鈴木砂羽 憧れすぎた宮沢りえに“ちょっと怖い”手紙を手渡した新人時代
■三井のリハウスのCM以来、宮沢りえに夢中
上京後は、芸能プロダクションが併設されている俳優養成所の門をたたいた。演技のほかにも、歌やダンスなどひととおり習うことができ、女優を目指す野心の強い人たちも集まっていた。
「でも、何か違うと感じて……。親にお金を出してもらっていたので1年間は通ったのですが、わりとブランド志向だった私は、“名門に行ってもっと勉強したい”と文学座を目指すことに」
当時、朝ドラヒロインの登竜門ともいわれた文学座には、研究生の募集に数千人が集まったが、見事に合格。
「研究生として所属することが決まり、女優になるという夢が近くなったような気がして、短大は1年で中退しました」
宮沢りえの『Santa Fe』が発売されたのも、ちょうどこのころだった。
「当時、トップアイドルが脱ぐなんて初めてのことじゃないですか。それだけでも衝撃的なのに、写真は健康美そのもので、めちゃくちゃきれい。そもそも、私は高校時代に見た三井のリハウスのCM以来、りえちゃんに夢中でした。
ありえないくらいかわいくて、実在するのか?本当に人間なのか?と考えて呆然としてしまうほどの美少女。お母さんが日本人でお父さんがオランダ人というハーフなんですが、かなり日本人に近い。