アイドルデュオ・KinKi Kidsが、44枚目のシングル「高純度 romance」を3月16日に発売する。CDデビュー25周年イヤーを飾る第1弾シングルは、「ロマンスは、人と人を繋ぐ純度の高いコミュニケーション」をテーマに、夢や希望を失いがちな世の中だからこそ、人と人との繋がりを大切に前を向いて歩いて行こうという思いを込めた、ハートフルな人生の応援歌。作詞は「硝子の少年」、「ジェットコースター・ロマンス」などを手掛けた松本隆氏、作曲は「Harmony of December」や「変わったかたちの石」などを手掛けたマシコタツロウ氏というKinKi Kidsの楽曲にとっておなじみの布陣に、アレンジには数々の楽曲をプロデュースしている冨田恵一氏を迎える。初回盤A、B、通常盤の3種が発売され、Blu-ray・DVD共通の映像特典として初回盤Aには「高純度 romance」のミュージックビデオと、KinKi Kidsの2人だけが出演する「Only KinKi Kids ver.」が、初回盤Bには元日に東京ドームで行われたコンサートの様子として、アニバーサリーイヤーの初日に歌われた「Anniversary」とリハーサルのオフショットを収めた「Anniversary from KinKi Kids Concert 2022」が収録される。
2022年02月01日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第19話。今回は、チアを通してあることまでうまくいったというお話。教室にはママさんだけでなく、パパさんも参加するようで……。★前回:「たまらなくかわいい!」誰もが陽気になれるすてきアイテムとは #44歳チアリーダー 1844歳チアリーダー19話チアでちょいエロレッスン私はセクシーな女性が好きです。なので、私のレッスンではついついセクシーを重視してしまいます。もちろん女はセクシーでなければいけない! なんてことはないし、ボーイッシュな女性もさわやかな女性もすてきです。ただの私の好みの話なので生徒さんからしたら迷惑なときもあると思いますが(笑)、でも譲れない私のこだわり。なので、セクシーなポーズのときはつい、「目の前にすごく好きな男の人がいると思ってポーズして!」とか「表情にも色気をくれ」とか要求してしまいます。関係を修復したいアラフォー夫婦が…そんな私のちょいエロレッスンも生徒さんのお役に立てたことがありました!以前お母さんチアチームを教えていたとき、踊る奥さんたちを楽しそうに思ったお父さんたちでもチームができて、7組が夫婦で生徒になってくれていました。新年最初のレッスンではいつも今年の抱負を言ってもらうのですが、7組のうちの1組、アラフォーのK夫妻が「夫婦関係の修復」とそれぞれ言っていて、両方から同じ抱負を聞いた私はドキドキ!しかも夫のほうは「ぜひ妻にもそう伝えてください!」とかっこよく言っていて。今思うと、いやいや私づてじゃなく自分で言いなよ〜って感じですが(笑)。そしてお母さんチームでは「裸にシーツをまとっている感じでセクシーに歩いて!」とか、お父さんチームでも遠慮なく「妻でもいいし、超好みの女性でもいいから目の前にいると思ってギラギラ踊って!」とか言っていたのですが、なんとなんとその年、K夫妻のセックスレスが解消したそうなのです!「チアのおかげです♡」と言ってもらえて、もちろんそれだけがきっかけではないと思いますが、私のちょいエロレッスンが夫婦関係修復のためのちょっとした力になれたのかな〜と思ってとてもうれしかったです。妻も夫も、ちょっとしたセクシーを保てていると関係がうまくいくのかもしれませんね!と言うわけで、チアはセックスレス解消のお役にも立てるかもしれない! というお話でした。★関連記事:「鏡を見て驚愕!」乾きがちな40代の肌を守るべく朝洗顔をやめてみたら… #40代豆腐メンタル 3★関連記事:「治療してこの先も生きたいのかな?」乳がんを初めてカミングアウトして気付いたことは… #40歳独身で乳がんになりました 7★関連記事:「土日がしんどい…」アラフォーになったらあまりにも疲れやすくなって… #アラフォー絵日記 12著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2022年01月23日私には現在7歳と4歳の息子がいます。もともと2歳差で子どもを産みたかったのですが、息子は抱っこが大好き。私は常に息子を抱っこしていたため、ここで妊娠するとおなかにも負担がかかるのでは、と考えました。息子の気持ちを尊重し、2歳差での妊娠を断念したのです。2人目が欲しくて焦る私と抱っこをせがむ息子現在7歳の息子が、まだ1歳になったばかりのころ。2歳差で2人目が欲しいと考えていた私は、そろそろ妊活を始めなければと思っていました。ですが、長男はとにかく抱っこが大好き。生後9カ月で歩けるようになったので、1歳を迎えるころには小走りができるぐらいにまで成長していました。 それでもお散歩も抱っこ、寝かしつけも抱っこ、家の中で過ごしているときもすぐに抱っこをしてほしがるほど。しかもパパではだめ、ママでないと泣くという状況だったのです。 私はパパの抱っこも嫌がらないようになってもらおうと、夫に相談しました。夫も息子に泣かれるのはつらかったようで、息子の機嫌がいいときに何度も抱っこにチャレンジ。しかし状況は変わらず、私以外の抱っこは嫌がっている状態でした。 悩んだ結果2人目は…長男が抱っこ大好きだからといって、2人目を妊娠できないわけではありません。しかしすでに2人目を妊娠している友人から、「1人目を頻繁に抱っこしていたら、おなかがよく張るようになった」という話を聞いていました。 それならやはり2人目の妊活はもう少し待ったほうがいいのではないかと考え、今まで通り長男の気持ちを尊重し、存分に抱っこしてあげるようにしていました。 後悔はしていない!長男が2歳半になったころ、突然抱っこを要求することが少なくなってきました。何かきっかけがあったわけではないので理由はわかりませんが、2人目にチャレンジするなら今がベストタイミングだと考えた私は、夫にも相談することに。 すると夫も私と同じ考えだったようで、「今ならそこまで〇〇(息子の名前)に我慢させることもないんじゃないかな?」と言ってくれ、妊活にチャレンジすることになりました。 その後、長男が3歳になってすぐ2人目を妊娠。結果的に4歳差になってしまいましたが、私は長男の気持ちを尊重したことに後悔はしていません。あんなに抱っこを求めてもらえるのは子どもが小さいうちだけだと思うので、無理に2人目にチャレンジせず、ゆったりとした気持ちで長男に向き合うことができて、本当によかったと思っています。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日なりますように! 監修/助産師 松田玲子著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年01月14日「どーでもいいーですよー」の枕詞とともに淡々と毒をはく芸風で、一世を風靡したピン芸人のだいたひかるさん。乳がんの経験を経て2021年5月に45歳で妊娠を発表し、現在は片づけを通して自身の人生を見つめるエッセイ『生きるために、捨ててみた。』の出版が話題を呼んでいます。3回目の今回は、不妊治療の再開と妊娠、今後の目標などについてお話をうかがいました。★前回:乳がんで右乳房を全摘。だいたひかるさんインタビュー「抗がん剤治療中、太らないようにサウナスーツでレンタルDVD店へ(笑)」#245歳で不妊治療を再開して妊娠――乳がんが見つかったことで不妊治療は幕を閉じたのでしょうか?だいたさん当時の私は乳がんに関する知識がまったくなくて、乳腺外科の先生に「不妊治療はやめたほうがいいですか?」って質問をしたりしていました。不妊治療では女性ホルモンの補充がおこなわれますが、乳がんには女性ホルモンを餌にするタイプのものがあり、女性ホルモンを抑える治療をすることもあるそうなんです。つまり、不妊治療と乳がんのの治療って真逆のことなんですよね 。手術の日まで採卵はできるけれど、その後は不妊治療を休まなければいけないことがわかりました。リンパ節への転移が見つかって抗がん剤治療を受けることになったときには、「もう不妊治療は無理なんだな」と思いました。――無理と思われたのはどんな理由からだったのでしょうか?だいたさん私は40歳になっていましたし、抗がん剤治療をすると閉経する可能性があると言われたんです。だから「もうダメなんだなぁ」「間に合わなかったんだなぁ」って。――2020年秋には乳がんの治療を中断して、不妊治療を再開することを発表されました。そこに至るまでにはどんな思いがあったのでしょうか?だいたさん乳がんが見つかる前に移植するはずだった受精卵がずっと凍結保存されていたんですね。乳がんの治療を続けていけば妊娠する可能性は0%ですが、受精卵を子宮に戻せばわずかなパーセンテージだとしても妊娠する可能性があるんですよね。受精卵を凍結保存しているクリニックからは、年に一度、保存を延長するかどうかのお知らせが届くんです。おそらく私は破棄することなく、毎年、お金を払って受精卵を凍結保存し続けるはずです。そうなると、長生きをして80歳、90歳になったときに「どうしてもっと若いときに受精卵を子宮に戻さなかったんだろう」って後悔するかもしれないですよね。80代、90代に比べれば40代は若いですから、可能性がゼロではないなら不妊治療に挑戦してみようと思ったんです。2020年10月に乳がんの治療をやめ、2021年5月に受精卵を子宮に戻し、妊娠判定が出ました。