もし40歳で妊活を始めたら……?大人気マンガシリーズ、今回はハルさん(@haru_natsu20220101)の投稿をご紹介!「40歳で妊活始めました」第44話です。【前回までのあらすじ】40歳のハルさんは、パートナーができ妊娠したものの、流産してしまいます……。しかし、その後しばらくして結婚が決まり、妊活を検討するハルさん。妊活に積極的ではないパートナー。ハルさんは、自分に不妊の原因があると思い、パートナーに積極的になるよう強く言えず……。講習会に参加し……初診を希望すると……パートナーはあっけらかんとし……いきなりパートナーは検査を受けることになり心配するハルさん。しかしパートナーは、全然気にする様子もなく……。その後、パートナーは楽しそうに検査室のことを語り出し……。
2023年04月05日Instagramにて自身の体験談マンガを発信されているこいあともまやさん。34歳のときに夫となる「すんさん」と出会い、35歳で結婚。年齢のことも考え、結婚を決めてからは妊活に励むことに。しかし、妊活は予想以上に過酷で……。現在は第一子をご出産し、息子さんを育てているこいあさんの妊活体験談をご紹介いたします。 やっぱり子どもは欲しい飲み友だちだと思っていたすんさんから告白をされ、付き合うことになったこいあさん。 すんさんと過ごす日々は穏やかで、彼のやさしい人柄に惹かれていたこいあさんは次第に彼との「結婚」を意識するようになり……こいあさんからプロポーズ! 晴れて、2人は結婚することになりました。そして、考えたのは子どものことで……。 入籍はまだ先でしたが、年齢のことを考えすぐに妊活をスタートさせることにした2人。しかし、お互いに不安要素がありました。こいあさんは過去、卵巣に腫瘍ができ手術を受けたことがあり「妊娠には問題ない」とは言われていたものの不安に……。すんさんは、結婚をしている上のきょうだいに子どもがおらず、「子どもができにくいのかも」と感じていました。2人は不妊の可能性があることも視野に入れ、今後を考えることに……。 妊活はお互いの歩み寄りが大切。そのため、不安を抱くことにはなってしまいましたが、お互いに胸の内を打ち明けられたことで、これからの見通しをより考えやすくなったことと思います。検査についてもお互いを思って相談し合える。素敵な関係ですね。 ※日本産婦人科学会では、不妊の定義を「避妊をしないにもかかわらず、1年妊娠しないもの」としています。また、日本生殖医学会のHPによると、アメリカの生殖医学会では、2013年に「不妊症と定義できるのは1年間の不妊期間を持つものであるが、女性の年齢が35歳以上の場合には6カ月の不妊期間が経過したあとは検査を開始することは認められると提唱している」とされています。 参照:監修/助産師 松田玲子 こいあさんのマンガは、このほかにもInstagramなど更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター こいあ福岡県在中アラフォー。SNSで妊活やPMDDの体験談を発信してます。うちの猫動画と自作のシュール系ショートアニメにも挑戦中。人生ブレまくってます。
2023年01月13日私は、結婚してから5年以上たっても自然妊娠に恵まれませんでした。そのため、30代になったことをきっかけに不妊治療をスタート。36歳のとき、体外受精でめでたく第1子を授かったのです。元々2人以上子どもが欲しいと思っていたので、第2子も検討したいところでしたが産後の夫婦生活は皆無。仕事と育児の両立の中、夜の生活まで考えられない私はある決断をしました。★関連記事:「拒否し続けると夫の機嫌が悪くなる…」夫婦生活はどこで?どうする?【体験談】子育ても夫婦仲も順調だけど…私は結婚してからもなかなか自然妊娠に恵まれることがありませんでした。気付けば結婚から早くも5年の月日が……。30代にも差し掛かりそろそろ焦りも出てきたころ、思い切って体外授精に挑むことにしました。かなりの覚悟を決めて挑んだ体外受精でしたが、結果、見事の第1子を妊娠。その後も妊娠生活は順調に進み、無事出産を迎えることができました。しかし、初めての育児は思っていた以上に慣れないことが多く、赤ちゃんのお世話だけで疲れ果てる日々。夫は子どもと遊ぶことだけは率先してやってくれたので、少し偏りはありましたが、育児の分担はスムーズにできていました。「出産後は意見の食い違いで夫婦仲が悪くなる」 という話を聞いていましたが、うちには当てはまらなかったようでした。そんな夫と私の関係ですが、一つだけ変化がありました。それは産後にセックスレスになったことです。私は慣れない育児に加え、寝不足の毎日。心身ともに疲労困憊(ひろうこんぱい)状態で、とても夫婦生活をする気分にはなれませんでした。そんな私の姿を見てなのか、夫から誘われることもなく……。その後もお互いにそんな雰囲気になることはなく、育児に励む日々が続きました。第2子は欲しいけど夫婦生活はない第1子の出産から1年弱。子どもが成長し子育てにも少し慣れてきたことで、私も心身ともに少しずつ余裕が出てきました。そこで考え始めたのが、第2子のことでした。このときすでに37歳だった私は「第2子を望むなら早めに動きださなきゃ!」と思いました。しかし、夫婦生活に変化はなくセックスレスの状態も続いたまま。レスの状態が長かったこともあり「できればこのまましなくてもいいかな……」と思うほどでした。また、夫からのアクションも特になかったので「もしかしたら夫も同じ気持ちなのかも?」とも考えていました。ただ、妊娠自体は望んでいたので、そのジレンマに悩まされるようになりました。夫にも相談しようと思ったのですが、改めて夫婦生活について話すのもどこか照れくさくてできず……。また、夫にすぐ相談しなかったのにはもう一つ理由がありました。それは、1人目の不妊治療の際に採取した受精卵が残っていたこと。第2子も体外受精で授かるという選択肢があったのです。もちろん、絶対に妊娠できるという確証がないことは理解しています。ですが、1人目を体外受精で妊娠したので、正直安心感や期待値が高くなっていたのも事実です。そして何よりも「子どもは欲しいけど、無理に夫婦生活はしなくない」という私たち夫婦の気持ちに適した方法だと思ったのです。体外受精のみでの妊活を決意!それからもしばらく悩みましたが、私の中では体外受精で妊活をしようという気持ちが固まりつつありました。年齢的にも、今から自然妊娠に臨む期間を設けるより、妊娠できる可能性が高い体外受精に望みを賭けたいと思ったのです。さらに、ちょうど不妊治療が保険適用になったことも体外受精での妊活を後押しする要因になりました。金銭的負担も以前ほどではないことが予想されたたことも決断に至った大きなポイントです。そして意を決し、夫に相談。「そう考えたのなら、俺もそのほうがいいと思う」と、あっさり了承を得ることができました。セックスレスという状況は「夫婦にとって好ましくないのでは……」と悩む時期もありましたが、夫の反応を見てホッとしたことを今でも覚えています。実際、わが家はレスということ以外は、何も問題がありません。むしろ、したくないことを強要するほうが夫婦仲に亀裂が生じてしまうのではないか、とも思います。第1子のときは「自然妊娠できなかった……」とどこか自分を責めてしまうところもありましたが、今は「体外受精をしていてよかったな」と思えるようになりました。第1子のときの採卵でたくさん卵子が取れたため、受精卵は残り5つあります。この受精卵を使いきるまでに妊娠しなければ、第2子は諦めようかとも思っています。どのような結果になるかわかりませんが、これから私たち夫婦ならではの方法で第2子の妊活を頑張っていきたいです。まとめ第1子を妊活していたときには思いませんでしたが、夫はそもそも夫婦生活に積極的なタイプではなかったのかもしれません。一般的には「レス=夫婦仲が悪い」というイメージが強いと思いますが、今回自分が当事者になってみて、必ずしも夫婦仲とレスは結びつくものではないんだなと実感しました。妊娠するためにはセックスをしなければならないことに間違いはありません。しかし、行為自体を苦痛に感じている人もいるのではないかと思います。私たちのように、初めから体外受精をするという決断は、夫婦仲を保つ方法の一つでもあるんだなと実感した出来事になりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/ささきなみ(37歳)体力の衰えを感じ、年齢に抗うなにかを始めようと摸索中のアラフォーです。趣味はキャンプ。自然の中で飲むお酒を楽しみに日々を頑張っています。健康や夫婦生活についてなど、アラフォー世代の気になる体験談を執筆中です。
