自閉症児は「死」をどう受け止めるのか。祖父の死を経験した息子は
息子にとって「近寄りがたい存在」だった祖父が天国へ。
こんにちは。『〈マンガとQ&Aで楽しくわかる〉1人でできる子になる「テキトー母さん」流 子育てのコツ』の著者の立石美津子です。
3年前から膵臓がんを患っていた私の父が、6月17日天国へ旅立ちました。享年82歳でした。
昭和1ケタ生まれ。終戦の時は中学1年生だった頑固な父。
子どもの授業参観日や運動会などの行事には一切顔を出すことなく、仕事一筋だった父。
私の息子が自閉症とわかっても、障害に対する理解もあまりなく、息子がパニックを起こしたり、ひと時もじっとしていられずに歩き回ったりする様子を見て、よく怒鳴り散らしていました。
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そんな父に対して、孫である息子は「近寄りがたい人」、「怖い存在」と思っていたようです。
今回は、父の死に際して息子がどのように反応したかをお話しながら、自閉症児が人の“死”をどう受け止めているのかを考えたいと思います。
葬儀への参列は、息子にとって初めての経験。
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10548001219
父の入院先である緩和病棟に何度も見舞いに行き、葬儀、告別式に参列したこの一週間。
自閉症児の息子の脳にとっては、予期せぬこと、初めての人、場所の連続でストレス満載だったと思います。
そもそも、子どもが「人の死の場に立ち会う」経験をすることは、あまりありません。
私も50歳を過ぎてからは、結婚式に呼ばれるよりもお葬式にいく回数の方が増えましたが、子ども時代に葬儀に参列することはありませんでした。
このように葬儀はただでさえ子どもにとって馴染みのない場面なのですから、初めての事が苦手な自閉症の息子が落ち着いて葬儀に参列など出来ないことは容易に想像できました。
実際、息子が葬儀や告別式に参列することに対して、私の母も「走り回ってみんなに迷惑をかけるから、来させないでほしい」と反対していました。
けれども私は、ヘルパーを付けて息子を葬儀に参列させました。焼き場で焼かれて骨になって、それを箸で拾うところまで全ての過程を含め、この一連の人の死の場に立ち会うという、またとない機会を息子に体験させたかったのです。
涙する家族。ウロウロと歩きまわる息子。
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私たち家族は、父の死に目には会えず、病院に駆け付けたとき身体は冷たくなっていました。みんな号泣していました。
そんな状況なのにも関わらず、息子は病室内をウロウロと歩き回り、ファンタジーの世界に没頭しているのか、場にそぐわない笑みまで浮かべていました。
看護士が「どういうお祖父様でしたか?」と尋ねても、「怒る人、怖いおじいちゃま」と言葉を飾ることなくそのまま答えていました。
病院の近くにある実家に寄った時も、玄関に付いている「立石信義(=祖父の名)」の表札をいつ変更するのかということばかりを気にしていて、一切涙をすることはありませんでした。
こういう態度を見て「やっぱり自閉症なんだなあ」とつくづく思いました。
「お祖父ちゃまが死んで悲しくない?悲しい?」息子に問うてみる
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周りが泣いているのにも関わらず自分の世界に没入する息子。
「自閉症児がする典型的な態度だが、だからといって、息子が人の死に対して何も感じていないはずはない。」
そう考えた私は、葬儀までの一週間の間、息子に何度か質問してみました。
はじめに、「おじいちゃまが死んで悲しい?」と聞くと、息子はオウム返しに「悲しい」と答えました。続けて「おじいちゃまが死んで悲しくない?」と聞くと、これまたオウム返しに「悲しくない」と答えます。
いつもこのパターンで、相手の言ったことをリピートするのです。
聞き方を変えて、選択肢を与えながら「お祖父ちゃまが死んで悲しい?悲しくない?」と問えば、本心が聞き出せるかというとそうでもないのです。この質問の仕方ですと、印象に残りやすい後者のフレーズ「悲しくない」を機械的にリピートすることが予想されました。
そこで順番を入れ替えて「お祖父ちゃまが死んで悲しくない?悲しい?」と、淡々と聞いてみました。
こういう風に、意図的に文中の言葉を選ばなくてならない状況にさせて意思確認をすると本心が言えることを、自閉症の息子を15年間育ててきた経験上、私はわかっています。
すると息子は、「悲しくない」と答えました。はっきりとした意思を持って前者のフレーズを選んだのです。
息子は何かと自閉症を理解できない父からよく怒鳴られていたので、それは正直な気持ちだったのかもしれません。いつまでも裏表のない子どもなのです。
でも、いつも通っているプールでコーチから「お祖父様、亡くなったんだね」とお悔やみを言われたときには、「大変なことが起こった」と答えていたらしいです。彼にとっての「祖父の死」というのは、そんな感じ方だったのです。
私たちから見たらそっけない態度ですが、心の中ではきっと色んなことを感じていたのだろうと思います。
私の葬儀のとき、息子はどんな態度をするのでしょうか?順番的には私が先に死ぬのですから、いつかその時はやってきます。
その後、一体誰が息子を支え育ててくれるのだろうか。そんなことを思うと、とても暗い気持ちになってしまいます。
生きている間にこうして息子にできるだけ多くの体験をさせ、社会との関わりを増やしていく。母である私ができることは、それぐらいしかないのかもしれません。
出典 : https://goo.gl/PDPmHj