「発達障害」というメガネを外して。医師である私が、診断名をつけることより大事にしていることーー精神科医・田中康雄先生
今、家族が医師に対して確認したいことを推し測りながら
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僕は診察室で「子どもの発達の診立て」を行いながら、同時にわが子の育ちを心配する親や家族の思いも診立てていきます。
僕が向き合っているのは、「発達障害」ではなく、多彩な個性の持ち主である一人ひとりの子どもであり、家族です。このコラムでは、発達障害の診断名よりも「大事にしていること」についてお話ししていきます。
初回の診察場面で、親御さんから「診断はつきますか?」「なんの障害ですか?」と聞かれることがあります。そういうとき僕は、「何回か診ないとわからないですよね」「検査も必要でしょうし、第三者の方々の日常の評価も知りたいですよね」というふうに、時間をかけてその子を診ていけるように話をします。
一方で、「この段階で診断名はつけたくないんです」「そんなことで途方に暮れたくないし、落ち込みたくないし、傷つきたくありません」と訴えるお母さんもいます。そんなとき僕は、「わかりました。急いで診断名をつけてもつけなくても、今できるかかわりのほうが大切ですから、しばらく診断名は棚上げしておきましょう」とお話しすることもあります。
診断名がその子をみる視点を狭めてはならない
医療である以上、診断はとても重要なものです。それは疑いのないものです。しかし、「その子にどのような診断がつくか」と急ぐよりも、一人ひとりの思いや周囲との関係性について思いを馳せ、今できる生活の応援を考えることのほうを大切にしています。
僕は、1〜2回の診察で診断名を伝えることはほとんどありません。病院で医師がその子に接するのは、切り取られた一場面であって、おそらく普段の日常の姿ではないはずです。診察室でその子が僕に見せてくれる姿が素の姿なのか、よそいき外行きの姿なのかは、ほんの数回では到底わからないと思っています。
また、診断名がつくことによって子どもの言動のとらえ方が狭まってしまう、画一的になってしまう心配もあります。
「この笑顔も症状なの...?」診断名を前にした、あるお母さんの苦悩を知って
数年前にお会いしたお母さんが、わが子の様子をこんなふうに語ってくれました。
「うちの息子は原っぱが好きで、いつも竹の棒を持ってトンボや鳥を棒で追い払うようにしながら、何時間でも走り回っているんです。それに、とても几帳面でミニカーをきちんと並べては、素敵な笑顔を見せるんです。私がそのミニカーをちょっと触って列を乱したりすると、ほんと真剣に怒るんです。それもまたかわいく思っていたんです。でも…」
ある日、子どもの発達について気になるところのあったお母さんが、病院で診てもらったところ、「お母さん、その行動は自閉スペクトラム症の〝こだわり〞ですよ」と告げられたそうなのです。
「その瞬間、今までは『かわいいな、素敵だな、ユニークだな』と感じていた子どもの行動が症状なんだ…と、見る目が変わってしまって。症状だったら『治さないといけない』と。だったら、今後は棒も持たせられないし、ミニカーも…。
そんなふうに考えたら、『あの笑顔も症状なの?』って、いろいろと悩むようになってしまいました」。
興味関心まで「症状化」してみえてしまうことも
「好きでトンボを追いかけて、好きでミニカーを律儀に並べる。それでいいと思いますよ。問題ありませんよ」
そんなふうに僕の意見を伝えると、
「先生、うちの子のこと、トンボが好きで鳥が好きで、走り回ることが好きで、ミニカーが好きで……そういうことが好きな子なんだって思っていてもいいですか?」
と、逆に問い返されました。
「もちろんです!」
僕はそう答えながらも、考え込んでしまいました。医学の診断名というのは、ある意味で、その子の興味関心すらも「症状化」してしまうことがあるのか、と。
診断名はあくまでもその子の一部に過ぎない
同じ診断名がつく子どもであっても、一人ひとり、その思い、言動はみな違います。まずはその子の思いに近づく努力をしたいと僕は日々思っています。
「自閉スペクトラム症のしょうたくん」「ADHDのあいちゃん」といった視点ではなく、その子どもの目線にまで達して、「しょうたくん、あいちゃんは、こんな気持ちではないでしょうか」というところからかかわっていきたいのです。
「こういうタイプの子は電車が好き」なんてひとくくりにできない
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ほかにも、「電車が好き」という男の子がいたとしても、「電車」というひと言ではくくれなかったりもします。好きな電車の世界の中にもいろいろあって、特急車両が好きな子もいれば、寝台列車が好きな子もいて、「キハ6000」の走行音が好きな子もいるし、路線図が好きな子も、無人駅が好きな子もいます。
そういうこだわりを僕は、つくづくおもしろいなあ!と感じますし、奥が深いなあと痛感します。「こういうタイプの子って、やっぱり電車が好きですよね」とひとくくりにされた日には、彼らから異議申し立てが出るんじゃないかと思うくらいです。
わが子の豊かな世界を一緒に楽しんで
せっかくバリエーションの豊富な子どもたちの言動が、「こだわりが強い」「衝動性が強い」「五感が鋭い」といった決まりきった言葉(発達障害の特性を示す)だけに置き換えられてしまうのだとしたら、僕は残念でなりません。
例えば、車のタイヤがクルクル回ったり、換気扇が回ったりするのをずっと見続けているお子さんがいたとして、「やっぱり、自閉スペクトラム症ってこういう回るものが好きなんですよね」とひとくくりに表現してしまうのも、その子に失礼だなと思ってしまうのです。クルクル回るものを見て楽しむ子どもの気持ちが、「自閉スペクトラム症」という記号によって、「回っているものを見て、 喜ぶ資質です」といった説明で片付けられてしまうことに強い違和感も覚えます。
その子が選択したものを突き詰めていくと、 もっと「それが好きなんだ!」「これを手に入れたかったんだね」といった価値観に近づけるのではないでしょうか。
「発達障害」というメガネを外してわが子を見れば
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「発達障害」と判断することは、その子を理解する手がかりの一部にはなるでしょう。でも、発達障害という「メガネ」をいったん外して、わが子のありのままを見つめてみることも大切です。生きる上での喜びも、生活の中での傷つきも、そしてそれに対する周囲の手当ても、一人ひとり個々に体験して生き続けます。その子、そしてその家族に対して、僕たち精神科医は、可能な範囲で発達促進的な環境を一緒につくろうとします。
同時に、僕たちはどこまでいっても、自分自身も、また他者も十分に理解することはできません。だからこそ対話をし続けます。生活を重ね合わせていきます。
「発達障害」だけで子どもを見ないで――あくまでも手がかりの一つに過ぎない、発達障害という「メガネ」に支配されないこと。
そして、子どもの理解にゴールはないことを、みなさんの心に留めていただけたら幸いです。
http://ul.sbcr.jp/GK-OBrGo
Web版立ち読み『「発達障害」だけで子どもを見ないでその子の「不可解」を理解する』
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