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【発達障害 子育て】不登校で睡眠障害に!アスペルガー症候群の娘の育児、 いちばんツラかったこと

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アスペルガー症候群の娘、不登校がきっかけで小学3年生から睡眠障害に


アスペルガー症候群の娘は小学校2年生の2学期から欠席日数が目に見えて増えはじめ、3学期からは全く学校へ行けなくなってしまいました。それでも2年生の間は放課後登校もできたし、そこそこ元気に過ごしていたのですが、担任もクラスも変わった3年生の4月から夜眠れなくなってしまったのです。「布団に一緒に入って」「眠れない」と言っては泣く日々が続きました。

現状を打破しようと特別支援学校に転籍して訪問指導を受けたものの、担任の先生によって無理やり元の小学校に登校させられ続け、夏休み明けには完全に心も体も折れてしまいました。娘は完全不登校となり、それと同時に昼夜逆転生活になりました。

夜は寝ないでゲーム三昧、夜中にあれこれと食べたがる生活に「この子は将来どうなってしまうんだろうか」と真っ暗な気持ちになったのをよく覚えています。

昼夜逆転よりつらい!”昼夜回転”する睡眠障害になった娘

【発達障害 子育て】不登校で睡眠障害に!アスペルガー症候群の娘の育児、 いちばんツラかったこと

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次第に娘の睡眠リズムは、寝つく時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていくようになりました。これは、概日リズム睡眠障害のなかでも『非24時間睡眠覚醒症候群』といって、寝つく時刻と起きる時刻が毎日遅れていく病気の症状にぴったりあてはまります。
この病気にかかると、眠りにつく時間が毎日30分~1時間ずつ遅れていき、起きる時間も後ろにズレていきます。

当時の娘の睡眠リズム表を見ると約1ヶ月で生活リズムがぐるりと24時間一回転していることが分かります。最初はその法則がつかめなくて、「この子の睡眠リズムはどうなっているの?」と混乱したものでした。

親としてここがツラかった!娘の昼夜回転生活の日々


当時まだ9歳だった娘は自分自身の変化について行けず精神的にも不安定になっていました。寝ている私を起こして「眠れないからママは起きてそばでゲームしていて」と要求したり、「上の部屋の人の物音が怖い。変な物音が聞こえた」と怯えたり。

食事も無茶苦茶な時間に取るようになりました。しかも、ジャンクフードや冷凍食品を欲しがるようになったので、食事を用意するストレスは相当なものでした。
疲れた体で、せっかく手づくりの食事をつくっても「カップラーメンがいい」と言われたり。朝、昼、晩と献立を立てて盛りつけて出すという、今までの食事の用意の仕方は全く通用しなくなりました。

とにかく要求されたときに食べさせるだけで精いっぱい。栄養バランスは気になるけれど、本人に"ちゃんとした"食事をとる意思がないのでどうしようもありません。

「今食べさせているのは朝ごはんなの?晩ご飯なの?私が食べているのは何ごはん?」という感じで時間感覚はあっという間に失われ、娘の時間と自分の時間が溶けあってしまうような感覚を味わっていました。他に家族がいなかったのが唯一の救いでした。これ以上生活時間の違う人の世話をするのは、疲れ切った私には無理だったと思います。

あっという間に私の生活リズムは娘に支配され、狂ってしまいました。
でも、一般的な用事や買い物は昼間にしなければならないので、慢性的な睡眠不足にストレス、疲労で自律神経はズタズタに。頭痛、胃腸炎、発熱は日常茶飯事、加えて元々あったウツ状態が悪化して常に「死にたい」と思いながら過ごす日々が続いたのです。

主治医からは「お母さんまでが娘さんの生活を否定したら彼女の居場所がなくなってしまう」と生活に関しては注意しないように言われていました。私自身もツラかったけれど「今、娘が睡眠障害になったのは心を守るためだから」と思っていたので治そうとは全く考えていなかったのです。

でも周囲は違いました。不登校に関しては意外と「大丈夫だよ、行かなくても」と理解を示す人が多いわりに、睡眠障害の話をすると「どうしてそんな生活させているの!?だめよ、生活リズムだけはちゃんとさせなきゃ」と口をそろえて言うのです。

一方的に責められた私は、自分の考えや主治医の助言を説明する気にもなれず、心を閉ざしてしまったのでした。これは本当にツラかった…。


娘に少しだけ自立してもらう。親子で倒れないために…

【発達障害 子育て】不登校で睡眠障害に!アスペルガー症候群の娘の育児、 いちばんツラかったこと

出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10161016370

睡眠障害になるまで追い詰められた娘の姿を見て「学校へ行かせる」ということをあきらめ、本人も「もう学校へは行かない」と宣言してからは、少しずつ元気を取り戻してきました。最初は私がついていなければカップラーメン一つつくることができなかった娘ですが、小学4年生になるころには、電子レンジや電気ポットの使い方を教えると、一人で冷凍パスタやカップラーメンをつくることができるようになりました。私が寝ていても一人で食事をとれるように成長したのです。

そこで私は、自分の寝る時間を決めて「ママは夜は何時に寝るからそれからは一人で過ごしてね」と宣言。娘はすんなり受け入れてくれ、私はやっと自分の生活リズムを取り戻したのでした。

娘の睡眠障害は今も治っていません。ですが、娘の情緒も安定して精神的にも自立しつつある今、あのころの苦しみは嘘のよう。今は平和に共存しています。

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