「友だちと一緒なのにひとりぼっち」アスペルガーの娘が抱える孤独の正体と、親の私が願うこと
「友達と一緒にいても、ポツンと一人でいるような気がしてた」
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アスペルガー症候群と診断されている9歳の娘は、今は小学校に通っていません。ある日「もう学校へは行かない」と宣言してからはホームスクールで毎日を過ごしています。
学校へ通っていた頃の話は今でもよくするのですが、ある時こんなことを話してくれました。
「みんなで机を並べてお喋りしていても、私だけがいつもみんなから離れた場所にいるような気がしてた」
「私が話すことなんて、誰も聞いていないような気がして怖かった」
「友達と一緒にいても、ポツンと一人でいるような気がしてずっと孤独だった」
娘と同じような特性を持つ私にも、この気持ちはとてもよくわかります。
一般的に見れば、娘の学校生活は充実していたように思います。お友だちが多く、先生との関係も良好。通学路の見守り隊の方々にも可愛がられていて、今でも外出時に顔を合わせると「最近見かけなくて心配していたよ。元気だった?」と声をかけてもらったりしています。
他人と関われず、1人で過ごしていたわけではないのです。むしろ1人でいる時間の方が少なく、担任の先生から見れば「特に問題なし」と分類されるタイプだった娘。
しかし、そんな娘がなぜそこまで孤独感を感じていたのでしょうか。
同じ「アスペルガー症候群」でも女性と男性は違う!?
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一般的にアスペルガー症候群の特徴として挙げられるものは、男性のアスペルガー症候群の方にぴたりと当てはまるものが多いのだそうです。もちろん個人差はありますが、女性の方が社交性を身につける能力が高い傾向にあるため周囲に溶け込みやすく、こだわりの強さやコミュニケーションに関わる問題が露呈することが少ないためだといわれています。
では、ある程度の社会性を身につけた女性のアスペルガー症候群の方は何の困り感もなく過ごせるのかというと、それはまた別問題。原因不明の体調不良や、女性同士の他愛ないお喋り(いわゆる「ガールズトーク」)について行けず人間関係に悩んでしまうことが多いそうです。
娘が感じていた「孤独感」は、この「ガールズトークの苦手さ」から来ているのだと思います。
本を読むのが大好きな娘は、お友だちと登場人物やストーリーについてあれこれお話ししたいのですが、まず読んでいる本が違うのです。学校の女子の間で流行っているのは恋愛小説や友情物語。娘が好きな『十五少年漂流記』や『ぼくらの七日間戦争』、探偵ものや推理小説を読んでいるのは上級生の男の子ばかり。
娘もみんなに合わせて『一期一会』や『1%』を図書館で借りて目を通してみましたが、あまり興味を持つことができないようでした。なので、学校でその話題になると「おもしろいよね」「すごかったよね」と適当に相槌を打って過ごしていたようです。
また、みんなが夢中になっているアイドルは好きになることはできず、内心ではつまらないなと思っていても、にこにこ笑って一緒に盛り上がったふりをすることに疲れていたのだろうと思います。
上手にやってるように見えても、心の中は...
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お友だちに囲まれてお喋りをしている姿を見ると、保護者や先生方は「楽しく過ごせているな」と感じがちです。私も参観日にそんな娘の姿を遠くから見て「お友だちとうまくやっているんだな」と安心していました。
しかし、自分が本当に好きなことは話せず、興味の持てない話題にその場しのぎで対応をしている時間は、娘にとっては苦痛な時間だったのです。
そんな休み時間に疲れ果てたとき、娘はそっと校庭に出て、ジャングルジムの頂上から一人でプールを眺めていたそうです。誰もいないその場所で、安堵のため息をつきながら季節の移り変わりを感じている時が、唯一自分でいられる時間だったそうです。
娘が興味を持つものや、それについて一生懸命調べて得た知識を分かち合える相手は、今の段階では同じアスペルガー症候群のお友だちか大人しかいませんが、今はそれでいいと思っています。
同学年の集団の中で揉まれることももちろん大切だとは思いますが、自分を押し殺さず、興味のある分野で共感し合える相手がいる環境を見つけるのも、アスペルガー症候群を抱える子どもたちにとってはとても大切なことだと思います。娘の場合は、いろんな大人と知り合い、興味のある分野のお話しを聞いたり情報を共有したりすることが、“娘らしく生きる”ということに繋がっているのだと思います。
絶対的な安心感の中で育ってほしい。私の願い。
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さて、娘と同じような特性を持っていた私が子供だった頃は、学校に行くのが当たり前の時代でしたので、私は何の疑問も持たずに学校に通っていました。
しかし、自分を理解してくれる人は1人もいない孤独感と、自分が周囲の友だちと同じように感じられない焦燥感は常に付きまとい、私は自分を出来損ないの人間だと思って生きてきました。
友達はたくさんいましたし、運動部にも入っていましたので、集団生活になじめていないわけでもなかったのですが、自分を押し殺して他人に合わせて過ごすたびに「ここは自分の本当の居場所ではない」と感じていたのです。
そうして、“こんな自分を必要としてくれる人はいない”と思って生きていましたので、誰かに必要とされると、それが同性であっても異性であっても「ずっと必要とされたい」「失望されたくない」という思いから、相手の嫌な部分には目をつむり、“自分さえ我慢すれば必要としてもらえる”という歪んだ思考に陥って、精神的にボロボロになることも少なくありませんでした。
でも今は、子どもを産み育てる中で「この子たちから必要とされている」という絶対的な安心感を感じ、ようやくありのままの自分で生きられるようになりました。
できれば、自分の子どもたちにも、そして同じように発達障害を抱えるお子さまたちにも、「自分を絶対的に受け入れてくれている人がいる」という安心感の中で育ってもらいたい。そうすれば、いろいろな問題に直面しても自分を卑下せず、工夫しながら前に進む力を持つことができるのではないかと思うのです。
そんな風に願いながら、よく子どもたちに「ママのところに生まれて来てくれてありがとう」「ここにいてくれるだけで幸せだよ」「大好き」と声をかけます。「家族なんだからそんなことをわざわざ言わなくても伝わるでしょ?」と言われることもありますが、環境から学ぶことが苦手な子どもたちですから、なるべくたくさん伝えた方がいいのです。普段から言い慣れていないとちょっと恥ずかしいかも知れませんが、まずはメモ程度のメッセージからでもいいと思います。
お子さまたちに「君は大切な存在なんだよ」ということをご自身の言葉で伝えてみませんか。子どもたちが困りごとに立ち向かう大きなパワーに繋がるかも知れませんよ。