【発達障害 子育て】娘、3歳半。会話ができない娘の中に育まれていた、豊かな感情。私が「最初の気づき」を得られたとき
グレーゾーンだった、2歳の頃の娘
発達障害のある娘は、乳幼児検診の時に指摘を受けるようなことはありませんでしたが、
・抱っこすると海老反りする
・手を繋ぎたがらない
・興味あることを長時間も続ける
・迷子になっても泣かない
・発語が遅い
など、自閉スペクトラム症の疑いを十分に感じさせる子でした。
親子で遊んでいても“親と遊んでいる”というより“一人でおもちゃで遊んでいる”という感じが強く、同世代のお友達がおままごとをしている横で、娘は一人でコップの中のおはじきを移し替えたりして遊んでいました。
動物が好きになった、3歳の頃
抱っこや手を繋がれたりすることを嫌がる娘でしたが、自ら動物に触れることは好きでした。娘はよく動物園のふれあいコーナーの小動物に触れ、抱っこしたりしていました。
一緒に動物番組を見ていたとき…
出典 : http://amanaimages.com/info/infoRF.aspx?SearchKey=10120002253
飼い主がバスに乗って出かける時に、ペットの犬がバス停で飼い主を見送るというシーンがありました。それを見ていた娘が言いました。
「もいっかい」
私は最初、娘が何を言っているのかわかりませんでした。
娘はその後
「ワンワン、ハイレナイ」
と言いました。
娘は「犬がバスに乗れなかったから、もう一回ドアを開けて欲しい」という気持ちを伝えたかったのです。
一方的ではない、想いが宿った初めての「言葉」
それまで娘が発する単語や二語文は、自分の要求を伝えるだけの一方的なものでした。
公園は大好きだけどお友達と遊ぶのがまだ難しかった頃。親子の会話も成り立たず、私は娘と一緒にブランコに乗っている間、ただただ、娘が好きな歌を歌い続けていました。そして、娘と意思の疎通ができないことに寂しさを感じていました。
でも娘の中にはいつのまにか他者(この時は動物でしたが)を思いやる心が育っていました。そして拙いながらもついにその“気持ち”を「言葉」にのせて、伝えたのです。娘の中にある豊かな感情に気づいた瞬間でした。
普通の子育てであれば、とるにたらない当たり前のことかもしれません。
でも、娘の中に他者を思いやる心が確かに育っていたこと。言葉に想いが宿り、他者との心の交流の一歩を踏み出したこと。一方的なコミュニケーションではない「言葉」を、娘が話したこと。それはまるで、何も育たないと思い込んでいた荒涼とした大地に、若葉が芽吹き、大きく育っていく未来を感じさせてくれるものでした。
私にとっては、”ヘレンケラーが「言葉」を理解した時も、こんな感じだったのかしら?”と思えるほど感動する出来事だったのです。
私は胸が熱くなりました。そして娘に、
「そうだね、ワンちゃんも飼い主さんと一緒に行きたかったよね」
「ワンちゃんは飼い主さんが大好きだもんね」
「飼い主さんが帰ってきてまたワンちゃんと会えるといいね」
と言いました。
奇跡は起こらなかったけど
その後、娘の語彙力や表現力が爆発的に増した!という奇跡は起きませんでしたが(笑)彼女なりの成長を遂げ、文字が書けるようになると作文で自分の気持ちを表現するようになりました。また、情緒豊かな物語を創作するようにもなりました。
聴覚過敏がある娘は、今でも複数人との会話が苦手です。でもメールやSNS 上では饒舌に自分の気持ちを語ることができます。
自閉スペクトラム症の人は周りの人と上手な接し方ができなかったり、表情が乏しかったり、感情の起伏が激しかったりするので共感を得ることが難しいです。
でも実のところ彼らは感受性がとても豊かで、小さい頃から定型発達の人と同じように嬉しいとか寂しとか悔しいなどの複雑な感情を心の内に秘めているのだと思います。
3歳半の娘が他者を思いやる気持ちを言葉にし、それに共感できたあの瞬間こそが、私の「最初の気づき」のときであり、喜びの瞬間でした。