「ボーダーレス」ってすごい!障害のある息子と遊ぶ姪の姿に気づかされた私の夢
『わが子が生きやすい世界』って何だろう?姪っ子から学んだこと
自閉症と知的障害を持つわが家の息子ほぺろうは、人とコミュニケーションを取ることが苦手です。目も合わなければ応答もままならず、他人との「やりとり」はほぼできません。それ故ひとり遊びが多く、人と関わりながら遊ぶことはあまりないです。
普通に見ればコミュニケーションの取りにくさは「扱いにくさ」でもあると思うのですが、そんなほぺろうのことをすごくかわいがってくれる人がいます。それは...私の姪っ子!
現在中学生の彼女はほぺろうが生まれたときからかわいがってくれているのですが、その様子はほぺろうの障害が判明して特性が出るようになっても全く変わらないのです。
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「扱いにくいとか思わないで、普通に接してくれるのありがたい」と思う私に、姉(姪っ子の母)は「特に意識してないだけだよ~。近所の子ども達にもこんな感じだもん」と言うけれど、いやいや、それってすごいことだよ!
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ところが姪っ子の場合はもともと子ども好きとは言え、ほぺろうに対して「障害があるから」とか「可哀想だから優しくしよう」などという考えではなく、誰に対してもいたって普通。
ボランティアとも違う、その姿勢はまさに...
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特に意識してないのは、イコール『当たり前に受け入れている』から。
『わが子が生きやすい世界』...。もちろん成長の努力は惜しみませんが、『いろいろな境遇を当たり前だと思ってくれる世界』を私は望んでいるのだと姪っ子を見ていて気づきました。
『自分とは違う存在・考え方があって当たり前』というボーダーレスな社会であって欲しい...。それが『多様性社会』であり、障害者に限らず、すべての人にとって生きやすい世界なのかもしれません。
目標は『メガネの存在』!?
私達はメガネをかけている方々の存在に何の違和感も持っていません。今その存在を特に意識していないのは、視力に不自由を抱える多くの人達が『必要性』を訴えてきた歴史の成果なのだと思います。もしメガネがなければ、今も彼らは視覚障害者として就職も普通の生活も困難だったかもしれません。それが今では、メガネはおしゃれアイテムだったりモテ要素だったり...。
メガネの存在は『当たり前』であり、『ノーマライゼーション』を体現してくれた実例ではないでしょうか。
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障害者が生きやすい社会は、誰もが生きやすい社会
最近読んだ、とある記事の一説に『障害者が生きやすい社会は、健常者にとっても生きやすい社会である』とあり、感銘を受けたと同時にすごくハッとさせられました。
というのも、ほぺろうの将来を憂いてネガティブだったころの私は、自分達親子の存在がただただ世の中の迷惑にならないように身を小さくして生きていかなければ...と思っていて「自分達の必要を望むことはワガママ」「周りに合わせるのが義務」と考えてきたからです。
でも、この言葉に触れて私は「そうか、障害が社会の役に立てるなら堂々と訴えてもいいのかも!」という前向きな力をもらうことができました。社会にとって役立つ『当たり前』になったとき、その必要を訴えてきた障害の存在も『当たり前』になっているかもしれません。
今の私にできること
まだまだ発展途上ではあるけれど、今は昔より発達障害への理解や支援が進んでいて、私やほぺろうもその恩恵をありがたく受けています。きっとそれは、ご本人や親御さん、支援関係者の皆さんなど発達障害に悩んできた先輩達が声を上げ続けてくれていたおかげに他ならないのだと思います。
私の存在は地球に対して“砂一粒”くらいのちっぽけさですが、ほぺろうや将来の誰かに繋がったらいいなと願い、ほぺろうの記録や情報を発信し続けていこうと思います。
そして『わが子が生きやすい世界は、みんなも生きやすい世界』を叶えるには、いろいろな境遇が『当たり前』として受け入れられることを望みつつ、他人に望むだけでなく私自身もいろいろな境遇を受け入れる気構えが必要なのだと思います。
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