「僕を重度だと思ってるの!?」と怒った自閉症息子――重度障害のある人を見下した発言だと叱ったけれど、実は違って...
僕のこと、重度だと思っているの!?
『発達障害に生まれて』(松永正訓著/中央公論新社)ノンフィクションのモデルとなった立石美津子です。
ある朝、息子が顔を石鹸で洗った後、上手に流せていませんでした。そこで、私が泡が残ったところを指差して、「ここ残っているよ」と注意しました。すると、息子が「僕のこと重度だと思ってるの!?」と言い返したのです。息子はちょっとでも否定されることに敏感なので、切れてしまいました。
私が「そんな言葉は、決して口に出してはいけないよ!」と更に叱ると、その言葉を無視して「僕のこと重度だと思っているの!」と繰り返し反撃されました。息子は「あなたのこと重度だとは、思っていないよ」と言ってほしかったのだと思います。でも、私は咄嗟に「差別意識は良くない」と思い、叱りました。
実際、どう感じているのか
そのやりとりの後「息子は自分より重度の友達を見て、どう感じているのだろうか?」と考えてみました。
単純に「自分に比べて言葉がない子、パニックが激しい子は重度の子である」と認識していて、これをそのまま言葉にしているだけなのかもしれません。中学校の頃、通常学級に通う子のことを「能力がある人は通常学級」と言っていることもありました。
ですから、単に状態像としてとらえているだけで、私が考えているような差別意識はないのだろうと、息子とのやり取りを通して気が付きました。
学校の環境
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息子が通っていた特別支援学校高等部では、障害の程度別にクラスがA類型・B類型・C類型・D類型と分かれていました。公開されている学校のホームページにも「生徒の適性に応じ、自立と社会参加を目指した教育の推進に向け、教育課程に類型を設けています。」と明記されています。
・生活自立類型(重度・重複学級 A類型)
・職業基礎類型(B類型)
・職業技術類型(C類型)
・職業自立類型(D類型)
卒業後の進路も概ねA類型、B類型の子は生活介護や就労継続支援B型、C類型の子は福祉型の就労移行支援事業所、D類型の子は障害者雇用枠で企業に就職します。
保護者も生徒もクラス名を見ればすぐに重度か中度か軽度の障害程度がわかります。
そんな環境で毎日過ごしているので、「能力により出来ること出来ないことがあるのは当たり前」という感覚があるのだと思います。自分より軽度の友達の名前を出して「△△君は能力があるから企業に行く」と言うことも度々ありました。
顔を洗った後、出来ていないことを指摘されたとき「僕は本当は出来るのに、お母さんは出来ないと思っている」となり、「僕、重度だと思ってる!?」の言葉になったのかもしれません。重度の障害がある人を見下しての発言ではありませんでした。
保護者はあまり意識していないことも
例えば“障害児”という言葉。定型発達の子どもを持つ親御さんが、この言葉を使うとき、凄く神経を使っている様子が伺えます。
けれども、当事者の親たちは「うちの子の障害は~」と特に差別意識なく普通に会話をしています。
少なくとも私が付き合っているママ達、本人は「障害は恥ずべきこと」「悲しいこと」とは思っていません。
「可愛い」「癒し」「宝物」と思っていて、そんな親に育てられて自己肯定感をバリバリに持っている子もいます。
比べてしまう
人と自分を比べてしまうのは人間のさが、比べる心は人間が持つ自然の感情です。その感情を持ったことを頭ごなしに否定してはならないと思います。
ただ、自分より出来ない人をバカにする言葉を出したり、苛めたり、相手を傷つけたりしたときは「それはしてはいけない行為」としてしっかりと教えなくてはなりません。
それから、なぜ息子が切れたか。それは、心の理論(=相手の気持ちをわかる心)が育っていないからだと思います。
親が「それは言ってはいけないよ(相手が悲しい思いをするから)」と教えようとしても、「なぜ、そんなことをお母さんは言い出すのだ、僕はそんなことを聞いているのではない」と思ったに違いありません。
言葉狩りのように、言葉について神経過敏になりすぎることなく、それをどう捉えているのかが大切なのではないかと改めて感じた出来事でした。