愛あるセレクトをしたいママのみかた

「心が擦り切れる疲れ」そのままにしていませんか?体と心のやすませ方、ほぐし方【児童精神科医・三木崇弘先生】

LITALICO発達ナビ

頑張れる場合と、頑張り切れない場合がある


その昔、とある実業家の先輩に聞いた話です。
その方は、とある仕事で頑張って頑張って頑張って、プロジェクトの終わりのほうで自然と涙が出てきたと。それで初めて「ああ、こんなに涙が出て止まらないほど自分は頑張ったんだな」と思えたそうです。最初から難しいプロジェクトだったので結果は残念なものだったそうなのですが、それでも納得感はあったそうです。

僕を含め一定数の人が、このエピソードに対して「やっぱり『やり切る』って大事だよな」と感じたと思います。

でも実際には、保護者もお子さんも、頑張りきれずに疲れてしまうことも多いのではないでしょうか。
あるいはお子さんが頑張りきれずにいることにたいして、イライラすることもありますよね。それで叱ってしまったり、あるいはもう頑張りきれないところまで頑張って擦り切れて僕たち専門家のところにたどり着く子もいます。


世の中には「頑張れたエピソード」があり、でも一方で自分の暮らしの中では「頑張りきれないこと」が溢れています。

これって、何が違うのでしょうか?

自分が頑張りたいかどうかが分かれ目


一つのポイントは「本人が頑張りたくて頑張っているかどうか」です。

先の先輩はおそらく、自身がやりたくてたまらないからこそ「自然と涙が出るまで」頑張りきれたのでしょう。僕もありがたいことにいろんなお仕事をいただくようになり、しかも仕事の合間に大学院にも通っていて、そしてこうやって原稿も書き…我ながらよく頑張れているなと思います。

しかしこれが「嫌々やらされている」「他人の基準でやると決めた」仕事や勉強だったら、どうだったでしょうか。ここまで頑張れなかったかもしれません。

単純化してしまうのは危険ですが、とは言えざっくり、擦り切れてしまう子どもたち、あるいは働きすぎてうつになってしまう人は、「やりすぎている」「自分がやりたくないものをやっている」のかもしれません。

擦り切れないために、頑張る対象を絞り込もう


とすると、我々は頑張る対象をある程度絞り込んだほうが良いのかもしれません。
優先順位の低い家事、やったほうがいいけどやらなくても困らない雑用、気が進まない頼まれごと…。
組織に属していたり、コミュニティでの関係性を維持するためには不本意ながらやらなければならないこともたくさんあります。しかし、自分が「やりたい」と思うことの比率をあの手この手で高めていくことに注力するのは一つの方法です。

「疲れ」には2種類ある


次は、疲れには2種類あるんじゃないかという話です。

僕が疲れの違いを実感したエピソードがあります。

僕は初期研修の後、小児科医としてキャリアをスタートしました。若手時代は(日にもよりますが)朝から21時や22時まで続けて働くこともありました。そのころは「あ~~疲れた~~~」と思いつつも、スッキリとした気持ちで家に帰ることができました。


ところが児童精神科医になり、朝から18時くらいまで働くと、そっちのほうがものすごく疲れるのです。外来が伸びて19時、20時になった日なんて、終わったあとしばらく外来の椅子から立ち上がれないほど消耗していました。

「働く時間は減ったのにこんなに疲れるなんて、前と何が違うんだろう?」と思ったとき、一つの仮説にたどりつきます。「疲れの種類が違うんじゃないか?」ということです。

あなたの疲れはどっちの疲れ?


それは、「体の疲れ」と「心の疲れ」があるのではないか、ということです。

小児科医時代は、ある程度想像のつく風邪や肺炎、アレルギーなどパターン化された作業を大量にこなしながら、その中に混ざっている難しい症例の診断と治療に頭を使うような働き方でした。また、外来と病棟と往復したり、広い病棟を歩き回ったり、処置や診察で何回も姿勢を変えたりと、体の動きも多かった。

ところが児童精神科医になってからは、基本的に外来診療がメイン。
一日中椅子に座って人の話を聞いています。しかも内容は人によって千差万別で、その内容もなかなかに重いものが多い。正解がどこにあるのか分からない闇の中を、一緒にうんうん唸りながらかき分けていく感じです。この「心が擦り減る疲れ」が、疲労感の原因なんだと感じました。

つまり、小児科医時代はどちらかというと体力的な疲れです。体は動かしているけど、お昼を食べる時間もそこそこに一日中活動していたことによる疲れ。一方、児童精神科的な疲れとしては、精神心理的な疲れです。さまざまな人の悩みや不安といった感情に触れ、患者さんと一緒にもがき、ぐったりする。
そういう疲れです。

自分の疲れに必要なのは?体と心の休ませ方、ほぐし方をみつけよう


疲れたら休むのはもちろんなのですが、「どう休むか」「どうほぐすか」もけっこう大事かなと思います。

先ほどの僕の例は「心が疲れたから、心は空っぽにして体を使う」という解決方法でした。
でも人によっては「心が疲れたから、心が癒されるものを眺める」でもいいし、「体が疲れたから、体は休めてクロスワードパズルに熱中する」でもいいかもしれません。

休む方法には人に合ったものがあります。自分は何をすると楽になるのかを見つめ直していくのも、疲れをとるヒントになるかもしれません。

提供元の記事

提供:

LITALICO発達ナビ

この記事のキーワード