を食べようと意気込んで、ちょっとお高めのお店を選んでいたところ、腰の痛みが…。『いや、まさか…』と、試しに間隔を計ると、きっちり7分。もちろん、病院からは『経産婦さんだから、すぐ来てね!』と…。おかげで焼肉はお預けで泣く泣く病院に行きました…」「夜の9時前に『あれ、おなかが痛い』と間隔を測ると、まさかの3分! あわてて産院に連絡を入れて、駐車場に着いて降りた瞬間に、急にうなるほどの痛さにみまわれ、這いながら産院にたどりついたけど、受付の2階に上がれない状況に。内診したら『9センチです。もう産まれるよ。旦那さんは間に合わないね』と言われ、頭の中には、『だから実家に泊まれといったのに! 間にあわなかったら恨んでやる』と鬼と化した私(笑)。それから陣痛が弱まり、生まれる5分前に旦那がヘラヘラ登場。2人目は多分パパを待っていたんだと思う。ママに八つ裂きにされたら困るから(笑)」出産の記憶は、それぞれに形は違えど、印象に残るものですよね。焼肉に後ろ髪を引かれたり、夫の判断への怒りが噴出したりと、時に笑えるエピソードとして、思い出になることもあるようです。■「出産は大変なんだよチクショー!」また、コロナ禍の今だからこそのエピソードも寄せられていました。「出産前、経験者の方々にお産の痛みを聞きまくり、 『生理痛のひどいのですよ』という感想を自分に言い聞かせるようにしていましたが、実際は全く違いました。激痛。結局、吸引分娩になり、3回目で息子誕生。コロナ禍で立ち会い出産はできませんでしたが、陣痛、分娩中のあの姿を旦那に見られなくて良かったです」「助産師さんにすごく助けていただきました。コロナで立ち会いができずだったので、たくさん声をかけてくれて嬉しかったです」ここまで、さまざまな出産エピソードを見てきました。どんな出産でも、お母さんたちにとって大仕事ということは同じで、かけがえのない出来事だと感じます。こんなメッセージもありました。「出産はみんなそれぞれに違って、痛みの感じ方、気持ち、環境。 楽な出産なんてあるわけがないし、『命を産む』という事がどれだけすごいことか。出産は大変なんだよチクショー! と思います」これから出産を控えている人もいることと思います。出産に挑む前は誰でも不安を抱えがちですよね。いったいどんな出産になるのか、未知の状態では不安になるのも当然だと思います。もしどうしても不安な気持ちがおさまらないようであれば、病院に相談するなど、ひとりで抱え込まないようにしてくださいね。どんな出産でも、きっと後から振り返った時に、「頑張ったぞ、自分」と思える要素があるはず。出産は当たり前ではなく、奇跡なのだと、きっと実感する日が来ると思います。次回は産後の体験談エピソードをご紹介します!
2021年05月19日出産予定日から4日が過ぎたころ、初産だった私は多少の焦りを感じつつも妊婦健診に向かっていました。向かっているときも生まれそうな予兆はなく、帰ったら何食べようかな?と妊婦健診の後のことばかり考えていました。 モニター中の不自然な心音内診を終え、先生から「子宮口がまだ2cmだからもう少しかかりそうだね〜。いっぱい歩こうか!」と言われ、そのままNST室で赤ちゃんの心拍を測っていると、たまに心拍が抜けていることに気付きました。近くで聞いていた看護師さんも気付いてすぐに先生を呼びに行き、しばらくすると先生や看護師さんたちが集まってきました。 もう一度先生に診察をしてもらい先生から「お母さん、おなか痛くない? これたぶん陣痛だよ! あと、少し赤ちゃんの心拍が弱ってるからこのまま入院ね!」と言われ、そのまま即入院。突然のことに驚きながら、不安はありつつも陣痛室に入りました。 破水しても子宮口が開かない…お昼ごはんを食べていなかったので夫に買って持ってきてもらい、体力をつけようとサンドイッチやカップケーキなどおなかいっぱい食べました。そしてのちに痛い目を見るとも知らない私は、「よし! 頑張るぞ!」と気合いを入れていました。そのときの痛みは生理痛ほどで、会話もまだ余裕。 陣痛室に入ってから1時間ほど経ったころ、ポン!と音がして温かい水が股から出てきました。自分でも意外だったのですが、冷静にナースコールで「破水しました!」と伝えて先生に子宮口の開きを診てもらってもまだ3cm。このときはまだ重めの生理痛程度。ここから5分後には何も話せないほどの陣痛の痛みになりました。それから陣痛の間隔が3分間隔になっても、子宮口は4cmしか開いていませんでした。 赤ちゃんの心拍が下がり始めるあまりの急激な痛みにうまく呼吸ができず、赤ちゃんの心拍が下がり始めてしまいました。助産師さんに酸素マスクをつけてもらいましたが赤ちゃんの心拍が戻らず、「切ろうか」と先生に言われ唖然。「まだもう少し頑張ります」と半泣きになりながら伝え、呼吸を整えながら痛みを逃していました。 しかしあまりの痛みに、先ほどおなかいっぱい食べた昼食を嘔吐し、体力もかなり消耗していたため、先生から「これ以上は赤ちゃんが危険になる」と言われ、私は帝王切開での出産を決意しました。 手術開始から15分程で出産手術の決意をしたものの2分間隔で陣痛がきていました。「陣痛きても動かないでね!」と言われながら麻酔の処置をなんとか耐え抜き、だんだんと陣痛も和らいできました。 麻酔は下半身のみなのでおなかを切られていじられている感覚はありましたが、痛みは一切ありませんでした。そして、手術開始から15分で無事に娘を出産することができました。 まさか自分が緊急帝王切開になるとは思ってもいませんでした。術後翌日は傷が痛み、寝返りを打つのもつらくて泣きそうでした。しかし3日ほどで歩けるようになるまで回復しました! 何より、無事に娘の顔を見られて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜田 かのん1歳女児のママであり、元保育士。現在2人目を妊娠中。離乳食コーディネーターの資格を取得し、保育士の経験も生かしながら自身の体験談を執筆している。
2021年05月15日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! さて、術後1日目のアイドルタイムの多い日。 マッマは何をしていたかというと、ひたすら帝王切開について調べていた。 自分は帝王切開になるなんて思ってもいなかったため、何一つ知らないのだ。 そこでまずひっかかっていた、「2人目以降も帝王切開」と言われた台詞。 ここで初めて、帝王切開の理由、TOLAC(トーラック:帝王切開をしたことある妊婦さんが経腟分娩を試みること)というものがあること、それは子宮破裂の恐れがあるなどを知る。 そして帝王切開になる原因一覧なども、もちろん見る。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月28日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 改めて入院生活をすることになった部屋は、最初に割り当てられた部屋と違う。 全自動ベッドで、同室の人たちは帝王切開や産後の体調がよろしくない患者たちだ。 産後、経腟分娩でも、点滴スタンドを杖にして歩く人が多いようで、マッマも部屋到着時にすすめられたものの、あったほうが逆に姿勢がうまくいかず、一見スタスタ歩いていたのだ。 初回の移動は散々だったものの「痛くない角度」を見つけ、支えなしでトイレに行き、赤ちゃんステーションまで歩いていると「えっ!? もう歩けるの!?」と逆に驚かれた。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月25日んぎまむさん、無痛分娩で点滴・陣痛促進剤、硬膜外麻酔をおこない、いよいよ出産かと思いきや、子宮口9cmのところでまさかの緊急帝王切開で出産! 産後間もない娘が「新生児一過性多呼吸」で保育器に入る、と告知され不安に。 翌朝、んぎぃちゃんの無事が告げられ、一安心! すべての装備が外され、「じゃあ病室に戻りましょう」と、急にスパルタで移動を促される。 起き上がろうとすると走る激痛……! 「傷口が! 傷口がぁぁあー!!!」 帝王切開の傷口が裂けるような痛みで、怖くて立ち上がれない。 仕方がないと、車椅子を持って来てくれたものの、そこに移動することすらままならない。 やばい。腹が裂ける。 「これみんな歩いて移動すんの? 無理じゃん?」と悪態をつきながら、今日から生活する病室に到着したのだった。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター んぎまむ2017年1月18日生まれの女の子、「んぎぃちゃん」を子育て中。イラスト・漫画制作中心の在宅クリエイター。ベビーカレンダーでは、んぎぃちゃんを妊娠中から出産、育児まで怒涛のんぎまむライフを「んぎぃちゃんカレンダー」として連載中。
2021年02月24日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、こんにちは! PUKUTY(プクティ)です!この度無事第二子を出産しました! 今回はご報告を兼ねて出産経緯を簡単にご紹介します。■破水それは妊娠37週の時でした。1人目が帝王世界だったため、2人目も計画帝王切開の予定でした。まだ手術日まで日数があったので余裕を持っていたのですが…まさかの破水! 破水なんて初めての経験でしたが、急に大量の水が出て来て「あ、これは破水だ」と一瞬で理解しました。■救急搬送お腹の子は逆子だったため、破水したら足とともにへその緒が出てくる可能性があって危険とは聞いていていたのでとにかくパニックに! だけど友達の一言で冷静になることが出来ました。病院からの指示で救急車にて病院へ。すぐに診察してもらい、そのまますぐ緊急帝王切開で出産する事に。■次男誕生とにかく急なことでまだ心の準備も出来ず、お腹の子は大丈夫かとか心配もあって、震えていた私。だけど皆さん優しくて、不安にならないようたくさん声を掛けてくれたり、手を握ってくれたりしました。あと1分で日付が変わるというところで誕生! 元気な男の子でした!看護師さんが赤ちゃんを見せてくれたり、私の携帯でたくさん写真を撮ってくれたり、そんなことしている間にあっという間に手術は終了。コロナの影響で付き添いは短時間のみということで、母とは一瞬だけ顔を合わせ、その後回復室で朝まで過ごしました。ほんとに急なことでバタバタになってしまいましたが、なんとか無事出産を終えることが出来てホッとしています。今後も4人家族になったプクティ家をよろしくお願いします!
