夫婦喧嘩を見て泣きわめく5歳の娘…それでも私は離婚を決意した
徐々におかしくなっていった夫婦関係
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=11044032917
我が家は母子家庭です。離婚したのは、娘が保育所へ通っているとき。
離婚に至るまでの期間は多感な娘にとっても、とても辛い時間でした。
私たち夫婦は娘が生まれた頃から、徐々に価値観の相違が大きくなり、家庭内は険悪な雰囲気になっていきました。
そして、「娘が私たちを見て、これが家庭というもの、と思われるくらいなら」と、本気で離婚を考えるようになりました。その後、娘が4歳のときに、1度目の別居に踏み切りました。
幼い娘は、別居を始める前から、敏感に家庭の雰囲気を感じ取っていたようです。
「パパにはもう会えないの?」
「私なら優しい男と結婚したい。
女の子と結婚したい。」
と言い、家では私にべったり。保育所でも先生に甘えて泣くことが増えていきました。
保育所には随分前から家庭不和のことで先生に相談していましたので、別居のことも報告しておきました。
すると、先生からこんな報告を受けたのです。
「別居された時期から、私たちにくっついて娘さんはお友達と遊べなくなってきました。
給食もあまり食べません。娘さんは神経が細く今にも倒れそうな状態です。
もう限界だと思うので、平日にあえて娘さんのために休みをとってあげて下さい。」
実家では気丈にふるまっていた娘が、まさかそんな状態だったとは気付けず、そのときは先生たちの細やかな見守りに心から感謝しました。
別居をやめて家に戻るも、努力はむなしく…。すると、娘のストレスは限界へ
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10568002079
子どものことを思い、1度は自宅に戻りこれまで通りに暮らしてはみたものの、やはり夫婦関係は修復できませんでした。
娘は体調を壊したり、おねしょをするようになったりと、心も体も辛そうでした。そして娘が5歳の夏、私は「もう戻らない」という覚悟で娘と共に実家に帰ったのでした。そのときは
「パパとママは仲が悪くなってしまって、もう一緒に暮らせなくなったの。でもそれはパパとママが悪い。あなたは何も悪くない。」
とハッキリと伝えました。娘は、パパとママと3人で暮らしたい、と泣いていました。