「障害者雇用で働く」決意。自分を知ることに終わりはないと気づいて
発達障害を自覚していなかった私が、障害者雇用で働くことを決意する
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私は幼少期に学習障害の診断を受けていましたが、その事実を自分が知ることはありませんでした。
大人になって就職すると、作業の指示をうまく理解できない、上司の指示を誤解してしまうなどさまざまな壁にぶつかり、自分に発達障害があることがわかりました。
しかし当時の私は医師の診断を受け入れず、「健常者」として生きることを選びました。
その後、仕事はうまくいかず、私は解雇されてしまいます。私は旅を通して自分自身を見つめなおし、ようやく「障害者」として生きる決意を固めたのです。
今回は、障害者雇用で働き始めた私が、過去を振り返りながら今思うことをお話したいと思います。
自分自身が障害を受け入れた決意を話すと、両親の反応は…
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私が両親に「障害者として生きる」という決意を伝えたとき、両親はやんわりと反対しました。
無理もない話だとは思います。
解雇されたとはいえ、今まで健常者だと思っていた自分の子どもが障害者になるのです。
あまり表面に出していませんでしたが、混乱や嫌だと思う気持ちは少なからずあったようです。
もちろん、障害特性を理解し、健常者枠で就職するという選択肢もありました。
しかし私の場合は「4年近く健常者として働いたが、どう頑張っても成果を出せなかった」という紛れもない事実がありました。この事実の前に、議論の余地はありませんでした。
また、発達障害についても改めて調べ直したところ、「単純作業が苦にならない」という、働く上で強みになる特性が私にもあることを知りました。
そこで「発達障害を個性として受け入れ、その個性を最大限活かして働く」という方針を決めました。
前職の仕事では作業中に細かな仕様変更が度々発生し混乱していたため、作業内容の変更が頻繁に起きないであろう事務職の仕事を希望する事にしました。
障害者雇用での再出発、しかし現実は厳しく…
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発達障害を受け入れて生きることを決めてからは、通院を再開し、ウイングル(2016年8月1日に「LITALICOワークス」に改名)の就労支援事業所や、あではで会という発達障害の当事者達が助け合う集まりへ通い、発達障害に対する理解を深めつつ再就職の活動に取り組み始めました。
私がウイングルを選んだのは、模擬就労という実際の職場に似せた環境で職業訓練を受けることが出来たためです。実際、習うより慣れる方が向いていた私は順調にスキルアップをしていきました。
私は訓練での評価も良かったので、4ヶ月もすれば就職先は決まるだろうと思っていました。
しかし実際には、面接どころか書類選考すら通過せず4ヶ月が過ぎてしまいました。
上手く行かないのはなぜだろうかと思っていたとき、新聞である記事を読みました。
その記事には大手転職斡旋会社へ寄せられる障害者求人の内、9割以上が身体に障害のある方を対象にしたものだということが書かれていました。
つまり多くの企業は、障害の種類を理由に私の雇用を断っている可能性があったのです。
とても残念で悲しいことでしたが、憤ってどうにかなるわけではないので、焦らずに就労訓練で自分を鍛えつつチャンスを待ちました。
その甲斐もあって、無事、一般企業の事務職へ再就職することが出来ました。
ちなみに現在では、身体障害者以外を対象にした求人も増えてきているそうです。
障害者雇用で働きはじめ、今は生き生きと暮らせている
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再就職してから約3年が経過した今、前職とは違って楽しみながら働いています。
入社当初は非正規雇用での採用でしたが、順調に成果を出して行き、やがて作業の1つを担当として任されました。
さらに作業担当になってから数ヶ月後、私の担当作業は重要な作業として注目されるようになりました。一般社員・役職者を問わず数十名の方を率いて、作業の人頭指揮を執るという経験もしました。
前職の頃では到底成し得なかったでしょう。
しかし、自分の発達障害を知り、受け入れた後は、その特性を最大限活かせるように準備を整えて挑みました。
その結果、十分な成果を出すことができました。
今では正社員に昇格し、メンバーに作業指示を出す立場になりました。
しかし、仕事上のコミュニケーションに関するトラブルは、前職のときほど問題にはならないものの、常に付きまとっています。
その際は外部の支援者を頼っています。
自身の障害を受け入れて約3年。いま、振り返って思うこと
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私が障害者雇用で安定して働くことができている理由としては、
●自分の障害特性を含めて自己分析を納得するまで行い、自分の強みを最大限発揮できる職種を選んだ
●入社時に、障害特性上配慮が必要なことと、得意なことを上司に伝えた
●出来ないと思ったことでも、「配慮や手助けがあれば自分で出来ないか」を考えた
ことが挙げられると思います。
特に、ただ「出来ない」とだけ伝えてしまうと印象が良くないため、代わりに強みになることや、出来るようになる方法を考え伝えるようにしていました。
ここで1つお断りしておきたいのは、”私の場合は”障害者枠で就職したほうが、良い結果が出せただけということです。
障害のある人全員が、障害者枠で入社するのが最善とは限らないと思います。
残念ながら障害者を受け入れる職場環境などが整っていない職場も依然として多くあります。そのため、障害を隠して就職するのも選択の1つなのかもしれません。
ただ、障害の特性のためにどうしても苦手になってしまう仕事や不利になる部分について、会社から理解を得られるとは限りません。
障害を隠すにしろ明かすにしろ、自身の障害特性を十分に把握して対策を考えておくことが必要でしょう。
また、就職してから職場に馴染めるまでは、障害者の就労移行支援を行っている事業者など、外部の支援者が必要だと思います。少なくとも会社と重要な交渉をするとき、1人ではどうしても不利になるということを覚えておいて下さい。
「発達障害」という障害の困難さ。だからこそ、「自分を知る」努力を続けたい
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一般的に「障害」というと、ハンデとなる部分が目に見えたり、症状をある程度明確に言葉で表現出来るものが多いと思います。
しかし、発達障害はパッと見で分かることは無く、症状も多種多様な組合せがあり、診断名と明確に紐付けることはできません。
私はこのことが、「発達障害」という障害の最大のハンデだと思っています。
例えば、私の場合「できない」と思っていたことでも、条件がそろえば出来ることもあれば、その逆もあります。
それを見た上司は、私に何ができて何ができないのか、その判断を誤解してしまうことがあるのです。
いったん納得出来るまで自己分析を行った私ですが、自分を知ることに終わりは無いと感じています。
何故なら生活環境や人間関係が変化することで、今までは無かった問題が表れるためです。
また、自分を知ることで事前に周囲とのトラブルを避けられるだけでなく、自分の強みが見つかることもあります。
後から来る人たちを思うことで、先へと進んでいける
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近年ようやく発達障害は世間に認知されつつありますが、私達が歩む道は未だに困難なものです。
例えば2016年7月26日に発生した相模原の殺傷事件。この事件に対する一部の人々の反応から「障害への偏見」という氷山の一角を改めて感じました。
ですが研究者やLITALICOを始めとした民間の支援者、そして発達障害の当事者、先を行く皆さんは道を少しずつ踏み固めて整備し、後から来る者の手助けをしてくれています。
正直、私は書くことが大の苦手です。しかし、私が伝えることで少しでも誰かの助けになり、少しずつ社会が良い方向へ変わっていく事を願って、今後も書き続けて行きたいと思います。障害特性とも相まって遅筆な私ですが、これからもまた困難を乗り越えたらここで発信したいと思います。
これで今回のお話は終わりです。
最後までお付き合い下さりありがとうございます。みなさんの先行きが明るいことを願っております。