2021年02月23日3人目の出産後は授乳も入院生活も慣れたもので、「早く自宅に帰って上の子どもたちに赤ちゃんを会わせたい」。そんなことを考えていました。でもそんなことを言っていられない事態に……。私たち家族にとって大きな試練となった、娘が“心室中隔欠損症”だと言われたときの体験談を紹介します。 切迫流・早産を経て早く生まれた娘3人目の妊娠で切迫流・早産で長期入院をし、安定していたとは言えないものでしたが、夫と子どもたちとの面会時間を楽しみに約4カ月の入院生活を家族全員で乗り切ろうとしていました。そして迎えた妊娠36週5日。正期産を目前に、あと少しでおなかの子どもと上の子どもたちにも会える。楽しみなことしかない!と思ってワクワクしながら眠りにつきましたが、おなかの張りが痛みを伴うものになっていました。あっという間に帝王切開にて出産した私は、生まれたばかりの赤ちゃんに何も問題がないことを聞き、安心して眠ったことを覚えています。 え?「心室中隔欠損症」って何?娘が生まれて安心していたものの、生後5日目に小児科の先生から「心臓の音に雑音が聞こえる。追加の検査が必要」と言われ、改めて検査をすると「心室中隔欠損症」と診断されました。「心室中隔欠損症」は簡単にいうと右心室と左心室の間に穴が空いている状態。心室中隔欠損症は特に珍しくなく、たいていは小さな穴で自然と閉じることが多いそうです。しかし、娘は穴の位置が大動脈弁の近くにあり、穴自体は大きくはないけれど弁が変形しているとのことでした。弁が変形することで血液の逆流があり、本来なら送り出されるはずの血液が戻ってきてしまうそう。そのために「早い段階で手術が必要になる」との説明を受けました。 小さな体で挑んだ手術循環器小児科のある大学病院で心臓疾患の専門医が詳しい検査をしました。そして、泣きながら手術の説明を聞いていた私に、先生は「お母さん。これは生き死にのための手術ではなく、元気に生活するために必要な手術だと考えてください。だからそんなに不安にならず、一緒に戦ってあげてください」と声をかけてくれました。この言葉でとても勇気づけられました。娘が生後8カ月のとき約6時間の手術の時間、不安な気持ちを抑えつつも無事に手術が終了。ICUへ移された娘はまだ意識こそ戻っていなかったものの元気だと教えてもらい、とても安心したのを覚えています。 手術後は2〜3週間の入院予定のところ、娘は1週間で退院という脅威の回復力を見せてくれて、1歳になった現在も元気に過ごしています。娘が心室中隔欠損症の診断を受けたことも手術を受けたことも、ショックなことでした。でも、家族全員で乗り越えられたこと、家族の笑顔や健康の大切さに改めて気づかせてもらえたことはかけがえのない経験になりました。身をもって教えてくれた娘にはとても感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 原案/三上美咲作画/やましたともこ
2020年12月30日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男は33歳、次男を36歳のときにどちらも帝王切開で出産。長男のときには感じなかった育児の違いを感じました。そんな次男の育児についての体験談をご紹介します。 嫌でも感じる体力の衰え長男も次男も帝王切開だったのですが、どちらのときにも傷の回復に差はありませんでした。ただ、次男が1歳になり歩くようになってから感じたのは、体力の衰え。少し走っても息切れが激しく、止まってしまう始末。子どもの寝かしつけ時に一緒に寝てしまうことも増えました。 長男のときには必要ないと思っていた昼寝をするほどまでに……。次男を抱っこひもに入れて移動するのも、とても疲れるようになりました。また、産後の体重の戻りも次男のときのほうが遅かったです。 特にキツイ外遊び…今でも大変なのが、次男に付き合って外で長時間遊ぶこと。特に幼稚園が終わったあと、次男は1時間ほど園庭で遊びたがるのですが、「今日はもう帰らない?」とつい聞いてしまいます。 長男のときには園庭遊びはまったく苦にならなかったので、やはり私の体力が落ちているんだなと実感。このままではマズいと思い、家で踏み台昇降やスクワットをして体力を付けることを意識しました。幸い継続することで、現在は少し体力が付いてきた気も。 ママの年齢は関係ない私の住んでいる地域では、私との年齢差が1個下や1個上といった同世代のママが多く、当時流行った音楽やテレビ番組の話で盛り上がることも。次男を出産前は「年下のママばかりなのかな?」と少し心配もありましたが、まったくそんなことはなく、いろいろな年代のママ友ができました。 ママ友はあくまでも子どもを介していることが多いので、出産前に気にするほどママの年齢は関係ないんだなと実感。特に私の周りの40代で出産したママ友は落ち着いた方が多いです。私の場合、偶然かも知れませんが「この人と友だちになりたい!」と思うママは実は同い年だった……ということも。もちろん年下のママ友でも素敵な方がたくさんいます。 私は36歳で次男を産むことになりましたが、体力的な衰え以外は特に困ったことはありませんでした。まだまだ、幼い長男と次男。外で遊ぶ機会も多いと思いますので、体力を付けることはこれからも続けていきたいです。 監修/助産師REIKO著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2020年12月21日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産体験談第9話、最終回です。 夫と「これが最後」と決めた不妊治療でめでたく双子を妊娠! 妊娠悪阻のため妊娠4カ月で一時入院に。そして妊娠7カ月のとき、2週間ぶりに健診に行ったところ切迫早産で緊急入院! 妊娠36週目、帝王切開で二卵性の双子の男女を出産しました! 出産した夜、なぜか涙が止まらない…体調さえ回復すれば、双子にはすぐ会える。そのことは頭ではわかっているのに、おなかに双子がいなくてひとりぼっち……という気持ちが押し寄せてきて、寂しくて寂しくて涙が出ました。 ママになったことを実感した瞬間双子が生まれた直後は「とにかく生きて生まれてきてくれてよかった……!」と涙が出たんですが、今回はなんというか、これまで不妊治療をしていたので、妊娠期間中も、そして生まれてからも、まだなんとなく安心できないような感覚があって、知らず知らずのうちに気を張り詰めていたのかもしれません。先生の「よく頑張ったね」という一言で「あぁ本当なんだ……本当に私たち夫婦のところに2人は来てくれたんだなぁ」という実感が押し寄せてきて、うれしさと安堵と、先生方への感謝とで涙が止まりませんでした。 その後、切迫早産による緊急入院から2カ月半の入院生活を終えて、無事退院しました。緊急手術で大変だった不妊治療を経て、念願だった赤ちゃんを無事妊娠、出産されたかよポンさん。当時の妊娠、出産、育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月19日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産体験談第8話。 夫と「これが最後」と決めた不妊治療でめでたく双子を妊娠! 妊娠悪阻のため妊娠4カ月で一時入院に。そして妊娠7カ月のとき、2週間ぶりに健診に行ったところ切迫早産で緊急入院! 妊娠36週目、帝王切開で出産することになりました。 いよいよ双子ちゃん誕生…!!! 2人が生まれる前、子宮頸管長が測定不能になり、大きな病院へ移る話も出ていました。でも、移る途中で破水してしまう可能性が高いということで、ギリギリまでとにかく安静にしてこの日を待ちました。赤ちゃんが予想より小さかったり、呼吸器系などのトラブルがあれば、赤ちゃんたちだけ大きな病院へ移る可能性もあると言われました。なんとか無事に生まれてくれさえすればいい。もうただただそれだけでした。こうして、生まれたのが双子の海(長女)と洋(長男)です。海は2,300g、洋は2,500g。予想より大きく生まれてくれて、2人が声をあげて泣いている姿を見て、思わずホッとして涙が出ました。 出産後の処理 先生たちが楽しげ(?)に話しているそのワードに想像が膨らんで、頭がクラクラしました……。胎盤を見せてもらう方もいるそうですが、私には無理でした(笑)!双子ちゃんの出産、おめでとうございます! かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月18日ばあば大ハッスルで困惑!?出産にまつわるお義母さまドタバタエピソード出産は女性にとって人生における一大イベントと言っても過言ではありませんよね。楽しみな反面、不安や心配もつきまとうもの。先輩ママであるお義母さまのありがたいサポートを得られることもあれば、孫の誕生でテンションが上がっているお義母さまとは少し温度差が生まれてしまうことも…!? 今回は、「ありがたい? それとも迷惑!? 出産に関するお義母さまエピソード」を紹介します。2020年10月14日~11月23日、あんふぁんWebでアンケートを実施。回答数:123件イラスト:春吉86%ダメ!ゼッタイ!ありえない!!立ち会い出産の際、お義母さんが股を覗いてきた! 何も言えず…(ねこねこ)3人目の出産は帝王切開で「しんどいから数日たってから来てほしい」と頼んだのにもかかわらず手術直後に来た。しかも冬場だったので、私の点滴スタンドにハンガーよろしくコートをかけられ、ブチギレそうになった!(ママさんランナー)母乳が出なくてマッサージを受けたり助産師さんに手伝ってもらったりしながら四苦八苦していたら、見舞いに来た際「役に立たないおっぱいね」と言われた。