2023年01月08日私には現在7歳と4歳の息子がいます。もともと2歳差で子どもを産みたかったのですが、息子は抱っこが大好き。私は常に息子を抱っこしていたため、ここで妊娠するとおなかにも負担がかかるのでは、と考えました。息子の気持ちを尊重し、2歳差での妊娠を断念したのです。2人目が欲しくて焦る私と抱っこをせがむ息子現在7歳の息子が、まだ1歳になったばかりのころ。2歳差で2人目が欲しいと考えていた私は、そろそろ妊活を始めなければと思っていました。ですが、長男はとにかく抱っこが大好き。生後9カ月で歩けるようになったので、1歳を迎えるころには小走りができるぐらいにまで成長していました。 それでもお散歩も抱っこ、寝かしつけも抱っこ、家の中で過ごしているときもすぐに抱っこをしてほしがるほど。しかもパパではだめ、ママでないと泣くという状況だったのです。 私はパパの抱っこも嫌がらないようになってもらおうと、夫に相談しました。夫も息子に泣かれるのはつらかったようで、息子の機嫌がいいときに何度も抱っこにチャレンジ。しかし状況は変わらず、私以外の抱っこは嫌がっている状態でした。 悩んだ結果2人目は…長男が抱っこ大好きだからといって、2人目を妊娠できないわけではありません。しかしすでに2人目を妊娠している友人から、「1人目を頻繁に抱っこしていたら、おなかがよく張るようになった」という話を聞いていました。 それならやはり2人目の妊活はもう少し待ったほうがいいのではないかと考え、今まで通り長男の気持ちを尊重し、存分に抱っこしてあげるようにしていました。 後悔はしていない!長男が2歳半になったころ、突然抱っこを要求することが少なくなってきました。何かきっかけがあったわけではないので理由はわかりませんが、2人目にチャレンジするなら今がベストタイミングだと考えた私は、夫にも相談することに。 すると夫も私と同じ考えだったようで、「今ならそこまで〇〇(息子の名前)に我慢させることもないんじゃないかな?」と言ってくれ、妊活にチャレンジすることになりました。 その後、長男が3歳になってすぐ2人目を妊娠。結果的に4歳差になってしまいましたが、私は長男の気持ちを尊重したことに後悔はしていません。あんなに抱っこを求めてもらえるのは子どもが小さいうちだけだと思うので、無理に2人目にチャレンジせず、ゆったりとした気持ちで長男に向き合うことができて、本当によかったと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2023年01月02日9歳、7歳、5歳、2歳の子どもたちを子育て中の共働き夫婦です。さらに8月には5人目の赤ちゃんが生まれる予定。妊娠をするたびに上の子たちに「妊娠発表」をするのですが、そのときに大事にしていることが2つあります。 子どもたちへの妊娠発表も大切な記念日私たち夫婦は「上の子たちへの妊娠発表」も大切な記念日だと考えています。なぜなら、上の子たちがまた1つお兄さんやお姉さんになることを自覚する最初の日だから。 私にとって妊娠はとてもありがたく、うれしいことです。でも、子どもたちにとってはうれしさだけではなく、不安に感じることもあるかもしれません。できるだけ不安にならないよう、むしろとても喜んでくれるよう、私たちが上の子たちに妊娠発表をするときに大切にしていることが2つあります。 とにかくうれしそうに発表する私たちが赤ちゃんの誕生を心待ちにしている姿を見せれば、上の子たちもとても喜んでくれると思うので、わが家ではこのように発表しています。私:「実は……今日はみんなに大切な発表があります!」子どもたち:「なになに?? 」(わくわく)私:「実はお母さんのおなかの中には……」子どもたち:(もしかして!? )私:「新しい赤ちゃんが入っているんです!」子どもたち:「イェーーイ!! 」「やったー!! 」というように、私たちが赤ちゃんの誕生を心から楽しみにしているのがちゃんと伝わるように発表しています。 子どもたちのリアクションをビデオに残すそして、もう1つ必ずしていることが「上の子たちへの妊娠発表」の様子をビデオに残すことです。ビデオを撮るのは特別なときなので、子どもたちも「何かうれしいことがあるのかも」と期待してくれます。 さらに、数年後生まれてきた赤ちゃんが大きくなったときにも見せてあげます。そのビデオを見たときに「自分の誕生をみんな喜んでくれていた」というのが伝わってくれたらいいなという想いもあるからです。これから生まれてくる赤ちゃんが大きくなって、このときのビデオを見せてあげたとき、どんなリアクションをするのか今からとても楽しみです。 「上の子たちへの妊娠発表」ではとにかくうれしそうに発表して、ビデオに残すことを大切にしています。こうすることで上の子たちにとっても、生まれてくる赤ちゃんにとっても大切な記念日になってほしいなと考えています。その前に赤ちゃんを無事に元気に生んであげられるように頑張ります! イラストレーター/まっふ監修/助産師 松田玲子著者:守岡 みずほ9歳長女に始まり、現在は2歳差の1男3女を育児中の共働き夫婦。 近々5人目も出産予定。しかし、すでに6人目も欲しくなってきた今日このごろ。
2022年12月22日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断を迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病について、病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽい物は食べられず、甘い物なら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やおしりに神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・おしりの痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:桜井りこ2児の姉妹ママ。不妊治療から流産を経験し妊娠。美容系会社勤務、現在は育児休暇中。整理収納・株、投資信託が趣味。美容・コスメ系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2022年11月28日現在、3歳の女の子と2歳の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告生理が1週間遅れていると思いました。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気がつきました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは……と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生! とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 作画/ぐら子監修/助産師 松田玲子著者:伊藤あいり3歳の女の子と2歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2022年11月21日私が2人目を妊娠したとき、長女はすでに6歳でした。初産であれば高齢出産にあたる年齢に差しかかっていたうえに妊娠・出産のブランクがあることから、妊娠中や産後の生活には大きな不安を感じていました。ところが実際には精神面でも体力面でも驚くほどラクに過ごすことができたのです。 経験豊富なママたちが身近に勢ぞろい大きな助けをくれたのは長女のお友だちのママたち、いわゆる「ママ友」でした。長女の周りはたまたま末っ子が多く、ママ歴10年以上のベテランぞろい。私が妊娠を報告すると歓声をあげ、「早く抱っこしたい!」とはしゃいでくれました。 またそれぞれに妊娠・出産の壮絶エピソードを話してくれ、「いろいろあるかもしれないけれど、大丈夫」と私を力づけ、不安を吹き飛ばしてくれたのです。それ以外にも長女の習い事の送迎をしてくれたり、遊びに連れ出してくれたりして、「うちの子が喜ぶから」とあくまでさりげなくしてくれるサポートに救われました。 おもちゃや服がどんどん集まってくる前回の出産からブランクがあるため、また途中に引っ越しもあったため長女が赤ちゃんのときに使っていた物はほとんど処分していました。「すべて買い直しか……」と思っていたら、実際は大違い。直接の友人でなくても「弟妹がいるお友だちのママが引き取り手を探している」とあちこちからお下がりが集まってきたのです。 おもちゃや服も上の子とは性別が違うので、どういったものが良いか見当もつかなかった私に「これは使いやすいよ」「子どもがすごく喜んだよ」という口コミ付きのお下がりはとてもありがたかったです。 小さなママの心強い成長ひとりっ子期間の長かった長女は、少し甘えん坊になり多少の赤ちゃん返りはあったものの、産後はしっかり戦力になってくれました。小さなママとして赤ちゃんのお風呂上がりに合わせてタオルとおむつをセットしておいてくれたり、赤ちゃんが泣き止まないときは変顔をしたり歌ったりして全力であやしてくれたりもしました。 おかげで第1子である長女の乳児期に感じた、「赤ちゃんと2人っきりの閉塞感」を感じることは一切ありませんでした。 7年のブランクがある妊娠・出産に対して、「今さら自分にできるだろうか」という不安が大きくあった私を力強く支えてくれたのは、身近にいる経験豊富なママ友たちと成長した長女でした。「きょうだいは何歳差がベストか」という問いに答えはありませんが、わが家にとっては7歳の差がちょうどよかったように今は感じています。 監修/助産師REIKO著者:川木みさ7歳差の1男1女を子育て中。英検1級、児童英語指導者TEYL取得。