障害児は、手に届きそうな「普通」にまでも遠慮するべきなのだろうか
もうすぐ運動会シーズン。ふとリレーの順番表が目に留まり…
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運動会を間近に控えた、長男の保育園での出来事です。
いつもより早くお迎えに行った日、誰もいない教室をふと覗くと、そこにはリレーやかけっこの順番表が貼り出されていました。
その順番表を見て思わず嬉しくて、涙が溢れました。
順番表に長男の名前が「あった」からです。
これまで受けたことのない対応につい感動
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私は順番表に名前があったことが嬉しくて、保育園の先生に伝えました。
私「長男もリレーに出られるんですねー!嬉しいです。」
先生「あたりまえじゃないですか。みんなで参加する行事ですから。」
私「実は、去年通っていた幼稚園では、出ないで欲しいと言われたんですよ。だから嬉しくて正直驚いています。」
これまで、園の先生とここまで話せたことはありませんでした。
その後も先生は、長男のために「環境に慣れるためにも積極的に運動会の練習に参加してください」と言ってくれました。
私はこうした園の対応がとても嬉しく、感動していました。
もう終わったことと思っていた、以前の幼稚園での出来事
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以前、コラムにも書いたことがありますが、発達障害のある長男は以前通っていた幼稚園で「かけっこに出ないでください」と言われたことがあります。
それでも私の意地で出場させた結果、長男の尊厳を傷つける結果になったのでした。
結局その幼稚園はやめてしまったのです。現在長男は、別の保育園に通っています。
あのときの出来事は「絶対におかしいことだ」とは未だに思いますが、それでも私なりには「仕方がなかった」と消化したつもりでいました。
しかし、名前のある順番表を見て涙するなんて、心の中ではずっと消化されないままだったようです。
運動会が近付くにつれ、
「かけっこはゴールできないだろうから出してもらえないかもしれない」
「リレーに出ると迷惑がかかるから、出してもらえないかもしれない」
そんな気持ちがあったからこそ、順番表を見るときには息苦しくなるほどに緊張をしましたし、名前があったことに感動し、感謝し、涙が溢れたのだと思います。
障害児をもつ私たち親が、気付かずに受け入れている悲しい現実
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本来ならば「クラスに在籍しているのだから出場して当たり前」な運動会。
しかし私は、これまで何度も園から断られ、「息子の障害のせいでイベントに参加できない」ことに、すっかり慣れてしまっていたことに気付きました。
例えば、健常のお子さんが「足が遅いので、リレーには出ないでください」と言われたらどうでしょう。きっと学校や地域を巻き込んだ大問題になるのではないでしょうか。
しかし、障害のある子どもやその保護者は、「周りのために遠慮する」ということを当然のように強いられ、私たち親も無意識のうちにそれを受け入れ、生活していることが多いように思います。
これは果たして社会の望ましい姿なのでしょうか?
障害者という理由で、奪われて当然なものなんてあるのだろうか?
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園に断られたイベントは、他にこんなものがありました。
入園式
お誕生日会
かけっこ
園外学習…
これらは全て、子どもの発達障害が理由で参加できなかった数々です。
思い返せばもっともっと浮かんでくるでしょう。
そして、きっとこれから就学すれば、もっともっと分け隔てられて、手の届きそうな「普通」さえも、我慢しなくてはならないのかと思うと、とても切ない気持ちでいっぱいです。
子どもがいつか大きくなったとき、「皆が当たり前に過ごしてきたことを、自分は経験してこなかった」と、辛い思いをしないかどうか、私は気がかりなのです。
解決方法は1つだけじゃないはず。全ては参加できなくても、「工夫」できる社会に
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発達障害のある子どもたちも、それぞれの速度でそれぞれの形で成長していきます。彼らもいつか大人になるのです。
過去を振り返ったときに、さまざまな園や学校のイベントを、「障害」を理由に勝手に奪われていたとしたら、どんな気持ちになるのでしょうか。
たくさんの選択肢の中から、何を選べば正解、というものは無いのかもしれません。
ただ、周りが少し工夫すれば経験できたことも、きっとあると思うのです。
さまざまな可能性を前にして、「ただ取り上げる」だけで解決することは、もうやめにして欲しい。
親として、心から訴えたいと思うのです。