低出生体重児だった娘を育てて感じること、私を支えてくれた言葉
「低出生体重児」とは、出生時に体重が2500g未満の新生児のことをいいます。日本では約10人に1人の赤ちゃんが低出生体重児として誕生しており、さらに1500g未満の赤ちゃんは極低出生体重児とされます。わが家の現在2歳の次女は限りなく極低出生体重児に近い体重で生まれました。
先進国の中でもっとも低出生体重児が多いと言われている日本。実は多くのパパやママが向き合っている問題ではないでしょうか。
今回は低出生体重児について無知だった私が、次女を妊娠し育てながら感じたことや支えになった言葉、気持ちの変化などをお話します。同じような不安や悩みをもつ人達の参考になればうれしいです。
長女の時は妊娠発覚時から出産まで、何のトラブルもなく過ごした私ですが、次女の時は最初からトラブル続き。
次女は妊娠が分かった時から小さく、数回目の健診で出産予定日が1、2週間程度後ろ倒しされました。知識のなかった私は、予定日が変わるってどういうこと!?不安に思いましたが、最終月経開始日から算出する予定日と超音波検査による赤ちゃんの大きさによって算出する予定日が変わることは時々あると説明を受けました。
その後もなかなかお腹の中で大きくならない次女。私の体重は増えるのにどうして…お腹の赤ちゃんを大きくするにはどうしたらいいの…とお腹の中に赤ちゃんがいる喜びよりも心配ばかり。
成長が止まってしまったら危険と言われていたので、健診の度に少しでも大きくなっていることを祈る日々でした。
「生きる力がとても強い赤ちゃんだね」
初期に不正出血による流産の危機も経験していたことから、とにかく不安な気持ちが続いた妊娠初期。そんな時、友人にかけられた言葉で気持ちを切り替えることができました。
事情を知る友人は「生きる力がとても強い赤ちゃんだね」と言ったのです。
結局予定日より1か月早く出産することになりましたが、この時気持ちを切り替えられたからこそ、トラブル続きの妊娠生活を落ち着いて受け止めることができました。
低出生体重児を出産する時、生まれる前からNICUに入ることが決まってる方も多いと思います。私がそうでした。事前に説明は聞いていましたが、よく理解していなかった私は、NICUの独特な雰囲気に慣れるのに少し時間がかかりました。
常に鳴っている機械音、照明を暗くした部屋、緊張感がある独特な空気感に「これからどうなっちゃうの?一体いつ退院できるの?」と不安な気持ちが高まり、NICUを経験した赤ちゃんのママブログなどを検索しまくっていたことを思い出します。
NICUは24時間看護師さんや医師に診てもらえる最強の場
でもよく考えたら、NICUは24時間看護師さんや医師に診てもらえる最強の場。
そして看護師さんたちは、お母さんのようにやさしく赤ちゃんたちに話しかけ、見ることができない夜の様子を教えてくれたりします。小さな娘をたくさんの人の手で育てられることのありがたさを、徐々に素直に受け止められるようになっていきました。
NICUに通った1か月で長女をケアする時間がもてた
そしてもうひとつ、月日が流れたから今だからこそよかったと思えることは、出産後に長女をケアする時間がもてたこと。
次女は生後1か月間入院していたため、その期間は長女とゆっくり赤ちゃんを迎える準備をすることができました。それなりに赤ちゃん返りはしましたが、長女の気持ちに寄り添う時間がもてたことはとてもよかったと今は感じています。
1か月で体重が2000gに、NICUを卒業
生後1か月経つ頃、ようやく体重が2000gになり、無事にNICUを卒業しました。
長女の時は生後1か月には4000gになっていたので、おさがりがまるで使えません。
低体重児におすすめの育児アイテム
当事者になって初めて知りましたが、抱っこヒモの多くは3000g以上でないと使えません。わが家は、退院直後から長女の保育園のお迎えには次女を連れて行かなければならず、ベビーカーも不安だった私はスリングを愛用していました。スリングは赤ちゃんを入れるのに少しコツがいりますが、赤ちゃんとの距離も近く、横抱きに近い形で連れていけるので、安心して連れ出すことができました。
かわいくて45サイズがあるGAPを愛用
長女の時の感覚で、肌着やロンパースも60-70サイズなどを用意していましたが、2000gしかない次女には見事にブカブカ。もう少しピッタリのものを着せてあげたいというときにGAPには45サイズがあることを知りました。
かわいくて、しかも小さな娘にもピッタリ着せられる、それだけでとても明るい気持ちになりました。インターネット通販で低出生体重児用のロンパースなどが販売されていますが、わが家は手に入れやすいGAPを愛用していました。