――そのときの心境を教えてください。だいたさん不妊治療を再開できること自体が奇跡だと思っていたのに、45歳での最後の挑戦が実を結び感無量でした。生きていてよかったと心の底から思いましたね。2022年1月に出産予定なのですが、おなかの子どもがちゃんと生きようとしている、今この瞬間に起きているその事実がうれしいんです。自分の過去のモノを手放せるようになった――妊娠を機に片づけへの意識は変わったのでしょうか?だいたさん生まれてくる子どものほうへと興味が移り、自分の過去のものには関心がなくなってきたんですね。だから、今まで手放せなかったものも処分できるようになりました。「こういう金具がついている服は、子どもにとっては危ないな」と思い、最近は大切に着ていたサロペットを手放しました。――片づけを通してご自身に対する意識にも変化はあったのでしょうか?だいたさん私はモノへの執着がけっこう強かったのですが、モノではなく自分に執着するようになりましたね。思うように手を動かせるし歩くこともできる。何不自由なく体の部品を使えるのはすごいことで、どんなモノよりも自分という存在が貴重だということに気付くことができました。シワや白髪が気になる年齢まで生きられること自体が素晴らしい――今後の夢や目標を教えてください。だいたさん目標は徹底的に一つだけで、「死なない」ということです。私はこれから母親になるわけですが、子どもにとって親がいつまでも元気でいてくれるのに越したことはないと思うんですね。出産後はどこかのタイミングで乳がんの治療を再開することになります。家族のためにも死なないように、ちゃんと自分の体をメンテナンスしていきたいと思っています。――さまざまな波を乗り越えてきただいたさんから、心身ともに揺らぎがちなウーマンカレンダー世代の女性に向けてお言葉をいただきたいです。だいたさんきっと、「シワが目立つようになった……」「白髪がある……」と年を重ねることをネガティブに捉える方もいらっしゃるのではないかと思います。私は乳がんを患ってから、「長生きをしている人ってすごいなぁ」と思うようになったんですね。シワや白髪ができる年齢まで生きられる、それって素晴らしいことなんです。乳がんの治療で入院中に、病室のごみを処分してくださる方が高齢の女性だったのですが、「こういう年齢までお仕事をされていてすごいな」って思ったことをよく覚えています。どんな高価な宝石よりも、毎日ちゃんと動いている体の機能のほうが遥かに貴重品なんですよね。「あの人のほうがいい暮らしをしている」とか「私はあの人よりはマシ」とか、ついつい人と自分を比べてしまうこともあると思うのですが、でも、そうした瞬間も自分の大切な時間であることに変わりはないですから。自分の時間には限りがあるので、自分が好きなことに執着をして過ごす。私自身、そんな毎日を送っていけたらいいなぁと思っているんです。<だいたひかるさんプロフィール>1975年埼玉県生まれ。「どーでもいいですよー」の持ちネタで大ブレイクし、2002年R-1ぐらんぷり初代チャンピオン。バラエティ番組やCMなど多方面で活躍中。文房具大好き芸人として文房具のプロデュースなどにも携わっている。著書に『生きるために、捨ててみた。』(幻冬舎)<著書>『生きるために、捨ててみた。』だいたひかる著/幻冬舎1320円(税込)★関連記事:がんをきっかけに自分を見直した。青木さやかさんインタビュー#2「でもという言葉は使わなくなりました」★関連記事:副作用に苦しんだホルモン治療…今は子宮筋腫とうまく付き合う日々【体験談】★関連記事:「なんだか切ない…」子宮がん検診で内診台に緊張していたけれど… #43歳で腎がんになった話 26著者/熊谷 あづさライター。1971年宮城県生まれ。埼玉大学教育学部卒業後、会社員を経てライターに転身。週刊誌や月刊誌、健康誌を中心に医療・健康、食、本、人物インタビューなどの取材・執筆を手がける。著書に『ニャン生訓』(集英社インターナショナル)。
2021年12月30日新しい命の誕生は、両親だけではなく、兄姉にとっても待ち遠しいもの。7歳と5歳の姉妹を育てる、ヨガインストラクターのAyanoさんは、現在第3子を妊娠中です。当時妊娠3か月だったAyanoさんの誕生日に、子供たちにサプライズで妊娠を報告することにしました。母の誕生日ケーキだと思って、楽しそうにケーキの箱を開けている姉妹。ケーキに書いてある文字をよく見ると、そこには、『ママのおなかに赤ちゃんができました』の文字が…。 この投稿をInstagramで見る Ayano(@rincomam)がシェアした投稿 「ずーっと待ってた、嬉しい」と、泣き出してしまった長女と、そんな姉を見て、とっさに姉の頭を優しくなでてあげる次女。心温まる家族の1コマに、AyanoさんのInstagramを見た人からは感動の声が相次ぎました。・優しいお姉ちゃんの反応にもらい泣きしてしまいました。・最近のドラマより泣けました。・とっても素敵なお姉ちゃんたちですね!・泣いているお姉ちゃんをなでなでしてくれる妹にも涙がとまりません。姉妹想いの2人は産まれてくる赤ちゃんにとって、きっとこの上なく優しい姉たちになることでしょう。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2021年12月26日子どもは3人!の予定でしたが、40歳過ぎてまさかの4人目妊娠! 悩んでいた私たち夫婦は義母に子どもの妊娠について報告しましたが、予想していたのとは違う言葉が……。そのときの私たちの気持ちの変化や決断、その後のお話です。 まさかの4人目妊娠!34歳で1人目の子どもを出産し、3歳、5歳、7歳の子どもたちがいました。結婚した当初から子どもは3人!と決めていたのでまったく妊娠の予定はなかったのですが、41歳目前のときに体調不良に。この感覚はもしかして……と思い、妊娠検査薬をしてみると陽性。 予定になかったのでとても驚きました。すぐに夫に連絡し、どのような返事がくるのだろう……と思いながら伝えたところ、意外にも「よかった!!」とすぐに返事がきました。ただ、私は年齢的にも身体的にも先のことを考えると複雑でした。 夫婦での話し合い私たち夫婦は新しい命が宿ったことにとても幸せでしたが、問題はたくさんあり、夫が帰宅してから話し合いをしました。 「私の年齢が40歳を過ぎていること。3人目出産後、体調を崩したこともあり、今回無事に出産・育児ができるのかということ。子どもたちの教育費など金銭的なこと」など。 ある程度計画していましたが、4人となると大きな変更が必要になります。体や金銭面で不安があり、出産は簡単に決めることができませんでした。 義母に報告私たち夫婦だけでは決断できなく、夫から義母に4人目妊娠したことを報告してもらいました。報告したのは、「おめでとう! 楽しみにしているよ!」という言葉が返ってくることを少し期待していたからです。 悩んでいた私たちに、出産という決断の背中を押してもらえると思っていました。ですが、義母から言われたのは「生活していけるの? 今の3人の子どもたちを一生懸命に育てたらいい」という言葉でした。 夫婦の決断義母の本音を聞き、夫も予想外の義母の返事にショックを受けたようで、私に「俺たちの子どものことだから自分たちで後悔しないように決めよう」と言ってくれました。中絶するなら少しでも早く決めなければいけない、でも簡単に決めることもできず、たくさん話し合いました。 夫は一番私の体調のことが気になっていたようです。私は数年先のことを想像し、夫に「やっぱり産みたい。産まないことを選択したら一生後悔し続けるはず」と素直な気持ちを話しました。 出産を決めた私たちは義両親に報告。義母はしっくりいかないようでしたが、義父は「よかった! 産まないと決めたらどうしようかと思っていた」と。その後切迫早産になりましたが、結果的には出産予定日より10日早くなったものの、無事赤ちゃんを出産することができました。かわいい赤ちゃんの顔を見た義母は、今ではメロメロでとても溺愛しています。いっぱい悩んだけれど産む決断をして本当によかったです! ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。本記事の内容は、母体保護法 第14条 第1項 第1 号「妊娠の継続または分娩が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当します。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:中村 望8歳、6歳、3歳、0歳の4人育児中のママ。長年、事務員として勤務していたが出産を機に退職。1人目の育児が少し落ち着いたときに趣味として始めた習い事で、現在では指導者として教室を運営。ママ目線での執筆活動もおこなう。 ※2021年12月14日:内容の一部を修正
