2021年9月12日 14:15
私はマウントの道具でライバル――加害意識のない加害に苦しんで。「今に成績が落ちる」と嘲笑、「ママ友に自慢できなかったじゃない」とがっかりされた思春期
また、DVの場合、加害者のほうが被害者意識でいっぱいであるケースが多いことはよく言われます。
両親の側に加害の意識がない加害的行為については私自身、モヤモヤとしながらも「良かれと思ってやってくれているのだから」「これも愛情なんだろう」と必死に思い込んで過ごしていました。けれど、そのときについた傷は、上に書いたように今もしくしくと痛むのです。
母がもし、私を殴りながら「お前のせいで自慢できなかったじゃないか!」などと金切り声で叫んだりしていたなら、私も早くからそれが加害だと気づくこともできたでしょう。もちろん明確な身体的虐待のほうがいいなんて言うつもりは毛頭ありませんが、分かりにくい精神的虐待には特有の跳ね返しづらさがあると感じています。
逆にいえば、ついカッとなって手をあげてしまったけれどすぐに深く反省して子どもに謝り、殴ったのを子どものせいにせずに自らの責任として負う人や、「自分は子どもに加害してしまうかもしれない」と不安に思い、自分の行為や態度を常に反省するようなタイプの人は、どちらかというと子どもにとって安全な親でいられるのではないかと思います。
自分が加害するかもしれないという自覚や意識があれば、何か起きてもすぐに行動や態度を変え、原因が自分の中にあると気づけばその対処へと向かうことができるでしょう。
親と子どもは、親と子どもであるというだけで力の差があり、そこには常に加害や虐待のリスクがあります。
それは特に個々の人が悪いとかいったことではなく、構造の問題です。かつて子どもだった者として、小さな子どものいる人には、常にそうした構造の問題について気づきを持っていてほしいなと思います。
文/宇樹義子
(監修:三木先生より)
こうしてご自身で振り返りをされることも、癒しの一つになることがあります。ただ辛く振り返るだけではなく、「あのときこうして欲しかったんだよね」と考えることで、幼いころの自分が癒されるかもしれませんね。
ただ、自分一人でそれをやるのはつらいもの。必要であれば、遠慮せず専門家の力を借りても良いでしょう。
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