本人は冗談のつもりかもしれないけれど、さすがに傷ついた(きのこ)インフルエンザに罹ったというのに、マスクを着けて出産した病院まで孫を見にいらした。呆れて何も言えなかった…(よよよ)勘弁してよ〜 空気読めなさすぎ!陣痛が始まったと連絡したら義母がすぐに病院へやって来たが、まだ生まれるまで時間がかかるからと帰された。出産後に再び連絡するとまたすっ飛んできて、まだ出産して1時間も経たないのに陣痛室へ無理矢理入ってきた! そして、前代未聞と助産師さんに注意され帰っていった…。出産後はゆっくり休ませてくれよ〜(らんはん)緊急帝王切開になり出産したが、私は麻酔で眠ってしまったのですぐに生まれた我が子を抱くことが出来ず。なのに、そんな私を差し置いて、夫の次に義母が抱いていた…(あおちゃん)先輩ママであるお義母さまはやっぱりスゴイ!初めての出産のとき、おにぎりを握って持って来てくれた。また、太ももがずっと激痛でまいっていたら、なんと4時間ずっとさすってくれた! やはり出産経験しているお義母さんの力は強く、さすが!と思った(んぷ)下の子を出産後約2週間、当時まだ1歳3カ月の上の子をお世話しに来てくれた。ちょうど歩き始め&手づかみ食べの頃で目が離せず大変なときだったはずなのに、すべてをてきぱきこなし、「また赤ちゃんのお世話ができて幸せだよ。行動ひとつひとつが愛くるしくてかわいいね。いい経験をさせてくれて本当にありがとう!」と言ってくれた(よまにゃん)夫の家に遊びに行っているときに破水したので、着替えの手伝いや入院の持ち物の準備をしてくれた。手際が良くて人生の先輩ってスゴいと思った(りお)気持ちはうれしいけど、正直ありがた迷惑…出産後、畑で採れた大量の野菜を「育児は体力勝負だから!いっぱい食べて頑張って!」という手紙と共に送ってくれた。といっても育児に追われて料理もままならないし、夫は夜遅いし、とにかく刻んでジップロックに入れて冷凍。刻みながら「私なにしてるんだろう。お肉かお魚が食べたかった…」と悲しくなった(にこにこ)産院にメロンを持ってきてくれた。しかし、丸ごとひと玉! せっかくいただいたのでダメになる前に食べたいけど、夫は包丁が苦手で切れないため、どうやって食べたらいいか悩んだ…(きのこのこのこやってきた)安かったからと爆安スーパーでいろいろ子どものもの買ってきてくれたが、素材も良くなく好みではないものばかり…。「ありがとうございます」とは言ったものの、もちろん着させてない(どどど)あの〜時代が違うんですが!?無痛で産むと言ったら「お腹を痛めて産むものよ」とやんわり否定された…。そうですね〜と流したけれども(でー)義母が昔来ていたマタニティ服を着せられた…。毛玉だらけで昔の服なのでデザインも古く、その格好で市内に買い物に連れて行かれまるで罰ゲーム状態…(しず)体重が15kg増えてしまい医者からも食事に気を付けるように言われたのに、義母が体力付けなくちゃだめよと、大量の料理を毎日のように持ってきてくれた…(ichigo39)複雑な気持ち…男の子が生まれたときに「ありがとう!」と言われ、なんだか複雑な気分になった(あんみ)車に乗らない義母。出産後初孫を見に来る際は、夫が50km離れた実家まで迎えにいった。そして帰宅の際は、たまたま来ていた私の弟2人が送ることに…。義母は送迎されることを当たり前と思っている節があり、ありがとうの一言もない。悪気がないのはわかるが、何やら毎回釈然としない(ホワイト)気を遣ってもらったようで出産後も1カ月は連絡もなく、孫を見に来なかった義母。ありがたい反面、ちょっとさみしかったかも…(りっちゃんママ)絶妙な距離感がスバラシイ!!出産に関して放置してくれたのが一番ありがたかった(さくら)ただただ応援してくれた。干渉もせず静かに見守ってくれて、生まれた後はただただ喜んでくれた。絶妙なディスタンスを保ってくれて本当に感謝(せせり003)第一子出産時、栃木の実家に里帰りしていた。義父母にとっても初孫だったのでとても楽しみにしていてくれていて、出産後はわざわざ神奈川から病院に会いにきてくれた。かと言って長居するわけでもなく、うれしそうに写真を撮って私のことも労ってくれて出産祝いを置いて帰って行った。いつも干渉しすぎず、でもやさしく見守ってくれているお義母さんに感謝している(おうたび)
2020年12月18日2009年生まれの双子ちゃんのエピソードをブログやInstagramで公開しているかよポンさん(Instagram@kayoponkan)。不妊治療を経て双子を妊娠、出産体験談第7話。 夫と「これが最後」と決めた不妊治療でめでたく双子を妊娠! 妊娠悪阻のため妊娠4カ月で一時入院に。そして妊娠7カ月のとき、2週間ぶりに健診に行ったところ切迫早産で緊急入院! 入院してから2カ月後、ついに…!!! 妊娠後期、夜中に突然の痒み! 私の場合、腕と足、足の裏がひどかった。赤い斑点がいくつも浮かび上がってものすごく痒い! 蚊にかまれたピークの痒みがずっと続く感じ。心が折れそうになったときに、たぶん先生が見かねて帝王切開の予定を話してくれました。「ついに、双子と会える!」といううれしさと、先が見えた安堵感で、また頑張れる気がしました。 帝王切開、当日の朝 私の気持ちよさが伝わったのか、双子のドンドコ祭り開催~!!!見たことないほどおなかがボッコボコ、グィーン!!と動いているさまを直に見ました。待望の妊娠、しかも双子ちゃん! おめでとうございます! かよポンさんの育児エピソードはInstagramやブログなどから更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 この投稿をInstagramで見る かよポン(@kayoponkan)がシェアした投稿 - 2019年 8月月5日午後11時59分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター かよポン2009年生まれの二卵性男女双子育児中の40代母。家族の出来事を4コマで。 趣味はキャンプ。不妊治療~双子出産、子育ての日常を描いたブログも人気!
2020年12月17日私は妊娠39週のときに、妊娠高血圧症候群で入院しました。その日の夜に陣痛が始まり、自然分娩になるはずが緊急帝王切開に! 陣痛の痛さで何も考えられないなか、ストレッチャーで手術室に運ばれるときに言われた助産師さんの言葉が今でも忘れられません。 臨月に妊娠高血圧症候群で緊急入院つわりはほとんどなく、血圧も正常。むくみはあるけれど、それ以外は何の心配もなく迎えた臨月。高齢出産ですが、自然分娩で頑張れそう。あとは陣痛をどう乗り越えるか……と、私自身いろいろなことを考えていました。 妊娠36週を過ぎたあたりから、上の血圧が130を超えることがありました。医師と相談し様子を見ていたのですが、下がる気配はありません。妊娠39週で妊娠高血圧症候群と診断され、入院することになりました。 入院初日に下された決断病室で安静にしていると、いつも静かな赤ちゃんが頻繁におなかをポコポコ蹴ってきました。「陣痛が来る前触れ?」と思っていると、その日の夜に陣痛が始まりました。はじめは軽い腹痛でしたが、だんだんと背中に激痛が走るようになり、分娩室へ運ばれ、夫も呼び出してもらいました。 これからが闘いだ!となるはずが、先生の表情が曇っています。赤ちゃんの心拍が時々下がることがあると言うのです。そして下された決断が「緊急帝王切開」でした。 ストレッチャーの上で聞いた助産師さんの言葉ストレッチャーに乗せられ、手術室へ運ばれました。途中、1人の助産師さんが私に声をかけてきました。「帝王切開も立派な出産ですからね!」。痛さで何も考えられず、夫も先生の言葉も耳に入ってこなかったのに、この言葉だけがスッと頭の中に入ってきました。 わかっているつもりでしたが、落胆した表情をしていたのかもしれません。無事に生まれた娘を目にして、「本来の目的を忘れないで!」と背中を叩かれたような気がしました。 無事に出産するためには、自然分娩も帝王切開も関係ない。そう教えられた気がしました。どちらも命がけで出産しているのですから。これから出産する妊婦さんやご家族の方に、改めて知っていただきたい私の体験談です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:永山たまこ1歳女児の母。3回の流産後、不育症の治療をえて高齢で娘を出産。現在は仕事と育児に奮闘中。愛犬と娘を連れて散歩に行くことが日課。
2020年12月12日Instagramで大人気、ニシカタさんの出産エピソードをご紹介! 妊娠39週、妊婦健診当日におしるし、陣痛が開始しそのまま入院! 血液が止まりづらい病気持ちのニシカタさんは、帝王切開になる可能性もあると医師に告げられたのち、いよいよ陣痛が2~3分おきに……! お茶とかウイダー、ありがたいけどそんなに毎回いらねーわ!と思ってました(笑)ゆっくり息整えたいんだよぉぉーって。でも、ああやって周りが無理やり飲ませないと飲むタイミングわからなくて飲まなくなっちゃうのかも。周りのフォローには本当、感謝感謝です。 このほかにも、ニシカタさんのInstagramでは育児エピソードが更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る ニシカタさん(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2018年 6月月12日午後2時22分PDT 監修/助産師REIKO
