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数学と歴史で泣き、国語と英語に笑った中学時代。伝説的成績だったASDの私の「辞書を読む」勉強法

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得意不得意の差がとにかく極端!


発達障害のある人は「本人の中での得意不得意の差が大きい」とよく言われますが、私もそうでした。小学校6年のときに塾の二教科テストで、国語学年トップ、算数学年でビリっけつ、二教科平均でちょうどまんなかという成績をとり、職員室がざわついて「伝説的成績」と言われたことがあります。

言葉を使い、理屈を突き詰める分野のことがとても得意で、逆に、単純に暗記したり、決まりごとにとりあえず従って計算したりすることがとても不得意でした。教科としては国語・英語が得意で、数学・歴史が苦手だし、とても苦痛。

30歳を過ぎて知能検査を受けたところ、私は言語理解能力が極端に高く、理屈や意義がわかるとモチベーションが上がるたちである一方、単純な作業をミスなく大量に進めていくことが極端に苦手なことがわかりました。

数学は、もし小学校のころに理屈を突き詰めて教えてくれる専門性の高い先生と出会えていたら、むしろ好きな科目になっていた可能性があります。けれど、苦手な手書きで計算を進めなければいけないこともあいまって、私が数学が苦手だったことは納得がいきます。

知能検査のときの心理士さんに「暗記科目が苦手だった」と言ったら、「そのはずです。
理屈で理解したことは覚えられますが、単純にバラバラなものを丸暗記するのは非常に苦手なはずです」と言われました。

いろいろな人生経験も経て、世界の歴史上の出来事を理屈やストーリーで理解し、歴史の知識を身につけることの意義も知った今となっては歴史は魅力のある科目ですが、当時は単なる暗記科目で、苦痛なことこのうえありませんでした。

逆に大好きだったのが国語と英語。興味の赴くままに楽しんでいるだけで、いつも自然とトップクラスの成績がとれるような感じでした。言語能力の高さを存分に発揮していたのでしょう。国語の先生に「あなたの文章は誤字脱字が少なすぎて気味が悪いほどだ」と言われたこともあります。

英語がくれた楽しみ


英語は本当に楽しんで学びました。中学3年生ぐらいになると、覚えた基本的な英語の知識を使ってビートルズやハリウッド映画のテーマソングなどといった有名な洋楽の歌詞を我流に翻訳したり、英語の詩めいたものや日記を書いたりして楽しんでいた記憶があります。
新しく知った言葉をとっかかりに、どんどん世界が広がり、世界の解像度が上がっていくのです。

たとえば「ステンレス」はstain-less(サビが-少ない)、サビにくい金属なんだなとか。缶は英語ではcanだから同じ音だな、関係あるのかな? とか(ちなみに、漢語から日本語に入ってくるときにcanの音があてられたというのが今の定説のようです)。

授業中に辞書を「読む」ことが趣味に。語彙が広がっていった


こんな調子だったので、学校での英語の授業は簡単で退屈に感じられることがありました。そんなときは辞書を開いて、語源とか語の成り立ちについて書いてある説明部分を読み込んでいました。そうして私はだんだん、単語を要素に分解してそこから理屈で意味を覚えていく方法を身につけました。

「リバーシブル」はre-versi-ble(再び-耕す-できる)、くり返し耕すようにして表面を入れ替えられる=ひっくり返せるモノなんだな、とか。

ほう、versiの元の形はなんだろう、verseか、詩の一節と同じ言葉だな、畑の畝(うね)という意味もあるな、畝を耕すようにして言葉を紡いでいくという意味なんだろうな、とか。


こうした知識を学校では習うことはありませんでしたが、英語の単語は丸暗記するのではなく、分解したり語源を考えたりと楽しんで理解しながら、暗記が苦手な自分の課題を克服して語彙を広げていきました。

もう1つ例を挙げてみましょう。英語では「pa」って「手のひらに関わること」を表すことが多いんですよ。paはもともと手のひらを表す要素で、そこから転じて、人間が手や技巧を加えたものも指すようになったようです。

pat(たたき込む)
paw(動物の手足のひら)
pattern(型、様式、図案)
paste(練り物、ペースト)
pasta(パスタ。もともと上の練り物の意味ですね。「ロゼット洗顔パスタ」のパスタもこれです)

辞書を「読む」のは私にとっては鼻血が出るほど知的興奮を刺激してくれるものでした。目を輝かせ笑みを浮かべながら辞書を読む私は、周囲に「宇樹は血眼で辞書を読んでいて気味が悪い」と言わしめるほどでした。


英語辞書のほかに「読む」のが好きだったのは理科系の図鑑です。特に恐竜などの古生物や、秘境に住む珍獣、珍しい植物、土中の微生物、体内や細胞内の活動などといったイメージをくすぐるページを開いて、それらがさかんに活動する様子を詳細に想像するのが何より楽しかった。私はこの楽しみを誰も止めないでいてくれたおかげで、計算ができないのでテストではそんなに高い点はとれないものの、理系科目が大好きな子に育ちました。

腑に落ちて学べる方法を得たことで、もっとも得意で好きな科目へ


言語理解能力が高い一方で理屈抜きに丸暗記することが苦手な私にとって、勉強のモチベーションを上げるコツは「情報を理屈やイメージで絡めて腑に落とす」ことでした。

理屈を理解する。イメージを喚起する。それらで知的興奮を刺激し、知識に触れることを苦痛なことではなく楽しいことにする。私の場合、その科目を勉強すること自体が楽しい状態になれば「なんで◯◯なんて勉強しなきゃいけないの?」などといった苛立ち混じりの問いが口をついて出てくることもなくなります。


辞書や図鑑に「こだわる」子を放っておいたらそれにしか興味を持たなくなってしまうのでは? と不安に思う保護者の人もいるかもしれません。ASD児であった私の個人的意見ですが、その子の興味が向くことをやめさせずに、没頭させてあげてほしいなと思います。

辞書や図鑑を開いて理屈やイメージの世界で遊ぶのは、私にとって生きるうえでの大きな喜びでした。私はたぶん、辞書や図鑑と遊びながら、定型発達の子どもが友達と外で駆け回って遊ぶのと同じような喜びと輝きをつぶさに体感していました。幼いころから周囲になじめず生きづらかった私には、そうした内的世界の豊かさは、生きるうえでの不可欠な支えでした。

あと、オタク的気質のある私が感じるのは、何かにこだわって突き詰める性質は、よくも悪くも教育ではどうにもならないということです。その子の生まれ持った興味の方向性や能力バランスによって、オタクにならない子はどうやってもならないし、なる子はどうやってもわが道を行くのだろうと思います、私のように笑。

その子が大人になったとき、その豊かな内的世界を資源として楽しみながら生きていけるなら、素晴らしいことだと思います。
私は今、オタクで幸せですよ。

文/宇樹義子

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