わが子の誕生死を経験して。当たり前じゃない妊娠という奇跡【体験談】
「誕生死」という言葉があるのをご存知ですか? 流産、死産、新生児死亡などを指す言葉なのだそうです。私も長女出産後、二度の誕生死を経験しました。今回は、「子どもを授かり、産む」ということが当たり前ではないと思い知らされた経験をお伝えしようと思います。
2人目妊娠を決意するまで
わが家の長女は順調に授かり生まれてきてくれたので、妊娠できることは当たり前だと思っていました。添加物を避け、有機栽培されたものを選ぶなど、体にやさしい食生活を心がけていたことも自信を持つ大きな要因でした。
しかし、長女の育児でヘトヘトに疲れ切っていた私は、2人目のことなど考えられず、「ひとりっ子をじっくり育てよう」と心に決めていました。そんななか、突然夫の転勤が決まり、引っ越した先は3人きょうだいもざらにいるような家庭が多い地域でした。楽しそうにきょうだいで遊ぶ、ほかの家庭の姿を見て、長女はさびしそうな顔をすることが多くなりました。
まさか自分も!? 2人目不妊
親戚に子どもがおらず、大人に囲まれて育ったせいか、おませな発言が多い長女のためにも、「子どもは子どもの世界でのびのびと遊ぶべきだ」という思いが強くなりました。そして、長女のためにきょうだいを産むことを決意したのです。
けれど、それまでの考え方に罰が当たったのではないかと思えてしまうほど、赤ちゃんはやってきてくれませんでした。待つこと一年、ようやく授かった命でした。
妊娠という「奇跡」
長女のときには気付かなかったけれど、赤ちゃんの心臓の動きがモニターに映し出されるとき、そこには光が見えます。「まさに命の輝きそのものだ」と思いました。
ところが、その輝きは9週間後には消えていました。ついこの前まであって、いきなり消えてしまった、生きたくても生きられなかった小さな命。 「いつ終わるかわらないけれど、せっかくいただいた命なのだから自分が周りにできることを探して一生懸命生きていきなさい」。小さな命にそう教えられた気がしました。
その後、私はもう一度誕生死を経験し、妊娠の奇跡を痛感しました。命について学ぶ機会を与えてくれた2つの小さな命に、改めて「ありがとう」と伝えたいです。
※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。