2021年12月11日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第18話。今回は、あっという間に陽気になれる、あるアイテムについて。チア体験に来てくれた人は100%笑顔になってくれるそうで……。★前回:「この年で治るなんて!」力みがちな肩の力を意識して抜くと健康&美に一石二鳥 #44歳チアリーダー 1744歳チアリーダー18話持つだけで陽気になれるすてきアイテムチアと言えばポンポン。ポンポンには不思議な力があると思っています。正直、単純に「ダンスをする」ということだけを考えたら、ポンポンを持っていると踊りにくくて邪魔なのですが(なんて言ったらチア協会に怒られてしまうかもしれませんが(笑)個人の感想です)、「ポンポンを持った姿」はちびっこからシニアまで、いくつになってもたまらなくかわいい!カラフルでキラキラしたポンポンを持っているだけで、陽気になるし陽気に見えます。そもそも、「ポンポン」という名前からして陽気!ダンスやヨガ、ランニングなど何でも、体を動かすと心のモヤモヤが晴れるってあると思うのですが、チアの場合そこにポンポンの陽気さも加わるので倍増感があるのかも。体験に来てくれた方にポンポンを渡すと、100%皆さん「わあ♡」って笑顔になります。その笑顔を見るたびにいつも「ポンポンの力、すごいな〜!」と思うのです。好きなものがあれば陽気になれる!専門学校時代の恩師が「もともと暗い性格だったんだけど、性格を変えたくて明るい人を演じていたら本当に明るくなっちゃった!」という話をよくしていました。私の場合はポンポンを持つと陽気になれますが、ポンポンじゃなくても、お気に入りの服やバッグ、本、アクセサリー、食べ物でも音楽でも何でも、それさえあれば笑顔になれてしまう、好きになれる何かがあると良いですね♪★関連記事:「ロマンチックを補充せねば」乾いたアラフォー独女がまずしたこと #くそ地味系40代独身女子 37★関連記事:「若くなくて悪かったな!」若い子にはしゃぐアラフォー男の会話に腹が立つ #アラフォー絵日記 6★ウーマンカレンダー連載をもっと読む著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年12月09日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第17話。今回は、肩の力を抜くことについて。肩に無駄な力が入りがちだと健康面でも美容面でもあまり良くありません。肩に力が入りがちな方は、少し意識して肩の力を抜いてみませんか。★前回:「追いかけたい!」 毎日を楽しく過ごす人生の先輩たちに憧れて #44歳チアリーダー1644歳チアリーダー17話肩の力はいつの間にか入っている!皆さま、肩に無駄な力が入っていないでしょうか!?例えば包丁を使っているとき、歯磨きをしているとき、パソコンを使っているとき。無意識に、必要もないのに、ものすごく力を入れていたりしていませんか? 私がそうでした!レッスンに長く来てくれている50代のYちゃんも、最初は常にものすごく肩に力が入っていて、「肩の力抜いて抜いて~」と何回言ったかわからないくらいでした。が!! 1年くらいたったある日、ストンと力が抜けたのです。「Yちゃん! 肩の力抜けてるよ!」と2人できゃっきゃと喜びました。不思議なのですが、体って少しずつ少しずつ変わっていき、ある日パーンと目に見えて変わるのですね。本人が一番うれしいとは思うのですが、生徒さんの体が変わったのを見ると、私もひとりで乾杯したくなるほどうれしいです。肩の力を抜いて健康&美しくなろう!肩に無駄な力が入っていると、肩凝りにもつながるし、肩が上がって首が短く見えますが、力を抜いて肩をスッと下げると、首も長くなりデコルテが美しく見えると思います。健康と美、一石二鳥な訳です♪時折「肩に力入っていない!?」と自分で気にしてみてください。うわ! めっちゃ力入ってる! とびっくりするかもしれません。そうしたら意識して力を抜いてみてください。何度も繰り返していると、そのうち力が抜けた状態のほうを体が覚えてくれると思います!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★関連記事:「この子は信用できる」五十路ショッピングで望む言葉はお世辞ではなく… #五十路日和 26★関連記事:「そんなに?」がんの手術前の検査まつり、一番つらかったのは… #43歳で腎がんになった話 10★ウーマンカレンダー連載マンガをもっと読む著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年11月23日9歳、7歳、5歳、2歳の子どもたちを子育て中の共働き夫婦です。さらに8月には5人目の赤ちゃんが生まれる予定。妊娠をするたびに上の子たちに「妊娠発表」をするのですが、そのときに大事にしていることが2つあります。 子どもたちへの妊娠発表も大切な記念日私たち夫婦は「上の子たちへの妊娠発表」も大切な記念日だと考えています。なぜなら、上の子たちがまた1つお兄さんやお姉さんになることを自覚する最初の日だから。 私にとって妊娠はとてもありがたく、うれしいことです。でも、子どもたちにとってはうれしさだけではなく、不安に感じることもあるかもしれません。できるだけ不安にならないよう、むしろとても喜んでくれるよう、私たちが上の子たちに妊娠発表をするときに大切にしていることが2つあります。 とにかくうれしそうに発表する私たちが赤ちゃんの誕生を心待ちにしている姿を見せれば、上の子たちもとても喜んでくれると思うので、わが家ではこのように発表しています。私:「実は……今日はみんなに大切な発表があります!」子どもたち:「なになに?? 」(わくわく)私:「実はお母さんのおなかの中には……」子どもたち:(もしかして!? )私:「新しい赤ちゃんが入っているんです!」子どもたち:「イェーーイ!! 」「やったー!! 」というように、私たちが赤ちゃんの誕生を心から楽しみにしているのがちゃんと伝わるように発表しています。 子どもたちのリアクションをビデオに残すそして、もう1つ必ずしていることが「上の子たちへの妊娠発表」の様子をビデオに残すことです。ビデオを撮るのは特別なときなので、子どもたちも「何かうれしいことがあるのかも」と期待してくれます。 さらに、数年後生まれてきた赤ちゃんが大きくなったときにも見せてあげます。そのビデオを見たときに「自分の誕生をみんな喜んでくれていた」というのが伝わってくれたらいいなという想いもあるからです。これから生まれてくる赤ちゃんが大きくなって、このときのビデオを見せてあげたとき、どんなリアクションをするのか今からとても楽しみです。 「上の子たちへの妊娠発表」ではとにかくうれしそうに発表して、ビデオに残すことを大切にしています。こうすることで上の子たちにとっても、生まれてくる赤ちゃんにとっても大切な記念日になってほしいなと考えています。その前に赤ちゃんを無事に元気に生んであげられるように頑張ります! イラストレーター/まっふ監修/助産師 松田玲子著者:守岡 みずほ9歳長女に始まり、現在は2歳差の1男3女を育児中の共働き夫婦。 近々5人目も出産予定。しかし、すでに6人目も欲しくなってきた今日このごろ。
2021年11月19日現在、2歳の女の子と生後10カ月の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告「生理が1週間遅れている」。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気が付きました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは⋯⋯と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生!とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:伊藤あいり2歳の女の子と0歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年11月10日現在、2歳の女の子と生後10カ月の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告「生理が1週間遅れている」。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気が付きました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは⋯⋯と言われないように頑張らないと!」と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生!とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:伊藤あいり2歳の女の子と0歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年11月10日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年11月08日結婚前提で交際していた彼に秘密があり、妊娠してからその事実を知ったというフミカさん(仮名・当時34歳)。すでにお腹に子どもがいるなか、彼の秘密を知ってしまったことにより、事態はとんでもないことに…。今回はフミカさんに、当時のドロ沼な経験を赤裸々に語ってもらいました。独身だと思っていた彼がまさかの既婚者…「派遣社員として勤めていた先で知り合った男性の上司と3年ほど付き合っていました。彼からは“バツイチ・独身”と聞いていて、疑いもせずに交際を続けていたんです。実際に平日・週末を問わず普通にデートをしていたし、何時に電話しても出てくれていたので、まさか“独身じゃない”なんて疑いもしていませんでしたね。ところが、交際3年目のある日、私が妊娠したことが分かってから、事態が急変したんです」生理が遅れたことで「まさか?」と思いながら、妊娠検査をしたフミカさん。結果は陽性でした。念のため産婦人科でも検査をしたところ「妊娠しています」と告げられ、そこで初めて交際中のユウイチさん(39歳男性:当時)に「妊娠したよ」「あなたとの子どもができた」と打ち明けたそう。