「オウム返し」だってコミュニケーション!特訓の果てに気づいた自閉症息子の、伝えたい気持ち
スパルタ特訓時代
『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。
わが子がしゃべらない…、言葉が少ない…、変な言葉遣いをすると、周りの子が上手にしゃべっているのを見て焦ったり、比べてしまったり。つい「言葉」だけにスポットを当ててしまい、「わが子の言葉を増やそう!」と必死になってしまうのではないでしょうか?
かつての私もそうでした。でも、言葉を増やそうとすればするほど、やたら“オウム返し”が増えるだけでした。
母「これは葉っぱよ、葉っぱ」
子「これは葉っぱよ。葉っぱ」
母(怖い顔になり)「そうじゃなくて、葉っぱ!」
子「そうじゃなくて、葉っぱ」
母(更に怖い顔になり)「葉っぱ!」
子「葉っぱ」
母は「やっとできるようになった」とホッとします。
しかし!この訓練により、オウム返しが定着してしまい…。
母「お名前はなんですか」
子「お名前はなんですか」
母「お名前はなんですか。
立石勇太でしょ!」
子「お名前はなんですか。立石勇太」(質問者の言葉までセットで言ってしまう)
となってしまい、ガッカリ。そんな経験ありませんか?
母「お名前を教えてください」
子「…(無言)」
という風に、質問の仕方を少し変えるだけで、途端に固まってこともあります。
以前、息子とタクシーに乗ったときのことです。
運転手さんに、「僕のお名前は?」と聞かれた息子は、「山田太郎※」とタクシーの運転手のネームプレートを読み上げました。オウム返しが減ってからも、会話がなかなか噛み合いません。
※ここでは仮名にしています
言葉を話す意味
よく考えてみると、言葉って単語が増えるだけではダメで、「相手と関わりたい」という強い動機があって発達していくもの。
電車の型番、国の名称、リンゴの銘柄を「王林、ジョナゴール、シナノスイート、世界一、富士…」と唱えていても…「ママ、今日は電車に乗ってお出かけしたい」とか「「お母さん、このリンゴ美味しそうだね。
買って~買って~」とはなかなか言ってくれないものです。
英語だって英単語を山ほど知っていても、「外国人と話したい」という動機がなければ、英会話は上達はしません。これと少し似ているのではないかと思います。
息子がしゃべりはじめたきっかけ
Upload By 立石美津子
息子が5歳、うどん屋に行ったときのことです。
私と息子は、うどん屋さんで昼食をとっていました。そのとき、あと一本、うどんの切れ端が残っている器を、店員さんが下げようとしました。息子は”まだ、この一本を食べたいのだ!器を下げないでくれ!”という状況に追い込まれました。そして「まだ、食べる!」と叫んだのです。
店員さんは慌てて器を戻しました。
この経験をきっかけに「要求を叶えるためには言葉という便利なものがあるんだ」と理解したのか、徐々に、例えば「カレーライス食べたい」としゃべるようになってきました。
オウム返しでも、心がこもっている
Upload By 立石美津子
オウムに「おはよう」と声をかけると「おはよう」と答えてくれます。でも、そこに心はこもっていないでしょう。
人間が「おはよう」と言っても、オウムは「おはよう。今日の予定は?」「昨晩は良く眠れた?」と言う風には反応はしてくれないので、会話が続きません。
息子は現在、18歳。今でもオウム返しをします。
母「行ってらっしゃい」と見送ると
息子「行ってらっしゃい」と元気に手を振りながら玄関から出ていきます。
でもオウムとの決定的な違いは、言葉はオウム返しでも心がこもっていることです。
オウム返しの「行ってらっしゃい」でも、ちゃんと意思表明してくれます。そこに心があるのが感じられます。こんな息子を毎朝、笑顔で「行ってらっしゃい~」と見送っている、親バカな私です。
親が望む言葉に囚われないで
私の身近に18歳になっても言葉がない子がいます。その子は自閉症ではありません。でも、その身振り手振り、表情でしっかりコミュニケーションが取れる子です。
「これも言葉の一つなんだな」と感じています。
ある自閉症のお子さんは、いつもは“要求語”しか発しないのに、先日はじめて、美しい満月を見あげながら「つき…」と言ったそうです。満月をきれいだと思った感性や、それを伝えようとしたこと(共感)を感じて、お母さんはすごくうれしかったそうです。息子は、要求があるときはたくさんしゃべりますが、会話のやりとりを続けることはまだなかなか難しい状況です。でも、あまり「言葉!言葉!」と焦らないで、その人にとってのそれぞれの言葉、親として見守ってやりたいと思っています。
日本語って、難しい?
息子のオウム返しがのり移ってしまい、息子が帰宅した時、つい私のほうから
母「ただいま」と声をかけてしまい…
息子「ただいま」
オウム返しを予測して、息子が言うべき言葉を私が先回りして言ってしまうことも多く、なかなか学習できない息子です。
でも、よく考えると
「おはよう」「おはよう」
「こんにちは」「こんにちは」
「おやすみなさい」「おやすみなさい」
なのに、
「行ってらっしゃい」と言われたときは「行ってきます」、「おかえり」と言われたときは「ただいま」と、置かれた状況により言い回しを変えなくてはならない日本語って、実はすごーーーーーーーく難しいのかもしれませんね。
2018年9月10日、医師・松永正訓氏が立石親子を取材、書き上げた新刊が発売に。
発達障害がある子と母の、幼児期から今までに渡る育児について綴られています。