2020年12月04日次男を授かり、妊娠7カ月のとき、逆子と診断されました。その後、出産まで一度も逆子が直らず、出産予定日より11日早く帝王切開で出産することになりました。逆子も帝王切開も初めてで、とても不安になりました。今回は、逆子と診断されたときの気持ちや、逆子を直すためにおこなってみたことをお話しします。 逆子と診断されたときの心境妊娠5カ月のときに胎動を感じ始めてからずっと、とにかく動きが激しい子だと思っていました。長男のときと比べて動きが速く、ずっと動いている感じがして、とても元気な赤ちゃんが生まれてくるのだろうと思っていました。そして妊娠7カ月の健診で逆子と診断されたのですが、私は「逆子はそのうち直るだろう」と思い込んでいたのです。当時は逆子と診断されても、特に心配したり不安に思ったりはしていませんでした。 逆子体操や鍼もやってみたけれど…産婦人科で逆子体操をすすめられたので、とりあえず毎日1回、寝る前に逆子体操をやってみたり、「頭の位置はここですよ」と赤ちゃんに問いかけるようにおなかの下のほうをなでてみたりもしました。妊娠8カ月になっても逆子が直らなかったので鍼にも通ってみたのですが、そんな努力もむなしく妊娠10カ月目に入ってもそのままの状態でした。さすがに3カ月もの間ずっと逆子のままの状態では、おなかの中で赤ちゃんに何かあるのではないかと不安を感じるようになっていきました。 最終的に帝王切開で出産することに結局妊娠10カ月目に入った最初の健診で、ずっと逆子の状態が続いているから早めに産んだほうがいいと言われ、出産予定日よりも早く帝王切開で産むことになりました。私が出産した産院では、予定帝王切開の場合は出産日を候補日のなかから選ぶことができるのです。子どもの誕生日を自分で決められるとは思っていなかったので、ちょっとうれしかったです。結果として出産予定日よりも11日早く出産することになりました。出産当日、帝王切開の手術中に先生が教えてくれたのですが、へその緒が赤ちゃんの足にぐるぐる巻きにからまっていて、動けない状態になっていたようです。でも赤ちゃんの足には問題なく、元気に退院できました。 その後、次男の成長に問題はなく、すくすく育ってくれています。出産前までは何が問題で逆子が直らないのかわからなかったのでとても心配しましたが、何より無事に生まれてくれてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:川本 千華発達障害の長男、兄が大好きな次男を育てる2児の母。元ピアノ講師。自身の経験を活かし音楽・発達障害に関するライターとして活動中。
2020年11月30日私は第1子を帝王切開で出産したのですが、産後の想像を絶する苦しみのあとに身内の心ない言葉によって心にも傷を負いました。今回は、私がその苦しみを乗り越え、幸せな今に至るまでをお伝えします。 予定帝王切開から産後まで私は逆子のため妊娠38週で予定帝王切開となりました。手術中に大量出血し、急激に血圧が下がり、頭痛、吐き気、寒気などに襲われて、死を意識するほどの状態でした。 でも、本当につらかったのは術後です。アレルギーの関係で痛み止めが使えず、後陣痛に加えて傷口の痛みが数日間続きました。 身内に言われた心をえぐられる言葉帝王切開による出産のため、9日間の入院生活の間に身内がお見舞いに来てくれました。久しぶりに知り合いに会ったうれしさで話がはずむなか、「帝王切開だと子どもを産んだ気がしないでしょ」と、心ない言葉が……。 その言葉を聞いた私は、術中や産後の大変だった様子を話すと、「痛かったの? でも、陣痛の痛みはわからないんだよね?」と言われ、悔しさのあまり何も言い返せず、心がえぐられる思いでした。 心の傷薬は“わが子の笑顔”身内に言われた心ない言葉によって精神的ダメージを受けましたが、育児は待ってくれません。数時間おきの授乳やおむつ替え、沐浴に寝かしつけなど、日々が目まぐるしく過ぎてゆき、あのとき帝王切開で産んだ子が1歳になりました。 いたずらやイヤイヤなど、新たな悩みが増えていきますが、健康にすくすく成長してくれて、私に向ける100万ドルの笑顔を見ていると、赤ちゃんへのリスクを抑えた帝王切開手術が誇らしく思えるようになりました。 あのとき身内から言われた言葉は、体の傷跡を見るたびに思い出すと思います。ですが、わが子のためにおなかを切って産む出産も、まさしく命がけです。わが子を見るとおなかの傷跡も勲章のように思えて、少し誇らしく感じるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:上原りな一児(女の子)の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は、手芸、映画鑑賞、ネットサーフィン。
2020年11月29日長男を妊娠したときは、出産の時をとても楽しみにしていました。妊娠や出産に予想外の展開はつきものだと先輩ママの体験談から学んでいたので、私は心の準備ができたつもりでいました。しかし実際はバタバタ、あたふたで心身ともにぐったりだった私の陣痛体験談をご紹介します。 あれ? 痛いかも? 気のせいだと思った痛み妊娠33週のときに、プチ旅行がてら住んでいる街から2時間ほどの場所に夫と車で出かけた日のこと。出発前の朝、少しおなかがくだるような痛みがありました。しかし、実際におなかがくだっていたわけでもなく「おかしいな」と思っただけでそのまま出発。道中も便意を感じて何度もコンビニに寄ってみるものの、何も変わらず。でも、目的地の少し手前でおなかの張りを感じて、車を停めて寝る体勢をとっていました。寝てみるとおなかの張り具合に緩急があるような……。そうは思ったものの痛みが強いわけでもなく、だんだん張りも治まってきたので再出発することにしました。今になって考えると、このときに自宅に引き返していればよかったと思います。 すぐに治まると思いきや…目的地に到着後は、おいしいごはんを食べたりしながらゆったり過ごしました。そのとき、おなかの痛みに加えて腰も痛くなってきて、いろいろな体勢で寝てみるものの改善せず。そしておなかの張りもどんどん強くなっていったのです。念のために痛みと張りの間隔を計ると15分ほどの等間隔でした。出産予定の産婦人科に電話すると、今すぐ来るようにとのことで、急いで帰り産婦人科へ。NST(ノンストレステスト)やエコーなどの検査をしてみると、切迫早産の状態とのこと。このとき妊娠33週だったこともあり、張り止めの点滴でおなかの張りを抑えるとともに、出産予定だった個人病院では対応できないとのことで、総合病院へ緊急搬送されることになってしまったのです。 入院したのに…!?その後は搬送先の総合病院で24時間点滴をして正期産の時期まで入院することに。しかし点滴でおなかの張りを抑えているにもかかわらず、また強い張りと痛みが出てきてしまい、陣痛が起きてしまったのです。検査の結果「母体の細菌感染により陣痛が起こっている恐れがある。赤ちゃんにも感染してしまう可能性があるのでこのまま産みましょう」と産科の医師から提案されました。陣痛は来るものの、なかなか子宮口が開かず結局は帝王切開になってしまいましたが、なんとか赤ちゃんへの細菌感染はせずに出産することができました。 初めての妊娠で「陣痛は正期産の時期に起こるのが当たり前」だと思い込んでいた私。しかし無知が故に、出かけ先で陣痛が始まりかけて大慌て。とにかく想像していた陣痛とはまったく違うものになって、困惑した陣痛体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月27日出産のときに痛い思いをするのは陣痛だけだと思っていた私。産後はかわいいわが子と対面し、穏やかに過ごすことを夢見ていました。しかし実際には、いつまでこんな痛みが続くんだ!?と泣きながら乗り越えた後陣痛の体験談をご紹介します。 陣痛の痛みから緊急帝王切開へ出産予定日よりずっと早く、妊娠33週4日で来てしまった陣痛。破水もしておらず心の準備はできていませんでしたが、いざ始まってしまったらやるしかない!という思いで陣痛の痛みに耐えていました。痛み逃しがうまくできずに吐いてしまったり、かなりつらかったのを覚えています。 いよいよ子宮口も全開大に近づいてきたときに、いきなり感染症の疑いがあるとのことで緊急帝王切開へ。出産後の検査で感染症ではないとわかったのですが、このときはこの陣痛の痛みから逃げられるならなんでもいい! 早くおなかを切ってくれ! なんて思っていました。 緊急帝王切開後に予想外の痛みが…緊急帝王切開後は、終わった……!という達成感と陣痛から逃げられた安心感しかありませんでした。「術後は少し痛むからね」という助産師さんからの話も、あの陣痛を耐えられたんだから大丈夫かなと呑気に考えていた私。しかし、麻酔が切れてくると、おなかを切った痛みとは別の痛みも襲ってきて困惑していました。 どんどん強まる痛み麻酔が完全に切れてどんどん強まる痛み。後陣痛について、妊娠が進むにつれて大きくなった子宮が妊娠前の大きさに戻るために収縮することで痛みが来ると助産師さんからは聞いていたものの、ここまで痛いとは予想外でした。痛み止めを打ってもらいましたが、次に痛み止めを打てる時間前には、また強い痛みが……。 この痛みが3日は続き、少し弱まってきたものの6日目まで続きました。母乳をあげるときは、子宮が収縮するからなのか耐えがたい痛みが襲ってきましたが、かわいい赤ちゃんを見てなんとか耐えた!という感じでした。 出産回数を重ねるにつれて1人目の出産でもとても痛かった後陣痛。しかし1人目の後陣痛なんてまだまだだったと思い知ったのは、2人目の出産時でした。3人目になるとそれより遥かに痛みが強く、よく助産師さんに弱音をはいていました。 とはいえ2人目、3人目ともなると痛み止めの効き方や時間もわかっていたので、なんとか後陣痛の痛みを耐えられた気がします。 出産に対する勉強不足だったこともあり、知らなかった後陣痛。帝王切開後の傷の痛みもあったため、壮絶な痛みを体験しました。出産時や産後の痛みに耐えて、なんとなく母は強しという言葉に近づけたかな?