「すると彼は、喜んでくれはしたものの急に様子がおかしくなって…。『もしかして、産むつもり?』と変な質問をしてきました。私は年齢的にも彼との結婚を考えていたので、赤ちゃんができたことをきっかけに、彼とそのまま授かり婚に進むんだろうなと思っていたんです。そのため、彼の反応は意外すぎました」赤ちゃんを諦めることなんてまったく考えていなかったフミカさんは、当たり前のように「産む」と決断。しかしユウイチさんの態度は、日増しにおかしくなっていったため、フミカさんは「これは何かが変だ」と気づいたそう。「ユウイチに『何か隠していない?怒らないから、なんでも言って』と勇気を出して話しかけてみました。すると、ユウイチから『実は離婚はしていない。妻子とは別居中で、子どもは2人いる』と、想像もしなかった事実を打ち明けられてしまったんです…」彼から告げられた、さらなる衝撃的な事実が追い討ちを…ユウイチさんが既婚者であることを知ったとき、フミカさんは妊娠4か月をすぎていました。「産む」という意志は強く、ユウイチさんが既婚者であることを知ったあとでも「私が離婚させて、出産する前に入籍をしなくては!」と思っていたとのこと。しかし、フミカさんの計画通りに事態は進みませんでした…。「ユウイチに、早く離婚をして、出産前に私と入籍するよう何度も伝えましたが、歯切れの悪い返事が返ってくるだけ。ユウイチからは『妻とは不仲』と聞いていましたが、どうやらそういうわけでもなさそうだと気づいたのは、その少しあとのことです」別居中で妻子とは会っていないと聞いていたものの、その後、ユウイチさんと話し合いを進めていくなかで、妻子は海外に暮らしていることや、不仲が理由の別居ではなく、妻が海外で仕事をしていることによる別居であることが判明。つまり、ユウイチさんは離婚を前提とした別居をしているのではなく、妻の仕事の都合で妻子と離れて暮らしているだけだったのです。「正直、騙された!って思いましたね。不仲ならすぐに離婚できても、そうでないのなら離婚の話し合いも難航するだろうと察しました。でも、お腹の子どもはどんどん大きくなるし、私には時間がなかったので、なんとかしてユウイチを離婚させなくてはと躍起になったんです」そうこうしているうちに、なんとユウイチさんの妻が帰国をすることになり、フミカさんとユウイチさんの関係性も一変。事態は思わぬ方向に進んでいくことに…。当初、不倫をしているつもりなんてなかったフミカさん。しかし、自分でも予期しない形で、ドロ沼な不倫へと足を踏み入れてしまっていたのです。どんな事情があれど不倫をしていい理由にはなりません。また、その先には悲惨な結末が待ち受けていることが少なくないのです…。©AsiaVision/gettyimages©rudi_suardi/gettyimages文・並木まき
2021年10月19日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第13話。今回は、チアダンスの前におこなうストレッチに取り入れていることをご紹介。足の裏の筋力アップになり、血行も良くなるそうです。★前回:「思い込みはもったいない!」実はすごい才能が隠れていた! #44歳チアリーダー 1244歳チアリーダー13話ストレッチにおすすめ足指じゃんけんおうちでできるストレッチ。前回の足指回しに続いて今回は足指じゃんけんをご紹介!★「とっても大事!」けがなく踊るために必ずしていること #44歳チアリーダー 11いつもレッスンのストレッチの途中に入れています。まず座って背筋をピンと、脳天を上に引っ張られる感覚で伸ばします。そして、まずはすねから足の甲を伸ばした状態で、足指でグーチョキパーをします。チョキは親指を立ててほかの4本の指を内側に折るのと、親指を内側に折り他4本を手前に反らせるものの2種類あります。次に足首を手前に曲げた状態でグーチョキパーです。グーは足の指を5本全部内側に折り込みます。パーは5本の指を全部開きます。足指じゃんけんで足の裏の筋力アップたったこれだけのことなのですが、意外とできなかったりします。特にチョキ!でも、ちゃんと続けていると少しずつできるようになるんです!足の裏の筋力アップとストレッチの運動なので、慣れないうちは足の裏がつりやすいです。なのでつりそうになったらやめるなど、無理せずに始めてみてください。足の指をしっかり動かすことで血行も良くなるので足裏が温かくなります。これからの時期、冷えにもすごく良いと思いますので、ぜひチャレンジしてみてくださいね♪★ウーマンカレンダー連載マンガ★関連記事:「副反応どうだった?」久しぶりに人に会うと話す内容といえば… #アラフィフの日常 32★関連記事:「すぐ泣いちゃう」小さな洗濯物を前にホロリ。40代は涙もろく… #熟女系 11著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年09月21日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第12話。今回は、ダンスの才能について。家族や彼から低い評価を受けていた生徒さんがいたのですが、実は……。★前回:「とっても大事!」けがなく踊るために必ずしていること #44歳チアリーダー 1144歳チアリーダー12話ダンスセンスがあると思っていたら…母チアチームのメンバーに、同い年のSちゃんというスレンダーなかわい子ちゃんがいました。はじめこそ体が硬かったけれど、動きが素直で癖がなく、何かアドバイスするとスッと理解してくれてどんどん上達していきました。ダンスだけではなくなんでもそうですが、センスのあるなしはどうしてもあって、このSちゃんはすごくダンスセンスのある子だな〜という感じだったのです。ところが2年くらいたったころに、「私、子どものころ、母からずっと『リズム感がない』と言われていて、ダンサーだった元彼には『ダンス下手』と言われていたので、『あ、そうなんだ、私ってリズム感なくてダンスが下手なんだ』ってずっと思っていたんです〜! だからこうしてダンスができるようになるなんて思わなかった!」と言われて、ものすごくびっくりしました。「いやいや、めちゃめちゃダンスセンスありまくりなのに!!」という会話をした記憶がありますが、Sちゃんは2人に言われたから「そうなんだな」とすっかり思っていたそうなのです。なんてもったない!隠れていた才能に気付けてよかった!本当にダンスを始めてみて、自分の中に隠れていた才能に気が付いてよかったね〜!と思いました。それからもどんどんじょうずになっていって、フォーメーションを決めるときもよくセンターにSちゃんを配置したものでした(※じょうずな人を一番目立つセンターに置くことが多いです)。昨年、お引っ越しした彼女は移住先でもK-POPダンスのクラスに入ったそうで、ダンスが彼女の生活にあって当然のものみたいになっていて、Zoomでのレッスンで近況を聞きながらうれしく思っています。ダンスに限らず、もし何かをやってみたいけれど子どものころ苦手だったからとか、誰かに下手と言われたから無理とか思っている方がいらしたら、それは無視して一度やってみて欲しいです。Sちゃんのように、実はすごく才能があったりするかもしれませんから♪★ウーマンカレンダー連載マンガ★関連記事:「ちょっと待った!」10年ぶりの恋が実るって本当ですか? #アラフォー女子が10年ぶりに恋をした 最終話★関連記事:「傷とシワ、どっちが良い?」アラフォー女の究極の選択!? #アラフォーだもの 6著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年09月13日私が34歳のときのお話です。あれ? 生理が2カ月くらい遅れてる? 前よりも太った? お酒が大好きだったのに自然と受け付けない……と思いつつ、現実を受け止められなかった私は見て見ぬふりを。しかし、当時の部下から「絶対妊娠しているから、早く検査したほうがいい」と言われ、妊娠検査薬を購入し検査したところ陽性。父親は、交際途中からストーカーのようになり、1カ月前に別れた男性であることはわかっていました。 妊娠判明から、人生で一番悩んだ日々元カレには一度暴力を振るわれたこともあり、妊娠の事実は絶対に伝えないと心に誓いました。同居する母にも言えず、ひとりで育てられるかという不安はもちろん、もう1つ心配事があり、かかりつけの婦人科医へ相談したかったのですが休診日。 仕事も忙しい時期だったため、初診時はすでに妊娠12週4日でした。かかりつけではない産科を受診し、「最短の中絶の手術予約日にはすでに妊娠4カ月になってしまうため、こちらではできない」と言われ、以前子宮内膜症の手術をした大学病院への紹介状をもらいました。 しかし、大学病院に行くと「この週数での中絶はおこなっていない」と言われ、今度こそかかりつけの婦人科医へ。 実際にエコーを見て「絶対に産みたい!」私は妊娠前からうつ病と診断されており、薬を飲みながら治療を続けていたため、妊娠・出産に対してメンタル面での不安もありました。しかし、一番の気がかりは、胎児の奇形リスクが高いと言われているてんかんの薬を、妊娠初期も知らずに服用していたこと。 医師は「この薬を飲みながらでも、元気な赤ちゃんを産んだ人をたくさん見てきた」と出産を後押し。また、前回初めておなかの赤ちゃんのエコー写真を見て、私の体の中にはもう1つの命があると実感していたこともあり、「やっぱり私、この子を産みたい!」という気持ちが芽生え、出産に踏み切りました。 母からの条件「羊水検査 異常なし」妊娠4カ月に入ったころに、妊娠検査薬で陽性になり産婦人科へ行ったこと、そして、出産したいと思っているとを母に伝えると、もちろん猛反対。