海外サイトの翻訳や子育て体験談の執筆活動中。イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2022年11月19日シングルファザーと不倫していたものの、彼から「実は妻が二人目を妊娠していて、俺は上の子の面倒を見ていただけ」と真実を告げられた麻衣さん(仮名・26歳)。不倫相手から一方的に別れを告げられ、悲しみに暮れていた麻衣さんにさらなる悲劇が襲いかかります。月経が遅れ…妊娠検査薬に加え産婦人科でも結果は…彼との別れで辛い思いをした麻衣さんは、気持ちを切り替え夫と生涯を共にしようと考えるようになったと言います。しかし、定期的にきている月経が遅れ、猛烈な眠気と強い吐き気に見舞われることが多くなったそうです。もしかして妊娠…? 不倫相手と関係を持っていたこともあり、麻衣さんはすぐに妊娠検査薬を試すことにしました。「妊娠検査薬の結果はやはり陽性でした。それでも信じることができず、産婦人科に行ったところ妊娠を告げられたのです。すでに夫とは冷めた関係にあったので、不倫相手の子どもに違いないと思いました。私は焦って『二人の子どもを授かった』『お願いだから帰ってきて』と彼のSNSにメッセージを送信。すると、不倫相手は驚きつつも『君のことが心配だ』と思わせぶりな言葉を返してきて。これを機にLINEでのやり取りが復活し、再び彼と人知れず愛を育むことに…。そのうち自分も離婚をして、彼を妻から略奪しようと考えるようになったのです。その時は、お腹の子が生まれるのが彼の離婚よりはやくなっても実家に頼ればいいと考えていました」そんなある日「パートが終わったら話があるから早く帰ってきて」と夫の翔太さん(仮名・29歳)から麻衣さんのスマホに連絡が入りました。夫とは普段ほとんど会話をしないので、自分の不倫がバレたのかもしれないと思いつつも、麻衣さんは落ち着くまで何があろうとしらを切ろうとしたのですが…。「帰宅すると、そこには目を疑うような光景が広がっていました。夫から呼び出された彼が『申し訳ありません! 』『お願いですから、不倫していたことは家族に黙っていてください』と涙ながらに土下座していたのです。夫は最近私の様子がおかしいと興信所に調査を依頼し、少しずつ不倫の証拠を集めていたと言います。そのため、不倫と同時に私が妊娠していることもすでに夫は承知済み。目の前で自己保身のために謝罪する彼に私の愛も冷めていきました」もう不倫相手とは完全に終わったと思ったら、一気に焦る気持ちが湧いてきた麻衣さん。これからお腹の子をどうやって育てればいいの? と考え、とっさに嘘をついてしまいます。「『確かに妊娠はしているけれど、彼の子どもでなくあなたの子なのよ』『私のことを信じて! 』と夫にすがりついたんです。もちろん『この期に及んで、まだそんな嘘をつくなんて』と夫の怒りを買ってしまって。とっくの昔に、私たちは関係を持つことをやめていましたから」嘘を重ねる妻に怒り心頭の夫がとった行動とはさらに夫は、麻衣さんを連れそのまま実家に乗り込みました。何も知らない彼女の両親に不倫と妊娠の事実を赤裸々に語るためです。「そこから大変な修羅場でした。父からは『なんてことをしてくれたんだ! 』と怒鳴られ、母に『翔太さんに悪いと思わないの? 』と泣かれてしまって。結局『すべて麻衣が悪い』『私たちはもう縁を切るから、一人で子どもを育てなさい』と突き放されてしまったのです。それから、すぐに夫と離婚しました。ひたすら謝る彼が情けなくて不倫はそこで終わったものの、実家頼みだった子育てを一人ですることに…。もちろん、私が不倫したのですから夫に慰謝料を払うことになっています。でも、これから先子どもにもお金がかかるし、私が働いても家計は火の車になるとわかっているのですが…。軽い気持ちで不倫相手に興味を持ったがために、私の人生は完全に狂ってしまいました。何より、子どもに『なぜうちにはお父さんがいないの?』と聞かれた時、自分が悪いだけにどう事実を伝えればいいのかわかりません」人を裏切ったうえで手にした幸せは、そう長く続かないことが多いのではないでしょうか。ほんの少しの気の迷いで人生が台無しになることもあるので、くれぐれも不倫には手を出さないようにしましょう。©yamasan/Getty Images©Patravat Muangmee / EyeEm/Getty Images文・菜花明芽
2022年11月12日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2022年11月01日ライブ配信アプリ「17LIVE」の周年イベント「超ライブ配信祭~5th Anniversary~」が22日に都内にて行われ、ライバーの44koki44がグランプリを受賞した。今年でサービス開始5周年を迎える「17LIVE」。毎年1回開催されているイベント「超ライブ配信祭」は、様々な部門ごとに日本一のライバーを決定するアプリ内イベントの授賞式となっている。今年の同イベントで見事グランプリライバー部門1位を獲得した44koki44は、「まさか自分が『超祭』のグランプリ1位を獲れるとは夢にも思いませんでした」と感慨無量。そして「あまり話したことがなかったんですけど、僕は30歳を過ぎてから、ライブ配信を始めました。何かを始めるのに遅いなんてことはないと思っています」と続け、「最初に描いた夢はバスケットボール選手でした。そしてグループで音楽活動を始めて、ずっとライブをするなかで、ライブ配信に出合いました。一番最初に描いた夢とは違いますが、今目の前にあることを全力でできることが一番大事だと思って、ここまで5年続けて、グランプリを獲ることができました。ここまで支えてくれた皆さんのおかげです。何かを始めるのに遅いことはないので、ライバーさんもリスナーさんもそんなことは思わずに、一歩踏み出してください。今日は本当にありがとうございました」と締めくくった。また、同部門2位のjudyちゃんは「イベントに出るなかで嫌われることもあったんですけど、その批判の声よりも、応援してくれているリスナーさんの声に耳を傾けて、これからも私らしく楽しく配信をしていきたいなって、今日改めて思いました。いつも応援してくれているみんなには、いっぱい励ましてもらっています。飾らない私だけど、多くを語らなくても分かってくれる存在でいてくれて、本当に支えになっています」とリスナーへメッセージを送った。そして、同部門3位のぶたまんは「私はライバー3年目にして初めて、この『超祭』へのチャレンジとなりました。苦しい思いをすることもあったんですけど、私よりもリスナーの皆さんに大変な思いをさせてしまったと思います。そんななか、シンガー部門1位、グランプリ部門3位という素晴らしい成績を残すことができました。本当にありがとうございます」と感謝の言葉を伝えた。
2022年09月23日グランドセイコー(Grand Seiko)から、腕時計「44GS」の新たなレギュラーモデルが登場。2022年10月7日(金)に発売される。グランドセイコー「44GS」に新たなレギュラーモデルブランド誕生以来、正確さ、見やすさ、美しさといった腕時計の本質を高い次元で追求してきたグランドセイコー。中でも、1967年に発表された「44GS」は、磨きあげた歪みのない平面を主体とする独自のシルエット、美しい面に磨き上げる「ザラツ研磨」をはじめとする高度な匠の加工技術をもって、世界に誇れるデザイン文法を確立した一本だ。その誕生55周年を機にラインナップに加わる本作は、世界最高レベルの耐食性を備えた特別素材「エバーブリリアントスチール」と、次代を担う革新的なメカニカルムーブメント「キャリバー9SA5」を採用した新たなレギュラーモデルだ。白く輝く先進素材「エバーブリリアントスチール」を採用ケースとブレスレットに使用されているのは、白く美しい輝きを放つ「エバーブリリアントスチール」。一般的な高級腕時計に使用されているステンレススチールに比べ、1.7倍という高い腐食耐性を誇る先進素材だ。雄大な岩手山をモチーフにしたダイヤル光の角度により幾重にも変化するダイヤルのモチーフとなったのは、グランドセイコーの機械式モデルを製造する「グランドセイコースタジオ 雫石」から望む、雄大な岩手山の一景。繊細な型打ち模様が作り出す陰影と、シルバーに近い淡いブルーの色調で、岩手山に訪れる春の雪解けを表現している。商品情報<グランドセイコー>Heritage Collection 44GS 現代デザイン発売日:2022年10月7日(金)希望小売価格:1,100,000円ケース・ブレスレット:エバーブリリアントスチールガラス:ボックス型サファイアガラス(内面無反射コーティング)防水性能:日常生活用強化防水(10気圧防水)ケースサイズ:[外径]40.0㎜(りゅうず含まず)、[厚さ]11.7mm【ムーブメント仕様】メカニカルムーブメント:キャリバー9SA5巻上方式:自動巻(手巻つき)時間精度:平均日差+5~-3秒(静的精度)※携帯時の精度目安は日差+8秒~-1秒パワーリザーブ:約80時間石数:47石振動数:36,000振動/時間(10振動/秒)【問い合わせ先】セイコーウオッチ(株)お客様相談室TEL:0120-061-012(通話料無料)