退院後しばらくはとにかくまわりの目が気になりました。すでに生後1か月経っていましたが、見かけはどう見ても新生児(もはや一般的な新生児よりも小さい)。「小さな赤ちゃんですね」「まだ生まれたばかりじゃない?」と話しかけられたり、「あら、あんな新生児を外に連れ出して…」とヒソヒソと話している声が聞こえたことも何度かありました。「気にしすぎじゃない?」と言っていた夫も、想像以上に視線を感じることを身をもって感じ、「これは気にするのも仕方がないね」と共感してくれるほどでした。
「たくさん抱っこできて、赤ちゃんもママも幸せだね」
そんな時、先輩ママの友人が「貴重な新生児の期間を長く堪能できるなんて最高じゃない!たくさん抱っこできて、赤ちゃんもママも幸せだね」と明るく声をかけてくれ、その言葉に本当に救われました。
たしかに長女の時、新生児期間はあっという間に終わってしまい、外へ連れて出かけることに慣れてきた頃にはすでに抱っこヒモの重さはずっしり。ベビーカーを使うことも増えていました。「毎日たくさん抱っこさせてくれてありがとう」、そんな気持ちで次女と向き合えるようになったことは大きな変化でした。
そんな次女ももう2歳。保育園に通いながら元気に成長してくれていますが、この2年間常に気にしていたのは体重のことでした。
「保育園のお昼をちゃんと食べていれば大丈夫」
生まれてからずっと成長曲線を大きくはみ出していた次女。少しでも大きくなってもらうために一生懸命離乳食をあげていましたが、とにかく食が細い赤ちゃんでした。そんな次女にご飯を食べさせることがとにかく大変で、作ってもほぼ食べないことが徐々にストレスに…。しかし、1歳から通い始めていた保育園の先生に相談すると頼もしい言葉が。
「保育園の給食は栄養士が考えた献立。1日に1回、保育園のお昼だけでもちゃんと食べていれば、栄養的にはそんなに問題はないですよ。
「好きな物だけでもOK!食べる楽しさを感じさせて」
また「食に興味がない子はまず食べることに慣れること、そして食べる楽しさを感じることが大切。好きなものばかり食べて…と思わず、これだけは食べる!というものがあれば、気にせずとことんあげてもいいんですよ。まずは食べることに慣れさせましょう!」とアドバイスをいただきました。
そこから長女にも協力してもらい、少し大げさなくらいごはんをみんなでおいしそうに、楽しく食べることを心がけました。
次女は何も食べなくても、とにかくその場に一緒にいてもらうように。そんなことを地道に続けていると少しずつ変化が表れてきました。ごはんの時間に興味をもち、少しずつ食べ物に手を伸ばすようになってきたのです。
そして少しずつ食べるようになってきた頃、事情により断乳を決行。よく聞く「断乳したら食欲が増す」はまったく食べなかった次女にも当てはまりました。今では長女より食べる時があるほど、よく食べる子に成長したので私も先生もびっくりしています。
「おおらかに見守ってあげて大丈夫ですよ」
長女の時の成長と比べたり、一般的な成長と比べたりして一喜一憂していた2年間でしたが、大切なのは少しずつでも大きくなること。
「お腹の中にいた時と同じで、成長が止まったり減ってしまったら問題だけど、そうでなければおおらかに見守ってあげて大丈夫ですよ」と出産をした病院の先生もいつも励ましてくれました。一般的には2歳くらいでまわりの子に追いつくことが多いと言われていたので、それが私の中でひとつの目安になっていました。
気にしていた体重はいまだに成長曲線の底辺にいますが、今では体重を家で測ることすらほぼありません(笑)。歩き出すのもおしゃべりも、なんでもゆっくりでしたが、できるようになるとそこからの追い上げはすごい次女!次女と向き合っていくうちに「毎日楽しく、元気に育ってくれればそれでいい」と心の底から思えるようになりました。
「よく育つものはゆっくり育つ」
私が好きな言葉に「よく育つものはゆっくり育つ」という言葉がありますが、次女を見ているとまさにその言葉を思い出します。
寄り道しながら、回り道しながら、ゆっくり成長する娘を、これからも焦らずにじっくりと見守っていきたいと思っています。わが家はみんなでゆっくり成長しています。
<文・写真:ライターtocotocoharu>
先進国の中でもっとも低出生体重児が多いと言われている日本。実は多くのパパやママが向き合っている問題ではないでしょうか。
今回は低出生体重児について無知だった私が、次女を妊娠し育てながら感じたことや支えになった言葉、気持ちの変化などをお話します。同じような不安や悩みをもつ人達の参考になればうれしいです。
