2023年7月2日 06:00
売野雅勇語る『少女A』誕生秘話 中森明菜は“繊細で傷つきやすい少女”に見えた
結局、萬年社という日本最古といわれる広告代理店に入ることに」
営業職で入社したが、間もなく、新聞や雑誌に載せる広告のコピーを主に担当した。そのうちテレビCMも手がけるようになり、ガムのメーカーのCMでヒットを飛ばす。
「クリエイティブディレクターの人が厳しくて、ものすごくいっぱい企画を出さなければならないんですね。苦労のうちに入らないと思いますけど、鍛えられました」
27歳で結婚したのを機に、フリーとして活動を始めた。
「妻と知り合ったのは大学時代。アメフトは珍しいから、近くの女子校の生徒が30人くらい、グラウンドにずらーっと見学に来るんですよ。するとボクたちは『今日はかわいいコいるな』って話題にするんですが、そのなかの一人が妻で、お付き合いするようになった感じですね」
当時の憧れが、映画評論家、音楽評論家の今野雄二さんだった。
「出版社に勤めていた編集者だったんですけど、独立してフリーでやっているような人で、カッコよかったんですね。
自分も、結婚に縛られずに自由気ままに生きたいなっていうのがあって。だから妻から結婚を申し込まれたんですが、2回も断っているんです。でも、妻は占いか何かで売野姓になると、夫が成功するといわれたようなんですね。