2022年09月10日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談をご紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことにとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。けれども時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかった瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけないものを保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ムチコ監修/助産師 松田玲子著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2022年08月23日3年前、46歳で妊娠し、結婚したのちにたった1年半で破局した私。離婚直後は「年齢の割に我慢が足りない」「子どものことを一番に考えていない」などと心ない言葉を掛けられたこともありました。そのせいか一時期は「私がもう少し我慢していればこうはならなかったかも」と精神的に落ち込むこともありましたが、今改めて思い返してみると、ありえなかった家庭のルールに振り回された結婚生活。夫から課された謎ルールをほんの一部ではありますがご紹介したいと思います。★関連記事:「夫の誘いから逃れたい!」46歳で出産後、毎日にように求められる夫婦生活が原因で…【体験談】ルールに従わないと説教と誓約書を…性行為は1日1回以上応じるべし相当性欲が強かった夫。お付き合いしていた期間は風俗で処理したり、他の女性と関係を持っていたことを後から知りました。結婚後は浮気をするべきではないと変に律義だった元夫。自分は性欲が強く、性行為ができないとおかしくなるから1日1回以上応じて欲しいと訴えてきました。もちろん、夫の都合で求められたときは昼夜問わず必ずです。私はといえば出産後にまったくなくなった性欲と、高齢出産での子育てによる疲労でそれどころではないのが本音でした。しかし元夫は初婚、私は再婚という負い目もあり、できるだけ元夫の要望に応じようと考えたのがそもそもの間違いだったように思います。私が「今日はどうしても無理」と断ろうものなら、子どもを寝かしつけたあとの深夜に起こされ、約束が違うと何時間も説教され、謝罪させられました。料理の献立は2週間分決めておくべし性欲と同じく食にも強いこだわりを持っていた元夫。結婚してからは私に2週間分の料理の献立を決めさせて、必ずその通りに作るよう指示しました。実家や知り合いからいただいたお野菜や食材に合わせて別の献立にしようものなら「計画性がない」「自分をコントロールできていない」と説教。なぜか週に1度はカレーを作らせ「手を抜かせてやっているんだから感謝しろ」と上から目線。出産後1カ月で仕事に復帰していた私に家のことはすべてさせておいて、「指示通りに動くだけだからおまえはラクでいいな」と嫌味を言われることもありました。時々気が向いたときに夫が料理を作ることもありました。表向きは機嫌を損ねないように「おいしい!」「ありがとう!」と感謝の言葉を伝えていましたが、本音を言わせてもらうと作るだけで後片付けもせず、台所を荒らされるので大迷惑でした。とにかく時間通りに行動するべし子育てをしていれば当たり前のことですが、子どもはなかなか親の思う通りに動いてくれません。乳児期ならなおさらのこと、離乳食をなかなか食べてくれない、寝かしつけようとしてもすんなり寝てくれない、泣きやんでくれないなんて日常茶飯事。それでも夫はあらかじめ決められた時間通りに食事の準備ができていなかったり、子どもをお風呂に入れていなかったりすると怒りました。何度子どもは大人の時間の概念なんかないから無理だと説明しても、子どもをコントロールできないなんて母親失格だとののしるばかり。夫は家にいるときはほとんどゴロゴロと動画や漫画を見て楽しんでいましたが、毎日時間に追われる私に、家の中での休息はほとんどありませんでした。ルールに従わなければ誓約書を書くべし他にも謎ルールは数々ありました。一番つらかったのは謎ルールに従わなかったときの深夜に及ぶ説教と、誓約書でした。誓約書は説教の後に必ず書かされるのですが、例えば夫のルールに従わなかったことに対して「もう二度とやりません」とか「今後は言われた通りにやります」などと書いて「従わなかったらいつでも離婚に応じます」と締めくくるものでした。まとめ理不尽だった結婚生活が終わりを迎え、気が付けば1年以上が過ぎました。夫との間に産まれた子どもはすくすく育ち、私は勝手なルールに縛られることもない幸せな毎日を過ごしています。振り返ってみると、どうして夫に従うだけの結婚生活を続けていたのか、私にとってそれが一番の謎です。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/きびのあやとら著者/陽(48歳)20代で出産した娘が成人式を迎えた矢先、46歳で妊娠。現在、2歳女児の子育てに奮闘中の鍼灸師。太極拳と書道が趣味で、着物を愛するレトロ母。20年前と今の子育ての違いに驚きと新鮮さを感じる毎日。
2022年08月11日更年期イラストレーターのやましたともこさんによる、更年期のもろもろをゆる~くつづった連載マンガ「脱力系ゆる更年期日記」の第44話。45歳くらいの誕生日に、夫からキャラクターのバッグをもらったやましたさん。実はやましたさんの強いリクエストだったようで……。★関連記事:「今日もすごい服やな」40代半ばからファッション迷子が加速して… #脱力系ゆる更年期日記 43ウーマンカレンダーをご覧の皆さま、こんにちは。更年期イラストレーターやましたともこでございます。45歳くらいの誕生日に、夫からキャラクターのショルダーバッグをプレゼントしてもらいました。45歳くらいの誕生日にキャラクターバッグって……夫、かなりのイカれ具合だな!とほぼ全員が思うと思いますが、私の熱いリクエストです。上記の2行で皆さんお気付きだと思うのですが、私はかなり独特なファッションなのです。なので、着たい服を着る「ハート強め期」には、大好きな赤をふんだんに取り入れ、赤いベレー帽や赤いワンピース、赤のスニーカーを恥ずかしげもなく着いたり履いたりします。そして、夫からもらったキャラクターのショルダーバッグを49歳にもなって平気で愛用しています。ただ、人目が気になる「冷静期」には、よっこいせとキャラを裏側にして使っています(笑)。これぞ2ウェイ! ありがたい〜。著者/イラストレーター/ やましたともこ(49歳)高知県出身、大阪府在住のイラストレーター。2児の母。高齢出産で身も心も弱り切ったまま更年期に突入。ここ10年元気な自分を見たことがない。本格的な老化とどう付き合うのか日々模索しつつヤングで緩めなイラストを描いている。
2022年07月21日29歳で結婚した私。結婚式を終えて落ち着いたタイミングで妊活を始めたのですが、すぐに妊娠することはなく……。あるときおなかに痛みが……!? 痛みを感じたときに出血はなく、下腹部痛だけだったので「生理痛かな?」と思い込んでいました。 予定日から逆算すると、新婚旅行前後が受精日に当たっていたので、夫婦ともに多忙によるストレスから解放されたことで妊娠につながったのかなと考えています。 その後、無事に待望の第一子を出産。「避妊をやめたらすぐ妊娠できる」と思い込んでいただけに不安もあったので、妊娠できて本当によかったです。 原案/柳 蓮花さん作画/ちゃこ監修/助産師 REIKO ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター ちゃこ漫画のお仕事をしています。インスタグラムでグルメ備忘録を更新中。
2022年07月17日こんにちは、かたくりこです。わが家の姉妹・長女こむぎ(6歳)と次女きなこ(3歳)の日常をお届けする「こむぎときなこ」の、第44回です。わが家では週に1回「掃除の日」があります。「掃除の日」は、夫と2人暮らしをしていた時からの習慣です。当時は仕事が忙しく、お互いほぼ家にいなかったので、週1回だけ2人でまとめて家事をしていました。今は平日に私が簡単に掃除機をかけて、週末に2人でしっかり掃除するスタイルになっています。子どもたちは2歳くらいから自然に参加するようになりました。でもやっぱり最初は、いらんことばっかりするので、忍耐の日々…! 「頼むから動画でも観ててくれ!」と思ったことも何度もあります。そんなこんなで2〜3年経過。今年になってようやく、自分たちできちんと掃除できるようになってきました! とくに長女はノってくると、私以上にすみずみまでピカピカにしてくれるので、とても助かります。なんだか「新入社員を一人前に育てた上げた…!!」みたいな気持ちになりました(笑)
2022年07月12日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師 松田玲子著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ
