保育園の「終わり」に直面した発達障害の息子。母が感じたことは…
保育園が「終わる」ことをどう伝えればいい?
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発達障害の長男は、自閉症スペクトラム・ADHD、知的障害のハイブリッド。そんな長男が保育園年長さんだったころ、朝になると「今日は保育園おやすみ?」と私に聞くのが日課でした。
私「今日は保育園行く日だよ」
長男「ええ〜〜、じゃあ、明日はおやすみ?」
私「お休みは、明日の明日の明日だね」
そんな会話を毎日交わし、それでも行ってしまえば楽しく帰ってくる長男。集団生活は本人にとって負担ではあったかと思いますが、暖かい先生方やお友達に囲まれて穏やかな日々を過ごしていました。
そんな園生活もあとわずかとなった3月、私は「保育園がもう終わること」「小学校が始まること」をいつ伝えれば良いかと、タイミングを見計らっていました。
というのも、自閉症の子どもには「終わり」「区切り」をはっきりさせた方がいいということをよく聞いていたからです。確かに長男にも当てはまることがあり、「終わり」をはっきりさせることで安心する様子は日々の生活の中でよく見られます。
年長の3月というこの時期には、療育の事業所であったり、行政の発達センターであったり、「終わり」になる場所がいくつかあります。
それぞれの場所の先生たちも、
「修了証などで目で見てわかるようにしましょうか」
「きちんとさようならをした方がいいですよね」
などど声をかけてくださり、長男がどう「終わり」を実感すれば次のステージへスムーズに移行できるかを親身に考えてくださいました。
しかし、それで本当に長男がすっきりと終わりを認められるのか。最善の方法はなんなのか。そんなことを考える日々でした。
そんな時に直面した、大好きなドラマの「終わり」
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いかにして「終わる」か…そんなことを考えていたある日のことです。長男が毎週楽しみにしていたドラマ「スーパーサラリーマン左江内氏」が最終回を迎えることとなりました。録画したハードディスクが火を噴きそうなほど繰り返して見ては、主役の「左江内氏」を真似て、伊達眼鏡をかけて家中を飛び回っていた長男。録画しているとはいえリアルタイムで見るために、早い時間からお風呂も済ませて毎週の放送を心待ちにしていました。
http://www.ntv.co.jp/saenai/
スーパーサラリーマン左江内氏
しかし最終回放送の日は違ったのです。
「終」の漢字がわかる長男は、その日でドラマが終わってしまうことに気づいたようです。最終回の日はわざわざリビングのテレビを別のチャンネルに変えて、テレビのない寝室にこもってしまいました。
そしてその日録画した「最終回」を長男はまだ一度も見ようとしません。
そんな彼の様子を見て、長男も長男なりに「終わる」ということの寂しさや辛さを抱えているんだなと気づきました。
わかりやすく「はい、おしまいです。」「次はこれです。」と、明示して安心させてあげることも大切ですが、「終わりたくない」「認められない」という気持ちもとっても大切な感情なはず。
このことに気付いた私は、「終わり」をゆっくり自分で消化することも彼の成長なのだから、「終わりを明示する」ことだけが最善だと思うのはやめることにしました。
卒園式の日、長男から思いがけない言葉が
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そして3月半ば、保育園の卒園式当日がやってきました。
私たち両親のスーツ姿を見て、長男は何かを感じたようです。いままで毎日「保育園おやすみ?」と聞いていた長男は
「保育園、終わりじゃない?」
と心配そうに聞いてきました。
自閉症の子どもは『別れが辛いのではなく単に毎日のルーティーンが変わることが恐怖なのだ』と、さも感情が無いかのように表現されることもあります。でもこの時私は、長男の、保育園との別れを予感して込み上げる「寂しさ」を確かに感じました。それと同時に、「左江内氏ロス」のこともあって彼に「終わり」を突き付ける気持ちにはなれませんでした。「今日は卒園式だけど、3月の終わりまでは保育園には行けるよ。」
ぼんやりとした答えを伝えて、卒園式を終えました。
ほどなくして迎えた保育園最後の日。
最後の降園時にはたくさんの先生方が見送ってくださろうとしたのですが、そこでも何かを察した長男は
「やめろ!!終わりじゃねえよ!!!」
と玄関から猛ダッシュで走り去り、そのまま保育園生活に幕を閉じました。
曖昧だっていい。大切なのは本人の「心地よさ」
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しっかりと「終わり」「区切り」を付けなかったけれど、また保育園に行きたいと言うのではないだろうか。4月からは小学校に通うということが受け入れられるのだろうか。
そんな心配を抱きながら迎えた4月。小学校に入学した長男は思いの外すんなりと小学校に登校しはじめ、学校では会う人会う人に名前を聞き歩き、給食をモリモリ食べてやんちゃを働いているようです。
振り返ってみると、これが彼なりの「終わり方」「始まり方」だったのかもしれません。もしかしたら心の中ではまだ「保育園」も「左江内氏」も終わっていないのかもしれないけれど、彼のペースでいつか消化できるだろうし、なんなら保育園へはまた顔を出しに行ったっていい。完全な終わりや線引きが無い、あいまいなままでいられる心地よさを求めたっていいのです。
「ちゃんと終わってあげる」「区切りをつけてあげる」それだけが最善とは限らない。
しっかりと子どもの心の動きを感じ取って、教科書通りではない子育てをしなければなとまた気付かされました。