友達ってどうやって作ればいいの?アスペルガーな私の学生時代
「どうしたら一緒に遊べるの?」わからなくて独りぼっちだった幼児期
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私と娘は親子揃ってアスペルガー症候群です。娘の診断をきっかけに、私も42歳で診断を受けました。今回は、私の学生時代を振り返りながら、その特性ゆえに友達作りで苦労したお話をご紹介します。
私の母に言わせると、私は昔から友達ができない子どもだったそうです。幼稚園は1年しか行きませんでしたが、入園したとたんにつまづいてしまいました。
いつの間にかクラスの子たちは打ち解けて自然に遊んでいるのですが、どうしたらああなれるのかもわからず、「一緒に遊ぼう」の一言が言えなくて、1人で遊ぶことが多かったのを覚えています。というか、仲良く友達と遊んだ記憶がないんですよね。
先生は厳しい人で、松ぼっくりを蹴って遊んでいたら「松ぼっくりさんがかわいそうでしょ!」と怒られたことを覚えています。
どうして松ぼっくりがかわいそうなのかいまだにわかりません…。
幼稚園が楽しいとは、1度も思ったことはありませんでした。
自分の言いたいことが言えない…!キレると拳で反撃していた小学生女子
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小学校に入ってすぐに、印象的な出来事がありました。
女子数人に次々に悪口を言われたのですが、悔しくて言い返そうとしても頭が真っ白になって何も思いつかないのです。
悔しさのあまり、思わずその子たちを突き飛ばすと、帰りの会で「先生、ヨーコちゃんが○○ちゃんを突き飛ばしました」と言われました。
先生は真相を確かめずに「ヨーコちゃんは謝って下さい」と言いました。私は悪口で何倍も心にパンチを受けたのに…。このときの「ごめんなさい」で、「女の子なんて大嫌い!!」「もう女の子とは関わらない!」と私の心は決まりました。
それからはできるだけ男の子を相手に遊んでいたのですが、男子からもからかわれたりすることが多く、言葉で言い返せない私は暴力を振るうようになりました。気が付けば弟子入り志望の下級生が出てくるほどのケンカ常習犯に。
友達が殴られたときも、問答無用でその男の子を投げ飛ばし、先生に追いかけられてトイレに逃げ込んだことを覚えています。
でも、いつもそういうことばかりしていたわけではありません。一応女の子のグループにも入っていました。でも、仲間外れや分裂を繰り返し、自分たちだけにしかわからない言葉でしゃべったり…女の子同士の独特の付き合い方には、嫌悪感しか感じられなかったです。
だから小学生時代もいい思い出はほとんどなく、卒業できてホッとしたのを覚えています。
部活に没頭した中学校時代。他者との価値観の違いにはドライに対応
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中学では剣道部に入り、すっかり武道の面白さに目覚めた私。
なぜかと言えば、型から入り型で終わる武道は、アスペルガーである私の特性にとても合っていたのです。
仲間と協力し合わなくても完結するのが、心地良かったですね。
一緒に部活に入った子たちとも、最初は仲良くなって中学生らしく長電話を楽しんだりしていたのですが、部活に対する熱意の違いでいつの間にかぎこちなくなり、ライバル関係になってしまいました。
昔から、人間関係が辛くなってきたらバッサリと切ってしまうか、自分から去っていくかのどちらかの方法ばかり選んできました。我慢してまで守りたい人間関係ではなかったし、修復する方法もわからなかったのです。
友達は一応いたけれど、失って立ち直れなくなるほど執着を持ったことはありませんでした。
キレやすさは相変わらず。でも、ルールに縛られずに過ごせた高校時代
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高校は自由な校風で私服通学でした。同じ中学から進学した子はほとんどおらず、地元の狭い世界から解き放たれ、やっと一息ついたという感じでした。
高校ではテニス部に入り「普通の子らしく」頑張っていましたが、先輩からの理不尽な嫌がらせにキレて、1年の夏休み明けには退部してしまいまいました。頭にきても手を出すことは中学でやめたのですが、カチンと来たときに言葉で相手に気持ちを伝えることは、いまだに苦手です。
「なんでやねん!」と毎回思いますし、悔しい気持ちもあります。こうなると、行動に出るまでです。
「黙って我慢する」「服従する」という言葉は私の辞書にはありません。大人になってもその傾向は変わらず、理不尽だと思ったら怒ってやめる、ということを繰り返してました。
だんだん少しは「我慢する」ようになりましたが、それでも私の我慢の許容量は人よりはるかに小さいのです。
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高校2年生から、学校の中にいるのが嫌になってしょっちゅう抜け出すようになりました。
居場所は近所の喫茶店や、大きな公園、パチンコ屋。
同級生と話すより、喫茶店のママやマスター、公園にいる路上生活の人と話したり、パチンコ屋の閉じられた世界に身を置く方が楽しかったのです。
高校は3年間同じクラスで担任も一緒でした。担任の先生は途中から登校していつの間にかいなくなる私を気にかけ、親と話したり、私と話す時間を取ってくれました。
「お母さんがしっかりしているからこの子は大丈夫」と親に言ってくれ、私が下手な嘘をついても、何もかも見抜いていながら泳がせてくれた先生には本当に感謝しています。
もし当時、世間体やルール重視の指導をされていたら、私はきっと高校を中退していたことでしょう。
大学生になり、始めて知った「人と付き合う楽しさ」
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地元を離れ、他府県の大学に入った私。
最初は友だちもできず寂しくて「別の大学に入り直そうか」と思ったくらいでしたが、軽音楽部に入ってから毎日が楽しくなりました。
部活では、個性的な仲間と無理することなく打ち解けることができましたし、そこで初めて「しゃべり方が怖い」など、私の欠点を真っすぐに指摘してくれる人にも出会うことができました。下宿先では、夜通し友達とまじめな話をしたり遊びに行ったりと、「学生らしい」生活を堪能して、初めて人といることの楽しさを味わうことができたように思います。
ありのままでいられる人間関係だってある。不登校の娘にも知ってほしいこと
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きっと、大学くらいになると友達付き合いが成熟してくること、友達も大人になって「ちょっと変わった子」の私と向き合う余裕ができたからなのでしょう。
だからもし叶うことなら、娘にも大学に行って、友達とバカなことをしたり羽目を外す楽しさを味わってほしいなぁと願っているのです。
大学時代の、成熟していながらも何事にも縛られない付合いって、この時期にしか味わえないものだと思うから。
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