愛あるセレクトをしたいママのみかた

【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い

LITALICO発達ナビ

前回のあらすじ


障害年金申請に必要な書類を揃え、いよいよ申請窓口に提出しに行きました。窓口の担当者さんが丁寧に書類を確認してくれて、安心して提出することができました。

資料がない!


療育センターでの親子セッションが終了してから幼稚園卒園までの間、娘は療育センターの主治医に紹介してもらったある大学の研究室で療育を受けていた時期がありました。その事を『病歴・就労状況等申立書』に記入しようと思い資料を探したのですが、通い始めた正確な時期の記録がどうしても見つかりませんでした。

【障害年金申請への道 最終話】子育て振り返りの旅も終わりに――15年前の発達検査報告書を見て感じた後悔と感謝。そして少しずつ親離れする二十歳の娘への想い

Upload By 荒木まち子

ネットで確認すると、その施設も療育センターと同様、名称・建物ともに娘が通っていた頃とは変わっているようでした。

「20年近く前の娘の記録は残っているかしら?
毎年、年賀状などで娘の様子は伝えているけれど、先生方は娘のことを覚えているかしら?」
そんな不安を抱えつつ私は施設に電話をしました。

私の不安をよそに、電話を受けた先生は娘の事をしっかりと覚えていてくださいました。当時の先生方も残っていらっしゃり、娘の記録も保存されていました。


療育期間やそこで行われた療育内容を確認した後、私は先生にずっと伝えたかったことをお話ししました。

検査後の細やかな対応を無駄にしてしまったという後悔の念


娘は今まで、必要に応じて療育センターや、教育委員会、病院などで発達検査を受けてきました。
検査結果は施設によって
・口頭でIQの結果のみを伝えるところ
・評価点のページだけをコピーでくれるところ
・詳しい検査結果を文書で添付してくれるところ
など様々です。

今回、娘の障害年金申請のために過去の発達検査結果の資料をすべて読み返し、私はこの研究室で受けた発達検査報告書が簡潔かつ的確でとても優れていたことに気が付きました。

特に引越し直前に受けた検査結果報告書には、娘が新たな環境で直面するであろう困り感を軽減するのための手段――研究室で行った、娘に有効だった手立てや後に娘に対して必要になると思われる配慮――などが分かり易く記されていました。

(報告書の一部)
・ことばは平均的な発達をしているので、ことばが使えることで理解できているように判断されるが、実際にはもう少し丁寧に指導していく必要がある。特に人との付き合いに関して細かな読み込みが苦手なので、全体の指示と同時に本児が理解しているかどうかの確認が必要になる。
・協応動作に関しても不器用な面があるが、これを本児はきっちりとこなそうとしている。
しかしこれに速度を要求されるとかなり負担がかかると考えられる。例えば文字の形のバランスを取ることや、字の画数が多くなると形を整える事が難しくなるので、宿題の量を加減してもらったりプリントの書くところを少し大きくしてもらうなどの配慮は必要になるかもしれない。

これらは15年たった今も全く変わっていない、そしてこれからもずっと変わることはない娘の特性です。大学の先生たちは娘が未就学のときから娘の将来を見越していたのです。

でも当時私はその意味がよく解っておらず、せっかくの報告書を次の環境で上手く引き継ぎ活用することが出来ませんでした。

先生から語られた驚きの事実


私「今になって当時そちらの施設で最先端の療育が行われていたことが分かりました。あの頃は私自身、検査報告書に書いてあったことの意味もよく理解していなくて、いただいていた報告書を学校や次の療育センターで活かすことができず、“様子見”をしている間に、娘は学校でいじめにもあい二次障害も起こしました。」

先生「そうでしたか。今、こちらの地域では施設の整備も進み、療育センター・幼稚園・学校・各種関係機関の連携も密になっています。
実は荒木さんがこちらにいらした時期は一番大変なときだったんです。

阪神淡路大震災直後で震災復興に予算が当てられて、子育て支援に関する計画が先延ばしになった時期でした。各機関連携の計画はもっと早くに実現するはずだったんですよ。」

確かに街中には仮設住宅が残っていました。療育センターの建物も平屋のプレハブでした。

先生の話から、私はなぜ当時の療育センターの廊下に「動かない謎のマッサージチェア」が鎮座していたのか、その理由を察することができました。

でもそんな状況下でも研究室の先生方は幼稚園と連携を取り、娘にどう接したらいいかなどを幼稚園の先生に伝えてくださっていました。また、療育時には大学の実習生やボランテイアの生徒さんもセッションに参加し、障害のある子どもたちに明るく接してくれていました。

私はそれで十分と感じていました。
私「そうだったんですね。当時は悩んだり、それなりに辛いこともあったけれど、いま振り返るとそちらで過ごしていた頃が娘の子育ての中で一番幸せな時期だったと感じます。

きっとプロフェッショナルの先生方に見守られ療育を受けることができていたからだと思います。」

大人になった娘の近況を先生に報告して...


私「その後、娘は何とか落ち着き今は特例子会社で働いています」

先生「お母さんは、娘さんが落ち着いた一番の理由は何だと思いますか?」

私「このままじゃダメだと思って、必死に理解してくれる支援者を探したからだと思います。
親だけじゃどうにもならないので本当にみっともないほど、なりふり構わず探しました。
辛かったけど今は二次障害があったこともひっくるめて、それが娘なんだと思っています。」

先生「そこまで言えるのはすごいですね。」

私「はい。15年の間に“恵まれた環境”は待っていても訪れないから自分から動かないとダメなんだと知りました。

あと、私達親子は実際痛い思いをしないと学べないタチなんだなと身を持って経験しました。
いっぱいいっぱい泣きましたけど、その分強くなったのかもしれません。」

障害年金申請の手続きは、『子育て振り返りの旅』


年金申請資料を作っていると、過去の辛かったことを思いだしたり、自分の選択を後悔したりします。
ときには自分がしてきたことを恥ずかしく思ったりもします。

でもふとした瞬間に実は幸せだったことに気づきます。じたばたしていた自分を辛抱強く見守ってくれていた人の存在に気が付いて、感謝の気持ちを抱いたりもします。

私にとって今回の障害年金申請作業は、自分の子育ての振り返りの作業だったような気がします。

今後に向けて


子どもが20歳になったからといって当然子育てが終わったわけではありません。行政や支援者とのやり取りや手続き、書類の作成などは、まだ親が手伝っています。今後は一人暮らしに向けた準備も必要になってくることでしょう。少しずつで良いので親の手助けがフェードアウトできるようにしていきたいと考えています。


数年後に訪れるであろう「障害状態確認届」提出の頃、娘は一体どうなっているでしょうか。
そのときは本人主体で手続きが進められるような工夫をしていこうと思っています。そのときにも娘が理解ある支援者に囲まれた環境にいる事を願ってやみません。

提供元の記事

提供:

LITALICO発達ナビ

この記事のキーワード