もし障害児だった場合、母も70歳近くのため、いつまで手伝えるかわからないと言われ、羊水検査をして異常がないことを条件にされました。※羊水検査ですべての先天性疾患を診断できるわけではありません。 妊娠5カ月ごろに羊水検査を受け、結果は異常なし。そして、検査結果により男児だと判明! 子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開と決まったので、妊娠34週まで仕事に通い、産休へ。出産すると決め、刻々と時期が近づいてくるとともに、母も協力的になってくれました。 出産前に35歳、ハイリスク出産へ子宮内膜症の手術歴があり、妊娠38週3日で予定帝王切開。ただですら、メンタル疾患、てんかん疑いのある私は、予定日の約1カ月半前に35歳になり、ハイリスク出産となりました。 出産は無事に終えたものの、生まれたあとが大変。昼夜問わず1~2時間で起きる赤ちゃん、そして母乳が出ず、育児用ミルクの飲みも悪くて赤ちゃんの体重が増えず、私の心と体は崩壊寸前でした。24時間以上不眠状態が続き、生後3日目の日、特別に産婦人科にメンタルの先生が往診。その夜は赤ちゃんを預けて、メンタルの薬でぐっすり眠りました。 私は20代後半で子宮内膜症の手術をして、妊娠しづらい体だと思い込んでいました。思いもよらない妊娠ではありましたが、子どもを産むことを選び、本当によかったと思っています。また、仕事復帰した今、私が残業で遅くなることも多く、子どもにはかわいそうな思いをさせることも多々ありますが、私のところにきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:おおこし 侑紀4歳のわんぱく男児を育てる未婚のシングルマザー。調剤薬局にて薬剤師歴15年以上。医療編集プロダクションにも属し、主に医療系記事の執筆をおこなうライターとして活動中。 イラスト制作者:マンガ家・イラストレーター うちここ年子男児を育てる2児の母。家族で過ごす日常や思い出をInstagram(@uchikoko20)やブログ「うちここ日記」で描いてます。
2021年08月26日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第11話。今回は、チアダンスのレッスンの前におこなっていることについて。けがなく踊るために大事なことで、冷え性の方にもおすすめだそうです。★前回:ドキドキ…みんなについていける?いざ指導者ライセンス取得へ #44歳チアリーダー 1044歳チアリーダー11話足指回しで血行促進私のクラスでは30~60代の方が多いのでけがをしないように、ストレッチの前に大事な“足指回し”タイムを入れています。足の指を前後左右に開いたり、1本1本回したり、足首を回したり、足の裏をたたいたり。足の裏の後、ふくらはぎ、内もも、おしり、外もも、膝、すね、足首、足の甲、爪の上までとたたいていきます。筋肉をほぐしたり血行を良くしたりするので、足指回し後は指先が温かくなります。冷え性の女性にもとてもおすすめです!体の微妙な変化に気付くきっかけにも!ポイントは回している部分に意識を置くこと。「今日の夜ごはんは何にしようかな〜」などほかのことを考えながらボーッと回すのではなく、しっかりとゆっくりと親指、小指、足首などに集中します。そうしているとだんだんと、今日はちょっと足首がかたいかもとか、かかとがガサガサしてきたなとか、体の微妙な変化に気が付くことができます。足指や足首を回したりと本当にちょっとしたことなのですが、ゆっくりしっかりおこなうと、もうこれだけでストレッチ完了〜のようにスッキリします!レッスンでは、こうしてゆっくりと足をほぐしたあとにストレッチに入っています。けがなくずっと楽しくダンスしていくために、大切な時間になっています。湯船の中でするのもとても良いと思います♪※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年08月25日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第10話。今回は、チアダンスの指導者ライセンスを取得したときのお話。その結果は……。★前回:「後先考えずにやっちまえ!」ついにド素人が先生に! #44歳チアリーダー 944歳チアリーダー第10話34歳のとき、後先考えずにチアのクラスを始めた私。まったくなんの経歴も資格もない状態で教えていたのですが、週1回の練習が週2回に増え、1年後にはチアダンスのイベントにも出るように。クラスのみんなも上達して行くなかで、これは自分のためにもみんなのためにもちゃんと資格を持っていたほうがいいだろう!と思い、日本チアダンス協会のチアダンス指導者ライセンスの講座を受講しました。36歳の私がついていけるかドキドキ講座の初回は、それこそチアダンスで名を馳せる大学生やOGの子だらけのなかに、36歳の私がポツンと混ざるのだろうか、ターンやジャンプの技術についていけるのだろうか……とドキドキ。でも、学校でチアダンス部の顧問になった先生が勉強のために来ていたり、子どもにチアダンスをさせたいけれど地元にチアダンスクラスがないから自分が先生になりたいという方がいたり、思いの外いろいろな方がいました。もちろん現役の若者たちが多かったけれど、さすがチアリーダー! かわいくてやさしい子ばかりでした。新鮮で楽しかった16年ぶりの勉強2カ月間、週末に講座に通い、時間は10時30分〜16時まで。午前に1コマ90分の座学のクラス、午後に1コマ90分の実技クラスが2コマで、専門学校を卒業して以来16年ぶりの勉強はとても新鮮で楽しかったです。最終テストは筆記テストと、自分が先生役で生徒役の2人に自分が考えた振り付けを教えるという指導実践テストでした。普段先生をさせてもらっているおかげで緊張することもなく、後日無事に合格通知をいただき、36歳で日本チアダンス協会指導者ライセンスを取得できたのでした!※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年08月15日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第9話。今回は、後先考えずに行動を起こしたときのエピソード。何をしたかというと……。★前回:「え、経験がないと無理?」ド素人だって先生になりたい! #44歳チアリーダー 844歳チアリーダー第9話「チアの先生になりたい」と思ってから1年後の34歳のとき、チームのゴタゴタをきっかけに習っていたクラスを突然辞めることになりました。お友だち相手にクラスを開始日常になっていたチアが突然ぽっかりとなくなってしまった私は、なんと近所の施設を借りてお友だち相手にストレッチとダンスのクラスを始めてしまいました!もともと「後先考えずにやっちまえ!」精神が強く、さらに前回の最強あまのじゃくスイッチの力もあっての行動でしたが、今思い返すと、よくもまあ当時のレベルでやったものだ!と恥ずかしくなります。後先考えずに行動したことで道が開けたでも、小さなことでも何かを始めると何かが動くものです。クラスに来てくれていた友だちから、「知り合いが親子チアの先生を探している」と紹介してもらい、1年間親子チアの先生をさせてもらいました。その後、また同じ友だちが「お母さん仲間とチアをやりたいから先生をしてくれない?」と話をくれて、お母さんチアチームの先生になりました。週1回、2時間の練習から始まり、チームの人数もだんだんと増え、1年半後には練習は週2回になり、チアのイベントに出場するまでになりました。教えるのも振り付けやフォーメーションを考えるのもとても楽しく、なりたいと思っただけあってすごく自分に向いているんだなあと改めて思いました。思い返すと恥ずかしいけれど、あのとき後先考えずにおこなったストレッチクラスからクルクルっと運命の輪が回ってあれよあれよとチアの先生への道が開けたので、情熱に従って「とにかくやってみちゃう」というのも夢を叶える一つの手かもしれません。こうして念願のチアの先生に(勝手に)なった私は、チア先生としての旅に出るのでした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪ Instagram:@cheerdanceclass.genie