と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月22日2人目出産の際、おなかの中の赤ちゃんが妊娠38週で逆子になってしまいました。急きょ帝王切開になるかと思いきや、手術予定日当日の朝、奇跡的に赤ちゃんが頭位に戻ってくれたおかげで、最終的に自然分娩で出産することができました。出産を目前に控えた臨月のわずか1週間のうちに、逆子判明と逆子解消の両方を体験した、私の奇跡的な出産体験談をお伝えします。 妊娠38週で、まさかの逆子!妊娠38週に入り経過も順調だったので、あとはもう元気な赤ちゃんに会えるのを楽しみに待つばかりでした。しかし、妊婦健診に訪れた病院で先生から思いもよらない一言を聞かされます。 「あれ? 頭が下にないな。逆子になっちゃってるね」 驚くことに、出産予定日まであと10日と差し迫っているタイミングにもかかわらず、逆子になってしまったのです。自然分娩予定が急きょ、3日後に予定帝王切開手術を受けることになり、大慌てで心電図やレントゲン、血液検査を受けました。 逆子体操NG逆子と診断を受けてすぐ逆子体操をすべきかどうかも先生に伺いましたが、私の場合はすすめられませんでした。臨月に入ってから逆子体操をすることでお産が進みやすくなる傾向にあるそうです。 そして逆子のままお産を迎えてしまうと緊急帝王切開になり、普通の帝王切開手術よりもさらにリスクが上がってしまうので、逆子体操はせず、できるだけ安静にしているように説明を受けました。 前日はまだ逆子私の出産した病院では、予定帝王切開の場合は手術する日の前日に入院します。母体と赤ちゃんの健康状態を確認したり、前日の夜から飲食を中止したり、夫と一緒に手術について最終的な説明を受けて同意書を記入したりしました。この日のエコー検査では、残念ながら赤ちゃんはまだ逆子のまま。それでも先生から手術当日の朝も確認して、もしそのときに頭が下に戻っていたら、自然分娩にまた切り替えると説明を受けていたので、祈るような気持ちで一晩を過ごしました。 当日の朝、奇跡が! 帝王切開を受ける当日の朝、目が覚めるとそれまで恥骨のあたりで感じていた胎動が肋骨のあたりで感じられたことをはっきりと覚えています。これはもしかして……と期待を胸に診察を受けると、本当に赤ちゃんの頭が下にあり、逆子が直っていました。 通常は、逆子が戻ると陣痛を待って出産するために一時的に帰宅するそうですが、私の場合はまた逆子になるリスクがあったので、そのまま陣痛促進剤を使用して出産することに。先生から陣痛中もまた回ってしまうこともあると言われていたので、陣痛の痛みを耐えた上でさらにおなかを切られるなんて⋯⋯!とハラハラドキドキ。幸い陣痛中はもう一度逆子に戻ることなく、どうにか自然分娩で出産することができました。 「臨月でこんなにぐるぐる回る子は滅多にいない」と、病院の先生と助産師さんにも驚かれた私の赤ちゃん。今回の出産を通じて、逆子から頭位に自分で戻ってくれた赤ちゃんにも、直前まで戻ることを諦めずに待ってくださった病院の先生と助産師さんにも、心から感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月09日公開と同時に大反響を呼んだ、命が誕生する奇跡の瞬間を追いかけたドキュメントタリー映像シリーズ。第1弾は「通常分娩」、第2弾は「計画無痛分娩」、第3弾は「予定帝王切開」現在3つの動画を合わせて320万視聴を超え、大反響を呼んでいます。動画を見た方からは「命が生まれる尊さを知った」「子どもが生まれたときのことを思い出して泣けた」など感動の声がたくさん届いています。通常分娩、無痛分娩、帝王切開、出産の形は違えども、いずれもひとつの命がこの世に生まれ、家族が生まれる瞬間は尊く、素敵なものだと感じていただけると思います。これから出産されるママの心の準備としてだけではなく、お子様のいる方にもぜひご覧になっていただけたらと思います。そして命の重さについて、家族の絆について見つめ直したり、より絆を深めるきっかけになりましたら幸いです。 命がけで出産に臨んだ全てを収録した通常分娩(シリーズ第1弾) 通常分娩編は、陣痛から出産、そして出産から1カ月半後の様子までを追いかけています。命が生まれることの尊さだけではなく、出産に命がけで臨む母親と、それを支える家族の姿、出産現場のリアルをお伝えしてます。出産後1カ月半経ったあとの新米パパとママの奮闘ぶりや、赤ちゃんの様子も必見です。家族が誕生する瞬間に感動の声が多く寄せられ、わずか1カ月で50万視聴を超えるなど、大反響を呼びました。 夫婦二人で乗り切った計画無痛分娩(シリーズ第2弾) 麻酔薬を用いて出産時の痛みを和らげる「無痛分娩」を選択したご夫婦に密着。妻を一生懸命サポート、生まれたときに思わず男泣きする姿に心を打たれた人たちも多かったよう。近年、日本でも無痛分娩を選択する方が徐々に増えてきています。 関心が高まっている一方で、「本当に痛くないのか」「デメリットはないのか」と不安を感じる方や、実際にどのような流れでお産が進むのか知らない、気になっている、という方も多いのではないでしょうか。この動画を見れば「無痛分娩」への詳しい理解にも繋がります。 日本初!医師監修の予定帝王切開(シリーズ第3弾) 小さな命を守るために予定帝王切開での出産を選んだ家族の物語です。赤ちゃんが誕生する瞬間の奇跡に涙したという声が多く聞かれました。実は今5人に1人が帝王切開で赤ちゃんを産んでいます。大げさにいえば、5人友達が集まればその中の1人は帝王切開の人がいるということに。つまり、自分が帝王切開になる可能性も高いということになります。妊娠を控えている方も、これから結婚して子どもを産む女性にも心づもりとして、ぜひ見ていただきたい動画です。 3作ともぜひご覧になっていただけたら嬉しいです。そして、感想をお聞かせください!
2020年11月07日この記事では、無痛分娩を予定したところ、急きょ帝王切開に変更になってしまった先輩ママが、事前に出産についての知識を得ておくことの大切さを実感した体験談をお伝えします。 2人目出産の際、コロナ禍で立ち会い出産ができなかったことや、産後は遠方からの移動を考慮し、実家の助けなしで夫婦2人でお世話をしようと決めた私たち夫婦。そのため、できるだけお産に対する不安を払拭したく、無痛分娩を希望しました。しかし、想定外のことが次々に起こり、プチパニックになってしまった私の出産レポートをお伝えします。 コロナ禍での出産、無痛分娩を希望私が無痛分娩を希望した理由は大きく2つありました。1つ目は、コロナ禍で立ち会い出産不可だったので、痛みをひとりで乗り越えるのが不安であったため。 2つ目は、遠方からの移動を考慮し、実家の助けを借りずに夫婦2人で子どものお世話をすることにしたので、産後に体力を温存しておきたかったためです。 私のお世話になった産院では、無痛分娩は計画分娩でおこなわれていました。経産婦であることも考慮し、妊娠38週5日で計画・無痛分娩の手筈となりました。妊娠中はマイナートラブルはあるものの、大きな異常はなく順調に経過していたので、お産も順調に行くと思っていました。 入院当日は、子宮口を広げるためのバルーン留置や無痛分娩のための硬膜外麻酔のルート確保などの処置をしてもらい、陣痛促進剤の点滴が開始されました。通常であれば、陣痛促進剤とバルーンでお産が進み、陣痛の痛みが出てきたら硬膜外麻酔薬を入れてもらい、出産するという流れでした。 急きょ、帝王切開での分娩に!ところが、私の場合、陣痛促進剤とバルーンでは思ったようにお産が進みませんでした。子宮口がなかなか3cm以上開かないまま、破水してしまいました。破水すればお産が進むかと思いきや、高位破水でさほど進まなかったため、先生が人工破膜をしました。しかし、それでもお産は進まず、陣痛促進剤を使っているにも関わらず陣痛が遠のいていきました。 そして、破水しているため、子宮内の赤ちゃんの感染のリスクが高まると説明を受け、このままお産が進まなければ、帝王切開に切り替えたほうが良いと先生から説明を受けました。正直、私は無痛分娩の予習しかしておらず、突然帝王切開と言われ、「えーー!? 帝王切開!? おなか切るんでしょ? 痛いよね? 術後はどんな感じになるの?」とかなり動揺しました。でも、「おなかの赤ちゃんを無事に産んであげたい」と言う思いから、先生の説明通り、急きょ帝王切開での分娩に切り替えたのです。 術後は痛みとの戦い痛みにはめっぽう弱い私。(そのため、無痛分娩を選択したのですが)。急きょ、帝王切開となり、とても怖かったです。しかし、手術自体は30分程度で終わり、しっかり麻酔が効いていたので、もちろん痛くはなく、また、あっさり赤ちゃんが生まれてきたことに少し戸惑うほどでした。 しかし、本当の痛みと恐怖はここからでした。麻酔が切れ、傷口と後陣痛の痛みが出てきました。個人差はあるものの、これらの痛みはおおよそ術後3日目くらいまで続くと聞き、術後3日を目標に頑張って耐えました。点滴がはずれてからも、痛み止めをしばらく内服し、頓服薬として退院後にもいただきました。 そして、痛みがあるなか、スパルタ指導が加わりました。まずは歩行訓練! そして、トイレ(排泄)の練習! そして、授乳指導! 赤ちゃんのお世話! 第1子は自然分娩だったので、産んだあとは意外とスタスタ歩けた私ですが、今回は、痛みと麻酔の痺れが残っており、よろよろフラフラ。その一歩がつらい状態でした。産後に体力温存どころか、痛みとの闘い、授乳を含めた赤ちゃんのお世話で満身創痍となり、私はボロボロでした。 産後、妊娠高血圧症候群に悩まされ…妊娠中は比較的順調で血圧も一度も引っかかったことがありませんでしたが、さらに追い討ちをかけるように産後に妊娠高血圧症候群になってしまいました。