トラブル続きの2回目の妊娠
長女の時は妊娠発覚時から出産まで、何のトラブルもなく過ごした私ですが、次女の時は最初からトラブル続き。
次女は妊娠が分かった時から小さく、数回目の健診で出産予定日が1、2週間程度後ろ倒しされました。知識のなかった私は、予定日が変わるってどういうこと!?不安に思いましたが、最終月経開始日から算出する予定日と超音波検査による赤ちゃんの大きさによって算出する予定日が変わることは時々あると説明を受けました。
その後もなかなかお腹の中で大きくならない次女。私の体重は増えるのにどうして…お腹の赤ちゃんを大きくするにはどうしたらいいの…とお腹の中に赤ちゃんがいる喜びよりも心配ばかり。
成長が止まってしまったら危険と言われていたので、健診の度に少しでも大きくなっていることを祈る日々でした。
トラブル続きの妊娠生活からNICUでの日々
「生きる力がとても強い赤ちゃんだね」
初期に不正出血による流産の危機も経験していたことから、とにかく不安な気持ちが続いた妊娠初期。そんな時、友人にかけられた言葉で気持ちを切り替えることができました。
事情を知る友人は「生きる力がとても強い赤ちゃんだね」と言ったのです。
その言葉はストンと私の中に入ってきて、ネガティブになりがちだった気持ちをポジティブに変換することができました。「そうだ、赤ちゃんの生命力を信じて、なにがなんでも守っていこう」と気持ちが引き締まったのを覚えています。
結局予定日より1か月早く出産することになりましたが、この時気持ちを切り替えられたからこそ、トラブル続きの妊娠生活を落ち着いて受け止めることができました。
NICU(新生児集中治療室)ってどんなところ?
低出生体重児を出産する時、生まれる前からNICUに入ることが決まってる方も多いと思います。私がそうでした。事前に説明は聞いていましたが、よく理解していなかった私は、NICUの独特な雰囲気に慣れるのに少し時間がかかりました。
常に鳴っている機械音、照明を暗くした部屋、緊張感がある独特な空気感に「これからどうなっちゃうの?一体いつ退院できるの?」と不安な気持ちが高まり、NICUを経験した赤ちゃんのママブログなどを検索しまくっていたことを思い出します。
NICUは24時間看護師さんや医師に診てもらえる最強の場
でもよく考えたら、NICUは24時間看護師さんや医師に診てもらえる最強の場。
毎日通う中で先生たちが昼夜問わず真剣に赤ちゃんに向き合う姿を見て、「とにかく今は信頼して任せよう」と気持ちが変化していきました。
そして看護師さんたちは、お母さんのようにやさしく赤ちゃんたちに話しかけ、見ることができない夜の様子を教えてくれたりします。小さな娘をたくさんの人の手で育てられることのありがたさを、徐々に素直に受け止められるようになっていきました。
NICUに通った1か月で長女をケアする時間がもてた
そしてもうひとつ、月日が流れたから今だからこそよかったと思えることは、出産後に長女をケアする時間がもてたこと。
次女は生後1か月間入院していたため、その期間は長女とゆっくり赤ちゃんを迎える準備をすることができました。それなりに赤ちゃん返りはしましたが、長女の気持ちに寄り添う時間がもてたことはとてもよかったと今は感じています。
1か月で体重が2000gに、NICUを卒業
生後1か月経つ頃、ようやく体重が2000gになり、無事にNICUを卒業しました。
長女の時は生後1か月には4000gになっていたので、おさがりがまるで使えません。
おむつもサイズが合わないので、インターネットで低出生体重児用のものを購入し、新生活がスタートしました。
小さな次女サイズに合うものを探して
低体重児におすすめの育児アイテム
当事者になって初めて知りましたが、抱っこヒモの多くは3000g以上でないと使えません。わが家は、退院直後から長女の保育園のお迎えには次女を連れて行かなければならず、ベビーカーも不安だった私はスリングを愛用していました。スリングは赤ちゃんを入れるのに少しコツがいりますが、赤ちゃんとの距離も近く、横抱きに近い形で連れていけるので、安心して連れ出すことができました。
かわいくて45サイズがあるGAPを愛用
長女の時の感覚で、肌着やロンパースも60-70サイズなどを用意していましたが、2000gしかない次女には見事にブカブカ。もう少しピッタリのものを着せてあげたいというときにGAPには45サイズがあることを知りました。
かわいくて、しかも小さな娘にもピッタリ着せられる、それだけでとても明るい気持ちになりました。インターネット通販で低出生体重児用のロンパースなどが販売されていますが、わが家は手に入れやすいGAPを愛用していました。
