2017年3月29日 11:00
障害児の母である私が、障”害”という表記を使い続ける理由
という言葉に対してついてしまったイメージが問題なのではないでしょうか。
歴史的にも障害者は排除され、隔離されてきた事実があります。「障害」または「障害者」という言葉にネガティブな物事がひも付けられてきたからこそ、この「障害」という言葉を敬遠したくなる気持ちが生まれるのではないかなあ、と感じています。
そう考えると、これからも「障害」「障害者」という言葉やイメージはやはりネガティブなままなのでは?と思ってしまいます。いくら表記を変えたところで、言葉そのものに対するイメージを覆すことは難しいでしょう。
だったら、言葉そのものを変えちゃおう!
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10272002139
そこで私は、「表記をちょこっと変えるのではなく、『障害』という言葉自体変えちゃったらいいんじゃない!?」と考えました。
若い方はご存知無いかもしれませんが、今「認知症」と呼ばれている病気は以前「痴呆症」と言われていました。
「障害」よりもよっぽど差別的な言葉だと個人的に感じていた「痴呆」という単語。
私と同じように考えていた世の中の流れとともに、「認知症」へと変化しました。
だったら、「障害」も他の言葉になるんじゃない?世の中の流れで変えちゃえばいいんじゃない?
では、どんな言葉がいいでしょうか。ちょっと考えてみました。
■外国の「スペシャルニーズ」から頂いて「特要」?
■状態を表す言葉として「大変者」「困難者」?…でもこの決めつけ方は良くないなぁ。
■「ちょっと(Chotto)違う(Chigau)ところが(Tokoroga)あります(Arimasu)」で「CCTA」?
…私ごときの語彙力ではまったく浮かばないものです。
発達障害に関して言えば、「発達凸凹」という書き方をされる方もいらっしゃいます。発達に凸凹があるということで起きる困り感を表しているのかと思います。
ただ私にとってみれば、子ども達の凸凹から生まれる社会的な困難さは凸凹とかそんな可愛いレベルじゃありません。
「発達ロックだし発達パンクというか発達デスメタルだよ!」なんて感じる日々です。
無意味な議論かもしれない。それでも、考え続ける必要があると思うから
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=28144098902
すっかり取り留めもないことを書いてしまいましたが…。