2021年07月25日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第8話。今回は33歳のド素人だったサトウさんがチアの先生になりたいとスイッチが入ったときのお話です。★前回:「まるで別人レベル!」うまく笑えなかった私が変わった理由 #44歳チアリーダー 7―――――――――――――――――――――――――――――――――――44歳チアリーダー第8話チアを始めて3年くらいたち、ダンスもだいぶ上達し、なんとチアのイベントでお客さんの前で踊り、その立ち位置もセンター付近をもらえるようになりました。月に2回くらいだったレッスンも、週に2回のペースになってきて、ますますチアに夢中な日々でした。そんなある日、レッスン中に突然胸の奥から「ああっ!! 私もチアの先生になりたい!!先生になってチアの素晴らしさを広めたい!」という熱い想いが湧き上がった瞬間がありました。先生からのひと言で意気消沈勢いでレッスン後に先生にそれを伝えたら、「う〜ん……、チアの先生になるには高校や大学でのチア経験がないと無理じゃない?」と困惑顔で言われました。やっぱりそうかあ〜そうだよね〜、30歳からチア始めてまだたった3年のド素人が何言ってるのって感じだよねえ、恥ずかしいこと言っちゃったなあと意気消沈したのもつかの間、「本当にそうだろうか?」と、私のあまのじゃくな精神にスイッチが入りました。私のこのスイッチ、最強なのです。同じ状況の人に勇気を与えたい!先生は小さなころからずっとバレエをされていて、そのあと大学からチアを始めてXリーグ(日本社会人アメリカンフットボールリーグ)のチアリーダーも務めた方でした。過去には戻れないから私にその経歴は無理だけど、30歳でまったくの未経験からダンスを始めて、すごくじょうずではないけれど一応は踊れるようになった私。この経歴で先生になれたら、それはそれで逆に同じ状況の人に勇気を与えられたり、踊れない人の気持ちもわかったりするのではないだろうかと思ったのです。「チアの先生になりたい」という新たな夢に対して最強スイッチが入った、33歳の大事な1日でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。★「何か仕事がしたい…」41歳で出産を機に退職した私がまさかの開業★育児や仕事でストレスがたまる日々を救ってくれたもの #44歳チアリーダー 6★ウーマンカレンダー連載マンガ著者/サトウ ユカ(44歳)イラストレーター&チアダンス講師&19歳17歳男子の母。30歳でチアと出会って魅力にハマり、講師の資格を取って30〜70代の大人女子たちに広めている♪
2021年07月11日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第7話。今回は笑顔が苦手だったサトウさんがまるで別人のように変わった理由について。日常生活にも良い影響を及ぼしたそうです。―――――――――――――――――――――――――――――――――――44歳チアリーダー第7話チアダンスと言えば“200%の笑顔!”ですよね。しかし私は最初、本当にこれが苦痛であり苦手だったのです。楽しくもないのに笑えない…レッスンの最後に、2つのグループに別れてお互いのダンスを見合う時間があったのですが、これが私の一番嫌な時間でした。人の前で踊るのも恥ずかしくて嫌だし、先生には「サトウさん笑って!!」と言われるし、周りのみんなは200%の笑顔だし……。笑顔のできなさを痛感させられる時間で「あ〜嫌だ嫌だ、なんで楽しくもないのにうそで笑わないといけないんだ」と思っていました。じゃあ、なんでチアを習いに行っているんだ!とつっこみたくなりますが!しかし習って1年くらいたつと、ダンスにもちょっと自信が出てきて人前で踊るのも恥ずかしくない、むしろ“私を見てくれ状態”になっていて、あと単純に踊るのが楽しくて自然に笑顔になっている自分がいました。日常でも笑顔が習慣になった!すると!道で誰かに会ってもスマイル、スーパーでお釣りをもらうときもスマイル、八百屋のおじさんにもスマイル。レッスンを離れた日常でもチアスマイルが習慣になって、気持ちまで明るくなっていたのです!!!チアを始める前の私とチアスマイルが習慣になっている今の私では、表情が別人レベルなのではと思います。笑顔でいると自分も元気になるし、相手にも良い気持ちを与えられるし、良いことしかないですよね!笑顔で若さを保ちたい!年を取ると口角が下がったり頬がたるむのは、顔の筋肉の衰えだそう。笑顔でいることで表情筋の衰えにブレーキをかけたいですね。笑顔にコンプレックスがある、明るい性格になりたい、若さを保ちたいな〜と思っていたりする方がいらしたら、チアダンスを習いに行くのも手だと思いますよ♪※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。
2021年06月27日全米大注目の新星女優&新鋭監督による少女たちの旅路を描いた『17歳の瞳に映る世界』。この度、主人公の学生オータムが、望まぬ妊娠という現実に直面するシーンの本編映像と監督エリザ・ヒットマンのコメントが到着した。ペンシルベニアに住む17歳の学生オータム(シドニー・フラニガン)は、吐き気を感じる日々に、意を決して妊娠センターを訪れる。今回解禁された本編映像は、そのセンターで妊娠検査を行った結果を見ながら、オータムと職員が静かにやりとりをするシーン。職員が「陽性みたいね」とオータムに語りかけると、「陽性だけど、陰性の可能性はある?」と、妊娠の事実を受け入れられずに一縷の望みをかけて質問をする。「ないわ。陽性は間違いなく陽性よ」との答えに、険しい表情でうつむくオータム…。彼女が17歳にして、その人生のなかで最も大きな事実を知る瞬間から、少女たちの旅路が始まることになる。本作のスタート地点ともいえるシーンだ。新進気鋭の女性監督エリザ・ヒットマンは、この本編映像で映し出されたアメリカの小さな町によくある“妊娠センター”について「医療施設に見えるけれど、免許を持った医師は居なくてあてにはならない」と言う。「実際に話に行くと温かく迎えてくれた。彼女たちは良い人たちだったけれど、情報は限られていてその意図は、(中絶はできず)つながりのある支援先や養子縁組の情報を提供するのみ」だという。そして、当時妊娠中だったエリザ監督は自らそのセンターで妊娠検査を受けたそうで、そこにいる女性たちと会話をし「セリフのいくつかは、彼女たちとの会話をそのまま使った」と、本作のリアリティあふれるやりとりの秘密を明かした。「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR:性と生殖に関する健康と権利)」という言葉をメディアで目にする機会は増えてきたものの、本作で描かれるオータムたちの旅路は、現代を生きる私たちの心に突き刺さるに違いない。『17歳の瞳に映る世界』は7月16日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:17歳の瞳に映る世界 2021年7月よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて公開© 2020 FRIENDS IN TROUBLE LLC / FOCUS FEATURES LLC
2021年06月19日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第6話。今回は育児と家事、仕事でストレスがたまっている日々を救ってくれたチアダンスについて。楽しい時間を持つことで機嫌の良いお母さんでいられたそうです。―――――――――――――――――――――――――――――――――――44歳チアリーダー第6話チアダンスを習い出した30歳のころ、4歳と2歳の男子2人の母業とイラストレーター業をしていました。朝から夜中まで育児に家事に仕事にフル稼働!朝子どもたちのお弁当を作り、自転車で幼稚園に送り、家に戻った9:30〜お迎えに行く13:30まで洗濯とイラストの仕事、そしてお迎え後は夕方まで子どもたちを公園で遊ばせて、帰宅して夕食、お風呂、絵本を読んで寝かせるのが21時ごろ。そして、寝落ちしないよう必死で起きてまた夜中まで仕事をする……という日々を送っていました。……と、当時を思い出して書いていますが、われながらよくやったものだ!!と思います。私は23歳、26歳で出産したので周りの友だちよりも早めに子育てが始まりました。今では子どもたちは17歳、19歳となり手がかからなくなりましたが、まだ小さい子を育てている友だちを見ていると、本当にお母さんって忙しくて大変だと思います。イライラをリセットしてくれたチアダンス子どもはかわいいけれどイライラすることもいっぱい。幼稚園生活では子ども同士のトラブルがあったり、イラストの締め切りが迫っているときは公園で遊ばせている傍らベンチでイラストを描いたり、夫婦間のトラブルがあったり。ストレスがいっぱいでした。でも、いろいろなことにイライラしていても、チアダンスのレッスンに行くとあら不思議!ストレッチして体をほぐしたり踊ったり笑ったり、あとは「母」じゃない「ユカ」の状態でのチア仲間との会話で、すっかりイライラは消えて心がリセットされ、帰ると家族にやさしくできるんです。そんなチアの時間は本当に大事でした。たった90分でこんなに心も体もスッキリ明るくなるってすごい!と思っていました。私にとってはチアダンスだったけれど、ストレスを一瞬でも忘れられる、心から楽しい時間を持つというのはとても大事だなと思います。週に1度のレッスンに行く時間を死守するために、家事も仕事も頑張ることができましたし!チアダンスのおかげで機嫌の良いお母さんでいられたあのころ、チアダンスをやっていなかったら……。ストレスためまくりで家族には八つ当たり、食べることでストレス発散してどんどん太り、いやいや家事をして眉間にシワが寄ってどんどんブスになり……ああ考えるだけでも恐ろしい!良いときにチアダンスと出会えて本当によかった!子どもも、お母さんがイライラしているより楽しそうにしていていたほうが良いですよね♪ 公園で柔軟体操をしたり家でポンポンを振っていたり、ちょっと変なお母さんだったかもしれないけど、機嫌の良いお母さんでいられたのはチアダンスのおかげでした。チアダンス講師として教える側になった今は、来てくださった生徒さんにとっても「ストレスを忘れる楽しい時間」になると良いなと思いながらレッスンしています。
