子育て情報『高級な食事より当たり前の団らんを。発達障害の私が幼少期に夢見たもの』

2021年8月2日 06:15

高級な食事より当たり前の団らんを。発達障害の私が幼少期に夢見たもの

私の中には、「よくわからないけど外食に行くと必ず何かでお父さんが怒り出して嫌な気持ちになる→ 外食≒嫌だ」という記憶として埋まっていました。

祖母は家族が幸せそうにしているのを見ても楽しくなかったのでしょう。突飛な言動をしてでも、みんなが自分に注目してくれないと不満だったのだろうと思います。

今でこそ私は祖母のことをこのように分析できるようになりましたが、当時は誰も、祖母の不機嫌や突飛な言動の理由を理解できませんでした。彼女に対して嫁の立場である母は、なおさら強く出られなかったことでしょう。

私たち家族はしだいに外食に行かなくなりました。父は単に忙しいのだと言い張っていましたが、彼にもやはりどこか違和感や嫌な気持ちがあったのだろうと今は思っています。


高級な食事より欲しかったのは当たり前の団らん

今私は、休みになると夫に近所にあるファミレスに連れて行ってもらいます。
そして800円と1000円のランチをじっくり比較して選び、クーポン券でドリンクバーを無料にしてもらいます。

吟味して選んだとはいえ、常に美味しいものばかりに当たるとは限りません。それでも「これは好みじゃなかった、前回のあれは当たりだっけど今回は外れだったなー」などと言い合いながら二人でゆっくり食事を楽しみます。

夫は最初「せっかくの外食なのにファミレスでいいのか?」と不安げでしたが、私が「ファミレス『が』いいの、そういうとこにあなたと一緒に行くのが嬉しいの」と言い続けていたら、そのうち休みの日に二人でファミレスに行くことは普通になりました。

義母や義姉、義兄とのつきあいで和食ファミレスに行ったりもしますが、驚いたことに(?)食事の最後まで誰も怒り出したりしません。そして、ファミレスでの食事でもみんなとなんでもないおしゃべりをしながら食べたら、なぜかとても楽しく心癒やされるのです。

私は実家を離れ、新しい家族に身を置くことで「自分に欠けていたのはこれだ、安全で穏やかな団らんだったのだ」と気づきました。リラックスし、信頼の中で接することのできる人たちとの食事や外食は、それだけで人間の芯の部分を温めるような力を持っていると感じます。


栄養バランスや料理自体の美味しさは確かに大事です。けれど私は、それ以上に大事なのが、ともに食事するメンバー同士の関係性と心身の状態だと思っています。ワンコインのファミレスでもいい、レトルトのカレーでも100円のお惣菜でもいい、食卓につくみんながリラックスして安心感のなかで食事ができればそれでいいのです。

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