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問題なく見えれば支援はいらない?周囲の反対を押し切って通級を選択した我が家の理由

LITALICO発達ナビ

「発達障害児=問題児」は本当か?


「〇〇くんって、すぐ叩いたりするんだって。」「え~…、それって絶対、発達障害あるよね~」

周囲のママたちの会話の中に、こんな言葉がよく聞こえてきます。困った子の話になるや、「それって発達障害じゃないの?」という流れ。発達障害について認知が広まったことは歓迎ですが、「問題がある=発達障害児」という図式だけがことさらに強調されている傾向には、私は戸惑いを覚えます。

問題なく見えれば支援はいらない?周囲の反対を押し切って通級を選択した我が家の理由

Upload By 林真紀

かく言ううちの息子は発達障害と診断されて4年が経ちますが、幼稚園でも小学校でも「問題児」として扱われたことは、ほとんどありません。

息子は、気持ちの切り替えがしづらいという特性があり、ちょっと先生に叱られただけでもパニックになり、そのときの気持ちを何年も忘れずにいます。そんな自分の特性を知っている息子は、「人に叱られる」ことを極度に怖がります。融通も利かず、「先生がダメだと言った」ということを死に物狂いで避けようとします。

例えば、息子の小学校では毎日音読が宿題に出ますが、体調が悪かったりする日は音読が出来ない日もあります。
そんな日の翌日、息子はパニックになりながら、「お母さん、音読は毎日やらなくちゃいけないのに、昨日は熱があったからできなかった。どうしたらいい?先生に叱られちゃう。どうしたらいい?」と慌てふためいて助けを求めてきます。

「今日2回読めば、昨日の分もチェック表に書いておいてあげるよ(注: 本当はいけないのですが)」と私が提案すると、「それは先生に叱られる」「それはズルだ」「先生はダメだと言った!」と言って、頑として聞きません。

「じゃあ、体調悪かったから音読はできませんでしたって連絡帳に書いておこうね」というと、「音読は毎日の宿題だから、毎日やらなかったら叱られる!!」と言ってパニックになるのです。

この不毛な押し問答が延々続くのです。そして、私が途中で爆発してしまうことになります……

こんな感じで、先生に叱られることは何が何でも避けようとし、先生の言ったことは忠実に守る息子ですから、これまで「問題児」として扱われたことはありません。それはそれで親の立場からすれば楽かもしれませんが、でも、それで本当に良いのでしょうか?

確かに「問題は起こさない」…けど

問題なく見えれば支援はいらない?周囲の反対を押し切って通級を選択した我が家の理由

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学校側は、どうしても他害があったり、授業中の立ち歩きがあったりする子どもに対して、神経質になりがちです。
人に叱られることを極度に怖がる息子は、他害も授業中の立ち歩きもありません。

注意欠陥の傾向があるため、先生の指示を聞き洩らすことはよくありますが、一度「これはやらなければならない」と言われたら、何がなんでもそれを守り通そうとします。

幼稚園でも小学校でも、「息子くんは他害も立ち歩きもないですし、パニックを起こすこともありません。本当に全然大丈夫ですよ。」と、先生方にサラッと言われてしまうことが多かったです。確かに、学校側からすれば「問題のない子」なのでしょう。けれども、当の息子は「(全く)問題がない」ことにこだわり過ぎて、心身共にクタクタなのです。

「頑張り」が生きづらさを隠してしまうとき

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同様に、テストや発達検査などでも、息子は「やらなければならない」と決められたことに関しては、強迫的に自分を追い込む特性があります。また、点数に対するこだわりや、勝ち負けのこだわりも強く、分からない問題が一問あるだけでも「僕はダメな奴なんだ」とがっくりと落ち込んでしまうところがあります。


学校での勉強はもちろんそうですが、発達検査などで「やらなければならないことに関して強迫的に頑張るため、苦手な部分もそこそこのスコアが出せてしまう」というようなところがあります。結果的に、息子が日常で感じている困難は、スコアからは推し量れなくなってしまうのです。

周りの評価は関係ない。大切なのは、本人が困っているかどうか。

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人の何倍もの努力をすることで「苦手」を覆い隠してしまう、そんな生活がいつまでも続くわけがありません。息子は帰宅するとそのまま倒れてしまい、食事もとらずに眠ってしまうことがよくあります。

そんな息子の姿を見ていると、問題が表出していなくても、大きな困難を抱えている子どもが一定数いることを思わずにはいられません。つまり、学校生活において「問題のない子」だからそれで良いわけではなく、「問題のなさ」に覆い隠された本人の困り感を見過ごしてはいけないと思うのです。

思い返せば、幼稚園の頃も「問題のない子」だった息子は、就学で特別支援学級に通級することを周りに随分反対されました。

けれども今は、通常学級でガチガチになっている息子が、唯一気持ちが休まる場所は、特別支援学級のようです。
ですから、周囲から見て「問題がない」という評価に左右されず、特別支援学級への通級を選択したことは、今思えば正解だったと思っています。

外から見て問題があるかどうかを基準にしてしまうと、発達障害の子どもの困り感が置いてきぼりになってしまいます。他害がなくとも、立ち歩きがなくとも、いや、はたから見て何も「問題がない」としても、本人が困っているのであれば、それは本人にとっては大きな問題なのです。

息子に限らず、発達障害のある子どものことを考えるときにはその視点を忘れないようにしたいです。

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