2021年06月16日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第5話。今回はチアダンスの講師として常々感じている正しい姿勢についてお伝えします。―――――――――――――――――――――――――――――――――――さて、チアダンスの講師をしている私が声を大にして言いたいのは「とにもかくにもまずは姿勢を正しく!!」ということ!チアダンスのレッスンの最初には、まず皆さんの姿勢のチェックをします。姿勢が悪いとダンスの見栄えが悪いですし、けがにもつながります。「姿勢を正しく」というと腰を反らせてしまいがちですが、その状態で踊ると腰を痛めることにもなります。正しい姿勢を習う前は私も腰痛だったので、姿勢の大事さは身を持って感じています。レッスン中だけ意識してもなかなか変わりません。ダンスするしないに関わらず、日ごろから正しい姿勢を意識することは大切です。重力なのか、だんだんと首が前に出てしまう人が多くいます。そうなったら、もう負の連鎖です! 首が前に出ることで猫背になる→巻き肩(肩が前に出て体の内側に入り込んでいる状態)になる→胸が下がる→腰が落ちるから膝が緩む→だから歩き方も足をズルズルと引きずり力がない。ハッ!とされた方、いらっしゃいませんか? 気付いたら、そこがもうターニングポイントです! 今日からきれいな姿勢を目指しましょう!姿勢が良いだけでかなり人生得する気がします。大げさではなく、見た目の印象が良いですしね♪バレエをしている人は、歩いているだけでも立っているだけでもすぐわかりますよね? あんなイメージです。バレリーナになったつもりで、どんどん重力に負けて下がっていく首や背骨を自分で引っ張り上げるのです!正しいきれいな姿勢になることで、身長も1〜2cm伸びますよ。40歳を過ぎて身長が伸びるってかっこいいですよね(笑)。子どもが小学生、中学生のころ、PTAの集まりに行くと、まずお母さまたちの姿勢が気になってしまって、猫背をツンツンとつつきたくなってしまったものです。正しい姿勢を保つにはそのための筋肉も必要なので、すぐにできるものではありませんが、まずは「意識する」! そこから初めてみませんか?悪い姿勢でいると肩凝りになりますし、足に力が入らないから転びやすくもなってしまうし、とにかくもったいないことだらけなので、ぜひ「重力に負けず、首や背骨を自分で引っ張り上げる」を意識してみてくださいね♪そして、鏡や窓などの前を通るときは自分の姿をチェック! ふと自分の姿を見たときに姿勢がきれいだと気分がどんどん上がっていくと思いますよ!監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)【駒形先生からのアドバイス】正しい姿勢を保つには、そのための筋肉がなければ難しいので普段からストレッチをおこない筋肉をほぐしてから筋トレもおこなうのがおすすめです。また、正しい姿勢にしようとして反り腰になりがちなので、鏡を見て姿勢を確認するようにすると良いでしょう。
2021年05月29日高齢かつ子宮筋腫があり、自分には子どもと共に歩む人生などあり得ないだろうとすっかりあきらめていました。しかし、43歳でまさかの妊娠。以来いくつものまさかを乗り越えて、出産に至った体験談です。※この記事は、第1回「体験談&マンガ投稿コンテスト」の予選通過作品です。 妊娠・出産はあきらめていた30歳を過ぎたころに受けた婦人科検診で、子宮筋腫が判明。それ以降、皮肉にも順調に筋腫は成長し数も増えていきました。一生妊娠や出産、子育てにはご縁がないのだろうな……とあきらめていた43歳の春、まさかの妊娠!「何がなんでもこの子を産み育てたい!」と心の底から強く思いました。高齢で持病もあったため、かかりつけの産婦人科では手に負えず、近くの大学病院でお世話になることに。 時を前後して、おなかの子の父親とはお別れし、ひとりで子どもを産み育てていく決意を固めました。「そうか、私は子どもが欲しかったけれど、結婚したいわけじゃなかったんだ」とそのとき気づいたのでした。 帝王切開に向け着々と準備妊娠34週の健診の日。筋腫がお産の妨げとなる位置にあり、赤ちゃんの頭が出てこられないとの診断を受け、帝王切開での出産が決まりました。予想はしていたけれど、やっぱりそうなるか……と思いながら話を聞いていました。 手術は妊娠38週の12月17日に決定。出産日に向けて心の準備も入院準備も抜かりなくしました。帝王切開で2人出産した先輩ママに、麻酔のことや術後の痛みなどを教えてもらったり、帝王切開用の産褥ショーツを買ったり、病院で帝王切開の流れのDVDを見たりしました。 「これで準備万端!」のつもりでしたが、思わぬところで苦戦。それは、入院・手術の際の家族の立ち会いです。夫がいれば問題にはならないと思いますが、なにせ私はシングル。高齢の両親は離れた地域に住んでおり、このコロナ禍では移動もままなりません。職場の社長の奥様にお願いするところまで考えましたが、ダメ元で母に連絡してみたところ、なんとかきてもらえることになり、ひと安心。事なきを得ました。 おなかの子の生命力に驚きいよいよ手術前日。入院の準備をして母と病院へ。診察を受けると、先生の様子がなにやら変です。「いつごろ帝王切開って言われました?」などと質問しながら超音波検査をしていたのですが、普段の健診よりだいぶ長い気がしました。「どうしたんだろう? 何か異常でも!?」と、不安は膨らむばかり。 ようやく診察が終わり、別室で待機していた母も呼ばれて話を聞くと、衝撃のひと言が!「赤ちゃんの頭が筋腫を乗り越えて下がってきているので、帝王切開をする必要はなくなりました。陣痛がくるのを待って、普通分娩でいきましょう。今日は帰っていいですよ」。 「え……!? そんなことってあるの!?」と、思わず母と顔を見合わせました。おなかの子の生命力、外の世界へと向かおうとする力たるや、どれほど強烈なものなのか!と驚きました。 最高のクリスマスプレゼントに12月25日。何事もなく、自然分娩で娘を出産。私にとって人生で最高のクリスマスプレゼントとなりました。 妊娠・出産には、お母さんと赤ちゃんの数だけドラマがあるんだなと、身をもって実感しました。先輩ママさんたちからはさまざまなエピソードを聞いていましたが、まさか自分の身にもこれほど衝撃的な事件が起きるとは思いませんでした。娘がこの話を理解できる年齢になったら、「あなたは、いくつものまさかを乗り越えて今ここにいるんだよ」と伝えたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:ワダムギコ43歳にして第一子を妊娠・出産したシングルマザー。自称「遅れてきた母ちゃん」。 建築関係の仕事をしており、自分が携わって建てた保育園に娘を通わせるべく、絶賛保活中。
2021年05月24日1人目が生後10カ月を過ぎたころ、2人目を考え始めた37歳の私。夫の意見や周りのアドバイスを聞くたびに、2人目妊娠のタイミングがわからなくなりとても悩みました。しかし、助産師の姉の言葉で不安や迷いが消えました。そんな私の体験談を紹介します。 2人目に対する夫婦の考えもともと生理不順で産婦人科に通院していた私は、1人目は予想外の自然妊娠で喜んでいました。しかし産後10カ月を過ぎるころ、私が37歳であることや、産後に再開した生理が今まで以上に不順だったこともあり、2人目も自然妊娠できるか心配になってきたのです。 夫は「1人目が自然にできたんだから2人目も大丈夫だよ!」と楽観的。私たち夫婦は2人目も強く希望していたのですが、「年の差は関係なくきょうだいをつくってあげたい」という私と、「3歳は年を離さないと子育てが大変」という夫と意見は異なっていました。 他人の言葉に揺れる私2人目をどのタイミングで考えればいいか悩んだ私は、友人や姉妹に相談してみました。上の子と5歳差で2人目を妊娠した妹は、「意外にも2人目不妊は多い。特に年が離れると。私も不妊で通院した」と話していて、私は「やっぱり早めに2人目考えなきゃ」と焦り始めました。 また、2歳差の2人の子どもを持つ友人に相談してみると、「2歳差は育てるのが本当に大変! 私があなたの年齢なら3歳は間隔をあけるわ」と。アドバイスを聞くたび、どうしたらいいのかわからなくなりました。 助産師の姉の言葉悩み始めた私は、一旦2人目を考えることをやめることに。ある日、助産師の姉と何気ない会話のなかで「赤ちゃんは授かりものだから。来てくれたときがタイミングよ」と話してくれ、私は目が覚めた思いがしました。 「私はいろいろ自分たちの都合を考えていたけれど、そのこと自体間違っていたのかも」と思うようになったのです。それから2人目計画を立てることをやめ、避妊もせず、すべて自然に任せることにしました。 2人目妊娠判明! 夫は…2人目妊娠を意識することをやめた矢先、まさかの自然妊娠が判明! 避妊はしていないものの、生理不順でいつ排卵しているかわからなかった私自身、こんなに早く妊娠するとは驚きでした。 3歳差を希望していた夫は、「えー! 早すぎ」と報告したときは若干焦ったようですが、「2歳差でも3歳差でもそんなに変わらないよね」と今では家族が増えることを楽しみにしています。 私は2人目妊娠のタイミングを、私自身の状況や上の子との年の差を考えてたくさん悩みました。しかし私の場合、「赤ちゃんを授かったときが私たちのタイミング」と考えることで2人目妊娠に対する不安や悩みが軽減され、結果的に今赤ちゃんを授かれたことを夫婦2人でとても喜んでいます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩見 エリ1男の母。看護師歴12年、現在はフランスで出産し子育て中。
