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頑張ってもできない自分を受け入れるー40代で障害告知された私が、人生の再スタートに必要だったこと

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まさか相手の方が、世界標準だったなんて

頑張ってもできない自分を受け入れるー40代で障害告知された私が、人生の再スタートに必要だったこと

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42歳で発達障害と診断されたとき、最初は「ああ、今まで仕事がうまくいかなかったのは自分のせいじゃなかったんだ」とホッとしたことをよく覚えています。

ですが、まだ「もっと頑張れば大丈夫」と軽く考えていたんですよね。その後、2社で一般雇用で働き、2社目でカミングアウトせざる得ない事態に追い込まれます。

そして、「自分の能力はこの会社では通用しない」「カミングアウトしても自分の気持ちや個性が理解されない」という現実をつきつけられて退職することになり、すっかり自信を失ってしまいました。

子どものころから周囲に対して違和感を感じながらも、「どうしてわかってもらえないんだ、間違っているのは向こうの方だ」と信じ続けて自分を押し通し、「いつか自分が認められる場所を見つけてやる」と挑み続け『絶対にあきらめない』を信条としてきました。だけどこの一件で、自分は”発達障害があるマイノリティーな存在”で、相手の方が世界標準だったのだと腑に落ちたとき、心がポッキリと折れてしまったのです。

だけどそれが、私にとっての障害受容の本当の始まりでした。長く険しい道のりでしたが、その道を歩むことで、自分の中に芽生えたものがあったのです。


人生立ち往生状態の私が、救いを求めてやってみたこと

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ポッキリと折れた心をさすりながら障害福祉サービスを受け始めたものの、「私は支援を受けていい存在なんだろうか」と悩み葛藤する日々が始まります。このときの自分はまだ「自分の障害なんてそれほどのものではないのではないか」と低く見積もろうとしていたのです。

今から思うと、まだ自分の障害を受容できずあがいていたのだなぁという感じです。

そこで始めたのが、Twitterで発達障害があることを公言している人を片っ端からフォローして、そのつぶやきを読んでいくことでした。私と同じような立場の当事者たちの言葉に触れていると、ゆっくりとしみこむように仲間たちの苦しみ、悩みが伝わってきて「ああ、私もつらかったんだ」と改めて認められるようになっていったのです。

人の物語を読むことで、自分の心に問いかけることができる。
その物語を通して自分と対話し、理解を深めていくことができる。

そして、私自身も自分の気持ちを整理するためにブログに自分の気持ちを書き続けました。
そうすることによって、ゆっくりと自分の気持ちや今までの道のりを見つめることができました。これは今振り返っても、必要なプロセスであり、大きな効果を得られたと感じています。

ヘルパーさんとの関わりが「人との違い」を教えてくれた

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私の場合、Twitter・ブログと、自身を見つめる機会はインターネット上によるものが色濃くありましたが、それだけではあません。

料理と掃除を2人のヘルパーさんに手伝ってもらっているのですが、どちらも年齢が近くて友達のような感覚で接してくれ、最初は緊張していた私もだんだん心を許しておしゃべりを楽しめるようになりました。

発達障害のある私にとって、そのままの自分を出してもバカにしないで受け止めてくれる身近な存在が、このヘルパーさんでした。仕事のトラウマですっかり他人が怖くなっていたのですが、日によってテンションが極端に違っても、思うがままに自分のペースで話題を進めても嫌な顔一つしない2人に、次第と心を許せるようになっていったのです。

ソーシャルワーカーさんに聞いた話ですが「人とのかかわりを深めていくこと、おしゃべりをするということ」も、重要な支援となるのだそうです。障害のある人が孤独に陥らないようにしたり、社会とのつながりを途切れさせないためには、おしゃべりが大事なのだそうです。


そんなある日、ヘルパーさんに料理をしてもらっているときのことです。ヘルパーさんにレシピを見せると、ざっと1回読んだだけで料理をする姿にふと疑問を覚えました。

「どうして、1回見ただけでつくれるの?」
「だいたいこんな感じだなってわかったらできるものなの」
「えっ、料理を始めてすぐのころから?」
「違うよ、最初はまじめに読んで計ってつくるけど、慣れてきたらできるようになるの」
「私は料理を始めてから20年以上経った今も、レシピを何度も何度も読み返さないとつくれないよ?みんなが普通なの?」

驚いた私は、「普通の人がやる掃除ってどういうものか、見せてほしい」と頼みました。すると、丁寧ではあるものの、細部までこだわりすぎていないことがわかりました。動かせるものだけスッとよけて、さっときれいに掃除を終わらせてしまうのです。

「隅っこの座椅子は毎回よけたりしないの?」
「そんな大掃除みたいなこと毎回しないよ。たまにでいいのよ」

そんなふうに家事を通じて、他の人たちの能力や力の入れ方を知っていきました。それは「自分と人との違い」を知るということでもあったのです。
それをきっかけに、他にもたくさん「人との違い」があるんだろうなと初めて実感することができました。

40代になってはじめて「障害者」と診断されるまで、「自分と人が違っている」ということなんて思いもしなかったのです。私にとってこの発見は人生がひっくり返ってしまうような大発見だったのです。生きていくうえでの前提条件がガラリと変わってしまったのですから。

「人との違い」を知ると、自分のことが見積もれるようになってきた

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「自分と人との違い」を知ると、「あの仕事はここでつまづいたんだ」「この仕事は私の特性から考えれば適性がなかったんだ」という風に、できないところやつまづきどころが理解できるようになってきたのです。

また、家事にも仕事にも疲れ果てながら、なんとかやってきた自分を認めることにも繋がりました。

とはいえ、これは正直つらいことでした。「頑張ればできる」と思っていたのに、「できないんだ」ということがわかってしまったのですから。
「あきらめない」が信条の私が「あきらめる」ことを受け入れなければならないと知ったときの絶望感は、とても大きかったことをよく覚えています。

自身の状況をソーシャルワーカーさんに話すと、こんなことを言われました。「やっと現実検討能力がついたのね。」

現実検討能力というのは、自身の状態や能力を客観的に評価する能力のことです。例えば「私は有名大学を出ているし語学もできる。その気になれば大学で教鞭も取れる」といいながら、実際は何の仕事も続かないという人は、自分の中の認識と現実のかい離が大きく、現実検討能力が低いといえる、ということだそうです。

そういわれてみると、私はずっと自分の現実の能力を見ようとせずに「資格さえ取れば活躍できるはず」「もっと自分に合う仕事があるはず」と夢を見続けていました。

しかし発達障害と診断され、否応なく自分と向き合うことになります。これまでの考えや、自分の信条を覆され、心も折れてしまった自分。
でも、 だからこそ自分のことを見つめ直し、障害を受け入れ、自分の姿を客観的に見られるようになったことで「自分のことが見積もれるように」なってきたのでしょう。

正直を言えば「この年でやっと現実を知ってどうしろと?」という気持ちがないわけではありません。

でも、私にとっては、今がそのときだったのです。だからこの瞬間を大切にして、ゆっくりでいいからまたいつか歩き出したいと思っています。

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