また、術中の出血が多く、貧血にもなっていました。授乳していると、クラクラ〜と目の前がボヤけたり、立っているのが難しいときもありました。 そんなこんなで、退院後も安静指示をされ、当初は体力温存して簡単な家事はやろうと思っていたのですがまったくできず、 急きょ、行政と民間を通じて育児ヘルパーさんなど外注をするなどして、産後を過ごしました。 無痛分娩にかかる費用に帝王切開の費用が上乗せされ、かなりの高額になったのに加え、退院後の外注諸々にかかる費用もプラスされ、結果的に当初の予定よりかなりの出費になりました。後日いろいろ調べていくうちに、社会保険から高額療養費として、いくらか戻ってくること、会社の福利厚生から育児ヘルパー費用として、一部助成があることを知り、どちらも全額ではありませんが、少しでも戻ってくるお金があるとわかって安心しました。 今回の経験で、何があるかわからないのがお産だとつくづく感じました。想定外のことが起きても、落ち着いて、そのときベストだと思える選択ができるよう、知識や情報を仕入れておく重要性を痛感しました。もちろん、過度に心配する必要もないと思いますが、「知っている」のと「知らない」のとでは大きな違いがあると思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:影山 照子4歳、0歳の姉妹の母です。現在は、産休・育休中を利用して妊娠・出産・子育てについて、体験談を中心に執筆中です。
2020年10月31日1人目が逆子で帝王切開だったため、2人目も妊娠38週での帝王切開を予定していました。しかしまさかの妊娠35週、夫は出張中、頼れる親戚も近くにいないなか、深夜に破水してしまったときのエピソードです。 妊娠35週に突然破水1人目が帝王切開での出産だったため、今回も妊娠38週での予定帝王切開の予定で、友だちとランチをしたりして、マタニティライフを楽しんでいました。 妊娠35週のある夜、夫は海外出張中、2歳半の娘を寝かしつけ、そろそろ寝ようと横になった瞬間、尿漏れの感覚がありました。「破水?」と思いつつ、まだ妊娠35週だし……と安易な気持ちでトイレに行ったところ、まったく止まらず、破水だ!と確信しました。 夫は海外出張中。2歳の上の子はどうしたら?すぐに病院に向かいたいところですが、家には私と娘の2人きり。病院に連れて行っても、面倒を見てくれる人はいません。夫にはLINEで状況を報告し、隣県に住む実母に連絡したところ、まだ電車はあるので来てくれることに……。その間、流れ出る羊水をバスタオルで拭きつつ、入院バッグの確認や、実母への伝言などをメモにまとめました。 実母が来るまでの間、流れ続ける羊水を見ておなかの赤ちゃんの様子が気になり、病院に電話しました。すると、妊娠35週で破水した場合、緊急帝王切開になり、ひょっとしたら赤ちゃんは別の病院に搬送になるかもしれないので、救急車を呼んでもいいからできるだけ早く病院に来るよう言われました。 やはり緊急帝王切開に病院に着くとやはり破水との診断で、そのまま緊急帝王切開に。付き添いが誰もいなかったため、診察室のベッドに横になった状態で手術の同意書を書いたりと、慌ただしい出産になりました。 生まれてきた赤ちゃんはやはり2,500g未満でしたが、産声は聞かせてくれ、保育器管理となったものの、同じ病院にそのままいることができました。しかし、本来であれば、赤ちゃんの身体測定の様子などをカメラで撮影することができたのですが、それは叶わず……。無事に生まれてきてくれただけで感謝ですが、予定通りであればできたことができなかったこと、早産で産んでしまったことに、しばらく自分を責め続けました。 入院中は小さく産んでしまった赤ちゃんと、急に母親がいない生活をさせてしまった娘に申し訳ない気持ちで、涙していました。今は子ども2人の育児で忙しくなり、これから母乳育児や離乳食で、大きくなるよう見守ろうと前向きな気持ちになれています。 お産は何があるかわからないというけれど、まさか正期産の時期に入る前に産むことになるとは思ってもいませんでした。入院グッズだけ簡単にまとめていたのが不幸中の(?)幸いでしたが、早め早めに準備をしておくことや、家族には産前・産後はなるべく家にいるような調整をしてもらっておくことも必要だと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:渡邉まゆ2歳と0歳の母。低出生体重児で生まれた2人目の母乳育児に奮闘中。
2020年10月10日登場人物■ほにゅ:2018年2月生まれ。泣くのが得意な男の子。薄毛。飽き性。笑顔で母をノックアウトできる。■ねむ:2020年7月生まれ。よく寝る女の子。■つぶみ:ほにゅ&ねむの母。すぐムリっていう。一応一生懸命取り組む。■ぺー:ほにゅ&ねむの父。効率的に動きまくる。優しい。声がでかい。二人目出産は上の子が気になる!でも今は…編集後記二人目を出産すると、上の子が急に赤ちゃん返りをしたり甘えてきたりということがあります。先輩ママからは、上の子の心のケアをしてあげてとアドバイスを受けた方もいることでしょう。上の子の年齢にもよりますが、まだまだ甘えたい盛りということも多いですよね。特に出産直後は、ママと赤ちゃんは産院に入院しています。祖父母や夫のサポートがあるとはいえ、どうしても上の子の存在が気になります。しかし、入院中は生まれたての赤ちゃんとゆっくり過ごせるかけがえのない時間です。「ふたりとも同じくらいかわいがったっていいじゃない」というつぶみさんの言葉に、ジンと心が温かくなりました。つぶみさんの優しさが伝わる、貴重なエピソードですね。ままのて編集部つぶみさんの二人目妊娠のマンガはこちらままのて公式SNSアカウントままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひフォローしてください!つぶみさんが描く漫画が動画になりました!ままのてで大人気の育児漫画が動画でも楽しめるようになりました。今後もつぶみさんの漫画動画を随時更新していく予定です。その他の育児漫画や育児に関するお役立ち情報、生活の知恵がたくさん配信されていますよ。どの動画にも字幕が付いているので、赤ちゃんや子どもが寝ているときでも音声なしで楽しんでいただけます。ぜひチャンネル登録してみてくださいね。過去のエピソード著者情報
2020年10月07日10年以上ぶりの妊娠での臨月の話です。41歳での妊娠で新型コロナウイルスの流行もあり、不安な妊娠生活でした。不安なときはいろいろなネット記事を読んで余計不安になったり、元気になったりしていましたが、あと少しで赤ちゃんに会えると家族皆で楽しみにしていました。そんななか、妊娠39週に入ってすぐに異変が起こったときの体験談をお伝えします。 久しぶりの妊娠! 家族で楽しみに私は41歳で、夫と子ども3人の5人家族です。お兄ちゃん・お姉ちゃんたちも大きくなり、妊娠報告したときは涙を流して喜んでくれました。そして、雑誌付録の妊娠週数カレンダーに毎日印を付けて、おなかに話しかけてくれていました。新型コロナウイルス感染予防で健診も付き添いができなくなり、エコーも見られませんでしたが、写真や大きさを報告すると毎回喜んでくれていました。 しかし私自身は内心、10年以上ぶりの出産のため、本当に順調なのか、赤ちゃんの障害などへの不安があり、毎日ネットでさまざまな体験や記事を読んでいました。いろいろなことが書いてあるネットで余計不安になったり、元気をもらったりしていました。 そして、思った以上に順調で臨月に入り、「もうすぐ会える!!」と子どもたちと胎動を見たりおなかに触ったり赤ちゃんに話しかけたりしてコミュニケーションを楽しんでいました。 今日は赤ちゃんがあんまり動かない…?妊娠39週に入ってすぐのある日、なんだか今日は胎動が少ないなぁと思っていましたが、全然動かないわけではないし、臨月に入ると少なくなると聞くのであまり気にしていませんでした。 夜、毎日の日課で「赤ちゃん動いてる?」と顔を埋める娘。「んー今日はあんまり動かないのよねー」と気になり始めて、そこから毎日続けていた胎動カウントを開始。10回の胎動にかかる時間を測ったのですが、1回目もなかなか動かずやっと動いても30分で8回。シャワーを浴びて温めたら変わるかと思い浴びてみたものの、胎動なし。直近の胎動から1時間半が経ち、胎動があり過ぎて痛いくらいだっただけにドンドン心配になりました。 布団で横になり胎動に集中したり、動いたりいろいろしてみました。その時点で深夜3時前。しかも土曜日です。病院に連絡してみるか、2日後の健診まで様子を見るか、葛藤しながらまたネットで調べました。ネットでは胎動減少の危険が書いてありました。「やっぱり病院に連絡しよう!!」と意を決して電話しました。すると助産師さんが「モニターはすぐできます」と言うので病院へ向かいました。 緊急帝王切開で出産 病院ですぐモニターを見てくれたのですが、心音が聞こえて安心して涙が出ました。しかし、「ほんとだねー動かないねー」と助産師さんも気にしていました。そしておなかが張ると赤ちゃんの心拍が急激に下がると。 するとバタバタと先生が走ってきて「危ない」と話しているのが聞こえました。何??と動揺する私でしたが、「赤ちゃんが今すごく苦しくて弱ってるから帝王切開します」と先生。言葉の意味はわかるけど理解できない私。そこから、ほかの先生や助産師さんもきて手術室へ。 緊急帝王切開。心の準備もできていないままでしたが、赤ちゃんのことが心配でパニックでした。赤ちゃんが出てきて泣き声が聞こえました。「泣いてる……」としか言えませんでしたが、涙が溢れました。 いつの間にかNICUの先生も駆けつけていて、赤ちゃんは市立病院へ搬送すると聞かされました。