まわりの視線や言葉が痛い…退院後の生活
退院後しばらくはとにかくまわりの目が気になりました。すでに生後1か月経っていましたが、見かけはどう見ても新生児(もはや一般的な新生児よりも小さい)。「小さな赤ちゃんですね」「まだ生まれたばかりじゃない?」と話しかけられたり、「あら、あんな新生児を外に連れ出して…」とヒソヒソと話している声が聞こえたことも何度かありました。「気にしすぎじゃない?」と言っていた夫も、想像以上に視線を感じることを身をもって感じ、「これは気にするのも仕方がないね」と共感してくれるほどでした。
「たくさん抱っこできて、赤ちゃんもママも幸せだね」
そんな時、先輩ママの友人が「貴重な新生児の期間を長く堪能できるなんて最高じゃない!たくさん抱っこできて、赤ちゃんもママも幸せだね」と明るく声をかけてくれ、その言葉に本当に救われました。
たしかに長女の時、新生児期間はあっという間に終わってしまい、外へ連れて出かけることに慣れてきた頃にはすでに抱っこヒモの重さはずっしり。ベビーカーを使うことも増えていました。「毎日たくさん抱っこさせてくれてありがとう」、そんな気持ちで次女と向き合えるようになったことは大きな変化でした。
この2年間常に気にしていた体重のこと
そんな次女ももう2歳。保育園に通いながら元気に成長してくれていますが、この2年間常に気にしていたのは体重のことでした。
「保育園のお昼をちゃんと食べていれば大丈夫」
生まれてからずっと成長曲線を大きくはみ出していた次女。少しでも大きくなってもらうために一生懸命離乳食をあげていましたが、とにかく食が細い赤ちゃんでした。そんな次女にご飯を食べさせることがとにかく大変で、作ってもほぼ食べないことが徐々にストレスに…。しかし、1歳から通い始めていた保育園の先生に相談すると頼もしい言葉が。
「保育園の給食は栄養士が考えた献立。1日に1回、保育園のお昼だけでもちゃんと食べていれば、栄養的にはそんなに問題はないですよ。
お昼をきちんと食べさせることは保育士が責任を持ってやりますので、家で食べなくてもあまり悩まないでください」と言ってくれたのです。この言葉でとても気持ちがラクになりました。
「好きな物だけでもOK!食べる楽しさを感じさせて」
また「食に興味がない子はまず食べることに慣れること、そして食べる楽しさを感じることが大切。好きなものばかり食べて…と思わず、これだけは食べる!というものがあれば、気にせずとことんあげてもいいんですよ。まずは食べることに慣れさせましょう!」とアドバイスをいただきました。
そこから長女にも協力してもらい、少し大げさなくらいごはんをみんなでおいしそうに、楽しく食べることを心がけました。
次女は何も食べなくても、とにかくその場に一緒にいてもらうように。そんなことを地道に続けていると少しずつ変化が表れてきました。ごはんの時間に興味をもち、少しずつ食べ物に手を伸ばすようになってきたのです。
そして少しずつ食べるようになってきた頃、事情により断乳を決行。よく聞く「断乳したら食欲が増す」はまったく食べなかった次女にも当てはまりました。今では長女より食べる時があるほど、よく食べる子に成長したので私も先生もびっくりしています。
わが家はみんなでゆっくり成長しています
「おおらかに見守ってあげて大丈夫ですよ」
長女の時の成長と比べたり、一般的な成長と比べたりして一喜一憂していた2年間でしたが、大切なのは少しずつでも大きくなること。
「お腹の中にいた時と同じで、成長が止まったり減ってしまったら問題だけど、そうでなければおおらかに見守ってあげて大丈夫ですよ」と出産をした病院の先生もいつも励ましてくれました。一般的には2歳くらいでまわりの子に追いつくことが多いと言われていたので、それが私の中でひとつの目安になっていました。
気にしていた体重はいまだに成長曲線の底辺にいますが、今では体重を家で測ることすらほぼありません(笑)。歩き出すのもおしゃべりも、なんでもゆっくりでしたが、できるようになるとそこからの追い上げはすごい次女!次女と向き合っていくうちに「毎日楽しく、元気に育ってくれればそれでいい」と心の底から思えるようになりました。
「よく育つものはゆっくり育つ」
私が好きな言葉に「よく育つものはゆっくり育つ」という言葉がありますが、次女を見ているとまさにその言葉を思い出します。
寄り道しながら、回り道しながら、ゆっくり成長する娘を、これからも焦らずにじっくりと見守っていきたいと思っています。わが家はみんなでゆっくり成長しています。
<文・写真:ライターtocotocoharu>