コミックエッセイ:親に整形させられた私が、母になる
自分の歪みに気づいた…だから大丈夫!私は自分の力で立ち直れる【親に整形させられた私が、母になる Vol.76】
過去の私だったら、次のような自動思考になっていたことでしょう。
無視される=嫌われている=私が悪いからだ…
でも今はもう、自分の思考の歪みに気付き、自分で修正できるようになってきました。
過去の私は他人からの評価でしか自分の価値を決められなかったので、「人に嫌われる」ということは、「自分の存在価値そのものを否定される」と同じ意味でした。でも「自分の価値は自分で決めて良い」とわかってからは、人に嫌われることが怖くなくなってきました。
もちろん嫌われた理由がわかっているのであれば、謝罪し改善に努めます。でも理由がわからなかったり、その理由が自分にはどうしようもできないことだったりした場合には、もう嫌われたとしてもしょうがない。誰かに嫌われていたとしても、私は私のままでいい。そう思えるようになりました。
心を喪失した状態で生きてきた25歳までに比べ、心が生きている状態で生活すると、学びの深さが段違いに違う。心を失っていた時の生き方は、「毎日を通過していく」だったのが、心が生きてからは「毎日何か学ぶ」という感じ。
つまり私は26歳以降に、「生き方や人間関係を学び直した」と言っても過言ではない。おそらく中高生で悩むであろう人間関係や、自分の気持ちの折り合いの付け方などを、私はアラサーになってから真剣に悩むことになりました。
その悩む時間は苦しみもあるけれど、それでもいつか悩みが自分の中で消化され、自分がどんどんレベルアップしているかのような感覚は、とても気持ちが良くて…。まるで遅れてきた思春期の自己の確立を、私はようやくアラサーでできたといった感じです。
そして自己が確立してくると、自分を信頼できるように。「私はもう何があっても大丈夫だろう」と根拠のない自信がつきました。
すると、昔からずっと同じ世界を生きているはずなのに、まるで別世界に来たのかというくらい、生きるのが楽しくなっていきました。
→次回に続く
※この物語は私の経験を基に、一部編集しています。
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