2022年06月04日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し、数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠! 「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万全!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、コロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛が来るのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産にはお母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2022年05月06日21歳~44歳の女性300人にリサーチ!アンケートから見る、みんなのお金、リアル事情とは!?anan読者世代の女性300人にマネー事情をヒアリング。お金に関する意識と実態に迫ります。Q. 将来、お金に関する不安はありますか?不安がある…81%不安な理由は?約8割が不安というシビアな結果に。老後資産が貯められない現状や当てにならない年金制度に加え、「世界情勢の影響で収入が不安定に」(34歳・自営業)など不安要因も年々増加傾向に。不安がない理由は?一方で、5人に1人は心配はしていないと回答。「早くから対策しているから」(29歳・会社員)と貯蓄や投資を理由に挙げる堅実派が多いが、どうにかなる、と楽観視する人もちらほら。Q. 不安に備えてしていることは?1位…iDeCo、NISAなどの投資、2位…貯金、3位…節約、4位…副業、5位…転職厳しい時代背景を受けて攻めの対策を始める人が続出中。貯金を抑え、iDeCoやNISAなど投資が首位を獲得。超低金利時代が続く今は、収入アップが見込める副業や転職も含めて環境を変えて収入を得る動きも。それらと並行して節約やポイ活に励むという声も。Q. 副業はしていますか?していない…90%副業への願望はあるけれど検討中の人が多い模様。近頃は副業を許可する会社も増えたものの、実際に行っているのは1割。飲食などのいわゆる定番のアルバイトのほか、アンケートに回答するポイントサイトやWebライティングなど、隙間時間でできる在宅業務も人気。Q. 年収はいくらですか?100万円以下…9.6%、101万~200万円…3.2%、201万~300万円…20.5%、301万~400万円…31.3%、401万~500万円…18.6%、501万~600万円…7.0%、601万~700万円…1.9%、701万~800万円…1.3%、801万~900万円…1.3%、901万円以上…3.2%、回答なし…2.1%年収500万円以下が約8割という結論に。全体の8割を500万円以下が占め、301~400万円がボリュームゾーンに。ただし、年収500万円超えでもお金の不安があると回答するケースが多く、現在の収入だけでは老後の心配は拭えないよう。Q. 家計簿をつけていますか?つけていない…67%お金の流れを把握して収支の見直しに活用を。つけている約3分の1の人は、「無駄な支出が可視化できる」(44歳・出版)、「お金の計画性がついた」(28歳・サービス業)と収支の見直しに活用。約半数がノート派で、アプリはZaimやマネーフォワード MEの支持率高し。Q. 毎月の平均支出はいくらですか?家賃…73,000円、光熱費…16,878円、通信費…10,267円、交際費…15,565円、趣味・レジャー…18,362円、食費…31,365円、日用品…10,188円、美容費…8,729円、服飾費…10,323円、保険…18,988円、投資・貯蓄…65,369円※未婚平均は45,368円、既婚平均は85,369円Q. 節約しているものは?1位…食費、2位…服飾費、3位…光熱費コロナ禍による生活の変化も影響アリ。食費の節約として自炊が挙がるほか、「おやつなどの嗜好品を買わない」(25歳・医療)の声も。外出機会が少なくなったため服飾費を減らした人も多く、在宅ワークで増えがちな光熱費も節約の対象に。※『anan』2022年4月27日号より。イラスト・サヲリ・ブラウン文・真島絵麻里(by anan編集部)
2022年04月20日あなたの周りには、仕事と妊娠の両立に困難を感じている人はいませんか?仕事と妊娠を両立するためには、どうしても周りの人の協力が必要になりますよね。今回はメンタル心理カウンセラーの並木まきが、念願の妊娠を果たしたのに職場で壮絶な体験をした女性のエピソードをご紹介します。妊活1年で念願の妊娠! 職場に伝えるも上司は複雑な表情に…彩花さん(仮名・当時33歳女性)は、妊活を初めて1年が経った頃に念願の妊娠が判明。仕事も順調かつ多忙な時期ではありましたが、ずっと子どもが欲しかった彩花さんは迷わずに、まずは仕事よりも自分の体を労わろうと決め、引継ぎのことなどを含め妊娠5週目の段階でそのことを上司に報告しました。「ところが、ですよ。予想外の展開が待ち受けていたんです。私の当時の上司は女性だったのですが、その場では“おめでとう”と言ってくれたものの、顔はこわばったまま。まったく気持ちがこもっていない“おめでとう”だったので驚きました。さらに、それだけでなく妊娠を告げた途端に、その上司の私への態度がどんどんキツくなっていったんです」つわりで苦しむなか、仕事量は増加。限界まで耐えたけれど…その後、彩花さんはつわりが苦しくなり、上司に「休みたい」と伝える日も増えてきたそうです。しかし、その度に上司からため息をつかれたり、イヤミを言われるようになってしまったとのこと。さらにタイミングが悪く、妊娠を報告したのと同時期に同じ部署の人が辞めたこともあり、彩花さんの仕事量はグッと増加。もともと責任感が強い彩花さんは、つわりで辛い状況でも「仕事だけはしっかりやらないと」と頑張っていたそうです。そのため、なんとか仕事をこなしていましたが、その結果、大きなストレスを抱え、彩花さんの体はだんだんと不調を感じるようになっていきました。「出産後もキャリアをしっかりと積んでいきたいと考えていたので、妊娠が仕事に影響するのは避けたいという気持ちもありました。上司からの評価というよりも自分自身の責任として、任された仕事はきちんとやりたいという思いが強かったんです。だけど、ヤル気はあっても体が追いついていきませんでした。職場がもう少し私の妊娠に理解があれば状況は違ったのかもしれませんが、上司は私のことを気にかけるどころか仕事を押しつけてくるような人だったので…。精神的にも孤独で、ひたすら一人で頑張っている感じでしたね」夫はもともと寡黙な人で、仕事の愚痴なども聞きたがらないタイプだったことから、彩花さんは職場での愚痴を家庭にも持ち込めず、結局すべて一人で抱えてしまったそうです。女性の妊娠や出産・育児に理解があり協力的な職場もあれば、その一方で十分なサポートをしてくれない職場もあるようです。そのため、彩花さんのように念願の妊娠が判明して嬉しかったのも束の間、妊娠に対して職場からの十分な理解を得られず、過酷な状況で働かざるおえなくなる人も少なくないのかもしれません。©Panupong Piewkleng/gettyimages©warodom changyencham/gettyimages文・並木まき
2022年04月16日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の最終話。ある日のレッスン後、生徒から思わぬ言葉をかけられて……。★前回:「全部出しちゃえ!」心にイライラ、モヤモヤがたまったときの解決法は… #44歳チアリーダー 2044歳チアリーダー最終話「ユカ先生独自のチアが良い!」と言われて…レッスン後、生徒のYちゃんとお茶をしていたときに、チアの良いところとはという話になりました。キビキビしたポンポンダンス、かっこいいヒップホップ、しなやかなジャズダンスと雰囲気の違うジャンルのダンスをすべて踊れるのがチアの良さだね〜などと話していたら、Yちゃんが「チアだけれどチアじゃないみたいな、ユカ先生独自のチアが良いんですよ!」と言ってくれました。30歳からまったくの初心者で始めた私は「チア界の常識」的なことを知りません。なので、例えばチアのイベント用の振り付けに芝居みたいな部分を入れたりスローモーションを入れたり、衣装も全員違うものを着てみたり(普通は全員衣装、髪型、メイクまでそろえます)などと、変わったことが好きなのもあり、かなり自由にやっています。「良いんだろうか?」と思うこともありましたが、常識がないから自由にできるのは、それはそれで良いことなんだ! と思いました。「ユカ先生独自のチアが良い」というのは、コンプレックスに思っていた部分がチャームポイントに変わったようなうれしい言葉でした。ド素人からスタートしても夢はかなう!ダンスを始めたのは30歳だし、チアの有名校出身でもないけれど、でもこうして44歳の今、小さな規模でも誰かに何かを伝えられたり、体を良いほうに持っていくお手伝いができています。先生に「有名校を出ていないと先生になるのは難しい」と言われたあのとき、その言葉にめげずに「やりたい!」という気持ちに従ってよかったなあと思います。