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誰しも、24時間365日「子どもの障害に理解のある、穏やかな母親」ではいられない

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息子はアスペルガー症候群

誰しも、24時間365日「子どもの障害に理解のある、穏やかな母親」ではいられない

Upload By ニャンタ

小5の息子は、アスペルガー症候群。

知的な遅れを伴わないアスペルガー症候群の中でも、軽度のほうだと言われている。

でも、そう表現される度に傷付く私がいる。
私の心にもたれかかっているこの負担は、本当に「軽度」なのだろうか?と。

息子と年長の娘を寝かしつけるときに、本の読み聞かせをする。
毎日のことなのに、私が絵本を読み始めると、きまって2人の言い合いが始まる。
原因はいつも「ベットのフチに手を置く」「置くな」という些細なこと。

息子の声が荒く大きくなると、娘は黙る。
息子の大きな声が怖いから。
「妹が怖がっているよ」と何度伝えても息子は分かってくれず、黙っている妹を責め立て始めるのだ。

こんな時、私はいつも思う。

「そんなに大騒ぎをして、怒るような事だろうか?」

でも、専門家はこう言うのだ。

「それはね、お母さんの主観だよ。息子さんにとってこの出来事は、怒るべきことなんだよ。」

この説明は耳にタコができるくらい聞いてきたし、そうなのだろうと頭では十分に理解している。

でも、それでも、大声で相手をなじるような態度を許していいのかというと、違うのではないか。

一度スイッチがはいると、息子の暴言は止まらない

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とりあえず、多少なりとも娘にも落ち度はあったので、そのことを話し、どちらもベッドに手を置くのをやめさせる。


娘はすぐに置いていた手をどけて、読み聞かせの続きを待つ。

息子は「なんで僕だけやめさせられなくてはならないのか!」と大声でキレはじめる。

私は怒ってしまいそうな気持ちを抑えてこう言う。

「2人ともやめさせたでしょう。

置きたかった事が叶わなくて嫌だ、という気持ちになるのはわかるけど、大声で相手を責め立てる態度はよくないよ。」

それでも1度怒りだした息子の激情が止まることはなく、妹と私への不満を垂れ流すように、わめき続ける。

息子のわめきは、ペアレントトレーニングによるところの「好ましくない態度」だ。講座で教わった通り、伝えるべきことだけ伝え、あとはスルーする。

これが正しい対処だと頭ではわかっている。
わかっているが、スルーしてもわめき声は私の耳に聞こえてくるし、言葉は次々伝わってくるのだ。

そんな日々に心は傷つく。
恐らく娘も同じように感じているのだろう。

疲れて、疲れ果てて、それでも願うことはただ1つ

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息子が荒れるのはこの日だけではない。こんな時、私は本当に疲れる。心の底から、息子のことががわからなくなる。

どうしたら、あなたの心に私の声が届きますか?

私はあなたが責め立てる程に、あなたの言葉を受け止めていないのですか?

心の底に重石を置かれたような、泥の中を腰まで浸かって歩いているような感覚。

そんな心の中で願うことはただ1つ。


どうすれば、あなたと一緒に心地よくいられますか?

わかっている。息子には家族の理解と支援が必要不可欠だということ

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息子との穏やかな日々。それは簡単には叶わないことだとわかっている。

息子には家族の支援が必要で、私が1人で抱え込まなくても済むよう、療育が必要だということも。

それでも成長は緩やかで、進んでいるのか後退しているのかわからないような日々。

支援者から言われるのは

「以前に比べてできることは増えているでしょう?」
「他の子と比べないであげてください」

という言葉。

そんなこと、もちろんわかっている。わかっている。

ただ、あまりにも息子と心を通わせる事が少なくて、途方にくれてしまうのだ。


兄妹2人とも、大切に思う気持ちは同じなのに。

24時間365日「障害に理解のある、穏やかで良い母親」は演じられないと思う

誰しも、24時間365日「子どもの障害に理解のある、穏やかな母親」ではいられない

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知的な遅れや、言葉の成長に遅れがないからといって、息子がいつも自分の気持ちを「伝えられる」とは限らない。

出てくる言葉が多少高度であっても、的確に自分の気持ちを表現している訳ではないのだ。そんな複雑な脳の仕組みをもつ息子。それを支援する家族。

この家族の負担へ目を向けてくれる人は、一体どのくらいいるのだろうか?

このコラムで、1人でも多くの方に頷いてもらえたり、孤独感を和らげてもらえたら。

日常に散らばる苛立ちや孤独を「辛いと」言っていい、そう感じてもらえる一助になれたら、私の日常も捨てたものではないかもしれない。

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