そして先生が「思ったより赤ちゃんの皮膚の色も状態も良いので安心しましたが、念のため連れて行きますね。早くお母さんの元へ帰れるようにしますからね」と赤ちゃんに会わせてくれました。「生まれた……」と手を伸ばしましたが、触ることはできませんでした。「よろしくお願いします」と伝え、救急車の音でわが子との別れを実感しまた涙が出ましたが、その後は縫合などの処置に移りました。 赤ちゃんが無事でよかった!緊急帝王切開から10日後に私は退院し、それから14日がたちましたが、まだ赤ちゃんは市立病院に入院しています。毎日会いに行って母乳を届けていますが、回復室で管なども繋がれておらず、元気そうです。3日後の検査次第で退院できそうということなので、家族皆で赤ちゃんが帰ってこられる日を心待ちにしています。心配もありましたが、私の地元では1番の総合病院、NICUでしっかり診てもらえてよかったと思っています。そして何より赤ちゃんが無事でいてくれてることが1番よかったと思っています。 今回の原因はまだわかっていません。先生のお話では胎盤の早期剥離か、へその緒の血栓など何かが起こったか……とのことでした。ですが、個人産婦人科の先生もNICUの先生も「お母さんが胎動減少に気付いて良い判断をしたと思います」と言ってくださいます。私は昼のうちに病院に行ければ赤ちゃんが苦しい時間も少なかったのに……また、もしあのとき次の健診まで……と判断していたらと思うとゾッとします。 経産婦で問題なく生まれるのが当たり前だと思っていましたが、何が起こるかわからないと痛感しました。赤ちゃんからのメッセージである胎動の大切さ、何かあればすぐに病院へ行くことの大切さを改めて感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:まえだ ゆか18歳、15歳、12歳の3児の母。久しぶりに4人目の女の子を高齢出産。 家事、育児の合間に自宅でハンドメイド作品を制作、販売。 自身の体験談を中心に執筆。
2020年09月30日登場人物■ほにゅ:2018年2月生まれ。泣くのが得意な男の子。薄毛。飽き性。笑顔で母をノックアウトできる。■ねむ:2020年7月生まれ。よく寝る女の子。■つぶみ:ほにゅ&ねむの母。すぐムリっていう。一応一生懸命取り組む。■ぺー:ほにゅ&ねむの父。効率的に動きまくる。優しい。声がでかい。帝王切開で無事出産!第1子と第2子の出産時の違い編集後記つぶみさん、二人目のご出産おめでとうございます!コロナ禍でのご出産…ままのて編集部一同つぶみさんの無事のご出産を心よりお祈りしていました。元気なねむちゃんに会えて、大変嬉しく思います!さて、つぶみさんの出産エピソードを見ると、第1子と第2子では ママの産後の様子や心の持ちようが少し違うようですね。やはり、出産・育児を経験していると少し心に余裕が生まれているシーンも見られました。無事に生まれたねむちゃんは、よく眠る赤ちゃんとのこと。寝顔が息子・ほにゅくんとそっくりなのも、なんとも愛らしい一面ですね。つぶみさんの息子・ほにゅくん、娘・ねむちゃん、これからさまざまなエピソードをままのて編集部一同もとても楽しみにしています!ままのて編集部つぶみさんの二人目妊娠のマンガはこちらままのて公式SNSアカウントままのてのTwitter・Instagramをフォローすると、最新マンガの更新情報をご確認いただけます。ぜひフォローしてください!つぶみさんが描く漫画が動画になりました!ままのてで大人気の育児漫画が動画でも楽しめるようになりました。今後もつぶみさんの漫画動画を随時更新していく予定です。その他の育児漫画や育児に関するお役立ち情報、生活の知恵がたくさん配信されていますよ。どの動画にも字幕が付いているので、赤ちゃんや子どもが寝ているときでも音声なしで楽しんでいただけます。ぜひチャンネル登録してみてくださいね。過去のエピソード著者情報
2020年09月30日末っ子の帝王切開での出産を目前にひかえたとき、長男(12歳) が水ぼうそうにかかってしまいました。 手術前日に、助産師さんに長男が水ぼうそうになったことを報告したところ、大部屋だったのに急きょ個室へ移動することに……。 そのとき医師から説明されたことや、赤ちゃんへの感染予防のためにしたことをお伝えします。 水ぼうそうになったときの病院の対応私が入院した産婦人科では、妊婦がウイルス性の病気にかかったときのマニュアルはありましたが、家族がかかったときのマニュアルはなかったようで、応急措置として個室対応となりました。 医師から家族の面会については、水ぼうそうにかかっていたことがある夫は面会しても大丈夫だが、次男(8歳)はもしかしたら潜伏期間かも知れないから入院中の面会はダメとのこと。 ただ面会できる夫にも条件があり、マスクと手指消毒は絶対とのことでした。 次男は水ぼうそうのワクチンを1回接種していましたが、赤ちゃんに会えないことを知り、残念がっていました。 赤ちゃんとの生活についての注意点入院中は長男と次男が面会に来ないことで予防策をとりましたが、退院後赤ちゃんにうつらないようにするには……という点で私は悩みました。長男に関しては、「水ぼうそうの発疹がかさぶたになったら感染力はないから赤ちゃんとの接触は大丈夫」と小児科医から説明を受けましたが、問題は次男が発症する可能性。 小児科医から「お母さんから赤ちゃんへ免疫はいっているが、水ぼうそうの潜伏期間は約14日間なので、念のため次男は退院後1週間は水ぼうそうの発症に注意」と言われ、次男は赤ちゃんと接触させないようにと説明がありました。 次男が赤ちゃんと触れあえるための対策次男は赤ちゃんがおなかにいたときから会えるのを楽しみにしていて、たくさん話しかけてくれていました。面会に来れず寂しい思いをしたのに、退院しても1週間は赤ちゃんと触れあえないと知ったら、もっと寂しくなるだろうなという思いと、もし水ぼうそうを発症したら病院が正月休みに入ってしまうという不安がありました。そこで、看護師として病院に務めていた私は、職場の一般内科医に相談してみることに。その結果、次男と赤ちゃんのことを考え、水ぼうそうの抗ウイルス薬を次男に予防投与することになりました。職場の医師からは、予防投与をしておけば自宅で家族一緒に過ごす分には問題ないだろうと言われました。 予防投与は1日3回で7日間、次男が服薬を始めてから5日目に私と赤ちゃんは退院しました。退院当日、長男の発疹はすでにかさぶたになっていたので、長男と次男は赤ちゃんの顔をツンツンしたり、そばで見守ったりする程度はありますが、きょうだいで触れあうことができました。 自費診療なので薬代は1万円を超えましたが、次男も赤ちゃんと一緒に過ごすことができ、満足していたのでよかったと思います。 予防接種はやっぱり大事幼少期に水ぼうそうにかからなかった長男が、まさか出産を控えたタイミングでかかるとは、という思いは未だにあります。しかし、水ぼうそうの予防接種をしていたおかげで軽症で済み、本当によかったです。 妊娠中は風疹の抗体検査を受けますが、まさかの水ぼうそう。私が水ぼうそうにかかっていたことがなければ、私自身にもうつる可能性もありました。 赤ちゃんにやっと会えたのに不安でいっぱいでしたが、水ぼうそうの抗ウイルス薬があり、予防投与が可能だったのが不幸中の幸いだったなと思います。 そして何より、次男も生まれた赤ちゃんも水ぼうそうを発症することなく潜伏期間を過ぎてほっとしました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2020年09月28日子どもは出産予定日に元気に生まれてきて、当たり前に元気に育つものだと思っていました。でも予想外に早産になり、生まれてきた子は低出生体重児だった私が、入院中に大変だったと感じたエピソードを紹介します。 低出生体重児で生まれた息子私が息子を産んだのは妊娠33週でした。おなかが張る感覚と共に痛みがきて、張り止めの点滴も効かず帝王切開であっという間に出産となりました。生まれた子の体重は1,750gで低出生体重児。すぐにNICU(新生児集中治療室)に入り、いろいろな検査や処置がおこなわれ、たくさんの管が繋がった状態の息子に会ったときは不安で仕方がありませんでした。 検査の結果、大きな障害などはないものの呼吸が不安定なことを知り、ますます不安な気持ちが大きくなったことを覚えています。NICUでの入院中はもちろん、この先の生活に支障が出ないのか、何もかもが不安な私たちに先生も看護師さんたちもとても親身になって現在の呼吸状態や体重の増加についてさまざまな説明をしてくれました。 息子が入院中の面会帝王切開で出産した私は、産婦人科での約2週間の入院生活を終えて退院しましたが、息子はNICUに入院していたため、帰省先の実家から毎日会いに行きました。息子の入院する病院は実家からそう遠くはなかったのですが、やはり産後の回復しきっていない体には知らず知らず負担がかかっていたように思います。 午前10時ごろ面会に行き、帰宅するころにはぐったりしていました。それでも毎日のように面会に行けたのは、愛しのわが子に会えてうれしい気持ちや今日も元気でいる姿を見られて安心できたからです。大変だと思う反面、会えたときはやはり幸せな気持ちでいっぱいになりました。 出るの? 出ないの?な母乳事情NICUに入ってすぐは、息子にはたくさんの管がつながっており、直接母乳を飲ませることはできませんでした。しかし出生後すぐの赤ちゃんに母乳は重要だからと、搾乳の方法を習い、搾っては届けるという方法で息子に母乳を飲ませていました。これが不器用な私にはかなり大変でした。手はべたべたになるし量もあまり出ないし……。毎回少し落ち込みながら搾乳し、NICUの看護師さんに渡すときは「少なくてすみません」が口癖になっていました。 