夢は強く願い行動すればかなうものですね♪自分がときめいて始めたチアが、何か少しでも誰かの役に立つとうれしくて、よく感動してひとりで泣いています(笑)。ダンスを教えたいというよりも、来てくれた人が笑顔になって帰ってくれたら、少しでも体を大事にしてくれたら、ストレス発散になったら、という思いがあります。44歳のチアダンス講師として、この先どんなことをできるかはわからないけれど、愉快に笑いながら楽しい時間を作って行けたらいいなと思います!皆さんも笑顔と体を大切に、年齢で諦めることなく、楽しい日々を過ごしていきましょう!Go! Women!! Goオトナ女子!! Go! Fight! Win!★関連記事:「お股のにおいで迷惑をかけたくない」なるべく早い時間がよかったけれど #脱毛編 #熟女系 37★関連記事:「ついに私も陽性者に……」PCR検査で陽性が判明し、自宅での療養が続く日々… #新型コロナ奮闘記 #五十路日和 40★関連記事:「今までの人生、何をしていたんだ!」無謀で絶望的なチャレンジを決意するアラフィフ女 #脱力系ゆる更年期日記 35著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2022年03月13日2カ月前までは33日~35日周期で生理が来ていたのに……。しかも、まだ44歳。生理が1カ月遅れただけと思っていた私に医師から告げられた意外な言葉は「閉経」でした。これは私が突然に閉経の診断を受けた体験談です。いつもの通院で閉経を知るそれは本当に突然で予想外のできごとでした。私自身は生理が終わるのは50歳前後だと思い込んでいました。自分の知人や親、友だちが50歳近くになって「まだ、生理があがらない。早くあがってほしい」などと話していたのが頭に残っていたからです。だから44歳で生理があがるというのは想定外だったのです。悪性でない子宮筋腫があることが1年ほど前に判明し、それから月1回ほど婦人科に通院しているのですが、前月の通院時に生理が遅れていたため血液検査を受けていました。その血液検査の結果を聞いたのが今回の診療でした。先生は少し考えながら「んん。これは閉経しているな」とおっしゃいました。「え?」閉経ってなんだっけ? くらいの思いが私の頭を横切ります。冷静になって、「閉経???」少しびっくりして先生に聞き返すと、「でも、もう生理痛から解放されるよ。漢方を出すので様子を見ようか?」とのことでした。漢方は桂枝茯苓丸(ケイシブクリョウガン)という血の巡りを良くしてくれるものを処方されました。どうなったら閉経と判断されるの?閉経と診断された際、先生から血液検査の結果の用紙で説明を受けました。エストラジオールという女性ホルモンを表す数値が私は47.1pg/mlしかないとのこと。生理が来る可能性はゼロではないが「この数値が50を超えなければ生理は来ない」と先生から聞かされました。あとで調べたのですが、排卵期にエストラジオールが50を超えなくては生理は来ないようで、私の血液検査時の排卵を示す数値のFSHは4.1mlU/mL。つまり排卵しているのに生理が来なかったことになります。そのことから先生から閉経を告げられたのだと個人的には感じています。100%確定ではないですが、私自身はリアルタイムで閉経を告げられたことにびっくりしました。なぜなら、先月に生理が遅れる前まで33日~35日周期でちゃんと生理が来ていたからです(生理アプリで生理日を管理していました)。27歳で結婚をしましたが、私に子どもはいません。子どもが欲しかったわけではないので閉経自体にショックはありませんでしたが、徐々に徐々に2カ月に1回、3カ月に1回と経血の量も減り回数も減って生理は終わっていくものだと思っていたら、シャッターをピシャンと急に下ろしたかのように終わることに衝撃を受けました。閉経後に2つの不安が…その後に自分ができることといえば、処方されている漢方をきちんと飲むことくらいですが不安もあります。一つは前から先生に悪玉コレステロールが高いことを指摘されていたこと。先生によると正常が70~139mg/dlに対して私の数値は162です。閉経してしまうとコレステロールは余計に下がりにくくなるのだとか。状態によっては薬も考えなければいけないと言われました。もう一つは「閉経したあとのホルモンバランス」です。真っ先に頭に浮かんだのは更年期障害のこと。ネットで調べると更年期障害は閉経前後の10年ほどの期間に起こると書かれていました。閉経前に5年、閉経後5年が目安なのだと思います。私の場合は閉経前には更年期障害と感じる症状はありませんでした。次の通院で先生にどんな症状が出るのか相談したいと思っています。まとめ子どもが欲しいと思っていたわけではなかったので閉経に対してショックはありませんでしたが、今まであったものとの急なさよならに戸惑いは感じました。しかし、女性なら誰しも経験することなので受け入れ、閉経によって起こりうるリスクと向き合わなくてはいけないなと感じています。そして、もともと高い悪玉コレステロール値には運動が良いとのことなので、少しでも体を動かせる環境を整え、更年期障害のことも担当医に相談しながら勉強していければとも思います。生理がなくなったら女性でなくなるわけではないし、自分が思っていたより早めの閉経ではありましたが、「つらかった生理痛とお別れできる」と前向きに捉えたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)東京女子医科大学医学部卒業。米沢市立病院入職後、再び東京女子医科大学に戻り、専門医を取得。同大学産婦人科に入局し産婦人科医として働きつつ、性科学を学び、また東京女子医科大学東洋医学研究所で東洋医学を学ぶ。2019年1月に地元山形県米沢市にて、こまがた医院を開業。イラスト/サトウユカ著者/山田今日子(44歳)子どもなしの更年期に悩む主婦。目の疲れや腰痛と戦いながら、日々WEBライターの技術向上を目指し、頑張っている。
2022年03月10日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第20話。ある日、生徒がマンガのようにひどい表情・オーラでレッスンに現れて……。★前回:「セックスレス解消!?」ギクシャクしたアラフォー夫婦の関係が修復された理由とは #44歳チアリーダー 1944歳チアリーダー20話マンガのようにひどい顔・オーラでやってきた生徒ある日、練習に現れたTちゃん、「ど、どうしたの!?」とつい言ってしまうような、マンガのようにひどい表情・ひどいオーラでやって来ました。話を聞いてみると、厄介な人と、ものすごい長文LINEのやり取りをしながら来たそうで、本当に疲れ切っていました。着替えるときもストレッチが始まっても、眉間にシワが寄って暗い表情。ストレッチは私が一方的に説明していて、皆さんは自分の体と向き合っている時間ですが、その後のウォーキングやターン、ダンスの練習のときは、みんなでワイワイふざけながら(もちろんレッスン内容は真剣ですが!)おこなっています。問題は解決しなくても踊ることで前向きにだんだんとTちゃんの表情も明るくなっていき、レッスン後は「楽しかった!」と笑顔で姿勢も良くさっそうと帰って行きました。もちろん厄介な問題は解決していないままなのですが、一瞬でも忘れられる時間になったかなとホッとしました。レッスンの間は、ストレスで縮こまった体をストレッチで整えられるし、振り付けを覚えるのに集中することで、そのつらい状況・物事から一瞬でも思考を切り離すことができます。嫌なことがあってモヤモヤしていると、ずーーーっとエンドレスにそのことばかり考えてしまいますよね。一瞬でも考えない時間があると、心もホッとするんじゃないかと思います。この日のTちゃんだけでなく、「実はすごく嫌なことがあってどんよりしていて、レッスンに行こうか迷ったけれど、踊ったら元気になりました! 来てよかった!」とか「育児でイライラ疲れていたけれど、スッキリしました!」とか言ってもらえることが多く、これって私がチアを習っていたときに思っていたことだ! それを私も思ってもらえるようになったんだー! と、感慨深くなりました。何か嫌なことがあってずっとそのことばかり考えてしまう、というときは、ぜひお掃除でもラジオ体操でも何かしら体を動かしてみてほしいなと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2022年02月21日神戸(2020)&横浜(2021)での旗揚げ公演が高く評価された unit 4/4 (ユニット・カトルカール)による第二章がスタートする。“新たな表現形態への挑戦”を掲げ、現代音楽を主戦場とする4人の音楽家によるプロジェクトunit 4/4 (ユニット・ カトルカール)の記念すべき旗揚げ公演は、20 世紀フランスの大作曲家フランシス・プーランク(1899-1963)と、プロジェクトメンバー伊左治直の新作初演を含むユニークなもの。エスプリの効いたステージが記憶に残る出来事だった。そして、1年間の充電期間を経てパワーアップした彼らの"第二章" では、伊左治と彼の作曲の師匠西村朗 (1953-)の楽曲が披露される。西村朗と言えば、雄弁なトークを活かしたN響アワーの司会などを務めつつ、アジアにおける伝統文化・宗教などを題材に創作活動をおこなう現代日本を代表する作曲家だ。