2021年05月07日現在、私は7歳、5歳、4歳、2歳の4人の子をもつ20代の母親です。初めての出産は17歳のときでした。今では4人の子どもたちに囲まれて、忙しくも楽しい毎日を過ごしています。そんな私の初めての出産体験談を紹介します。 それぞれの思い私が妊娠に気がついたのは妊娠3カ月のときです。妊娠がわかったときはとてもうれしかったのですが、これからどうしたらいいのか何もわからない不安もありました。17歳ということもあり、家族とも話し合いをしましたが、「若いのに大丈夫なのか」と心配されるばかりでした。その心配はとてもありがたく思ったのですが、私の中では若いから母親になることはいけないと言われているように感じたのです。 その後も話し合いを重ね、産むことに賛成してもらえたときはとても安心できました。同時に、若くても大丈夫だと思ってもらえるような母親になりたいと思いました。家族の協力もあり、落ち着いた環境の中で、妊娠生活を送ることができたことはとても感謝しています。 想像以上の痛みと感動私は出産予定日3日前の妊婦健診で、赤ちゃんの頭が少し大きく、それに加え私の骨盤が狭いと担当の医師に言われました。そのため出産予定日の前日から入院をして、陣痛促進剤を使用することに。初めての出産に加え、まだ17歳で情報共有する先輩ママも身近にいないため、ネットで陣痛促進剤による出産のことを調べました。 実際、陣痛促進剤の点滴が始まると、おなかの張りや生理痛のような痛みがありました。ですが時間が経つにつれて我慢ができないほどのおなかの痛みになり、声を出さずにはいられませんでした。そしてこの激しい痛みこそが、陣痛だと気づいたのです。 そして、9時間の陣痛を乗り越え、無事に赤ちゃんと会えたときは安心とうれしさで自然と涙が溢れました。そして支えてくれた家族の大切さが身に染みてわかることができた瞬間でした。 子育ては何事も全力で初めての出産の次は初めての子育てに奮闘する日々が待っていました。私は通信制高校に在学していたため、学業に追われているときもありました。そのため泣くばかりの赤ちゃんに困り果て、一緒に泣いてしまうこともありました。そんなときは家族の手を借り、学業とバランスをとっていきました。 離乳食が始まったときは、親に作ってもらっていたごはんを自分で作る練習からでした。母に教えてもらいながら調理の仕方を学び、アレルギーなど赤ちゃんにあげてはいけない物を保健師さんに聞きました。学ぶことが多く大変でしたが、赤ちゃんの笑顔のために頑張ることができました。 赤ちゃんがハイハイをするようになると、トンネルのおもちゃなどを購入。私も一緒になって遊びました。体力が尽きず一緒になってとことん遊べるところは若くてよかったなと思います。 10代の出産で不安もありましたが、周りのサポートのおかげで頑張れました。ひとりで抱えずに相談したからこそサポートを受けることができ、相談することの大切さにも気がつけたのでよかったです。当時のアドバイスのおかげで今も頑張れていると思います。現在も家族にサポートを頼むこともたくさんありますが、これからもわからないときや不安なときは家族や周りの方などに相談していきたいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKOイラストレーター/ムチコ著者:河村アリス7歳、5歳、4歳、2歳の4人の母。4人の子どもと忙しくも楽しい日々を満喫中。自身の子育て経験をもとに執筆している。
2021年04月27日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第4話。今回はダンスレッスンをしているなかで、どんどん痩せてきたときのお話。なぜ痩せてきたかというと……。———————————————————————————————————前回、猛烈に恥ずかしくて隠れたかった初めてのチアのレッスンについてお伝えしましたが、レッスン自体はとても楽しくて月に2.3回のペースで通うようになりました。まず始めたのは、私だけダサかった問題のレッスン着を新しく購入! チアダンスはジャンプしたり激しく動くので、スポーツブラで胸を保護! さらに垂れたら大変なことですから!そして、ジャズシューズ&ジャズパンツ(ダンスをするときに着用するボトムス)も手に入れたわけなのですが、ジャズパンツは太もものラインがまるわかり。そのころ、ウエストゴムのスカートやワイドパンツ、ワンピースなどを体のラインが出ない服ばかりを着ていた私にとっては、かなりハードルが高いものでした。それもあって、しばらくは鏡で自分のシルエットを直視したくなくて、引き続きなるべく後ろでコソコソしていました。が、慣れってすごいですね。ダンスが楽しくなっていくにつれ、徐々に前の方、前の方と、自分がより見える場所へと移動して行き、2カ月くらいたったころには前から2列目の中央辺りを陣取るようになっていました。そうなってくると、おもしろいことに鏡はお友だち♪状態になっていて、「むしろ自分を見たい、ちゃんとチェックしていたい」となるのですから不思議です。レッスン以外の場所でも鏡をチェックするようになっていきました。ナルシストみたいですが、ナルシストでいいんです!!そして、うれしい変化が! ダンスに夢中になり、嫌だった鏡がお友だちになったことで、私は痩せていったのです!! 鏡の力は絶大です! 「脚を出すと痩せる」とよく聞きますが、本当だと思いました。「鏡を見るときれいになる」というのも絶対にあると思っています。要は自分の意識なのでしょうね。なのでチアダンス教室の先生になった今、生徒さんのレッスン着がだんだんと体のラインがハッキリわかるものに変わっていったり、最初は「おなかを出すのは絶対嫌だ!」と言っていた人が平然と出していたりするのを見るのがとてもうれしく、鏡を直視できない姿も「わかる!! 私もそうだったよ!!」と昔の自分を思い出して微笑ましくなります。痩せることが素晴らしいと言うよりも、女性として「きれいになりたい」という気持ちが芽生える姿を見るのがとてもうれしいのです。次回はお話の途中ですが、実践できるストレッチをお伝えします!
2021年04月26日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第3話。今回はいよいよダンスレッスンを始めたときのエピソード。ですが、そこで衝撃的なできごとが起こり……。———————————————————————————————————「初心者大人チアダンス」で検索して見つけたクラスに速攻予約を入れ、猛烈にドキドキしながら人生初のダンスレッスンの体験へ!今思うと、シャイなのによくひとりで果敢に挑戦したものだと思いますが、とにかく相当チアダンスがやりたくて仕方なかったのです。ちなみに、社会人のクラスなのでレッスンは平日の夜でした。当時の夫が主夫というか家にいたので……「よろしく!」と子どもたちは預けて行きました。さて先生から言われた持ち物は「動きやすい服装シューズ飲み物」。動きやすい服装……いわゆるレッスン着なのですが、私にはまったく未知の世界。「ダンスレッスン着」と検索して、なんとなく近い感じの、家にあった一張羅のTシャツとスウェットパンツと普通のスニーカーを持って行きました。が!私より若い子ちゃんもたくさんいるチア女子のキラキラした世界のレッスン着は全然違っていて、そんなダサいレッスン着を来た子は1人もおらず、みんな体のラインがしっかり出るジャズパンツ、ピタッとしたTシャツやノースリーブで、もう隠れたいほど恥ずかしかったのを思い出します。そして、レッスンでは大きな鏡の前でストレッチをしたりステップをしたり踊ったりと、とにかく自分の全身をまざまざと見ないといけない!というのが、産後太りをしていた私にはとても衝撃的なできごとでした。独身の子が多かったし、みんなスタイルが良いなか、ダサいレッスン着にぼってりとした体型にぼんやりとした髪型とメイクの自分! 同じ女だけど種類が違うという感じでした。もうなるべく鏡に映らない場所で、鏡を見ないように後ろの端っこでとコソコソしていた初めてのレッスンでした。でも、レッスン自体はとても楽しくて、ますますチア熱が上がる私。そして、いろいろと変化が起こっていきました!
2021年04月13日イラストレーターであり、チアダンスの講師でもあるサトウユカさんによる連載マンガ「44歳チアリーダー!」の第2話。今回はサトウさんのチアダンス熱が沸騰し、仲間集めに奮闘する様子をお伝えします。———————————————————————————————————「チアやりたい!!」と思ったとき、私が30歳、2人の息子たちは2歳と4歳でした。とりあえず、私がしたこと。それは録画した『ダンドリ!』のダンスシーンを繰り返し繰り返し見て振り付けを覚えて、狭いリビングでわちゃわちゃ踊るということでした。それと子どもたちを公園で遊ばせながら、鉄棒でバーレッスン風に柔軟体操をしていました。でも、もちろんそんなことでチアへの熱が納まることはなく……。さらにチアはみんなでするものなのに、ひとりで踊っているのもつまらなくなり、会う人会う人に「チアやらない?」と声をかけまくりました。そのなかで唯一「いいよ!」と言ってくれたのが友人さえちゃん。なんと、さえちゃんのお父様は社交ダンスの先生で、家にスタジオがあるというまさかの奇跡! じゃあ、お互い友だちに声をかけてみて一度練習してみようということになり、数日後6人が集結しました。内容は、大学のチアリーディング部だった友人にアームモーション(チアの決まりの腕の形)を教えてもらう、そして私が持っていった『ダンドリ!』のビデオをみんなで見ながら、私が覚えた振り付けをみんなで踊るというもの。中学生か!とつっこみたくなるような内容ですね! でも、とても楽しかったのです。とても楽しくてますますチア熱が上がり、「初心者大人チアダンス」と検索してみると、ちょうど開講したばかりのクラスを見つけたのです!
2021年03月23日