そしてようやく生後6週目ごろ、直接母乳を飲ませられるようになったもののあまりうまく飲ませられず、結局は母乳をやめてしまいました。母乳をやめたことに負い目を感じたこともありましたが、育児用ミルクは飲んだ量を管理できるという利点もありました。 早産になり、帝王切開を経て出産を経験し、さらに息子が低出生体重児でNICUに入院したりと、母子共に大変だなと感じることのオンパレードでした。しかし過ぎてみると周りの人たちのサポートをたくさん受けて乗り越えられたと思います。子を産み育てることは誰しも簡単なことではないですが、それをわが子や周りの人たちのおかげで学べたことは幸いなことでした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年09月22日この記事では、出産時に子宮口が開かない場合の対処法について助産師のREIKOさんが解説しています。状況によって陣痛促進剤を使用したり、帝王切開になることもありますが、ママ自身がおこなえる対処法を紹介します。 お産が進むと子宮口が徐々に開いていきますが、妊婦さんにより個人差があり、なかなか開かないことがあります。今回は、子宮口が開かない原因と開かないときの対処法、また妊娠中におこなっておきたい対策をお伝えします。 子宮口が開かない原因子宮口がスムーズに開かないと、分娩には至りません。初産婦さんで30時間以上、経産婦さんで15時間以上経過しても赤ちゃんが生まれない場合、「遷延分娩(せんえんぶんべん)」と判断され、母児ともに悪影響が及ぶことがあります。そのため遷延分娩と判断された場合、状況によって帝王切開になることもあります。 子宮口がスムーズに開かない要因はさまざまあります。●微弱陣痛●逆子・回旋異常●軟産道強靭など さらにこれらの要因もさまざまあり、複数の要因が関連して生じていることも多くあります。 子宮口がなかなか開かないときの対処法子宮口の開きがスムーズでない場合、その原因に合わせて対処していくことが必要です。状況によって、陣痛促進剤を使用したり、帝王切開になることもあります。ここではママ自身がおこなえる対処法について紹介します。 ●休息と食事長くつらい陣痛に向き合っていると、なかなか休めず食事もとれないということもあるかもしれません。ですが、疲労やエネルギー不足は微弱陣痛の原因にもなります。陣痛と陣痛の合間に休んだり、食べられる物を食べるなどして陣痛を乗り切りましょう。 ●じっとしているのもNG痛みがあるとあまり動きたくないと思ってしまいませんか? 可能であれば歩いたり、入浴したりすることでお産が進むことがあります。 ●体を温める体を温めることで血行もよくなり、リラックス効果も得られます。入浴、足湯、腰を温めるなど、体を温めるのもおすすめです。 ●リラックスお産するうえで、なかなかうまくできないのがリラックスです。お産が進むにつれ、体に力が入ってしまうかもしれません。ですが、子宮口が全開大するまでは、なるべくリラックスするようにしましょう。ラクな姿勢をとったり、呼吸法をおこなったり、好きな音楽を聴いたり、場合によってはアロマを活用しても。陣痛中の過ごし方については、産院によってNGの事柄もありますので、事前に確認しておくと安心ですね。 妊娠中におこなっておきたい対策法 ●体重管理妊娠中に体重が増えすぎたり、もともと肥満体型であったりすると、微弱陣痛などのさまざまな合併症を引き起こす危険性があります。妊娠中は脂っこい食べ物などを控える、無理のない範囲で体を動かすと同時に、不足しがちな鉄分やカルシウムを積極的に取り入れましょう。 ●適度な運動で体力アップ!妊娠中に激しい運動は禁物ですが、適度な運動は体力維持やストレス解消にも効果的だと言われています。臨月になったらウォーキングなどの有酸素運動に取り組みましょう。 ●イメージトレーニング特に初産婦さんの場合、分娩中に痛みや恐怖から、過緊張に陥ってしまう場合があります。妊娠中に分娩の進み方をよく理解しておき、日ごろからイメージトレーニングをおこないましょう。 また、緊張したときにはゆっくり息を吸って吐く、いわゆる呼吸法の練習もしておくといいでしょう。呼吸法にはさまざまな手法がありますが、陣痛のタイミングに合わせてしっかり息を吐くことを意識しましょう。 ママたちの体験談 出産予定日より5日遅れの出産でした。陣痛も器械では波が出てるのにまったく痛みを感じず微弱陣痛でした。妊娠して16kgも太ってしまって、怒られてるくせにろくに運動もしなかったのが微弱陣痛の原因だと思っています。微弱陣痛のデメリットは陣痛が長時間になるのと、子宮口が開くのが遅いということで、私も結局、丸一日陣痛に耐えました。後半の陣痛のしんどさのおかげで出産自体は意地でも早く終わらせてやる!!と意気込んで3回のいきみで産みました。やはり自分のためにも太らないようにするのと、妊婦だからといって大人しく1日過ごさないようにすることを学びました。(ほのかりんママ さん) 初産ということもあり、陣痛とともになかなか進まないのが子宮口の開きでした。朝の健診のときも2~3cmと言われていて、入院したときにもまだ3cm、徐々に痛みの間隔が狭まって内診にいっても5cm程度、分娩台にあがるときも6cmと、なかなか子宮口が開いてくれませんでした。陣痛と闘いながらの病室と内診室の往復がつらかったのを覚えています。なかなか進まない陣痛にしびれを切らしたのは夫で、お産を進める働きがある足首の三陰交というツボを押してくれていました。ツボを押されると陣痛は強まっていくような感覚がありました!(中略)それからはしばらくすると子宮口は全開大に。人工的に破水をし、30分ほどで長女が誕生しました。出産からからまもなく6年が経ちますが、突然の入院となかなか進まない陣痛、分娩間際の気の抜けちゃうようなエピソードはまだまだ鮮明な記憶です。(あきひめいちごさん) 出産予定日の2週間前、定期健診での診察後、「じゃあ、また来週来てね」とお医者様に言われました。この時点では、まだ生まれそうにないのかなと思いながら病院を出ました。程よく疲労し帰宅すると、妊娠中の寝不足も相まってそのまま昼寝。次に目覚めたのは夏だというのにとっぷり日も暮れた時間でした。そして、おなかに波のある痛み!? 夫が帰宅するころには10分間隔になり、産院に電話しました。初産だったため、「ゆっくりでいいですよ」と電話越しの助産師さん。しかし、陣痛は順調に短くなり、すぐに10分以内に。ここでようやく車で片道20分の産院へ向かったのでした。病院に着くと、すぐに陣痛室で内診。「今3cm、これはお産に進みます。平均で15時間くらいですね」と助産師さん。そのとき、おなかの中で「パァンッ!」とはじける感触。破水です。ここから急にお産が進み、耐えられない痛みに。「これが10時間以上?」と絶望とも言える感情を抱いた瞬間「はい、足開いて! はい、いきんで!」「え? え? え?」……結果、3時間程度のスピード出産でした。出産には糖分と体力が必要。何気なく食べたパフェに直前の昼寝は必然だったのかなと自分に感心したできごとでした。(半田あきらさん) 子宮口がなかなか開かないと焦ったり不安になったりしてしまうかもしれません。できるだけ落ち着いてリラックスして臨めるよう、妊娠中に出産の流れをイメージトレーニングしておくといいですね。また、妊娠中に適度な運動を取り入れて体力をつけておくことも大切です。 監修者・著者:助産師 REIKO医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2020年09月09日「自分は自然分娩で出産する」と信じて疑わなかった私。しかし、胎児と母体の安全を優先した結果、急きょ帝王切開で産むことになりました。出産直後は分娩の方法などまったく気にならなかったのですが、日が経つにつれじわじわと悔しさや悲しさが湧き出てきたのでした。 「もったいなかったね」の言葉出産後は休む間もなく慣れない子育てが待ち構えており、1週間の入院中は「傷あとが痛い」「母乳が出ない」「赤ちゃんが泣き止まない」ということで頭がいっぱい。分娩方法のことでくよくよしている暇はありませんでした。 最初に心に引っかかったのは、1カ月健診のときに病院の母乳外来で出会った助産師さんの「太ってないし背も高いのに、帝王切開でもったいなかったね」という言葉。きっと「分娩異常さえなければ傷あとが残らずに済んだのにね」という慰めの言葉だったのだと思うのですが、そのときからモヤモヤが始まりました。 友人の体験談がつらい「帝王切開で残念だった」という気持ちは日に日に大きくなっていきました。難産で出産した友人の話を聞くことが特につらく、「自分は出産まで72時間もかかった。さっさと帝王切開で産んでしまいたかった」という言葉を聞いたときは、まるで自分が手抜きをしたような気がして引け目を感じました。 手術で切ったおなかの傷口は約10cmでしたが、出産の話題で聞かれてそう答えると、「自分は会陰切開だったけどもっと切った」と言われて落ち込んだこともあります。 自分だけじゃない2人目も帝王切開で出産したこともあり、5年ほどモヤモヤした気持ちと付き合ってきました。ある日、帝王切開ママの集まりがあると知り、参加させてもらうことに。そこには私と同じように悩むママがたくさんおり、それぞれの病院での出来事や出産後の体験談などいろいろな話を聞くことができました。 「自分だけじゃないんだ」「悔しい・悲しいという気持ちを人に伝えていいんだ」と思えたことで、とても気がラクになりました。 くよくよしていたせいで、ちょっとした言葉に過敏になっていたように思います。出産は十人十色。どんな出産だって大変だし、どんな分娩方法だって胸を張っていていいんだと今では考えられるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月24日