コミックエッセイ:親に整形させられた私が、母になる
社会人になっても過食嘔吐がやめられない…こんな私に生きる価値はあるの?【親に整形させられた私が、母になる Vol.39】
社会人になっても過食嘔吐は続いていました。
病院に行った方が良い、という知識ももちろんありましたが、「自分の意思が弱いだけじゃないか」、「もうすこし自分自身の力でどうにかできるんじゃないか」という気持ちもあり、結局病院には行かず、過食嘔吐を続けていました。
いま思えば、病院に行って治療することで、自分自身に何か変化が起こることを怖れていたのかもしれません。
過食嘔吐を辞めたいはずなのに、辞められない…
吐いた後はいつも激しい自己嫌悪に襲われる。
それなのにその存在を失ってしまうのを恐れてしまう…。
自分のことなのに自分じゃどうしようもできない。
それは過食嘔吐だけではなくて、人生のすべてにおいてそうでした。
容姿も、職業も、趣味も、生き方も…自分のことなのに、自分ではどうしようもできない。
整形もずっとしつづけなければならない。いつも「いつ二重の線が取れてしまうか」というぼんやりとした恐怖を抱えながら生活していて、心の底から笑ったことはありませんでした。
このころ常に私は被害者でした。被害者意識でした。
自分が自分の人生の当事者である勇気も責任も持てず、楽で言い訳ができる被害者の立場にしがみついていました。
そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした。
→次回に続く
※この物語は私の経験を基に、一部フィクションもまざっております。