お手伝いはうれしい、でも本当はね…と思った私がごめんなさい!と思ったワケは
休校が続き、おうち時間も長くなったある日。こんな出来事がありました。
休校が始まったばかりの頃は、子どもたちと一緒にいる時間がこんなにたくさんあるならと張りきって、いろいろなことを計画していた私。
早起きをして宿題をしたり、公園へ行って体を動かしたり、子どもたちとおやつのクレープ作りをしたり…。
家族時間を笑顔で過ごそう!とがんばっていました。
ところが、買い物ではほかのお客さんとの距離が近くならないよう気をつけたり、子どもたちと楽しみにしていたおやつ作りの材料が品薄で買えないことが続いたり、散歩中に公園の前を通ると遊具にテープが貼られていたり…。
今までの日常にはない状況に、いつのまにか疲れがたまっていたようで。
自分でもびっくり!
うっかりグラスにみそ汁を入れてしまいました。
迷いが顔に出ちゃったけれど…
「お手伝いする!」と娘が言ってくれたとき、実は私、早く片づけてちょっと休みたいな~と思っていたのです。
だから、ちょっと迷いが顔に…。
そんな私の表情を見て何かを感じ取った息子が、コーヒーをいれようとしてくれたようです。
でも、うっかり!
電気ポットをやかんと間違えてガスコンロの上に置いた瞬間、間違えたことに気づきあわてふためく息子。
そして、口から出てきた母を気づかうやさしい言葉。
そう、子ども達は、「散らかすつもり」「間違えるつもり」「時間をいっぱい使うつもり」でお手伝いをしているわけではないんですよね。母が疲れた顔なら元気になってほしい、元気ならもっと笑顔になってほしい。
娘もそんな気持ちだったのだと思います。
そして私もわずか20分くらい前にうっかりグラスにみそ汁を入れてしまったばかり…。
うっかりは私も同じ…。ということは母譲り!?
そう思ったらなんだか笑えてきて疲れも和らぎ、癒されていました。
娘の「お手伝いする!」の言葉に、ちょっとめんどくさいなぁと思った自分に反省した私です。
学びと喜びを育むお手伝い
息子が幼稚園の頃、初めて出たお手伝いの宿題は「ごはんの前にテーブルをふきんで拭く」というもの。
そしてその宿題にやりがいを感じて、一生懸命にお手伝いをしてくれる息子の姿に感動したものでした。
学年が上がるにつれてお手伝いのテーマも難しくなり、部屋のそうじやご飯の支度、片づけなどになりました。
ひとつひとつやり遂げながら「できた!」