その西村と伊左治の2人が、"水"をテーマに書き下ろした新曲で対峙するとなれば興味津々。西村の作品には、しばしばヒンドゥー世界の神々や生き物らが登場する。そこからイメージを膨らませ、チラシデザインにあるような女神、蛇、温泉などなど、水を神聖なものとする思想に繋がっている。「カトルカールの妖しい世界に引き摺り込まれ、新美桂子の蛇に絡むエロチックな詩に魅せられて、異様な超絶難曲〈水脈を爬う〉を作ってしまった。あとは知らない。聴くのが怖い」と語る西村朗のコメントが興味深い。作曲者自身のトークに加え、作詞者による朗読をも交えたユニークな表現形態を体験できるのは、まさに同時代音楽ならではの特権に違いない。●プログラム・西村朗|Akira Nishimura (1953-)《涅槃》(1997) 詩:萩原朔太郎/ソプラノ・ピアノ《輪廻》(2004) 詩:萩原朔太郎/ソプラノ・ピアノ《水脈を爬う》(2022・初演) 詩:新美桂子/ソプラノ・ピアノ《タンゴ》(1998)/ピアノ・伊左治直|Sunao Isaji (1968-)《谷間に眠る男》(2015) 詩:A・ランボー(訳:伊左治直)/ソプラノ・ピアノ《WHAT NONSENSE!》作詩者不詳 (2000)/ソプラノ・ピアノ《野天に涌く》(2022 初演) 詩:新美桂子/ソプラノ・ピアノ《海獣天国》(2010)/ピアノ●公演概要(出演)unit4/4 ユニット・カトルカール :太田真紀(ソプラノ)、碇山典子(ピアノ)、新美桂子(作詩・朗読)伊左治直(作曲・トーク) 、ゲスト:西村朗(作曲・トーク)2022年3月8日(火)19:00開演会場:豊中市立文化芸術センター小ホール入場料:一般 3,000 円、学生2,500 円予約・問い合わせ090-9866-0751 / unitquatrequarts@gmail.com予約フォーム 年4月7日(木)19:00開演会場:めぐろパーシモンホール(小ホール)入場料:一般 3,500 円、 学生 2,500 円予約・問い合わせ080-6528-9812/ unitquatrequarts@gmail.com予約フォーム
2022年02月17日私は20歳の誕生日と同時くらいに、第1子を妊娠しました。初めてのわが子にうれしい反面、不安や苦労もありました。特に、周りから「若いママだから……」という目で見られることに苦痛を感じました。2022年民放改正前の体験です。 妊娠判明は成人式の直前!妊娠が判ったのは、成人式の1カ月前でした。妊娠に対してうれしい反面、まだ成人して間もない自分に、子どもを育てられるのかという不安もありました。 それでも産みたいという気持ちは固く、「私、産むから」と現在の夫に宣言。同い年の夫は「う、うん……」と、押される形で出産・結婚を決意してくれました。そのままお互いの両親に妊娠と結婚を報告し、妊娠4カ月の状態で成人式に出席しました。 「若いママだから」と言われたくない!第1子である長女は、私が20歳のうちに生まれました。幼いころから子ども好きだったので、自分の子どもがうれしくて、かわいくて毎日が幸せでした。初めての育児に緊張しながらも、保健師さんの言うことを堅実に守り、育児書と毎日にらめっこをし、懸命に育児をしました。 子どもが口にするものはすべて手作りし、衛生面、健康面にすごく気をつかいました。子どもに対する愛情からが半分、残りの半分は周りから「若いからちゃんとしていない」と思われるのが嫌だったのです。 それでもやっぱり偏見の目…わが子を連れて外に出かけると、「赤ちゃんかわいいわね~」と声をかけられるのですが、決まって最後に「ちゃんと育てなきゃダメよ」と言われるのです。子どもが細かったためか、時には「ごはんちゃんと食べさせているの?」とか「ごはん作ってないんでしょ?」と言われたこともありました。 夫の親戚からは、はっきり「虐待していない?」と心配されていました。若いママというだけで、周りから育児放棄や虐待などの心配をよくされました。自分なりに懸命に育児をしていたので、周りからの偏見の目は悔しかったです。 私は子どもを愛している付き合いのある人たちは理解してくれるものの、結局のところ、見ず知らずの人からの偏見の目はなくなりませんでした。いつしか私も抵抗することをやめ、「この子のママは私。この子がいいと思ってくれているのなら、それでいい」と思えるようになりました。偏見の目で見られようとも、私は子どもを愛しているんです。長女を産んでから数年間、偏見の目に悩まされましたが、自分なりの答えにたどり着くことができました。 年齢を重ねた現在ならば、当時の偏見の目を理解できます。昨今の子ども虐待のニュースもありますし、何より子どもが子どもを産むようなものですから、心配にもなります。でも当時の私にはその気持ちが理解できず、偏見の目が苦痛で仕方ありませんでした。もし今の私が、当時の私に声をかけてあげられるのなら、「子育て頑張っているね! ちゃんとわかっているよ。大変なことがあれば人に頼ってもいいから、あまり無理し過ぎないでね」と伝えてあげたいです。 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/きょこ 著者:ライター 木村なち
2022年02月08日アイドルデュオ・KinKi Kidsが、44枚目のシングル「高純度 romance」を3月16日に発売する。CDデビュー25周年イヤーを飾る第1弾シングルは、「ロマンスは、人と人を繋ぐ純度の高いコミュニケーション」をテーマに、夢や希望を失いがちな世の中だからこそ、人と人との繋がりを大切に前を向いて歩いて行こうという思いを込めた、ハートフルな人生の応援歌。作詞は「硝子の少年」、「ジェットコースター・ロマンス」などを手掛けた松本隆氏、作曲は「Harmony of December」や「変わったかたちの石」などを手掛けたマシコタツロウ氏というKinKi Kidsの楽曲にとっておなじみの布陣に、アレンジには数々の楽曲をプロデュースしている冨田恵一氏を迎える。初回盤A、B、通常盤の3種が発売され、Blu-ray・DVD共通の映像特典として初回盤Aには「高純度 romance」のミュージックビデオと、KinKi Kidsの2人だけが出演する「Only KinKi Kids ver.」が、初回盤Bには元日に東京ドームで行われたコンサートの様子として、アニバーサリーイヤーの初日に歌われた「Anniversary」とリハーサルのオフショットを収めた「Anniversary from KinKi Kids Concert 2022」が収録される。
2022年02月01日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第19話。今回は、チアを通してあることまでうまくいったというお話。教室にはママさんだけでなく、パパさんも参加するようで……。★前回:「たまらなくかわいい!」誰もが陽気になれるすてきアイテムとは #44歳チアリーダー 1844歳チアリーダー19話チアでちょいエロレッスン私はセクシーな女性が好きです。なので、私のレッスンではついついセクシーを重視してしまいます。もちろん女はセクシーでなければいけない! なんてことはないし、ボーイッシュな女性もさわやかな女性もすてきです。ただの私の好みの話なので生徒さんからしたら迷惑なときもあると思いますが(笑)、でも譲れない私のこだわり。なので、セクシーなポーズのときはつい、「目の前にすごく好きな男の人がいると思ってポーズして!」とか「表情にも色気をくれ」とか要求してしまいます。関係を修復したいアラフォー夫婦が…そんな私のちょいエロレッスンも生徒さんのお役に立てたことがありました!以前お母さんチアチームを教えていたとき、踊る奥さんたちを楽しそうに思ったお父さんたちでもチームができて、7組が夫婦で生徒になってくれていました。新年最初のレッスンではいつも今年の抱負を言ってもらうのですが、7組のうちの1組、アラフォーのK夫妻が「夫婦関係の修復」とそれぞれ言っていて、両方から同じ抱負を聞いた私はドキドキ!しかも夫のほうは「ぜひ妻にもそう伝えてください!」とかっこよく言っていて。今思うと、いやいや私づてじゃなく自分で言いなよ〜って感じですが(笑)。そしてお母さんチームでは「裸にシーツをまとっている感じでセクシーに歩いて!」とか、お父さんチームでも遠慮なく「妻でもいいし、超好みの女性でもいいから目の前にいると思ってギラギラ踊って!」とか言っていたのですが、なんとなんとその年、K夫妻のセックスレスが解消したそうなのです!「チアのおかげです♡」と言ってもらえて、もちろんそれだけがきっかけではないと思いますが、私のちょいエロレッスンが夫婦関係修復のためのちょっとした力になれたのかな〜と思ってとてもうれしかったです。妻も夫も、ちょっとしたセクシーを保てていると関係がうまくいくのかもしれませんね!と言うわけで、チアはセックスレス解消のお役にも立てるかもしれない! というお話でした。★関連記事:「鏡を見て驚愕!」乾きがちな40代の肌を守るべく朝洗顔をやめてみたら… #40代豆腐メンタル 3★関連記事:「治療してこの先も生きたいのかな?」