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「困りごとの解決」だけが、発達障害者への支援とは限らない―アスペルガー当事者の高校教師が伝えたい思い

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アスペルガーだと公表してから、「困っていること」ばかり聞かれるようになった

「困りごとの解決」だけが、発達障害者への支援とは限らない―アスペルガー当事者の高校教師が伝えたい思い

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みなさんこんにちは、高校教師のゴトウサンパチです。36歳でアスペルガー症候群と診断を受けてから10年が経ちました。

社会全体としても、発達障害に対する認知や関心が高まり、その間、ボクも著書を出したり、発達障害関連の学会での発表をやらせていただいたり、講演依頼もいただくようになりました。

そうした場でお願いされることのほとんどは、発達障害への支援を充実させるために、ボクが何に困っているのかを話してほしい、というものでした。

ボクが当事者の1人として話すことで、発達障害への研究や支援が進み、それでたくさんの方が救えるならありがたいことだと思い、ボクは一生懸命お話してきました。他にも大勢いる発達障害当事者たちの代弁者のつもりで、自分が何に困っているのかを発信してきたのです。

でも、話しているうちに、何かが違うのではないかという感覚になってきました。当事者の代弁者になんてなれるのか。
ボクの困り感をみんなに伝えることが、いったい何になるのか。今日は、そんな逡巡から始まった、ボク自身の内面の変化についてお話します。

どれだけ話しても、自分の感覚を他人と分かち合うことはできない

「困りごとの解決」だけが、発達障害者への支援とは限らない―アスペルガー当事者の高校教師が伝えたい思い

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多くの人からの相談に答え、講演などで話し続けるなか、ある時ボクは気づいてしまったんです。ボクには、「発達障害当事者」の代弁や代表なんてできないということに。

そんな風に思ったのは、どれだけ話しても、当事者の代弁はおろか、ボク自身の気持ちを理解してもらえることは決して来ないのだということを知ったからです。

ボクの感覚は、ボクだけの感覚なのでいくら説明しようと試みても伝わりませんでした。ボクが絵を描いて説明しても、こうして文章を書いても、それを見る人読む人のその時の感覚や知識に任せざるを得ないのです。つまり、全く同じ気持ちを、2人の異なる人間が分かち合うことはできないのです。


それを言っちゃあおしまいよ、支援者の方々はそう思われるかもしれませんが、どうしようない事実です。

他の多くのみんなの感覚と、自分の感覚は決して同じではないこと。当事者の方には一刻も早く気づいてほしい。

でもボクはこのことをネガティブには捉えていません。決して絶望なのではなく、むしろスタートラインだと思っています。

自分と他人は違うのだということを受け容れて初めて、ボクはボク自身の幸せを追求できるようになるからです。

他人と比較すればするほど、「困り感」は増幅していく

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アスペルガーだと公表してから、周りからいただく質問は「何に困っているか」という話題がほとんどだとお話しました。でも、そもそもボクたちが抱く「困り感」とは、いったいどこから生まれるのでしょう?

思うにボクらは、自分と何かを比較することで、差を見つけ、そこからやり場のない困り感を生み出している気がします。


わかり合えるはずなのに戦ってみたり、できないことをしようとしてみたり、必要以上に不安に感じたり。できることだけをすればいいのに周囲と合わせなくちゃいけないからとか、仕事だからとか、成績だとか、これができなきゃ将来困るからだとか…そんな風にして周囲と比べ、差を埋める努力を重ねれば重ねるほど、良くも悪くも自分らしさを認めることが減っていく。

ボクはそんな自分に疲れたんです。何をやっても上手くいかない日々、悲しくて泣いた日々を思い出すことさえ嫌なんです。実は未来に期待することも嫌です。それより今、幸せでいたい。自分らしく生きていたい。ボクの内側からそんな声が溢れていることに気づきました。


そこからボクは、考え方を少し変えてみることにしました。

困った時は、困っていることに注目するのではなく、
「世界に自分1人であれば、こんなに困ることはないはず」
「いつだって1人ぼっちになってもいいように、自分にできることを追求してみよう」
そうやって考えることにしたのです。別に何かを始めることではなく、そんな風に意識を変えただけです。驚くことにそれだけで、徐々に葛藤が減り、トラブルが減り、心が穏やかになり、格段に楽しい日々を送れるようになりました。なぜか以前より友達も増えたんですよ。

それからは、“他人”との差ではなく、“ボク自身”の内面の変化に気付けるようになりました。自分を観察し昨日とは違う自分を発見するのは楽しいことです。いろいろな実験をしてみることも楽しいです。


例えば、散歩したり、食事の内容を変えたり、そんな些細なことで、今日という日は昨日とは違う展開を見せるのです。それは、社会でも、周囲でもなくボクが変化しているからに他なりません。

「困っている人の支援」という発想から抜け出そう

「困りごとの解決」だけが、発達障害者への支援とは限らない―アスペルガー当事者の高校教師が伝えたい思い

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ボクに質問や相談をしてくれる人のなかには、発達障害のある人の支援をしたい、という人も多くいます。

彼らと話していると、実は「支援したい人も困っている」のだということに気づきました。

「困っている人を支援したいけど、どうしたら良いかわからない。彼らが何を感じているか分からない」

そのことが彼ら支援者自身の「困り感」を招いていることがしばしばあります。

ボクはそういう人たちにも、まずは自分の幸せを第一に考えてほしい、と伝えたい。

困っていることを解消するというのは、お互いの間にある「差を埋めようとする」ことです。
そもそもそんな期待を持つことを、やめてしまってはいかがでしょうか。

あなたにできることだけをしてあげる。それしかありませんし、できないことを前もってハッキリ伝えてあげる方がいいと思います。

抱えきれないことを引き受けると、支援者であるあなた自身の困り感が増えてしまいますし、困り感を抱えたもの同士のやり取りはお互いがより困るだけです。

できないことをできないと言うと、その時はたしかにギクシャクしますが、大丈夫、正直な行動は時間がしっかり解決してくれます。ですから、あなたは自分の幸せを第一に考えてください。

ボクは、他人に合わせることをやめ、自分の幸せを第一に考えるようになってから、不思議と相手の変化にも敏感に気付くようになりました。もしかすると、お互いの変化を認め合い、伝えることが本当の支援なのかもしれません。


きっと、ボクもあなたも、お互いが正直に向き合うことで、すでに支援し、支援されているんですよ。

さて、今回言いたかったことは言えました。最後まで読んでくださってありがとうございます。

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