乳がんを初めてカミングアウトして気付いたことは… #40歳独身で乳がんになりました 7★関連記事:「土日がしんどい…」アラフォーになったらあまりにも疲れやすくなって… #アラフォー絵日記 12著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2022年01月23日私には現在7歳と4歳の息子がいます。もともと2歳差で子どもを産みたかったのですが、息子は抱っこが大好き。私は常に息子を抱っこしていたため、ここで妊娠するとおなかにも負担がかかるのでは、と考えました。息子の気持ちを尊重し、2歳差での妊娠を断念したのです。2人目が欲しくて焦る私と抱っこをせがむ息子現在7歳の息子が、まだ1歳になったばかりのころ。2歳差で2人目が欲しいと考えていた私は、そろそろ妊活を始めなければと思っていました。ですが、長男はとにかく抱っこが大好き。生後9カ月で歩けるようになったので、1歳を迎えるころには小走りができるぐらいにまで成長していました。 それでもお散歩も抱っこ、寝かしつけも抱っこ、家の中で過ごしているときもすぐに抱っこをしてほしがるほど。しかもパパではだめ、ママでないと泣くという状況だったのです。 私はパパの抱っこも嫌がらないようになってもらおうと、夫に相談しました。夫も息子に泣かれるのはつらかったようで、息子の機嫌がいいときに何度も抱っこにチャレンジ。しかし状況は変わらず、私以外の抱っこは嫌がっている状態でした。 悩んだ結果2人目は…長男が抱っこ大好きだからといって、2人目を妊娠できないわけではありません。しかしすでに2人目を妊娠している友人から、「1人目を頻繁に抱っこしていたら、おなかがよく張るようになった」という話を聞いていました。 それならやはり2人目の妊活はもう少し待ったほうがいいのではないかと考え、今まで通り長男の気持ちを尊重し、存分に抱っこしてあげるようにしていました。 後悔はしていない!長男が2歳半になったころ、突然抱っこを要求することが少なくなってきました。何かきっかけがあったわけではないので理由はわかりませんが、2人目にチャレンジするなら今がベストタイミングだと考えた私は、夫にも相談することに。 すると夫も私と同じ考えだったようで、「今ならそこまで〇〇(息子の名前)に我慢させることもないんじゃないかな?」と言ってくれ、妊活にチャレンジすることになりました。 その後、長男が3歳になってすぐ2人目を妊娠。結果的に4歳差になってしまいましたが、私は長男の気持ちを尊重したことに後悔はしていません。あんなに抱っこを求めてもらえるのは子どもが小さいうちだけだと思うので、無理に2人目にチャレンジせず、ゆったりとした気持ちで長男に向き合うことができて、本当によかったと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年01月14日「どーでもいいーですよー」の枕詞とともに淡々と毒をはく芸風で、一世を風靡したピン芸人のだいたひかるさん。乳がんの経験を経て2021年5月に45歳で妊娠を発表し、現在は片づけを通して自身の人生を見つめるエッセイ『生きるために、捨ててみた。』の出版が話題を呼んでいます。3回目の今回は、不妊治療の再開と妊娠、今後の目標などについてお話をうかがいました。★前回:乳がんで右乳房を全摘。だいたひかるさんインタビュー「抗がん剤治療中、太らないようにサウナスーツでレンタルDVD店へ(笑)」#245歳で不妊治療を再開して妊娠――乳がんが見つかったことで不妊治療は幕を閉じたのでしょうか?だいたさん当時の私は乳がんに関する知識がまったくなくて、乳腺外科の先生に「不妊治療はやめたほうがいいですか?」って質問をしたりしていました。不妊治療では女性ホルモンの補充がおこなわれますが、乳がんには女性ホルモンを餌にするタイプのものがあり、女性ホルモンを抑える治療をすることもあるそうなんです。つまり、不妊治療と乳がんのの治療って真逆のことなんですよね 。手術の日まで採卵はできるけれど、その後は不妊治療を休まなければいけないことがわかりました。リンパ節への転移が見つかって抗がん剤治療を受けることになったときには、「もう不妊治療は無理なんだな」と思いました。――無理と思われたのはどんな理由からだったのでしょうか?だいたさん私は40歳になっていましたし、抗がん剤治療をすると閉経する可能性があると言われたんです。だから「もうダメなんだなぁ」「間に合わなかったんだなぁ」って。――2020年秋には乳がんの治療を中断して、不妊治療を再開することを発表されました。そこに至るまでにはどんな思いがあったのでしょうか?だいたさん乳がんが見つかる前に移植するはずだった受精卵がずっと凍結保存されていたんですね。乳がんの治療を続けていけば妊娠する可能性は0%ですが、受精卵を子宮に戻せばわずかなパーセンテージだとしても妊娠する可能性があるんですよね。受精卵を凍結保存しているクリニックからは、年に一度、保存を延長するかどうかのお知らせが届くんです。おそらく私は破棄することなく、毎年、お金を払って受精卵を凍結保存し続けるはずです。そうなると、長生きをして80歳、90歳になったときに「どうしてもっと若いときに受精卵を子宮に戻さなかったんだろう」って後悔するかもしれないですよね。80代、90代に比べれば40代は若いですから、可能性がゼロではないなら不妊治療に挑戦してみようと思ったんです。2020年10月に乳がんの治療をやめ、2021年5月に受精卵を子宮に戻し、妊娠判定が出ました。――そのときの心境を教えてください。だいたさん不妊治療を再開できること自体が奇跡だと思っていたのに、45歳での最後の挑戦が実を結び感無量でした。生きていてよかったと心の底から思いましたね。2022年1月に出産予定なのですが、おなかの子どもがちゃんと生きようとしている、今この瞬間に起きているその事実がうれしいんです。自分の過去のモノを手放せるようになった――妊娠を機に片づけへの意識は変わったのでしょうか?だいたさん生まれてくる子どものほうへと興味が移り、自分の過去のものには関心がなくなってきたんですね。だから、今まで手放せなかったものも処分できるようになりました。「こういう金具がついている服は、子どもにとっては危ないな」と思い、最近は大切に着ていたサロペットを手放しました。――片づけを通してご自身に対する意識にも変化はあったのでしょうか?だいたさん私はモノへの執着がけっこう強かったのですが、モノではなく自分に執着するようになりましたね。思うように手を動かせるし歩くこともできる。何不自由なく体の部品を使えるのはすごいことで、どんなモノよりも自分という存在が貴重だということに気付くことができました。シワや白髪が気になる年齢まで生きられること自体が素晴らしい――今後の夢や目標を教えてください。だいたさん目標は徹底的に一つだけで、「死なない」ということです。私はこれから母親になるわけですが、子どもにとって親がいつまでも元気でいてくれるのに越したことはないと思うんですね。出産後はどこかのタイミングで乳がんの治療を再開することになります。家族のためにも死なないように、ちゃんと自分の体をメンテナンスしていきたいと思っています。――さまざまな波を乗り越えてきただいたさんから、心身ともに揺らぎがちなウーマンカレンダー世代の女性に向けてお言葉をいただきたいです。だいたさんきっと、「シワが目立つようになった……」「白髪がある……」と年を重ねることをネガティブに捉える方もいらっしゃるのではないかと思います。私は乳がんを患ってから、「長生きをしている人ってすごいなぁ」と思うようになったんですね。シワや白髪ができる年齢まで生きられる、それって素晴らしいことなんです。乳がんの治療で入院中に、病室のごみを処分してくださる方が高齢の女性だったのですが、「こういう年齢までお仕事をされていてすごいな」って思ったことをよく覚えています。どんな高価な宝石よりも、毎日ちゃんと動いている体の機能のほうが遥かに貴重品なんですよね。「あの人のほうがいい暮らしをしている」とか「私はあの人よりはマシ」とか、ついつい人と自分を比べてしまうこともあると思うのですが、でも、そうした瞬間も自分の大切な時間であることに変わりはないですから。自分の時間には限りがあるので、自分が好きなことに執着をして過ごす。私自身、そんな毎日を送っていけたらいいなぁと思っているんです。<だいたひかるさんプロフィール>1975年埼玉県生まれ。「どーでもいいですよー」の持ちネタで大ブレイクし、2002年R-1ぐらんぷり初代チャンピオン。バラエティ番組やCMなど多方面で活躍中。文房具大好き芸人として文房具のプロデュースなどにも携わっている。著書に『生きるために、捨ててみた。』(幻冬舎)<著書>『生きるために、捨ててみた。』だいたひかる著/幻冬舎1320円(税込)★関連記事:がんをきっかけに自分を見直した。青木さやかさんインタビュー#2「でもという言葉は使わなくなりました」★関連記事:副作用に苦しんだホルモン治療…今は子宮筋腫とうまく付き合う日々【体験談】★関連記事:「なんだか切ない…」子宮がん検診で内診台に緊張していたけれど… #43歳で腎がんになった話 26著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年12月30日